ヨハネのブログ―聖書の預言の希望

聖書朗読を行って聖書預言の意味について分かったことを発表しています。最近は新型コロナの実際的な対策や聖書的な対策の記事も出しています。

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迫害と流血

アルメニアを移動先として検討する・アルメニア人虐殺はなぜ起きたのか

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【見出し】
(1)銅の国の山岳部のどこに移動するかさらに検討する
(2)アルメニアの不安要素
(3)アルメニアで宣べ伝えたふたりの使徒たちタダイのユダとバルトロマイ
(4)使徒の殉教の後アルメニアに何が起きたか
(5)クリスチャンのアルメニア人は異教の帝国の支配下でどのように行動すべきだったのか





(1)銅の国の山岳部のどこに移動するかさらに検討する



 聖書は、中東と中央アジアの銅の国の山間部に大きなクリスチャンのコミュニティーが現れることを予告していると思います。では、銅の国の山岳部のどこにコミュニティーの拠点を置いたらいいのでしょうか。

 イランやトルコなどの
イスラム教圏の国々は、キリスト教の宣教をすると政府によって捕まる危険もありますし、戦闘がひんぱんに勃発するので、命を脅かされる危険があり、行くことができないと思えます。


 それで、私は取り合えず、世界で最初のキリスト教国となったアルメニア共和国に移動して宣教したいと考えました。



0Armenian_collage


Yerevanci (talk | contribs)

アルメニア人





0armenia map
アルメニアはジョージアとトルコとアセルバイジャンにはさまれた山国
 

 アルメニアは人口290万人の小さな国です。とりわけ、アララト盆地にある首都エレバンはノアの箱船が最初に降り立った山で有名な高さ5,165メートルのアララト山を見上げる位置にあります。(創世記8:4)

    箱船の山アララト山をいつも眺めて暮らすことは、きっと信仰を鼓舞する経験となることでしょう。



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アルメニアの首都エレバンから見たトルコのアララト山




  でも、調べてみるとアルメニアでは、紛争が今後とも勃発しかねないことが分かりました。





 アルメニアは治安の点で不安要素があります。19世紀後半にアルメニア人は、オスマン帝国の支配に反発して、トルコ人民族主義者との対立が激化しました。

 そのため、20世紀初頭に至るまで多くのアルメニア人が虐殺され、生き残ったアルメニア人も多くは欧米に移住するかロシア領に逃げたのだそうです。


 それで、アルメニアは、隣国トルコに対して平和を保つ努力をしているものの、強い反感を抱いていて、トルコとの関係が緊張して紛争に巻き込まれる可能性も皆無ではありません。

 さらに、1988年にも隣のアゼルバイジャンにあるカラバフ自治州アルメニアに帰属を求めるアルメニア人の運動が起こり、これに反発したアゼルバイジャンと衝突し、両国の間の本格的な紛争があったそうです。アゼルバイジャン人との紛争は現在も続いているようです。

 その後、1991年にソ連邦が解体して、アルメニアは、ソ連から独立しました。

 しかし、1999年10月には、国会内で首相、国会議長など8名が死亡した銃撃事件が起こったそうです。政府が十分治安を保てない状況にあることが分かります。


 それで、アルメニアは、トルコとの平和な関係に努力をしているとは言え、トルコやアセルバイジャンとの軍事紛争が起きる可能性があり、しかも、国内でも政治問題のために、治安が非常に悪化する可能性があります。

 もちろん、わたしはクリスチャンのアルメニア人が虐殺されてしまったことを気の毒に思います。しかし、このことは、アルメニアの人々がキリスト教国にもかかわず、殺人や流血を避けるという決意、神の是認を求めて神に忠実を保つ気持ちが少し弱いことを意味しているかもしれません。


 しかし、サウル王がイスラエル人の中で神に奉仕していたギベオン人を不当にも虐殺して絶滅させようとしたことをエホバ神が不快に思われてイスラエルに三年間飢きんをもたらしたことがありました。(サムエル第二21:1-6)ですから、確かに神の目に不当な虐殺も起こり得ることが分かります。
 

 しかしながら、聖書の中では、一見、不当に見える大勢の人々の虐殺が起きた事例を調べると、それらの人々の霊的な状態がとても悪かったために、神がそれが起きることを許された事例もありました。(サムエル第一22:18,19;2:31-33;3:11-14)

 それを今日、神の目に正しく判断するのは、事情を良く調べないととても難しいと思います。


 でも、アルメニアで、紛争が起こるならば、わたしも他の土地に逃げることを強いられる難民にならなければならない可能性があるかもしれません。




 アルメニア共和国は、昔、アレクサンドロス大王の四人の将軍の1人セレウコスの王朝によって西暦前二世紀には支配されていたという証拠が残っています。ですから、確かに銅の国の一部です。


  しかも、アルメニアは国土の90%において標高1,000 - 3,000メートルの山国です。確かに「山」です。


 また、アルメニアは西暦301年世界で最初にキリスト教国となりました。そのようになったきっかけは、伝承によると、1世紀頃には十二使徒のタダイと呼ばれたユダとバルトロマイがアルメニア宣教したからです。

 タダイとバルトロマイは、マタイによる書のなかで十二使徒の名前として挙げられています。(マタイ10:3)



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イエスの親族で十二使徒のひとりのタダイのユダはアルメニアで宣教した



 タダイと呼ばれたユダは、イエスに従った婦人の一人クレオパの妻マリアの子であったと言われています。クレオパはイエスの初期の弟子のひとりでした。(ルカ24:18)


 またクレオパの妻マリアはイエスの母マリアのいとこだったそうです。それで、タダイのユダは、イエスの親族であったと考えられています。

 このタダイと、『ルカによる福音』において「ヤコブの子ユダ」と記された人物は、伝統的に同一人物のものとして解釈されているそうです。(ルカ6:16)

 しかし、もし、タダイはクレオパの子なのですから、別名ヤコブの子であるとすると、ヤコブとはクレオパの別名ということになります。それが正しいのかどうか分かりません。

 もしかしたら、タダイのユダがクレオパの子であるという言い伝えが間違っているのでしょうか。聖書に明記されていないことは、言い伝えも勘違いは起こるかもしれません。

  主の兄弟とされるユダについては、ペルシャで殉教したとする伝承もあるそうです。


  もうひとりのバルトロマイ(Bartholomew)に関する有名な言い伝えによると、彼はインドに福音を宣べ伝えた後、大アルメニアに行き、タダイのユダと一緒にキリスト教を伝えました。

 ヨハネによる福音書の弟子のリストでバルトロマイの名前はなく、代わりにナタナエルという人物があげられていることから、伝統的にバルトロマイの本名がナタナエルであるという見方がされています。(ヨハネ21:2)これは論理的に言って正しいかもしれません。

 ナタナエルは、イエスからその人となりがほめられている人です。ナタナエル、すなわちバルトロマイも信仰に熱心な人で、イエスからほめられたことにたがわず、確かにイエスの天への昇天後、熱心な宣教を行いました。


 
2世紀にはアルメニア高地の各地にキリスト教徒がかなりの数に上ったとカエサレアのエウセビウスは伝えています。(『教会史』)


 このタダイのユダとバルトロマイの二人は、アルメニア使徒教会の守護聖人とみなされています。

 彼らは、アルメニアの王でさえ改宗させて、多くの改宗者を作りました。それで、四世紀の初めには、アルメニアはキリスト教を公式に国教として採用しました。


 しかし、ひとつの言い伝えによると、使徒バルトロマイは、アルメニアのアルバノポリス(クリヤ)で、生きたまま皮をはがされ首討ちの処刑をされたそうです。


 他の伝承によると、アルメニアの王を改宗させたために、バルト
ロマイは、さかさまにはりつけされて殉教したとされています。



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イエスから高く評価された使徒バルトロマイはアルメニアで効果的な宣教をして残虐な仕方で殉教を遂げた


 
 それで、さまざまな言い伝えからすると現在のアルメニア、あるいはその周辺でバルトロマイが残虐な仕方で殉教したのは史実だと思います。


 諸国民の間でも、こうした残虐な仕方で、キリスト教の宣教者を殺害するのは比較的にまれではないかと思いました。キリスト教の宣教者、それも、イエス・キリストと直接かかわりのあった十二使徒のひとりを、それも非常に残虐な仕方で扱うというのは、真っ向からエホバ神とイエスに敵対しています。

 聖書は、土地柄というものが確かに存在することを述べています。アルメニアは、イエスの直弟子ふたりの証言を聞くという特権に恵まれましたが、熱心に宣教を行った十二使徒たちを迫害して少なくともそのひとりを残虐な仕方で殺害しました。

 イエスの直弟子の話を聞くこと以上に効果的な証しを聞くということはないのではないかと思います。


 でも、おそらく、イエスの使徒たちが宣べ伝えて改宗したアルメニア人のクリスチャンたちにもアルメニアの人々は同じ扱いをしたのではないでしょうか。確かにバルトロマイによって改宗した王やその娘が殺されたと言い伝えられています。

 わたし"ヨハネ"は決して、イエスの十二使徒たちに勝っていないと思います。イエスの十二使徒たちから、イエスについての話をその直弟子から直接に話を聞くくらい信仰を鼓舞する経験はないでしょう。それなのに、アルメニアの人々は、バルトロマイに残虐な扱いをしました。

 アルメニア人が、先祖のやり方を受け継いでいるとしたら、わたしがアルメニアで、神の言葉を自由に宣べ伝えたら、反動で厳しい迫害を受ける可能性もあるかもしれないとも思いました。





 エホバ神は、アルメニアの子孫に対して怒りを抱かれないだろうかと思いました。 (出エジプト20:5,6)エホバ神は、何十年何百年も生きておられるので、ある出来事をずっと覚えておられます。忘れはしません。


 13世紀になってバルトロマイの殉教に地とみなされているバスプラーケン( Vaspurakan, Greater Armenia トルコの南東)に有名な修道院が建設されたということです。

 エホバ神が過去にイスラエルを扱われた仕方から考えて、アルメニア人の子孫は、後になって先祖が殺害した預言者の記念となる墓や修道院を建てても、何にもならないのではないかと思いました。先祖が犯した預言者を殺害した罪の報いを刈り取ることは免れられないかもしれないと思いました。


 イエスが、このように言われたことがありました。「偽善者なる書士とパリサイ人たち,あなた方は災いです! あなた方は預言者たちの墓を建て,義人たちの記念の墓を飾りつけて, こう言うからです。『我々が父祖たちの日にいたなら,彼らと共に預言者たちの血にあずかる者とはならなかっただろう』と。

  それゆえあなた方は,自分が預言者たちを殺害した者たちの子であることを,自ら証ししているのです。それなら,あなた方の父祖たちの升を満たしなさい。」(マタイ23:29-32)

 そして、イエスが言われた通り、代々預言者を殺害してきたエルサレムのユダヤ人たちには、エホバ神の激しい怒りが臨みました。

 イエスは、「義なるアベルの血から,あなた方が聖なる所と祭壇の間で殺害した,バラキヤの子ゼカリヤの血に至るまで,地上で流された義の血すべてがあなた方に臨む」と、一世紀のご自分に敵対したユダヤ人たちに言われました。(マタイ23:35)それは、アベルやゼカリヤの殺害から、何百年も経ってからイエスが殉教された1世紀に起きました。


 一世紀のイエス・キリストと彼の追随者のクリスチャンたちに対する迫害と流血の後、西暦70年には110万人のユダヤ人がローマ軍によって殺されることになりました。(マタイ23:35)


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預言者たちとイエスとイエスの弟子たちを殺害したエルサレムのユダヤ人に西暦70年に恐ろしい滅びが臨んだ



   確かに、エホバ神はご自分に忠実な預言者たちが残虐な仕方で殺されたことについて黙ってはおられませんでした。確かに復しゅうをされました。「復しゅうはわたしのもの,わたしが返報する」とエホバ神は言われています。(ローマ12:19)

 ある場合は、数十年後、ある場合、何百年も後になりましたが、エホバ神は確かにご自分の忠実な弟子たちの殺害を大目に見ることはなく復しゅうをされました。

 大アルメニア王国は、西暦前一世紀に設立されていました。そして、一世紀にイエスの直弟子がアルメニアで宣教しました。アルメニアに信者は増えたのですが、アルメニア人の偶像崇拝者は、イエスの直弟子を殺害しました。

 その後、大アルメニ王国は西暦四世紀初頭に、キリスト教を国教にして、一時的に繁栄しましたが、ローマ帝国によって滅びました。その後も、アルメニア人は、周囲の帝国に圧迫されて、国家として、独立したり滅びたりを続けました。


 さらに、小アルメニア王国が建設されましたが、オスマン帝国によって、再び滅びてしまいました。アルメニアは国家として建国したり、周囲の大国によって国家としての自立を失ったりを繰り返しています。

 アルメニア人は、オスマン帝国の各地で、暮らすことになりました。そして、商活動により、物質的に繁栄したコミュニティーを作りました。

 そして、アルメニア人は、
宮廷、中央官庁に仕える者も多く、イスラム教のオスマン帝国内で、
中央政府と共存共栄する共同体でした。アルメニア人が、異教の国の支配の下で謙遜に服して、平和的に共存するのは良いことだったのではないかと思います。


 アルメニア人はオスマントルコに服する立場にとどまっていれば良かったと思います。でも、アルメニア人は、西ヨーロッパ諸国やロシア帝国の支援を受けて、アルメニア人の間で民族主義が高まっていきました。

 そして、民族主義に染まったアルメニア人の中には、オスマン官吏を狙った爆弾攻撃を行って抵抗する者たちが現れ始めました。クリスチャンが、そのようにすることは、とりわけ、イエスの教えから離れていることですから、非難されるべきことではないかと思います。


 それで、トルコ人やクルド人の間で、アルメニア人を国内にありながら外国と共謀して「テロ」を行う危険分子と見なす敵愾心が強まりました。そのために、何度かのアルメニア人の虐殺が起きることになりました。

 
 そのため、十九世紀から二十世紀の変わり目に何度もアルメニア人虐殺がトルコにより行われ、アルメニア人の死者数は、一般的に100万から150万人の間であると考えられています。

 これは、決してエホバ神がご自分の民を守る力がないのではなく、エホバ神はアルメニア人の先祖が犯した罪に対して責任を問われた部分があったのではないかと思いました。

 すなわち、1世紀あるいは2世紀のイエスの使徒たちを殺害したことに対するエホバ神の復しゅうだったのではないでしょうか。


 
さらに、アルメニア人が聖書の中でクリスチャンに対する迫害があった時に、イエスが言われた物事の解決方法に頼らなかったので起きたと思います。





 アルメニアは世界で最初のキリスト教国を作って一時は大いに繁栄しました。でも、ローマ帝国によって大アルメニア王国が滅ぼされてしまったために、アルメニア人は、各地に離散しました。でも、異教徒に寛容なペルシャ王朝のもとで繁栄していました。


 聖書の中でも、エホバ神を崇拝していたユダヤ教のエステルやモルデカイなどがペルシャの王権に服し協力して平和に過ごし繁栄していたことが記されています。(エステル9:29-31;10:2,3)

 そして、箴言にも、「我が子よ,エホバと王を恐れよ。変化を求める者たちと掛かり合いになるな。 彼らの災難は余りにも突然に起こるので,変化を求める者たちの消滅にだれが気づくであろうか。」という言葉があります。(箴言24:21,22)

  それで、王が異教の政権であっても、軍事的に蜂起したり、暗殺などの方法で政権の転覆を求める人は突然の消滅というような災難が起きると警告されています。


 モルデカイもエステルもこの聖書の箴言の言葉を知って従っていたはずです。ですから、エステルやモルデカイがペルシャ帝国の中で特権を与えられたとしても、ユダヤ人たちはペルシャを倒して、自分たちが政権をとったり、ペルシャをユダヤ人の王国にしようとは考えなかったのです。

 さらに、ペルシャ政府の役人だったハガイやネヘミヤもペルシャの支配権に服して、ペルシャの王と協力してエホバの崇拝を推進しました。

 さらに、1世紀にイエスは、ローマ帝国の支配下にあったユダヤ人に対してローマ帝国に対して反抗して剣をもって戦うことを戒めました。

 イエスは剣をとって戦ってご自分の捕縛を妨げようとしたペテロに対して次のように命じられました。「剣を元の所に納めなさい。すべて剣を取る者は剣によって滅びるのです。」(マタイ26:52)




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イエスは剣をもって戦ってご自分を守ろうとしたペテロに剣を用いて戦うことのないようにと戒められた



 クリスチャンは、剣をとって戦って他の人を傷つけたり、殺したりすることを禁じられています。そして、ローマ帝国にふさわしい税金を払って平和的に服するようにと勧めました。(ローマ13:7)


 また、イエスはピラトに証言された時に、ご自分の王国が「この世のもの」ではないと言われました。


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クリスチャンの王国は目的を達成するために剣で戦うことはしない





 そして、「わたしの王国がこの世のものであったなら,わたしに付き添う者たちは,わたしをユダヤ人たちに渡さないようにと戦ったことでしょう。」と言われました。(ヨハネ18:36)


 戦争をして戦闘能力で強い者が政権を奪取するのは、サタンの世の王国の方法です。しかし、イエス・キリストはクリスチャンに対して武力をもって政権を奪取するというようなことを決して勧めなかったのです。

 イエスの追随者たちは、王国の良いたよりを宣べ伝えることにより、エホバ神とイエスキリストに従って平和的に生活します。


 イスラエルが神との特別な契約関係にあった時には、イスラエルは異教の諸国家と戦って政権を確立しました。


 でも、イエスが到来された後は、特定の国家、もしくは特定のグループが軍事力によって政権をとることはクリスチャンに勧められませんでした。


 人々がどこの国家や民族に属していようと、まず、第一にエホバ神とイエスに従い、第二に自分が生活している地域の人間の上位の権威に従うことによって、神の取り決めに従うのが、クリスチャンのやり方です。

 
聖書はクリスチャンに対して、次のように勧めています。

「すべての魂は上位の権威に服しなさい。・・・ したがって,権威に敵対する者は,神の取り決めに逆らう立場を取っていることになります。それに逆らう立場を取っている者たちは,身に裁きを受けます。」(ローマ13:1,2)


 ですから、上位の権威が、宗教が異なり異教であっても、軍事クーデターや暗殺などによって上位の権威に逆らう立場をとることのないようにと助言されています。聖書は上位の権威に服するようにと勧めています。

 
 ですから、聖書は、クリスチャンが離散して異教のある帝国のもとで暮らしている場合、その中で独立して国家を作ることを勧めてはいません。キリスト教の国家を建設する必要はありません。

 現存する上なる権威の王に軍事的に反抗するようなことは勧めていません。かえって王を恐れるようにと勧めています。

 年長者たちの話し合いや投票などで政権に立つ人を平和的に決めたりなど物事を決めるという方法は、聖書の中で認められている方法だと思います。

 さらに、権威のある人にお願いをするという平和的な方法も認められています。(ルカ18:2-5)

 神の王国の希望を持っていたアリマタヤのヨセフは、イエスを処刑するという行動をする投票をしないことによって自分の立場を明らかにしました。(ルカ23:50,51)聖書は自分の立場を表明する方法として投票を容認しています。

 それで、投票が行われて民主的な方法で物事が決められていくことに聖書は反対していません。民主的な方法で、イエスを死刑にすることが決められたとしても、イエスはそれに武器をとって反対しようとはされませんでした。

 「助言者が多いところには、救いがある/達成がある」という言葉があります。(箴言11:14;15:22)「相諮ることによって計画は堅く建てられる」とあります。(箴言20:18)ですから、ひとりで決めるのでなく、複数で話しあって決める方が成功につながりやすいと聖書は述べています。

 ですから、委員会や議会で平和的な話し合いで政策を決めていくことも聖書は認めています。

 聖書はそのような平和的な方法で物事を決めて進めていくということは認めていますが、武力や権力で、血を流して無理やり政権を奪ったり運営することは勧めていません。

 では、もし、クリスチャンがどこかの都市で迫害されたり、軍事攻撃を受けて命を脅かされるなら、どうしたらいいでしょうか。イエスは、「人々がある都市であなた方を迫害するときには,別の都市に逃げなさい。」と助言されています。(マタイ10:23)

 ですから、フランスのビシー政権がナチスが攻撃してきた時に、パリから逃げ出しましたが、それは聖書にも調和していました。そして、結果的にフランスは国家が滅亡することもありませんでした。


 それで、どこか外国あるいはどこかの人々により、迫害されたり、軍事攻撃を受けるならば、それらの軍隊あるいはグループに軍事的に立ち向かうのではなく、その場所から他の場所に逃げることをイエスは助言されています。

 これが、殺人という神に対する罪を犯さない方法です。命さえあれば、また、別の土地で、新しい生活を築くこともできます。以前よりももっと自由で産出的な生活を送れるかもしれません。

 それで、異教の人々から迫害や攻撃を受けても、向かい打って戦うことなく、共存共栄するか、あるいは逃げて平和に過ごす生き方を聖書は勧めています。

 でも、アルメニアではそのような方法がとられることなく、聖書で勧められていない方法が取られてきました。その結果、キリスト教国家が設立されて滅びるということが歴史の中で繰り返されています。

 ですから、わたしがアルメニアに行くと同じことがまた起きて、わたし自身が難民にならなければならなかったりするかもしれないと思います。
 
 
 それで、とりあえず、アルメニア以外の国々、中央アジアやその他の中近東の国々や地域も移動先として検討してみたいと思います。 

 

 









 



 


全能神教会を初めクリスチャンに対する迫害を続ける中国政府にお勧めしたい事

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【見出し】
(1)全能神教会などのキリスト教のグループに迫害を続けている中国
(2)エホバに逆らった方策が一見してうまくいっても結局うまくいかなかった古代エルサレムの例
(3)正教会の聖職者たちを大々的に殺害してレーニンは病死しソ連邦は15の共和国に分裂
(4)日本全国を統一した豊臣秀吉はクリスチャン迫害の命令の1年後に病死した
(5)日本は太平洋大戦の時に神道崇拝に邁進してクリスチャンを迫害し日本の国土の荒廃を招いた
(6)迫害をやめて神の怒りを退けるようにという中国政府に対するお勧め


(1)全能神教会などのキリスト教のグループに迫害を続けている中国

 全能神教会のサイト、また、全能神教会の迫害について報告しているBitterWinterのサイトを見てみると、全能神教会また他の教会に対する中国政府の迫害は続いているようです。

 ですから、中国政府は、クリスチャンに対する迫害を続けながら、神を無視した仕方で、新型コロナを抑え込んでいるようです。

 中国政府は、新規の感染者が現在出ていないと主張しています。対処が物理的にとても良いものであれば、一時的に感染を抑え込むということができるのかもしれません。

 例えば、中国の北京が半袖でいいくらいになっているとすでに数十日前に報道で聞きました。ですから、中国政府も、おそらくハープを持っているはずなので、感染がとどまるような状況を人工的に作ったのかもしれないと想像したりします。もちろん、これはわたしの想像だけで根拠はありません。

 でも、
エホバを無視しした物理的な方法で、一見してうまくいったように見えても、それは結局知恵にはなっていなかったということが、いずれ分かることになると思います。

(2)エホバに逆らった方策が一見してうまくいっても結局うまくいかなかった古代エルサレムの例


 例えば、昔エルサレムがバビロン軍に軍事的に包囲されたことがありました。エホバ神は、預言者エレミヤを通してユダの王ゼデキヤにバビロンに投降するように勧めました。

 そうすれば、命が奪われることはないし、エルサレムの都市が焼かれることはないと保証しました。(エレミヤ38:2,17,18)


 ところがゼデキヤ王は、エホバ神が預言者エレミヤを用いて勧めた解決策が気に入りませんでした。バビロンの前に身を低くするのがいやだったんだと思います。

  また、ゼデキヤ王は、バビロンにすでに捕らわれになっているユダヤ人たちからひどい扱いを受けるのではないかという心配をしていたので、預言者エレミヤを通して与えられた神の勧めを行えなかったのかもしれません。
(エレミヤ38:19)


 ゼデキヤ王は、愚かにもエホバ神が勧めない方法に頼りました。エジプトに援軍を頼みました。(イザヤ31:1。エゼキエル17:15)それで、エジプトはユダのエルサレムまでやってきました。すると、バビロン軍はエルサレムの包囲を解いて、引き上げたのです。


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エホバ神はエジプトやその馬に頼らないようにと命じられたがゼデキヤ王はエジプトの援助に頼り一時的にはうまくいった




 
 それで、ゼデキヤ王が、バビロンの攻撃を免れるために、エホバ神に逆らって行った方策がうまくいったように見えたことがあったのです。しかし、それは、一時的でした。結局はうまくいかなかったのです。

 
エホバを無視した解決策は必ず、うまくいきません。エホバに逆らっては,知恵も,識別力も,計り事もありえない。」とあります。(箴言21:30)


 エホバ神は預言者エレミヤにゼデキヤ王にこのように言うようにと言われました。 「見よ,援助のためにあなた方のところに出て来るファラオの軍勢は,自分の地であるエジプトに帰らなければならなくなる。そしてカルデア人は必ず戻って来て,この都市と戦い,これを攻め取り,これを火で焼くであろう」(エレミヤ37:7,8)


 預言者エレミヤが言ったように、やはり、エジプト軍はエジプトに戻り、再びバビロン軍がエルサレムを包囲しました。(エレミヤ39:1,2)

 そして、エルサレムの防備は破られ、バビロン軍がエルサレムを破ってエルサレムの中に入ってきて、ゼデキヤは逃げましたが捕らえられ、ゼデキヤの子供たちと高官たちを皆殺して、エルサレムを焼いてしまいました。(エレミヤ39:6-8)


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ゼデキヤ王は神が非とされた方策に頼り一時的にうまくいくように見えたが結局エルサレムはバビロン軍によって焼かれてしまった



 ですから、エホバ神の勧めに逆らった方向に行動し、何らかの対策が、表面上うまくいっているように見えるかもしれません。しかし、それは一時的でしょう。もうすでに述べましたが、クリスチャンに対する迫害を続けているなら、次の国難が中国を待っていると思います。

 それは、わたしには何かは分かりません。寒くなれば、新型コロナの流行が再燃することかもしれませんし、次のさらに強力な疫病の流行が中国を襲うかもしれません。あるいは、他国との関係が悪化して戦争に巻き込まれるかもしれません。


(3)正教会の聖職者たちを大々的に殺害してレーニンは病死しソ連邦は15の共和国に分裂

 
レーニンは、マルクス主義的無神論者で、1922年3月19日ロシア正教会の弾圧を指示しました。さらに、ロシア正教会の聖職者を大々的に迫害して殺害しました。スターリンもそのクリスチャン迫害政策をレーニンから受け継ぎました。


 レーニンは、さらに、ウクライナ正教会グルジア正教会も弾圧しました。レーニンは後に、「宗教は毒酒である」と語りました。聖書の生ける神を信じていなかったのです。


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1920年のレーニン
彼はクリスチャン弾圧の指令を出した
1922年から2年経たないうちに53歳で若くして亡くなった








 上記のソ連でのクリスチャンの迫害の項目によると、1917年から1935年の間に、13万人のロシア正教会の司祭が逮捕され、9万5千人が銃殺刑に処されました。なんと残酷で、神を侮る行いが行われた事でしょう。

 さらに、英国のジャーナリストによると、ボルシェビキ革命の最初の5年間に、28人の主教と1215人の司祭が処刑され、
最近発表された証拠は1922年には、8000人以上が殺されたということを示しています。

 レーニンは1921年末から健康状態を悪化させ、1922年3月頃から一過性脳虚血発作とみられる症状が出始めました。5月に最初の発作を起こして右半身に麻痺が生じ、何度か発作が起き職務から離れました。

 彼の場合は、弾圧を指示した時からすぐに健康状態が悪化しました。弾圧を指示した約一年後に3度目の発作が起きるとレーニンは
右半身が麻痺し、もはや話すことも筆記能力も失い廃人同然になりました。

 弾圧を指示して、2年も経たない1924年1月20日に4度目の発作を起こして翌1月21日に死去しました。レーニンの死因は公式には大脳アテローム動脈硬化症に伴う脳梗塞とされています。


 の翌日に行われた病理解剖では、脳や心臓の各所の動脈の硬化・閉塞が認められ、左脳の大半は壊死して空洞ができていました。

ウラジーミル・イリイチ・レーニン



 しかし、レーニンの後継者スターリンの支配の間も、教会に対する迫害は続きました。1937年から1938年の粛清の間に、教会の記録資料によると、168300人のロシア正教会の聖職者が逮捕され、このうち、106300人が銃殺されました。

 このようなことがご自分に信仰を抱く人々に起こることをどうしてエホバ神は許されたのでしょうか。しかし、エホバ神は見ておられるので、ソ連邦を黙ってそのままにはしておかれることはしないでしょう。

 
結局、レーニンがクリスチャンの大々的な弾圧を指示してから69年後、ソ連は1991年12月にソ連共産党は解散してひとつの連邦は15の連邦構成共和国に分裂してしまいました。

 
レーニンとその後継者のスターリンは、共産主義の革命を起こし、絶大な権力を誇りました。レーニンが短期間で病死することや、後になってあの強大なソ連邦が崩壊することなど誰が予見することができたでしょうか。

 ソ連邦が崩壊してしまった時に、全世界はたいへん驚かされたと思います。今になってわたしは思いますが、聖書の神エホバのみ手が働いていたと思います。


 レーニンの後の世代で、ソ連の諸国家は彼の決定の結果を経験したと言えるかもしれません。



ソ連崩壊後の独立した連邦構成共和国
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 聖書の中には、永遠に生きておられるエホバが、ご自分についてこのように述べられています。

 「わたしエホバは・・・わたしを憎む者については父のとがに対する処罰を子にもたらして三代,四代に及ぼし,わたしを愛してわたしのおきてを守る者については愛ある親切を千代にまで施すからである。」 (出エジプト20:5,6)

 エホバ神はその国家の先祖がクリスチャンたちにどんなことをしたかを覚えておられます。人間が何かをしなくてもエホバが覚えておられて事を取り計らわれるのです。 

 ですから、このようなことはクリスチャンを迫害している中国にも起き得ると思います。中国が分裂してしまうという事も何年あるいは何十年もの時間が経てば起き得ると思います。

(4)日本全国を統一した豊臣秀吉はクリスチャン迫害の命令の1年後に病死した

 日本の豊臣秀吉というのは、日本国内を統一して、日本の戦国時代を終わらせた武将です。豊臣秀吉は、とても有能な武将でした。日本では、戦国武将の中で、一番有名だと思います。


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豊臣秀吉はとても有能な武将だったがクリスチャンの迫害を命じた次の年には病死した


 彼は、朝鮮まで兵を送りました。豊臣政権は、クリスチャンを迫害していた時は、権力の絶頂期で、彼は大阪城を建て、物質的な繁栄を謳歌していました。


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豊臣秀吉はクリスチャンに対する迫害を命令する前は大阪城を建てて権力と繁栄をほしいままにしていた



 豊臣秀吉は、クリスチャンに対する迫害を命令して朝鮮に出兵しましたが、その次の年には病死してしまいました。彼自身は仏像のたたりで病気になっていると考えました。表面的に見える状況はエホバによって変化しえると思います。

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秀吉は自分は仏像のたたりを受けて病気になったと考えた


 日本は、太平洋世界大戦の時に、神道と天皇崇拝をまっしぐらに推進していました。そして、日本と韓国にいるクリスチャンたちに天皇崇拝を強要して迫害していました。

 その結果、日本全土の200以上の都市が空襲を受け、被災人口は970万人に及びました。30万人以上の死者、1,500万人が家を失ったとされています。

 長崎と広島に原爆が落とされて、広島では、9万 - 16万6千人が被爆から2 - 4か月以内に死亡し、長崎では、人口24万人(推定)のうち約7万4千人が死亡することになったとされています。

 日本政府は神道の神を高めて、クリスチャンを迫害したので、その報いを受ける結果になりました。


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東京大空襲の直後1945年3月10日
日本は太平洋大戦中神道の神と天皇に対する偶像崇拝に邁進しクリスチャンを迫害したために災いを被った



 今、中国政府は、エホバ神に敵対してクリスチャンを迫害して共産主義、あるいは社会主義の推進に邁進しています。太平洋戦争前、また戦争中の日本と同じです。ですから、日本に起きたのと同じことが中国にも起き得ると思います。



(6)迫害をやめて神の怒りを退けるようにという中国政府に対するお勧め

 全能神教会は、中国政府を悪魔サタンであると主張しています。わたしは全能神教会のその教理は間違っていると思います。ですから、中国政府が今の体制が続いている間、倒壊することが決まっているわけではありません。

 しかしながら、中国政府が、全能神教会やその他の家庭教会、エホバの証人や地下教会を迫害し続けるならば、新型コロナの流行を抑え込んだかに見えても、全能の神のみ手によってやはり、中国に災いが起き得ると思います。時間はかかるかもしれませんが。

 それは、過去と現代の歴史が示していると思います。生ける神が存在されるからです。

 わたしは中国政府に、実際の歴史の中で起きたことと、聖書の言葉を考慮なさって聖書の神エホバに敬意を払うことをお勧め致します。

 






 



 




金正恩の死ーエホバ神は北朝鮮の迫害されたクリスチャンたちのための祈りを聞いてくださる?

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【見出し】
(1)わたしヨハネが金正恩氏にお願いした事

(2)金正恩氏に関する最近のニュース
(3)北朝鮮のクリスチャンたちの解放のために祈りは捧げられ続けられていた
(4)エホバ神への祈りのゆえにみ使いが迫害者ヘロデ王を撃った
(5)どんな強大な権力を持つ独裁者であっても人間は草のようにはかなく弱い
(6)エホバ神のみ使いは強力でどんな強大な権力を振るう独裁者も立ち向かえない
(7)強大な権力を持つ支配者を存在させ続けるか疫病でぬぐい去るかはエホバの手のうちにある
(8)エホバ神が裁き主であられるので神の民を親切に扱ってエホバの好意を求めるのが一番賢明





(1)わたしヨハネが金正恩氏にお願いした事


 わたし"ヨハネ"は、何年も前から北朝鮮の強制収容所で非人道的な行いがされていたことを知ってはいましたが、それにクリスチャンが巻き込まれていたのを知りませんでした。

 それで、そのことを比較的に最近、数か月前に知り、
国家の経済的な復興のために良い努力をしている金正恩委員長に、クリスチャンに対する迫害を続けると、エホバ神の怒りを買う恐れがあることをお伝えしました。

 それで、聖書中にも過去においても、クリスチャンを迫害した政治指導者が比較的に短期間に命を失っていることをお知らせしました。そして、強制収容所のクリスチャンたちを開放して、親切にしてくださることをお願いしました。



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わたしヨハネは金正恩委員長にクリスチャンを強制収容所の迫害から解放してくださるようお願いしました




 その記事を出したのが、2019年の年末くらいだったと思います。

北朝鮮の金正恩委員長にお知らせしお願いしたい事( 日付2019/12/26)

最近の北朝鮮でのクリスチャンたちの状況とこのことを知るクリスチャンたちが神に祈ってくださるようにというお願い




(2)金正恩氏に関する最近のニュース


 そして、最近知ったニュースですが、ある中国の医療関係者の話によると、金正恩委員長が、心臓発作で倒れて、心臓ステント手術を受けられました。ステント手術とは、熟練した医師だと一分もかからないそうです。


 でも、執刀した北朝鮮の心臓外科医師が、緊張のためにその手術に時間が余計にかかり、ステントを入れるのに八分もかかってしまって、金正恩委員長が植物人間状態に陥っているというニュースです。

手術を受けて「植物人間化した」…?


