ポール・グレアム「天才のバスチケット理論」を翻訳しました。原題は The Bus Ticket Theory of Genius で、原文はココです。英語に強い皆さま、メール(takeuchi19@mail.goo.ne.jp)でのアドバイスを、よろしくお願いいたします。
※追記 翻訳した後に、すでにFoundX Reviewの名訳があることに気づきました。そちらを読んだほうが誤訳がないと思います。
天才のバスチケット理論
2019年11月
偉業を成し遂げるには、ご存じの通り、才能と決断力がどちらも必要だ。だが、あまり知られていない三番目の要素がある。特定の話題に偏執的なまでに興味を持つことだ。
これを説明するために、私はある集団からの評判を落とすだろうが、バスチケットのコレクターを選ぼう。古いバスのチケットを集める人がいる。多くのコレクターと同様、彼らは自分たちが集めたものの細部に執着する。彼らは、私たちが覚えられないようなバスチケットの種類の違いを見分けられる。なぜって、一般人はそれほど気にしないからだ。古いバスチケットについて、そんなに長く考えて何が面白いの?
この種の執着の第二の特徴は、特に意味はないということだ。バスチケットのコレクターの愛情は純真だ。他人に褒められたり、金持ちになるためではなく、集めたいから集めている。
偉業を成し遂げた人々の生活を調べると、決まったパターンがある。バスチケットコレクターの執着のように、同時代のほとんどの人には無意味に思える何かへの執着から彼らは始めることが多い。ビーグル号での航海について書かれたダーウィンの本のうち、最も目立つ特徴の一つは、博物学に対する彼の関心の深さだ。ダーウィンの好奇心は無限のようだ。ラマヌジャンも同様だった。
彼らは後の発見の「基礎工事」をしていたと考えるのは間違いだ。その比喩では「計画的にしていた」という意味が強すぎる。バス・チケットのコレクターのように、彼らは好きだからしていたのだ。
しかし、ラマヌジャンとバスのチケットコレクターには違いがある。級数は重要だが、バスのチケットはそうではない。
もし私が天才のためのレシピを一つの文章にまとめることになったら、「何か重要なことに純真に執着すること」になるかもしれない。
他の二つの要素はどうなったの? それらは思うより重要ではない。ある話題に執着的なまでに興味を持つことは、能力や決断力の代わりになる。十分な数学的素質がなければ、級数はつまらないだろう。そして何かに夢中になれば決断力はそれほど必要ない。
執着に取りつかれた興味があれば、ある程度はなんでもできるほどの幸運をもたらす。パスツールが言ったように、チャンスは準備された心を好む。そして執着があるとは、心を準備しているということだ。
この種の執着には、純真さが最も重要だ。純真であることは熱心なことの証明となるだけでなく、新しいアイデアを見つけるのに役立つからだ。
新しいアイデアにつながる道は、ダメっぽく見える。もし有望に見えるなら、すでに他の人たちがその道を進んでいただろう。偉業を成し遂げた人たちは、他の人が見落とした道をどうやって見つけたのだろうか。世間は「良いビジョンを持っていたのだ」という話を好む。非常に才能があったから、他の人には見えない道が見えたのだ。だが、偉大な発見がなされた方法を見れば、そうではなかったとわかる。ダーウィンは他の人たちよりも、個々の種には注意を払わなかった。これが大きな発見につながる可能性があると知っていたからで、他の人たちはそうではなかった、ということではない。ダーウィンは本当に、本当に、そのようなことに興味があった。
ダーウィンは執着を止めることができなかった。ラマヌジャンもそうだった。彼らが隠れた道を見つけたのは、見込みがありそうだったからではなく、止めることができなかったからだ。だから単なる野心家だったら無視していた道に進むことができた。
偉大な小説を書くとき、トールキンのように何年もかけて架空のエルフ語を作ることから始めたり、トロロペのように英国南西部のあらゆる家庭を訪れることから始ようとする、理性のある人がいるだろうか。トールキンやトロロペでさえ、そうは思わないだろう。
