ポール・グレアム「ベンチャーがアメリカに集中する理由」を翻訳しました。

原題は「Why Startups Condense in America」で、原文は以下です。
http://www.paulgraham.com/america.html

翻訳にあたり、moonan様、korompa様、jyagi様、NAPORIN様、p_question様、takomasa様、aiguo様、shiro様、Kachila様、ok様、mistake様のご協力をいただいております。ありがとうございました。


ベンチャーがアメリカに集中する理由

2006年5月

(この講演はXtechの基調講演を元にしています)

ベンチャーは集団で現れる。シリコンバレーとボストンにはたくさんあるが、シカゴとマイアミにはほとんどない。ベンチャー企業を欲しい国は、ベンチャー集団を生みだすものも、コピーする必要があるだろう。

私はその秘訣は、賢い人たちが好む街の近くにある一流大学だと主張してきた。アメリカ国内にそれらの条件を揃えれば、冷たい金属片の上に結露が起こるのと同様、ベンチャーは必ず生まれるだろう。でもシリコンバレーを他の国で繁殖させるなら何が必要かを考えると、アメリカが特に湿度の高い環境であることは明らかだ。この地ではベンチャーは簡単に凝縮する。

別の国にシリコンバレーを作ろうとすることは、決して無駄ではない。シリコンバレーと同等どころか、それを越える可能性すらある。でもそうしたいなら、ベンチャーがアメリカにあることによる利点を理解する必要がある。


1. アメリカは移民を許可している

たとえば日本にシリコンバレーが繁殖するのは難しいだろう。というのも、シリコンバレーでの最も際立った特徴に「移民」というものがあげられるからだ。シリコンバレーの人々の半分には、お国なまりがある。そして日本人は移民が好きではない。日本人に日本のシリコンバレー作りを考えさせたら、彼らは無意識に日本人しかいないシリコンバレーを作ろうとするのではないか。問題をそのように考えるなら、おそらく確実に失敗する。

シリコンバレーは賢く野心的な人々のメッカである必要があり、そして人々を受け入れずにメッカは作れない。

もちろん、アメリカは日本より移民に寛容であるとは言えても、それは比較論に過ぎない。他の国がアメリカと競争する上で、アメリカより優位に立つための材料になりうるものの1つが移民政策だ。


2. アメリカは豊かな国だ

私は、いつかインドはシリコンバレーに匹敵するものを作るようになると思う。適性のある人がいるのはあきらかだ。現在、シリコンバレーにいるインド人の多さからそれがわかる。インド自体がいまだに貧しい国であることが問題なのだ。

貧しい国々には、私たちが当然としているものがない。インドを訪れた私の友達は、駅の階段ですべって足首を捻挫した。理由を確かめるために振り向いて、彼女は階段の高さがすべて異なることに気づいた。先進国では階段を下りることはありふれたことで、階段について深く考えない。そんな階段が作られることがないようなインフラがあるからだ。

アメリカは、現在のいくつかの国ほどに貧しくなったことは一度もなかった。アメリカの都市の通りに乞食が群れをなしたことはない。だから私たちは、乞食の群れ段階からシリコンバレー段階に至るには何が必要かを知るデータがない。乞食がたくさんいるような社会状況においてシリコンバレーを作ることができるのだろうか。それともシリコンバレーができる前に、ある基準以上の豊かさが必要なのだろうか。

私は経済の発展のスピードには制限速度があると思う。経済は人々により作られており、また人々の気質は、1世代あたりある一定量しか変えられないからだ。[1]


3. アメリカは(まだ)警察国家ではない。

私は中国もシリコンバレーを持ちたがっていると思う。でも私は中国もシリコンバレーを持てるかどうか疑わしく思っている。中国はいまだに警察国家であり、現在の統治者は、前の統治者と比べれば啓発されているように見えるが、啓発された専制政治程度で一流の経済大国になることはおそらく難しい。

他でデザインされたものを製造する工場を作ることはできる。でもデザイナーはどうだろう。政府を批判できないところで想像力など育つだろうか。想像力とは奇妙な考えを持つことであり、政治に関しては奇妙な考えをせずに、技術に関しては奇妙な考えをするのは困難だ。またどんな場合でも、技術的なアイデアの多くは政治的な意味合いを持つ。だから反論を押しつぶせば、その圧力は技術分野へも伝播する。[2]

シンガポールも同じ問題に直面するだろう。シンガポールはベンチャーを促進する重要性をよく知っているようだ。だが積極的な政府の介入はベンチャーの船出には効果的だが、ベンチャーを定着させることができないのだ。チューインガムを禁止するような国家では、サンフランシスコを作るまでに長い時間がかかるだろう。