 

 このニュースは、正確なニュースであることが確証される必要があると思います。また、金正恩委員長は、回復していかれる可能性もあるのかもしれません。


 トランプ大統領は彼が良くなることを願っていると言われました。でも、まだ、金正恩委員長が公に現れないという状況を見ると、氏は、まだ、重篤な病状にあるのかもしれません。


 わたしは、北朝鮮の強制収容所に入れられて残虐な扱いを受けている兄弟たちがとても気の毒に思いました。彼らは、わたしが信じていることと異なることを信じているかもしれませんが、それでも、迫害下で、熱心に神への信仰を保っておられます。しばらく、私はずっと北朝鮮の兄弟たちが自由にエホバを崇拝できるように祈っていました。


 そして、最近もネットを通して、金正恩委員長が北朝鮮の強制収容所に入っているクリスチャンたちが強制収容所から解放されるよう取り計らった形跡があるかどうかを調べましたが、そのような形跡は何も見当たりませんでした。


 もし、北朝鮮の強制収容所からクリスチャンたちが解放されるなら、彼らは当然神に感謝して、神に賛美の声を挙げるはずです。そのような声のニュースもyoutubeもどこにも見当たりませんでした。それで、金正恩委員長はわたしのお願いは無視されたようです。


(3)北朝鮮のクリスチャンたちの解放のために祈りは捧げられ続けられていた


 それで、北朝鮮のクリスチャンたちに厳しい迫害は続いていたようです。でも、北朝鮮の強制収容所に入れられているクリスチャンたちのために、祈りは捧げられていたと思います。


 それで、エホバ神は、そのことを黙って見過ごし続けられないと思います。エホバ神にとってご自分に助けを叫び求めるクリスチャンは大切な存在だからです。


 そして、エホバ神は、わたしたちクリスチャンの神に助けを求める祈りを無視はされません。詩編には、「神は,すべてのものを奪われた人たちの祈りを必ず顧みてくださり,彼らの祈りをさげすまれません。」とあります。(詩編102:17)


(4)エホバ神への祈りのゆえにみ使いが迫害者ヘロデ王を撃った


 一世紀も、エルサレム会衆の長老団の主要な人物であったヤコブがヘロデ王によって剣で殺害されました。(使徒12:2)その後、使徒ペテロが捕まり、初期クリスチャンたちは、皆でペテロのために熱心な祈りを続けていました。(使徒12:3-5)会衆は迫害に関してさまざまなことを祈っていたかもしれません。



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初期クリスチチャンはヤコブの死やペテロの捕縛に直面して会衆で熱心に神に助けを祈った


    その後、まもなく、ヘロデ王が演説をした時、彼は、神のような賛美を受けても、神に栄光を帰しませんでした。それで、み使いがヘロデ王を撃ったと聖書は述べています。表面的には、彼は、虫に食われて死にました。(使徒12:21-23)


   それで、金正恩委員長の件でも、み使いが関与したのかもしれません。


(5)どんな強大な権力を持つ独裁者であっても人間は草のようにはかなく弱い

 どんな肉の人間も、草のようにはかなく弱いものです。ペテロ第一の手紙には、「肉なる者はみな草のごとく,その栄光はみな草の花のようである。草は枯れ,花は落ちる。」とあります。(ペテロ第一1:24)これは、どんな栄光を受けている権力者でも同じです。



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Guymartin1
どんな権力者の栄光も命も短くはかなく必ず終わりを迎える



 実際、新型コロナで二十分前に普通に話していた人が命を落とす場合があります。人間はいかにかよわいものでしょう。



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Lt. Wade Miller treats a patient aboard the hospital ship USNS Mercy (T-AH 19), April 4, 2020, Los Angeles.Credit: U.S. Navy (CC BY

コロナの場合20分後普通の軽症者が亡くなることがある
人間はなんと弱くはかない存在でしょう



(6)エホバ神のみ使いは強力でどんな強大な権力を振るう独裁者も立ち向かえない


 どんな強権を振るう独裁者であっても、エホバ神に立ち向かうことはできません。エホバ神はみ使いを用いて、一撃のもとに迫害者をぬぐい去ることができます。


 み使いは、一晩で十八万五千人のアッシリア兵を打ち倒して殺すことができたので、誰も、エホバの強力なみ使いから自分の身を守ることはできません。(イザヤ
37:36,37)



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クリスチャンたちは弱小だが彼らを守るみ使いは超人間的な力を持っている
(み使いがこのような姿をしていると聖書に描写されているわけではありません)




 どんな最新の医療措置によっても、どんなに効き目のある薬によっても、エホバ神と神に率いられたイエスとみ使いたちから自分の身を守ることのできる人はいません。


   
霊者のイエスは、鍵のかけられた家の部屋の中に自由に入り込むことができました。(ヨハネ20:19)ですから、どんなに強力なシェルターによってもエホバのみ使いからみずからの身を守ることはできません。



(7)強大な権力を持つ支配者を存在させ続けるか疫病でぬぐい去るかはエホバの手のうちにある


 どんなに他の人々の上に強大な権力を振るう、非常に多くの人々の命を自分の意のままに奪うことができる独裁者であっても、ただの肉の人です。エホバ神に撃たれるならば、一日で命を落とします。


 エホバはモーセを通して強大な権力を振るっていて多くのエジプト人の目に神のようであったファラオに対して、次のように言いました。

 「わたしはすでに手を突き出してあなたとあなたの民を疫病で撃ち,それによってあなたを地からぬぐい去ることもできたであろう。だが,実際には,この目的のためにあなたを存在させておいた。」と言われました。(出エジプト9:15,16)



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エホバ神はファラオを疫病でぬぐい去ることもできたが考えがあって存在させておいた


   エホバ神は望まれるならば、どんな独裁者であっても、一撃で命を奪うこともできますが、目的があって生き永らえさせる場合があります。それはエホバ神にお考えがあって、そうされているからに過ぎません。


 どんな人であっても、エホバ神の掌の上にあり、エホバ神はその人の運命と生死を即座に決められます。エホバ神が許しておられるので、生存することが許されています。


 これは、わたしたちの寿命が前もって運命のように決められているということではありません。しかし、エホバ神は、私たちが神に対してどんな態度をとるかに応じて、即座に裁きを下すこともできるということです。


(8)エホバ神が裁き主であられるので神の民を親切に扱ってエホバの好意を求めるのが一番賢明


 それで、エホバ神だけが至高の神で、この方が今の命と来るべき命の最終的な人の生死を裁かれる「裁き主」なのですから、エホバ神を第一に恐れて、この方の好意を求めるのが一番、賢明だと思います。(詩編7:11)


 もし、万が一、金正恩委員長がその重篤な病状から回復されるようなことがあるのであれば、どうぞ、このことから教訓を学ばれて、神に対する恐れを示されて、クリスチャンを迫害して苦しめるようなことはやめていただくようにお願い致します。


 しかし、金正恩委員長がどのような状況になられたのかは、そのうちはっきりしていくと思います。金正恩委員長が死亡のニュースが流れるとしたら、金氏は亡くなるまで、エホバ神のみ前で身を低くされなかったのかもしれません。


  たとえ、金正恩氏が回復されるとしても、今まで述べられた原則は変わりません。金正恩氏がどんなに強大な権力を持っておられても、彼の命も運命もエホバ神のみ手の内にあります。


 まだ、兄弟たちは強制収容所におられるのかもしれません。今後も北朝鮮の迫害されたクリスチャンたちのために、また、中国で迫害されているクリスチャンたちのために祈りを続けてくださるようにお願い致します。

ロシア正教会の僧職者と信徒を大量殺害した迫害者レーニンとソ連邦に起きたこと

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(1)ソ連が崩壊した一因はレーニンのロシア正教会に対する残忍な迫害と弾圧が原因ではないか

(2)クリスチャンはエホバ神に復しゅうを任せて自分で剣をとって復しゅうをするべきではない




(1)ソ連が崩壊した一因はレーニンのロシア正教会に対する残忍な迫害と弾圧が原因ではないか


 聖書の中には、天的な希望を持つクリスチャンが「神の神殿」級であると述べています。そして、それら天的な希望を持つクリスチャンたちを滅ぼす迫害者をエホバ神が滅ぼされるということを述べています。次のように書かれています。「もしだれかが神の神殿を滅ぼすなら,神はその人を滅ぼされます。神の神殿は聖なるものだからです。あなた方はその[神殿]なのです。」 (コリント第一3:17)



 わたしはこの言葉を知っており、天的な希望を持つクリスチャンであったヤコブを剣で殺害した
ヘロデ王をエホバ神がみ使いを遣わして病死させたという聖書の記録を知っていました。(使徒12:21-23)


  また、ドイツで、エホバの証人を迫害の標的にして、刑務所や強制収容所送りにして処刑したり病死させたりしたナチスのヒットラーが、千年王国を唄っていましたが、最後には自殺をしたということも知っていました。


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ヒトラーの死を伝える星条旗新聞号外1945年5月2日付)
ナチスのヒットラーはユダヤ人を迫害しただけでなくエホバの証人を強制収容所送りにして破滅させようとしたが自殺に追い込まれた


 でも、この言葉が昔から今に至るまで、ほんとうに真実であるということはそこまで認識していませんでした。


 クリスチャンの迫害を調べていて、安土桃山時代に京都や大阪にいた二十六人のクリスチャンたちの処刑を命じた豊臣秀吉が次の年に病死したことを、気づきました。それで、エホバ神のみ手が働いていたのではないかと思いました。


 そして、今回また、別の事例に気づきました。それは、ソ連のレーニンに起きたことです。

 
 ソ連の革命家レーニンは、1924年に53歳で亡くなっています。かなり短命の方だと思います。レーニンは、ロシア正教会に対する銃殺などの弾圧を命じた次の年に、何度も脳梗塞などの発作を経験し死亡しました。



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1922年のレーニンとスターリン
この年にレーニンはロシア正教会の銃殺と弾圧を命じ1924年の初頭に亡くなった




 レーニンは、1922年3月19日ロシア正教会の弾圧を指示しました。レーニンは、『これを口実に銃殺できる反動聖職者と反動ブルジョワは多ければ多いほどよい。』と厳命したとのことです。

  1921年から1923年にかけてだけで、レーニンの命令のために、ロシア正教会の主教28人、妻帯司祭2691人、修道士1962人、修道女3447人、その他信徒多数が処刑され、1918年から1930年にかけてみれば、およそ4万2千人の聖職者が殺されということが、Wikiのロシア正教会の歴史の項目に記録されています。


 
ですから、レーニンの命令のもとに殺されたロシア正教会の宗教指導者たちが非常に大勢いたことが分かり、非常に胸が痛みます。



  レーニンは、すでに1922年3月頃から脳虚血発作とみられる症状が出始めました。クリスチャン弾圧の命令を出したほとんど同時期です。

 レーニン
は高額の医療費を払って医師を頼みましたが、彼は亡くなるまで、4度の発作が起き、1923年3月6日に3度目の発作が起きた後には、失語症になり、仕事は全くできなくなりました。1924年1月20日に4度目の発作を起こして次の日に死去しました。レーニンは、検死をされて、頭を始め体の各所の動脈に硬化・閉塞が認められ、左脳の大半は壊死して空洞ができていたことが分かりました。


 わたしは、レーニンが殺害したクリスチャンの中に、エホバ神に是認された天的な希望を持つ油そそがれたクリスチャンが含まれていたのではないかと思いました。聖書は、神殿級のクリスチャンを滅ぼす人をエホバ神は滅ぼされると述べています。(コリント第一3:16,17)

 それで、聖書の神はレーニンが生き続けることを許されなかったのではないかと思います。

 レーニンの場合は、ロシア正教会に対して正面切って弾圧を命じて、次の年に死亡しました。これは、日本の豊臣秀吉がクリスチャンの処刑を命じた次の年に病死したのに似ています。

 迫害の一番の責任者に関しては、エホバ神は、数か月後、あるいは次の年にその人に復しゅうされるということも起こりえます。とりわけ、信者がその点についてエホバ神に祈るならば、そうしたことが起こり得ると思います。
 
 ところが、レーニン以後も、ロシア正教会の僧職者や信徒に対する迫害や流血は続きました。そして、大量のクリスチャンの血が流されました。わたしは最後にソ連が崩壊してしまったのも決して不思議ではないと思いました。

 レーニンの後を継いだスターリンも多くの人々を大量に粛清しました。ところが、スターリンの場合は、彼は無神論者でしたが、神学校にいたことがあったのです。それで、スターリンの場合は、クリスチャンたちに対しては少し融和策を取ったとネットに書かれています。

 それで、スターリンは、74歳まで生きたのかもしれません。もちろん、聖書は邪悪な人が長生きする場合もあると述べています。(ヨブ21:7)

 それで、わたしは神殿級天的な希望を持つ油そそがれたクリスチャンを滅ぼすならば、エホバ神がその人を滅ぼされるという聖書の言葉は歴史の中で、何度も起きていると思いました。

 ただし、迫害者の個人ではなく、国家全体の責任に関しては、その国家の後継する政治指導者たち、また、宗教指導者たち、また国民がどのように行動するかを何世代も見ておられて、行動されるのではないかと思います。


0Russian Orthodox Church





(2)クリスチャンはエホバ神に復しゅうを任せて自分で剣をとって復しゅうをするべきではない

 エホバ神はご自分の僕たちの死に関して復しゅうをされる方です。エホバ神は、歴史を通して生きておられます。わたしたちクリスチャンは、復しゅうをエホバ神に任せて、自分で復しゅうをしないように剣をとって戦うことのないようにするべきだと思います。(ローマ12:18,19)


  さらに、政治を摂る方々には、クリスチャンの背後にまことの神エホバがおられることを思いに留めてクリスチャンを迫害しないようにお勧めします。

(3)ロシア正教会が悲惨に大量の殉教者を出したのはなぜなのか

 ちなみに、ロシア正教会がこのような大きな犠牲を出したのはなぜかを考察してみます。神はご自分を崇拝する人々に保護をお与えになるはずではないでしょうか。「エホバは忠実な者たちを保護しておられる」という言葉が聖書にあります。(詩編31:23)

 聖書中に、やはり神の奉仕者が大勢残忍に殺されたという事例があります。それは、どのようにして起きたのでしょうか。

 ダビデの時代に、祭司アヒメレクを始めノブという祭司の都市の祭司85人とその家族がサウル王によって惨殺されました。(サムエル第一22:18,19)それは、どうしてかを調べると、その当時の祭司たちの霊的な状態が非常に悪かったことが推察されます。


 ノブの祭司たちは、祭司エリのひ孫アヒメレクの親族や仲間でした。彼らの先祖エリは、神の律法を実行する点で、なまぬるく息子の祭司たちの間で、淫行や神に対する犠牲が不敬に扱われているのをそのままにしていました。(サムエル第一2:22-25)


 それで、サムエルはエリの子孫の大多数の者が剣によって死ぬだろうという預言を与えられました。(サムエル第一2:30-33)



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サムエルは大祭司エリの神の律法に対する不敬のゆえに彼の子孫の大多数が剣で死ぬという神の言葉を伝えた


 ですから、ダビデの時代の祭司たちが神の律法からはずれ、道徳的宗教的な状態がだいぶ腐敗堕落していたことが考えられます。それで、ノブの祭司たちが、ダビデを助けた時に、サウル王によって殺されてしまったことは、とても胸が痛む気の毒なことでしたが、ノブの祭司たちはエホバ神との関係もとても悪く、彼らは神から裁かれて当然の霊的な状態にもあったことが考えられます。

 すなわち、大祭司エリが率先して神の律法を擁護する努力をおろそかにしたために、彼の子孫の祭司たちも、淫行に陥ったり、神の崇拝に関していいかげんだったり、利得に走っていたりしたことが考えられます。ですから、そのような神の律法の違反のために、ノブの祭司たちは、神からの保護を受ける立場を失っていたと考えられます。(イザヤ50:1)

 それで、わたしはロシア正教会の宗教指導者たちと信者たちが大勢亡くなったことは本当に気の毒だと思います。しかし、彼らはそうしたことを経験する当然の理由を神の前に持っていたのではないかと思います。

 すなわち、わたしはロシア正教会の教理すべては知らないのですが、正教会でイコンが崇拝されるということを聞いています。イコンとは聖画や聖像のことです。正教会では、イエス・キリストやマリアや聖人の聖画がほとんどです。

 わたしは、それが単に装飾とか、美術として作られるのであれば構わないと思います。わたしも、ブログ上にイエスやマリアやその他のいわゆる聖人の写真やイラストを掲載しますが、それは、それらを崇拝することが目的ではありません。それで、それらのイコンを崇拝するのは間違っていると思います。

 Wikiのイコンの「正教会」の項目では、「
正教会においてイコンとは、単なる聖堂の装飾や奉神礼の道具ではなく、正教徒祈り、口付けする、聖なるものである。但し信仰の対象となるのはイコンそのものではなく、イコンに画かれた原像である。・・・聖大ワシリイ(大バシレイオス)(330年頃 - 379年)は、『聖像への尊敬はその原像に帰す』とした。」と注解されています。

 しかし、昔イスラエル人は金の子牛を作って、それに口づけし、「
これがあなたをエジプトの地から導き上ったあなたの神だ」と言って、金の子牛を崇拝しました。(出エジプト32:4)そのために、神はイスラエル人にどのように言われたでしょうか。


 「彼らはさらに罪を重ね,自分たちのために銀で鋳物の像を作った。それはみな彼らの理解による偶像であり,職人がこしらえたものにすぎない。それらに向かって彼らは言う,『犠牲をささげる人々は子牛に口づけせよ』と。 ゆえに彼らは朝の雲のように,早く消えてゆく露のようになる。」(ホセア13:2,3)

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神はご自分を崇拝するとして金の子牛を崇拝したことに怒られイスラエル人に災厄を下された



 偶像に口づけしたりして偶像を崇拝するなら、それをたとえ、神だとみなしたとしても、それは、神の目に罪を重ねることでした。ですから、神に対する崇拝の経路として用いる偶像は神の怒りを招きます。そして、そのようにする偶像崇拝者は、朝の霧のように早く消えていきます。すなわち、エホバの保護がないので、命が早く失われることになります。

 イザヤ書にもこうあります。「わたしはわたしの栄光をほかのだれにも与えず,わたしの賛美を彫像に与えることもしない。」(イザヤ42:8)ですから、エホバ神は、ご自分だけを崇拝することを要求されます。ご自分を崇拝するために偶像を使うことはエホバに是認されません。ですから、イコン崇拝は、エホバ神の保護を失わせます。




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 皇帝ニコライ2世がかざしたイコンに礼拝する将兵たち
1914年から1917年撮影


  wikiのイコンの項目によると、イコン崇拝がとりわけ19世紀末から20世紀初めに強くなったことが書かれています。それで、上の写真のように、ロシアでイコン崇拝が広く行われたために、エホバの怒りがロシア正教会の人々に臨んだのかもしれません。

 さらに、わたしは三位一体もひょっとしてエホバ神の目からすると偶像崇拝とみなされために、ロシア正教会の人々が神から怒りを買ったのではないかと思います。

 わたしはイエスは、神に近いくらいに賛美され敬意が捧げられていると思います。でも、それでも、イエス・キリストを神として崇拝するというのは、やはり神の目からすると、偶像崇拝になるのではないかと思います。

  聖書はやはり、イエス・キリストよりも神の方が地位が高いためにイエスが神に服することを示しています。(コリント第一15:27,28)誰かが誰かに服するという場合、その両者の実体は異なります。ですから、神とイエスは別の人格的な存在です。


 
それで、三位一体の教えを奉じていることも、それは、聖書からの小さな逸脱ではありますが、結局神に帰すべき崇拝をイエスと聖霊・聖なる力に帰しているので、それは、偶像崇拝ではないかと思います。


 それは、エホバ神からの是認と助けをやはり、幾らか失わせるのではないかと思います。そのために、ロシア正教会にああした悲惨なことが起きたのではないでしょうか。


 
しかしながら、エホバ神はご自分に対する小さな信仰も評価されます。ですから、昔、ユダが悪くなって神から裁かれ、バビロンにより大勢命を失った時にも、ユダには神から裁かれる当然の理由がありました。でも、神は、ユダの持っていた小さな信仰を評価され、ユダがご自分の名前を代表していたために、ユダにあった神殿の復しゅうをされ、バビロンがペルシャによって滅ぼされるようにされました。

 それで、エホバ神は、ご自分に対する小さな信仰に報いられて、ロシア正教会が
ご自分に対して示した熱心さに報いて、ロシア正教会が艱難を生き残って、繁栄するように祝福を与えておられるのではないかと思います。



 


エホバ神に祈りを聞いていただいた中国の虐待された全能神教会の信者

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  全能神教会の男性信者が迫害され拷問された時に、どのようなことを思い巡らされたかということを語っておられます。わたしはこの方の聖書の神に対する信仰と、神に死に至るまでも服従しようとするその献身の思いに心を動かされます。

死の縁にいた私を、全能神が助けに来てくださった


 さらに、わたしは全能神教会の信者の方たちが本当に気の毒だと思います。

 わたしは、中国共産党が悪魔サタンであるとは思いません。それは、聖書的に正しい解釈ではありません。しかし、全能神教会の信者の方たちが、経験したようなことを経験すると、確かに中国共産党が悪魔サタンであるという教理が本当に正しいとみなしてしまうと思います。


 けれども、わたしたちクリスチャンが真の敵とみなすべきものは、霊者の悪魔サタンだと思います。

 エフェソス書にもクリスチャンの行う格闘について次のように述べられています。「
わたしたちのする格闘は,血肉に対するものではなく,もろもろの政府と権威,またこの闇の世の支配者たちと,天の場所にある邪悪な霊の勢力に対するものだからです。」(エフェソス6:12)



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悪魔サタンは中国共産党ではなく邪悪な霊の頭



  クリスチャンの格闘する敵は、「天の場所にある邪悪な霊の勢力」だとあります。ですから、クリスチャンは、血肉の人間が敵なのではなく、彼らに影響を及ぼす悪魔サタンや悪霊たちの霊者たちが真の敵です。

 聖書は、わたしたちクリスチャンに上位の権威を恐れ、誉れをもたらし、そのために祈るようにとさえ述べています。


  わたしたちが一番注意を払うべきなのは、霊的な戦い、天で行われている戦いだと思います。けれども、中国共産党政府は、悪魔サタンに惑わされるままになっていると思います。

 でも、わたしはこの方の祈りに、エホバ神は答えてくださってその信仰に報いてくださったのではないかと思います。

(1)聖書を解釈する際に聖書の六十六冊の聖典に固くつく必要がある


 しかしながら、この迫害された全能神教会の信者の方は、思いの中で、神の言葉聖書と、それ以外の楊氏の解釈の言葉を同列においておられます。この信者の方は、聖書の言葉もとてもよく思い巡らしておられますが、聖書以外の言葉にもずいぶん注意を払っておられます。


 
楊氏は、聖書の解釈をされる際に、多くのみ言葉を用いてはおられます。多くの聖句を思いめぐらしておられるその努力は良いとことだと思います。けれども、聖書の理解しようとする際に、他の聖書の言葉を参照するという程度が低いので、解釈が間違っていると思います。

  聖書は「愛する者たちよ,霊感の表現すべてを信じてはなりません。むしろ,その霊感の表現を試して,それが神から出ているかどうかを見きわめなさい。」と勧めています。(ヨハネ第一4:1)ですから、ある聖書の解釈すべてをなんでもすぐに受け入れるべきではないです。それを吟味する必要があります。

 それは、聖書の六十六冊の聖典「神の霊感を受けた」「聖書全体」と調和しているかどうかを理性と思考力を十分働かせて見きわめる必要があります。(テモテ第二3:16) 

 しかし、楊氏の解釈の仕方が、聖書に基づいた黙想の結果を述べておられるのではなく、奇跡的に超自然的な力に動かされて語っていたというのであれば、それは、聖書がいう「悪霊の霊感による表現」かもしれません。(啓示16:14)

     楊氏の解釈は、割と聖書に調和している部分もありますが、聖書が述べる音信からずれている部分もあります。ペテロ第二の手紙の中で、聖書の中には、「理解しにくいところ」があるということを認めており、聖書を「曲解」するなら、「自らの滅びを招く」危険があると述べています。(ペテロ第二3:16)

 ですから、聖書の六十六冊の聖典をよく読んで、思考力を十分働かせて、聖書そのものがなんと言っているか、見極めなければ、滅びを招く危険があると思います。


 その聖書の解釈が聖書の聖典に基づいていないならば、全能神教会の信者たちが、「熱心」であっても、「正確な知識」に基づいておらず、神の是認を得そこなってしまうかもしれません。(ローマ10:2)それで、もっと聖書そのものを読み込むように努力されると、より正しい解釈に到達できると思います。

 
(2)より一層聖書を読まれて真理を探究していかれるようにというお勧め

 わたしは以前、エホバの証人で、エホバの証人の教理を全部正しいと考えていました。でも、今は、エホバの証人の教えの中には、間違っていたものも含まれていたと考えています。

 けれども、わたしはエホバの証人の時も、聖書の神エホバを崇拝していて、聖書に従いたいと願っていました。そして、わたしがエホバの証人の時、エホバ神はわたしの祈りを聞いてくださったことがありました。

 すると、エホバ神は、祈りを聞かれる際に、現時点では、私たちが聖書を100%正確に理解していることを求められないと思います。将来的には、聖書に関する知識が満ちあふれる時が来ると思いますが、今はその時ではないと思います。(ダニエル12:4)

 結局、現時点では、聖書が100%理解できている人はひとりもいないわけですし、エホバ神は聖書の理解が不十分であっても、ご自分に対する愛と献身に応じてくださると思います。

 預言者ダニエルでさえ、自分が聞いたことをすべて理解できてはいませんでした。それでも、ダニエルの祈りは聞かれていました。(ダニエル12:8)


0daniel's prayer small
預言者ダニエルはすべてを理解してはいなかったが祈りを聞かれたり保護を受けたりした



  でも、エホバ神は祈りを聞かれる神です。(詩編65:2)エホバ神は私たちクリスチャンの側が、知識その他で不十分なところがあっても、わたしたちの祈りをある程度聞いてくださるのだと思います。

 ですから、現時点では、エホバ神は、クリスチャンたちに対して私たちに最初から100%求められず、漸進的に導いていかれるのではないかと思います。「いよいよ明るさを増していく」のであって、最初から真昼の明るさのもとにいるわけではないのです。
(箴言4:18)

 それで、全能神教会の信者の方には、さらにいっそう、聖書そのものに注意を向けられるようお勧めします。そのようにして、エホバ神の是認を受けられますように。


(3)中国共産党政府に対して聖書の神に対する信仰を抱くクリスチャンに対する迫害をやめられるようにというお勧め


 このことは、やはり、一部は聖書に基づいた信仰を抱いておられる全能神教会の信者に対する中国共産党の迫害と流血を聖書の神エホバ神が怒りを抱かれるということを示しているのではないかと思います。

 それで、中国共産党政府がやはり、全能神教会を始め、その他のキリスト教会に対する迫害をやめられないと、やはり、中国に対する疫病その他の国難が今後も続くことになると思います。

 疫病その他の国難はただ単にその物理的な国難を意味するのではなく、まことの神創造者の怒りを表していると思います。

 それで、中国共産党政府の当局の方々に、中国で全能神教会を始め秋雨聖約教会、エホバの証人、その他の地下教会に対する迫害をやめられるようにお勧め致します。その方が、中国にとって聖書の神エホバからの祝福を受けられる結果になると思います。

最近の北朝鮮でのクリスチャンたちの状況とこのことを知るクリスチャンたちが神に祈ってくださるようにというお願い

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0north korean prison camps
北朝鮮の収容所
北朝鮮全体に五万人のクリスチャンが収容されていると言われる



 以下は北朝鮮のクリスチャンたちの最近の状況です。

名前は「42」 北朝鮮の強制収容所を生き抜いた女性クリスチャンの証し

2019年2月18日14時26分  


 この経験を語られた方は、聖書の神に信仰を抱くことを否定され、ある程度聖書の神に不忠実になっておられます。でも、それでも、神からまったく離れようとはされておらず、同情できます。天的な希望のクリスチャンの場合は、命が脅かされても神を否定するならば、天的な報いを失ってしまいますが、それでも、地上での永遠の命の報いはあると思います。

 でも、地的な報いの場合でも、絶対に神を否定することなく、殉教するクリスチャンもいます。エホバはそうしたクリスチャンにふさわしい報いを与えられると思います。でも、大変な圧力と自らの弱さのために不忠実になっても神を捨てない、あるいは苦しみや死に直面しても神を捨てない非常に大勢のクリスチャンたちが北朝鮮にはいるのではないかと思います。


 以下に上の記事の一部を引用します。


 米国オープン・ドアーズは、キリスト教徒に対する迫害のひどい上位50カ国をまとめた「ワールド・ウォッチ・リスト」で、北朝鮮を18年連続でワースト1に指定している。それによると、北朝鮮では25万人が強制収容所に収監され、そのうち実に5万人がキリスト教徒だと推定されている。また米国務省も2001年以来、信教の自由を侵害している国として北朝鮮を挙げている。


   以下はオープン・ドアーズの短いyoutubeです。





 米国オープン・ドアーズのデイビッド・カリー会長兼最高責任者(CEO)は、クリスチャンポストの取材に応じ、北朝鮮の非核化をめぐる交渉では人権問題も同様に扱うべきだと語った。

「北朝鮮のキリスト教徒に対する人権侵害は容認できません。北朝鮮ではキリスト教徒が最大の敵と見なされています。ドナルド・トランプ大統領には、金正日(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長に対し、数々の人権侵害――特に共産党政権によって認められていない信仰を表明しただけで、罪を犯したとされているキリスト教徒の監禁、拷問、処刑という人権侵害――への対処を求める道徳的な要求を避けないよう、継続して懇願します。

 北朝鮮におけるキリスト教徒を取り巻く状況は、非常に危ういものです。約5万人のキリスト教徒が、きわめてひどい環境の強制収容所に収監されています。トランプ大統領は、非核化をめぐる交渉において人権問題を継続的に取り扱うことで、希望をもたらすことができます。人権問題と非核化は別々に扱われるべきではありません。北朝鮮の人々は、われわれの声による、祈りによる、継続的な支援を必要としています」


 わたしヨハネも北朝鮮の強制収容所に収監されて、ひどい環境の中でその信仰のために苦しみを受けているクリスチャンたちを助けるために、このことを知るクリスチャンが皆まことの神に祈りのうちにお願いしてくださるようお願い致します。






長崎で二十六人のクリスチャンを殉教させる残虐な迫害を行った豊臣秀吉はどうなったか

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 豊臣秀吉は、キリスト教が伝わってきた時、神道と仏教を脅かすと考えたものの、当初は信仰の自由を認めていました。その時、秀吉は栄華を享受していました。しかし、キリスト教の宣教と共に日本が植民地化される危険を感じた時に、日本にいる外国からの宣教者と日本人のカトリック信者を迫害し殺害しました。その後、秀吉はどうなったでしょうか。


 事実、彼は迫害を引き起こした次の年に死亡しました。また、あれだけ権勢を振るっていたのにもかかわらず豊臣家は滅ぼされる結果になりました。エホバ神は秀吉の行った迫害をどのようにご覧になったでしょうか。そして、それは後程、日本が経験することにどのような影響を与えたと考えられるでしょうか。


 今回は、日本二十六人の殉教を中心に考察してみます。




(1)
日本人の先祖が行なった罪− 日本二十六聖人の殉教



 秀吉は、キリスト教の宣教に続いて日本の本土がスペインによって征服されるのを恐れたのかもしれませんが、 1596年には、京都奉行に命じて、イタリアのカトリック教徒によって始められたフランシスコ会員とキリスト教徒全員を捕縛して処刑するよう命じました。



 1597には、京都や大坂にいたフランシスコ会の宣教師3人と修道士3人、および日本人信徒20人が長崎に送られて処刑されました。(日本二十六聖人



 まず、24名は、秀吉の命令では耳と鼻を削ぐように言われていましたが、京都・堀川通りで左の耳たぶを切り落とされて、市中引き回しとなりました。そして、1597、長崎で処刑せよという命令を受けて一行は大坂を出発、歩いて長崎へ向かいました。また、道中でイエズス会員の世話をするよう依頼されていた日本人のクリスチャンと、フランシスコ会員の世話をしていた日本人のクリスチャンも捕縛されました。



 厳冬期の旅を終えて長崎に到着した一行を見た責任者は、一行の中にわずか12歳の少年ルドビコがいるのを見て哀れに思い、「キリシタンの教えを棄てればお前の命を助けてやる」と持ちかけまし。でも、ルドビコは「(この世の)つかの間の命と(天国の)永遠の命を取り替えることはできない」と言い、毅然としてその申し出を断ったということです



 わたしはこの当時のイタリアのフランシスコ会の信仰がどのようなものであったか、聖書と十分調和していたかはまだ十分に知りません。でも、永遠の命の方が地上のつかの間の命よりも勝っているという聖書的な認識を、子供でも持っていたことが分かります。



 一行26人は、キリストが処刑されたゴルゴタの丘に似ている丘を処刑の場として望んだといわれます。それで、一行26は通常の刑場でなく、長崎の西坂の丘の上へ連行されました。


 処刑当日の25日、長崎市内では混乱を避けるために外出禁止令が出されていたにも関わらず、4000人を超える群衆が西坂の丘に集まってきていました。死を目前にして、十字架の上から群衆に向かって自らの信仰の正しさを語ったイエズス会のパウロ三木というクリスチャンがいたそうです。午前10時頃群衆が見守る中、このクリスチャンと一行槍で両脇を刺し貫かれて絶命したとのことです



0Christian Martyrs Of Nagasaki


16th-17th century Japanese painting, reproduction in Arnold Toynbee, "A study of history"

Christian Martyrs Of Nagasaki, is known as "元和大殉教図" in Japan


日本での宣教師などカトリック教徒の殉教を描いた図





(2)殉教した二十六人のカトリック教徒の名前

フランシスコ吉
日本人大工。フランシスコ会員の世話をするため、一行に付き添い、道中で捕縛された。
コスメ竹屋
日本人、38歳。大坂で捕縛される。
ペトロ助四郎(またはペドロ助四郎)
日本人、イエズス会員の世話をするため一行に付き添い、道中で捕縛された。
ミカエル小崎(またはミゲル小崎)
日本人、46歳。京都で捕縛。トマス小崎の父。
ディエゴ喜斎(時に、ヤコボ喜斎、市川喜佐衛門、備前屋喜左衛門とも称す)
日本人、64歳。大坂で捕縛。行商者として上阪し商家に奉公した後、イエズス会員として祭壇係および門衛(接待係)に就く。備前国岡山藩津高郡馬屋郷芳賀村(現在の岡山県岡山市北区芳賀)出身。
パウロ三木
日本人、33歳。大坂で捕縛。イエズス会員。
パウロ茨木
日本人、54歳。京都で捕縛。レオ烏丸の兄。
五島のヨハネ草庵(またはヨハネ五島)
日本人、19歳。大坂で捕縛、イエズス会員。
ルドビコ茨木
日本人、12歳で最年少。京都で捕縛。パウロ茨木、レオ烏丸の甥。
長崎のアントニオ
日本人、13歳。京都で捕縛。父は中国人、母は日本人。
ペトロ・バウチスタ(またはペドロ・バプチスタ、ペドロ・バウティスタ)
スペイン人、48歳。京都で捕縛。フランシスコ会司祭
マルチノ・デ・ラ・アセンシオン
スペイン人、30歳。大坂で捕縛。フランシスコ会司祭。
フェリペ・デ・ヘスス(またはフィリッポ・デ・ヘスス、本名・フェリペ・デ・ラス・カサス)
メキシコ人、24歳。京都で捕縛。フランシスコ会修道士。メキシコの初聖人(列聖順)。
ゴンザロ・ガルシア
ポルトガル人、40歳。京都で捕縛。フランシスコ会修道士。
フランシスコ・ブランコ
スペイン人、28歳。京都で捕縛。フランシスコ会司祭。
フランシスコ・デ・サン・ミゲル
スペイン人、53歳。京都で捕縛。フランシスコ会修道士。
マチアス
日本人、京都で捕縛。本来逮捕者のリストになかったが、洗礼名が同じというだけで捕縛。
レオ烏丸
日本人、48歳。京都で捕縛。パウロ茨木の弟。ルドビコ茨木のおじ。
ボナベントゥラ
日本人、京都で捕縛。
トマス小崎
日本人、14歳。大坂で捕縛。ミカエル小崎の子。
ヨアキム榊原(またはホアキン榊原)
日本人、40歳。大坂で捕縛。
医者のフランシスコ(またはフランシスコ医師)
日本人、46歳。京都で捕縛。
トマス談義者
日本人、36歳。京都で捕縛。
絹屋のヨハネ
日本人、28歳。京都で捕縛。
ガブリエル
日本人、19歳。京都で捕縛。
パウロ鈴木
日本人、49歳。京都で捕縛。


(3)エホバ神は二十六人の殉教とそれを引き起こした日本をどのようにご覧になるか

 わたしはこうしたことは、エホバ神の目からは逃れられないのではないかと思います。とりわけ、これは、日本政府による一般の不信仰な人々の殺害ではなく、聖書の神に対して信仰を抱くクリスチャンに対する殺害です。


 この時の二十六人の殉教の際は、比較的、年齢が大人のキリスト教徒が大半です。ですから、当時、幼児ではなく大人になって自分できちんとした信仰を持っていた、日本でのキリスト教の核となるべき人たちでした。


 そして、日本のキリスト教徒たちは後程、島原の乱を起こして、武器をとって戦い政府に反抗しています。彼らの場合、命を落としても当然の報いを受けていると言えるかもしれません。けれども、特筆するべきことは、これらのクリスチャンたちは違いました。これらのクリスチャンたちは武装蜂起をせず、無抵抗でした。


 彼らは、イエスにみならって無抵抗で、殉教しています。 ですから、彼らは、イエスがペテロに言った剣を元の所に納めるようにという指示や、剣をとる者は剣によって滅びるのですという言葉に忠実に従っていたのではないかと思います。(マタイ26:52)また、殺人を非とする聖書の教えを理解していたのではないかと思います。(マタイ15:19。啓示21:8)



0jesus and peter with sword1

長崎の二十六人の殉教者たちは武器をとって戦うことを戒めるイエスの指示を理解していて無抵抗だったのかもしれない




 彼らは、一世紀にローマで戦うことなく迫害されて命を落としていった初期クリスチャンたちと同じではないかと思います。長崎の二十六人のクリスチャンたちが、どこまで聖書を理解していたのかはわたしは分からないのですが、いずれにしても、エホバ神はその当時のクリスチャンに聖書の完全な理解は求めていなかったと思います。


 それで、彼らの中にはひょっとすると、エホバ神に是認される天的な希望を持つクリスチャンが含まれていたかもしれません。実際、彼らはまだ初期クリスチャンと同じように天的な希望しか理解していなかったかもしれません。彼らの中には、確かに、天に復活するクリスチャンも含まれているかもしれません。

 そうすると、彼らの中には、将来イエスが再臨される時に、天で復活する者たちもいるかもしれません。彼らは、いずれにしても天であれ地上であれ、復活することになると思います。無抵抗のクリスチャンたちの命を奪った当時の日本政府の罪ははなはだしく大きいと言えます。


 スペインの漂着船は修繕後、マニラに行きました。そこでスペイン政府は事件を徹底的に調査し、スペイン使節がマニラから秀吉の元へ送られ、漂着した船の積荷の返還と宣教師たち二十六人の遺体の引渡しが求めました。しかし、引き渡しは行われなかったということです 。


当時、スペインで徹底的な調査が行われて、日本を武力制圧しようかという話もあったそうですが、日本にとっては幸いなことにスペインもイタリアもそうはしませんでした。


   この日本での二十六人の殉教は、スペインなどではキリスト教の殉教として有名なのだそうです。わたしはほとんど知らず、今回ネットを検索して知りました。ローマカトリック教会では知られていて、彼らは聖人として列福されたそうです。


  そして、わたしはこのことに関して、日本政府が欧米や日本のキリスト教徒やキリスト教会に謝罪をしたということを聞いたことがありません。



 
ちなみに2013年に就任したローマ教皇フランシスは法王になった初めてのイエズス会のメンバーだそうです。



0Pope_Francis
ローマ教皇フランシスは法王として初めてのイエズス会のメンバー





   その時、イタリアやスペインのカトリックは日本に復しゅうはしませんでした。しかし、聖書には、「わたしの愛する者たち,自分で復しゅうをしてはなりません。むしろ神の憤りに道を譲りなさい。こう書いてあるからです。『復しゅうはわたしのもの,わたしが返報する,とエホバは言われる』」(ローマ12:19)


 そして、事態の進展は、この言葉通りになったことを示しているのではないかと思います。


 イエスは神に信仰を抱くアベルや祭司ゼカリヤの殉教のために、一世紀のエルサレムの何百万人ものユダヤ人の死という災いが生じることを予告されました。イエスは、一世紀のユダヤ人に、「義なるアベルの血から,あなた方が聖なる所と祭壇の間で殺害した,バラキヤの子ゼカリヤの血に至るまで,地上で流された義の血すべてがあなた方に臨むのです。」と予告されました。(マタイ23:35)


 

 

0Zechariah
祭司ゼカリヤの殉教の復しゅうのために九百年以上後にユダのエルサレムの大患難が起こった


 ですから、クリスチャンの殉教の何百年もの後に、エホバ神が復しゅうされるということはあり得ると思います。それで、ひょっとして、日本が第二次世界大戦の時に、全土で空爆を受けたことや二度の原爆投下を受けたこと、その後の天災などは、この時日本政府が犯した罪に対する罰が生じた、あるいはそれが起こることをエホバ神が許されたのかもしれません。



  それは、聖書に書いてあることではありませんから、断定はできません。もちろん、わたしは核兵器とその使用には基本反対です。 また、原爆が投下された長崎には、昔のキリスト教の信仰を受け継ぐクリスチャンが少数ながら存在していたかもしれません。しかし、国家が神の不興を被っている場合、その国家に起きる災いは、神の目に義なる信仰の人びともある程度は巻き込んでしまいます。


 とにかく言えることは、太平洋戦争当時日本は、とりわけ神道を推進しており、エホバ神から保護をしていただける立場にありませんでした。そして、残念ながら、今日もそうした状況であるかもしれません。


 わたしは日本政府がエホバ神に敬意を払わず、神道や仏教だけを優遇して、偶像崇拝を推進していき、これ以上、日本に大変な参事が起きないように希望しています。



 わたしは諸国家も含めてわたしたちに起きることは、まず第一にエホバ神との関係が大きく原因していると思います。それで、まずエホバ神との関係を正すようにするのが重要だと思います。自分たちが、エホバに祈りをきいていただき保護していただける立場に立つようにすることが重要だと考えます。


 わたしは最近安倍首相がバチカンを訪問して、敬意を払ったということをお聞きしました。それは良いことだったと思います。そうであれば、その他の神の律法に従う努力を払っているエホバの証人やその他のキリスト教のグループにも平等に敬意を払うのが妥当であるのではないかと思います。


 過去の江戸時代、またそれ以降の日本政府のキリスト教徒に対する迫害はこのことだけではありません。また、今後、取り扱いたいと思います。






0Nagasaki 26 Martyrs_of_Japan_Memorial
 Jpopshop 
日本二十六聖人記念碑(記念碑の背後に記念館がある)
秀吉の命令で大阪・京都のカトリック教徒26人が殉教した


(4)豊臣秀吉はどのタイミングで死亡したか


  箴言には、「誇りは崩壊に先立ち,ごう慢な霊はつまずきに先立つ。」と述べられています。(箴言16:18) しかし、秀吉は、日本統一をして高慢になったために、増長してごう慢になり朝鮮と明まで出兵して勢力を拡大しようと考えたのではないかと思います。秀吉は、1591年に最初の朝鮮出兵を行い、1597年に二度の朝鮮出兵を行いました。 



 秀吉は、1596年の12月にキリスト教の禁教令を再び出しました。彼は中国のの征服を決意して朝鮮に二度出兵しました。1597、秀吉は朝鮮半島への二度目の出兵と同時期に、京都奉行の石田三成に命じて、京都と大坂に住むフランシスコ会員とキリスト教徒全員を捕縛と処刑を命じました。



 三成はパウロ三木を含むイエズス会関係者を除外しようとしたが、できませんでした。そして、159725日、日本人20名、スペイン人4名、メキシコ人、ポルトガル人各1名の26人が処刑されました。



