「行け,わたしの民よ,あなたの奥の部屋に入り,あなたの後ろで扉を閉じよ。糾弾が過ぎ行くまで,ほんのしばらくの間,身を隠せ。見よ,ご自分に対する地の住民のとがに関して言い開きを求めるため,エホバはその場所から出て来られるからである。・・・・・その日,エホバはその硬く,大きく,強い剣をもって,滑るように動く蛇レビヤタンに,曲がった蛇レビヤタンに注意を向け,海の中にいるその海の巨獣を必ず殺されるであろう。」(イザヤ26:20,21;27:1)
神の民は、糾弾が過ぎるまで、奥の部屋に入り後ろで扉を閉じて身を隠すようにと指示されています。エホバは海の巨獣レビヤタンを殺されるからです。これは何を意味しますか。これは、古代においても成就し、末の日の神の民にも成就することでしょう。
レビヤタン、海の巨獣とは何を表しているのでしょうか。レビヤタンの語は、「ねじれた」「渦を巻いた」という意味のヘブライ語が語源なので、実際には、海蛇のような海の巨獣なのでしょう。また、聖書の中で、「大きな海の巨獣とは」、「エジプトの王なるファラオ」です。(エゼキエル29:3)また、「海の巨獣」とは、「ラハブ」とも呼ばれており、「ラハブ」は「エジプト人」と呼ばれています。(イザヤ51:9;30:7)

それで、蛇レビヤタン、海の巨獣は古代においてはファラオによって代表されるエジプトを表していました。エホバはイザヤの時代にエジプトに対して裁きを執行することを予告されました。イスラエル人は、この預言に驚かされたことでしょう。なぜなら、エジプトは世界強国であり、イスラエル人は他の世界強国からの脅威から逃れるために、エジプトに頼っていたからです。(イザヤ30:2)
エジプトは何度も、アッシリア、バビロン、ペルシャなどの世界強国に敗北を喫しましたが、最後には、西暦前332年にギリシャのアレクサンドロス大王により征服され、その時に、ファラオによる支配は、永久に終わりを告げたと考えられています。この時にイザヤ26章のレビヤタンが殺されるという預言が成就したのかもしれません。
西暦前312年、エジプトはエルサレムを攻略し、エジプトの支配下としました。しかし、その後、エジプトはシリアに打ち破られ、次いでローマの勢力下に置かれました。このようにして、力のあったエジプトは、「地位の低い王国」になり、海の巨獣とは言えなくなりました。(エゼキエル29:14,15)
この海の巨獣に関する預言は、末の日のエホバの「糾弾」の時にも成就するでしょう。ダニエル11章36節には北の王が「糾弾がなし終えられるまでは必ず成功を収める」と預言されています。それで、北の王が南の王を攻撃する時が末の日の糾弾の時です。それは、イエスの予告された、「世の初めから今に至るまで起きたことがなく、いいえ、二度と起きないような大患難」を意味しているでしょう。(マタイ24:21)

そして、啓示11章8節には、大いなるバビロン、すなわち大いなる都市は、霊的な意味で、エジプトと呼ばれています。ですから、エジプトを表している海の巨獣レビヤタンとは、末の日の大いなるバビロンを表しているでしょう。大いなるバビロンは、古代のエジプトが倒されたように倒されることになります。