バスチケット理論はカーライルの有名な天才の定義(訳注「天才とは、何よりもまず苦悩を受けとめる先駆的な能力のことである」)に似ている。しかし、2つの違いがある。無限の痛みに耐える能力の源は、カーライルが考えるような無限の勤勉さではなく、コレクターが持つ無限の興味であることをバスチケット理論は示している。無限の興味があれば、重要な能力も付いてくる。重要な物事について、どこまでも苦労できる能力だ。
では、何が重要な物事なのだろうか? 決して確信することはできない。自分が興味を持つことに取り組むことで新しいアイデアを発見できるということは、まさにどの道が有望かを事前に知ることができないということだ。
しかし、執着が重要かどうかを推測する経験則がある。例えば、他の人が作ったものをただ消費するよりも、何かを作っている方が可能性がある。自分が難しいものに興味を持っている場合、特に他の人にとっては、もっと難しいのなら、より有望だ。そして、才能ある人々の執着は、将来、有望になる可能性が高い。才能のある人が無作為に何かに興味を持ったら、それらは実際には無作為ではない。
だが絶対に確信はできない。実際これは興味深いアイデアだが、もし本当なら、かなり警戒が必要だ。すごい仕事をするためには、多くの時間を無駄にする必要があるかもしれないからだ。
多くのさまざまな分野で、報酬はリスクに比例する。もしこの法則が成り立つなら、本当にすごい仕事につながる道を見つけるには、まったく見込みのなさそうなことに、進んで多大な努力をすることだ。
これが本当かどうかわからない。何か面白いことに一生懸命取り組んでいる限り、時間を無駄にするのは驚くほど難しいようだ。やっていることの多くは結局、役に立つ。しかし一方で、リスクと報酬の関係に関するルールは非常に強力であり、リスクが発生する所ではどこにでも適用できるようだ。少なくともニュートンの場合は、リスク/報酬の法則が当てはまることを示唆する。「世界を数学で表現する」という、前例のないほど実り多いことがわかったニュートンの執着は有名だ。しかしニュートンには、錬金術と神学という他の2つの執着があり、完全に時間の無駄だったようだ。ニュートンはトータルでは先に進んだ。いまでは物理学と呼ばれているものへのニュートンの賭けは大成功だったので、他の二つを補って余りあるほどだった。しかし、このような大きな発見には大きなリスクを冒さなければならないという意味で、他の2つは必要だったのだろうか? わからない。
ここにもっと驚く考えがある。人は悪い賭けをするかもしれない。よくあることだろう。しかし、どれくらいの頻度でするかはわからない。なぜなら、そういった人たちは有名になれないからだ。
単に、ある道に進んだときのリターンを予測するのが難しいだけではない。それらは時とともに激しく変わる。1830年は自然史に熱中するには本当に良い時代だった。もしダーウィンが1809年ではなく1709年に生まれていたら、有名になれなかったかもしれない。
このような不確実性に直面したとき、どうすればいいだろう。1つの解決策は、賭けに保険を掛けることだ。しかし、他の保険と同様、リスクを減らせば報酬も減る。従来のように野心的な道に進むために、自分の好きなことに取り組むのをやめると、それまで発見していた素晴らしいことを見逃してしまうかもしれない。これもよくあることで、すべての賭けに失敗した天才よりももっと多いだろう。
もう1つの解決策は、いろんなことに興味を持つことだ。今のところうまくいっていると思われるものに基づいて、同じように純粋な興味を切り替えれば、利益が減ることはない。しかし、ここにも危険がある。あまりに多くの異なるプロジェクトに取り組むと、どれも掘り下げることができなくなるかもしれない。
バスチケット理論の興味深い点の1つは、いろんなタイプの人々が、異なる種類の仕事で優れている理由を説明できるかもしれないことだ。興味は才能よりもはるかに不均等に分布している。もし、偉大な仕事をするために必要なのが天賦の才能だけで、天賦の才能が均等に分布しているなら、さまざまな分野で実際に偉大な仕事をしている人たちの間で見られる分布の偏りを説明するために、しっかりとした理論を考え出なければならない。しかし、その偏りの大部分は、もっと単純に説明できるかもしれない。人が異なれば、異なるものに興味を持つということだ。