サンフランシスコは必要なの? 個人主義ではなく、従順で協調的な技術革新の方法はないの? あるかもしれないが、私はないほうに賭ける。一流の想像力を持つ人はみな、いつでもどこでも、周囲に摩擦をひきおこす独立心を持っているようだ。アレクサンダー大王に「光をさえぎってるからどいてくれ」と命令したディオゲネスや、その2000年後にロスアラモスで金庫破りをしたファインマンに、そのような独立心を見ることができる。[3]想像的な人は、人に従うことも人を率いることも望まない。好きにさせたとき、彼らはとても生産的になる。

皮肉なことにアメリカは、豊かな国々の中のうち、最近、最も多くの市民的な自由を失った国だ。だがまだ私は、それほど心配していない。現在の政権が交代すれば、アメリカ文化の本質である開放性が、再び自己主張すると期待している。


4. アメリカの大学のほうがよい

シリコンバレーの種をまくためには一流大学が必要だが、これまでのところアメリカ以外に一流大学はほとんどない。私はアメリカのコンピュータ科学の教授の何名かに、「ヨーロッパでいちばん優れた大学はどこ?」と尋ねたのだが、ケンブリッジと答えた後、他の大学の名前を思い浮かべようとして、長い沈黙の末に、どこも浮かんでは来ない。アメリカの最高の大学に匹敵する大学は、少なくとも技術に関しては、他の国にはあまり多くはないようだ。

国によっては、これは意識的な政策の結果だ。ドイツとオランダの政府は、たぶんエリート主義の恐れから、すべての大学をだいたい同じ質に保証しようとする。このマイナス面は、飛び抜けた大学がなくなることだ。最高の教授が、アメリカのように集中するのではなく、分散してしまう。これだと刺激的な同僚がいなくなるから、たぶん彼らの生産性は落ちる。だから外国から才能を引き寄せ、まわりにベンチャーを生むメッカとなるほどに良い大学が1つもなくなってしまう。

ドイツは珍しいケースだ。ドイツ人は現代の大学を発明し、1930年代までドイツの大学は世界最高だった。現在ではドイツに目ぼしい大学は1つもない。私はその理由を考え抜いて、自分の考えを持つに至った。私はその理由について思い巡らしているうちに、こう考えた。「1930年代にユダヤ人を排除して、ドイツの大学が衰えた理由はわかる。でも、もう戻ってきてるはずだよね」そこで私は気づいた。たぶん、まだ戻ってはいないんだ。ドイツにユダヤ人はほとんど残っていないし、私が知っているほとんどのユダヤ人は、ドイツに行きたがらない。そしてアメリカのどの一流大学であれ、ユダヤ人を連れ去ったら、かなり大きな痛手になるだろう。だから恐らくドイツにシリコンバレーを作ろうとしても無駄だ。種となるのに必要なレベルの大学を作れないからだ。[4]

多くの大学が私立大学だから、アメリカの大学が互いに競争するのは自然なことだ。アメリカ並みの優れた大学が欲しければ、アメリカと同様に、私立大学の間で激しい競争をさせる必要がある。大学が中央政府によって管理されたら、大学政策が、政治家同士の取引のエサとして使われて、どの大学も平凡な大学になってしまう。新しいナントカ研究所が設立されるとしたら、それがあってしかるべき大学にではなく、有力政治家の地元の大学に作られてしまうのだ。


5. アメリカでは人を解雇できる

ヨーロッパでベンチャーを作ることを最も大きく妨げるものの1つは、雇用に対する姿勢だ。厳しいことで有名な労働法は、すべての会社を痛めつけるが、特にベンチャーを痛めつける。ベンチャーは官僚的な議論に時間を割いていられないからだ。

解雇が難しいことはベンチャーでは大問題だ。ベンチャーには余裕がないから、みんなが有能でなくちゃいけない。

この問題は、一部のベンチャーは必要なときに社員を解雇できない可能性がある、というだけに留まらない。さまざまな産業と国を調べると、効率と雇用保障の間には強い逆相関がある。役者も監督も、映画の制作が終われば解雇される。だから彼らは毎回、期待に応える結果を出さなければならない。若手研究者は、大学から終身在職権を与えられない限り、数年で解雇されるのが普通だ。スポーツ選手のプロは、たった2~3回、ゲームで下手なプレーしただけで引っ込められると覚悟している。他方で、(少なくともアメリカでの)正反対に位置するのは、誰を解雇することもほとんど不可能な自動車工場の労働者、ニューヨーク市の教師、公務員だ。状況はあまりにも明らかだから、あえて見ないフリをするのに苦労するほどだ。

業績がすべてじゃないでしょ、だって? じゃあ、労働者、教師、公務員は、役者、教授、スポーツ選手より幸福だと言えるの?