それでイザヤ26章にある預言は、北の王が南の王を攻撃する時、すなわち荒廃をもたらす嫌悪すべきものがアメリカ合衆国を攻撃する時に、神の民がどう行動すればいいかを示しているように思われます。
私は以前は、荒廃をもたらす嫌悪すべきものは、現在の国連であると考えていました。しかし、聖書をさらに検討した結果、それは将来、現在の国連が消滅した後、北の王によって設立される国連に代わる国際組織であると考えるようになりました。
糾弾の時に身を隠す奥の部屋とは、聖書時代にどういうところだったでしょうか。奥の部屋には、寝いすが置かれており、そこは人が横になって休むところでした。(列王第二11:2。裁き人15:1。伝道の書10:20)病気になると、人は奥の部屋に臥せっていました。(サムエル第二13:10。列王第一1:15)ですから、聖書時代に奥の部屋とは個人の私室であってそこで人は休む事ができました。
またイザヤ書26章20節では、「あなたの奥の部屋」と呼ばれていて、またそこは後ろで扉を閉じる事のできる場所ですから、このことからも、奥の部屋とは個人の私室、寝室を意味していることが分かります。
まず、クリスチャンは、北の王が荒廃をもたらす嫌悪すべきものを設立するのを見たなら、山に逃げなければなりません。(マタイ24:15,16)それは、北の王の南の王に対する総攻撃、すなわち大患難が近づいている前兆だからです。
西暦前539年にキュロスの率いるメディアとペルシャの軍がバビロンを征服する時に、ギリシャの歴史家クセノフォンによると、キュロスは誰も家を出てはならないと命令しました。なぜなら、「屋外にいる者は、見つけ次第、皆殺しにするようにとの命令」が騎兵隊に下されていたからです。
それで、昔は、野外で戦闘が行われる場合、個人の私室に閉じこもっていれば、守られました。それで、私は以前は、私室にとどまっていれば、大患難の際安全なのではないかと考えていました。しかし、大患難に関する指示は、イザヤ書の言葉ではなく、イエスが言われている言葉が優先します。
大患難の際には、イエスは、私室にとどまる以上のことを求めておられます。「屋上にいる人は、・・・下りてはなら(ない)」とマタイ24章17節で指示されています。(ルカ17:31。マルコ13:15)
家の中に入るのは、私有物を取るためです。しかし、私有物はあきらめなければならないようです。おそらく、北の王の軍勢は、南の王を初め、多くの諸国家の人々の所有物を略奪するのではないかと思います。そのため、山に逃れても、屋上にとどまって家の中に入らないようにと言う指示が出されているのではないかと思います。
このことは、野にいる人が家に帰ってはならないという指示とも調和しています。(マタイ24:18)おそらく、家は、北の王の軍勢により略奪されるので、危険だからでしょう。野外の方が安全なのでしょう。
ですから、山に逃れた時に、建てる家は屋上があった方が望ましいということになります。屋上がある家と言うのは、ある程度、しっかりした家であることが必要だということになります。
もし、山で複数で、生活するとしたら、屋上がある家と言うのは、マンションのような建物であることが必要かもしれません。おそらく学校のような屋上のある建物である必要があるでしょう。
でも、屋上がある家と言うのは、比較的高価になってしまうので、できるだけ安くで建設する方法を考えられたらいいと思います。昔、イスラエルでは石造りだったので、屋上がついていました。石造りの家は幾らかは安価で建設することができるかもしれません。
それで、イザヤ書と福音書のイエスの指示を考え合わせると、大患難が発生したら、山の家の屋上にとどまるか、野外にとどまらなければならないということになります。そして、イザヤ書の預言が私室と指示していることは、個人の家の屋上が望ましいことを意味しているかもしれません。


しかし、一世紀に新しく設立されたクリスチャン会衆の使徒たちは、共同で生活していました。ですから、マンションでも、個人宅でも、とにかく、公共の施設ではなく、個人所有の建物が望ましいことを意味するかもしれません。確かに、市役所でも、県庁でも個人の所有の建物でない官公庁の建物は、個人宅よりも危険があるかもしれません。
箴言12章・来るべき食糧不足に備える
マタイ24章・聖書の描く地球の将来―近づく大患難
















































































コメント、ありがとうございます。
わたしはこの種のご質問には何度も答えてきました。
もう一度お答えします。
イエスは一世紀に奇跡的な業を行われて、相手の人がいやされた時に、「あなたの信仰によって良くなりました」と言われています。いつもだいたいそのように言われています。ですから、人間は、エホバ神とイエスから助けていただくために、信仰が不可欠です。
信仰のない人、神とイエスを知らない人は神から助けていただけません。
神からの助けを経験するためには、聖書の知識を持っていて、神への信仰を抱いていて、それを公言していることが求められます。
それで、信仰のない一般の方々は、たとえ、親切なやさしい方であっても、神からの救いはありません。でも、愛のある人は、神がご自分を知るように助けを与えられると思いますし、そのような人は神を信じるのがどちらかというと容易になると思います。