ポール・グレアム「本当は上司なんて必要ない」を翻訳しました。
原題は「You Weren't Meant to Have a Boss」で、原文はhttp://www.paulgraham.com/boss.html です。
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本当は上司なんて必要ない

補足: 本当は上司なんて必要ない

2008年3月

数日前、パロアルトの喫茶店に座っていると、「なにか大きなことをしたい」と考えているプログラマ集団が入ってきた。会社の「チーム育成」活動の一環だったことは明らかだった。彼らは一見、見慣れた連中だった。私はほとんどの時間を、20代~30代前半のプログラマと働いていたからだ。しかし彼らはどこかが変だった。何かが欠けているのだ。彼らが働いていた会社は良さそうだったし、立ち聞きした会話から判断する限り、彼らは十分賢くもあった。実際、彼らは社内のエリート集団に属しているようだった。じゃあ、なぜ彼らは少し奇妙に見えたのだろう? 私が知るプログラマは、ほとんど全員がベンチャーの起業家なので、私はプログラマに関しては偏った視点の持ち主だ。私たちは現在、合計で約200人の起業家と、80社のベンチャーに資金を融資しており、ほぼ全員がプログラマだ。私は彼らと非常に長い時間を過ごし、それ以外のプログラマとはめったに長い時間を過ごさない。だから若いプログラマに関する私のイメージは、ベンチャー起業家というものだ。「何か大きな仕事をしたい」と言っていた奴らは、私が知っていたタイプのプログラマに似ていたが、彼らは起業家ではなく会社員だった。そして彼らは、驚くほど起業家とは違って見えた。

「それがどうしたの」って言うかもしれない。私はたまたま、非常に野心の強いプログラマの部分集合を知っているだけだ。もちろん、それほど野心家でないプログラマはまた違って見えるのだろう。だが私が喫茶店で見たプログラマと、私が知っていたプログラマの違いは、野心の強さだけだったとは思わない。彼らはどこかがおかしいように思えたのだ。

起業家に特別なものがあるというより、会社員の人生に欠けているものがあるのだと思う。ベンチャーの起業家は、統計的には異常値だが、本当は人間として、より自然な生き方をしているのではないだろうか。

私は去年アフリカにいて、昔は動物園でしか見られなかった多くの野生動物を見た。彼らははっきり動物園の動物とは異なっていた。特にライオンだ。野生のライオンは、動物園のライオンより、ざっと10倍は生き生きとしていた。まるで違う生き物のようだった。そして「何か大きなことをしたい」と言っていた例の連中は、野生のライオンを数年、見たあとで動物園のライオンを見るような感じだった。

木構造

大企業で働くことの何がそんなに不自然なのだろうか。問題の本質は、人間は本来、そのような大きな集団で働くような存在ではないということだ。

野生動物を見ると、いろんな種は、あるサイズの集団で生活しているとわかる。インパラの群れはおおよそ100匹以上の成熟した個体からなる。ヒヒは20匹程度であり、ライオンはめったに10頭を超さない。人間も集団で働くようデザインされているようだが、理想的なサイズについて狩猟民族を調べた結果と、私自身の大雑把な経験は一致する。8人の集団はうまくいく。20人になると管理しづらくなる。50人の集団は本当に扱いにくい。[1]

上限が何人であろうと、明らかに人間は数百人の集団で働くようにはできていない。
しかし人間の性質上というより技術的な理由で、数百から数千人もの社員が会社でいっしょに働いている。

会社は、そんなに大きな集団は管理できないと知っているので、協働可能な小さい単位に分割する。しかしこれらを調整するために、新しいもの、つまり上司を導入する必要がある。