業績が特に重要視される業界では、たぶんヨーロッパの世論も解雇に寛容になるだろう。不運にも、十分に業績を気にしている産業はサッカーくらいしかない。だがそれは、少なくとも1つの先例だ。


6. アメリカでは労働は必ずしも雇用を意味しない

ヨーロッパや日本のようにアメリカより旧来的な地域には、雇用法よりももっと深刻な問題がある。より危険なのは雇用法が「社員は一種の使用人であり、雇用者には保護する義務がある」という態度のあらわれであることだ。かつてのアメリカはそうだった。1970年には、人は大企業に就職し、その会社でずっと働くのが理想とされた。その代わり企業が面倒をみた。終身雇用し、医療費を補助し、老後を支援した。

やがて雇用関係にそういった温情主義の色合いは薄れ、単なる経済的な関係となっていった。しかし新しいモデルが重要なのは、単にベンチャーが成長しやすくなるというだけではない。人々がベンチャーを、より簡単に始められることのほうが重要だ。

アメリカでさえ、まるで誰かに雇われないと生産的になれない、とでもいうかのごとく、大学を卒業するほとんどの若者は、いまだに就職しないといけないと思っている。だが仕事と雇用を同一視しなければしないほど、ベンチャーの起業は容易になる。キャリアをある一人の雇用者への一生をかけた奉公ではなく、さまざまな仕事の連続と思っていれば、自分の会社を設立するときも、全てを捨てるのではなく1部分を交換しているだけだから、リスクは小さくなる。

古い考えはとても強力だから、最も成功したベンチャー起業家さえ、それと戦わなければならなかった。アップルを起業した1年後になっても、スティーブ・ウォズニアックはまだHPを退職していなかった。彼はそこで一生、働こうと思っていた。ジョブズは、ウォズニアックが会社をやめるという条件で、アップルに莫大なベンチャー基金を与えるという人を見つけ出したのだが、ウォズニアックは最初のうち「Apple IとApple IIはどちらもHPで働きながら設計したのだし、HPに在籍しながらではやっていけないという理由もない」と言って断った。


7. アメリカは大らかだ

ビジネスを規制する法律群があっても、生まれたてのベンチャーはそれらの法律のほとんどを守らないと思って間違いない。法律を知らないし、調べている時間もないからだ。たとえばアメリカの多くのベンチャーは、本当は法律的に商売を禁じられている場所で商売を始めている。ヒューレット・パッカード、アップル、Googleはみんなガレージから始めた。私たちの会社を含め、さらに多くのベンチャーも、創業時はアパートから始めた。もしそれを禁止する法律を厳密に執行していたら、ほとんどのベンチャーは生まれなかっただろう。

それは細かいことを気にする国で、より問題となる。ヒューレットとパッカードがスイスの自分たちのガレージでエレクトロニクス会社を始めていたら、隣の老婦人が市当局に通報しただろう。

しかし他の国々で最大の問題は、会社を設立するだけでも一苦労だということだ。私の友達は90年代の初めにドイツで会社を設立したとき、多くの規則がある上に20,000ドルの資本金が必要だとを知ってショックを受けた。それが私がApfel(訳注:Appleのドイツ語)のノートパソコンにこの原稿をタイプしていない理由の1つだ。中古のフォルクスワーゲンとヒューレットパッカードの電卓を売り払った金を元手に会社を始めたジョブズとウォズニアックに、そんな多額の資金を用意することはできなかっただろう。私たちがViaweb社を始めることも、同じくできなかっただろう。[5]

政府がベンチャーを促進したいならコツがある。過去のベンチャーの話を読み、次にあなたの国で起こったであろうことをシミュレーションし、アップルを潰していたであろうものを見つけ、それを除去しよう。

ベンチャーははみ出し者だ。貧しく臆病な人たちが設立する。余分なスペースで空いた時間に、他に何か仕事があると思われている人が始める。しかもビジネスでありながら、創立者はビジネスに関して何も知らないことがしばしばだ。できたてのベンチャーはか弱い。社会が余地を切り詰めるなら、ベンチャーは速やかに全滅するだろう。