 秀吉は次の年の1598年の3月に、醍醐寺諸堂の再建を命じ 仏教への信仰を表しました。しかし、彼は、5月から病に伏せるようになり日を追う毎にその病状は悪化していきました。そして、秀吉は、日本二十六人の殉教を引き起こした次の年に死亡しました。



 その時には、秀吉は、三度目の朝鮮出兵を考えて準備をしていたのです。しかし、彼の計画また目標は挫折することになりました。



 秀吉の病は、前年に秀吉の命令で別の寺に移されていた阿弥陀三尊 の仏像の祟りであると考えられました。それで、秀吉は、その仏像を元の場所伊野の善光寺返すよう取り計らいましたが、それが京都から出発した次の日の1598818日に秀吉は死亡しました。



0zenkouji sanzon
秀吉に祟ったと考えられた善光寺の阿弥陀三尊と同じ造りの息をしていない仏像


0shinano zenkouhji  Tomio344456
信濃の善光寺に阿弥陀三尊が返そうとする時に秀吉は死亡したので秀吉の死は仏像の祟りではなかった



 聖書は、「鋳物の像」は、「口のきけない無価値な神々」と描写されています。そして、「見よ,それは金や銀に包まれてはいても,その中には全く息がない。」とあります。(ハバクク2:18,19)



 ですから、仏像は、まったく息がなく生きていないので、秀吉が仏像を恐れて行なったことは、まったく無駄なことでした。彼が、エホバ神を恐れていた方が、結果が良かったことでしょう。




 ですから、秀吉の死は、仏像の祟りではなかったと言えます。もし、仏像の祟りのせいであるなら、次の日に病状は良くなっていったでしょう。



 確かに、一世紀にヤコブを殺害し他のクリスチャンを迫害したヘロデ王は、まもなく虫に食われて死んでしまいました。その時には、ヘロデ王は、戦争をしようと意気盛んにしていた時でした。それは実際には、ヘロデ王が自分に神のような賞賛を受けることを拒まなかったので、エホバ神がみ使いを遣わして彼を討たれたのだという記述もあります。(使徒12:1-3;20-23)


0herod king persecutor to James
ヤコブを剣で殺害しクリスチャンの殺害者だったヘロデ王は神のみ使いに討たれて死んだ




 しかし、聖書は、クリスチャンを迫害して殺す人が必ず次の日や年に死ぬとは言っていません。応報は何十年も経ってからもたらされることがあります。聖書は、「悪い業に対する刑の宣告が速やかに執行されない」場合があると述べています。その場合には、「人の子らの心はその中で悪を行なうよう凝り固まって」しまいます。(伝道の書8:11)しかし、応報は必ずもたらされることでしょう。


(5)豊臣秀吉−有能な軍人でクリスチャンを迫害した流血の人


 豊臣秀吉は、日本全国で戦闘を行って勝利を収めることによって戦国時代を終わらせた有能な軍人でした。彼は、日本全国を統一して、豪華な大阪城を建てて、権勢を誇りました。でも、彼はキリスト教徒を残酷な仕方で殺害し、また、重用してきた千利休に対しても、自害を求めた無慈悲な流血の人でした。



 そして、彼は自身を非難する落書が書かれた際は、犯人を探索し7人を鼻削ぎ耳切りにした上で磔に処したのち、老若男女63人を磔にし、最終的には130人に刑罰を下したことも知られています『鹿苑日録』。ですから、豊臣秀吉は、有能な軍人でしたが、過度に厳しく臣下を殺害する流血をいとわない大変残虐な暴君でした。


 秀吉は彼の主君の織田信長の後継者にも、徳川家康にも勝利を得ました。彼は有能な軍事的な才能によって、日本中の大名を従わせていたのです。でも、豊臣家の支配は長く続かず、彼の支配権は別の人に移ってしまいました。


 実際、後継者になるはずだった秀吉の息子のひとりも秀吉の性向を受け継いでいたことが知られていました。豊臣秀次は、「殺生関白」 と言われた残虐な奇行で知られる流血の人でしたが、秀吉自身が彼と彼の一族を殺害しました。


 そのため、秀吉の後継者は次々といなくなり、さらに、豊臣家は徳川家康から敬意を払われることなく、あいつぐ戦闘でまもなく滅んでしまいました。わたしは、秀吉はキリスト教徒を激しく迫害して、エホバ神の不興を買っていたために、彼の政府は日本を長く支配することはなかったのではないかと思います。



(6)エホバ神はクリスチャンに対する流血を憎まれる神


 秀吉は、生前は徳川家康を従えていました。しかし、秀吉の死後に徳川家康関ヶ原の戦いで勝利して天下をとり、16141615大坂の陣で豊臣家は江戸幕府に滅ぼされてしまいました  それで、エホバ神は、豊臣家が日本全体を長く支配しないように仕向けられたのではないかと思います。


  ハバクク書には、「流血によって都市を建てている者」は、「災いだ! 」とあります。そして、「レバノンに加えられた暴虐があなたを覆う」「からである。それは,人の血を流したゆえ,また地,町,そこに住むすべての者に対する暴虐のゆえである。」とあります。



 それで、エホバ神は流血を憎まれ、流血で自分の目的を推進していく人について「
彼は自分の目標を遂げ得ない。」と書かれています。(ハバクク2:4,5,8,12,17)



 ですから、レバノンとは、昔神の民の住む一地域でした。ですから、流血、とりわけ、レバノン、すなわち神の民に対して加えられた暴虐は、報復が臨むことが聖書に書かれています。


 流血の人が飽くことなく流血により、自分の権力の拡大を追求することがあるかもしれません。そのような人の目標が挫折するということは歴史の中でたびたび起きてきました。例えば、ドイツのヒットラーもエホバの証人を迫害して、エホバ神の不興を被ったと考えられます。



ナチスのヒットラーは流血によって千年王国を追い求めましたが、自分の目標を遂げることはできませんでした。彼は自殺に追い込まれ、彼のナチス党も政権を維持することはできませんでした。



 ですから、信仰の人びとを殺害した豊臣家が武力により天下を統一しても、滅ぼされてしまったことは、エホバ神のご意志にかなっていました。どこかでエホバ神のみ手が働いていたのではないかと思います。



 もし、日本政府が過去のこうした行いのために聖書の神との関係が悪化して、日本に災いが臨むことを望まないなら、そうした過去の行いを正すためにできるだけのことをして、キリストの贖いの犠牲に基づいて罪の許しを求めるしかないのではないかと思います。


 
それで今日の日本政府の高官の立場にある方々は、日本政府が過去にどんなことを行ってきたかを知るようにして、日本がエホバ神の目にどのように映っているかを考えられて、エホバ神を恐れて行動されることをお勧めします。

 

豊臣秀吉はどのような宗教観を持っていたか・迫害をしていなかった時状況はどうだったか

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 日本は、徳川時代や、明治時代、大正時代、昭和時代に神のみ前に大きな罪を犯してきました。日本では戦国時代を終わらせて天下統一をした豊臣秀吉は、1587年にはバテレン追放令を出して、宣教師の国外退去命令とキリスト教宣教の制限を課しました。


 後になって、秀吉はヨーロッパからのキリスト教の宣教者たちを含めクリスチャンたちに残酷な迫害を加え、殺害しました。しかし、今回の記事は、もともと豊臣秀吉が神道と仏教を重んじる宗教観を持っていたことを説明します。


 そして、バテレン追放令を出す頃は、事実上、キリスト教の宣教を大目に見ていたことを説明します。表立った迫害はありませんでした。そして、その時に、秀吉の状況がどうであったかも調べたことを説明したいと思います。



 そのような日本の歴史は今日に至るまで影響しているでしょう。日本の過去の歴史、とりわけ豊臣秀吉の時代を振り返ってみましょう。



(1)日本人の宗教の歴史的な背景


 日本は、伝統的に中国や東アジア発の仏教の情報から長い間影響されてきました。日本では、6世紀の終わりごろから7世紀初めに、推古天皇のもとにあって聖徳太子が積極的に、仏教を取り入れました。そのように昔から、日本は神道と仏教が並行して行われていました。


 キリスト教が日本に伝わるのは遅く、イエズス会のフランシスコ・ザビエルが1549年に薩摩の鹿児島に来てキリスト教を伝えました。


(2)豊臣秀吉によって出されたバテレン追放令


 豊臣秀吉は元来、主君の織田信長の政策を継承し、1586には大坂城イエズス会宣教師と会って、イエズス会に対して布教の許可証を発給しました。 豊臣秀吉は、1591年に東北地方の奥羽を平定して天下を統一し、戦国時代を終わらせたとされています。



0toyotomi hideyoshi

豊臣秀吉像(狩野光信筆 高台寺蔵)
秀吉は当初は宣教者に寛大だったが後に迫害して殺害するようになった




 しかし、秀吉は、九州遠征の途上、現在の福岡博多で、住民の強制的なキリスト教への改宗や神社仏閣の破壊、さらにポルトガル人により日本人を奴隷として売買するなどといったことが行われていたこと、また長崎がイエズス会領となっていることなどを聞きました。


 それで、1587に秀吉は通商の責任者とイエズス会の責任者を呼び出して、福岡の博多においてバテレン追放令を発布しました。バテレンとは、「神父」の意味です。それは、宣教師の国外退去命令とキリスト教宣教の制限を表明するものでした。



0Hideyoshi Edict of expulsion of the Christian Padres 1587
Hideyoshi Edict of expulsion of the Christian Padres September 18, 1587
秀吉は1587年にキリスト教の宣教者追放命令を出した
 




 昭和8年に伊勢神宮の神宮文庫からバテレン追放令とされる文書と調和する日付の一日前の11か条の覚書が発見されたそうです。



 その覚書の大意としては、大名に領地を治めさせているが、寺や百姓たちに、キリスト教徒になることを強制するのは道理に合わない、大名がキリスト教になることは、秀吉の許可を得れば許可するし、領土が狭いなら、大名は自由にキリスト教徒になっていいとしていました。そして、下の身分の者がキリスト教徒になることは問題にならないとしていました。でも、その覚書は、身売買は禁ずるとしていました。



 ですから、この覚書の段階では、事実上、キリスト教の強制改宗は容認しないものの、大名や身分の下の者が自由にキリスト教徒になっていいとする、信仰の自由を認めたものでした。


 でも、実際は、イエズス会は日本人を奴隷として売買することを禁止するようにポルトガルに呼びかけていましたし、すでに、1571年にポルトガル国王は奴隷交易がカトリック教会への改宗に悪影響を及ぼすことを懸念して日本人の奴隷交易の中止を命令していたそうです。そのことを秀吉は知らなかったかもしれません。



 そして、1587の覚書の次の日付のバテレン追放令の第一条では、「日本は自らの神々によって護られている国であるのに、キリスト教の国から邪法をさずけることは、まったくもってけしからんことである。」と書いています。


 ですから、秀吉は、日本は自らの神々によって守られている国であって、キリスト教を邪法と言っています。ですから、秀吉は、この段階で、神道の古事記の神話の記述、すなわち、イザナギ、イザナミの夫婦の神が日本の国土を造り、イザナギが穢れを清めた時に、日本を守る神々が生まれたという記述を信じていたということが分かります。



 またその時に、秀吉は、大名は天下からの法律を守るべきだと言っていました。その方針は、聖書とも調和していました。聖書は、神の律法に反しない限り、上位の権威に服するようにと指示していたのですから、それに関する何らかの法律が制定されていたのであれば、大名が寺社を破壊するのは間違っていたでしょう。(ローマ13:1)


 また、第2条では、「宣教師は・・・日本の仏法を破っている。日本にキリスト教宣教師を置いておくことはできない」と述べ宣教師が20日間のうちに、国に帰るようにと指示しています。


 ですから、秀吉は、日本の仏法、すなわち仏教も擁護していました。ですから、この時代から、神道と仏教の2つを擁護するというあいまいな姿勢が日本に根付いていたことが分かります。しかし、秀吉は、貿易のために外国人が行き来をすることは認めていました。


 それで、豊臣秀吉は、完全に状況を把握していたとは言いがたいかもしれませんが、状況を調べてその状況に反応したということはできます。しかし、しばらくの間、キリスト教の宣教師は、禁令下にもかかわらず、その活動は黙認されていました。


(3)バテレン追放令を出していた頃の豊臣秀吉の状況




 1583年、秀吉は、大坂本願寺の跡地に大阪城を築きました。島津氏の問題を訴えるために大坂城を訪れた豊後キリシタン大名・大友宗麟は、この城のあまりの豪華さに驚いたということです。

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大阪城はキリスタン大名大友宗麟はその豪華さに驚いた
秀吉は繁栄を謳歌していた




 そして、この後、秀吉は島津氏と戦うために、 九州に遠征をすることになり、そこで、キリシタン大名の状況を知り、バテレン追放令を出すことになりました。


 秀吉は、1587年にバテレン追放令を出しました。しかし、秀吉はその時には、ある意味、キリスト教の信仰の自由を大目にみており、キリスト教徒を表立って迫害はしていませんでした。


 秀吉は、1588年、平安京に朝廷の臣下として、豊臣氏の本邸を構え「聚楽第」と名付けました。1588414には聚楽第に後陽成天皇を迎え華々しくもてなしました。そして、徳川家康や織田信雄ら有力大名に自身への忠誠を誓わせました。そして、他の有力大名も完全に秀吉に服従する意を表しました。秀吉は、全国に法律を施行しました。



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後陽成天皇は秀吉の本宅に招かれもてなしを受けた
                     後陽成天皇像(泉涌寺蔵、狩野孝信筆)






 イエズス会の宣教師たちは、この1588年の段階で、「この暴君はいとも強大化し、全日本の比類ない絶対君主となった。」と述べています。「この五百年もの間に日本の天下をとった諸侯がさまざま出たが、誰一人この完璧な支配に至った者はいなかったし、この暴君がかち得たほどの権力を握った者もいなかった。」と記しています



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秀吉は自分の本宅に天皇を招いてもてなし権勢を誇った


 


  さらに、豊臣が天皇を敬意を払って、自分に権威づけをしたこと、天皇が豊臣家を認め、それによって、他の大名が、豊臣家にある程度敬意を払ったことは、当時でさえも、天皇は武士よりも格が上だとみなされて権威を持っていたことが分かります。そして、秀吉は、神道の天皇を重んじることが自分にとって当然、有利であると考えたことでしょう。



 また、秀吉や諸侯の軍人たちは、古事記などの神話を信じていて、日本が天皇の先祖の神によって造られたということや、天皇が神の子孫であるという記述を信じていたことが分かります。今日の日本の状況とあまり差がないのかもしれません。



(4)秀吉はスペインの遭難船の事件をきっかけにしてキリスト教に対して態度を硬化させる


 1596には、今の高知・土佐国スペインの船サンフェリペ号が漂着しました。その船には、七名の司祭が乗り組んでいたそうです。その時、乗組員は、船の修繕許可と身柄の保全を求めて使者に贈り物を持たせて秀吉の元に派遣しました。


 秀吉は奉行を差し向けました。秀吉は、船は海賊に違いなく、
ペルー、メキシコ、フィリピンを武力制圧したように日本も武力制圧を行うため、測量に来たに違いないこと、このことは都にいるポルトガル人ほか数名に聞いた という文書を奉行に持たせていました。



 奉行は、乗組員の持ち物を没収してしまいました。そして、船の乗組員が、奉行に世界地図を見せて、スペインの欧州、南北アメリカ、フィリピンにまたがる領土を示したようです。それで、奉行が、どうしてスペインはこのように広大な領土を持つに至ったのかを尋ねました。



 すると、乗組員は、スペインの王は、宣教師を世界中に派遣して、布教とともに征服することを事業としていると言いました。まず、スペインは、その土地の民を教化して、その後信徒を従わせて、兵力をもってその領土を加えてきたと説明したようです。これは、日本側の記録には、ありませんが、スペイン側の記録にあります。


成員がスペインなどのヨーロッパ諸国がキリスト教の布教と武力制圧をして国土を広げる政策をタイアップしていたことを認めてしまい、ポルトガル人の話を確証することになりました。ですから、秀吉が危機感を抱いて、外国に門戸を閉ざす政策をとったことにも、もっともな反応であったかもしれません。


しかしながら、そのスペイン船は海賊ではなかったので、それは秀吉の不当な判断でした。そして、船員が話したことは実情を話していたかもしれませんが、誠実な動機で、神に仕えていたキリスト教徒に迫害と苦難をもたらすことになりました。



 これがきっかけとなって、豊臣秀吉によるキリスト教徒への迫害である日本二十六聖人殉教が起きました。




昭和天皇はご自分のもとで行われた太平洋戦争に対し深い悔恨と反省の念を抱いておられた

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(1)
昭和天皇のもとで行われた戦争


 1928年に昭和天皇の即位の後、31年に満州事変、37年に日中戦争、41年に太平洋戦争が行われました。天皇は軍部に押し切られた感もありますが、天皇が最高権力を持っていたので、日本がさまざまな戦争を行なってきたことにある程度責任もあったと思います。



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昭和天皇のもとで多くの戦争が行われましたが昭和天皇は深い悔恨の念を抱いておられた




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大日本帝国陸軍の憲兵
戦前は日本の軍隊が権力を振るっていました






 とりわけ太平洋戦争前は、昭和天皇が戦争推進派の東条英機に内閣を作るように命じたのは、致命的な間違いでした。


 その結果、とりわけ、太平洋戦争は日本に壊滅的な結果をもたらしました。ですから、天皇制は日本にとってかなり悪い結果となった部分もありました。神道には、戦争を避けて平和を追い求めるという概念がなかったからです。


 明治、大正、昭和を通じて、日本はできるだけ諸国家間の紛争に中立と平和を保っていたら良かったと思います。しかし、日本はその当時帝国主義、また軍国主義でした。そして、日本の影響力を海外に拡大しようと考えており、とりわけ大勢の東アジアの人々の命を犠牲にして多大の流血を行ないました。それは、とても悪い事でした。それは、日本の天皇制と、古事記と日本書紀のような神話と伝説を日本人が信じていたので刈り取った結果でした。



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From top to bottom; Japanese soldiers shooting blindfolded Sikh prisoners before bayonetting them.
旧日本軍はシンガポールで目隠ししたシーク教徒を銃剣でついて殺したようです―旧日本軍が行った殺人はとても悪いことでした





   それは、幾つかのヨーロッパ諸国がキリスト教の倫理観に影響されて戦争に中立の立場を保ったのとは、対照的でした。そして、それらの諸国家は、平和を保ったために、戦後比較的に苦労することなく、経済的な繁栄を享受しました。それらの諸国家は平和の産み出す実を享受したと言えます。



(2)戦後軍部に押し切られて戦争の惨禍をもたらしたことに強い悔恨を抱いたおられた昭和天皇


  昭和天皇は、実際は平和を望んでおられ、戦争を推進したいと願っていませんでしたが、戦時中にとりわけ、中国にいた関東軍などの軍部が戦争を勝手に推し進めてしまい、天皇はそれを押さえることができなかったということは、よく言われることです。実際、そのことは、戦後、軍部の関係者も認めています。しかし、そのことを昭和天皇自らそのように語っておられたことを、NHKが特集し、2019年に『昭和天皇「拝謁記」-戦争への悔恨-』という番組で放映しました。


 それは、
初代宮内庁長官田島道治が5年近くにわたる昭和天皇との対話を詳細に書き残した「拝謁記」に基づいています。その記述から、昭和天皇は田島長官を相手に敗戦に至った道のりを何度も振り返り、後悔の言葉を繰り返し語っておられたことがわかりました。


 さらに、昭和天皇は、終戦から7年後の日本の独立回復を祝う式典で、国民に深い悔恨と、反省の気持ちを表明したいと強く希望しておられました。当時の吉田茂総理大臣の反対で、昭和天皇が戦争に対する深い悔恨の念を抱いておられたことを示す一節が削られていたことがわかりました。その時、昭和天皇が国民の前で表明したいと願っておられたのは、次のようなお言葉です。



 「国民の康福(こうふく)を増進し、国交の親善を図ることは、もと我が国の国是であり、又摂政以来終始変わらざる念願であったにも拘(かか)わらず、勢の赴くところ、兵を列国と交へて敗れ、人命を失ひ、国土を縮め、遂にかつて無き不安と困苦とを招くに至ったことは、遺憾の極みであり、国史の成跡(せいせき)に顧みて、悔恨悲痛、寝食(しんしょく)為(ため)に、安からぬものがあります」


 それで、昭和天皇は、平和をもたらしたいと願いもあったにもかかわらず、戦前の情勢に巻き込まれて、太平洋戦争をもたらして日本に甚大な被害をもたらしてしまったことを、個人的に強く反省し、その後悔の念のために穏やかな気持ちで食事をしたり、休んだりすることもままならなかったと述べておられます。ですから、昭和天皇は、ご自分の責任を痛感しておられたことが分かります。

 
 「拝謁記」の中で、昭和天皇は軍が勝手に動く様を「下剋上」と表現して繰り返し批判したと記載され、この張作霖の殺害事件を十分処罰しなかったことが発端と考えて深く後悔しておられたことが分かります。



 昭和27年5月30日の拝謁では「考へれば下剋上を早く根絶しなかったからだ。田中内閣の時ニ張作霖爆死を厳罰ニすればよかつたのだ。」また、昭和26年6月8日の拝謁では「張作霖事件のさばき方が不徹底であつた事が今日(こんにち)の敗戦ニ至る禍根の抑々(そもそも)の発端」などと繰り返し事件に触れて当時の対応を悔やんでおられたのことです。


   田島長官は「御信念より相当繰り返し御主張ニなる」と記しています。
 


   その当時、満州の日本軍の関東軍は本土の政府の意向を無視して勝手に行動していました。1928に中国の満州で関東軍司令官は満州軍閥の張作霖が邪魔になり、暗殺を計画しました。司令官の部下は張が乗っている列車ごと爆破して殺害し、そのことを中国側のせいにしようとしました。



 昭和天皇は、事件をあいまいに処理しようとした当時の田中義一総理大臣を叱責しましたが、首謀者が停職になるという軽い処罰で終わり、田中内閣は総辞職しました。その後、関東軍は同種の企てを行い満州鉄道を爆破して、中国側のせいにするというあくどいやり方を再びしました。


 張作霖事件の3年後、張作霖爆殺事件の現場から、わずか数キロの地点で関東軍は満州鉄道の爆破事件を起こしました。張作霖事件の関係者の関東軍の後任は、これを中国の東北軍による破壊工作と発表し、直ちに軍事行動に移りました。戦後のGHQの調査などによっても、本事件は関東軍が首謀し、軍事行動の口火とするため自ら行った陰謀だったことが分かっています。


  そして、関東軍は、奉天などの都市を占領し支配下におきました。 そして1932年に、日本軍は溥儀を擁立して満州国の建国を宣言しました。そして、満州事変は全面的な日中戦争へと拡大していきました。それで、日本が太平洋戦争につき進むことになったのは、満州事変が発端になっています。



 それで内地の政府は最初は不拡大方針でしたが、関東軍は、内地の政府の方針を無視して、独断で行動していました。しかし、後になって、内地の政府も関東軍の行動を追認し、また、閣議で派兵を決定し、関東軍と協力して日中戦争に突き進む結果になりました。


 また、戦前の軍部の暴走を物語る事件として、昭和11年の陸軍の青年将校たちが起こしたクーデターである「2・26事件」は有名です。


   昭和25年11月7日の拝謁で、昭和天皇は「青年将校ハ私をかつぐけれど私の真意を少しも尊重しないむしろありもせぬ事をいつて彼是(かれこれ)極端な説をなすものだ」と振り返ったと記されています。昭和天皇は厳罰にするよう指示し、反乱は鎮圧されましたが、天皇の意志を無視した軍部の勝手な行動はエスカレートしていきました。


 
さらに、拝謁記によると、昭和天皇は「東條が唯一の陸軍を抑え得る人間と思つて内閣を作らしたのだ。勿論(もちろん)見込み違いをしたといえばその通りだが」と振り返り、昭和26年12月14日の拝謁では「平和を念じながら止められなかった」、「東条内閣の時ハ既ニ病が進んで最早(もはや)どうすることも出来ぬといふ事になつてた」と述べられたということです。


 わたしは昭和天皇が中国の関東軍の
関東軍参謀長に就任した経験を持ち、北方のソ連と南方の英米との双方に対する戦争を推進していることが知られていた東條英機に内閣を作らせたのは、昭和天皇が太平洋戦争を引き起こすセッティングをしたようなものだと考えていました。


 でも、昭和天皇は必ずしも、戦争を始めようという意図はなく、軍部を抑えようと意図があったことが分かります。


 しかし、昭和天皇が平和を願ったのであれば、東條英機を登用するのは全くのミスキャストで、昭和天皇の判断に間違いがありました。しかし、結局、人は完全に正しい判断と行動はできないものです。


 また、昭和天皇は、
「南京事件」に言及されました。南京事件とは、1937年(昭和12年)12月日本軍中華民国の首都南京市を占領した際、約6週間もしくは最大で2か月以内にわたって、日本軍中国軍捕虜、敗残兵、一般市民などに対して殺傷や暴行を行ったとされる事件のことです。

 この中で昭和天皇は「支那事変で南京でひどい事が行ハれてるといふ事をひくい其筋(そのすじ)でないものからウス/\(うすうす)聞いてはゐたが別ニ表だつて誰もいはず従つて私は此事(このこと)を注意もしなかつたが、市ケ谷裁判で公ニなつた事を見れば実ニひどい。


 私の届かぬ事であるが軍も政府も国民もすべて下剋上とか軍部の専横を見逃すとか皆反省すればわるい事があるからそれらを皆反省して繰返したくないものだ」と述べたと記されています。


 それで、驚いてしまうのは、一国の長であり、日本軍の総責任者である昭和天皇が、南京事件の真相について少ししか知らなかったということです。それで、当時の日本は、当時の政治的な責任者であった天皇に十分の情報を知らせませんでした。さらに、確かに、昭和天皇が責任者でしたが、軍部が暴走することがこの時にも起きていたということです。

 もちろん、政治的に上に立つ人は、国民に起きていること、また配下にある人々がどのような状況なのか実情を徹底的に知るように努める必要があります。


 聖書は、「あなたは自分の羊の群れの様子をはっきり知っておくべきである。」と述べ、上に立つ人が世話をすべき
配下の人々の状況をはっきり把握する必要があると述べています。(箴言27:23)


 それで、日本では、天皇に対する崇敬の気持ちは強いです。しかしながら、戦後、
昭和天皇は人間宣言をされ、ご自分が現人神でないことを認められました。そのことにも調和して、天皇は戦時中のご自分の判断や行動に間違いがあったことを痛感しておられて、とりわけ日本を日中戦争や太平洋戦争に巻き込んでしまったことに深い悔恨の念を抱いておられました。やはり、人であれば、誰でも、間違いは避けられません。

 そして、昭和天皇は二度と戦争を推進する人々に勝手にやらせることによって、戦争を繰り返したくないと願っておられました。


(3)戦後諸国家への親善大使としての役割を果たしてこられた天皇一族


 
しかしながら、天皇家は、何百年ものあいだ日本の支配階級にあり、日本のために尽くしてこられ、尊ばれたきたのですから、その事実は認められると思います。そして、戦後は、諸国家への親善大使としての役割を果たして下さっています。


 日本で歴史的に政治支配者の立場の家系にあった人々がある意味日本の代表者として諸外国と平和を促進する業務を行われるというのはふさわしいと思います。また、先祖がした過ちを今の天皇家が謝罪をするのはふさわしいのではないかと思います。






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1960年(昭和35年) 日米修好100周年記念晩餐会にて アイゼンハワー大統領夫妻とワシントンD.C.のホワイトハウスにて
今の天皇は外国との親善大使として働いてくださっています





(4)政治指導者に敬意を払うのは正しいが悪い事でも盲従して崇拝するのは間違い


   聖書は、政治支配者に「誉れ」を帰すようにと勧めています。(ローマ13:7)確かに、為政者は大抵の場合、臣民の益を考えて労を払っているのですから、敬意に値します。しかし、聖書は支配者を崇拝することは正しくないと述べています。




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Dmitry Medvedev ロシア連邦の政治家
政治指導者に敬意を払い誉れを帰すのは正しいことです






 聖書は国家を野獣に例えることがあります。そして、野獣などの動物が「理性がない」と述べています。(ペテロ第二2:12)人間政府の多くは、歴史を通して理性のない野獣のように戦争や流血を行なってきました。




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政府が理性のない動物のように振る舞うことがあるので聖書は政府を動物に例えることもあります



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A mass Sieg Heil during a rally in the Tempelhof-Schoneberg district of Berlin in 1935
支配者に敬意を払うのは正しいのですが崇拝を捧げないように気をつける必要があります




 そして、支配者が流血や殺人をするよう要求する時、それに盲従するのは、聖書のいう野獣の崇拝ということになります。(啓示13:4)エホバ神はそのことを不興を示され、野獣に対する崇拝に反対されています。人間の命は神の目に貴重なものだからです。(創世記9:7)



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聖書は政府や政府で構成される国際組織を野獣に例え野獣を崇拝しなうよう警告しています




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A mass Sieg Heil during a rally in the Tempelhof-Schoneberg district of Berlin in 1935
兵士として戦い人殺しをするのは政府に対する盲従であり野獣の崇拝です




 聖書はすべての人が罪人であると述べています。(ローマ5:12)ですから、単なる人間を崇拝することを奨励するのは正しくありません。罪人であるという点では、天皇も例外ではありません。それで、昭和天皇も戦前に間違った判断をなさったのです。また、すべての人が罪を犯す者なのですから、天皇の神の律法に反する命令に従って命を捨てるということは誰にも強制されるべきものではありません。




 天皇家自体が古事記が歴史的な記録としては信頼できない部分があることを認めておられます。それで、天皇を神とみなしたり、あるいは神の子孫として過度の不当な誉れを帰すのは真理にそぐわないでしょう。


(5)愛のゆえに神や正義のために命を犠牲にすることは否定されてはいない


 しかしながら、ある人は天皇を愛して、そのために命を捨てるという人がいるかもしれません。聖書は、「善良な人のためなら,あるいはだれかがあえて死ぬこともあるかも」しれないと述べています。」(ローマ5:7)また、聖書はクリスチャンは、「兄弟たちのために自分の魂をなげうつ務めがあります」とも述べています。


 それで、神に信仰を抱く仲間のクリスチャン、あるいは誰かのために命を投げ打つのは聖書の中で否定されていることではありません。(ヨハネ第一3:16)


 しかしながら、その場合は、自分がそのようにする対象が、神の目に正しいことを行なっているかどうかを理性的に考慮する必要があると思います。また、その人に従って、あるいはその人を喜ばせようとして行なう事が神の目に正しいかどうかを考慮する必要があります。


 単に、天皇のために日本帝国を拡大するという目的で、戦前の日本の特攻隊のように大量殺人をするために命を捨てるのだとしたら、それは愚かなことでしょう。しかし、最近の天皇家は平和を追い求めておられると思います。


(6)私たちの崇拝に値するエホバ神


 聖書は、わたしたちにまず第一に創造者エホバ神を愛するようにと命じています。(マタイ22:37,38)エホバ神は、創造者であり、絶対の愛の神です。(イザヤ42:5。ヨハネ第一4:8)この方は、私たちの命の源であり、世界のすべての良い物を備えて下さった方ですから、私たちが命を犠牲にするのに値する方です。(詩編

36:9)



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エホバ神は光の神

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Takeaway

エホバ神は万物の創造者である愛の神
わたしたちの崇拝に値する唯一の方





 エホバ神はわたしたちのために非常に多くのことをしてくださいました。キリストの贖いの犠牲を備えて人類が永遠の命を得られるようにとりはからってくださいました。(ヨハネ3:16)そして、聖書の中に、人類を幸福に導くための知恵の言葉を含めて下さいました。そして、この方のために、命を犠牲にすることがあっても、エホバ神は、わたしたちを復活させて命を再び与えることができます。(使徒24:15。啓示20:4)


(7)判断において間違いをすることがある天皇のために命を捨てることについてはどうなのか


 明治天皇のもとで1890年に教育勅語が発布されました。この教育勅語はその当時の国民教育の基本理念とされ天皇制教育推進の支柱となりました。国の祝祭日に天皇の写真の拝礼と教育勅語の朗読が強制されていました。


 戦前の教育の基本であった教育勅語には、聖書とも調和した良い教えが含まれています。親に感謝を示すことや夫婦が愛し合い協力することは聖書も勧めています。(テモテ第一5:4。コロサイ3:18,19)しかし、教育勅語の中に含まれている忠臣愛国の教えは間違っているのでしょうか。聖書によると、支配者に服したり、敬意を払ったり、協力することは間違っていません。 (ローマ13:1,7)


 しかし、戦前日本人に強制された教育勅語には、いったん国が危険になったなら、天皇のために命を捨てましょうという教えが含まれていました。そして、その教えのために、太平洋戦争中に神風特攻隊が敵艦に体当たりして、命を捨てました。





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空母エセックスに突入を試みる神風特攻隊の特攻機


戦時中に特攻隊として天皇のために大勢の人を殺すことが崇高なこととみなされました




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1944年10月25日神風特攻隊敷島隊の零戦の特攻で搭載燃料と弾薬が誘爆して爆沈した護衛空母セント・ロー
日本の神風特攻隊がしたことはシリアの自爆テロと同じで殺人ではないでしょうか






 その殺人行為は、天皇や日本の国体を守るため、自分の家族のための利他的な犠牲とみなされて尊い事だと考えられたのでしょう。しかし、殺人をすることは、尊い事だとは決して言えません。



 聖書は殺人や流血を悪い事だとして禁じています。(啓示21:8)その当時の人々から、それは崇高な事だとみなされていても、それは今日の大勢の人々の命を奪うイスラム教の自殺テロと同じです。自分の命を犠牲にして、大量殺人をすることを崇高な良いことだと決して考えるべきではないでしょう。




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Andrea Farias

聖書は殺人を非としています




 戦時中は、人間を百人切りすることを競った二人の日本人の兵士さえいました。そして、それが新聞に立派な事のように報道されさえしました。ですから、戦時中は、人殺しが称揚されていました。


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 The "Contest To Cut Down 100 People" by Tsuyoshi Noda and Toshiaki Mukai. The article was written by Kazuo Asaumi and Jiro Suzuki at the foot of the Purple Mountain, the photograph was taken by Shinju Sato in Changzhou in 12 December 1937.
العربية: ضابطين من الجيش الياباني، توشياكي موكاي وتسويوشي نودا، في منافسة على من يقتل أول مئة شخص بسيف واحد في مذبجة نانجنغ بتاريخ 13/12/1937.