もっと小さな集団は、つねに木構造で配置される。上司は自分の属する集団を木に接続させる接点だ。しかし大きい集団をより小さな集団に分割するときにこのテクニックを使うと、私は誰かがこのことをはっきり指摘したのを聞いたことがないのだが、何か奇妙なことが起こる。自分が所属する集団の一段上の集団内では、自分の上司は自分の集団全体を代表している。10人の管理者の集団は、普通に協働している単なる10人の集団ではない。現実にはそれは集団の集団なのだ。つまりそれは、10人の管理者集団が単なる10人の集団のように協働したら、各管理者が管理している集団を、1人の人間であるかのように扱わなければならない - すなわちその管理者と社員たちは、たった1人分の自由を分かちあう必要がある - ということだ。

実際には、人の集団は決して1人の人間のようには振舞わない。しかし、このやり方で大きな組織を分割すると、いつも1人の人間として振舞うように圧力がかかる。各集団は、人間が働くのに適している小さな集団のように働くべく全力を尽くす。それが小さな集団を作る目的だった。このルールを突き詰めると、各人は木の全体のサイズに反比例した行動の自由しか得られないということになる。[2]

大きな組織で働いた経験のある人なら、だれでもそう思うだろう。自分の所属する集団に10人しかいなくても、社員が100人の会社と1万人の会社では、働き方の差を感じとることができる。

コーンシロップ

大きな組織における10人の集団は、擬似的な部族だ。会話をする人の大多数はおおむねまともだ。だがしかし、個人の熱意というものが失われている。狩猟部族にはもっと自由がある。リーダーは、その部族の他のメンバーより少しだけ権力がある。しかしリーダーは普通、いつ何をすべきかを他のメンバーに上司のように命令したりしない。

これは上司が悪いのではない。本当の問題は、自分の上の階層の集団では、あなたの属する集団全体は1人の仮想的な人格になるということなのだ。上司は規則の伝達手段にすぎない。

だから大きな組織中の10人の集団で働いていると、正しいと同時に間違っていると感じる。表面では自分が働くべき集団に属している気がするが、何か大切なものが欠けたような気もする。大企業での仕事は、高純度の果糖を含むコーンシロップに似ている。好きな品質をいくつかを備えているが、他の成分がはなはだしく欠けているのだ。

実際、食べ物は普通の仕事の問題点を説明する素晴らしい比喩だ。

一例を示そう。少なくともプログラマにとって、デフォルトは大企業で働くことだ。それはどの程度、悪いのだろう? 食べ物はそのことを非常にはっきり示す。今日、アメリカのある地点にランダムに飛ばされたら、その地点付近の食物のほとんどは身体に悪いだろう。人間は白い小麦粉、白砂糖、高純度の果糖コーンシロップ、硬化植物油を摂るようにはできていない。だが平均的な食料品店の商品を調べたら、これら4つの成分がカロリーの大部分を占めているとわかるだろう。「正常な」食べ物は、ものすごく身体に悪い。本当に人間用に作られたものを食べているのは、バークレーでビルケンシュトックを履いている変人くらいだ。

「正常な」食べ物がそんなに身体に悪いなら、どうしてこんなに普及しているのだろうか? 主な理由は2つある。1つはそういった食べ物のほうが食欲をそそるからだ。ピザを食べた1時間後には最低な気分になるかもしれないが、最初の一口、二口はめちゃくちゃ旨い。もう1つの理由はスケール・メリットだ。ジャンクフードはたくさん作るほど安上がりになる。生野菜を作ってもそうはいかない。だから (a)ジャンクフードは非常に安く作ることが可能で、(b) 宣伝に大金をつぎこむ価値がある、ってことだ。

人が何かを選ぶとき、安く、大々的に宣伝され、すぐに効果が現れるものと、高価で、聞いたことがなく、効果が現れるまでに時間がかかるものと、普通どっちを選ぶと思う?

