啓示の書の大娼婦大いなるバビロンは神の民の血に酔います
なぜこうしたことが起きるのですか
啓示の書には大娼婦大いなるバビロンが聖なる者たちや預言者やイエスの証人たちの血に酔うことになることが記されています。キリストから啓示を受けた使徒ヨハネは、「大いなるバビロン」という名が額にある大娼婦が、「聖なる者たちの血とイエスの証人たちの血に酔っているのを」見ました。(啓示17:6)
また、「彼女の中には,預言者と聖なる者たちの血,そして地上でほふられたすべての者の血が見いだされた」とも記録されています。(啓示18:24)
(1)聖書は信仰のゆえに命を奪われる神の僕がいることを認めている
聖書には、確かに、神の言葉を恐れず語るために、処刑されるクリスチャンが存在することを述べられています。啓示の書には、神の王国に入る者たちの中には、「イエスについて行なった証しのため,また神について語ったために斧で処刑された者たち」がいることが述べられています。(啓示2:13;20:4)
つまり、神やイエスについて証言するため、また、野獣や野獣の像、つまり、国家や国際組織に盲従しないために命を落とすクリスチャンがいることを聖書は認めています。(啓示20:4)
考えられるのは、多くの場合、南の王のために剣をとって戦うことを拒否するクリスチャンの中には命を落とす人がいるかもしれません。とりわけ、聖書の言葉が流血を非としていることや、聖書の預言が、世界の覇権国の移り変わりを預言していることを、南の王が喜ばないで、クリスチャンの命を奪うという事態は生じるかもしれません。(イザヤ1:15。ダニエル11:40-43)
剣を取って戦うことを拒否する良心的兵役拒否者の中には迫害される人がいるかもしれません
ですから、神に忠実を保つクリスチャンの中には少なからず、信仰のために殉教を遂げる人がいることは否定はできないでしょう。
(2)エホバ神はご自分の僕がご自分のおきてを守る時に保護を約束されています
しかしながら、聖書には、エホバ神を恐れる者たちの結果が良いはずであることが記されています。(伝道の書8:12)聖書は、神の僕たちが苦難を経験することを否定はしていません。しかし、詩編作者は、神に対して「あなたはわたしのための隠れ場であり,わたしを苦難から保護してくださいます。」と述べています。(詩編32:7)
詩編の中で、エホバはご自分に「愛情を傾け」「わたしの名を知るようになった」神の僕を「保護」し、「逃れさせる」と述べられています。(詩編91:14)また、エホバとその律法を愛する「忠節な者」また「忠実な者たち」は保護されることが述べられています。(詩編31:23;119:165)
祈りのうちに神に依り頼むクリスチャンに神の保護が与えられるのになぜ大娼婦が神の民の血に酔うようなことが起こるのですか
さらに、神の律法を守る事自体も、神の僕を守る結果になります。なぜなら、神の律法そのものは神の僕に益を与え、平和に生活し、命を守ることを意図してるからです。(イザヤ48:17。箴言3:1,2)
聖書は人に命と平和を与えることを意図して神から与えられました
神の言葉、また、神の律法は、至高の神に由来するものです。それは、単なる地上の人間の考えを超えています。(イザヤ55:9)聖書は、クリスチャンが、エホバの「おきて」を守るならば、それは、神の僕を、「保護する」とも述べられています。(箴言4:4-6)
ですから、人間的な観点で、神の律法は人間にとってプラスにならないと考えても、実際には、総体的には、神の律法を守る神の僕に平和の道を歩ませ、「長い日々」を加える結果になります。(箴言3:1,2)
(3)エホバ神はご自分の僕に知恵を与え祈りを聞いてくださる
さらに、エホバ神はご自分に依り頼んでご自分を呼び求める神の僕の祈りを聞いてくださり、助けてくださいます。(詩編46:1;62:8)知恵を与えてくださったり、み使いを送って下さって神を恐れる者に助けを与えて下さったりします。(ヤコブ1:5。詩編34:7)場合によっては、ご意志であれば、神の民に有利に事態を動かしてくださいます。(ダニエル3:25)
エホバ神は聖書を通してクリスチャンに知恵を与えてくださいます
ですから、神の僕は神に信仰を持たない異教の神を崇拝する人々よりも、だいぶ有利な立場にあります。異教の神は、確かにその崇拝者たちに力を与えることができますが、悪霊はその崇拝者たちを愛しているわけではないので、その崇拝者たちを保護することはなく、かえって害します。(ハバクク1:6-11)そして、最後は共に滅びることになります。
エホバ神から知恵を与えられ神のみ使いの助けを与えられるクリスチャンは異教徒よりも有利な立場にあります
なぜなら異教徒の神はその崇拝者を助けはしないからです
それで、大娼婦がクリスチャンの血に酔うという事態は、異常事態です。これは、クリスチャンの敵が、勝利を収める状況になってしまっていることを描写しています。
大いなるバビロンが勝利を治めるのは異常事態です
なぜ、このような事態が生じるのでしょうか。このことには、確かに神の民、油そそがれたクリスチャンの側に神の崇拝に対する不熱心さ、生ぬるさ、怠慢があることが原因にもなります。この事態が生じる原因を考察してみます。
(4)昔大祭司エリの神の律法を執行する点での生ぬるさがあった