日本語: 「百人斬り'超記録'」 紫金山麓にて淺海・鈴木兩特派員發、百人斬り競爭の兩將校 (右)野田巖少尉 (左)向井敏明少尉 -常州にて佐藤(振)特派員撮影

Tokyo Nichinichi Shimbun, 13 December 1937  Shinju Sato (佐藤振壽)

戦時中天皇のために殺人をすることが誉れあることとされたことは
日本人の道徳観をゆがめました






 ですから、天皇のために命を捨てるという表面的に崇高に見える教えが、日本人の道徳感覚をゆがめていました。戦争前後の時期は、日本の殺人発生率はとても高かったのです。それは、教育勅語の弊害であったと言えるかもしれません。



 エホバは偶像崇拝や流血を非とされます。そして、昔のユダ二部族王国はそうしたことをほしいままにしたので、バビロンから攻撃を受けて、その土地は荒廃することになりました。日本も戦前は、事実に基づかない神話や伝説に影響されていたので、国土が荒廃するという結果を刈り取ってしまったと言えると思います。



 私たちは、エホバを恐れて崇拝し、神の律法を守り、偶像崇拝や流血や殺人を避けるようにしましょう。天皇などの指導者に敬意を払うとしても、神の律法に反する流血を強制されるとすれば、それに盲従することは避けましょう。

日本の偶像崇拝である天皇制とその流血に関してはどうですか

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Emperor Meiji, the 122nd emperor of Japan
明治天皇―聖書は日本の天皇制をどのように見るでしょうか





 エゼキエル33章は、エホバ神がどのような道徳基準を持っておられるかを示しています。また、その道徳基準に反する場合、エホバ神がある国家、もしくはある組織に破滅をもたらし、その土地に居住することを許さない場合があることを示しています。(エゼキエル33:26)


 エホバ神は「わたしはいつでも同じ者である」と言われています。(イザヤ43:13)ですから、今日においても、エホバ神は過去と同じ仕方で行動され、ご自分が同じ道徳基準を持っておられることを示されることになるでしょう。今回、とりわけ日本の政治体制をエホバ神がどのようにご覧になられるかを考察したいと思います。


(1)ユダは神の律法の違反のために国土が荒廃してしまった


 エホバがエゼキエルに音信を与えた時、エルサレムはバビロンによって陥落していました。(エゼキエル33:21)エゼキエル33章の後半では、エホバ神はご自分がそのようにされた理由を説明されました。

 イスラエルはどんなことをしていたのでしょうか。「あなた方は・・・あなた方の糞像に目を上げ続け、絶えず血を注ぎ出す。・・・あなた方は自分の剣に頼った。」とエホバ神はイスラエルを非難されました。(エゼキエル33:25,26)

 それで、イスラエル人は、偶像崇拝を行ない流血を行ない武力に頼りました。そのために、ユダの国土はバビロンにより攻撃され荒廃してしまいました。このことは、偶像崇拝や流血、武力に頼る事などをエホバが決して容認されないことを示しています。


(2)神の怒りを引き起こす殺人と流血


 聖書は、とりわけ、マナセの時代に、エルサレムの端から端まで罪のない者の血が流されたと記録しています。(列王第二21:16)それで、エホバ神はユダを許さないことにされ、ユダはバビロンによって荒廃することになりました。(列王第二23:26,27;24:3,4)


 今日、テロ攻撃をして、何の罪もない市民を殺害することが行われています。自爆テロや、トラックや車で突っ込んで人の命を奪います。イスラム教の過激派などがそうしたことを行なっています。


 イスラム教の過激派は、コーランの神を信じています。そして、彼らは、旧約聖書の記録も受け入れています。旧約聖書の記録は史実に基づいたものです。そして、コーランの中には、旧約聖書に登場する人物が出てきます。そのため、イスラム教の人々は、コーランの記述を真実のものであると信じます。


 しかし、 人々の命を見境なく理由もなく奪うことを求めるのは、真の平和の神ではありません。そのように求めるとしたら、それは偽りの神であり、悪霊です。理由のない流血はやはり、真の神エホバの怒りを買います。それは、マナセの時代の殺人と同じことです。


 そのために、昔のイスラエルとユダは、いったん滅びたのです。わたしたちは皆真の神が流血を憎まれることを思いにとめておく必要があります。


(3)日本では天皇制のもとでどのようなことが行われてきましたか


  現代に、この日本でどのようなことが行われてきたかを振り返ってみましょう。日本も第二次世界大戦の時に、多くの町々が焦土と化しました。それは、日本が行なってきたことの当然の結果でもあったと言えるかもしれません。


 日本がそのような行動をとるに至った天皇制とはどのようなものでしたか。天皇制のもとになった古事記にはどのようなことが教えられていますか。



(4)日本の神道の古事記


 日本も第二次世界大戦前はとりわけ、神道が支配していました。神道の教えのもとになっている古事記は三巻でなっています。上巻によると天地開びゃくから七代目のイザナギ、イザナミという夫婦の神が、矛で海をかきまわし、そのしたたりから日本島ができたことになっています。そして、その島でその神たちは夫婦の交わりをして、万物および支配神を産んだことになっています。



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真福寺収蔵の国宝・『古事記』。信瑜の弟子の賢瑜による写本



 ほこで海をかきまぜ、そのしたたりから島ができたという考えは非常に幼稚で、これを真実の歴史であると過去に日本人が受け入れていたのは、残念な事です。昔は、科学的な知識や歴史的な知識が普及していなかったので、過去の日本人は何が真実であるかについて客観的な判断ができず、偽りの記述に容易に騙されていました。





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天瓊を以て滄海を探るの図(小林永濯・画、明治時代
右がイザナギ、左がイザナミ。二人は天の橋に立っており、矛で混沌をかき混ぜて島(日本)を作っているところ
ほこで海をかきまで日本の島ができたという古事記の記述は理性的に受け入れられますか

日本の神がいたのであれば英国の神アメリカの神ヨーロッパの神中国の神朝鮮の神がいるということになってしまうでしょう





 しかし、その夫婦の神より前から世界が存在していたわけですから、日本の神は、万物の創造者ではありません。ですから、神道はこの世界がどのようにして存在するようになったのかという重要な質問に答えていないことになります。



 また、女神のイザナミは神であるにもかかわらず、死んで黄泉の国に行ってしまいました。イザナギは連れ戻そうとしましたが、後でイザナミに追いかけられ、黄泉の国から逃げ帰ったようです。女神のイザナミが死ぬのであれば神ではないでしょう。



 さらに、イザナギの目や耳や鼻から天照大神やすさのおみことなどのさまざまな神が生まれました。しかし、神の目や耳や鼻からさまざまな神が生じてくるというのも荒唐無稽なあり得ない話であり、古事記が少なくともその上巻は、まったくの作り話の神話であることをさらに示しています。



(5)日本神道の日本書紀と伊勢神宮


 日本書紀も朝廷に伝わっていた神話や記録を奈良時代に編集したものです。日本書紀もある程度、古事記の記述を真実なものとして受け入れています。日本書紀もイザナギとイザナミが日本を産んだと述べています。このことは、日本書紀の記述もとりわけ最初の部分は作り話の神話であることを示しています。




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日本書紀、巻第一、神代上(慶長勅版)
日本書紀も古事記と共通に日本の神々が日本を産んだと述べています
日本書紀も史実ではない神話が含まれています






 また、日本の伊勢神宮は、天照大神を祭っています。古事記や日本書紀の記述が作り話であれば、天照大神も現実には存在しない神だということになります。






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伊勢神宮は貴重な日本の古代建築です
しかし天照大神は実在する神でしょうか

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天照大神はイザナギやイザナミによって産みだされた神のひとりとされています
それは事実でしょうか




 しかし、初代の神武天皇以降の記録が記載されている中巻からは、ある程度史実がもとになっているのかもしれません。



(6)昭和天皇の人間宣言と聖書に信仰を示した三笠の宮


 昭和天皇ご自身が、戦後すぐ194611日に神ではなく人間であるという「人間宣言」をされました。新日本建設に関する証書によると、昭和天皇はご自分と国民との絆は単なる神話と伝説とによって生じるものではない、また、天皇を現人神とし、日本国民を他の民族に優越する民族で、世界を支配する運命を持つということが架空の観念であると正直に率直に述べられました。昭和天皇ご自身が古事記や日本書紀を神話と伝説であるということを認められたのです。



朕ト爾等国民トノ間ノ紐帯ハ、終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依リテ結バレ、単ナル神話ト伝説トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ。天皇ヲ以テ現御神トシ、且日本国民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル観念ニ基クモノニモ非ズ

                 −新日本建設に関する証書より抜粋
昭和天皇は天皇を現人神とする古事記を神話として否定されました





  さらに、先頃亡くなられた昭和天皇の弟の三笠の宮は、古事記は粉飾された部分があることを認めておられました。東京大学でヘブライ史を専攻され、オリエントの考古学の権威ですが、聖書のノアの大洪水の記録を史実として認めておられました。




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"The Deluge", frontispiece to Gustave Dore's illustrated edition of the Bible. Based
ノアの大洪水





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箱舟から降りて神に犠牲を捧げるノアの家族


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現地で箱船の山と呼ばれるアララト山

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新年一般参賀における、三笠宮崇仁親王(Prince Takahito)
三笠宮様はノアの洪水の史実性を生前認めておられました






  

 天皇家は海外のキリスト教系の学校に子弟を通わせてきました。そのため、天皇家の中には、ある程度、聖書を重んじ、キリスト教の影響を受けてきた方々もおられます。


(7)明治・大正天皇のもとで行われた戦争


 明治天皇の時代から日本は天皇制になりました。明治時代は古事記が信じられていました。明治天皇が神々に取り巻かれている様子の絵画が残っています。それで日本人は天皇は神の子孫だと信じていました。




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This 1878 engraving by Toyohara Chikanobu (1838–1912) visually presents the central tenet of State Shinto (1871–1946). This Shinto variant asserted and promoted belief in the divinity of the Emperor, which arose from a genealogical family tree extending back to the first emperor and to the most important deities of Japanese mythology.
さまざまな日本の神々に取り囲まれた明治天皇―日本人は古事記のたくさんの日本の神々の存在と明治天皇が神の子孫であると信じていました





 天皇や軍部の指導のもとに日本は、明治時代以降幾つもの戦争を行なってきました。1867年に即位された明治天皇のもとで日清日露戦争、韓国併合が行われました。


 1912年に実権を握った大正天皇のもとで第一次世界大戦が行われました。大正天皇は子弟をヨーロッパのキリスト教学校に通わせましたが、聖書の教えを固守するほどには、キリスト教を信じてはおられませんでした。第一次世界大戦はヨーロッパと中東が主戦場でしたが、大正天皇のもとで、日本はこれを口実に東アジアとりわけ中国に進出しました。


(8)昭和天皇のもとで行われた戦争


 1928年に昭和天皇の即位の後、31年に満州事変、37年に日中戦争、41年に太平洋戦争が行われました。天皇は軍部に押し切られた感もありますが、天皇が最高権力を持っていたので、日本がさまざまな戦争を行なってきたことにある程度責任もあったと思います。


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The Shōwa Emperor dressed as commander of the Imperial General Headquarters.
昭和天皇のもとで多くの戦争が行われたことを否定はできません






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大日本帝国陸軍の憲兵
戦前は日本の軍隊が権力を振るっていました






 とりわけ太平洋戦争前は、天皇は日本が中国で勝利を収めていたことを喜んでおり、昭和天皇が戦争推進派の東条英機に内閣を作るように命じたのは、致命的な間違いでした。


 その結果、とりわけ、太平洋戦争は日本に壊滅的な結果をもたらしました。ですから、天皇制は日本にとってかなり悪い結果となった部分もありました。神道には、戦争を避けて平和を追い求めるという概念がなかったからです。


 明治、大正、昭和を通じて、日本はできるだけ諸国家間の紛争に中立と平和を保っていたら良かったと思います。しかし、日本はその当時帝国主義、また軍国主義でした。そして、日本の影響力を海外に拡大しようと考えており、とりわけ大勢の東アジアの人々の命を犠牲にして多大の流血を行ないました。それは、とても悪い事でした。それは、日本の天皇制と、古事記と日本書紀のような神話と伝説を日本人が信じていたので刈り取った結果でした。



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From top to bottom; Japanese soldiers shooting blindfolded Sikh prisoners before bayonetting them.
旧日本軍はシンガポールで目隠ししたシーク教徒を銃剣でついて殺したようです―旧日本軍が行った殺人はとても悪いことでした





   それは、幾つかのヨーロッパ諸国がキリスト教の倫理観に影響されて戦争に中立の立場を保ったのとは、対照的でした。そして、それらの諸国家は、平和を保ったために、戦後比較的に苦労することなく、経済的な繁栄を享受しました。それらの諸国家は平和の産み出す実を享受したと言えます。



(9)戦後軍部に押し切られて戦争の惨禍をもたらしたことに強い悔恨を抱いたおられた昭和天皇


  昭和天皇は、実際は平和を望んでおられ、戦争を推進したいと願っていませんでしたが、戦時中にとりわけ、中国にいた関東軍などの軍部が戦争を勝手に推し進めてしまい、天皇はそれを押さえることができなかったということは、よく言われることです。実際、そのことは、戦後、軍部の関係者も認めています。しかし、そのことを昭和天皇自らそのように語っておられたことを、NHKが特集し、2019年に放映しました。


 それは、
初代宮内庁長官田島道治が5年近くにわたる昭和天皇との対話を詳細に書き残した「拝謁記」に基づいています。その記述から、昭和天皇は田島長官を相手に敗戦に至った道のりを何度も振り返り、軍が勝手に動いていた様を「下剋上」と表現し、「考へれば下剋上を早く根絶しなかったからだ」、「軍部の勢は誰でも止め得られなかつた」、「東条内閣の時ハ既ニ病が進んで最早(もはや)どうすることも出来ぬといふ事になつてた」などと後悔の言葉を繰り返し語っていたことがわかりました。


 さらに、昭和天皇は、終戦から7年後の日本の独立回復を祝う式典で、国民に深い悔恨と、反省の気持ちを表明したいと強く希望しておられました。当時の吉田茂総理大臣の反対で、昭和天皇が戦争に対する深い悔恨の念を抱いておられたことを示す一節が削られていたことがわかりました。その時、昭和天皇が国民の前で表明したいと願っておられたのは、次のようなお言葉です。



 「国民の康福(こうふく)を増進し、国交の親善を図ることは、もと我が国の国是であり、又摂政以来終始変わらざる念願であったにも拘(かか)わらず、勢の赴くところ、兵を列国と交へて敗れ、人命を失ひ、国土を縮め、遂にかつて無き不安と困苦とを招くに至ったことは、遺憾の極みであり、国史の成跡(せいせき)に顧みて、悔恨悲痛、寝食(しんしょく)為(ため)に、安からぬものがあります」


 それで、昭和天皇は、平和をもたらしたいと願いもあったにもかかわらず、戦時中の情勢に巻き込まれて、太平洋戦争をもたらして日本に甚大な被害をもたらしてしまったことを、個人的に強く反省し、その後悔の念のために穏やかな気持ちで食事をしたり、休んだりすることもままならなかったことが分かります。ですから、昭和天皇は、ご自分の責任を痛感しておられたことが分かります。

 

 さらに、日本が太平洋戦争につき進むことになったのは、そもそも昭和3年に中国の満州で関東軍が、列車を爆破して、
満州軍閥の張作霖(ちょうさくりん)を乗っている列車ごと爆破して殺害し、そのことを中国側のせいにして軍事行動を起こしたという非常にあくどい行動が発端になっています。

 わたしも、日本の太平洋戦争に至る経緯を振り返ってみると、この関東軍の行動がそもそもの始まりだと思いましたが、昭和天皇ご自身もそのことを痛感しておられて、深く反省したおられたことが近臣との会話から分かります。

 
その時、昭和天皇は、事件をあいまいに処理しようとした当時の田中義一総理大臣を叱責しましたが、首謀者が停職になっただけで事件の真相は明らかにされなかったということです。3年後、関東軍は独断で満州事変を引き起こし、政府もそれを追認し、日中戦争に突き進む結果になりました。


「拝謁記」の中で、昭和天皇は軍が勝手に動く様を「下剋上」と表現して繰り返し批判したと記載され、昭和27年5月30日の拝謁では「考へれば下剋上を早く根絶しなかったからだ。田中内閣の時ニ張作霖爆死を厳罰ニすればよかつたのだ。」また、昭和26年6月8日の拝謁では「張作霖事件のさばき方が不徹底であつた事が今日(こんにち)の敗戦ニ至る禍根の抑々(そもそも)の発端」などと繰り返し事件に触れて当時の対応を悔やんでおられたのことです。田島長官は「御信念より相当繰り返し御主張ニなる」と記しています。


 また、戦前の軍部の暴走を物語る事件として、昭和11年の陸軍の青年将校たちが起こしたクーデターである「2・26事件」は有名です。昭和25年11月7日の拝謁で、昭和天皇は「青年将校ハ私をかつぐけれど私の真意を少しも尊重しないむしろありもせぬ事をいつて彼是(かれこれ)極端な説をなすものだ」と振り返ったと記されています。昭和天皇は厳罰にするよう指示し、反乱は鎮圧されましたが、天皇の意志を無視した軍部の勝手な行動はエスカレートしていきました。


  
さらに、拝謁記によると、昭和天皇は「東條が唯一の陸軍を抑え得る人間と思つて内閣を作らしたのだ。勿論(もちろん)見込み違いをしたといえばその通りだが」と振り返り、昭和26年12月14日の拝謁では「平和を念じながら止められなかった」、「東条内閣の時ハ既ニ病が進んで最早(もはや)どうすることも出来ぬといふ事になつてた」と述べたとされています


  わたしは昭和天皇が中国の関東軍の
関東軍参謀長に就任し、北方のソ連を、南方の英米との戦争を推進していることが知られていた東條英機に内閣を作らせたのは、昭和天皇が太平洋戦争を引き起こすセッティングをしたようなものだと考えていました。でも、昭和天皇は必ずしも、戦争を始めようという意図はなく、軍部を抑えようと意図があったことが分かります。

 しかし、昭和天皇が平和を願ったのであれば、東條英機を登用するのは全くのミスキャストで、昭和天皇の判断に間違いがありました。しかし、結局、人は完全に正しい判断と行動はできないものです。

 また、昭和天皇は、
「南京事件」に言及されました。南京事件とは、1937年(昭和12年)12月日本軍中華民国の首都南京市を占領した際、約6週間もしくは最大で2か月以内にわたって、日本軍中国軍捕虜、敗残兵、一般市民などに対して殺傷や暴行を行ったとされる事件のことです。

 この中で昭和天皇は「支那事変で南京でひどい事が行ハれてるといふ事をひくい其筋(そのすじ)でないものからウス/\(うすうす)聞いてはゐたが別ニ表だつて誰もいはず従つて私は此事(このこと)を注意もしなかつたが、市ケ谷裁判で公ニなつた事を見れば実ニひどい。私の届かぬ事であるが軍も政府も国民もすべて下剋上とか軍部の専横を見逃すとか皆反省すればわるい事があるからそれらを皆反省して繰返したくないものだ」と述べたと記されています。


 それで、驚いてしまうのは、一国の長であり、日本軍の総責任者である昭和天皇が、南京事件の真相についてほとんど知らなかったということです。それで、当時の日本は、当時の政治的な責任者であった天皇に十分の情報を知らせませんでした。さらに、確かに、昭和天皇が責任者でしたが、軍部が暴走することがこの時にも起きていたということです。

 もちろん、政治的に上に立つ人は、国民に起きていること、また配下にある人々がどのような状況なのか実情を徹底的に知るように努める必要があります。聖書は、「あなたは自分の羊の群れの様子をはっきり知っておくべきである。」と述べ、上に立つ人が配下の世話をすべき人々の状況をはっきり把握する必要があると述べています。(箴言27:23)これは、国民の上に立つ、大統領、首相、王などすべての人に必要なことだと思います。

 それで、日本では、天皇に対する崇敬の気持ちは強いです。しかしながら、やはり、人は、誰でも、間違いは避けられません。

(10)戦後諸国家への親善大使としての役割を果たしてこられた天皇一族


 しかしながら、天皇家は、何百年ものあいだ日本の支配階級にあり、日本のために尽くしてこられ、尊ばれたきたのですから、その事実は認められると思います。そして、戦後は、諸国家への親善大使としての役割を果たして下さっています。


 日本で歴史的に政治支配者の立場の家系にあった人々がある意味日本の代表者として諸外国と平和を促進する業務を行われるというのはふさわしいと思います。また、先祖がした過ちを今の天皇家が謝罪をするのはふさわしいのではないかと思います。






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1960年(昭和35年) 日米修好100周年記念晩餐会にて アイゼンハワー大統領夫妻とワシントンD.C.のホワイトハウスにて
今の天皇は外国との親善大使として働いてくださっています





(11)政治指導者に敬意を払うのは正しいが悪い事でも盲従して崇拝するのは間違い


   聖書は、政治支配者に「誉れ」を帰すようにと勧めています。(ローマ13:7)確かに、為政者は大抵の場合、臣民の益を考えて労を払っているのですから、敬意に値します。しかし、聖書は支配者を崇拝することは正しくないと述べています。




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Dmitry Medvedev ロシア連邦の政治家
政治指導者に敬意を払い誉れを帰すのは正しいことです






 聖書は国家を野獣に例えることがあります。そして、野獣などの動物が「理性がない」と述べています。(ペテロ第二2:12)人間政府の多くは、歴史を通して理性のない野獣のように戦争や流血を行なってきました。




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政府が理性のない動物のように振る舞うことがあるので聖書は政府を動物に例えることもあります



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A mass Sieg Heil during a rally in the Tempelhof-Schoneberg district of Berlin in 1935
支配者に敬意を払うのは正しいのですが崇拝を捧げないように気をつける必要があります




 そして、支配者が流血や殺人をするよう要求する時、それに盲従するのは、聖書のいう野獣の崇拝ということになります。(啓示13:4)エホバ神はそのことを不興を示され、野獣に対する崇拝に反対されています。人間の命は神の目に貴重なものだからです。(創世記9:7)



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聖書は政府や政府で構成される国際組織を野獣に例え野獣を崇拝しなうよう警告しています




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A mass Sieg Heil during a rally in the Tempelhof-Schoneberg district of Berlin in 1935
兵士として戦い人殺しをするのは政府に対する盲従であり野獣の崇拝です




 聖書はすべての人が罪人であると述べています。(ローマ5:12)ですから、単なる人間を崇拝することを奨励するのは正しくありません。罪人であるという点では、天皇も例外ではありません。それで、昭和天皇も戦前に間違った判断をなさったのです。また、すべての人が罪を犯す者なのですから、天皇の神の律法に反する命令に従って命を捨てるということは誰にも強制されるべきものではありません。




 天皇家自体が古事記が歴史的な記録としては信頼できない部分があることを認めておられます。それで、天皇を神とみなしたり、あるいは神の子孫として過度の不当な誉れを帰すのは真理にそぐわないでしょう。


(12)愛のゆえに神や正義のために命を犠牲にすることは否定されてはいない


 しかしながら、ある人は天皇を愛して、そのために命を捨てるという人がいるかもしれません。聖書は、「善良な人のためなら,あるいはだれかがあえて死ぬこともあるかも」しれないと述べています。」(ローマ5:7)また、聖書はクリスチャンは、「兄弟たちのために自分の魂をなげうつ務めがあります」とも述べています。


 それで、神に信仰を抱く仲間のクリスチャン、あるいは誰かのために命を投げ打つのは聖書の中で否定されていることではありません。(ヨハネ第一3:16)


 しかしながら、その場合は、自分がそのようにする対象が、神の目に正しいことを行なっているかどうかを理性的に考慮する必要があると思います。また、その人に従って、あるいはその人を喜ばせようとして行なう事が神の目に正しいかどうかを考慮する必要があります。


 単に、天皇のために日本帝国を拡大するという目的で、戦前の日本の特攻隊のように大量殺人をするために命を捨てるのだとしたら、それは愚かなことでしょう。しかし、最近の天皇家は平和を追い求めておられると思います。


(13)私たちの崇拝に値するエホバ神


 聖書は、わたしたちにまず第一に創造者エホバ神を愛するようにと命じています。(マタイ22:37,38)エホバ神は、創造者であり、絶対の愛の神です。(イザヤ42:5。ヨハネ第一4:8)この方は、私たちの命の源であり、世界のすべての良い物を備えて下さった方ですから、私たちが命を犠牲にするのに値する方です。(詩編

36:9)



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エホバ神は光の神

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エホバ神はすべての物を創造してくださった愛の神でわたしたちの崇拝に値する唯一の方





 エホバ神はわたしたちのために非常に多くのことをしてくださいました。キリストの贖いの犠牲を備えて人類が永遠の命を得られるようにとりはからってくださいました。(ヨハネ3:16)そして、聖書の中に、人類を幸福に導くための知恵の言葉を含めて下さいました。そして、この方のために、命を犠牲にすることがあっても、エホバ神は、わたしたちを復活させて命を再び与えることができます。(使徒24:15。啓示20:4)


(14)判断において間違いをすることがある天皇のために命を捨てることについてはどうなのか


 明治天皇のもとで1890年に教育勅語が発布されました。この教育勅語はその当時の国民教育の基本理念とされ天皇制教育推進の支柱となりました。国の祝祭日に天皇の写真の拝礼と教育勅語の朗読が強制されていました。


 戦前の教育の基本であった教育勅語には、聖書とも調和した良い教えが含まれています。親に感謝を示すことや夫婦が愛し合い協力することは聖書も勧めています。(テモテ第一5:4。コロサイ3:18,19)しかし、教育勅語の中に含まれている忠臣愛国の教えは間違っているのでしょうか。聖書によると、支配者に服したり、敬意を払ったり、協力することは間違っていません。 (ローマ13:1,7)


 しかし、戦前日本人に強制された教育勅語には、いったん国が危険になったなら、天皇のために命を捨てましょうという教えが含まれていました。そして、その教えのために、太平洋戦争中に神風特攻隊が敵艦に体当たりして、命を捨てました。





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空母エセックスに突入を試みる神風特攻隊の特攻機


戦時中に特攻隊として天皇のために大勢の人を殺すことが崇高なこととみなされました




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1944年10月25日神風特攻隊敷島隊の零戦の特攻で搭載燃料と弾薬が誘爆して爆沈した護衛空母セント・ロー
日本の神風特攻隊がしたことはシリアの自爆テロと同じで殺人ではないでしょうか









 その殺人行為は、天皇や日本の国体を守るため、自分の家族のための利他的な犠牲とみなされて尊い事だと考えられたのでしょう。しかし、殺人をすることは、尊い事だとは決して言えません。



 聖書は殺人や流血を悪い事だとして禁じています。(啓示21:8)その当時の人々から、それは崇高な事だとみなされていても、それは今日の大勢の人々の命を奪うイスラム教の自殺テロと同じです。自分の命を犠牲にして、大量殺人をすることを崇高な良いことだと決して考えるべきではないでしょう。




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Andrea Farias

聖書は殺人を非としています




 戦時中は、人間を百人切りすることを競った二人の日本人の兵士さえいました。そして、それが新聞に立派な事のように報道されさえしました。ですから、戦時中は、人殺しが称揚されていました。


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 The "Contest To Cut Down 100 People" by Tsuyoshi Noda and Toshiaki Mukai. The article was written by Kazuo Asaumi and Jiro Suzuki at the foot of the Purple Mountain, the photograph was taken by Shinju Sato in Changzhou in 12 December 1937.
العربية: ضابطين من الجيش الياباني، توشياكي موكاي وتسويوشي نودا، في منافسة على من يقتل أول مئة شخص بسيف واحد في مذبجة نانجنغ بتاريخ 13/12/1937.

日本語: 「百人斬り'超記録'」 紫金山麓にて淺海・鈴木兩特派員發、百人斬り競爭の兩將校 (右)野田巖少尉 (左)向井敏明少尉 -常州にて佐藤(振)特派員撮影

Tokyo Nichinichi Shimbun, 13 December 1937  Shinju Sato (佐藤振壽)

戦時中天皇のために殺人をすることが誉れあることとされたことは日本人の道徳観をゆがめました






 ですから、天皇のために命を捨てるという表面的に崇高に見える教えが、日本人の道徳感覚をゆがめていました。戦争前後の時期は、日本の殺人発生率はとても高かったのです。それは、教育勅語の弊害であったと言えるかもしれません。



 エホバは偶像崇拝や流血を非とされます。そして、昔のユダ二部族王国はそうしたことをほしいままにしたので、バビロンから攻撃を受けて、その土地は荒廃することになりました。日本も戦前は、事実に基づかない神話や伝説に影響されていたので、国土が荒廃するという結果を刈り取ってしまったと言えると思います。



 私たちは、エホバを恐れて崇拝し、神の律法を守り、偶像崇拝や流血や殺人を避けるようにしましょう。天皇などの指導者に敬意を払うとしても、神の律法に反する流血を強制されるとすれば、それに盲従することは避けましょう。

出エジプト1章・神を恐れてファラオに従わなかった産婆たち

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「産婆たちはまことの神を恐れた。そのためエジプトの王が話したとおりには行なわず,男の子たちも生かしておくのであった。・・・産婆たちはファラオに言った,『ヘブライ人の女たちはエジプト人の女のようではないからです。活気があって,産婆が行き着く前に,もう
産み終えているのです。』」(出エジプト1:17,19)




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産婆はエホバを恐れて命の危険があったにもかかわらずファラオの命令に従わなかった
エホバ神は産婆たちを守り祝福された






 ヘブライ人の産婆の例から、何が学べますか。

 モーセが生まれる前にエジプトのファラオは、ヘブライ人の産婆にヘブライ人の男の子が生まれたら、殺すようにと命じました。産婆たちはその当時の政治の権威であったファラオに盲目的に従いませんでした。産婆たちは神を恐れて、男の子たちを生かしておきました。








 産婆たちはどうなったでしょうか。ファラオに殺されてしまったでしょうか。


 産婆たちはファラオに問いただされた時に、ヘブライ人の女が出産する時に産婆たちが駆けつけた時には産み終えていると言いました。(出エジプト1:19)


 これは、おそらく真実も含まれていたのでしょう。しかし、半分真実でそのようでないケースもあったでしょう。しかし、そのようにして、産婆たちは難を逃れました。


 さらに、このことでエホバは産婆たちに良くされて、産婆たちに家族を与えたと述べられています。(出エジプト1:20,21)


 このことは、政治の権威の命令が神の律法に反する場合、権威に盲目的に従うのではなくて、神の民を守って神の律法を確固として守る時、エホバ神が保護を差し伸べられる事があることを示しています。


 さらに、この事は、エホバを恐れて神の民と自分の命を守るためにうそを言うことをエホバ神がある程度、容認されることを示しています。

 
 聖書は、「人に対するおののきはわなとなる。しかし、エホバに依り頼んでいる者は保護される。」と述べています。(箴言29:25)

啓示8・9章−七人のみ使いが第一から第六のラッパを吹く(36)大川ユーフラテスのところにつながれている四人のみ使い

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 第六のみ使いがラッパを吹くと、神の前にある黄金の祭壇の角の間から出る一つの声が、第六のラッパを持つみ使いに、「大川ユーフラテスのところにつながれている四人のみ使いをほどきない」という言うのが聞こえました。(啓示9:13)


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大川ユーフラテスのところにつながれている・・・



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四人のみ使いとは誰を表わしていますか




   黄金の祭壇の角の間から出る一つの声とは何でしょうか。四人のみ使いとは誰でしょうか。四人のみ使いが大川ユーフラテスにつながれているとは何を意味するのでしょうか。今回の記事では、この部分を考慮してみます。



(1)黄金の祭壇の角の間から出る一つの声とは


 昔、金の香の祭壇が聖所にありました。(出エジプト30:1,3)金の祭壇」とは、聖所にある香を捧げる「香の祭壇」です。(啓示9:13,14)なぜなら、啓示8章の「黄金の祭壇」も香の祭壇です。なぜなら、「黄金の祭壇の上ですべての聖なる者たちの祈りと共にささげるため,多量の香」がみ使いに与えられているからです。(啓示8:3)




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黄金の祭壇とは香の祭壇で祈りを表わす香が捧げられる
祭壇の角の間から出る一つの声とは聖なる者たちの祈りの声






 ですから、黄金の香の祭壇からは、香が立ち上るはずであり、「香は聖なる者たちの祈りを表わしている」と啓示の書にあります。(啓示5:8)ですから、黄金の祭壇の角の間から出る一つの声とは、聖なる者たちによる祈りの声だと思います。


 祈りによって、神に願いが捧げられ、その祈りの声は、第六のラッパを持つみ使い、つまり、「最後の者たち」に行動を促します。つまり、ユーフラテスにつながれた四人のみ使いがほどかれるよう行動するようにと促すことになるのでしょう。(啓示15:1)


(2)四人のみ使いが「み使い」と言われていても人間であると判断する理由


 そこに「四人のみ使い」がつながれているとは、何を意味するのでしょうか。啓示7章にも、「四人のみ使い」が登場します。(啓示7:1)啓示7章に出て来る「四人のみ使い」と、ユーフラテスにつながれている「四人のみ使い」とは、同じ実体なのでしょうか。通常、同じ言葉で描写されている実体は同じであると判断するのが妥当です。





 四人の「み使い」のギリシャの原語は、アンゲロスです。これは、字義的には「使者」を意味します。この語は、翻訳者が霊の使いを指すとみなす時には、「み使い」と訳され,人間を指しているとみなす場合には「使者」または「使い」と訳されます。(啓示1:20)ですから、「み使い」もしくは、「使い」と訳されている場合、霊者の場合と、人間の場合と二つの可能性があります。



 四人のみ使いは、「大川ユーフラテスのところ」につながれているのですから、「み使い」と訳されていても、霊者ではないでしょう。なぜなら、霊者のみ使いは、捕らわれになったりしないからです。






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啓示7章の四方の風が吹かないようにしている四人のみ使いと同じ実体でしょう
み使いはつながれないので四人のみ使いたちは人間でしょう



  四人のみ使いとは、文字通りの四人の聖なる者を意味しているのでしょうか。「四人のみ使い」は、「地の四隅」にいます。(啓示7:1)啓示20章によると、「地の四隅」には、「諸国民」がいます。(啓示20:8)「地の四隅」の四は、この場合、文字通りではなく象徴的な表現です。


 ですから、「地の四隅」にいる「四人のみ使い」はおそらく「諸国民」の中に散らばっているのでしょう。「四人のみ使い」も特定の数を示唆していない象徴的な表現ではないでしょうか。


 少なくとも分かることは四人のみ使いは、ユーフラテスに捕らわれになるのですから、彼らの本拠地は大いなるバビロン米国の外です。


(3)ユーフラテスのところにつながれているとは


 「大川ユーフラテスのところにつながれている四人のみ使い」とは誰を意味しているのでしょうか。(啓示9:13,14)まず、「大川ユーフラテス」とは何を意味しているのでしょうか。大川ユーフラテスという語は、ここの啓示9章以外に啓示16章にも出てきます。そこには、「第六の者がその鉢の中から大川ユーフラテスの上に注ぎ出した。すると,その水はかれてしまった」とあります。(啓示16:12)



  この記述は、昔ペルシャのキュロスの率いる軍勢が大川ユーフラテスの水が枯れるようにしたことを思い起こさせます。すなわちキュロスはその川が干上がるようにして、ユーフラテス川の上に建てられていた古代バビロンに侵入しました。(イザヤ44:27,28エレミヤ51:63,64)




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ユーフラテスの上に古代バビロンは建設されていたので大川ユーフラテスは大いなるバビロンを表わしている





 それで、ユーフラテスのところにつながれている四人のみ使いとは、大いなるバビロンに捕らわれとなっている者たちを表わしています。大いなるバビロンに連れて行かれるのは、「二人の証人」です。「大いなる都市」とは、「大いなるバビロン」を意味しているからです。(啓示16:19)



 二人の証人については、「底知れぬ深みから上る野獣が彼らと戦い,彼らを征服して殺し」、「彼らの遺体」は,「大いなる都市の大通りに置かれる」ことが預言されています。(啓示11:7,8)それで、大川ユーフラテスに捕らわれている四人のみ使いたちと、大いなる都市大いなるバビロンに連れて行かれる二人の証人の実体は、少なくとも共通部分があるでしょう。



(4)四人のみ使いは大いなるバビロンで捕らわれになっており殺されていない


  「第五のみ使いがラッパを吹いた」後に、いなごの軍勢には,「額に神の証印のない人々」を「殺すことではなく」「五か月のあいだ責め苦に遭わせることが許され」ることになっています。(啓示9:4,5)


 「額に神の証印のない人々」はいなごの軍勢によってさそりに襲われたようなひどい痛みを経験しますが、「死にたいと思っても,死は彼らから逃げてゆく」と預言されています。ですから、あるクリスチャンたちは、苦しみを経験していますが命だけは守られています。(啓示9:6)



 さらに、「もろもろの民・部族・国語・国民から来た者たちは・・・(二人の証人)の遺体を墓の中に横たえることを許さない」と述べられています。家、もしくは墓に「横たえ」られるとは、死ぬことを意味します。(イザヤ14:18)ですから、墓に横たえられることを許さないとは、人々は彼らが死ぬことは許さないという意味になります。




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二人の証人は大いなるバビロンに捕らわれになるが墓に横たわることは許されないので生きている






 それで、世論は二人の証人の命が奪われることを許さないようです。(啓示11:9)それで、二人の証人は、生きながら捕えられており、活動ができなくなっています。




 それで、この「額に神の証印のない人々」は、「二人の証人」と実体が同じであると考えられます。彼らは生きながら捕えられます。私は、二人の証人とは、とりわけローマカトリック教会とギリシャ正教会の聖職者たちを意味しているのではないかと考えています。そのように判断する理由の詳細な説明は、これまでもいろいろな記事の中で説明してきたので過去記事を参照してください。



 そして、「額に神の証印のない人々」は、「二人の証人」で、また、「四人のみ使い」だと考えられます。彼らは、「違反」のために、本拠地が「荒廃をもたらす嫌悪すべきもの」の軍勢によって軍事攻撃を受け、米国に捕らわれとなり連れて来られるのだと考えられます。(ダニエル8:11,12)すなわち、「ユーフラテスのところ」につながれる結果になります。(啓示9:13,14)


(5)四人のみ使いは何をしたのか



 啓示7章では、「四人のみ使い」は、「地の四隅に立ち,地の四方の風をしっかり押さえて,地にも海にも,またどの木にも風が吹かないように」します。(啓示7:1)さらに、その四人のみ使いは、「地と海を損なうことを許された四人のみ使い」と説明されています。(啓示7:2)


  啓示7章の四人のみ使いが、「風が吹かないように」するとは、何をしているのでしょうか。(啓示7:1)ダニエル書には、天の「四方の風」が広大な海をかきたてると巨大な四つの獣が出て来るという表現があります。(ダニエル7:2,3)それで、風が海に吹くと、獣、すなわち、新しい政治的・軍事的組織が台頭してきて、それまでに権勢を振るっていた国家を攻撃して、取って代わります。



  エレミヤ49章では、「天の四方の果てから四方の風をエラムにもたらす」ことが預言されています。「四方の風」をエラムにもたらすとは、神がエラムに、「災いを,エホバの「燃える怒りを来たらすことを意味していました。そして、その結果は、「彼らの後に剣を送り,ついには彼らを滅ぼし尽くす」ことになります。(エレミヤ49:36-38)


 ですから、四方の風がある国家にもたらされるとは、その国家に対抗する軍事的な政権が台頭してきて剣による災いがもたらされることを意味します。その結果は、多くの場合、その国家の滅びという結果になります。


 それで、啓示7章の四人のみ使いは、「四方の風」が吹かないようにして、獣が出現しないようにします。四人のみ使いの努力のゆえに、ある国家に「剣」で象徴されている戦争が起きて、その国家の滅びをとどめることになるわけです。四人のみ使いは、世界を平和に安定させる働きをするようです。


 もし、啓示7章に出て来る「四人のみ使い」と、ユーフラテスにつながれている「四人のみ使い」が、同じ実体だとすれば、「四人のみ使い」は、南の王の滅びが到来しないように世界が安定する努力をしていたのに、南の王の土地に捕らわれになるという皮肉な結果になるということになります。



(6)忠実であるにもかかわらず南の王の土地に捕らわれになる理由


 ダニエル書の中には、聖書の理解を分かつ「洞察力のある者」の中に、「捕らわれ」を経験する者たちがいると預言されており、このことと調和しています。(ダニエル11:33)聖書の「理解」を分かつことそのものは、悪い事ではなく、とてもいいことです。


 エホバに忠実に神のご意志を行なったので、捕らわれを経験するのでしょうか。ダニエル書には、「洞察力のある者たちの中にもつまずかされる者がいる」ことが預言されています。(ダニエル11:35)「つまずき」とは、基本的に災いを経験して倒れることを意味しています。(イザヤ3:8;8:15)


 しかし、イザヤ59章の中には、真実が「つまずく」という表現があります。(イザヤ59:14)その「つまずき」は、公正と義がないがしろにされることと関連しています。ですから、「つまずく」とは公正と義をないがしろにすることも意味しています。


  ですから、「洞察力のある者たちの中」にもつまずかされる者がいるということは、「洞察力のある者」の中にも、真実から離れて、神の公正と義をないがしろにする者たちがいるということを意味します。(ダニエル11:35)パウロは、「神に対する熱心さを抱いている」にもかかわらず、「正確な知識」が欠如している宗教家がいることを述べています。(ローマ10:2)


 ですから、ある程度、聖書についての「洞察力」を持ちながら、聖書の正確な知識が欠けているために、真実から離れて神の公正と義をないがしろにする結果になるクリスチャンがいると聖書は述べています。


 それで、ダニエル書の預言によると、人々に聖書の理解を分かつ「洞察力のある者」の中に、神の律法に関して、神に忠実な者と不忠実な者とが存在することを示唆しています。(ダニエル11:35)「それらの者のゆえに精錬を行ない,清めを行ない,白くすることを行なうため」に、神の律法に忠実な者たちでさえ、そうした「剣と炎」「捕らわれと強奪」を経験することになるようです。(ダニエル11:35)

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ダニエルと三人の友が古代バビロンに捕らわれていたように神の律法に忠実な四人のみ使いたちも大いなるバビロンに捕らわれている




 たとえば、昔バビロンに捕らわれとなったダニエルとその三人の友たち自身は、故国でも毅然として偶像崇拝を退けていたでしょう。バビロンで彼らの命が危険になった時でさえ、偶像崇拝を避けたのですから、彼らは故国で困難な状況の下にあつても偶像崇拝をしなかったはずです。しかし、彼らもバビロンに捕らわれとして連れて行かれたのです。(ダニエル1:6)



  ですから、神の律法に忠実な者たちも、他の神に不忠実になった者たちにもたらされる災いに巻き込まれることになるわけです。


(7)考えられる状況説明



 それで、考えられる状況説明としては、とりわけ、ローマカトリック教会やギリシャ正教会のクリスチャンたちの中にも、聖書に関する理解を他の人々に分かつクリスチャンが存在することでしょう。しかし、彼らの中には、ある程度、聖書の正確な知識が欠如している者たちがいるでしょう。そうすると、聖書の間違った理解のために神の律法に対して、不忠実になり、神の公正と義を投げ捨てる結果になる者たちが存在することになるでしょう。


 それは、イエスが音信を伝えた七つの会衆のペルガモン会衆やテアテラ会衆の中にも、神に忠実なクリスチャンがいる一方、偶像崇拝や淫行に陥るクリスチャンがいたという状況と調和しています。(啓示2:13,14,20,24)ですから、とりわけクリスチャンの中には、野獣の崇拝に屈する人がいると考えられます。


 ですから、どの宗教グループの中にも、神に忠実な者と不忠実な者が存在するでしょう。そして、そのグループの中には、世界が平和になるように自分たちの知識を用いて努力をしていた者たちもいたでしょう。それで、ローマカトリック教会とギリシャ正教会の本拠地が軍事攻撃を受ける時、それらの忠実な者たちも南の王の土地に捕らわれになっていくことでしょう。



  また、聖書に忠実を保とうと努力しているヨーロッパやロシアではない所にいるローマカトリック教会やギリシャ正教会の聖職者たちも大いなるバビロンに捕らわれになっていると考えられます。


 世界が安定化する働きをしていた神に忠実な四人のみ使いが南の王に捕らわれになるという皮肉な状況が見られるのですから、ユーフラテス川のところにつながれている四人のみ使いたちが解放されるように助けて欲しいという神への祈りと願いの言葉があるのも当然のことでしょう。(啓示9:13,14)


 それで、エホバ神は、第六のラッパを吹く最後の者を、四人のみ使いを助けるために、大いなるバビロンに遣わされるようです。それは、「大川ユーフラテスにつながれた四人のみ使い」のために、祈りの声があるからです。当人、また他の人の祈りは確かに助けになります。



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大いなるバビロンに捕らわれている忠実な四人のみ使いたちのために祈りが捧げられるでしょう






 そして、憐み深くエホバ神は平和のために努力している信仰の人々を窮境から助けて下さいます。次の記事では、こうしたことを聖書の他の預言書も預言していることを説明したいと思います。


エゼキエル33章・日本の偶像崇拝である天皇制とその流血に関してはどうですか

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Emperor Meiji, the 122nd emperor of Japan
明治天皇―聖書は日本の天皇制をどのように見るでしょうか





 エゼキエル33章は、エホバ神がどのような道徳基準を持っておられるかを示しています。また、その道徳基準に反する場合、エホバ神がある国家、もしくはある組織に破滅をもたらし、その土地に居住することを許さない場合があることを示しています。(エゼキエル33:26)