バスチケット理論はまた、人は子供を産んだ後にすごい仕事をする可能性が低い理由も説明する。興味は外的な障害物だけでなく、ほとんどの人にとって非常に強力な、子供への興味とも競争する必要がある。子供ができてから仕事をする時間を作るのは難しいが、それは簡単なことだ。本当の変化は、働く意欲がなくなることなのだ。
しかし、バスチケット理論がいちばん刺激的なのは、すごい仕事を推し進める方法を教えてくれることだ。もし天才のレシピが単に生まれつきの才能と努力なら、私たちにできることは、自分に多くの才能があることを願いつつ、できるだけ一生懸命に働くしかない。しかし、もし興味が天才にとって重要な要素なら、興味を大切にすることで、天才を育てることができるかもしれない。
例えば非常に野心的な人にとって、「素晴らしい仕事をするなら少しリラックスしろ」とバスチケット理論は教えてくれる。歯を食いしばり、同僚がみんな認めてくれることを熱心に追求するのが最も有望な研究方法ではなく、何かを楽しむためにやってみるべきかもしれない。行き詰まっているのなら、それが脱出路かもしれない。
私はずっとハミングの有名な二本立ての質問が好きだった。「あなたの分野で最も重要な問題は何ですか?」「なぜそれに取り組んでいないのですか?」という質問だ。それは自分を奮い立たせる素晴らしい方法だ。だが、少し過剰適合かもしれない。自分自身にこう問いかけてみるのもいいかもしれない。「重要ではないかもしれないが、本当に興味のあることに取り組むために1年の休暇を取れるなら、何をするだろう?」
バスチケット理論は、年齢とともに減速しない方法も示す。年をとると新しいアイデアが浮かびにくくなるのは、おそらく、単に丸くなってしまうからではない。いったん偉くなってしまうと、誰にも注目されなかった若い頃のように、無責任な趣味には手を出せなくなるからかもしれない。
解決策は明らかだ。無責任なままでいろ。とはいえ、それは難しいだろう。というのは、自分の減速を防ぐために採用する一見、でたらめなプロジェクトが、外部の目に証拠としてさらされるからだ。そして自分では、それが間違っているかどうかを確実に知ることができない。だが、自分のやりたいことに取り組むほうが、少なくとも楽しいだろう。
もしかしたら、子どもたちに知的なバスチケットを集める習慣をつけさせることもできるかもしれない。普通の教育プランでは、広く浅い焦点から始め、徐々に専門化する。しかし私は、自分の子どもには正反対のことをした。広く浅い部分は学校に任せ、深さを取った。
私の子供が何かに興味を持ったら、たとえランダムであっても、バスチケットを集め、先に深く行くよう勧める。バスチケット理論のためではない。勉強の喜びを感じてもらいたいからだ。私が何かを学ばせようとしていると子供が思うことは決してないだろう。子供たちが興味を持っているものである必要がある。私は最も抵抗の少ない道を進んでいるだけだ。深さは副産物だ。だが、学ぶことの楽しさを示そうとすれば、深いところに行くように訓練することにもなる。
効果はあるだろうか? わからない。しかし、この不確実性が最も興味深い点かもしれない。すごい仕事をする方法について学ぶべきことはたくさんある。人類の文明は古いと感じるかもしれないが、こんな基本的なことさえ学び終えていないなら、まだ文明は非常に若い。発見について発見すべきことがまだあると思うとわくわくする。もしその発見が、あなたにとって興味がある種類のものならば。
注釈
[1] バスのチケットよりももっと良く表現できるコレクションは他にもあるのだが、そちらのほうが人気がある。「あなたの趣味は重要ではない」と言って多くの人を怒らせるよりも、劣った例を使った方がいいと思った。
[2] 私は、「純真」という言葉を使ったことがちょっと心配だ。なぜなら、それは「無関心」という意味だと誤解している人がいるからだ。しかし、天才になりたい人は、そのような基本的な言葉の意味を知る必要があるので、今、学ぶほうがいいと思う。
[3] どれだけ多くの人が、失敗せずに責任を持つように言われたり、自分に言い聞かせたりして、天才の芽を摘み取られてしまったか想像してほしい。ラマヌジャンの母親は大きな力となった。彼女がいなかったらと想像してみよう。もしラマヌジャンの両親が、家で座って数学をするのではなく、外で仕事をさせていたら?