仕事も同様だ。普通のMITの卒業生は、Googleかマイクロソフトで働きたがる。有名なブランドだし、安全だし、すぐに良い給料をもらえるからだ。それは彼らが昼食に食べたピザの仕事版だ。欠点は後に、しかもぼんやりとした不快感でしか現れない。

一方、ベンチャーの起業家と初期の従業員は、バークレーでビルケンシュトックを履いている変人に似ている。ごくわずかな少数派だけれど、本当の意味で人間らしく生きている。人工の世界では、異端派だけが自然に暮らしている。

プログラマ

プログラミングの本質は新しいものの創造にあるので、大企業における仕事上の制約は、特にプログラマにとって厳しい制約となる。販売員は毎日、似たり寄ったりのセールストークをするし、サポート要員もだいたい同じ質問に答える。しかし一度あるコードを書いたら、二度と同じコードを書く必要はない。だから本物のプログラマは、いつも新しいものを作っている。そして木のサイズに反比例した自由しか与えられないような組織で働いていると、何か新しいことをしようとすると、抵抗に直面することになるだろう。

これは組織が大きくなると避けられないようだ。これは最も賢い会社でさえ当てはまる。私は最近、大学を卒業したらすぐに起業しようと思っていたが、そちらのほうが勉強になると思ってGoogleに行った起業家と話した。彼は予想したほどにはGoogleでは学べなかった。プログラマはプログラミングすることで学ぶ。そして彼は自分の望みが叶ったのに、やりたかったことがほとんどできなかった.会社が枷になったこともあったが,むしろ多くの場合、会社の既存のコードが枷となったからだ。古いコードの重圧と、Googleのような大きな組織で開発するための間接経費と、他のグループが開発していたインタフェースという制限のために、彼はやりたかったことのほんの一部しかできなかった。彼は、少なくともプログラミングは思い通りにできるから、プログラミングの他に会社のすべての雑用をする必要があっても、自分のベンチャーのほうがはるかに学べたと言った。

下流が詰まれば上流も滞る。新しいアイデアを実現できなければ、新しいアイデアを考えようともしなくなる。逆もまた真なり。何でも好きにやれるなら、いろいろやることを思いつく。だから自分のために働くと、制限が厳しくない排気システムではエンジンが強力になるのと同様、頭脳がより強力になる。

もちろん自分のために働くためには、ベンチャーを起業するしかない、ってことはない。だが、あるプログラマが大企業で普通の仕事するときと自分のベンチャーを起業したときを比較したら、起業したほうが学ぶことは多いだろう。

自分が就職する会社の規模を測定することで、自分に与えられる自由度を調整できる。ベンチャーを起業すれば、自由度は最高だ。ベンチャーの最初の10人の社員の一員になれば、起業家とほとんど同じくらいの多くの自由を得られる。100人の会社でさえ、1000人の会社とは違うと感じるだろう。

小さな会社で働いても確実に自由になれるわけじゃない。大きな組織の木構造は、自由の下限ではなく上限を定めるのだ。ベンチャーの社長でも、ワンマンになるかもしれない。重要なのは、大きな組織はその構造上、1つになることを強いられるということだ。

結末

組織と個人の両方に、現実となる結末がある。1つはどれほど必死に、起業時のパワーを保とうとしても、会社は大きくなるに従い、必然的に減速するということだ。それはあらゆる大組織が導入せざるを得ない木構造がもたらす結末だ。

いや、大企業であっても減速しないで済む方法が一つだけある。木構造にしないことだ。人間は本能によって協働できる集団の大きさが制限されているため、その制限より大きい集団でありながら木構造ではないという想像可能な唯一の方法は、骨格がないことだろう。つまり各グループは実際には独立しており、市場経済の要素が協働するのと同様な方法で働く、という方法だ。

これは追求する価値がありそうだ。私は、このようなムダのないやり方ができる、非常に細分化が可能な業界がすでにいくつか存在すると思う。だが私は、それを実行したハイテク企業を聞いたことがない。

会社の構造をスポンジのようにする以外にも道はある。小さいままでいればいいのだ。私が正しければ、会社をきわめて小さくしておけば、あらゆる段階ですごく得をする。特にハイテク企業ではそうだ。ハイテク企業では、最高の人を雇うことは二倍、重要だ。普通の人を雇ってしまったらダブルパンチになる。彼らはたいした成果を上げない、そのせいで問題解決のためにさらに人を雇わなくてはならないので、規模を拡大する必要がある。