 エホバ神は「わたしはいつでも同じ者である」と言われています。(イザヤ43:13)ですから、今日においても、エホバ神は過去と同じ仕方で行動され、ご自分が同じ道徳基準を持っておられることを示されることになるでしょう。今回、とりわけ日本の政治体制をエホバ神がどのようにご覧になられるかを考察したいと思います。


(1)ユダは神の律法の違反のために国土が荒廃してしまった


 エホバがエゼキエルに音信を与えた時、エルサレムはバビロンによって陥落していました。(エゼキエル33:21)エゼキエル33章の後半では、エホバ神はご自分がそのようにされた理由を説明されました。

 イスラエルはどんなことをしていたのでしょうか。「あなた方は・・・あなた方の糞像に目を上げ続け、絶えず血を注ぎ出す。・・・あなた方は自分の剣に頼った。」とエホバ神はイスラエルを非難されました。(エゼキエル33:25,26)

 それで、イスラエル人は、偶像崇拝を行ない流血を行ない武力に頼りました。そのために、ユダの国土はバビロンにより攻撃され荒廃してしまいました。このことは、偶像崇拝や流血、武力に頼る事などをエホバが決して容認されないことを示しています。


(2)神の怒りを引き起こす殺人と流血


 聖書は、とりわけ、マナセの時代に、エルサレムの端から端まで罪のない者の血が流されたと記録しています。(列王第二21:16)それで、エホバ神はユダを許さないことにされ、ユダはバビロンによって荒廃することになりました。(列王第二23:26,27;24:3,4)


 今日、テロ攻撃をして、何の罪もない市民を殺害することが行われています。自爆テロや、トラックや車で突っ込んで人の命を奪います。イスラム教の過激派などがそうしたことを行なっています。


 イスラム教の過激派は、コーランの神を信じています。そして、彼らは、旧約聖書の記録も受け入れています。旧約聖書の記録は史実に基づいたものです。そして、コーランの中には、旧約聖書に登場する人物が出てきます。そのため、イスラム教の人々は、コーランの記述を真実のものであると信じます。


 しかし、 人々の命を見境なく理由もなく奪うことを求めるのは、真の平和の神ではありません。そのように求めるとしたら、それは偽りの神であり、悪霊です。理由のない流血はやはり、真の神エホバの怒りを買います。それは、マナセの時代の殺人と同じことです。


 そのために、昔のイスラエルとユダは、いったん滅びたのです。わたしたちは皆真の神が流血を憎まれることを思いにとめておく必要があります。


(3)日本では天皇制のもとでどのようなことが行われてきましたか


  現代に、この日本でどのようなことが行われてきたかを振り返ってみましょう。日本も第二次世界大戦の時に、多くの町々が焦土と化しました。それは、日本が行なってきたことの当然の結果でもあったと言えるかもしれません。


 日本がそのような行動をとるに至った天皇制とはどのようなものでしたか。天皇制のもとになった古事記にはどのようなことが教えられていますか。



(4)日本の神道の古事記


 日本も第二次世界大戦前はとりわけ、神道が支配していました。神道の教えのもとになっている古事記は三巻でなっています。上巻によると天地開びゃくから七代目のイザナギ、イザナミという夫婦の神が、矛で海をかきまわし、そのしたたりから日本島ができたことになっています。そして、その島でその神たちは夫婦の交わりをして、万物および支配神を産んだことになっています。



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真福寺収蔵の国宝・『古事記』。信瑜の弟子の賢瑜による写本



 ほこで海をかきまぜ、そのしたたりから島ができたという考えは非常に幼稚で、これを真実の歴史であると過去に日本人が受け入れていたのは、残念な事です。昔は、科学的な知識や歴史的な知識が普及していなかったので、過去の日本人は何が真実であるかについて客観的な判断ができず、偽りの記述に容易に騙されていました。





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天瓊を以て滄海を探るの図(小林永濯・画、明治時代
右がイザナギ、左がイザナミ。二人は天の橋に立っており、矛で混沌をかき混ぜて島(日本)を作っているところ
ほこで海をかきまで日本の島ができたという古事記の記述は理性的に受け入れられますか

日本の神がいたのであれば英国の神アメリカの神ヨーロッパの神中国の神朝鮮の神がいるということになってしまうでしょう





 しかし、その夫婦の神より前から世界が存在していたわけですから、日本の神は、万物の創造者ではありません。ですから、神道はこの世界がどのようにして存在するようになったのかという重要な質問に答えていないことになります。



 また、女神のイザナミは神であるにもかかわらず、死んで黄泉の国に行ってしまいました。イザナギは連れ戻そうとしましたが、後でイザナミに追いかけられ、黄泉の国から逃げ帰ったようです。女神のイザナミが死ぬのであれば神ではないでしょう。



 さらに、イザナギの目や耳や鼻から天照大神やすさのおみことなどのさまざまな神が生まれました。しかし、神の目や耳や鼻からさまざまな神が生じてくるというのも荒唐無稽なあり得ない話であり、古事記が少なくともその上巻は、まったくの作り話の神話であることをさらに示しています。



(5)日本神道の日本書紀と伊勢神宮


 日本書紀も朝廷に伝わっていた神話や記録を奈良時代に編集したものです。日本書紀もある程度、古事記の記述を真実なものとして受け入れています。日本書紀もイザナギとイザナミが日本を産んだと述べています。このことは、日本書紀の記述もとりわけ最初の部分は作り話の神話であることを示しています。




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日本書紀、巻第一、神代上(慶長勅版)
日本書紀も古事記と共通に日本の神々が日本を産んだと述べています
日本書紀も史実ではない神話が含まれています






 また、日本の伊勢神宮は、天照大神を祭っています。古事記や日本書紀の記述が作り話であれば、天照大神も現実には存在しない神だということになります。






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伊勢神宮は貴重な日本の古代建築です
しかし天照大神は実在する神でしょうか

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天照大神はイザナギやイザナミによって産みだされた神のひとりとされています
それは事実でしょうか




 しかし、初代の神武天皇以降の記録が記載されている中巻からは、ある程度史実がもとになっているのかもしれません。



(6)昭和天皇の人間宣言と聖書に信仰を示した三笠の宮


 昭和天皇ご自身が、戦後すぐ194611日に神ではなく人間であるという「人間宣言」をされました。新日本建設に関する証書によると、昭和天皇はご自分と国民との絆は単なる神話と伝説とによって生じるものではない、また、天皇を現人神とし、日本国民を他の民族に優越する民族で、世界を支配する運命を持つということが架空の観念であると正直に率直に述べられました。昭和天皇ご自身が古事記や日本書紀を神話と伝説であるということを認められたのです。



朕ト爾等国民トノ間ノ紐帯ハ、終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依リテ結バレ、単ナル神話ト伝説トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ。天皇ヲ以テ現御神トシ、且日本国民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル観念ニ基クモノニモ非ズ

                 −新日本建設に関する証書より抜粋
昭和天皇は天皇を現人神とする古事記を神話として否定されました





  さらに、先頃亡くなられた昭和天皇の弟の三笠の宮は、古事記は粉飾された部分があることを認めておられました。東京大学でヘブライ史を専攻され、オリエントの考古学の権威ですが、聖書のノアの大洪水の記録を史実として認めておられました。




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"The Deluge", frontispiece to Gustave Dore's illustrated edition of the Bible. Based
ノアの大洪水





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箱舟から降りて神に犠牲を捧げるノアの家族


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現地で箱船の山と呼ばれるアララト山

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新年一般参賀における、三笠宮崇仁親王(Prince Takahito)
三笠宮様はノアの洪水の史実性を生前認めておられました






  

 天皇家は海外のキリスト教系の学校に子弟を通わせてきました。そのため、天皇家の中には、ある程度、聖書を重んじ、キリスト教の影響を受けてきた方々もおられます。


(7)明治・大正天皇のもとで行われた戦争


 明治天皇の時代から日本は天皇制になりました。明治時代は古事記が信じられていました。明治天皇が神々に取り巻かれている様子の絵画が残っています。それで日本人は天皇は神の子孫だと信じていました。




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This 1878 engraving by Toyohara Chikanobu (1838–1912) visually presents the central tenet of State Shinto (1871–1946). This Shinto variant asserted and promoted belief in the divinity of the Emperor, which arose from a genealogical family tree extending back to the first emperor and to the most important deities of Japanese mythology.
さまざまな日本の神々に取り囲まれた明治天皇―日本人は古事記のたくさんの日本の神々の存在と明治天皇が神の子孫であると信じていました





 天皇や軍部の指導のもとに日本は、明治時代以降幾つもの戦争を行なってきました。1867年に即位された明治天皇のもとで日清日露戦争、韓国併合が行われました。


 1912年に実権を握った大正天皇のもとで第一次世界大戦が行われました。大正天皇は子弟をヨーロッパのキリスト教学校に通わせましたが、聖書の教えを固守するほどには、キリスト教を信じてはおられませんでした。第一次世界大戦はヨーロッパと中東が主戦場でしたが、大正天皇のもとで、日本はこれを口実に東アジアとりわけ中国に進出しました。


(8)昭和天皇のもとで行われた戦争


 1928年に昭和天皇の即位の後、31年に満州事変、37年に日中戦争、41年に太平洋戦争が行われました。天皇は軍部に押し切られた感もありますが、天皇が最高権力を持っていたので、日本がさまざまな戦争を行なってきたことにある程度責任もあったと思います。



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The Shōwa Emperor dressed as commander of the Imperial General Headquarters.
昭和天皇のもとで多くの戦争が行われたことを否定はできません





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大日本帝国陸軍の憲兵
戦前は日本の軍隊が権力を振るっていました






 とりわけ太平洋戦争前は、天皇は日本が中国で勝利を収めていたことを喜んでおり、昭和天皇が戦争推進派の東条英機に内閣を作るように命じたのは、致命的な間違いでした。


 その結果、とりわけ、太平洋戦争は日本に壊滅的な結果をもたらしました。ですから、天皇制は日本にとってかなり悪い結果となった部分もありました。神道には、戦争を避けて平和を追い求めるという概念がなかったからです。


 明治、大正、昭和を通じて、日本はできるだけ諸国家間の紛争に中立と平和を保っていたら良かったと思います。しかし、日本はその当時帝国主義、また軍国主義でした。そして、日本の影響力を海外に拡大しようと考えており、とりわけ大勢の東アジアの人々の命を犠牲にして多大の流血を行ないました。それは、とても悪い事でした。それは、日本の天皇制と、古事記と日本書紀のような神話と伝説を日本人が信じていたので刈り取った結果でした。



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From top to bottom; Japanese soldiers shooting blindfolded Sikh prisoners before bayonetting them.
旧日本軍はシンガポールで目隠ししたシーク教徒を銃剣でついて殺したようです―旧日本軍が行った殺人はとても悪いことでした





   それは、幾つかのヨーロッパ諸国がキリスト教の倫理観に影響されて戦争に中立の立場を保ったのとは、対照的でした。そして、それらの諸国家は、平和を保ったために、戦後比較的に苦労することなく、経済的な繁栄を享受しました。それらの諸国家は平和の産み出す実を享受したと言えます。



 しかしながら、天皇家は、何百年ものあいだ日本の支配階級にあり、日本のために尽くしてこられ、尊ばれたきたのですから、その事実は認められると思います。そして、戦後は、諸国家への親善大使としての役割を果たして下さっています。



 日本で歴史的に政治支配者の立場の家系にあった人々がある意味日本の代表者として諸外国と平和を促進する業務を行われるというのはふさわしいと思います。また、先祖がした過ちを今の天皇家が謝罪をするのはふさわしいのではないかと思います。






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1960年(昭和35年) 日米修好100周年記念晩餐会にて アイゼンハワー大統領夫妻とワシントンD.C.のホワイトハウスにて
今の天皇は外国との親善大使として働いてくださっています





(9)政治指導者に敬意を払うのは正しいが悪い事でも盲従して崇拝するのは間違い


   聖書は、政治支配者に「誉れ」を帰すようにと勧めています。(ローマ13:7)確かに、為政者は大抵の場合、臣民の益を考えて労を払っているのですから、敬意に値します。しかし、聖書は支配者を崇拝することは正しくないと述べています。




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Dmitry Medvedev ロシア連邦の政治家
政治指導者に敬意を払い誉れを帰すのは正しいことです






 聖書は国家を野獣に例えることがあります。そして、野獣などの動物が「理性がない」と述べています。(ペテロ第二2:12)人間政府の多くは、歴史を通して理性のない野獣のように戦争や流血を行なってきました。




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政府が理性のない動物のように振る舞うことがあるので聖書は政府を動物に例えることもあります



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A mass Sieg Heil during a rally in the Tempelhof-Schoneberg district of Berlin in 1935
支配者に敬意を払うのは正しいのですが崇拝を捧げないように気をつける必要があります




 そして、支配者が流血や殺人をするよう要求する時、それに盲従するのは、聖書のいう野獣の崇拝ということになります。(啓示13:4)エホバ神はそのことを不興を示され、野獣に対する崇拝に反対されています。人間の命は神の目に貴重なものだからです。(創世記9:7)



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聖書は政府や政府で構成される国際組織を獣にたとえその崇拝を行わないように警告しています




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A mass Sieg Heil during a rally in the Tempelhof-Schoneberg district of Berlin in 1935
兵士として戦い人殺しをするのは政府に対する盲従であり野獣の崇拝ということになります




 聖書はすべての人が罪人であると述べています。(ローマ5:12)ですから、単なる人間を崇拝することを奨励するのは正しくありません。罪人であるという点では、天皇も例外ではありません。それで、昭和天皇も戦前に間違った判断をなさったのです。また、すべての人が罪を犯す者なのですから、天皇の神の律法に反する命令に従って命を捨てるということは誰にも強制されるべきものではありません。




 天皇家自体が古事記が歴史的な記録としては信頼できない部分があることを認めておられます。それで、天皇を神とみなしたり、あるいは神の子孫として過度の不当な誉れを帰すのは真理にそぐわないでしょう。


(10)愛のゆえに神や正義のために命を犠牲にすることは否定されてはいない


 しかしながら、ある人は天皇を愛して、そのために命を捨てるという人がいるかもしれません。聖書は、「善良な人のためなら,あるいはだれかがあえて死ぬこともあるかも」しれないと述べています。」(ローマ5:7)また、聖書はクリスチャンは、「兄弟たちのために自分の魂をなげうつ務めがあります」とも述べています。


 それで、神に信仰を抱く仲間のクリスチャン、あるいは誰かのために命を投げ打つのは聖書の中で否定されていることではありません。(ヨハネ第一3:16)


 しかしながら、その場合は、自分がそのようにする対象が、神の目に正しいことを行なっているかどうかを理性的に考慮する必要があると思います。また、その人に従って、あるいはその人を喜ばせようとして行なう事が神の目に正しいかどうかを考慮する必要があります。


 単に、天皇のために日本帝国を拡大するという目的で、戦前の日本の特攻隊のように大量殺人をするために命を捨てるのだとしたら、それは愚かなことでしょう。しかし、最近の天皇家は平和を追い求めておられると思います。


(11)私たちの崇拝に値するエホバ神


 聖書は、わたしたちにまず第一に創造者エホバ神を愛するようにと命じています。(マタイ22:37,38)エホバ神は、創造者であり、絶対の愛の神です。(イザヤ42:5。ヨハネ第一4:8)この方は、私たちの命の源であり、世界のすべての良い物を備えて下さった方ですから、私たちが命を犠牲にするのに値する方です。(詩編

36:9)



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エホバ神は光の神

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Takeaway

エホバ神はすべての物を創造してくださった愛の神でわたしたちの崇拝に値する唯一の方です





 エホバ神はわたしたちのために非常に多くのことをしてくださいました。キリストの贖いの犠牲を備えて人類が永遠の命を得られるようにとりはからってくださいました。(ヨハネ3:16)そして、聖書の中に、人類を幸福に導くための知恵の言葉を含めて下さいました。そして、この方のために、命を犠牲にすることがあっても、エホバ神は、わたしたちを復活させて命を再び与えることができます。(使徒24:15。啓示20:4)


(12)明治天皇の時代に発布され天皇制推進の支柱であった教育勅語


 明治天皇のもとで1890年に教育勅語が発布されました。この教育勅語はその当時の国民教育の基本理念とされ天皇制教育推進の支柱となりました。国の祝祭日に天皇の写真の拝礼と教育勅語の朗読が強制されていました。


 戦前の教育の基本であった教育勅語には、聖書とも調和した良い教えが含まれています。親に感謝を示すことや夫婦が愛し合い協力することは聖書も勧めています。(テモテ第一5:4。コロサイ3:18,19)しかし、教育勅語の中に含まれている忠臣愛国の教えは間違っているのでしょうか。聖書によると、支配者に服したり、敬意を払ったり、協力することは間違っていません。 (ローマ13:1,7)


 しかし、戦前日本人に強制された教育勅語には、いったん国が危険になったなら、天皇のために命を捨てましょうという教えが含まれていました。そして、その教えのために、太平洋戦争中に神風特攻隊が敵艦に体当たりして、命を捨てました。





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空母エセックスに突入を試みる神風特攻隊の特攻機


戦時中に特攻隊として天皇のために大勢の人を殺すことが崇高なこととみなされました




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1944年10月25日神風特攻隊敷島隊の零戦の特攻で搭載燃料と弾薬が誘爆して爆沈した護衛空母セント・ロー
日本の神風特攻隊がしたことはシリアの自爆テロと同じで殺人ではないでしょうか









 その殺人行為は、天皇や日本の国体を守るため、自分の家族のための利他的な犠牲とみなされて尊い事だと考えられたのでしょう。しかし、殺人をすることは、尊い事だとは決して言えません。



 聖書は殺人や流血を悪い事だとして禁じています。(啓示21:8)

その当時の人々から、それは崇高な事だとみなされていても、それは今日の大勢の人々の命を奪うイスラム教の自殺テロと同じです。自分の命を犠牲にして、大量殺人をすることを崇高な良いことだと決して考えるべきではないでしょう。



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Andrea Farias

聖書は殺人を非としています




 戦時中は、人間を百人切りすることを競った二人の日本人の兵士さえいました。そして、それが新聞に立派な事のように報道されさえしました。ですから、戦時中は、人殺しが称揚されていました。


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 The "Contest To Cut Down 100 People" by Tsuyoshi Noda and Toshiaki Mukai. The article was written by Kazuo Asaumi and Jiro Suzuki at the foot of the Purple Mountain, the photograph was taken by Shinju Sato in Changzhou in 12 December 1937.
العربية: ضابطين من الجيش الياباني، توشياكي موكاي وتسويوشي نودا، في منافسة على من يقتل أول مئة شخص بسيف واحد في مذبجة نانجنغ بتاريخ 13/12/1937.

日本語: 「百人斬り'超記録'」 紫金山麓にて淺海・鈴木兩特派員發、百人斬り競爭の兩將校 (右)野田巖少尉 (左)向井敏明少尉 -常州にて佐藤(振)特派員撮影

Tokyo Nichinichi Shimbun, 13 December 1937  Shinju Sato (佐藤振壽)

戦時中天皇のために殺人をすることが誉れあることとされたことは日本人の道徳観をゆがめました






 ですから、天皇のために命を捨てるという表面的に崇高に見える教えが、日本人の道徳感覚をゆがめていました。戦争前後の時期は、日本の殺人発生率はとても高かったのです。それは、教育勅語の弊害であったと言えるかもしれません。



 エホバは偶像崇拝や流血を非とされます。そして、ユダはそうしたことをほしいままにしたので、バビロンから攻撃を受けて、その土地は荒廃することになりました。日本も戦前は、事実に基づかない神話や伝説に影響されていたので、国土が荒廃するという結果を刈り取ってしまったと言えると思います。



 私たちは、エホバを恐れて崇拝し、神の律法を守り、偶像崇拝や流血や殺人を避けるようにしましょう。天皇などの指導者に敬意を払うとしても、神の律法に反する流血を強制されるとすれば、それに盲従することは避けましょう。

啓示5-7章−子羊が第一から第六の封印を開く(10)殉教した者に白くて長い衣が与えられしばらく休むようにと告げられる

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子羊が第五の封印を開くと、神の言葉と証しの業のためにほふられた者たちの魂が祭壇の下で、エホバに対して、地に住む者たちに対する自分たちの血の復しゅうを叫び求めます。(啓示6:9,10)


 すると白くて長い衣がその一人一人に与えられました。そして、彼らは、殺されようとしている仲間の奴隷たちの数が満ちるまで、「あとしばらく休むようにと告げられ」ました。(啓示6:11)今回はここの部分の解釈にトライします。


(1)白くて長い衣が一人一人に与えられる


 神に忠実なクリスチャンの血は、神に地に対する者に対する復しゅう、つまり、大患難を叫び求めさせます。しかし、その魂一人一人に、白くて長い衣がその一人一人に与えられました。(啓示6:11)これは何を意味するのでしょうか。




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祭壇の下に流されている血は神に血の復しゅうを叫び求める





 白くて長い衣が与えられているのは誰でしょうか。天的な希望を持つ二十四人の長老も「白い外衣」を着ています。(啓示4:4)さらに、基本的に地的な希望を持つ大群衆も、「白くて長い衣」を着ています。(啓示7:9)ですから、殉教する人は天的な希望のクリスチャンにも、地的な希望のクリスチャンにもいます。(啓示20:4)


 白くて長い衣が一人一人に、与えられるとは何を意味するのでしょうか。族長ヤコブが臨終の床で、十二人の息子たち「一人一人」に関して預言し祝福しました。(ヘブライ11:21)ですから、天的な希望の者も、大群衆に属する者も、一人一人殉教したという事実に注意が向けられるのでしょう。ひとつひとつの事例について注目されるのではないかと思います。


   聖書は、神に是認されるクリスチャンとは、神やイエスとの関係を「人の前で」公言するクリスチャンであることを示しています。(ルカ12:8,9)ですから、その人が一般的な死を迎えたのか、殉教して亡くなったのかは通常、他の人の目に明らかになるはずです。


 エゼキエル書の中では、比ゆ的に衣を着せるとは神の愛の表現です。(エゼキエル16:10)ゼカリヤ書の中では汚れた衣を取りのけ、礼服を着せることは、神がその者との関係を公認することの表れです。(ゼカリヤ3:4-7)




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汚れた衣服を脱がせて白い衣を着せることは神がその者との関係を認めることを表す



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天的な希望を持つクリスチャンも神から白い衣を与えられて神との関係を認められる


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迫害された地的な希望のクリスチャンとの関係を神は認められる




 それで、エホバ神は、公に神の言葉や証しのために命を失うクリスチャンとの関係を認められ、誉れを与えられるのでしょう。



(2)しばらく待つようにと告げられる


 殉教した魂は、殺されようとしている仲間の奴隷たちの数が「満ちるまで」、「あとしばらく休むようにと告げられ」ました。(啓示6:11)これは、何を意味するのでしょうか。


 エホバ神の公正の感覚のために、「地に住む者たちに対する・・・血の復しゅう」は必ず行われます。(啓示6:10)しかしながら、エホバ神は最大限の辛抱を示されます。


  「仲間の奴隷また兄弟たちの数も満ちるまで」、「血の復しゅう」が行われるのを待たなければなりません。これは、昔、イスラエル人がカナン人を裁いて、自分たちの土地が与えられるのを待たなければならなかったことを思い出させます。アブラハムの時代には、カナン人を裁いて、その土地を占拠するということは行われませんでした。


 「アモリ人のとがが満ちる」まで、エホバ神は四百年待たれました。(創世記15:16)アモリ人は、カナンにおける支配的な部族だったので、アモリ人ということにより、カナン人を表わしていました。




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エホバはアモリ人のとがが満ちて滅びに完全に値するようになるまで四百年待たれた




 そして、カナン人は、寺院売春,子どものいけにえなどのような悪行にふけるようになり、その『とがが満ち』たことを示すようになりました。そして、時が来て、イスラエル人がカナン人をほとんど全滅させ、イスラエル人がその土地を占拠することになりました。


 ですから、大いなるバビロンも、また、その他の諸国家も、神の僕を迫害して殺害していきます。しかし、エホバは、大いなるバビロンを初め、地に住む者たちの「とがが満ちる」まで、「あとしばらく」待たれます。(創世記15:16啓示6:11)


 さらに、南の王は、北の王が自国に連れて来たローマカトリック教会とギリシャ教会の信者を迫害して卑しめます。(啓示11:3,7,8)おそらくその時、大いなるバビロンが「聖なる者たちの血とイエスの証人たちの血に酔っている」という状況の最高潮が生じることになるのでしょう。(啓示17:6)


 たとえ、イエスの証人たちが、神の律法に不従順な部分があったとしても、それは、神の怒りと憤りを生じさせます。エホバ神に信仰を表わす者たちに対して、エホバは忍んでおられるところがあるとしても、ご自分を叫び求める言葉に耳を傾けられることもあるからです。(ルカ18:7,8)



 例えば、エホバ神は、ご自分の律法にはなはだしく違反しても、悔い改めたマナセ王の祈りを聞かれました。(歴代第二33:10-13)それで、エホバ神は、クリスチャンが罪を悔い改めてご自分に対して誠実に祈る時に、神の律法に違反した者でさえ受け入れられます。ですから、クリスチャンの殺害は、神の律法に違反した者たちでさえ、神の怒りと憤りを生じさせます。



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エホバは神の律法にことごとく違反したマナセ王の悔い改めの祈りに耳を傾けられた
神の律法に違反したクリスチャンの迫害も神の怒りと憤りを招く場合がある







  さらに、南の王によって殉教させられるクリスチャンの中には、神とその律法に忠実なクリスチャンも含まれているでしょう。それで、ご自分の忠節な者たちが迫害され、殺されることによって、南の王のとがは満ちることになります。(啓示18:5)そのために、大患難が生じます。





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Foxe, John, 1516-1587
エホバは南の王や諸国民によるクリスチャンに対する迫害が最高潮になるまで辛抱され救いの時間を与える





 それで、エホバの公正の基準が満たされる時は、エホバ神の辛抱強さのために、後の時期に延ばされることになりました。それは、その期間に王国が宣べ伝えられ、イエスの弟子たちが集められるためでした。また、その時間は、迫害者が悔い改めることのできる時間になります。



  それで、エホバ神は、ご自分の僕たちができるだけ数多く救われるために、性急にならずに最大限の辛抱強さを示して、救われる者たちを集められます。
(ペテロ第二3:15)


 それで、エホバ神は、不当に神の僕たちの命を奪う敵たちに裁きを行なうという公正と、救われる者たちの数が最大限になるために辛抱強さを示されるという二つの望ましい特質をどちらもバランスよく示されます。それゆえに、エホバ神はわたしたちクリスチャンが崇拝するに値する特質を持たれる神です。

啓示15・16章−七人のみ使いが七つの災厄を注ぎ出す(19)人々は太陽で焦がされても神を冒とくしたとは?

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 七人のみ使いの第四の者が鉢の中から注ぎ出すと、太陽には人を火で焦がされました。。(啓示16:8)しかし、人々は、太陽で焦がされても、悔い改めずに、かえって神を冒とくしました。太陽とは、宗教的に中心になっている人々を表しています。聖書は、宗教指導者が背教することを予告しています。当然、多くの人々は誤導されてしまいます。

 人々は、誤導される結果、どのような反応を示すでしょうか。悔い改めず、かえって神を冒とくします。神を冒とくするとは、何を意味するでしょうか。



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太陽が人々を焦がすことと預言されている背教


 ダニエル書には、北の王が、神にもともと不忠実な傾向のあったクリスチャンたちをはっきりと背教させることが預言されています。ダニエル11章では、まず北の王は、もともと「聖なる契約を離れる者たち」に考慮を払います。聖なる契約とは、アブラハムに誓われた誓いで、エホバの声に従うならば、アブラハムの胤が神から祝福されるという契約です。(創世記22:16-18)


 そして、北の王が「荒廃をもたらす嫌悪すべきもの」、すなわち緋色の野獣を「据える」ことが預言されています。(ダニエル11:31)そして、北の王は、「契約に対してよこしまな行動をしている者たち」を,「滑らかな言葉で背教に導き入れ」ます。(ダニエル11:32)つまり、北の王は聖書に不忠実をすでに示している宗教指導者をはっきり背教させます。


アブラハムの胤の主要な方は、イエス・キリストです。(ガラテア3:16)イエスの弟子たちもアブラハムの胤となり、キリストの共同相続人となります。(ガラテア3:29)そのためには、キリストを頭として、キリストのおきてに従うという条件に従わなければなりません。


アブラハム契約は、アブラハムの胤であるキリストの弟子たちが互いに愛しあうというおきてを守らなければなりません。(ヨハネ13:34)しかし,ダニエルの預言にあるように、北の王に説得されて、ある宗教指導者たちは、聖なる契約を離れて、剣をとって互いに戦い合うことが正しいと考えます。そして、そうするよう信者たちに奨励します。それは、互いに愛し合うというキリストの新しいおきてから離れています。すなわち、「背教」です。



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聖書に不忠実な太陽の影響でクリスチャンが兵士として戦うのは聖書からの背教



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クリスチャンは互いに愛し合わなければならない

義なる太陽は人々に愛し合うよう勧める






それで、聖なる契約に不忠実で北の王に背教させられた宗教指導者たちは、他の人々に影響を及ぼして、剣をとって戦うように人々に奨励することでしょう。すると、人々は、自ら剣をもって戦いあい互いに滅ぼしあうことになります。このことは、太陽が人々を焦がして災いをもたらすと、描写してもいいのではないでしょうか。



 過去においても、聖書に従うべき聖職者が人々に剣をとって戦うよう唱導したことがありました。たとえば、フランスのジャンヌダルクは、先頭に立って英国軍と戦いました。ジャンヌダルクは、イエスに従うなら、剣をとって戦うべきではなかったのです。神の名のゆえにイスラム教の軍隊と戦った十字軍は、聖書から背教していました。



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フランス人の先頭に立って戦ったジャンヌダルクは聖書に不忠実だった



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剣をとって戦った十字軍は殺人を禁ずる聖書の命令から背教していた




 
それで、そのように聖書の命令に正面切って反抗する背教が起こることを聖書は予言しています。聖書から背教している聖職者の影響によって非常に大勢の人々が剣をとって戦うことになるでしょう。その影響は災いとなるでしょう。



(2)人々は太陽で焦がされても悔い改めなかった


 太陽が人々を焦がすことは「災厄」であると述べられています。人々は、それによつてどのような影響を受けたでしょうか。「々は激しい熱で焦がされたが,彼らは,これらの災厄に対して権威を持たれる神の名を冒とくし,悔い改めて[]に栄光を帰するようにはならなかった。」(啓示16:9)


 人々は、背教した聖職者の影響を受けて剣をとつて戦い、自分たちの家族や友人や知り合いを大勢失うという災いを刈り取るでしょう。しかし、人々は、その災いによって自分たちの行動が間違っていたことを認識しません。かえってますます罪に進みます。


 人々は、神の名を「冒とく」しました。スミルナの会衆では、「ユダヤ人である言いながら、実はそうではなくサタンの会堂に属する者たち」が「冒とく」として、スミルナ会衆の者たちの一部を「次々に獄に入れる」ことが預言されています。(啓示2:9,10)


 人々が神の名を冒とくするとは、神に忠実な神の民を迫害して、ある場合、死に至らせることを意味します。





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https://www.flickr.com/photos/internetarchivebookimages/14776716781/

昔聖書に忠実なクリスチャンを迫害することによって神を冒とくした

人々は兵士として戦い大勢死んでも悲しむことなくかえって聖書に従う者たちを迫害をして悔い改めない




 それで、人々は、比ゆ的な太陽から影響を受けて剣をとって戦い、自分たちの家族や仲間の命を失うという災厄を経験しましたが、それによって、悔い改めて、剣をとって戦うことをやめることはありませんでした。かえって神に忠実な民を迫害して、罪を重ねました。このことは、将来も起きるでしょう。



 それで、わたしたちは、圧政的な宗教指導者たちが、将来、北の王から惑わされて、人々に剣をとって戦うように唱道するようになることを予期できます。とりわけ、啓示13章の海から出てくる野獣の地域の人々、つまり、昔のバビロン、メディア・ペルシャ、ギリシャ、ローマ帝国と米国を含めてその後継国の地域の人々は、そのような影響を受けるでしょう。



 わたしたちはキリストに確固として従い、剣をとって戦い、聖書の中で禁じられている殺人をすることのないようにしましょう。そのように剣をとって戦うように強制される時、山に逃れるか、そのような圧力が強くない外国に逃れるしか方法がないかもしれません。(マタイ24:15,16。ゼカリヤ2:6)





啓示15・16章−七人のみ使いが七つの災厄を注ぎ出す(17)祭壇が神の司法上の決定は義にかなっていると認めるとは?

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  第三の者が鉢の中から注ぎ出すと、川と水のわき出るところが血になりました。(啓示16:4)その後、水をつかさどるみ使いが、大いなるバビロンを滅ぼすという神の決定を義にかなっていると認めます。(啓示16:5,6)そしてその後、祭壇も同意して、神の司法上の決定を義にかなっていると認めます。(啓示16:7)イエス・キリストの言うことに同意をする祭壇とは何を意味しているのでしょうか。


(1)焼燔の犠牲を捧げる銅の祭壇が語ることになる


   モーセの律法下の幕屋でも、ソロモンの神殿でも、祭壇はふたつありました。ひとつは動物の焼燔の犠牲を捧げた銅の祭壇です。(出エジプト30:20。歴代第二1:6)もうひとつは、神聖な香がたかれた黄金の香の祭壇です。(出エジプト40:5。歴代第一6:49。列王第一6:22)このイエス・キリストの言うことに同意する祭壇とはどちらの祭壇によって予表されていたのでしょうか。


 どちらかというと、動物を捧げた動物の祭壇とみなすのが妥当であるようです。黄金の香の祭壇の場合、はっきりとそのような言及があります。(啓示8:3)啓示16章の祭壇の場合は、そのような言及がありません。


 犠牲を捧げる銅の祭壇によって表されていたと判断するのは、次の理由からです。啓示6章も、動物の犠牲を捧げる銅の祭壇で、神の言葉と証しの業のためにほふられた者たちの魂が祭壇の下にいて、彼らは大声でエホバに「あなたはいつまで裁きを控え,地に住む者たちに対するわたしたちの血の復しゅうを[控えて]おられるのでしょうか」と叫びます。(啓示6:9,10)


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啓示6章の祭壇から神に復讐を叫び求める声があがっている

啓示16章の祭壇の声はこの叫びに呼応している





 啓示6章では、エホバに殺された者たちが、血の復しゅうを叫び求めていて、啓示16章では、水をつかさどるみ使いが、聖なる者たちと預言者たちの血を注ぎ出した者たちに、血を与えて飲ませるという決定を下した神が義にかなっておられると認めます。(啓示16:5,6)祭壇は、その言葉に同意して、神の司法上の決定を義にかなっていると認めます。(啓示16:7)ですから、啓示16章の祭壇から発せられる言葉は、啓示6章の祭壇の下から発せられる言葉に呼応しています。


(3)焼燔の犠牲をささげる銅の祭壇で何が予表されていたか


  昔モーセの律法下では祭壇で動物の血が捧げられたり、動物や穀物が焼いて煙にされたりしました。(レビ2:1,2;4:10) 一般のイスラエル人が動物や穀物の犠牲を携えてきて、祭司たちが、祭壇で犠牲を捧げるのを助けました。キリストの到来後もクリスチャンは、神に「賛美の犠牲」すなわち,「そのみ名を公に宣明する唇の実」を常にささげることになっています。(ヘブライ13:15)


 それで、啓示16章の祭壇は、神の民によって、神に対して賛美の犠牲が捧げられていることが予表されていました。「祭壇とそこで崇拝する者たち」という言葉が啓示の書にあります。(啓示11:1)その言葉が意味しているのは、とりわけ、祭司級、つまり、神の王国に入る希望を抱く聖霊で油そそがれたクリスチャンたちであるように思われます。


 しかし、啓示の書に聖なる者たちだけでなく、預言者たちも大いなるバビロンによって命を落とすことが預言されています。(啓示16:6;18:24)昔から、天的な希望を持つクリスチャンだけでなく、地的な希望のクリスチャンも、神の言葉に忠実に従い、証しを行なうゆえに、迫害されて命を落としてきました。それで、大いなるバビロンの迫害によって命を落とす者たちの中には、地的な希望のクリスチャンも含まれているでしょう。


 しかし、啓示16章では、祭壇そのものが語ったと記されています。これはどうしてでしょうか。



(3)神の祭壇の下で不当に流された神の僕の血は神の公正の感覚ゆえに神に復しゅうを叫び求めているように感じさせる


  祭壇が語るとは、別の捉え方もあります。あたかも祭壇が語っているように神に感じさせているのかもしれません。啓示6章では、「神の言葉のために,またその行なっていた証しの業のためにほふられた者たちの魂が祭壇の下」にいて、彼らは大声で叫んで神へ「地に住む者たち」への「血の復しゅう」を叫び求めています。(啓示6:9,10)


 しかし、迫害されて殺された者たち自身は、何も語ることができません。聖書は死者は何も語ることができないと述べているからです。(詩編115:17)しかし、カインがアベルを殺害した時に、エホバはアベルの血が地から叫んでいると言われました。(創世記4:10)アベルは、死んで何も語ることができないのに、血が叫んでいると言われたのです。




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アベルの流された血はエホバに対して叫んでいるようだった




 実際にアベルの血は、叫んではいませんでした。しかし、神は人の命をたいへん貴重なものと考えておられます。「だれでも人の血を流す者は,人によって自分の血を流される。神は自分の像に人を造ったからである。」と述べられています。(創世記9:6)



 
それで、公正を重んじられ、とりわけ、ご自分の僕の命を貴重なものとしておられるエホバ神にとっては、不当に流された神の僕アベルの血のゆえに、神はアベルが叫んでいるように感じられました。(詩編116:15。ルカ18:7,8。創世記18:25)


 人の命は貴重であるがゆえに、人の命が奪われた場合、基本的に公正に基づいて、エホバはその殺人者の命を求められます。神の公正のゆえに、神はその殺人者の血が流されることを求められます。それで、アベルの血のために、カインの血が流されることが必要でした。


 ところが、カインの殺人の罪に対する罰を宣告した時に、カインが「わたしのとがに対する処罰は大きくて負いきれません。」と神にその罰が過酷であると請願しました。そのため、エホバはカインがしばらく生き永らえることを容認されました。(創世記4:13)


 しかし、アベルの殺害に対する復しゅうは、カインの子孫に与えられることになりました。アベルからゼカリヤに対する迫害と流血、また一世紀のクリスチャンの迫害と流血の報いとして一世紀のイスラエル人に前代未聞の災いが臨みました。(マタイ23:35,36)


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神の公正のゆえにアベルなどの神の民の流血は復讐として未曾有の患難を生じさせた



(4)大いなるバビロンで神の僕の命が犠牲にされその血は神に復しゅうを叫び求める




 啓示の書とダニエル書の預言によると、二人の証人が預言の業を精力的に行った後、その本拠地が軍事攻撃され、その後、ある者たちは捕らわれとして大いなる都市大いなるバビロンに連れて行かれることになっています。(ダニエル11:31。啓示11:7,8;16:19)


 二人の証人は、大いなるバビロンの同盟国として剣をとって戦うようです。(ダニエル11:30)そのために、神の律法に対する「違反」があります。(ダニエル8:12)そのために、神の民の迫害者が成功し、一部の神の民は、軍事攻撃を受けて殺され、ある者たちは、捕らわれとなります。


 しかしながら、そのような経験をする者たちの中には、良心的兵役拒否者として武器をとって戦わなかった者たちも含まれているでしょう。神に忠実な者たちの中にも大いなるバビロンの攻撃の犠牲になる者たちがいます。神に忠実な者たちの流された血は、エホバにとって復しゅうを叫んでいるように感じさせます。(創世記4:10)







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銅の祭壇の下に流された犠牲者の血が叫ぶことになる



 エホバは、ご自分の公正のゆえに、神に忠実な民の流血に主な責任のある大いなるバビロンがそのまま存続することを許すことができなくなります。(啓示18:5)そのため、エホバ神は、大いなるバビロンに血を飲ませるという決定を下すことになります。(啓示16:6,7)