その一方、就職しないことの言い訳にラマヌジャンを持ち出す人は、おそらく間違っている。
[4] レオナルドにおけるミラノという場所のように、ダーウィンにとって1709年という時期が重要だった。
[5] 「苦労する無限の能力」はカーライルの文章の意訳だ。「フリードリヒ大王伝」で彼が書いたのは、「...天才(何より尽きせぬトラブルに取り組む能力)の成果だ。」だった。だがこの意訳は今回の話の要点だと思ったので、修正しなかった。
カーライルの歴史書は1858年に出版された。1785年にヘラルト・ド・セシェルはバフォンの言葉を引用して、"Le génie n'est qu'une plus grande aptitude à la patience." (天才は忍耐に過ぎない)と述べている。
[6] トロロペは郵便配達網のシステムを作っていた。トロロペもこの目標の追求に執着していた。情熱がどう育つかを見るのは興味深い。その2年間、農村の手紙運搬船でイギリスをカバーしたいというのが彼の人生の大望だった。ニュートンでさえ、ときどき自分の執着ぶりを知っていた。円周率を15桁まで計算した後、彼は友人に宛てた手紙にこう書いた。「恥ずかしいが、当時は他に用事がなかったので、とても多くの値まで計算してしまった。」
ちなみに、ラマヌジャンも強迫的な計算機だった。カニゲルは優れた伝記を書いている。ラマヌジャンの研究者、B・M・ウィルソンは後に、ラマヌジャンの数論研究にはしばしば「それに先立って、たいていの人が引いてしまうような桁まで計算した数値表がある。」と語った。
[7] 自然の世界を理解するなら、消費ではなく創造しよう。
ニュートンは神学の研究を選んだとき、この鑑定でミスをした。自然の矛盾を解消することは実り多いが、神聖な書物の矛盾を解消することはそうではないということが、ニュートンには信仰により理解できなかった。
[8] ある話題に興味を持つ人の性向のうち、どれくらいが生まれつきなのだろう。私のこれまでの経験では、答えは「ほとんど」のようだ。子どもによって興味を持つものは異なり、興味を持っていないものに興味を持たせるのは難しい。押し付ことはできない。ある話題についてできることは正当に紹介することだ。例えば、数学とは学校の退屈な訓練以上のものだとはっきり示す。あとは子供次第だ。
この原稿を読んでくれたマーク・アンドリーセン、トレバー・ブラックウェル、パトリック・コリソン、ケビン・ラッカー、ジェシカ・リビングストン、ジャッキー・マクドノー、ロバート・モリス、リサ・ランダル、ザック・ストーン、そして私の7歳の子供に感謝する。
※追記 翻訳した後に、すでにFoundX Reviewの名訳があることに気づきました。そちらを読んだほうが誤訳がないと思います。
天才のバスチケット理論
2019年11月
偉業を成し遂げるには、ご存じの通り、才能と決断力がどちらも必要だ。だが、あまり知られていない三番目の要素がある。特定の話題に偏執的なまでに興味を持つことだ。
これを説明するために、私はある集団からの評判を落とすだろうが、バスチケットのコレクターを選ぼう。古いバスのチケットを集める人がいる。多くのコレクターと同様、彼らは自分たちが集めたものの細部に執着する。彼らは、私たちが覚えられないようなバスチケットの種類の違いを見分けられる。なぜって、一般人はそれほど気にしないからだ。古いバスチケットについて、そんなに長く考えて何が面白いの?