個人にとっても結論は同様 - 小さい企業を目指せ。大きな組織で働くのはつまらないし、組織が大きくなるほど、ますますつまらなくなる。

数年前に書いたエッセイでは、私は学生に、自分のベンチャーを立ち上げる前に、2~3年、別の会社で働くようアドバイスした。現在では少し訂正しよう。そう望むなら別の会社で働いてもよいが、小さい企業で働いて欲しい。そして自分のベンチャーを起業したくなったら、起業しよう。

大学を卒業してすぐにはベンチャーを起業しないよう私がアドバイスしたのは、ベンチャーの大部分は失敗すると思ったからだ。実際に失敗するだろう。でも野心家のプログラマは、大企業に勤めるより、自分で事業を立ち上げて失敗したほうがいい。その方が確実に多くを学ぶだろう。そちらのほうが金銭的に良い生活ができる可能性さえある。学校を卒業したときにはとても魅力的に見える給料よりも早く借金が膨らむので、20代前半の人々の多くは借金をしている。ベンチャーを起業して失敗したところで、あなたの純資産は、マイナスではなくゼロになるだけだろう。[3]

私たちはいろんなタイプの起業家に資金を提供したので、パターンを見つけることが可能なほど多くのデータが揃っているが、大企業で働くメリットはまったく無いようだ。大学卒業後にすぐ起業した人よりも、企業で数年、働いた人のほうがうまくやっているようだが、それは単に、後者の人たちのほうが、より年上だからだろう。

大企業から私たちの元に来る人々は、しばしば少しばかり保守的だ。そのうちのどの程度が大企業で働いたせいで,またどの程度がそもそも大企業で働くような生得的な保守性によるのかはわからない。だが間違いなく、その保守的な姿勢の大部分は学習されたものだ。私がそう知っているのは、それがきれいさっぱり消えるのを見たからだ。

保守的な姿勢が消え去るのを何度も見たので、私は自分一人か、せいぜい小さい集団で働くことがプログラマにとって自然なのだと確信した。Y Combinatorにやってくる起業家は、しばしば虐待されている避難民のような雰囲気で現れる。3カ月後にその雰囲気は変わっている: すっかりたくましくなって、まるで10センチほど背が伸びたみたいだ。[4] 奇妙に思うかもしれないが、彼らは昔よりも不安そうで、でも同時に昔より幸福そうだ。ちょうど、野生のライオンを見て感じたように。

会社員が起業家に変わる姿を見た私は、両者の違いのほとんどは環境のせいだと断言する。そして特にプログラマにとって、大企業の環境は害毒だ。自分のベンチャーに取り組みはじめて数週間で、彼らは生き返ったようになる。ついに彼らは、人間が働くべき方法で働き始めたのだ。

注釈

[1] 人間の本性とか生きる方がデザインされていると私が言うときには、進化論的な意味で述べている。

[2] 苦しむのは末端だけではない。規則は下だけではなく上にも伝播する。ゆえに管理者も制約される。管理者は何かを単にすることができず、部下を通して行う必要がある。

[3] クレジットカードの借入れでベンチャーの資金をまかなってはいけない。負債でベンチャーを起業するのは、たいていの場合、愚かであり、クレジットカードによる負債は最悪だ。クレジットカードによる負債はダメ、ゼッタイ。クレジットでの負債はせっぱ詰まった人と愚かな人に邪悪な会社が仕掛けた罠のようなものだ。

[4] 私たちは以前、もっと若い起業家に資金を提供しており(私たちは初めのころ、大学生に資金を供給することを奨励していた), 何回か「あれ、本当に背が高くなったのかな?」と思ったものだった。

この原稿を読んでくれたトレバー・ブラックウェル、ロス・ブーシェ、アーロン・イーバ、アビー・キリジン、イワン・キリジン、ジェシカ・リビングストン、ロバート・モリスに感謝する。