 そのために、エホバ神は、大いなるバビロンに有罪の裁きを下されます。そのために、物事の変転が生じ、大いなるバビロンが滅ぼされるように事態は動くことになります。(啓示18:5)


 そして、川と水のわきでるところが血となりました。(啓示16:4)人類の傾向が血の罪を犯すような傾向を示すようになります。さらに、神は、悪魔サタンと、偽預言者と、野獣が、南の王に対して、全力の総攻撃をすることを奨励するメッセージを全地に唱道するという事態が起こることを許されます。(啓示16:13,14,16)


 また、神が迫害者に司法上の裁きを下すならば、神の義と公正の感覚そのものは満足することでしょう。そして、神が迫害者である大いなるバビロンを滅ぼすという決定を下したならば、その決定が義にかなっていることをイエス・キリストは認めることになるでしょう。さらに、神の公正の感覚は、満たされ、ご自分の司法上の決定が、真実で義にかなっていることを認められます。



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イエス・キリストは神の決定は義にかなっている事を認める



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祭壇の下に流された血も神の決定が正しいことを認める




 さらに、聖なる者たちは、祈りの中でその裁きが義にかなっており、公正なものであることを認めることになります。さらに、地的な希望のクリスチャンたちもイエス・キリストや聖なる者たちの意見に賛同することになるでしょう。

啓示17章−新・緋色の野獣とは何を表すか(5)−緋色の野獣は神の民を攻撃することになる

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(1)緋色の野獣と十本の角はキリスト教徒を攻撃して荒廃させるのか

 緋色の野獣と十本の角はキリスト教徒を攻撃して荒廃させるのでしょうか。そう言えるようです。

 まず、大娼婦は、「聖なる者たちの血とイエスの証人たちの血」に酔います。(啓示17:6)そして、緋色の野獣の上に、大娼婦が座っています。つまり、このことは、騎士が乗っている馬を自分の意志通り動かすように、緋色の野獣が大娼婦にコントロールされていることを意味すると思います。ですから、緋色の野獣が、クリスチャンたちを攻撃する上で、大娼婦に協力すると考えてもおかしくはありません。


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緋色の野獣は大いなるバビロンと共に神の民を攻撃する




 また、緋色の野獣の、十本の角は、「子羊と戦う」という言葉もあります。(啓示17:14)ですから、啓示17章では、緋色の野獣が再登場するタイミングで、聖なる者たちの流血が行われています。(啓示17:6)


 そして、ダニエル11章の預言では、まず、北の王が「聖なる所」を汚した後に、「荒廃をもたらす嫌悪すべもの」を据えます。(ダニエル11:31)ですから、キリスト教の拠点が攻撃された時と、「荒廃をもたらす嫌悪すべきもの」が登場する時が、ほとんど同じ時期です。


 ですから、「底知れぬ深み」から再登場する「緋色の野獣」を北の王が中心となって設立するよう提唱する「荒廃をもたらす嫌悪すべきもの」と同じ実体であるとみなしていいと思います。



 そして、緋色の野獣は、いったん底知れぬ深みに入りますが、そこから上って来ることになっています。
(啓示17:8)そのタイミングは、キリスト教徒が北の王によって攻撃され荒廃させられたのと同じタイミングで、ダニエル書では、「荒廃をもたらす嫌悪すべきもの」を据えます。




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北の王は南の王を荒廃させる国際組織を設立することが預言されている



 そして、ダニエルの預言によると、「荒廃をもたらす嫌悪すべきもの」が据えられた後、神の民が「剣と炎により,捕らわれと強奪とによって幾日かのあいだ必ずつまずきに渡される」ことが預言されています。(ダニエル11:33)それで、その組織は北の王によって設立されたのですから、その後、神の民が炎と捕らわれ、つまり戦火を経験することに関わることは考えられます。




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キリスト教に見える北の王が国際組織を設立することになる





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北の王と緋色の野獣はキリスト教の拠点を将来攻撃するようです




 啓示11章にも、「底知れぬ深みから上る野獣が彼らと戦い,彼ら(二人の証人)を征服して殺す」が預言されています。(啓示11:7)ですから、緋色の野獣は、神の民を軍事的に攻撃して荒廃させる点で、その設立者北の王と協力することが考えられます。


(2)神の民はどのようにして救出を経験することになるのか


 しかし、ゼカリヤ書の預言の中には、神の民を攻撃する諸国家を攻撃して打ち倒す「四人の職人」が「ユダの地に向かって角をもたげてこれを追い散らそうとする諸国民の角を投げうつために来る」ことを預言しているようです。(ゼカリヤ1:20,21)


 さらに、また、緋色の野獣の、十本の角は、「子羊と戦う」という言葉もあります。しかし、「子羊は,主」と、「選ばれた忠実な者たち」も共に十本の角を「征服する」という預言があります。(啓示17:14)ですから、神の民は十本の角に影響を及ぼすことができるのでしょう。また、「征服する」という言葉は、彼らが最後まで、殉教したとしても、神に忠実を保つことができることを示しているかもしれません。


 しかし、いずれにしても、聖書は神の民が自ら剣をとって戦うことは「背教」であることを示しています。(ダニエル8:32)ですから、神の民が、北の王の側に立って戦うことは背教です。




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クリスチャンが剣をとって戦うのは背教



 そして、最後は、「聖なる者」は、北の王によって全滅させられることを預言していますから、神の民は、南の王と北の王の間で、中立を保たなければなりません。最後の北の王は、「聖なる者たちで成る民をも
[滅ぼす]」と預言されています。(ダニエル
8:24)






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最後には忠実な王国の成員は北の王によって滅ぼされる



 神の民は、北の王の側にも南の王の側にも立たず、決して剣をとって戦わないようにしてエホバ神に忠節を保ちましょう。

 

 

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忠実なクリスチャンは北の王からも南の王からも迫害される中立の立場

 

 




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クリスチャンが大娼婦によってはなはだしく命を落としてしまうのはどうしてですか(5)ダビデの時代の祭司の虐殺はその父祖エリの神の律法に対する侮りが原因となった

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なぜバビロンは神の民の血に酔うことになるのか



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大祭司アヒメレクの家族の祭司たちが虐殺されたのは単に彼がダビデを助けたからではなかった






   なぜ、啓示17章に大いなるバビロンが神の崇拝者の血に酔うという事態が起きるのかということを洞察する上で、ダビデの時代に起きたサウル王による祭司たちの虐殺事件は参考になります。



 その時代、ダビデに協力した祭司アヒメレクとその従属の祭司たちとその家族が虐殺されてしまいました。これは、単にアヒメレクがダビデに協力したのが良くなかったということではありません。その当時の祭司たちの神との関係が非常に悪くなっていました。そして、そのような状況はその時代の父祖たちの祭司たちから続いていました。


 なぜこのことが起きたのかは、大いなるバビロンの虐殺の原因についての洞察を与えます。



(1)昔大祭司エリの神の律法をきちんと執行せず神の律法を侮った



 ダビデの時代にサウル王は大祭司アヒメレクと祭司八十五人を殺しました。また、祭司の都市ノブの家族や家畜を皆殺しにしました。 (サムエル第一22:9-19)これは、必ずしも、ノブに住む大祭司のアヒメレクがダビデを助けたことが単に悪かったというわけではありませんでした。



 大祭司アヒメレクは、イタマルの家系の祭司エリのひ孫でした。(サムエル第一1:3;14:3;22:9)大祭司エリは、預言者サムエルの時代の大祭司でした。エリはアロンの子イタマルの家系の祭司だったようです。エリの子孫アヒメレクは「イタマルの出」と述べられています。(歴代第一24:3)



  
エホバ神は祭司エリのご自分に対する不忠実さのために、エリの家系の祭司を裁き、剣によって死ぬことを予告されました。(サムエル第一2:31,33)ですから、ダビデの時代に祭司が虐殺されたのは、彼らの父祖の大祭司が、神の律法を行使する点で生ぬるさがあったため、エホバ神がエリの家系の祭司たちから保護を取り去ったからでした。


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アヒメレクの父祖のエリは神の律法を侮っていた


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エリは息子が神殿で淫行を犯してもそのままにしていた





 



 エリは、息子たちが幕屋の女たちと淫行を犯し、エホバへの捧げ物を不敬な仕方で私用にしましたが、軽く叱責する程度で済ませました。(サムエル第一2:12-17;22)エリは、息子たちを祭司職から免職し、処刑しても当然だったでしょう。モーセの律法では、姦淫を犯す者は男女とも死刑にするべきことが規定されていたからです。(レビ20:10)



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大祭司エリが神の律法を侮ったのでエホバはサムエルを用いてエリの家系の祭司を裁くことを宣言された




 聖書には、祭司ピネハスが荒野でイスラエル人がモアブの女たちと淫行を犯した時に、そのようにした長を自ら処刑して、エホバ神に是認されたことが記されています。(民数記25:6-13)しかし、エリは昔の祭司ピネハスのような神の律法に対する熱心さを示しませんでした。神の律法をないがしろにする大祭司の怠慢は、エホバにとって重大なことでした。



(2)エホバ神は大祭司エリの不熱心さのためにエリの祭司の家系の滅びを予告される


 エホバはサムエルを通して、エリの息子たちが同じ日に死ぬこと、さらにエリの家を裁くことを宣言されました。エホバは、エリの「腕と,あなたの父祖の家の腕とを必ず切り落とす日が来る」と予告されました。(サムエル第一2:31)腕とは預言的に、ある人の親族や関係者です。(ダニエル11:6)ですから、エリの家系の祭司が絶えることが予告されていました。さらに、「あなたの家の大多数の者はみな人々の剣によって死ぬであろう。」とも予告されていました。(サムエル第一2:33)




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エリは神の律法を施行するため毅然として行動しなかった



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エリが神の律法を侮ったのでエリの子孫が剣で死ぬことが預言されていた




 確かに、エリに対する裁きの言葉は成就しました。フィリスティア人との戦いで、エリの息子、ホフニとピネハスは同じ日に死にました。(サムエル第一4:11)また、その知らせを聞いた日に大祭司エリも死にました。(サムエル第一4:18)



 大祭司アヒメレクは、大祭司エリのひ孫でした。(サムエル第一1:3;14:3;22:9)大祭司アヒメレクは、ダビデを少し助けました。サウル王はアヒメレクがそのようにしたことを憤って、アヒメレクと他の従属の祭司たちとノブに住んでいた祭司の家族を皆虐殺しました。(サムエル第一22:18-19)



  しかし、大祭司アヒメレクや祭司たちやその家族に対する虐殺が生じた真の原因は、ダビデを助けたということではなく、その父祖である大祭司エリの神の律法に対する侮りであり、また、その傾向がエリの子孫の大祭司に受け継がれたことでした。



 なぜなら、「あなたの家の大多数の者はみな人々の剣によって死ぬであろう」というエリに対する裁きの言葉が成就したからです。(サムエル第一2:33)エリの子孫のアヒメレクも、ある程度、霊的なことにうとく、エホバのご意志に鈍感であったことが伺えます。(サムエル第一22:14,15)



(3)その時代のエホバのご意志や自分の務めに怠慢だった祭司アヒメレク


  アヒメレクは、サウルがダビデの命をつけねらっていたことを知らずに、ダビデに協力し剣と食物を与えました。(サムエル第一21:1-9)しかし、祭司の責任を考えると、アヒメレクは、エホバのご意志をもっと知っているべきで、また、サウル王の状況にもっと敏感で、サウル王がエホバ神に忠実であるように努力を払っているべきでした。



 サウルをエホバ神の油そそがれた者として、油そそいだのは、預言者サムエルでした。エホバ神が預言者サムエルを用いておられたことは知られていたので、アヒメレクは、サムエルの言葉に注意深くあるべきでした。また、預言者サムエルとも連絡をとることができたはずです。


 しかし、アヒメレクは、とりわけ王権に関連したエホバの言葉に目ざとく注意を払うべきだったでしょう。サウル王は、何度もエホバ神に対する不忠実さを示し、エホバ神はサウル王に対する不興と裁きの言葉をすでに表明されていました。しかし、アヒメレクは、エホバはサウルに代わって別の人に王権を与えると言われたことを知らなかったようです。(サムエル第一13:8-14;15:10,11,21-29)そして、エホバ神はサムエルを通してダビデに次の王として油注がれていました。





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アヒメレクはサムエルがダビデを王として油そそいだことを知らなかった
アヒメレクは神のご意志に敏感でなかった




 サムエルは隠れて語っていたわけではなかったので、アヒメレクは、サムエルを通して与えられたエホバの言葉に注意を払うべきでした。アヒメレクは、霊的な事柄、エホバのご意志の表明の変遷にもっと注意を払っているべきだったのです。アヒメレクは事態の進展を何も知りませんでした。



 また、アヒメレクは、エホバの言葉を知っていたはずであり、祭司の務めも知っていたはずです。祭司は、王の神との関係が良いように助ける務めもありました。ですから、アヒメレクは、サウル王の霊的な状態にもっと注意を払っているべきでした。サウル王のお付きの者たちから話を聞くこともできたはずです。サウルとダビデの関係が悪化していたことに気づいているべきでした。


 しかしながら、大祭司アヒメレクは、サウル王がダビデに良くしていたという表面的なことまでしか、知りませんでした。それで、祭司たちは、王室の状況やサウル王の心理状態を知りませんでした。(サムエル第一22:14-15)それで、アヒメレクはさまざまな霊的な事柄に無関心であり、怠慢であることを示していました。 



  その当時、サウルはベニヤミン部族だったので、ベテルとミクマシュに住んでいました。祭司はやはり、ベニヤミン族の領地ノブに住んでいました。(ネヘミヤ11:31,32)ノブと、サウルの住まいベテルとミクマシュは、同じベニヤミン部族の領地であり、ほど近い場所でもあったので、祭司たちはサウルの状況を知ることのできる所にいました。


 アヒメレクがエホバに忠実で自分の務めに勤勉であれば、エホバはアヒメレクに実情を隠さなかったでしょうし、アヒメレクがこうしたことに敏感でアンテナを張っていれば、どこからかアヒメレクは実情を知ることができたでしょう。また、このことをダビデは他の人に話そうとしなかったかもしれませんが、さまざまなことは、隠れて起きた事ではなく、サムエルに連絡をとったり、サウルのお付きの者に状況を確認できたはずです。

 

 アヒメレクの状態を考えると、アヒメレクは神の律法を施行する点でも、やはり、大祭司エリのように生ぬるかったということが考えられます。また、王のエホバとの関係を良いものにする務めが祭司にあったのですから、少なくとも、王宮の状況を知らないというのは、祭司アヒメレクの手落ちでもあったでしょう。


(5)エリの家系の祭司アビヤタルは最終的に退けられエリの家系の祭司に対する裁きの言葉が成就する


 エリの家系のうちひとりアビヤタルは虐殺を生き残った後、ダビデのもとに逃げて、ダビデと共にサウル王からの迫害を忍びました。彼は、その間は生き永らえたのです。(サムエル第一22:20-23)ですから、アヒメレクは神の油そそがれた者ダビデの側に立って保護を得ていました。



  アビヤタルは、しばらく大祭司でしたが、後でダビデの反逆者アドニヤにつきました。(列王第一1:7)アビヤタルは、ダビデを油そそぐに当たって預言者サムエルはエホバ神の導きを得ていたことを見落としました。単に、ダビデの息子アドニヤの側についた方が、何か自分にとって都合がいいと考えたのでしょう。彼はエホバの導きと選びを見落として、エホバ神のその油そそがれた者に不忠実になって、自分の祭司職を失ってしまいました。



 その時、アビヤタルに次ぐ祭司の立場にあったザドクが大祭司の地位に就けられました。(列王第一1:8)ザドクは、エリとは別の家系の大祭司でした。そのため、不忠実を示したアビヤタルが大祭司の立場から退けられることにより、エリの家に対する裁きの言葉が完全に成就しました。(サムエル第一2:31)


  しかし、いずれにせよ、アビヤタルは単にエリの家系の祭司であっただけでなく、エホバ神のご意志を見極める点で、霊的な鈍さを表わし、エホバ神の油そそがれた者に不忠節になりました。彼は彼自身の霊的な鈍さによって、神からの是認された立場を失ってしまいました。



 ですから、大祭司エリとその子孫アヒメレクのノブの祭司たちに起きたことを考えると神の僕の側に神の律法を施行する上で、生ぬるさがあると神を崇拝していても、神の保護が失われ、神の僕が敵によって欲しいままに命が奪われるということが起ることが分かります。ですから、大いなるバビロンが神の民の血に酔うという事態が生じるのは、主に神の民の側の神の律法に対する不忠実さに原因があると考えられます。




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バビロンが神の民の血に酔うのは神の民の側の神の律法に対する違反に主要な原因がある




クリスチャンが大娼婦によってはなはだしく命を落としてしまうのはどうしてですか(3)証しのため野獣の崇拝を拒否するためクリスチャンが命を失う事態をどのように緩和できますか

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クリスチャンが大娼婦によってはなはだしく命を落としてしまうのはどうしてですか(3)

証しのため野獣の崇拝を拒否するためクリスチャンが命を失う事態をどのように緩和できますか


 啓示の書には、大いなるバビロンが聖なる者たちや預言者たち、また「イエスの証人たち」の血に酔うことが預言されています。(啓示17:6;18:24)このことが生じるのはどうしてでしょうか。エホバ神はご自分を愛する忠節な者たちを保護すると言明しておられるのに、どうしてこのような事態が生じるのでしょうか。(詩編31:23)どのようにこの事態を緩和できますか。




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どのように大娼婦大いなるバビロンが神の民の血に酔う事態を避けられますか





(1)啓示の書は神の言葉の証しのために殉教するクリスチャンが数多くなることを預言


 啓示の書には、「神の言葉のために,またその行なっていた証しの業のためにほふられた者たちの魂が祭壇の下にいるのを見た。」とあります。そして,彼らは大声で叫んで言った,『聖にして真実な,主権者なる主よ,あなたはいつまで裁きを控え,地に住む者たちに対するわたしたちの血の復しゅうを控えておられるのでしょうか』」(啓示6:9-10)



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聖書は神の言葉の証のために殉教するクリスチャンが存在するようになることを否定してはいない





 ですから、聖書は神の言葉の証しの業のために命を失うクリスチャンが存在することを、当然否定はしていません。それらのクリスチャンには、白い衣が与えられます。(啓示6:11)つまり、神の目から義なる者だと宣言されるということを意味すると思います。それらのクリスチャンは、天であれ、地であれ復活することになります。


 この後の部分で、神の言葉の証しのために殉教するクリスチャンが現れることを否定はできないとは言え、その事態をどのようにして緩和するかを述べたいと思います。


(2)聖書は野獣の崇拝を断固として拒否するために殉教するクリスチャンが存在することを預言


   しかしながら、聖書は、サタンの座があるところで、「わたしの証人,また忠実な者であるアンテパス」が、「わたしに対する信仰を否定しなかった。」と述べています。(啓示2:13)アンテパスは皇帝崇拝を退けイエスに対する忠実を保って殉教したと考えられます。



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アンテパスは野獣の崇拝を拒絶して信仰を保ち殉教したと考えられる





 また、アンテパスが殉教した場所は、「サタンの座のある所」と述べられています。(啓示2:13)サタンの座のある所とはどこでしょうか。啓示13章によると、龍、すなわちサタンは自分の座を野獣に与えました。(啓示13:2)

 現在の所、わたしは啓示13章の野獣とは、米国とヨーロッパの一部と中東諸国、中央アジアの地域の諸国家ではないかと考えています。そうした諸国家においては、とりわけ、野獣の崇拝の要求が強くなることが考えられます。従来、中東諸国では、独裁者が支配して、政治支配者に対する崇拝を要求して、兵士となり、武器をとって戦うようににという圧力は強いものがありました。





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中東では武器をとって戦うようにという圧力は大変大きい





  アンテバスはイエスの「証人」と言われています。彼はイエスに対する信仰を証明して命を失いましたが、イエスには是認されていました。ですから、アンテパスは天あるいは地に復活することになります。


(3)大娼婦の自国に対する崇拝


 南の王、すなわち大娼婦大いなるバビロンは、他の人々を迫害して命を奪うことにつながる特性を持っています。南の王は自国に対する崇拝を求める国です。大娼婦の額にある名は自分が神として崇拝している名前を意味しています。(啓示14:1)そして、大娼婦は額に「大いなるバビロン」という名前が書かれているので、それは大娼婦が自分自身を崇拝していることを意味しています。(啓示17:5)


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額にある名はその人の神の名

バビロンの額に彼女自身の名があるのでバビロンは自分の崇拝者





 そのために、南の王は、自国のために武器をとって戦うことを求めます。そのため、それを拒否する良心的拒否者の米国民は、命を奪われるという可能性は将来高くなるでしょう。 (啓示17:5,6)さらに、米国では、自国に対する忠誠の誓いをしたり、国旗に忠誠を表明することをとりわけ強く要求したりします。


 愛国心はどこの国でも強いのですが、米国人はとりわけ愛国心が強く、小さな頃から自国に対する誇りと忠誠心を教え込まれます。たとえば、米国大統領が演説の中で、「米国は強い」ということを述べて、その言葉に米国人が熱狂するという場面があります。それで、米国民は一般的に世界で一番軍事的に強い国家であることを誇りに思っています。


 ですから、米国の大統領に対して盲従することを求める圧力が米国では他の国家よりも強くなりがちでしょう。しかし、これは他の多くの国家の政治指導者に関しても同じような傾向がみられることがあります。


 ですから、聖書は神の言葉の証しのために殉教するクリスチャンが存在することを否定はしていません。それは、米国内にも見られることになるでしょう。また、野獣の崇拝が要求されて、それを拒否するために殉教するクリスチャンがいることも予期できます。では、クリスチャンが聖書の言葉の証しをしたり、また、政治指導者の近くで働いている場合、どのようにして、自らの命を守れるかを次に考察したいと思います。


(4)政治支配者を崇拝することは禁じられている


  神の律法にかかわることでは、政治支配者に服従することはできません。「わたしたちは,[自分たちの]支配者として人間よりに従わねばなりません。」と一世紀の使徒たちは言いました。(使徒5:29)ですから、クリスチャンは政治支配者が自国に対する崇拝や殺人を求める時には、それに盲従することはできません。崇拝を捧げることはできません。




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国旗への忠誠の誓いは国家に対する崇拝

神の目には偶像崇拝




 
ダニエル書の中に、ダニエルの三人の友は、バビロンのネブカドネザル王の立てた彼を表した像に対する崇拝を拒絶しました。それは、イスラエル人にとって十戒の一番目に禁じられたエホバ神以外の物に対する偶像崇拝に当たったからです。


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ダニエルの三人の友はバビロンの王の偶像に対する崇拝は拒絶した





 ダニエルの三人の友の場合、エホバ神は彼らを火の燃える炉の中から奇跡的に助け出して、彼らが偶像崇拝を退けたことに対して、是認を表明されました。



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神はみ使いを遣わし三人を火の燃える炉から奇跡的に助け彼らの行いに対する是認を表明される






 
国家への崇拝はさまざまな方法で表明されます。通常は、国旗への崇拝などを拒否すると、何らかの収入の良い職を失ったりすることがあります。確かにそれは痛手ですが、そのクリスチャンはエホバ神からの是認を失っていませんから、その後も、エホバ神からの助けを経験できるでしょう。事態の進展によっては、そのような立場そのものが、そのクリスチャンの命を助けるという事態も起こりうると思います。





(4)政治支配者への崇拝ではなく敬意を払うことは求められている


 しかし、一方、地の王たちにしても、クリスチャンにしても、他の政治指導者たちに出来る限り敬意を払い誉れを帰すことは、神が求められていることです。




 しかしながら、聖書は、政治支配者が敬意を求める場合には、敬意を払うように勧めています。聖書は政治支配者に関して、「恐れを[要求する]者にはしかるべき恐れを,誉れを[要求する]者にはしかるべき誉れを」与えるように勧めています。(ローマ13:7)



 
これは一般的な常識であるマナーでもあります。これは、政治指導者たちと話をする際、あるいは彼らに言及する際に敬意のこもった丁寧な言葉遣いをすることを意味しています。


 



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聖書は政治支配者にふさわしい誉れを帰すよう勧めている



 今は、環境改変兵器や電磁波武器が存在するので、秘密裏に軍事攻撃ができます。そのため、南の王、あるいは、その他の国々の王ににらまれた人たちが標的になるということが起こり得ます。



 ダニエルの友も、ネブカドネザル個人の怒りの感情の犠牲になりそうだったのです。その当時、ネブカドネザルは生殺与奪の権をふるうことのできる立場にありました。わたしは、今日においては、そうした武力を行使する最高権威が与えられている人の考え、あるいは感情によって物事が決められる場合があるのではないかと考えます。




 聖書は、バビロンに住んでいたダニエルが、バビロンや人間の政府が最終的には、滅びるというバビロンの王を怒らせかねない預言の説明をしましたが、最後まで生き残ったことを示しています。




これはなかなか難しくて私もうまくできない事ですが、それは、ダニエルが預言の説明をする時に、バビロンの王に出来る限り敬意を払った話し方をしたからではないかと思います。(ダニエル2:29,38)ダニエルはバビロンの王が地上で非常に高い立場と力を与えられていることを率直に認めました。




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ダニエルは人間の政府が終わるという王を怒らせかねない預言もできる限り相手の優れた立場を認めつつ証しをした




 バビロンの王ネブカドネザルは、エホバの神殿を破壊し、エルサレムを火の海にし、エホバの崇拝者であるイスラエル人を殺した当人であったのです。また、ネブカドネザル王は、自分の思うとおりにならないと、自分の家来を殺すという傾向があったので、同国のバビロニア人でさえ、殺害していたと考えられます。



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古代の残酷なバビロンの王に敬意を払うようエホバ神は勧められた





 ダニエルが、そのように殺人的なネブカドネザル王に敬意を払ったことにも注目できると思います。しかし、ネブカドネザルは、神に敬意を払う一面も持っていたのです。それは、ダニエルが聖書の預言を説明する努力を払ったからでもありました。殺人的な傾向があるからといって、その人に対して聖書から証言をしなければ、決してその人がエホバ神に信仰を抱く結果にもなりません。



  また、一世紀のクリスチャンパウロは王に証言する際に、そのような機会が与えられたことに感謝しています。さらに、相手の優れた点に感謝を表明して、辛抱して話を聞いてくださるようお願いして話を始めています。(使徒26:2,3)



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パウロはローマの高官に証言する時敬意のこもった話し方をした




 パウロは決して不敬な話し方をしていません。実際は、その王は連れ合いと近親相姦関係にあったようですが、そのことを口悪く非難していません。




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パウロは初対面で王の個人的な悪行を非難せずその職に敬意を払いつつ話した




 正直に、率直に自分の願いを述べたとしても、できる限り感謝を表明したり、相手の優れた立場を認め、良い点に言及するのは良いことだと思います。



 実際、初対面の人にその人の私生活の悪い点を指摘するのは、マナーにかなっていません。日本の皇室の関係者や、ビジネスで成功している秘書や販売員はとても丁寧なうやうやしい話し方をします。これは、年取った婦人に対する勧めですが、聖書は「恭しく振る舞」うことを勧めています。(テトス2:3)




   実際、そのような話し方をしないと、話をしている相手を怒らせて、外国との外交関係で失敗したり、顧客を失うということになるでしょう。箴言は、「痛みを生じさせる言葉は怒りを引き起こす。」と述べています。(箴言15:1)そうした言葉は、権力を持つ人に対して語られると甚大な結果をもたらしえます。



 また、聖書は自分の立場がどんなものであれ、神の律法に違反しないことであれば、道理にかなったものとなることを勧めています。(ヤコブ3:17)平和的に謙遜に譲歩することを勧めています。(ヤコブ4:6)これは、神の律法に関係しない分野ではできる限り、融通を効かせることを意味していると思います。


 こうしたことは、神の言葉を語るクリスチャンの命を左右することになりえると思います。「死も命も舌の力のうちにある。それを愛している者はその実を食べる。」と箴言にあります。(箴言 18:21 )




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Dan Pelleg    舌は命か死かという結果をもたらしえます




 ですから、舌で述べることはその人の命と死を左右するくらい大きな影響があります。生殺与奪の権を持っている権威のある人と話す時は、そのことがとりわけ求められます。ですから、できる限り、南の王の政治支配者に対して語る時、敬意を払うのは賢い事です。そのようにして大いなるバビロンが神の民の血に酔うという事態を緩和することができるでしょう。

クリスチャンが大娼婦によってはなはだしく命を落としてしまうのはどうしてですか(2)実際の証拠は神の律法を守るクリスチャンの生存率は良い

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 啓示13章に大いなるバビロンが神の民の血に酔うことになるという預言があります。 しかし、聖書が神を恐れる者が結果が良いと述べていること、また、神の崇拝者に神の保護が約束されていること、神がご自分の崇拝者の祈りを聞かれることも事実です。(伝道の書8:12,13)


 ですから、この預言は少し理解しがたいところがあります。現代のエホバの証人が迫害の的になっていても、やはり、神からの保護が全くない一般の人々や神の律法を守らないクリスチャンたちよりも、生存率がたいへん良いことを示す証拠を提出したいと思います。




(1)現代のエホバの証人が過酷な迫害下でエホバの少しの保護と助けを受けている証拠−日本での東日本大震災の時



 
現代のエホバの証人にかかわる状況を考察すると、証人には、迫害によって犠牲になる人が存在しますが、わたしは証人の生存率はいいと思います。


 

  たとえば、日本の東日本大震災の後で、エホバの証人とその聖書研究生で、亡くなった人が

14名であるという発表がありました。これは、証人の年鑑の中で発表されています。その時に、亡くなった一般の人の数がおよそ一万九千人ほどだったと思います。私は、計算してみて、その地域のエホバの証人の人数のうちでの死亡率が一般の人と比べて低いと思いました。





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日本のエホバの証人の東日本大震災と津波の犠牲者の数はわずか14名で生存率が良い




 なぜ生存率が良いのかを考えると、エホバの証人は、危機に直面するとエホバ神に祈ると思います。わたしはある証人が車に乗っていて津波に巻き込まれた経験を読みましたが、その人は、一晩そのままでしたが、エホバ神に祈りました。そして、近くの人に助けられました。エホバ神はその男性の祈りを聞かれました。


エホバの証人東日本大震災の報告とわたしの感想(1)




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エホバの証人はふだん祈り危機に直面した時祈り神の助けを得ている




 そうしたことが、結局、津波の直面した証人でエホバ神に祈った人皆に起きているのではないかと思います。それで、結果として、証人の生存率がよくなっているのではないかと思います。


 いつも、エホバの証人の経験が証人の記事に掲載されますが、九死に一生を得た経験などがよくあります。以前から災害時に証人が巻きこれまた経験なども掲載されていますが、どちらかというと、犠牲者がかなり少ない印象がありました。エホバ神はご自分に頼る人の祈りを聞かれるでしょう。



 わたしも、よく祈りを聞かれます。もちろん、すべてではありませんが。聞かれる祈りもあります。もちろん、しつこく祈ることが必要です。しかしながら、証人も不死身ではないので、交通事故など祈るひまなどないということもあるでしょう。そして、今の事物の体制では誰も永遠に生きることはできません。しかし、妥当な範囲で証人は、やはり神に守られていると思います。




(2)第二次世界大戦中のナチにより迫害の的になつたドイツの証人とそれ以外の一般の人々の状況の考察


 第二次世界大戦中、ドイツのエホバの証人は、戦時中、徴兵拒否や戦争関係業務拒否の立場を取り、ユダヤ人を差別する人種法に従うことも拒否しました。(「ホロコースト大辞典」 シビル・ミルトン著 119p)「ハイル・ヒトラー」と言って敬礼をしませんでした。(使徒4:12)それは、ヒトラーにキリストと同様の崇拝を捧げることになったからです。証人はいわゆる野獣の崇拝を避けました。


 そのため、エホバの証人であるという理由で、強制収容所に投獄されました。ヒットラーによりエホバの証人が厳しい迫害を受ける前に、証人の数は、ドイツに二万人足らずだったようです。戦時中に、合計6,019人が逮捕され,2,000人の兄弟姉妹が強制収容所に入れられ,合計635人が刑務所で死に,その中には203人死刑を宣告されて実際に処刑された人が含まれていました。これは、ドイツの証人の年鑑の記録です。






jw


Marion DossBy: Marion Doss
強制収容所でパープルの逆三角形はエホバの証人のしるしでありこの
写真の受刑者に証人がいたと考えられる


  これは痛ましい数字です。しかし、これはある意味、エホバの証人の誠実さの証拠です。残念ながら、わたしは聖書の預言の理解のすべてで、証人と同じではありませんが、彼らが断固として殺人と政治支配者に対する偶像崇拝を退けている立場は正しいし、敬意に値すると考えています。



 
彼らは、フィラデルフィア会衆のように少しの力でイエスに不実なものにならないように努力をしました。


 しかしながら、ざっと計算すると、その時代のドイツのエホバの証人全体の死亡率は、3%強になります。証人のうちざっと97%は厳しい試練を生き残ったわけです。また、収容所に入れられた人であっても、ふたりに一人以上は生きて帰れたことになります。



 信仰のない一般の人々は証人に起きたことは、悲惨であると考え、そのような事態は避けたいと考えると思います。それでも、その当時、敵意の的になり強制収容所に入れられて殺された他の人々よりも、証人の生存率は良かったのです。


 


 あるサイトの情報によると、第二次世界大戦はヨーロッパ各国で暮らしていたユダヤ人は、合計でおよそ900万人でした。終戦までに、これらのユダヤ人の3人の内2人が死亡しました。また、別のサイトによると、戦前のヨーロッパでのユダヤ人の人口は、約1000万人でしたが、約500万人のユダヤ人が殺されたとされています。ですから、ユダヤ人の死亡率は、およそ三分の二、もしくは、二分の一ということになります。



 

Stroop_Report_-_Warsaw_Ghetto_Uprising_06b



Polish Jews captured by Germans during the suppression of the Warsaw Ghetto Uprising (Poland) - Photo from Jurgen Stroop Report to Heinrich Himmler from May 1943. One of the most famous pictures of World War II.