この種の執着の第二の特徴は、特に意味はないということだ。バスチケットのコレクターの愛情は純真だ。他人に褒められたり、金持ちになるためではなく、集めたいから集めている。
偉業を成し遂げた人々の生活を調べると、決まったパターンがある。バスチケットコレクターの執着のように、同時代のほとんどの人には無意味に思える何かへの執着から彼らは始めることが多い。ビーグル号での航海について書かれたダーウィンの本のうち、最も目立つ特徴の一つは、博物学に対する彼の関心の深さだ。ダーウィンの好奇心は無限のようだ。ラマヌジャンも同様だった。
彼らは後の発見の「基礎工事」をしていたと考えるのは間違いだ。その比喩では「計画的にしていた」という意味が強すぎる。バス・チケットのコレクターのように、彼らは好きだからしていたのだ。
しかし、ラマヌジャンとバスのチケットコレクターには違いがある。級数は重要だが、バスのチケットはそうではない。
もし私が天才のためのレシピを一つの文章にまとめることになったら、「何か重要なことに純真に執着すること」になるかもしれない。
他の二つの要素はどうなったの? それらは思うより重要ではない。ある話題に執着的なまでに興味を持つことは、能力や決断力の代わりになる。十分な数学的素質がなければ、級数はつまらないだろう。そして何かに夢中になれば決断力はそれほど必要ない。
執着に取りつかれた興味があれば、ある程度はなんでもできるほどの幸運をもたらす。パスツールが言ったように、チャンスは準備された心を好む。そして執着があるとは、心を準備しているということだ。
この種の執着には、純真さが最も重要だ。純真であることは熱心なことの証明となるだけでなく、新しいアイデアを見つけるのに役立つからだ。
新しいアイデアにつながる道は、ダメっぽく見える。もし有望に見えるなら、すでに他の人たちがその道を進んでいただろう。偉業を成し遂げた人たちは、他の人が見落とした道をどうやって見つけたのだろうか。世間は「良いビジョンを持っていたのだ」という話を好む。非常に才能があったから、他の人には見えない道が見えたのだ。だが、偉大な発見がなされた方法を見れば、そうではなかったとわかる。ダーウィンは他の人たちよりも、個々の種には注意を払わなかった。これが大きな発見につながる可能性があると知っていたからで、他の人たちはそうではなかった、ということではない。ダーウィンは本当に、本当に、そのようなことに興味があった。
ダーウィンは執着を止めることができなかった。ラマヌジャンもそうだった。彼らが隠れた道を見つけたのは、見込みがありそうだったからではなく、止めることができなかったからだ。だから単なる野心家だったら無視していた道に進むことができた。
偉大な小説を書くとき、トールキンのように何年もかけて架空のエルフ語を作ることから始めたり、トロロペのように英国南西部のあらゆる家庭を訪れることから始ようとする、理性のある人がいるだろうか。トールキンやトロロペでさえ、そうは思わないだろう。
バスチケット理論はカーライルの有名な天才の定義(訳注「天才とは、何よりもまず苦悩を受けとめる先駆的な能力のことである」)に似ている。しかし、2つの違いがある。無限の痛みに耐える能力の源は、カーライルが考えるような無限の勤勉さではなく、コレクターが持つ無限の興味であることをバスチケット理論は示している。無限の興味があれば、重要な能力も付いてくる。重要な物事について、どこまでも苦労できる能力だ。
では、何が重要な物事なのだろうか? 決して確信することはできない。自分が興味を持つことに取り組むことで新しいアイデアを発見できるということは、まさにどの道が有望かを事前に知ることができないということだ。
しかし、執着が重要かどうかを推測する経験則がある。例えば、他の人が作ったものをただ消費するよりも、何かを作っている方が可能性がある。自分が難しいものに興味を持っている場合、特に他の人にとっては、もっと難しいのなら、より有望だ。そして、才能ある人々の執着は、将来、有望になる可能性が高い。才能のある人が無作為に何かに興味を持ったら、それらは実際には無作為ではない。
だが絶対に確信はできない。実際これは興味深いアイデアだが、もし本当なら、かなり警戒が必要だ。すごい仕事をするためには、多くの時間を無駄にする必要があるかもしれないからだ。
多くのさまざまな分野で、報酬はリスクに比例する。もしこの法則が成り立つなら、本当にすごい仕事につながる道を見つけるには、まったく見込みのなさそうなことに、進んで多大な努力をすることだ。
