「そして、やがて彼はわたしを家の入り口に連れ戻した。すると、見よ、家の敷居の下から水が東の方に流れ出ていた。・・・それは海の中に注ぎ入れられ、その水はまた、実際にいやされる。・・・また、そこには非常に多くの魚がいることであろう。この水が必ずそこに流れて行くからである。海の水はいやされ、その奔流の流れて行くところではあらゆるものが生きる。」(エゼキエル47:1,8,9)

 

エゼキエル47章には、エゼキエルの幻の神殿から、水が流れ出ており、その水によって海の多くの魚が生きるようになることを預言しています。これは、何を預言したものでしょうか。


 

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エゼキエルの幻の神殿から流れる水によって多くの魚が生き返る



その水は、最初はちょろちょろ流れる小量なものでしたが、その水量は少しずつ増えていきます。(エゼキエル47:2)その川の水量は、まず足首にまでありましたが、もっと下っていくと、川の深さはひざまで、さらには腰までになりました。(エゼキエル47:3,4)さらに、下流に行くと、通って渡ることができない程の奔流になります。(エゼキエル47:5)


 そして、エゼキエルの幻の水が流れていく水はいやされ、あらゆる生きた魂が命を得ることになります。(エゼキエル47:8,9)それらの魚の種類は、海の魚のように非常に多くなります。(エゼキエル47:10)


聖書の中では、「水のあるところに」来て、エホバの言われることを「一心に聴(く)」よう勧められています。それで、エホバの教えが比ゆ的に水に例えられています。(イザヤ55:1-3)また、イエスはご自分が与える比ゆ的な水について語られたことがありました。イエスが与える水を飲む人は、「永遠の命」を得ることができます。(ヨハネ4:14)それで、水とは基本的に、エホバやイエス・キリストの言われることです。私たちはみ言葉聖書を通してお二方の言うことを聴くことによって、「生きつづけ」ることができます。

 

イエスは、弟子を作る者を漁をする人になぞらえて、「人をすなどる者」と言われたことがありました。(マタイ4:19)エゼキエルの幻も、「すなどる者」によって「非常に多い」魚がとれることを預言しています。(エゼキエル47:10)ですから、これは将来エゼキエルの幻の神殿が実現した時、非常に多くの人々が、イエスの弟子になることを示しています。



啓示の書の中には、エゼキエル書の水の流れと似た描写があります。聖なる都市エルサレムの中にある神と子羊イエス・キリストのみ座から水が流れ出す様子が描写されています。その川は「命の水の川」と呼ばれています。(啓示22:1,3)お二人のみ座は、聖なる都市エルサレムの中にありますから、命の水は「子羊の妻である花嫁」つまり、天的な希望を持つ14万4千人を通して備えられます。(啓示21:6,9,10)



なぜ、多くの人々がエホバの崇拝者になるのでしょうか。ダニエル書には、終わりの時に、聖書の研究が進むことを示す預言があります。ダニエル12章4節には、「終わりの時」が来ると、「多くの者が行き巡り、真の知識が満ちあふれる」と預言されています。それで、多くの者が神の言葉の中を行きめぐり、聖書についての真の解明が行なわれることになります。そして、「民のうち洞察力のある者たちは、多くの者に理解を分かち」ます。(ダニエル11:33)それで、天的な希望を持っている聖書研究者たちが、聖書から明らかになった理解を他の人々に知らせる結果、「義に導(かれ)」、「定めなく続く命」に至る人がいます。(ダニエル12:2,3)それらの人々は比ゆ的にエホバの目に生き返ることになります。このことは、エゼキエルの幻の水によって魚が生き返ると描写されていたことと合致します。



聖書は大患難の前後に非常に大勢の人がエホバを崇拝するようになることを示しています。まず、聖書は「命の水」を飲む人の中に、大患難を生き残る大群衆が含まれることを示しています。(啓示7:17)大患難の前に、多くの人がイエスの助言に信仰を働かせて、山に逃げて大患難を生き残ります。(マタイ24:15,16,21)ですから、大患難の前に聖書の音信を聞き、実際に大患難を生き残るという形で、今の命も生き長らえる人がたくさんいることになります。



また、大患難の後に、大患難を生き残った人々が大患難を生き残ったことを感謝して全世界で大々的に証言を行なうことになっています。(啓示7:9,10,14,15。19:1-3)ですから、さらに多くの人々が大患難後に、聖書の神に信仰を働かせることになるでしょう。



ですから、聖書は、大患難の前後に聖書の研究が進み、聖書の預言の解明に伴って、全世界で非常に多くの人々がエホバの崇拝者になることを示しています。天的な希望を持つクリスチャンの聖書研究の努力によって、将来は、聖書についてもっと多くのことが理解されるようになるでしょう。私たちはこれからも聖書の預言の言葉に注意を払っていきましょう。(ペテロ第二1:19)


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