大祭司エリは、預言者サムエルの時代の大祭司でした。エリはアロンの子イタマルの家系の祭司だったようです。エリの子孫アヒメレクは「イタマルの出」と述べられています。(歴代第一24:3)
エリは、息子たちが幕屋の女たちと淫行を犯し、エホバへの捧げ物を不敬な仕方で私用にしましたが、軽く叱責する程度で済ませました。(サムエル第一2:12-17;22)エリは、息子たちを祭司職から免職し、処刑しても当然だったでしょう。モーセの律法では、姦淫を犯す者は男女とも死刑にするべきことが規定されていたからです。(レビ20:10)
サムエルをあずかった大祭司エリは神の律法を施行する上でなまぬるかった
エリは息子の祭司たちが淫行を犯しても処罰を与えませんでした
聖書には、祭司ピネハスが荒野でイスラエル人がモアブの女たちと淫行を犯した時に、そのようにした長を自ら処刑して、エホバ神に是認されたことが記されています。(民数記25:6-13)しかし、エリは昔の祭司ピネハスのような神の律法に対する熱心さを示しませんでした。神の律法を大祭司の怠慢は、エホバにとって重大なことでした。
(5)エホバ神は大祭司エリの不熱心さのためにエリの祭司の家系の滅びを予告される
エホバはサムエルを通して、エリの息子たちが同じ日に死ぬこと、さらにエリの家を裁くことを宣言されました。エホバは、エリの「腕と,あなたの父祖の家の腕とを必ず切り落とす日が来る」と予告されました。(サムエル第一2:31)腕とは預言的に、ある人の親族や関係者です。(ダニエル11:6)ですから、エリの家系の祭司が絶えることが予告されていました。さらに、「あなたの家の大多数の者はみな人々の剣によって死ぬであろう。」とも予告されていました。(サムエル第一2:33)
エホバはサムエルを通してエリの家系の祭司の多くが剣で死ぬことを予告されました
確かに、エリに対する裁きの言葉は成就しました。フィリスティア人との戦いで、エリの息子、ホフニとピネハスは同じ日に死にました。(サムエル第一4:11)また、その知らせを聞いた日に大祭司エリも死にました。(サムエル第一4:18)
大祭司アヒメレクは、大祭司エリのひ孫でした。(サムエル第一1:3;14:3;22:9)大祭司アヒメレクは、ダビデを少し助けました。サウル王はアヒメレクがそのようにしたことを憤って、アヒメレクと他の従属の祭司たちとノブに住んでいた祭司の家族を皆虐殺しました。(サムエル第一22:18-19)
サウル王はアヒメレクがダビデを少しだけ助けたことを憤ってアヒメレクの関係した祭司たちとその家族を皆殺しにしました
しかし、大祭司アヒメレクや祭司たちやその家族に対する虐殺が生じた真の原因は、ダビデを助けたということではなく、その父祖である大祭司エリの神の律法に対する生ぬるさであり、また、その傾向がエリの子孫の大祭司に受け継がれていたことでしょう。
大祭司アヒメレクとその関係者が虐殺された真の原因は父祖のエリから受け継いだ大祭司アヒメレクの神の崇拝に対する生ぬるさでした
またサムエルの預言の成就でした
なぜなら、「あなたの家の大多数の者はみな人々の剣によって死ぬであろう」というエリに対する裁きの言葉が成就したからです。(サムエル第一2:33)エリの子孫のアヒメレクも、ある程度、霊的なことにうとく、エホバのご意志に鈍感であったことが伺えます。(サムエル第一22:14,15)
さらに、エリの家系のうちひとりアビヤタルは虐殺を生き残った後、しばらく大祭司でしたが、後でダビデの反逆者アドニヤにつきました。その時、アビヤタルに次ぐ祭司の立場にあったザドクが大祭司の地位に就けられました。ザドクは、エリとは別の家系の大祭司でした。そのため、不忠実を示したアビヤタルが大祭司の立場から退けられることにより、エリの家に対する裁きの言葉が完全に成就しました。(サムエル第一2:31)
(6)神の崇拝と律法を尊重するかどうかがエホバの保護をもたらすかどうかを左右する
エホバはエリに対して、「わたしを敬う者たちをわたしは尊び,わたしを侮る者たちは取るに足りない者となる」と言われました。(サムエル第一2:30)ですから、大祭司エリの家族の死も、その子孫大祭司アヒメレクとその関係者の虐殺も、もとはと言えば、大祭司エリのエホバの崇拝に対する不熱心さ、つまりエホバに対する侮りが、そうした結果をもたらしました。
さらに、大祭司エリのエホバの律法を守る点での怠慢さ、不熱心さが、その子孫であるアヒメレクやその従属の祭司たちに受け継がれていたのでしょう。その祭司の家族の虐殺の真因は、エホバに対する不敬、神の律法を侮ったことにありました。ですから、エホバからの保護を願うならば、エホバの律法とエホバの言葉を尊重する必要があります。
このことを考えると、大娼婦により神の民がはなはだしく命を落とす事態は、油注がれたクリスチャンの間に、神の律法を施行する点で、大祭司エリのような不熱心さや怠慢が存在するからでしょう。エホバの律法の施行に関する怠慢は、エホバの保護を失わせて、クリスチャンが命を失うという事態を生じさせるでしょう。
次回の記事で、現在の世界のキリスト教団体の中にどのような状況が見られるかを考察します。残念ながら、現代のクリスチャンたちの間に、大祭司エリのように神の律法に対する不熱心さ、生ぬるさが見られます。このことは、現代のクリスチャンから神の是認と保護を失わせ、大娼婦によって欲しいままに命が奪われる事態を生じさせるでしょう。