ポール・グレアムの「新しいものを作る6つの原則」を翻訳しました。なお翻訳にあたってshiro様、ttamo様、ほんのしおり様、nofrills様のアドバイスを受けています。ありがとうございます

原題は"Six Principles for Making New Things"で、原文は以下です。
http://www.paulgraham.com/newthings.html

新しいものを作る6つの原則

2008年2月

Arcのリリースに対する激しい反応は予期していなかった。自分はデザインの哲学を持っていたのだ。歯に衣を着せない批判者たちの主な苦情は、Arcはとてもチャチっぽいというものだった。開発に何年もかけたのに、示したのは数千行のマクロだけ? なんでもっと大事な問題に取り組まなかったの?

こういった言葉についてじっくり考え、そんな言葉にどれほどなじみがあったかを思い出した。これはまさに、Viaweb、Y Combinator、そして私のエッセイの大部分に対して、人々が最初に言ったことと同じことだったのだ。

私たちがViawebを始めたとき、ベンチャー・キャピタリストと電子商取引の「専門家」には、取るに足らないもののように見えた。私たちはアパートで仕事をする冴えない二人組だった。こういう形態は今でこそクールだが、1995年当時はそうでもなかった。私たちが作ったものを、彼らはソフトウェアですらないと判断しただろう。彼らにとってソフトウェアとは、ばかでかくて鳴り物がいっぱいついているWindowsアプリケーションのことだった。Viawebは彼らが見た最初のウェブ・ベースのアプリケーションだったため、それは単なるウェブサイトに見えたのだ。Viawebはクレジットカードの取引を処理しないと知ると(私たちは最初のまる1年、そうしなかった)、彼らはさらにバカにした。彼らにとってトランザクション処理は電子商取引の全てだった。それが重要で困難な部分だと思っていたのだ。

しかし不思議なことに、Viawebは最終的に、すべての競争相手を打ち負かした。

Y Combinatorを始めたころの反応もほとんど同じだった。それは笑ってしまうほどチャチに見えた。スタートアップ資金とは、シリーズAラウンドのことを言った。つまり何ヶ月にもわたって生真面目でいかにもビジネスという感じの会議を行なったあとで、厚さ30センチにもなる書類の束に書かれた条件にもとづいて、厚さ1フィートの文書に記述された信任状とともに少数のスタートアップに提供される何百万ドルもの資金だ。Y Combinatorは取るに足らないように見えた。Y CombinatorがViawebのようになれるかどうかを言うにはまだ早すぎるが、Y Combinatorの模倣者の数から判断するに、私たちが何かをなしつつあると多くの人々が思っているのではないだろうか。

私はページへのアクセス数以外に、エッセイの成功度を判定することができないが、少なくともそれらへの反応は、私がエッセイを始めた時とは異なっている。初めのころ、Slashdotの荒らしたちのデフォルトの反応は次のようなものだった。(連中の口ぶりはこんな風)「こいつ誰? こんなこと書いてるけど何様? エッセイは読んでないけど、こんなに短くてタメ口みたいな文体で書いてあるやつに、こんな大きな問題についてなるほどってことが書かれてるわけがない。第一、そのテーマで学位取った人がもう何冊も分厚い本を書いてるのだし」 現在、新しい世代のサイトには新しい世代の荒らしがいるが、少なくとも彼らは最初の「こいつ誰?」を省略するようになった。

現在、人々は私たちが最初のViaweb、Y Combinator、私のエッセイの大部分に対して言ったことと同じことをArcに対して言っている。なぜこのパターンなのだろう? これら4つに対する私の方法論はすべて同じだから、というのが答えだと私は気づいた。

それは以下の通りだ。私は(a)単純な解決策で、(b)見落とされた問題で、(c)実際に解決する必要があるものを見つけることが好きで、見つけたら(d)できるだけくだけた形でそれを示し、(e)非常に粗雑なバージョン1から始め、その後(f)素早く繰り返す。

