ポール・グレアム「気晴らしを断ち切る」を翻訳しました。
原題は「Disconnecting Distraction」で、原文は http://www.paulgraham.com/distraction.html です。
翻訳にあたっては、はてなとコメント欄でpunkaholic様、ogijun様、ttamo様、ambi様、tom23-yu様のアドバイスとご協力を受けています。ありがとうございます。

気晴らしを断ち切る

2008年5月

後回しは気晴らしをエサにしている。ほとんどの人は、座ったまま何もしないのは苦痛なので、何か他の事をして仕事から逃げる。

だから後回しに打ち勝つ1つの方法は、後回しを兵糧攻めにすることだ。だが注意をそらすために一生懸命な人々がいるため、思うほど簡単ではない。気晴らしは道で石を避けるような静的な障害ではない。向こうから接近してくるのだ。

チェスターフィールドはゴミを不適当な場所にある物と述べた。その言い方を真似るなら、気晴らしは不適当なときにこそ魅力的だ。より望ましいものを生みだすため、テクノロジーは絶えず洗練されている。だからある気晴らしを回避しても、新たな気晴らしが薬物耐性菌のように絶えず現われる。

たとえばテレビは50年間、洗練された結果、視覚的なコカインの域にまで達してしまった。私は13歳のとき、テレビには中毒性があるとわかったので観るのを止めた。しかし私は最近、アメリカ人は平均してテレビを1日に4時間、観ていると知った。人生の4分の1だ。

テレビは現在、斜陽だが、それは人々が時間を浪費するさらに中毒性の高い方法を見つけたからにすぎない。特に危険なのは、その多くがパソコンで起こるということだ。これは偶然ではない。多くの人がインターネットに繋がったパソコンで仕事するようになったが、そのときにちょっとした気分転換を求め、それが結果的に時間の浪費となってしまう。

私は、少なくとも私にとって、パソコンが仕事専用だったときのことを覚えている。ときどきダイヤルアップして、メールやftpでファイルを取ってきていたが、ほとんどずっとオフラインだった。パソコンでできたのは、執筆とプログラミングだけだった。今では、だれかが私の机にテレビを忍び込ませた気分だ。ほんの1クリックでものすごい中毒性のものにたどりつく。仕事中にちょっとつまづいた。うーん、ネットの更新情報はどうなってるかな。チェックしよう。

TVにもゲームにもUsenetにも、知られているすべての時間泥棒に注意していたが、それでも相手が進化することをわかってなかったのでうっかり気分転換と称して手を出してしまっていた。ネットを使うようになったので、以前、安全だったネット利用もだんだん危険になった。ある日、私は起きて紅茶を飲みながらニュースを読み、メールをチェックする。その後もう一度ニュースをチェックし、数通のメールに返事を出す。そして突然、そろそろ昼休みなのに、本当の仕事はまるっきりしてなかったと気づく。そういったことが、ますます頻繁に起こり始めた。

この問題が起きるのは間欠的であったため、インターネットがいかに注意を逸らせるか理解するまで驚くほど長い時間がかかった。私は間欠的に現れるバグを無視するのと同様のやり方でその問題を無視した。プロジェクトにのめりこんでいたとき、気晴らしはまったく問題ではなかった。気晴らしが私に襲い掛かったのは、あるプロジェクトを終え、次に何をしようか考えているときだった。

この新しいタイプの気晴らしの危険に、私が気付くのが遅れた別の理由は、社会的慣習がまだそれに追いついていなかったからだった。テレビを見ながら午前中ずっとソファーに座っていたら、直ちに気付いただろう。それは一人で酒を飲んでいるのと同様の危険なサインだ。しかしネットをしていても、傍からは仕事をしているように見えるし、自分でも仕事のように感じていた。

しかし結局、インターネットがあまりに気を散らすことがはっきりしたので、私はインターネットに対する態度を改めた。基本的に私は、時間を潰してしまうと分かっているもののリストに新たなソフトを付け加えなければならなかった。つまりFirefoxだ。


* * *


多くの人々は、いまだに何らかの理由でインターネットを必要とするため、問題は解決しにくい。飲み過ぎなら完全に飲酒しないことで問題を解決できる。でも食べ過ぎを解決するために,食べることをやめるわけにはいかない。私は以前の暇つぶしを処理したときとは違って、インターネットを完全に避けることはできなかった。

はじめのうち、私は規則を作ってみた。たとえば、1日にインターネットを使っていいのは2回だけだと自分に言い聞かせた。しかしこういった方法は、決して長くは続かなかった。 結局、2回よりも多くインターネットを利用しなければならない何かが起こる。そしてずるずると元通りになってしまった。

中毒性のものは、目ざとい敵のように-仕事を中断させるために、ありとあらゆる理屈をでっちあげる小人が頭の中にいるというように-考えるべきだ。奴らは隙間さえあれば見逃さない。

コツは可視化だ。ほとんどの悪癖のうち、最も大きい成分は見えないフリをすることだ。だから避けたいことをついやってしまわないようにするなら、仕事に溶け込まないようにする必要がある。警告を付けるべきなのだ。

おそらく、長期的にインターネットによる気晴らしに対処する正しい方法は、ネット利用時間を監視して制御するソフトだろう。しかし当面の間、私は確実に仕事するための、より大胆な解決策を採用した。仕事用のパソコンとインターネット用のパソコンを分けたのだ。

私は今、メイン・パソコンの無線LANは、ファイルの移動かウェブページを編集する時以外はオフにしている。そして、メールチェックとネット用のノートパソコンは部屋の反対側に置いている。(実に皮肉なことに、それはスティーブ・ハフマンがRedditをプログラミングしたパソコンだ。スティーブとアレックスが慈善としてその古いノートパソコンを競売にかけたとき、私はY Combinator・ミュージアム用にそれらを競り落とした)

私のルールは、そのパソコンでなら好きなだけネットをしていいというものだ。そして、それで十分だった。メールチェックかネットをするときは、部屋の反対側に座る必要があるので、私は以前よりもはるかに意識するようになった。 自分の場合は少なくとも十分意識しているので、1日に1時間以上をネットに費やすことが難しくなった。

やっと私のメインパソコンは、仕事専用となった。この方式を導入すると、パソコンがネットにつながっていないと、どんなに違和感を感じるかを知って驚くだろう。仕事専用のパソコンの前に座ったときのすごい違和感は、たぶん私がどれほど時間をムダにしていたかを示していたはずなので、私は非常に衝撃を受けた。

ああ。このパソコンでは仕事しかできない。わかった、じゃあ仕事しよう。

これは良いことだ。かつての悪癖は、今度は仕事の助けになる。そのパソコンの前に数時間、連続で座るのに慣れている。だがもうネットもメールチェックもできない。どうする? ただ座ってるわけにもいかない。だからあなたは仕事をはじめる。