これが本当かどうかわからない。何か面白いことに一生懸命取り組んでいる限り、時間を無駄にするのは驚くほど難しいようだ。やっていることの多くは結局、役に立つ。しかし一方で、リスクと報酬の関係に関するルールは非常に強力であり、リスクが発生する所ではどこにでも適用できるようだ。少なくともニュートンの場合は、リスク/報酬の法則が当てはまることを示唆する。「世界を数学で表現する」という、前例のないほど実り多いことがわかったニュートンの執着は有名だ。しかしニュートンには、錬金術と神学という他の2つの執着があり、完全に時間の無駄だったようだ。ニュートンはトータルでは先に進んだ。いまでは物理学と呼ばれているものへのニュートンの賭けは大成功だったので、他の二つを補って余りあるほどだった。しかし、このような大きな発見には大きなリスクを冒さなければならないという意味で、他の2つは必要だったのだろうか? わからない。
ここにもっと驚く考えがある。人は悪い賭けをするかもしれない。よくあることだろう。しかし、どれくらいの頻度でするかはわからない。なぜなら、そういった人たちは有名になれないからだ。
単に、ある道に進んだときのリターンを予測するのが難しいだけではない。それらは時とともに激しく変わる。1830年は自然史に熱中するには本当に良い時代だった。もしダーウィンが1809年ではなく1709年に生まれていたら、有名になれなかったかもしれない。
このような不確実性に直面したとき、どうすればいいだろう。1つの解決策は、賭けに保険を掛けることだ。しかし、他の保険と同様、リスクを減らせば報酬も減る。従来のように野心的な道に進むために、自分の好きなことに取り組むのをやめると、それまで発見していた素晴らしいことを見逃してしまうかもしれない。これもよくあることで、すべての賭けに失敗した天才よりももっと多いだろう。
もう1つの解決策は、いろんなことに興味を持つことだ。今のところうまくいっていると思われるものに基づいて、同じように純粋な興味を切り替えれば、利益が減ることはない。しかし、ここにも危険がある。あまりに多くの異なるプロジェクトに取り組むと、どれも掘り下げることができなくなるかもしれない。
バスチケット理論の興味深い点の1つは、いろんなタイプの人々が、異なる種類の仕事で優れている理由を説明できるかもしれないことだ。興味は才能よりもはるかに不均等に分布している。もし、偉大な仕事をするために必要なのが天賦の才能だけで、天賦の才能が均等に分布しているなら、さまざまな分野で実際に偉大な仕事をしている人たちの間で見られる分布の偏りを説明するために、しっかりとした理論を考え出なければならない。しかし、その偏りの大部分は、もっと単純に説明できるかもしれない。人が異なれば、異なるものに興味を持つということだ。
バスチケット理論はまた、人は子供を産んだ後にすごい仕事をする可能性が低い理由も説明する。興味は外的な障害物だけでなく、ほとんどの人にとって非常に強力な、子供への興味とも競争する必要がある。子供ができてから仕事をする時間を作るのは難しいが、それは簡単なことだ。本当の変化は、働く意欲がなくなることなのだ。
しかし、バスチケット理論がいちばん刺激的なのは、すごい仕事を推し進める方法を教えてくれることだ。もし天才のレシピが単に生まれつきの才能と努力なら、私たちにできることは、自分に多くの才能があることを願いつつ、できるだけ一生懸命に働くしかない。しかし、もし興味が天才にとって重要な要素なら、興味を大切にすることで、天才を育てることができるかもしれない。
例えば非常に野心的な人にとって、「素晴らしい仕事をするなら少しリラックスしろ」とバスチケット理論は教えてくれる。歯を食いしばり、同僚がみんな認めてくれることを熱心に追求するのが最も有望な研究方法ではなく、何かを楽しむためにやってみるべきかもしれない。行き詰まっているのなら、それが脱出路かもしれない。
私はずっとハミングの有名な二本立ての質問が好きだった。「あなたの分野で最も重要な問題は何ですか?」「なぜそれに取り組んでいないのですか?」という質問だ。それは自分を奮い立たせる素晴らしい方法だ。だが、少し過剰適合かもしれない。自分自身にこう問いかけてみるのもいいかもしれない。「重要ではないかもしれないが、本当に興味のあることに取り組むために1年の休暇を取れるなら、何をするだろう?」
バスチケット理論は、年齢とともに減速しない方法も示す。年をとると新しいアイデアが浮かびにくくなるのは、おそらく、単に丸くなってしまうからではない。いったん偉くなってしまうと、誰にも注目されなかった若い頃のように、無責任な趣味には手を出せなくなるからかもしれない。
解決策は明らかだ。無責任なままでいろ。とはいえ、それは難しいだろう。というのは、自分の減速を防ぐために採用する一見、でたらめなプロジェクトが、外部の目に証拠としてさらされるからだ。そして自分では、それが間違っているかどうかを確実に知ることができない。だが、自分のやりたいことに取り組むほうが、少なくとも楽しいだろう。
