「あなたを知らない諸国の民の上に、あなたの御名を呼ばない諸氏族の上に、あなたの憤りを注いでください。」(エレミヤ1025)


   今回この記事は新改訳を用いて書かれています。聖書の中でエホバの御名を表わすヘブライ語は四文字で、テトラグラマトンと呼ばれています。テトラグラマトンはヘブライ語本文の中に約7000回出て来ます。御名が頻繁に出て来ること自体,その名が聖書の著者にとって重要であることを証明しています。


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   ところが、なぜ多くの教会で教会員は神の御名を用いないのでしょうか。それは、もとはと言えばユダヤ人の迷信のためです。ユダヤ人たちは
十戒の中で、神の御名について命じられていることを間違って適用しました。十戒にこうあります。「あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。主は、御名をみだりに唱える者を罰さずにはおかない。」(出エジプト20:7)ユダヤ人たちは神の御名をみだりに唱えてはならないというおきてを、神の御名を発音してはならないという意味にとりました。


   では、神の御名をみだりに唱えるとは、何を意味しますか。詩篇139編20節には、「
彼らはあなたに悪口を言い、あなたの敵は、みだりに御名を口にします。」と述べられています。それで、神の敵対者たちが神の御名をみだりに口にするということは、彼らが神について悪口を言うことを意味します。それで、神の御名をみだりに唱えるとは、神の御名を発音することではなく、神の御名を不敬な仕方で用いることを意味しています。


   詩篇
7410節でも、「神よ。いつまで、仇はそしるのでしょうか。敵は、永久に御名を侮るのでしょうか。」とあります。それで、神が嫌われるのは、御名を用いることではなく、神についてそしって、御名を侮ることです。


   ところが、イエスが地上からいなくなられて後に神の御名の使用をやめさせようとする迷信的な見方が生じました。ユダヤ人の写字生たちは、エホバ神の御名を表わすヘブライ語の四文字語・テトラグラマトンに、主または神のいずれかを表わす母音符号を打って、神の名を発音する代わりにこれらの言葉を口にするよう読者に警告するようになりました。そして、時経つうちにヘブライ語聖書のギリシャ語セプトゥアギンタ訳の後代の写本では、四文字語・テトラグラマトンが完全にキュリオス「主」やテオス「神」に置き換えられてしまいました。


   しかし、このように神の御名を神のみ言葉から取り去ることは神から是認されますか。神のみ言葉をそのように改変することは、神の目に正しいことでしょうか。


   いいえ。黙示録22章19節には、私たちに対するこのような警告が載せられています。「また、この預言の書のことばを少しでも取り除く者があれば、神は、この書に書いてあるいのちの木と聖なる都から、その人の受ける分を取り除かれる。」(申命記4:2。エレミヤ26:2)


   神の言葉から、何かを取り除く者がいれば、神は聖書の中に約束されている永遠の命という報いを取り去ると警告しておられます。神からの警告を考えるならば、後代の写字生たちは、神のみ言葉から大切な神の御名を取り去るべきではありませんでした。


   神はご自分の御名に関して何を求めておられますか。エホバという名について、「これが永遠にわたしの名、これが代々にわたってわたしの呼び名である」と神は述べておられます。
(エジプト315)新改訳では、この部分でも、神のお名前を「主」と訳しています。しかし、エホバ神はご自分のお名前で、永遠に呼ばれることを望んでおられます。


   また、エレミヤは「あなたの御名を呼ばない諸氏族の上に、あなたの憤りを注いでください。」
と祈っています。(エレミヤ1025)エホバの御名を呼び求めないなら、エホバの憤りが注ぎ出されると述べられています。それで、エホバ神はご自分の御名エホバが呼び求められることを望んでおられます。


   およそ七千回も聖書の中に出てくる神の御名を私たちは無視するべきではありません。エホバ神はご自分のお名前が用いられ、呼び求められることを望んでおられます。神の御名を用いてエホバを呼び求めるどうかは、私たちが神からの報いである命を得られるかどうかを左右します。神の御名を用いてエホバ神を崇拝すべきだと言えます。

 

新改訳は、新改訳聖書c新改訳聖書刊行会を使用しています。