2005年06月21日

失敗すること・その補足

えー、篁どののブログにてコメントを頂いておりますが。
私のご回答でも分量オーバーになりそうにて、補足をば。

>セッション成功・失敗の定義
えー、「失敗すること」を書き連ねていて、いきなり必要になったため、
予想外の展開に急遽定義してしまったので、
ふろふろ〜と思い浮かべたことを書き連ねたため、表記が足りなかったみたい。

で。
>「セッションが失敗しているにもかかわらず楽しかったセッション」の時、相良さん自身は「共有する空想世界」を共有できた側だったのでしょうか? それとも、取りこぼされた側だったのでしょうか?

えー、共有できた側です。
そして、取りこぼされていたのは(取りこぼしたのは)GMです。
セッションとして見れば完全に失敗です。
それでいて、思い出としては色濃く残っています。

と。
これも篁どののコメントに一つ絡んでいるコトですが。

コンベンションなど、FEAR系のゲームをプレイしている卓を見て思うこと、
それは。
卓にいるプレイヤーはGMとしか会話してないなー。
ということ。

私がTRPGに求めるモノで書き連ねたこと
「選択枝を与えられる、または何らかの選択を迫られる状況に置かれ、
 そのときのベターな回答をし、
 その回答のレスポンスを他プレイヤー(GM含む)から頂く」
えー、これはプレイヤーで求めていること。
上からGM・自分・他プレイヤーがそれぞれ対応しているとお分かりだろうが。
個人的に重要な順番としては逆。
他プレイヤー、自分、GMの順。
私がプレイヤーの時は、途中楽しくなると、GMよりもプレイヤーの方に向き、
プレイヤーと会話を楽しみます。
プレイヤーとのキャッチボールが楽しいんです。

で。
FEAR系のゲームをしているプレイヤー達は、
もっぱらGMの方を向き、GMとしか会話をしていない様な気が。
他のプレイヤーと会話することと言えば、ルールか雑談。
これは、
GMが卓を管理する=GMが卓を楽しませる
を混同しているから、という気がしてならないわけで。
それは篁どのの述べる
「FEARのゲームは導入用のハンドアウトや、NPC・他PCとの関係性等を
あらかじめ用意して空想世界を共有できるように頑張ってる」
ことが、すべて裏目に出ている、と。
あらかじめ用意されていることで「すでに共有している」と錯覚している。
はたして、そんな気がしてならない。

で、






私はFEARのゲームが問題といっているわけではないのです。
FEARの姿勢とそれに感化しているプレイヤー達が問題だと。

FEAR系ゲームの卓から漏れる声を聞いてて、
ダメージがどうとか、コンボがどうとか聞いてると、
「ほんとにアナログゲームやってるのかよ?」
と聞きたくなるが。
私自体が、そういう卓に並んでいないため、いまは聞くタイミングではないと。
そういうことにしておきます。

lissehwestlambe at 21:05│Comments(0)TrackBack(0)TRPG 

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