第二次世界大戦中武器をとって戦ったユダヤ人の生存率は良くなかった





 さらに、戦時中は、信仰のない一般の人々も戦争で命を失いました。ある人は武器をとって戦って命を失いました。ドイツは、第二次世界大戦当時、七千万人弱の人口でした。これは、戦時中の日本の人口とほとんど近いです。そして、データによると、700万人から900万人の人々が死んでいます。これは、十人に一人以上の人が死んだことになります。それで、死亡率は10%以上ということになります。




  とりわけ、死亡率が高かったのが、ドイツ人兵士です。第二次世界大戦中に、ヒットラーは最初、真っ向から証人たちを迫害の標的にすることを宣言しました。あるデータによると、ドイツ人兵士の数は、920万人ですが、ドイツの兵士たちの死者の数は430万人〜550万人です。およそ二人に一人以上が命を失ったことになります。つまり、50%以上の死亡率です。そして、彼らは普通カトリック教徒でしたが、聖書に逆らって剣をとって戦いました。当然、彼らにエホバ神の保護はなかったということになります。




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1944年ノルマンディーで降伏したドイツの第3SS師団員(ナチスの強制収容所を管理していた兵士たちがここから取られた)ドイツ人兵士の死亡率は大戦中とても高かった





 ドイツでは、証人がヒットラーから迫害の標的にされたのですが、ドイツのエホバの証人の方が、カトリック信者で兵士として戦ったドイツ人よりも生存率がずっと良かったことになります。



 なぜそうなるかを考察すると、エホバの証人の間には、助け合いがあります。戦時中も厳しい食料状況の中で、食物を余分に持つ証人が仲間に食物を分け与えたという経験などが残っています。さらに、強制収容所の中でも互いに少しずつ助け合いました。強制収容所から逃げなければならない時があり、その際に、より体力のある人が病弱の人を助けました。そのために、死者が出なかったという経験も聞いたことがあります。



 ですから、私たちが日常、他の人から助けを受けることを経験していますが、その少しの助けは非常にありがたいもので、生き延びることにつながったり、苦難が緩和されたりします。それは、戦争のような極限状況のもとでは、非常に貴重な助けとなります。



 一般の人は兵士となることを拒絶するために、収容所に入れられるとしたら、その立場は危険で愚かなものだと考えるでしょう。日本などでは、戦時中に死ぬまで戦うことが尊い生き方であるとされ、国家のために殺人をしない人は非国民とみなされました。



 しかし、彼らの立場、つまり、決して殺人をしないという立場が、認められて、ドイツの強制収容所の中でナチの高官から優遇されるという状況になりました。それで、エホバ神の律法を守ることは、それ自体が、保護となり、有利になるということがあります。その結果は、人間の推測を裏切るものです。



 さらに、もちろん、その当時、証人たちはエホバ神に助けを祈り求めました。彼らの祈りに応じて、エホバ神は行動されたでしょう。エホバ神が祈りを聞かれた証拠は、証人たちの生存率が良かったことに表れていると思います。



 エホバ神はご自分の律法を守る人が良い結果になるように助けてくださるのです。そして、その結果は、エホバ神が存在され、神の律法を守ることが良い結果になることを示しています。



 エホバ神の崇拝者が不死身であるとか、決して犠牲者が出ないということではありません。しかし、基本的にエホバ神に依り頼む人の道は「命の道」です。エホバ神は、生存率の良い生き方にわたしたち人間を導いてくださるのです。

 


 世界が紛争に巻き込まれる場合、非常に多くの人々が命を失う結果になりますが、そうした際に、神の民は神の助言に従うために、良い結果になります。





(3)神の民の側に神に対する不忠実があって神の保護を失うことが原因


 結論から言うと、啓示の書で、大娼婦が神の民の血に酔うほど、神の民に対する攻撃に成功するという事は、神の民の側に神に対する背教と不忠実があることが原因しています。たとえば、ドイツの兵士の多くはカトリック教徒だったので、少なくとも「イエスの証人」と言えました。しかし、彼らはイエスの命令に反して、剣をとって戦いました。その結果、大いなるバビロンがイエスの証人の血に酔うという預言の成就にあずかることになりました。



 また、将来、一部のクリスチャンは、北の王に対しておそらく盲従するのではないかと思います。おそらく、北の王と共に戦うという立場をとるのでしょう。そのために、エホバの保護を失い、南の王の攻撃がより激しくなるになるのでしょう。


 ですから、神からの保護を受けるためには、神の律法を守らなければならないという条件があります。聖書はおおむね、神の民が神に忠実である場合に、神からの保護を享受する事、反対に不忠実である場合に、神からの保護と助けを失うことを述べています。(ヨシュア7:1,4,5;8:22,23)


  基本的には、神の律法を守るならば、「長い日々と命の年と平和があなたに加えられる」と約束されています。(箴言3:2)聖書はエホバに従う時、今の命も長くすると述べています。エホバ神の道は「命の道」です。(箴言6:23)





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death
                    



      




                    


命の道と・・・           死の道のどちらかを選ばなければならない

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 それで、神の民が神の律法に従って神に忠実な場合に、おおむね神の民が南の王によって欲しいままに命を奪われるという事態は生じないのではないかと思います。しかし、預言によるとあまり起こるはずのないことが起っているということになります。神はご自分の民に保護を与えることを約束されているのですから、そうなっていないということは、おおむね神の民が神の律法や原則に違反しているからということになると思います。



 ですから、クリスチャンが自らの生存率を良くしたいと願うならば、神の律法に従う努力を払うことが不可欠です。殺人や淫行や偶像崇拝などの神の律法違反は避けるように最善の努力を払いましょう。

クリスチャンが大娼婦によってはなはだしく命を落としてしまうのはどうしてですか(1)神の保護が忠実な民にあるはずなのに異常事態

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(1)
大娼婦が神の民の血に酔うというのはなぜですか



 啓示の書の中には、大娼婦大いなるバビロンが、「聖なる者たち」や「預言者」や「イエスの証人」の血に酔っているという記述があります。(啓示17:6;18:24)これは、怖れを生じさせる記述です。従来キリスト教国であった大いなるバビロンが同じクリスチャンに迫害を加えるということになります。


 しかし、この記述は、聖書の一部の記述と調和しません。聖書は、エホバ神がご自分の律法を守り、ご自分に助けを呼び求めるご自分の僕に保護を与えるという記述が数多くあります。
(詩編31:23;32:7;91:14)また、啓示の書にもイエスは、フィラデルフィア会衆のクリスチャンを守ると言明されているので、このイエスの言葉とも調和しません。(啓示3:10)


  聖書は、何度もエホバの救いや保護について述べているのですから、大娼婦が神の民の血に酔うほど、神の民の攻撃に成功するというのは、異常事態です。(啓示17:6)これは、神の民にとってある意味、敗北とも言える事態でないかと思います。


  それで、神がご自分の民を保護してくださるという聖書の約束にもかかわらず、なぜ神の民が大娼婦によって欲しいままに命が奪われる事態が生じることになるのかを考えてみたいと思います。


(2)聖書は神の言葉の証しのために迫害されたり命が奪われ殉教したりする神の民が存在することを明言している


 聖書はクリスチャンが迫害されることを否定してはいません。イエスも弟子たちが、迫害されて、命を落とす場合もあることを予告されました。(マタイ10:21-23)また、啓示の書には神の言葉の「証しの業」のために祭壇の下に流されている血が神に復しゅうを呼び求めています。(啓示6:9-11)ですから、神に対して忠実な人が命を失う場合があります。


 聖書の中には、敵に迫害されて命を落とした神の僕の例が出てきます。一世紀のクリスチャンステファノはそのひとりです。(使徒7:59,60;9:1)サタンの支配する世界なのですから、そうしたことは起こり得ます。(コリント第二4:4)




(3)諸国民がバビロンによって辛苦を経験することが予告されている


  聖書はバビロンがぶどう酒で諸国民を酔わせたと述べられています。また、人々はバビロンのぶどう酒を飲みました。(エレミヤ51:7)啓示の書にも大いなるバビロンについて、「あらゆる国民に自分の淫行の怒りのぶどう酒を飲ませた者」と述べられています。(啓示14:8)さらに、バビロンの「淫行の怒りのぶどう酒のためにあらゆる国民がいけにえにされ」ると述べられています。(啓示18:3)


 

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比ゆ的にぶどう酒を飲むとは・・・


  ぶどう酒を飲むとは何を意味するのでしょうか。詩編には、ぶどう酒を飲むとは辛苦を見ることだと書かれています。(詩編60:3)



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辛苦を経験することを意味する
確かに大いなるバビロンにより預言が成就している




  それで、確かにシリアでは、一般の人々の生存率は決してよくありませんでした。あるネットの情報ではシリア内戦のために、170万人が殺され、2500万人が国外で難民となっているとあります。それで、国際紛争や戦争に巻き込まれる場合、一般の人々の生存率は決して良くありません。シリアの人々は一般的にイスラム教だと思います。


 それで、大いなるバビロンにより諸国民がぶどう酒を飲むという預言は成就しています。しかし、次回の記事で、確かに極限状況であっても、神の律法を守るよう懸命に努力をした神の民の死亡率が低かったという証拠を示したいと思います。そして、なぜ神の民は神の助けによって良い結果になるはずなのに、大いなるバビロンが神の民の血に酔うという結果になるか考察したいと思います。


キリストとの関係を公言してキリストの是認を得る(新共同訳)

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 マタイ10章ではキリストは、今の時代にクリスチャンとして必要な心構えを私たちに教えてくださっています。(マタイ10:32-39)イエスの言葉は私たちが時流に迎合するのではなく、エホバ神とキリストの是認を追い求めるよう私たちを励ましてくれます。

 

 ますますクリスチャンにとって事態は難しくなると考えられるので、これらのイエスの言葉はクリスチャンが熟考すべき言葉だと思います。

 

 「だれでも人々の前で自分をわたしの仲間であると言い表す者は、わたしも天の父の前で、その人をわたしの仲間であると言い表す。しかし、人々の前でわたしを知らないと言う者は、わたしも天の父の前で、その人を知らないと言う。」とイエスは、言われました。(マタイ10:32-34)



 

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(jesus39)イエスはご自分との関係を人前で公言するならご自分もその人を認めると言われました




 

 この言葉は私たちが神とキリストに是認されるかどうかが、私たちが神とキリストとの関係を公言するかどうかにかかっていることを示しています。

 

 しかし、確かに、敵の前で身を隠さなければならない時もあるでしょう。聖書は災いが前途にある場合、身を隠すのが賢明である場合があることを述べています。(箴言22:3)パウロも迫害者から逃げたり、単にその場を立ち去ったりしました。(使徒9:24,25;29,30,13:50,51)


 

 しかし、私たちが自分の立場を明らかにしなければならない時があります。例えば、私たちが黙っているなら、神とキリストに恥辱がもたらされる可能性がある時などです。そうした証言すべき時に、もし、私たちが神とキリストとの関係を隠しているならば、私たちはキリストから是認していただけません。

 

 私は、信仰のない人々の是認を失っても、エホバ神とキリストの是認を求めたいと思います。

 

 それで、信仰のない人々と交わる時も、自分が神と聖書を信じているクリスチャンであることを公言したいと思います。

 




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CCISCO Town Hall Meeting in Concord, 6-8-13 by Congressman George Miller (makespeech1)人前で自分のクリスチャンとしての立場を公言しましょう





 

 そして、創造説や聖書の道徳基準を擁護することが、一般社会の中で、人気がないことであっても、聖書の教えを擁護したいと思います。一般社会で変わっている人々だと考えられても、聖書の教えを守ることが不寛容だと考えられたとしても、聖書の教えを唱道することが一般社会の時流に反していても、聖書が述べていることを隠さないようにしたいと思います。

 

  イエスは、「平和ではなく、剣をもたらすために来た」と言われました。(マタイ10:34)また、「敵対させるために来た」と言われました。(マタイ10:35)これはキリストは争いを引き起こそうとしているのでしょうか。もしくは、クリスチャンが剣をとって戦うことを勧めているのでしょうか。そうではないと思います。

 

 イエスは、ペトロがイエスを守るために剣をとって戦おうとした時に、「剣をさやに納めなさい。剣を取る者は皆、剣で滅びる。」と言われ、そうすることをいさめられたからです。(マタイ26:52)



 

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HERBERT RUDEEN - ear restored (jesuspeter1)イエスはクリスチャンが剣を取ることを禁じられました





 

 しかし、クリスチャンが例え、剣を取って戦おうとしなくても、クリスチャンが神と聖書に対する信仰を守ってその教えに付き従うならば、結果として、信仰のない一部の人々はクリスチャンに対して憤るかもしれません。急進的な人々は、剣をもってクリスチャンを迫害し、クリスチャンは命が危険にさらされることがあるかもしれません。それで、イエスは、剣をもたらすために来た言われたと思います。

 

   例えば、ステファノは、敵対的なエルサレムの宗教指導者たちの前で、神とキリストを擁護して、石打にされ殺されてしまいました。(使徒6:15;7:59,60)

 

 また、例えば、日本の大多数の人々は、仏教徒か神道信者また、無神論者です。それで、時流が変わって戦争気運が高まるなら、それらの人々は、エホバ神ではなく国家や政治支配者を偶像崇拝するよう強制したり、武器をとって戦うようにクリスチャンに強制するかもしれません。

 

 そのような状況になった時、社会の時流に合わせるようにクリスチャン本人に圧力をかけてくるのは、父親や母親だったり、息子や娘だったりするでしょう。キリストは「家族の者が敵となる」と言われました。(マタイ10:36)そのようになった時、家族の者からののしられたり、暴力を振るわれたりするかもしれません。そういう際に、家族の者に従うのではなく、ただ神に従うことが大切だと思います。





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家の者がクリスチャンに対する迫害を行なうでしょう(quarrel2)twitchery







  しかし、イエスは「わたしよりも父や母や息子や娘を愛する者は、わたしにふさわしくない。」と言われました。
(マタイ10:37)それで、神と聖書のおきてに対する忠節は、自分の家族に対する愛よりも優先しなければならないと思います。例え、家族関係が損なわれるとしても、神とキリストに忠節を守り、聖書の教えを守りたいと思います。

 

 

 また、キリストは「自分の命を得ようとする者は、それを失い、わたしのために命を失う者は、かえってそれを得る」と言われました。(マタイ10:39)例えば、ステファノはサンヘドリンの前で証言して命を失ってしまいましたが、神とキリストの是認を得ていたので、彼は時が来ると天に復活します。

(使徒7:55,56)

 

   これからもキリストに従うならば、命を失う危険性があるという事態になっていくかもしれません。例えば、国民徴兵制度が施行され、兵士として戦わなければ投獄されたり、死刑になったりするような国際情勢になるかもしれません。

 

 しかし、自分の今の命を守るために神とキリストに対する信仰を捨てたり、神の基準から離れたりするなら、今の命は一時的に永らえるかもしれませんが、一番大切な永遠の命を失ってしまいます。(マタイ10:39)しかし、神とキリストに従って神の基準を守る人は、たとえ、今の命を失っても天もしくは地上の楽園への復活によって永遠の命を得ることができます。(ヨハネ12:25黙示録20:4)

 

 ヘブライ書には、悪魔が「死をもたらす手だてを持つ者」と述べられています。私たちは、「死に対する恐れのために生涯奴隷の状態に服して」しまうことがあります。(ヘブライ2:14,15)でも、クリスチャンは悪魔の奴隷の状態になりたいとは思わないでしょう。

 

 しかし、キリストは、贖いの犠牲を備えて下さったので、私たちの罪が許され天での霊者として復活する見込みが開かれました。私たちは天での命の希望をとらえるためには、キリストの死により備えられた復活の希望に信頼を寄せて今の命を捨てる覚悟が必要です。(黙示録12:11)

 

 ですから、例え、命を失うことになっても、キリストとの関係を公言して、聖書で禁じられている偶像崇拝や殺人を避けるようにしたいと思います。

 

 ある場合、神はご自分に従うクリスチャンを今の体制の中で保護してくださいます。神とキリストに従うために、この事物の体制の中で、難しい事態に直面しても、神は逃れ道を備えて下さり、クリスチャンが今の命を失わないように助けて下さることがあります。

 

   聖書には次のような言葉があります。「エホバのみ名は強固な塔。義なる者はその中に走り込んで保護される。」(箴言18:10新世界訳)「人に対するおののきは,わなとなる。しかし,エホバに依り頼んでいる者は保護される。」(箴言29:25新世界訳)

 

 人に対する恐れのために、神への忠節から離されてしまうことがあります。しかし、これらの言葉は人への恐れに負けることなく、神のみ名を用いて神に助けを祈り求める時、神は今の命に対する保護を与えて下さる場合があることを示しています。

 


 

 とりわけ、世界情勢が厳しくなる時に、キリストの助言に従って山に逃げることも、私たちが生き永らえるのに貢献することになるでしょう。(マタイ24:15,16)また、キリストは迫害の厳しい都市からは逃げて他の都市に行くようにという助言もされました。そういう措置も私たちの命を守るということがあるでしょう。(マタイ10:23)



  そして、聖書は数えきれない程の数の国際的な大群衆が大患難を生き残ることを預言しています。(啓示7:9,14)この預言が成就するためには、エホバ神の神の民に対する保護がなければ不可能です。聖書は、今の命で神とキリストの保護が差し伸べられることを示しています。




 

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(greatcrowd34)聖書は大患難を生き残る神の民の数が数えきれないほどになることを予告していますー神からの保護があることを示しています

 


 神とキリストとの関係を公言することは、殉教する危険性もありますが、神とキリストとの良い関係を守り、永遠の命に導きます。また、神とキリストとの関係を公言することは、神とキリストからの今の命の保護ももたらすことになり得ます。


 

 それで、今の命を長らえることができるとしても、今の命を失うとしても、私たちは必要な時に人々の前で神とキリストに対する関係を公言してエホバ神とキリストに対する是認を追い求めていきましょう。

箴言4章・邪悪な者たちの誘いを退けるなら命の年を多くする

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 箴言4章には、知恵を愛するなら、それはあなたを保護すると述べられています。(箴言4:5,6)また、知恵によってあなたの命の年が多くなると述べられています。(箴言4:7,10)ここにある知恵とは何を意味するのでしょうか。


 箴言がいう知恵と関係する要素は幾つもありますが、今回二つの点だけ取り上げます。

 

 ひとつは、邪悪な者たちと共に暴虐行為をすることを避けることです。(箴言4:14,17)もうひとつは、曲がった話し方をしないようにすることです。(箴言4:24)

 

  どうしてこれらのことを避けることは、私たちを保護し、命の年を伸ばすのでしょうか。まず、箴言1章には、罪人が「ぜひ我々と一緒に来い。血を流すために待ち伏せするのだ。罪のない者を正当な理由なしにひそかにねらうのだ」と、さそっても「応じてはならない」と言われています。(箴言1:10,11)

 

 また、箴言4章は、「邪悪な者たちの道筋に入って行ってはならない。」と述べられています。(箴言4:14)それは、「邪悪な者が暴虐の行為のぶどう酒を飲む」からです。(箴言4:17)

 

 このような悪の誘いに応じた人々として思い出されるのは、アハブとイゼベルの時代のエズレルの人々です。

 

 イゼベルは、アハブの住まいの隣にあった罪のないナボテのブドウ園を奪うために、エズレルの年長者たちと高貴な人々に手紙を書きました。(列王第一21:8)エズレルの年長者たちと高貴な人々とは、アハブの子供たち、もしくは、アハブの子供たちを養育していたアハブの家に関係する人々が大勢含まれていました。(列王第二10:1,2,6)


 

 
 

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The evil King Ahab of Israel wanted Naboth's vineyard next to his palace, but Naboth did not want to sell it, so Queen Jezebel arranged to have Naboth killed and Ahab claimed the vineyard, stealing it from Naboth and his family (1 Kings 21). (naboth1)
アハブがナボテのブドウ園を欲しがったのでイゼベルはエズレルの人々にナボテを殺すように命じました

 

 イゼベルは、彼らに、ナボテの罪を作り上げて、石打にして殺すようにと、言い送りました。エズレルの人々は、イゼベルに言われた通りにしました。まさに、エズレルの人々は、「罪のない者をひそかにねらい」「暴虐の行為のぶどう酒を飲み」ました。(箴言1:11;4:17)

 

 箴言1章には、邪悪な者たちがそのような暴虐の行いをするのは、「価値のあるあらゆる貴重品を見つけよう」という動機、つまり「不当な利得」を得ることだと述べられています。(箴言1:13,18,19)

 

 それで、イゼベルの誘いに乗ったエズレルの人々も、おそらく不当な物質的な利得に誘惑されたのでしょう。エズレルの人々は、アハブの親族とその関係者だったので、アハブがナボテのブドウ園を手に入れることに共通の益を享受する者たちだったのでしょう。

 

 では、エズレルの人々は、どうなったでしょうか。エホバはアハブの家を徹底的に滅ぼすことにされて、そのための刑執行者として、エヒウを任命しました。エヒウはエズレルの人々から、アハブの子供たち七十人の首を受け取りました。(列王第二10:7)


 イゼベルの誘いに乗ってナボテの殺害に協力した者のうち主要な者たちは、エホバによって処刑されました。エズレルの人々は、悪の誘いに乗って、まいたものを刈り取りました。

 



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King Ahab had two palaces, one at Samaria, and the other at Jezreel. These ruins are at the site of ancient Jezreel.(jezreel1)古代エズレルの遺跡
ナボテの殺害にかかわったエズレルのアハブの家の者たちはエヒウによって殺されることになりました



 

 エホバは、暴虐や流血に反対される方なので、罪人の誘いに乗って物質的な利得のために、罪のない人々の血を流すことのないようにすべきです。エホバは、「罪のない血を流している手」を憎まれます。(箴言6:16)それで、安らかに暮らしている罪のない人々を襲ってその血を流し、その富を奪うことのないようにすべきです。

 

 多くの戦争や略奪、紛争が不当な物質的な利得に対する欲望のために行なわれます。私たちはそのために兵士として戦うように誘われるかもしれません。

 



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         Taking aim by The U.S. Army (soldier4)
  多くの場合物質的な利得のために兵士として戦うように誘われるかもしれません
           流血はエホバの不興を買い命の年を短くします 



 

   しかし、そうしたことを行うならばエホバはその罪の責任をいずれ問われることになるでしょう。私たちはエホバが邪悪な動機による暴虐や流血を憎まれて非としておられることを覚えておく必要があります。それで、暴虐と流血を行なおうという誘いに乗らないことは、エホバの裁きを避ける知恵の道です。

 

   またイエスは「剣を取る者は剣によって滅びる」とも言われました。暴虐と流血を行うならば、その戦闘行為中に命を落とすことも、敵の反撃で命を落とすことも多いでしょう。(マタイ26:52)

 

 さらに、箴言は、曲がった話し方やねじけた唇を避けるように勧めています。(箴言4:24)曲がった話し方とはどのような話し方なのでしょうか。


 エズレルのどうしようもない者たちが、「ナボテは神と王をのろった。」とうそを言いました。
(列王第一21:13)それで、ナボテは石打にされました。それで、曲がった話し方の中には、罪のない人を陥れるために故意に罪をなすりつけることが含まれているでしょう。(箴言6:14-16)

 

 エホバは「偽りの舌」と「うそを吐く偽りの証人」を憎まれます。(箴言6:16-18)それで、私たちは他の人について語る場合に、真実なことを話すように努めなければならないことが分かります。不正確に他の人の評判を落とすようなことを語るならば、それは、曲がった話し方、ねじけた唇になってしまいます。

 

 ですから、エホバ神に見習って、他の人に欠点があるとしても、良い点があるならばその点にも注目するようにするべきだと言えます。(詩編103:8-10)しかしながら、曲がった話し方、ねじけた唇は、とりわけ、悪意をもって故意に偽りを語って人の評判を落とすことを意味するでしょう。

 

 それで、私たちは、不当な利得のために罪のない人を陥れてその命を奪おうという誘いに乗らないようにするべきです。また、曲がった話し方をして無実の人を罪に陥れるようなうそを言うことのないようにするべきです。

 

 エホバ神は、邪悪な人々がしていることも見ておられるので、そのようにするならばエホバの裁きを身に招いてしまいます。(箴言15:3)エホバを恐れて悪を避けるのが知恵の道です。悪を避けることは、エホバの裁きを避け、命の年を長くする結果になります。


 

詩編112編・貧しい者に広く分配する者は敵対者の終わりを見て高められることになる

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 詩編112編には、どんな人が、栄光のうちに高められることになるかが説明されています。(詩編112:9)それは、エホバを恐れてそのおきてを喜ぶ人です。(詩編112:1)つまり、義を守る人です。(詩編112:6)それは、どんなおきてを守る人ですか。

 

 神の義なるおきてを守ることは、殺人、偶像崇拝、淫行、心霊術などを避けることを意味しています。それは、神への恐れとどのように関係しているのでしょうか。

 

 まず、エホバ神は、ご自分が創造し、ご自分の像に作られ、ご自分の特質を与えた、人間の命を尊重することを求められます。(創世記9:6)それで、神を恐れる人は、兵士として戦って殺人をすることはできません。(啓示9:21。マタイ15:19,20)



 

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Georgian soldiers on the attack during Combined Resolve II by 7thArmyJMTC (soldier2)クリスチャンは兵士になって殺人をすることはできません
 



 

 また、エホバ神は、ご自分以外の存在を神として崇拝する偶像崇拝を禁じておられます。偶像をエホバ神とみなして崇拝することもエホバ神は認められません。(出エジプト20:4,5)また、死者を崇拝することもエホバ神の怒りを引き起こします。(詩編106:28,29)



 

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Day of the Dead 08-36.JPG by sfmission.com (ancestorworship6)
               死者の崇拝はエホバの怒りを引き起こします




 

  また、エホバ神は、アダムとエバを創造されて、結婚の取決めを創始されたので、結婚外の性関係、つまり淫行や姦淫また同性愛を非とされています。(創世記2:24)

 


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Adam and Eve, Bishop Gate, Norwich - pub sign by ell brown(adamandeve10)
アダムとエバを結婚させることによって結婚はエホバによって 始まりました
結婚の取決めに反する淫行や姦淫はエホバによって禁じられています 



 

 また、心霊術は、エホバ神の敵対者悪魔サタンや悪霊たちと連絡を取ったり、その力に頼ることを意味します。(使徒16:16)それで、占い、魔術などの心霊術は、エホバ神と敵対することを意味しています。(申命記18:10-12)また、霊媒を仲介にして死者に問い尋ねることは、実際は悪霊に頼ることを意味しています。




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        Man with the spirit of his deceased first wife by National Media Museum (evilspirit)
               死者の霊として出てくるのは実際は悪霊です

 



sorcery

004a Witchcraft and Sorcery (Coven 13) May 1971 Cover by Steve Fritz
Includes Dragon's Daughter and Jade Pagoda Part 2 by E. Hoffmann Price by
CthulhuWho1 (Will Hart)
(sorcery)聖書の中で魔法や占いは悪霊とかかわることなので禁じられています




 

 それで、神を恐れる人は、聖書中の神のおきてを守ってこれらの神の律法に違反することを避ける必要があります。

 

 さらに詩編112編によると、廉直な者たちの世代が存在して、その世代は祝福を受けます。(詩編112:2)その世代はどのように祝福を受けるのでしょうか。 

 

 天的希望を持っているクリスチャンを中心とした信仰を持つクリスチャンは、世界中の人々の聖書に対する信仰を築くよう努力をするでしょう。そして、聖書の預言に対する信仰を基づいて山に逃げる運動の中心となるでしょう。



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Image from page 87 of "Kaleidoscope" (1896) by Internet Archive Book Images(biblereading12)
           聖書通読の集会を全世界で行なうことが必要です 




 
おそらく、この山に逃げるという運動は、将来世界的なものになるでしょう。そして、山に率先して逃げるクリスチャンたちは、山や田舎で農作物を栽培して、可能な限り、農作物を備蓄することが求められるでしょう。そのようにして、大患難の準備をすることが必要です。(箴言6:6-8;30:25)
 


 

 山に逃げたクリスチャンは、備蓄した穀物を自分たちのためだけに押さえておかないでしょう。詩編112編によると、義なる人は、慈しみと憐みを示します。慈しみに富み、貸し与えます。(詩編112:4,5) そして、彼らはエホバに依り頼みます。(詩編112:7)彼らは、貧しい者たちに広く分配します。(詩編112:9)



foodwarehouse
            Food Warehouse by goldberg(foodwarehouse)
      大患難の準備のために大量の食糧を備蓄することが必要でしょう



 

 大患難の時、食糧不足の時に、山に逃げたクリスチャンは、憐みの気持ちから、寛大に、貧しい人々にも、それらの保存食糧を貸し与えるでしょう。お金が持ち合わせがない人たちに対しても、後払いで食糧を貸し与えることを拒まないでしょう。


 

  詩編112編によると、「その子孫は地で力ある者とな(ります。)(詩編112:2)「彼の角は栄光のうちに高められ(ます。)(詩編112:9)彼らは、地上で現実的に影響力のある人となるでしょう。


 

  結局、それらのクリスチャンのおかげで数えきれない大群衆が大患難を生き延びる結果になります。早く山に逃げたクリスチャンは、感謝され、彼らの行いは永久に覚えられ、褒められることになるのでしょう。(啓示7:9,10)

 

  そして、詩編112編によると、邪悪な者は、エホバに依り頼む者たちを見ていらだつかもしれませんが、滅び去ってしまいます。(詩編112:10) 神の義の基準を守らない人は、自ら大患難の戦闘に加わるでしょう。そして、大患難とその前の幾度かの戦争によって自ら滅びてしまうことでしょう。神の義の基準を守らない人々は言わば、同士討ちをして滅び去ってしまいます。


 

 ですから、大患難を生き残る人々の大半は、義と平和を愛する柔和な人々でしょう。彼らは、豊かな平和に無上の喜びを得る結果になるのでしょう。そして、彼らは大患難で邪悪な人が自ら滅びてしまうのを目撃することになります。(詩編37:10,11)


 

 彼らは、最後の者たちでしょう。(マタイ20:8)彼らが存在する世代は祝福を受けます。数の数えれ切れない大群衆が大患難を生き残るという結果になるからです。


 

 彼らは、大患難が生じるのを力の及ぶ限り抑えます。(啓示7:1)大患難が生じるのは、残念なことですが、数えきれない国際的な大群衆が存在するのは、それら信仰のあるクリスチャンたちの働きの成果です。

 

 そして、山に逃れたクリスチャンは、この世の終わりを生き残って神の王国の下での楽園での人間社会の中心核となります。その人間社会に属する人々は、神の子羊の導きにより永遠の命を受ける結果になります。(啓示7:17)詩編112編によると、廉直な人は永遠の命に導かれます。(詩編112:3,6)ですから、彼らは、この事物の体制で、永遠の命への道を歩み始めることになります。


 

 それで、私たちは、詩編112編で描写されているような人になるように努力しましょう。もし、その描写に合わないところが自分にあれば、自分を変革してエホバに喜ばれる新しい人格を培うように努力を払いましょう。(エフェソス4:24)

サムエル第一22章・サウルによるノブの祭司たちの虐殺をどうしたら防げたか

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 昔、神に不忠実になったサウルによって、ノブの都市の祭司たちと人々がみな虐殺されたことがありました。これは胸の痛む出来事です。では、ノブの祭司たちや人々は、狂気のサウルによって虐殺される事態をどうしたら避けることができたのでしょうか。このことは、大いなるバビロンの脅威にさらされる私たちにどのような教訓を与えるでしょうか。

 

 まず、その虐殺が起きた経緯は次の通りです。サウルは、ダビデを殺そうとしていました。ダビデは、サウルによって命をねらわれて逃げていた時、ノブの祭司アヒメレクのもとに行って、彼にパンと剣を都合してもらいました。(サムエル第一21:6,9)アヒメレクは、ダビデがサウル王に追われているのを知らなかったのでそうしました。




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David's escape from Saul took several turns: He first fled to Samuel at Ramah, then back to Gibeah to say good-bye to Jonathan, then to Nob, where he received food and Goliath's sword from the priest, and then finally to Gath in Philistine territory. (nob2)
ダビデはまずラマのサムエルのもとに行き次にヨナタンに別れを告げそれからノブに行ってパンと剣を祭司アヒメレクから受けました



nob
Nob, Shufat from north, the Tabernacle was here for awhile. David visited the priest Ahimelech here (1 Samuel 21). Because the priests helped David, Saul destroyed the priests and their city.
 (nob) 

祭司アヒメレクのいた都市ノブ−サウルはノブの祭司とそこに住む人々を虐殺しました 





 ところが、ダビデを殺そうとしたサウルは祭司たちがダビデの味方になってサウルに対して陰謀を企んだと考えました。(サムエル第一22:13)それで、ノブの祭司たち、85人をエドム人ドエグに殺させました。(サムエル第一22:18)さらに、ノブに住んでいた人々男も女も子供も皆剣で虐殺しました。(サムエル第一22:19)

 

 サウルはサムエルを通して、エホバが自分に代わって新しい王を立てられるという宣言を聞いていました。(サムエル第一13:14;15:23)ですから、そのことが実現するのを病的に恐れていました。そして、神のご意志が成し遂げられるのを妨げるために、何でもしました。

 

 サウルは、猜疑心から、サウルに敵対しようと考えていない人たち、ダビデに協力したのでもない人たちでさえ、皆、虐殺しました。実際は、サウルはそのようにしてエホバの崇拝者を殺すという点で、サタンに用いられる器になっていました。では、ノブで起きた虐殺が起きないようにどうしていれば良かったのでしょうか。

 

 これは、聖書に書かれていることではありません。しかし、私たちはそのことについて考えてみることができます。サウルが祭司アヒメレクにダビデと協力したのかどうかと尋ねられた時に、祭司アヒメレクが、ダビデに協力したと正直に言っていたので、結果が悪かったのです。

 

 サウルはエホバのご意志に全く反対して、もう見境がつかなくなっていました。正当な釈明が通らない状態でした。ですから、その時、当面、アヒメレクは、ダビデに協力しなかったとしらを切っていたら逃れることができていたかもしれません。

 

 けれども、残念なことに、そもそも、アヒメレクはダビデがサウルに代わって将来の王として油注がれていたこと、ダビデがサウルに追われる立場にあったことを知りませんでした。アヒメレクは、事情を十分知りませんでした。ダビデは、事情をアヒメレクに説明していたら良かったかもしれません。

 

 しかし、ダビデは、サウル王から追われる立場になったその時点で、まだ、次の王として油注がれていたことを人々に公にしていませんでした。ダビデは、そのことがサウル王や王の僕たちに知られるなら、当然自分の立場を危うくすると考えたでしょう。そのことをできるだけ秘密にしていました。

 

 しかし、ダビデが事情をアヒメレクに説明していたら、アヒメレクはサウルから釈明を求められた時に、もっと賢く答えられたかもしれません。そうすれば、アヒメレクは、ダビデを助けたことに関して、サウルに対して隠し、祭司たちの虐殺も免れたかもしれません。また、ひょっとして、ノブから逃げてダビデと行動を共にするという決定を下すことができたかもしれません。

 

 例え、ノブの祭司たちが、サウルに事実を一時的に隠したとしても、サウルのもとにとどまるという立場をいつまでも取ることはできませんでした。いつまでも、サウルと共に行動していたら、サウルの被る災いを共に受けることになりました。サウルは最後には、フィリスティア人との戦いで命を落としました。(サムエル第一31:1,6)

 

 サウルは、何度もフィリティア人との戦いで勝利したのですから、彼が最後に敗北し、命を落としたのは、神の是認と助けが彼から完全に離れ去っていたからでした。(サムエル第一28:6)そして、エホバの崇拝者だったヨナタンでさえも、最後までサウルと行動を共にして命を失ってしまいました。(サムエル第一31:2)ヨナタンは、もっと早く時機を捕えて、ダビデと共に行動する決定をしていれば命を落とすことはなかったでしょう。

 

  ヨナタンは、ダビデがサムエルによってイスラエルの王として油注がれたことや、サウル王がエホバの崇拝者を多数虐殺したことを知った時点で、ダビデと共に行動を共にするべきだったでしょう。(サムエル第一23:17,18)

 

 一方、祭司アヒメレクの息子アビヤタルは、ダビデのもとに逃れてダビデと共に行動して生き永らえました。(サムエル第一22:20,23)ノブの祭司たちは、皆そうすべきだったのです。

 

 では、ノブの祭司たちに起きたことからどのような教訓を得られますか。今日では、大いなるバビロンは、北の王から最初の致命的な敗北を喫した後に、とりわけ殺人的な傾向を見せるようになると考えられます。大いなるバビロンは、その時に、エホバの崇拝に対して、真正面から敵対するようになると考えられます。

 

 もちろん、世界のどこに住んでいても、エホバの崇拝者は、大いなるバビロンから命を脅かされる可能性があります。(啓示18:24)しかし、とりわけ、大いなるバビロンの領域に住んでいる人は、迫害の標的にされるでしょう。

 

 それで、大いなるバビロンの中に住んでいてエホバの崇拝の側に立つ人は、そこから出るのが賢明です。(啓示18:4)結局ノブの祭司たちは、ダビデと共に逃げ回るのが良かったのです。そのようにして殺人的になっていたサウルの手による虐殺から逃げることができました。

 

 私は、まだ大いなるバビロンがエホバの崇拝に真正面から敵対しているとは思いませんが、大いなるバビロンに住んでいるエホバの崇拝者は、事態が切迫する前に、大いなるバビロンから出て逃げるのが賢明です。そうしなければ、大いなるバビロンによって命を落とす可能性があります。あるいは、大いなるバビロンと共に、災いを受けて命を失うことになるでしょう。(啓示18:4)

 


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     Southwest 737 in Las Vegas by StuSeeger (lasvegas1)
大いなるバビロンから逃れることによって神の民に対する迫害をある程度逃れることができます 
















啓示6章・第五の封印が開かれ殉教者が神に訴える

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 先回、第四の封印までが開かれ、イエスが天で王権を取られた後、戦争、食糧不足、またさまざまな原因によって世界中で大勢の人が死ぬことになるという預言がなされていることを説明しました。今回、第五の封印が開かれ、殉教者が神に復しゅうを訴える預言を説明します。



第五の封印が開かれると神の言葉のため、また証しの業のために殺された者たちの魂が祭壇の下にいて叫んでいました。彼らは、エホバ神に復しゅうを大声で叫び求めました。すると白くて長い衣がその一人一人に与えられました。そして、殺される仲間の奴隷また兄弟たちの数が満ちるまで、しばらく休むよう告げられました。(啓示6911



聖書は死んだ者たちが無意識であることを述べています。(伝道の書94)それなのになぜほふられた者たちが叫ぶことができるのでしょうか。ひとつ考えられる説明としては、昔カインがアベルの血を流して殺した時、エホバ神は、「あなたの兄弟の血がわたしに向かって地面から叫んでいる。」と言ってカインを非難されました。(創世記4:10)そして、「肉の魂は血にある」と聖書は述べています。(レビ17:11)ですから、魂を表す血は不当な死に抗議して叫びます。



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                 カインはアベルの正しい犠牲のゆえにアベルを殺した

エホバはアベルの血がご自分に向かって叫んでいると言われた(abeldeath)



昔、モーセの律法下では動物の犠牲が捧げられ、その血は祭壇の周囲にふりまかれ、残りは祭壇の基部に注がれました。(出エジプト29:12)また、「エホバの目に貴重なもの,それはご自分の忠節な者たちの死です」と詩編に述べられています。(詩編116:15)それで、神の言葉のために、また、証しの業のために殺されたクリスチャンの死はエホバにとっては、重大なことです。それで、クリスチャンが殉教の死を遂げる時、それは他の一般的な災いによる死よりも、エホバにとって捧げられた動物の犠牲のように貴重で重大なものであることが分かります。



さらに、大患難の前に、殉教の死を遂げるクリスチャンの中には、天的な希望を与えられた聖なる者たちも含まれています。(啓示17:6;18:24)それで、大患難の前には、彼らの天への復活が始まり彼らは神に対して自分の復しゅうを呼び求めることができるのかもしれません。



そして、これは次回に詳しく説明しますが、第六の封印が解かれると大患難が起きます。(啓示6:12;16:18,19)ですから、神の僕がその証しの業のために反対され殺されるのは大患難の前です。マタイ24章でも、イエスは世界中で戦争や食糧不足や地震が起きると共に、「人々があなた方を患難に渡し、あなた方を殺すでしょう」と予告されました。(マタイ249



それで、迫害によるクリスチャンの死のために、エホバ神に復しゅうが呼び求められた後に大患難が起きるということは、大患難が神の僕の流血に対する復しゅうでもあることを示しています。さらに、神の僕が証しの業のために殉教の死を遂げるということは、イエスが天で王として権威を与えられたことを証明するひとつの出来事だと言えるかもしれません。



しかし、エホバ神は神の僕が殺されるのを見ても、すぐには反応されません。(啓示73)「彼らは、自分たちが殺されたと同じように殺されようとしている仲間の奴隷また兄弟たちの数も満ちるまで、あとしばらく休むように告げら(れ)」ます。(啓示611)それには目的があります。啓示7章によると、天的希望を与えられる144千人全員が大患難の前に集められることが預言されています。(啓示74)また、地的な希望を持つ大群衆も、数を数えることができないほどたくさん集められます。(啓示7914



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          Crowd by James Cridland(greatcrowd1)

神は14万4千人と数え切れない大群衆が集められるまで殉教者の復しゅうを差し控えられる



もし、すぐに神の復しゅうが行われて大患難が来てしまえば、144千人が集められることも、大群衆の数が数えつくすことのできない程の数になることもないでしょう。そのため、神の僕が迫害によって命を失うことは、ある程度の長い期間に及びます。その数が十分満ちる時に、神は怒りを表され大患難が起こることになります。

 


 

啓示の書によると、地的な希望の大群衆も、天的な希望の聖なる者たちも白くて長い衣を着ています。(啓示3579198)殉教したクリスチャンに白くて長い衣が与えられるということは、証しの業のために殉教するクリスチャンは、天的希望か地的な希望かいずれかの希望を持つエホバに是認されたクリスチャンとして認められることを意味するのでしょう。(啓示345




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         In between shadows by philborg(whiterobe)

殉教者には白い衣が与えられ天的希望か地的な希望を持つ是認されたクリスチャンとして神に認められ休むように告げられる



啓示の預言は、聖なる者たちと預言者たちが大いなるバビロンによって殺されることを預言しています。(啓示1761824)また、大いなるバビロンは支配下にある野獣を用いて神の僕を迫害して殺すこともするでしょう。ですから、迫害は大いなるバビロンの国内が最も激しいとは考えられますが、大いなるバビロン以外の国家でも、神の僕の迫害と殺害が起こると考えられます。(マタイ249



国連人権理事会(UNHRC)の20136月の報告によると、韓国、アルメニア、アフリカのエリトリア、トルクメニスタンで良心的兵役による投獄が報告されています。UNHRCは特に韓国に言及し、1950年以降、1万7208人の「エホバの証人」が宗教的信念による兵役拒否で、計3万2566年の懲役刑を言い渡されたと指摘しました。韓国の投獄された良心的兵役拒否者の中には命を失った人もいました。韓国は、米国の同盟国であるので、米国の軍国主義の影響が強いかもしれません。また、北朝鮮と常に軍事的に緊張状態にあるせいかもしれません。韓国は、現在良心的兵役拒否者の投獄数は世界で最も多いようです。



米国では、市民権の取得者と永住権取得者が兵役を拒否すると刑務所に送られることになっているので、良心的兵役拒否者で投獄されている人も現在もいると思います。アメリカのネットのメディアで、良心的兵役拒否のために投獄されている人の実例を見たことがあります。



気になるメリット&デメリットどう違う? 市民権vs永住権

 


イエスは天で王になっておられるのでしょうか。確かに、イエスが予告された戦争や食糧不足や疫病、政府の虐待による市民の死はすでに起きています。また、クリスチャンに対する迫害と死もすでに起きています。


war
         Vietnam War by expertinfantry(war)

                       戦争・・・


foodshortage
Asha, 30 - "To solve Somalia's problems, Somali people must lead the way"
by Oxfam East Africa(foodshortage)

                 食糧不足・・・


death
          Johnson Island3 by Counselman Collection(death)
疫病や政府の圧制により大勢の人の命が奪われることは確かに私たちの時代に       起こっています


  

 

私は、イエスが天で王になられる年と日付は分からないと思います。ですから、エホバの証人の1914年説は間違っているのではないかと考えるのですが、それでも啓示の書の預言は今日でも成就しています。これらの出来事が起きていることは、イエスが天で王になられたことを証明するのかもしれないと思います。しかしそれらの出来事は、歴史を通してある程度起きてきました。それで、イエスが王になられたことを示す決定打が何かあるのでしょうか。それはこうした事柄が世界的な規模で起きることなのでしょうか。分かりません。



私は、現在、クリスチャンに対する迫害や殺害が一部の国で起きてはいますが、その迫害は全世界的な規模で深刻なものになってはいないのではないかと思います。また、大いなるバビロンの中で、現在、大勢の神の僕が殺されているという報告は、まだ見られません。しかしながら問題はこれからますます深刻で広範囲になっていくでしょう。



それでこれらの事柄についてこれからも考えていきたいと思います。これからも、大いなるバビロンの中で起きることや、あらゆる国家で起きることを注意深く見張っていきましょう。そのようにして、世界中で起きていることを見張っているなら、イエスが王になられた時を識別できると思います。それは、神の王国の完成が近いことを意味します。



訓練を超えて拷問! 韓国軍の悲惨な実態
【良心的兵役拒否問題について】

「良心的兵役拒否の潮流・日本と世界の非戦の系譜」 稲垣真美著
http://www.alpha-net.ne.jp/users2/shakai/top/48-4.htm

 

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(1)宇宙を創造された唯一の神が存在される

エレミヤ19章・罪のない者たちの血はユダの滅びを招く

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アラスカのHAARP−気象兵器・地震兵器・人の健康にダメージを与える兵器と言われる

