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イエスの死記念式3月26日(火)にエホバの証人の王国会館で行なわれます


「一粒の小麦は地面に落ちて死なないかぎり。それはただ一粒のままです。しかし、死ぬならば、そのときには多くの実を結びます。・・・父よ、わたしをこの時から救い出してください。しかしやはり、わたしはこのゆえにこの時に至ったのです。」(ヨハネ122427)


ある人は、イエスは完全な方で、犠牲の死を遂げても復活することをご存知だったのだから、イエスが贖いの犠牲の死を遂げることは容易なことであったと考えるかもしれません。しかし、そうではありません。完全であるからといって苦しむことを何とも感じないということはありません。イエスも、神を冒とくする者として屈辱の死を経験することはできたら避けたいという自然な気持ちを克服しなければなりませんでした。


イエスは罪の許しと永遠の命のために死ぬことがご自分の使命であることを理解しておられました。イエスはご自分に関する数々の聖書中の預言をよくご存知でした。(ルカ2427)イエスは、メシアが贖いの死を遂げるという聖書の預言をご存知でしたし、また、天でエホバから直接地上で何をするべきか聞いておられました。(ダニエル924。ヨハネ1249)


イエスは、ご自分を一粒の小麦の種に例えられました。そして、多くの実を結ぶためには、種が地面に落ちる必要があるように、ご自分は死ななければならないと言われました。(ヨハネ1224) ですから、イエスは死んだ後復活してご自分の死が多くの良い結果を産み出すことをご存知でした。イエスはご自分が贖いの死を遂げるならば、ご自分の追随者に天の王国に入る機会が開かれること、人類がこの地上で永遠に人間として生きる見込みを開くこともご存知でした。(コロサイ11314。マタイ2028。テモテ第一26)


しかし、イエスにとって、屈辱のうちに贖いの死を遂げることは、受け入れやすい簡単なことではありませんでした。なぜならイエスは、エホバに「この時から救い出してください」と祈っておられるからです。(ヨハネ1227) イエスは何を悩んでおられたのでしょうか。


イエスはご自分が経験しようとしていた死のバプテスマによって経験する大きな苦しみについて語っておられました。(ルカ12:50)ですから、その苦しみを考えるならば、杭の上での死は、イエスにとって喜ばしいことではありませんでした。


イエスは永遠の命のためにご自分の地上での命を大切にしないことが賢明であることをご自分にも言い聞かせておられました。(ヨハネ1225)イエスは、「この時から救い出してください」と言われた後、「しかしやはり、わたしはこのゆえにこの時に至ったのです。」と言われました。(ヨハネ1227)ここで、イエスはご自分に与えられた使命を思い起こしておられました。


イエスは杭にかけられる前に、ゲッセマネの園で、苦しみのうちにエホバに祈られました。その時の祈りも、おそらくヨハネ12章で述べられている祈りとだいたい同じものだったでしょう。


イエスはゲッセマネの園で、「アバ,父よ,・・・この杯をわたしから取り除いてください。」と祈っておられます。(マルコ14:36)イエスは、贖いの死を記念する記念式の制定の後、贖いの死を遂げることをためらったとは考えられません。イエスは、エホバのみ名に栄光がもたらされることを第一に願っておられました。(ヨハネ1228) イエスが人類のために贖いとなるというのは、誰よりもエホバのお考えでした。(ヨハネ316)イエスは、エホバの目的の実現に協力して、エホバに栄光をもたらしたいと考えておられました。しかし、イエスにとって受け入れ難かったのは、神の名を「冒とく」する者として屈辱の死を遂げることあり、その死に方が神の名に栄光をもたらさないのでないかと考えて苦しんでおられたのでしょう。(ヨハネ10:36。マタイ9:3,4)



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       イエスはゲッセマネの園でご自分の冒とく者としての死について祈られた


しかし、エホバは天から語られて、イエスにその死がご自分の名に栄光をもたらすことを確証されました。(ヨハネ1228) また、イエスは、「わたしの望むことではなく,あなたの望まれることを。」と祈られました。(マルコ14:36)ですから、イエスは、自分の望みではなくエホバのご意志を優先させました。


そのイエスの態度は、私たちが見倣うべき手本です。私たちは、イエスのように屈辱のうちに贖いの死を遂げることは求められていません。私たちの大半に対して、聖書は大患難を生き残るという希望を差し伸べています。(啓示7914。マタイ242931)


でも、このサタンの世でイエスに付き従うことは、決して世の人々の間で人気のあることではありません。(マタイ248)また、サタンの世で神の律法を守りエホバに仕えることを優先するならば、イエスのように迫害を受けます。(テモテ第二312)クリスチャンの中には、迫害によって命を落とす人もいることをイエスは予告されました。(マタイ249)そうなることは、私たちにとって決して嬉しいことではありません。


しかし、イエスはエホバ神と仲間の人間に対する愛ゆえに人間としての今の命を大切にされず、屈辱の死を遂げることもいといませんでした。(ヨハネ14311513)それゆえにイエスは、天に不滅の霊者として復活するという報いを受けられました。同じように、私たちもエホバとイエスに仕えるために自分の命を危険にさらしたとしても、天であれ地上であれ永遠の命を確保することができます。(ヨハネ1225)


私たちは、屈辱のうちに贖いの死を遂げることが、イエスにとって簡単なものではなく、できたら避けたいことであったこと、それでもエホバ神とご自分の追随者に対する愛に動かされて贖いの死を遂げてくださったを考えると、イエスの贖いの死に感謝の気持ちがわいてくるのではないでしょうか。


今年2013年のイエスの贖いの死を思い起こす記念式は、3月26日(火)の日没後に行なわれます。イエスの贖いの死に感謝してイエスの死の記念式に出席しましょう。





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