もしかしたら、子どもたちに知的なバスチケットを集める習慣をつけさせることもできるかもしれない。普通の教育プランでは、広く浅い焦点から始め、徐々に専門化する。しかし私は、自分の子どもには正反対のことをした。広く浅い部分は学校に任せ、深さを取った。
私の子供が何かに興味を持ったら、たとえランダムであっても、バスチケットを集め、先に深く行くよう勧める。バスチケット理論のためではない。勉強の喜びを感じてもらいたいからだ。私が何かを学ばせようとしていると子供が思うことは決してないだろう。子供たちが興味を持っているものである必要がある。私は最も抵抗の少ない道を進んでいるだけだ。深さは副産物だ。だが、学ぶことの楽しさを示そうとすれば、深いところに行くように訓練することにもなる。
効果はあるだろうか? わからない。しかし、この不確実性が最も興味深い点かもしれない。すごい仕事をする方法について学ぶべきことはたくさんある。人類の文明は古いと感じるかもしれないが、こんな基本的なことさえ学び終えていないなら、まだ文明は非常に若い。発見について発見すべきことがまだあると思うとわくわくする。もしその発見が、あなたにとって興味がある種類のものならば。
注釈
[1] バスのチケットよりももっと良く表現できるコレクションは他にもあるのだが、そちらのほうが人気がある。「あなたの趣味は重要ではない」と言って多くの人を怒らせるよりも、劣った例を使った方がいいと思った。
[2] 私は、「純真」という言葉を使ったことがちょっと心配だ。なぜなら、それは「無関心」という意味だと誤解している人がいるからだ。しかし、天才になりたい人は、そのような基本的な言葉の意味を知る必要があるので、今、学ぶほうがいいと思う。
[3] どれだけ多くの人が、失敗せずに責任を持つように言われたり、自分に言い聞かせたりして、天才の芽を摘み取られてしまったか想像してほしい。ラマヌジャンの母親は大きな力となった。彼女がいなかったらと想像してみよう。もしラマヌジャンの両親が、家で座って数学をするのではなく、外で仕事をさせていたら?
その一方、就職しないことの言い訳にラマヌジャンを持ち出す人は、おそらく間違っている。
[4] レオナルドにおけるミラノという場所のように、ダーウィンにとって1709年という時期が重要だった。
[5] 「苦労する無限の能力」はカーライルの文章の意訳だ。「フリードリヒ大王伝」で彼が書いたのは、「...天才(何より尽きせぬトラブルに取り組む能力)の成果だ。」だった。だがこの意訳は今回の話の要点だと思ったので、修正しなかった。
カーライルの歴史書は1858年に出版された。1785年にヘラルト・ド・セシェルはバフォンの言葉を引用して、"Le génie n'est qu'une plus grande aptitude à la patience." (天才は忍耐に過ぎない)と述べている。
[6] トロロペは郵便配達網のシステムを作っていた。トロロペもこの目標の追求に執着していた。情熱がどう育つかを見るのは興味深い。その2年間、農村の手紙運搬船でイギリスをカバーしたいというのが彼の人生の大望だった。ニュートンでさえ、ときどき自分の執着ぶりを知っていた。円周率を15桁まで計算した後、彼は友人に宛てた手紙にこう書いた。「恥ずかしいが、当時は他に用事がなかったので、とても多くの値まで計算してしまった。」
ちなみに、ラマヌジャンも強迫的な計算機だった。カニゲルは優れた伝記を書いている。ラマヌジャンの研究者、B・M・ウィルソンは後に、ラマヌジャンの数論研究にはしばしば「それに先立って、たいていの人が引いてしまうような桁まで計算した数値表がある。」と語った。
[7] 自然の世界を理解するなら、消費ではなく創造しよう。
ニュートンは神学の研究を選んだとき、この鑑定でミスをした。自然の矛盾を解消することは実り多いが、神聖な書物の矛盾を解消することはそうではないということが、ニュートンには信仰により理解できなかった。
[8] ある話題に興味を持つ人の性向のうち、どれくらいが生まれつきなのだろう。私のこれまでの経験では、答えは「ほとんど」のようだ。子どもによって興味を持つものは異なり、興味を持っていないものに興味を持たせるのは難しい。押し付ことはできない。ある話題についてできることは正当に紹介することだ。例えば、数学とは学校の退屈な訓練以上のものだとはっきり示す。あとは子供次第だ。
この原稿を読んでくれたマーク・アンドリーセン、トレバー・ブラックウェル、パトリック・コリソン、ケビン・ラッカー、ジェシカ・リビングストン、ジャッキー・マクドノー、ロバート・モリス、リサ・ランダル、ザック・ストーン、そして私の7歳の子供に感謝する。