「主は、その道の初めにわたしを造られた。いにしえの御業になお、先立って。」(箴言822



 箴言
8章には、神がその道の初めに造られた人格的存在がいることが述べられています。神はその方以外の創造の業の前にそれを行なわれました。他の聖句を調べると、その方は、イエス・キリストであることが分かります。



 それで、初めのない神と違ってイエス・キリストには初めがあり、神とイエス・キリストは別個の人格的存在であることが分かります。このことは、神とイエス・キリストが神であり同じ人格的存在であるという三位一体の信条が間違っていることを示しています。



 箴言
8章によると、自らを比ゆ的に「知恵」と呼ぶ人格的存在が登場します。(箴言81)その方はどの時期に産み出されたのでしょうか。箴言8章によると、「太初、大地に先立って。わたしは生み出されていた。・・・深淵も水のみなぎる源も、まだ存在しないとき、・・・大地も野も、地上の最初の塵もまだ造られていなかった」時と述べられています。(箴言82326



 それで、神が大地や海などの地球を創造される以前、すなわち物質宇宙の創造を行なわれる前に、その方は存在するようになりました。冒頭の聖句にあるように、「その道の初めに」、「いにしえの御業に・・・先立って」その方は造られました。神の創造の業は非常に遠い昔に行なわれたので、いにしえの御業と述べられているのでしょう。その方は、「造られた」のですから、創造者ではありません。神とは別の存在であり、あくまでも、神の被造物です。



 そして、神が物質宇宙を創造された時、「御もとにあって、わたしは巧みな者と」なったと記録されています。(箴言
830)神が創造の業を行なわれた時、その方も巧みな業を行なっておられたことが分かります。ですから、その方は、神がその方以外の創造の業を行なわれた時、神の手伝いをされたのでしょう。



 新約聖書を調べると、イエス・キリストについて、同様のことを述べる記述があります。コロサイ書にこう記されています。「御子は、見えない神の姿であり、すべてのものが造られる前に生まれた方です。」
(コロサイ1:15)ですから、コロサイ書の記述でも、御子は、「生まれた方です。」すなわち、御子には、存在するようになった初めがありました。



 しかし、聖書は唯一真の神について、「世々とこしえに、あなたは神」、「永遠の神」と述べています。(詩編90:2。ローマ16:26)真の神は永遠に存在される神ですから、始まりも終わりもありません。一方御子には、始まりがあります。真の神と御子は別の人格的存在です。



 さらに、コロサイ書は、御子についてこのように述べています。「天にあるものも地にあるものも、見えるものも見えないものも、王座も主権も、支配も権威も、万物は御子において造られたからです。つまり、万物は御子によって、御子のために造られました。」(コロサイ1:16,17)



 「万物は御子において造られた・・・万物は御子によって・・・造られました。」と述べられています。御子は神によって産み出された方ですから、創造者ではありませんが、神が御子以外の物の創造の業を行なわれた時、御子は神の下で働いて、神の創造の業に関与されたことをこのコロサイ書の記述も示しています。



 ですから、コロサイ書の御子に関する記述からしても、箴言8章で語っておられる比ゆ的な「知恵」は、御子イエス・キリストであったことが分かります。



 御子イエス・キリストは、神によって生み出され始まりがあります。御子は永遠の神とは別の人格的存在です。ですから、神と御子が同じく永遠で同じ神であるという三位一体の教理は間違っていることが分かります。




jesus in the heaven

確かにイエス・キリストは天でとても高い地位におられるが・・・



godlamb









エホバ神と御子イエス・キリストは別の人格的な存在







ヘブライ1章・イエスが礼拝されるのは神だということですか(新共同訳)


イエスは神それとも神の子ですか(新共同訳)


イエス・キリストは神ですか(新改訳)


イザヤ14章・古代バビロンはなぜ滅びたのですか