これまで意識してこなかった原則を実際に明示的に並べてみたら、私はちょっと驚くことに気づいた。これは人々に自分はバカだという第一印象を与えるためのレシピなのだ。単純な解決策の方が良い時であっても、みんなは複雑な解決策ほどには感心しない。見落とされた問題は、その定義からして、大部分の人々が重要でないと思う問題だ。普通と違う方法で解決策を提示すると、人はその提示方法で判断するのではなく、本当に理解する必要があるので労力がかかる。また粗雑なバージョン1から始めれば、最初の作品はいつも小さく不完全だってことを意味する。

私はもちろん、人々は新しいアイデアを最初は決して理解しないと気がついた。かつて私は、単に大部分の人々は愚かだからだと思っていた。今では私は、それ以上の何かがあると思っている。逆張り投資家のように、私の戦略に従っている人は、一般的な人からはたいてい間違っているように見えるのだ。

逆張り投資戦略と同様、それこそがポイントだ。このテクニックは(長い目で見れば)成功する。というのも、ちゃんとしているように見せようとするあまり他の人々があきらめている利点すべてを得られるからだ。見落とされた問題に取り組めば競争が少ないので、新しい発見をする可能性が高まる。解決策を非公式に伝えれば、(a)印象的に見せるためそれらに費やす努力を丸ごと節約できるし、(b)みんなと同様の思い違いをする危険も回避できる。また粗雑なバージョン1をリリースして、その後、改善を積み重ねれば、あなたの解決策は自然の想像力から利益を得ることができる。ファインマンが指摘したように、自然の想像力は、人間の想像力を凌駕するのだ。

Viawebのケースでは、単純な解決策とはソフトウェアをサーバー上で走らせることだった。見落とされた問題とは、ウェブサイトを自動的に作ることだった。1995年には、オンライン・ストアはすべて人間のデザイナーによって作られていた。だが私たちは、これがスケールしないと知っていた。本当に重要だったのは、トランザクション処理ではなくてグラフィック・デザインだった。非公式の配信メカニズムとは私のことで、一部の小売業者のオフィスにはジーンズとTシャツで出かけていった。そして私たちがViawebを始めたとき、粗雑なバージョン1のプログラム行数は(記憶が確かなら)10000行以下だった。

このテクニックの力は起業やプログラミング言語、エッセイ以外にも拡張可能だ。それはたぶん、どんな種類の創作活動にも適用できる。明らかに絵画では適用可能だ。それはまさにセザンヌとクレーが行ったことだ。

Y Combinatorでは、この方式で働くスタートアップに資金を提供するという意味で、私たちはこの方式に金を賭けている。新しいアイデアはいつもあなたの目の前にある。だから人々が後になって「それは明白だった」と言いたくなるような、他の人々が見落としている単純なことを捜そう。特にそれらが古い慣例や、うわべだけもっともらしいことをしようとして惑わされているようなことを。本当の問題とは何かを理解して、それを必ず解決してほしい。会社っぽく見せようと心配しないでほしい。長期的には製品が勝つ。だからできるだけ早く始めよう。そうすれば何を作るべきかをユーザから学ぶことから始められる。

Redditはこのアプローチの典型例だ。最初にRedditが始まったとき、何もないように見えた。目が肥えていない人には、Redditのあえて最小にしたデザインは、まったくデザインのようには見えなかった。しかしRedditは真の問題を解決し、新着情報だけを知らせ、あとは邪魔しないことにした。その結果、Redditはめちゃくちゃ成功した。みんながその考えに追いついたので、今ではあたりまえに思える。人々はRedditを見て、創立者はラッキーだったと考える。その手のものはみんなそうなのだが、それは見た目よりも困難だった。Reddit な人たちは流れを反転させるほど強く逆らったので、今ではRedditは単に流れに任せて下っているように見える。

だからReddit的なものを見て「そんなアイデアを思いつけたらなあ」と考えたら、思い出して欲しい。そのようなアイデアは、まわりに溢れている。でもそれらは間違っているように見えるから、あなたは無視してしまうんだ。