
エホバの燃える怒りがもろもろの王国の上に注がれる時は世の終わり
「わたしの司法上の決定は、諸国民を集め、わたしがもろもろの王国を集め寄せて、その上にわたしの糾弾を、わたしの燃える怒りをことごとく注ぐことだからである。わたしの熱心の火によって全地はむさぼり食われるのである。」(ゼパニヤ3:8)
ゼパニヤ3章のエホバがご自分の燃える怒りをもろもの王国の上に注ぐという預言は、何を意味しているでしょうか。これは、この世の終わり、この事物の体制の終わりを意味していると思われます。なぜなら、この度エホバの怒りは、ご自分のみ名を負っていたユダとイスラエルに表明されるのではなく、諸国民、もろもろの王国に表明されると述べられているからです。ですから、この時は北の王と南の王の最終戦争を意味する大患難ではなくて、世の終わりを意味すると考えられます。
ゼパニヤ2章3章で予告された「エホバの怒りの日」にもたらされる滅びはエホバからもたらされる滅び、超自然的、選択的なものです。その時に「隠される」ためにはエホバを求め、義を求め、柔和を求めていなければなりません。(ゼパニヤ2:3)聖書は神の律法に違反する者たちに関して、「いずれも神の王国を受け継がないのです。」と述べています。(コリント第一6:10)ですから、ゼパニヤ書の2章と3章の預言が成就する今の事物の体制が終わる時には、神の律法に違反する者たちは、裁かれ滅ぼされてしまうでしょう。
しかし、大患難の時は、神の律法を守っていない一般の人々であっても、イエスの助言に従って山に逃げるならば生き残れると考えられます。(マタイ24:16)なぜなら、その時は、エホバがもたらす裁きではなく諸国民が全地で行なう戦争だからです。言い換えると、この時には、クリスチャンではなくても、山に住んでいる人は、大患難の災いを生き残る可能性が高いでしょう。
しかしながら、啓示の書の中で、イエスは、偶像崇拝や淫行を行っているイゼベルのような人を、「大患難に投げ込む」と述べられています。(啓示2:20,22)偶像崇拝と淫行を常習的に行なっていれば、霊的に眠ってしまい、大患難の前にイエスの助言に従って山に逃げるということをしないでしょう。結果として命を失ってしまうと考えられます。
それで、世の終わりの時まで、ぎりぎりまで、自分を変化させないのではなく、できるだけ早く自分を変化させ、「神の司法上の定めを守り行なう」ことが賢明でしょう。(ゼパニヤ2:3)すなわち、殺人、偶像崇拝、性の不道徳、盗みなどのような神の律法に反する行ないを避けることよって、大患難も無事に切り抜けるように努力しましょう。そうして、永遠に神の是認と祝福を得られるようにしましょう。
[関連する記事]
エゼキエル21章・エルサレムで義なる者と邪悪な者が滅ぼされる
[楽天ブログの最近の更新]
[はてなダイアリーの最近の更新]














































