「いまわたしはこの場所に災いをもたらす。だれでもその災いについて聞くなら、耳が鳴るであろう。・・・彼らはこの場所を罪のない者たちの血で満たした。」(エレミヤ19:3,4)


エレミヤ19章には、エホバがユダに災いをもたらされた原因は、偶像崇拝だけでなく、ユダが罪のない者たちの血を大量に流したためであると述べられています。ユダの人々はどのように血を流したのでしょうか。このことは、将来、エホバがどのような行動をとられることを示しているでしょうか。


エレミヤ19章によると、ユダの人々は、バアル神を崇拝するための高き所すなわち聖堂を築き、自分たちの子らをバアルへの全焼燔の捧げ物として捧げました。つまり火で焼いて犠牲としました。(エレミヤ195

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Ba'al with raised arm, 14th-12th century BC, found at Ras Shamra
(ancient Ugarit), Louvre
    バアル神−ユダの人々はバアル崇拝のために流血を行った




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ヒンノムの谷−アハズが子供をバアルに捧げていたと言われる


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Temple of Baal Shamin at Palmyra by isawnyu
シリアのパルミヤに残っているバアル神の神殿


ユダの王アハズは、バアル崇拝を行ない、ヒンノムの子の谷で自分の子らを火で焼いて捧げていました。(歴代第二28:1,3)アハズの子ヒゼキヤは、エホバの目に良い支配を行ないましたが、ヒゼキヤの子マナセは、「エルサレムを端から端まで満たすほど」、「罪のない[者の]血」を「おびただしく流し(た)」と記録されています。(列王第二21:16)


そして、エホバは、「マナセが流した罪のない者の血のため」に、ユダをそのみ前から除くことにされました。(列王第二24:1-4)おそらくマナセも、バアル崇拝を行ない、マナセ王とユダの人々は、子供たちをバアルに犠牲として捧げていたのだと考えられます。


mannaseh
Manasseh's Sin and Repentance; as in 2 Chronicles 33:1-13; illustration from a Bible card
published by the Providence Lithograph Company

マナセは悔い改めて許されたがマナセの流血は神によるユダの滅びの決定を招いた



また、ユダヤ人のラビの文書によれば、マナセは預言者イザヤの血も流し、イザヤはマナセの命令によってのこぎりで切り裂かれたということです。(ヘブライ 11:37)マナセの父親ヒゼキヤは神に忠実な王だったので、彼の時代にエホバ神に忠実な者たちが数多くいたと考えられます。それで、聖書に記されてはいませんが、おそらく、マナセは、エホバの言葉を伝える預言者を初めとしてバアル崇拝に反対する人々を殺したのでしょう。それで、バビロンがユダを攻めて、ユダをみ前から除くことは、「エホバの命令によることであり」「エホバは許しを与えようとはされなかった」と聖書は記録しています。(列王第二24:4)


エホバは罪のない者たち、とりわけ神の言葉を語る預言者たちの血を流すことに大いに反対されています。聖書は大いなるバビロンが緋色の野獣によって滅ぼされる理由を次のように述べています。「大いなる都市バビロン」の中に、「預言者と聖なる者たちの[血],そして地上でほふられたすべての者の血が見いだされたのである」と説明しています。(啓示18:21,24)


確かに、大いなるバビロンは、世界中で戦争を行ない、人々の血を流しています。また、自国の若者を戦地に送って血を流しています。これは、国家主義というバアル神にアメリカの人々が子供を犠牲として捧げていると言えるかもしれません。


また、大いなるバビロンは、核兵器を使ったり核実験を行なって、数多くの人々の命を奪い、世界中の人の健康を損なっています。また、人によっては、アメリカはHAARPという武器によって、世界中で地震、津波、洪水、火山の爆発などの環境災害をもたらしたり、電磁波による攻撃を行なって、クリスチャンを始め人々の命を奪っているという人もいます。(地震は核兵器によって引き起こされているという人もいます。)これは、関係者の証言などのさらなる十分の証拠が必要だと思います。もし、これが事実であれば、確かに、大いなるバビロンの中に、「預言者と聖なる者たちの血、そして地上でほふられたすべての者の血が見いだされた」と言えます。


次のサイトは、そのうち消されるかもしれませんし、改変されるかもしれませんが、一応載せます。しかし、HAARPに関するサイトは、数多くあるようです。


HAARP

http://www.bariumblues.com/haarp1.htm


このサイトは、HAARPのオペレーターによるものかもしれません。私は英語の力は十分ありませんが、このオペレーターは、HAARPの操作をまもなくオフにすると述べていたようです。しかし、一部の運営は続けると記載されているようです。そうすると、やはり操作をまだ続けていることになります。別のサイトでは、6月で運転をやめていると述べています。流血をやめる努力を払われたのかもしれません。しかし、いずれにしても、身近な所で、また世界中で起きていることを観察し続けたいと思います。


さらに、アメリカ中にある強制収容所やグアンタナモ収容所に、聖書の音信を伝えるクリスチャンや良心的兵役拒否者が投獄され殺害されるような事が起こるならば、さらに大いなるバビロンの流血の罪は増し加わることになると思います。


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                                   FEMA CAMP  アメリカの強制収容所かもしれない


さらに、啓示の書は、大娼婦である大いなるバビロンは、七つの頭と十本の角を持つ緋色の野獣の上に座っている、つまり支配していると述べられています。(啓示17:3)「頭」も「角」も「王」つまり政府、政権を表しています。(啓示17:9,10,12) 大娼婦は、「聖なる者たちの血とイエスの証人たちの血に酔っている」と述べられています。(啓示17:6)ですから、国際組織も、諸国家の政府も共に、大いなるバビロンとの比ゆ的な淫行により、全地で流血の罪を犯したかもしれません。


エホバ神は罪のない者たちの血を流すことに反対され、過去においてユダを滅ぼされました。ですから、流血はその政府や政権の滅びを招くかもしれません。それで、アメリカや国際組織や諸国家の政府に神の警告を受け入れられて、流血を一切やめるようにお願い致します。


 

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エゼキエル41章・エゼキエルの幻の神殿

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エゼキエルの幻の神殿は将来山で真の崇拝が復興することを預言している


「次いで、彼はわたしを神殿に導きいれ、脇の柱を測っていった。・・・それからその長さを測った。二十キュビトであった。その幅は、神殿の前で二十キュビトであった。そのとき彼はわたしに言った、『これが至聖所である』」(エゼキエル41:1,4)


エゼキエルはバビロンに流刑になって二十五年目に、「非常に高い山の上に下ろされ」、そこで、壁で囲まれた境内の中にある神殿の幻を見ました。(エゼキエル40:1,2;41:1)エゼキエルの幻の神殿は、何を表していたのでしょうか。


エゼキエルは、その外見が「銅のよう」な人を見ます。その人は、手に「亜麻の綱と、葦の測りざお」を持っており、エゼキエルに示した事物の寸法を測ってみせました。外見が銅のような人は、おそらくみ使いでしょう。
(ダニエル10:6,12-14。エゼキエル40:3,5)み使いが神殿や神聖な事物を測ってみせたのは、それが表している事物がどのくらいの規模のものであるかを有形のもので示すためだったでしょう。(ゼカリヤ2:2)


この神殿で奉仕するレビ人は、エホバから「遠く離れて行った」と述べられています。(エゼキエル44:10)このことから、エゼキエルの神殿の幻が成就する時代が、今の事物の体制が続いている間であることが分かります。なぜなら、千年王国の期間中は、神の民はエホバに対して不忠節になって離れることはないからです。


エゼキエルは、この神殿が「非常に高い山の上に」あったと述べており、
イザヤは、「末の日」に、「エホバの家の山」がもろもろの山の頂よりも高くなることを預言しました。(エゼキエル40:2。イザヤ2:1,2)ですから、このエゼキエルの神殿に関する幻も、末の日つまり、私たちの時代に成就することでしょう。、エゼキエルのこの幻は、エホバへの崇拝の復興を預言しているように思われます。


神殿の境内全体は一辺が500キュビトの正方形だったようです。(エゼキエル45:2) “普通”キュビトよりも一手幅(7.4センチ)長い約51.8センチの長キュビトがエゼキエルの幻の神殿の寸法に用いられていたようです。葦の測りざおの長さは6キュビトでした。(エゼキエル40:5)それで、葦の測りざおの長さは約3.11メートルでした。そして、エゼキエルは神殿の周りの各々の壁の長さは500さおであったと述べていますから、神殿の境内の一辺の長さは1,555メートルであったことが分かります。


ミシュナによれば、ヘロデ王の“神殿の山”の面積は500キュビト(223メートル)平方であり、このエゼキエルの神殿の面積は約241.8万平方メートルですから、この神殿は過去に実際に存在した神殿よりもずっと大規模なものであることが分かります。このことは、将来、エホバへの崇拝の組織的な取り決めの復興が非常に大きな規模になることを示していると思います。


その境内には神殿(エゼキエル41:1)、至聖所(エゼキエル41:4)、祭壇(エゼキエル40:47)、食堂(エゼキエル40:17)があり、外の中庭(エゼキエル40:17)と、奥の中庭(エゼキエル40:17,47)がありました。


エゼキエルの神殿の祭司たちが、「ザドクの子ら」と呼ばれていることは、何を示唆するでしょうか。(エゼキエル40:46)ザドクはダビデ王と特に近い関係にあった祭司でした。(サムエル第二8:15,17)ザドクは、ダビデの息子アドニヤが王位を奪取しようとした時それを支持した祭司アビヤタルとは違い、終始一貫してダビデの王権を忠節に支持しました。(列王第一1:7,8)ですから、祭司たちが「ザドクの子ら」と呼ばれていることは、他の神の民がエホバに不忠節になった時に、エホバへの崇拝に堅く付き従った油そそがれたクリスチャンがいることを示しています。


また、エゼキエル書の中でも、イスラエルの子らやレビ人に関しては、「その糞像を慕ってさまよった」と述べられています。(エゼキエル44:10)一方、「祭司,すなわちザドクの子らの中から神聖にされている者たち」は、「イスラエルの子らがさまよい出たときに、レビ人たちがさまよい出たようにはさまよい出なかった者たちである。」と述べられています。(エゼキエル48:10-11)このことからも、祭司級の中には、神の民が全体として偶像崇拝に陥っていた時に、エホバに忠実を保つ者がいたことが分かります。


そして、ザドクの子らの祭司たちは、エホバへの崇拝を再開しているようです。エゼキエル43章の中では、彼らは祭壇のために贖罪を行なって、「使い始め」をしなければならないと述べられています。そして、祭壇を清めた後、祭司たちによって、祭壇の上で再びエホバの犠牲が捧げられるようになります。(エゼキエル43:26,27)


そして、エゼキエル45章でも、祭司たちは、聖なる所を動物の犠牲を捧げて浄め、エホバの正しい崇拝が再開されるように取り計らっています。(エゼキエル45:18-20)エホバは荒野の会見の天幕で祭壇の上で動物の犠牲をささげさせることによって、ご自分への崇拝を始めさせました。(出エジプト29:35,36,44)


このことから、エゼキエルの神殿の幻は、末の日に神の民が全体として偶像崇拝に陥ってしまって後、エホバへの崇拝が復興する時に成就するのではないかと思います。


聖書の他の預言書の中にも神の民がエホバに対して忠節を保つことに失敗することが預言されています。ダニエル8章には、小さな角が「飾りとなる所」を攻撃して、エホバから、「常供のものが取り去られ」ることが預言されています。(ダニエル8:9,11)そして、「違反のため」、真理が地に投げつけられるとも預言されています。(ダニエル8:12)しかし、「聖なる場所は必ずその正しい状態され」ます。(ダニエル8:14)ですから、ダニエル8章の中でも、エホバへの崇拝と奉仕が妨げられること、そしてその後、真の崇拝が回復することが預言されています。


また、ダニエル11章の中でも、北の王が「飾りの地」に入り、「多くの土地がつまずきに渡される」ことが預言されており、その後、神の民の拠点が、「聖なる飾りの山」に移っています。(ダニエル11:40,41,45)ですから、山に逃げたクリスチャンによって真の崇拝の復興が行なわれることが予期できます。


ですから、エゼキエルの幻の神殿は、北の王の攻撃のために、全地におけるエホバへの崇拝と奉仕が組織的に捧げられることが一時的にできなくなった後に成就するのではないかと思います。聖書は、クリスチャンが山に逃げた後、エホバへの崇拝が再び確立されることを預言しているようです。


エゼキエルの神殿の預言は、エホバへの崇拝が復興することを示していますから、このことは、全地におけるエホバへの崇拝が世界的な迫害によって一時的に途絶する時が来ることを示唆しています。(マタイ24:9,13)しかし、私たちは、エホバへの崇拝を忠節に支持し続けたザドクの子らの祭司のようでありたいと思います。それで、全世界でエホバへの崇拝が一時的に妨げられることが起きてもそれに驚くことなく、聖書の正確な知識を取り入れ続け、それを当てはめて、最善を尽くしてエホバのへの崇拝を続行したいと思います。


[関連する記事]


啓示
13章・右手や額に受ける野獣の印


啓示
13章・野獣の像に対する崇拝が強くなるという預言


ダニエル
3章・神はユダヤ人を火の燃える炉から救い出す


エゼキエル
20章・聖書中の嫌悪すべきものとは何か


マタイ24章・いつ山に逃げたらいいのですか


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エレミヤ
31章・新しい契約にあずかるのは誰ですか  

 

 

エリトリアでのエホバの証人に対する迫害(2)

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先回、エリトリアについてウィキペデイアからの情報と2007年エホバの証人の年鑑からの報告を「エリトリアでのエホバの証人に対する迫害(1」に掲載しました。今回、2009年と2010年のエホバの証人の年鑑と、エリトリアに関する日本語のサイトからエリトリアについての報告を掲載したいと思います。


2009年エホバの証人の年鑑より】


 当局は多数のエホバの証人を収容所に拘禁し、中には劣悪な環境に置かれている証人もいます。
2008年7月には兄弟たちが新たに6人逮捕され、その中には国内で指導の任に当たっていた長老たちも含まれていました。



 釈放を求めて多くの努力と国際的な働きかけがなされていますが、政府はエホバの崇拝に反対する姿勢を崩していません。



2010年エホバの証人の年鑑より】

 
2009628日、当局はある会衆の成員23人を逮捕しました。その中には高齢の姉妹たちや2歳から4歳までの3人の子供も含まれていました。高齢の姉妹たちは釈放されましたが、子供たちは母親たちと共に刑務所に入れられたままです。父親たちはずっと以前から投獄されていました。今では家族全員が留置されています。

 
これで投獄されているエホバの証人の兄弟姉妹たちは
64人になりました。その中には、兵役に対する中立の立場のゆえに1994年以来投獄されている3人の兄弟たちも含まれています。その兄弟たちはどの法律に違反したかも告げられていません。



kingdomhall12
エホバの証人の集会−通常ひとつの会衆が交わる
エリトリアでは会衆全体が投獄された例もある


【エリトリアのエホバの証人に関するヨハネの感想】


ウィキペディアによると、エリトリアでは、
国家元首である大統領は独立以来、同じ人が勤めています。憲法規定によれば、大統領は5年の任期を持ち、国民議会により選出されることとなっていますが、憲法が未施行で、選挙は無期延期となっているそうです。


エリトリアの状況を知ることのできる日本語のサイトがありました。弁護士としてエリトリアに滞在して法律作りのボランティアをしたことのある日本人をインタビューした記事です。

 

 10回 エリトリア人弁護士から見た“世界最悪”の独裁政権国家

 

 

http://kaze.shinshomap.info/series/rights/10.html

 


 
この記事によると、エリトリアでは、大統領が、極めて独裁的になり、すべての民間メディアを閉鎖し、民主的改革を求めるあらゆるジャーナリストや批判者はもちろん、他国に逃れようとした人々などを容赦なく逮捕し、場合によっては即殺害し、裁判にもかけずに悲惨な環境の刑務所に期限なしに拘禁するようになっているとのことです。そして、今でも、何千人、何万人もの人びとが、拘束され、刑務所はもちろん、秘密拘禁施設などにも拘束されていると見られているそうです。


ですから、エホバの証人が政府から迫害される時には、多くの一般人も政府から虐待されることになると思います。第二次世界大戦中ドイツで、よく知られているようにユダヤ人を始め多くの一般の人々が虐待された時にエホバの証人も厳しい迫害を受けました。


ですから、啓示の書では大いなるバビロンの中でも、神の民に対する迫害が予告されていますが、その時には、多くの一般人も政府から虐待されることになるでしょう。(啓示
17:6)言い換えれば、大いなるバビロンの中での一般人に対する抑圧は、神の民に対する迫害を予示しているものだと言えるでしょう。


これからも、社会情勢が厳しくなっていくにつれ、多くの国で軍部が政権をとったり、政府が独裁的になったりすることは予測できます。イエスは、終わりの時に、神の民がご自分の名のために「すべての国民の憎しみの的となるでしょう」と予告されました。
(マタイ24:9)全世界で、神の民は、イエスの助言に従って兵士となることを拒み、中立の立場を保ち、宣べ伝える業を続けるために迫害されることが予測されます。しかし、エホバ神に依り頼み忠実であり続けたいものです。


[関連する記事]
 

 




 

 

エリトリアでのエホバの証人に対する迫害(1)

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アフリカのエリトリアでエホバの証人に対する厳しい迫害が起きています。エリトリアがどんな国なのかウィキペディアから、迫害について近年のエホバの証人の年鑑からお知らせしたいと思います。

【ウィキペディアより】



eritrea
エリトリアの地図




エリトリア
は、アフリカ北東部に位置する国家です。西にスーダン、南にエチオピアと国境を接し、北は紅海に面しています。1993年にエチオピアから独立しました。1998年からはエチオピア・エリトリア国境紛争が武力衝突に発展し、国際連合エチオピア・エリトリア派遣団が2008年まで展開し緊張状態が続いています。エリトリアは1993年の独立以来、暫定政府が、事実上の一党独裁制で統治しています。


軍隊の最高司令官は大統領で国民皆兵の徴兵制が施行されています。兵役期間は無期限であり、軍隊の任務以外にも「ナショナルサービス」と呼ばれる勤労奉仕活動に従事させられます。エチオピアとの国境紛争は、難民・避難民の大量発生、紛争地域のインフラ破壊等、エリトリアに深刻な影響を及ぼしています。


2007年エホバの証人の年鑑より】



エホバの証人の兄弟たちが国民投票に参加しなかったため、
1994年の大統領命令により、エホバの証人は市民権を剥奪されました。その結果兄弟たちは大変な経済的苦難に直面し、幾百人もがエリトリアを後にしました。一方、学齢期の子供を持つ人たちなど、国内にとどまった人々もいました。

 
学校では、9学年になると全員が男子も女子も軍事訓練のために
登録します。そのため9年目以降の教育を断念した若者も少なくありません。集会出席も宣べ伝える業の参加も危険になっています。会衆の成員全員が逮捕されたという例も幾つかあります。現在
31人の兄弟姉妹たちが刑務所に入れられています。他に兵役を拒否したために投獄されている人たちもいます。3人の兄弟たちは1994年以来ずっと監禁されています。



【エリトリアのエホバの証人に関するヨハネの感想】



イエス・キリストは、終わりの時に、神の民がイエスの名のゆえに、憎しみの的になることを予告されました。(マタイ
249)イエスは、ペテロが剣をふるった時に、「あなたの剣を元の所に納めなさい。すべて剣を取る者は剣によって滅びるのです。」と言われました。(マタイ26:52)イエスはこの言葉により、クリスチャンが武器をとって戦うべきでないことを示されました。ですから、イエスの言葉に従う真のクリスチャンであれば、武器をとって戦う兵士になることはできません。



また、
イエスはご自分の弟子たちに、「あなた方は世のものではなく,わたしが世から選び出したので,そのために世はあなた方を憎むのです。」と言われました。(ヨハネ15:19)ですから、神の民は、神の律法に違反しない政府の法律や要求に従いますが、特定の政府や政党に属することはできません。イエスの弟子は、政治的な事柄に関しては中立な立場をとります。そのために、イエスはご自分の弟子たちが人々から憎まれることを予告されました。しかし、政治的な事柄では、中立の立場をとるために、イエスの真の弟子たちは、自分たちの間では分裂することがなく、愛し合うことができます。



エホバの証人が、良心的兵役拒否その他の理由で迫害されていることは、彼らがイエス・キリストの助言に真に従うように努力している
ことの証拠だと思います。

 

また、イエスは、「人々がある都市であなた方を迫害するときには、別の都市に逃げなさい。」と言われました。(マタイ
1023)ですから、ある場所で迫害され危険な場合は、可能な場合は他の場所に逃げるのが賢明です。イエスは、他の場所で証しの業を続けられると言われました。ですから、エリトリアのエホバの証人も他の場所に逃れた方が賢明だと思います。でも、そうするのが難しい場合もあるでしょう。





preachingwork
エホバの証人の証言活動






次回、
2009年と2010年年鑑から「エリトリアでのエホバの証人に対する迫害(2)」を報告したいと思います。





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夫婦の愛は取り戻せる(4)−口論を鎮める方法



エレミヤ51章・エホバの神殿のための復しゅうが行なわれる

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「エホバはメディア人の王たちの霊を奮い起こされた。その考えは、バビロンに向けられているいるからである。これを滅びに陥れるためである。それはエホバの復しゅう、その神殿のための復しゅうだからである。」(エレミヤ5111


メディア・ペルシャ軍は、バビロンを攻撃し、西暦前
607年に、バビロンは、メディア・ペルシャの前に倒壊しました。そのようになったのは、エルサレムの「神殿のための」「エホバの復しゅう」が行なわれるためでした。エレミヤ51章によると、エホバは、「神殿のための復しゅう」を行なうために、メディア人の王たちの戦意を奮い起こしました。(エレミヤ50:28)


「神殿のためのための復しゅう」をされるとは、そもそもバビロニア人は、イスラエルに対して何をしたのでしょうか。詩編79編は、それにこのように答えています。「よ,諸国民があなたの相続物の中に入り込みました。彼らはあなたの聖なる神殿を汚し,エルサレムを廃虚の山としました。彼らはあなたの僕たちの死体を天の鳥に食物として与え,あなたの忠節な者たちの肉を地の野獣に[与えました]。彼らはそれらの者の血を水のようにエルサレムの周囲に注ぎ出しました。(詩編79:1-3)


それで、バビロニア人は、エルサレムの神殿を破壊し、エルサレムを廃墟とし、エホバに忠実な者たちの血を流しました。それらに対する攻撃はエホバの崇拝に対する攻撃でした。それで、詩編70編10節には、「あなたの僕たちの流された血に対する復しゅうが,諸国民の中で,わたしたちの目の前で知らされますように。」という祈りが捧げられています。それで、古代バビロンがメディア・ペルシャの前に倒壊したのは、エホバの復しゅうが行なわれたわけです。 (エレミヤ50:14-16)


今日、国連とそれに協力する諸国家が大いなるバビロンを攻撃する時にもこのことは、当てはまるでしょう。それは、エホバの「復しゅう」になります。なぜなら、啓示の書は、大いなるバビロンが滅ぼされる理由についてこのように述べています。


[]は,その淫行によって地を腐敗させた大娼婦に裁きを執行し,ご自分の奴隷たちの血の復しゅうを彼女の手に対して行なわれた」。(啓示19:2)それで、大いなるバビロンが裁きを執行される理由のひとつは、彼女が神の奴隷たちの血を流したゆえです。エホバは、その復しゅうを行なわれます。

  
今日、文字通りの物質のエホバの神殿は存在しません。しかし、今日、エホバの神殿を比ゆ的に表すものがあります。聖書は天的希望を持っているクリスチャンについてこう述べています。「あなた方は,自分たちがの神殿であり,の霊が自分たちの中に宿っていることを知らないのですか。」(コリント第一3:16,17;6:19)

 
それで、天的希望を持っているクリスチャンは、今日「神の神殿」です。ですから、おそらく大いなるバビロンは、将来、天的希望を持っているクリスチャンの血を流すことになるのでしょう。それゆえに、大いなるバビロンに対して、エホバの復しゅうが行なわれ、大いなるバビロンが倒壊することになるのでしょう。


しかし、現在、アメリカ合衆国内のエホバの証人は、法的に保護されており、エホバの証人の統治体を含め天的希望を持つクリスチャンは、迫害の対象になっていません。今の状態が続くならば、緋色の野獣による、大娼婦に対する総攻撃も起こることはないでしょう。




watchtowerworldheadquarters
エホバの証人のニューヨーク本部
エホバの証人は法的に保護されている





しかしながら、聖書をこうして検討してみるならば、アメリカに住んでいる天的希望を持つクリスチャンはとりわけ迫害で命を落と
す危険がありますから、国外に逃れる方が賢明だと思います。(啓示18:4)




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大娼婦の過去における神の民に対する対応 

詩編79編・神の僕の流された血に対する復しゅうが行なわれる

エレミヤ19章・ユダの災いを招いた罪のない者たちの血

啓示17章・大いなるバビロンアメリカに予見できること

イザヤ13章・バビロンに対するエホバの日



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詩編3編・逆境にあって示されたエホバに対するダビデの信頼

エレミヤ19章・ユダの災いを招いた罪のない者たちの血

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「いまわたしはこの場所に災いをもたらす。だれでもその災いについて聞くなら、耳が鳴るであろう。彼らがわたしを捨て、・・・そこで自分たちも、その父祖たちも、ユダの王たちも知らなかったほかの神々に犠牲の煙を立ち上らせたためである。彼らはこの場所を罪のない者たちの血で満たした。」(エレミヤ19:3,4)


エレミヤ19章には、エホバがユダに災いをもたらされた原因は、偶像崇拝だけでなく、ユダの人々が罪のない者たちの血を大量に流したためであると述べられています。ユダの人々は何をしたのでしょうか。


エレミヤ19章によると、ユダの人々はバアル崇拝のために、自分たちの子供たちを犠牲として捧げました。ユダの人々は、バアルの高き所を築き、自分たちの子らをバアルへの
全焼燔の捧げ物として火で焼いたのです。(エレミヤ195


ヒゼキヤの父親ユダの王アハズは、バアル崇拝を行ない、ヒンノムの子の谷で自分の子らを火で焼いて捧げていました。(歴代第二28:1,3)アハズの子ヒゼキヤは、エホバの目に良い支配を行ないましたが、ヒゼキヤの子マナセは、「エルサレムを端から端まで満たすほど」、「罪のない[者の]血」を「おびただしく流し(ました)」。(列王第二21:16)


そして、エホバがユダをそのみ前から除くことが起きたのは、「マナセが流した罪のない者の血のため」でした。(列王第二24:1-4)おそらくマナセも、バアル崇拝を行ない、マナセ王とユダの人々は、子供たちをバアルに犠牲として捧げていたのだと考えられます。


マナセ王の行なった流血はそれだけではありません。ユダヤ人のラビの文書によれば、マナセは預言者イザヤの血も流し、イザヤはマナセの命令によってのこぎりで切り裂かれたということです。(ヘブライ 11:37)


おそらく、マナセは、エホバの言葉を伝える預言者を初めとしてバアル崇拝に反対する人々を殺したのでしょう。それゆえにバビロンがユダに攻めてきてユダをみ前から除くことは、「エホバの命令によることであり」「エホバは許しを与えようとはされなかった」と聖書は記録しています。(列王第二24:4)


マナセの子のアモンも邪悪な支配を行ないました。その子ヨシヤはエホバの目に良い支配を行ないました。しかし、ヨシヤの子シャルム(エホアハズ)やエホヤキムに関しても、「罪のない者の血」を流したと述べられています。(エレミヤ22:3,11,17,18)


また、聖書はユダの君たちが不当な利得を得るために流血に率先したことも述べています。(エゼキエル22:27)しかし、エホバはご自分の預言者によってそのような流血に反対しておられることを告げられました。(エゼキエル22:3,4,12,13)


エホバは罪のない者たちの血を流すことに大いに反対されています。将来、エホバが緋色の野獣によって大いなるバビロンを倒すことになるのも、大いなるバビロンが預言者たちや罪のない者の血を流すからです。聖書は、「大いなる都市バビロン」の滅びについて予告した後、「彼女の中には,預言者と聖なる者たちの[血],そして地上でほふられたすべての者の血が見いだされたのである」とその滅びの理由について説明しています。(啓示18:21,24)


確かに、大いなるバビロンは、世界中で戦争を行ない、人々の血を流しています。また、自国の若者を戦地に送って血を流しています。これは、国家主義というバアル神にアメリカの人々が子供を犠牲として捧げていると言えるかも知れません。


しかし、現在の所、大いなるバビロンが、国内で聖書の預言をふれ告げるクリスチャンの預言者を初めとして聖書の原則につき従う罪のない者たちの血を大々的に流したという証拠は、ありません。そのような状態が続く限り、大いなるバビロンの滅びは生じないでしょう。


しかし、私たちはエホバ神が罪のない者たちの血を流すことに反対され、過去においてユダを滅ぼされたことを覚えておく必要があります。このことは、大いなるバビロンにとって警告となることでしょう。




啓示17章・大いなるバビロンによる迫害の徴候


啓示17章・大いなるバビロンアメリカに予見できること


イザヤ13章・バビロンに対するエホバの日


イザヤ42章・神が是認した僕イエス・キリスト

詩編79編・神の僕の流された血に対する復しゅうが行なわれる

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「あなたの僕たちの流された血に対する復しゅうが、諸国民の中で、わたしたちの目の前で知らされますように。」(詩編7910



 詩編
79編の前書きは、「アサフの調べ」となっています。しかし、詩編79編は、ダビデの時代のアサフではなく、アサフの子孫による調べでしょう。


 なぜなら、詩編
79編は、エルサレムがバビロンから攻撃され廃墟になった西暦607年以降の時代に作られたと考えられるからです。例えば詩編791節は、諸国民が「あなたの聖なる神殿を汚し、エルサレムを廃墟の山としました。」と述べられています。また詩編7911節では、「捕らわれ人の溜め息があなたのみ前に届きますように。」と詩編作者は祈っています。ですから、詩編作者は、エルサレムが滅ぼされた後、エルサレムからバビロンまで捕らわれ人として連れて行かれ、バビロンで捕らわれ人になっていたのでしょう。



 詩編
7923節に、諸国民は、「あなたの忠節な者たちの肉を地の野獣に与えました。彼らはそれらの者の血を水のようにとエルサレムの周囲に注ぎ出しました。」述べられているように、西暦前607年にエルサレムがバビロンによって壊滅させられた時、命を失った者は、エホバに不忠節な者だけではありませんでした。エホバの律法に対して忠節な者たちも少なからず命を失いました。



 それゆえに、詩編作者は、詩編
796節の中で、エホバの激しい怒りを「あなたのみ名を呼び求めなかったもろもろの王国の上に注ぎ出してください。」と祈り求めています。また、冒頭の聖句にあるように、神の僕たちの流された血に対する復しゅうが行なわれるようにと願い求めています。(詩編7910



 詩編作者の祈りは聞かれました。まずエルサレムが倒壊して後、バビロンによってもろもろの王国が倒されました。エホバの怒りはまずバビロンを通して、エホバのみ名を呼び求めなかったもろもろの王国に注ぎ出されました。さらに、西暦前
539年にペルシャ人の司令官キュロスは、戦うことなく、バビロンに入場し、バビロンを倒しました。その時、神に忠節なイスラエル人たちの血を流したバビロニア人に対する復しゅうが行なわれました。



 同様に、聖書は将来、神の民に対して、大いなるバビロンが流血を伴う迫害を行なうことを予告し、流された神の僕たちの血に対する復しゅうをエホバが行なわれることを予告しています。(啓示
176182024)神の民の血を流すことは、大いなるバビロンの徹底的な滅びという結果を招きます。(啓示1716)しかし、大いなるバビロンが神の民を保護し、寛大に扱うならば、そうしたことは、いつまでたっても起こらないでしょう。



 過去において神の民の不当に流された血に対して、エホバが復しゅうされたことを思いにとめておくことができます。このことは、神の民を迫害する者たちにとって警告となります。


詩編11編・エホバは暴虐を憎まれる


啓示17章・大いなるバビロンアメリカに予見できること


箴言27章・大娼婦の迫害という前途を見て行動する賢明さ


啓示17章・大いなるバビロンによる迫害の徴候


マタイ26章・初期クリスチャンに戻る努力を払ったチェコ兄弟団

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「あなたの剣を元の所に納めなさい。すべて剣を取る者は剣によって滅びるのです。」(マタイ26:52)

 冒頭のイエスの言葉に従っていた使徒たちなどの初期クリスチャンは、武器をとって戦うことはしませんでした。中世にも、初期クリスチャンの模範に従おうと努力するグループがありました。その中にチェコ兄弟団があります。


   チェコの聖書学者であり宗教改革者でもあったペトル・ヘルチツキーは,ワルド派とフス派の教えに精通していました。しかし,暴力的な運動を展開し始めたフス派を退け,妥協的な立場を取っていたワルド派にも背を向けました。ヘルチツキーは,戦争をキリスト教の精神に反するものとして非難しました。1440年,ヘルチツキーは「信仰の網」(チェコ語)という本の中に自分の教えを記しました。

  彼と同時代の人のグレゴリウスは、ヘルチツキーの教えに傾倒しました。1458年、元フス派の幾つかの小グループは、グレゴリウスに従ってボヘミア北東部の谷間にあるクンバルト村に行き、そこに新しい宗教共同体を築きました。その後,チェコとドイツのワルド派のグループも彼らに加わりました。そこに小さな家々を建て、土地を耕し、聖書を読み、「一致兄弟団」と称しました。彼らはチェコ兄弟団とかボヘミヤ兄弟団とも言われます。


  兄弟団の信条について,今も残る「議事録」はこう述べています。「我々は、専ら聖書を読むことを基盤として、また、黙想、謙遜さと辛抱強さ、敵を愛すること、敵に善を行ないその幸福を願うこと、敵のために祈ることなどに関し、我らの主および聖なる使徒たちにより示された模範を基盤として管理することを決議する」。


  これらの書物から、兄弟団が当初、宣教活動を行なっていたことも分かります。彼らは二人一組になって旅をしました。兄弟団は行政にかかわる仕事を避け、宣誓は一切せず、軍務に服することも武器を取ることもしませんでした。会衆の全成員による公の宣教活動を奨励し、悔い改めない罪人を追放しました。軍事活動や政治活動からは完全に離れていました。


  少数派は「議事録」の決議に忠実に従っていたので、自分たちこそ一致兄弟団の真の後継者であると考えました。1524年、少数派の指導者の一人であるヤン・カレネツは鞭で打たれ、やけどを負わされました。その後、少数派のメンバー3人が火あぶりの刑に処されました。

  確かに主の日の前にも、イエスや使徒たちにならおうと努力して、迫害されて殉教した忠実なクリスチャンがいました。

 

マタイ23章・中世に迫害を受けたウィクリフのロラード派とフス

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わたしは今,預言者と賢い者と公に教え諭す者たちをあなた方のところに遣わします。あなた方はそのうちのある者を殺して杭につけ,ある者を会堂でむち打ち,都市から都市へと迫害するでしょう。」(マタイ23:34)


  イエスは、聖書に従って教え諭す者が迫害され殺されることを予告されました。中世においても、聖書に固く従ったクリスチャンの中には、迫害され、殉教した人たちもいます。


  14世紀にイギリスのジョン・ウィクリフは
聖書こそ真理の唯一の基準、霊的な事柄に関するあらゆる真の知識の源であることを主張しました。また、オックスフォード大学教授であり、聖職者であった彼は、ローマ・カトリックの教義は聖書から離れている、ミサに於いてパンワインキリストの本物のに変じるという説(化体説)は誤りであるなど、当時英国において絶対的権力を持っていたカトリック教会を真っ向から批判しました。


  晩年になって
ウィクリフは、ラテン語のウルガタ訳を英語に翻訳しました。同時に彼は、翻訳した聖書を携えて国内を巡る遍歴説教師たちを訓練し地方に派遣しました。ウィクリフの派遣した説教師たちは、ロラード派と呼ばれました。

ウィクリフの教理は異端的で誤りであるとローマ・カトリックから判定され、ウィクリフはオックスフォード大学から追われます。ロラード派の説教師たちは、イギリス全国を説教して回りました。ロラード派の説教師たちは、霊場もうで、迷信、免罪符、聖人、聖堂、像の使用などを容赦なく非難しました。

ヘンリー4世によって1401年に成立した「異端火刑法」は、ロラード派に限らず、聖書を所有したり翻訳したりすることを禁じ、これを違えた異端者に対して火刑に処すことを定めました。1408年には、ウィクリフの著書および聖書を英訳して読むことは死に値する異端の罪であるとされました。

ロラード派の説教師たちの中には、迫害に負けて信仰を否定した者もいましたが、忠節に最後まで自説を撤回しなかったために火刑にされた者も多くいました。


  さらに、ジョン・ウィクリフの思想は、15世紀の初め、
プラハ大学の総長になったボヘミヤのヤン・フスに影響を与えました。フスは、ウィクリフの教説に関する一連の講義を行ないました。ウィクリフの教えは当局の非難を浴びていましたが、フスは講義を続けました。フスとその追随者たちはカトリック教会により破門されました。

カトリック教会は1414年から1418年にかけてコンスタンツ公会議で自分の見解について答えるようフスを召喚しました。公会議がフスに自分の考えや教えを撤回するよう求めた時、フスは、もし聖書により自分の間違っていることが証明されるなら,喜んで撤回するつもりでいると答えました。

1415年コンスタンツの宗教会議で、フスは正式に有罪の宣告を受け、火刑に処せられました。火刑の柱に縛られた処刑の場で皇帝の家臣はフスに主張を撤回して命乞いするようにすすめました。しかしフスは、「私が、間違った証言者に告発されたような教えを説いていないことは、神が知っておられる。私が書き、教え、広めた神の言葉の真実とともに、私は喜んで死のう。」と述べて断りました。

コンスタンツ公会議はすでに死んでいるジョン・ウィクリフにも刑を宣告しました。12年の後ローマ教皇の命により実行されました。彼の墓は暴かれ、遺体は燃やされて、英国のスィフト川に投じられました。

後に,フスの一番際立った追随者である,プラハのヒエロニムスもまた,火刑に処せられました。

                            (参考)フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)

啓示6章・迫害されて殉教した神の民の過去の歴史

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 また,彼が第五の封印を開いた時,わたしは,神の言葉のために,またその行なっていた証しの業のためにほふられた者たちの魂が祭壇の下にいるのを見た。 そして,彼らは大声で叫んで言った,『聖にして真実な,主権者なる主よ,あなたはいつまで裁きを控え,地に住む者たちに対するわたしたちの血の復しゅうを控えておられるのでしょうか。』」(啓示6:9,10)


 
啓示の幻の中で、イエスはエホバから七つの封印をされた巻き物を受け取り、その第五の封印を開きました。すると、ヨハネは過去において神の言葉のためにまた証しの業のために殉教した者たちの魂が祭壇の下にいて、エホバに血の復しゅうを叫び求めていたのを見ました。


  確かに歴史を振り返ってみると、数多くのエホバの民が迫害されて殉教してきました。


  中世において聖書の教えに忠実であろうと努力して迫害を受けた幾つかのグループがあります。12世紀のごく初期のころ,ブリューイのピエールという人物がフランスでカトリックに反対する人物として際立った存在になりました。ブリューイのピエールは、カトリック教会と意見を異にしていました。ピエールは、南フランス一帯の人々に直接伝道し、多くの弟子を作りました。最後には、彼は1140年に杭に付けられ火あぶりにされました。


  その他にも迫害されたグループにワルド派がいます。西暦12世紀の終わりごろ,リヨンの裕福な商人であったピーター・ワルドは、資金を供給して、聖書の一部を南フランスで使われていた土地の言語に初めて翻訳する作業を行わせました。ワルドは、商売をやめて福音伝道に生涯をささげました。地元の僧職者はやがて、教皇を説得してワルドの公の証言を禁止させました。ワルド派と呼ばれた追随者たちは、ワルドの手本に熱心に従うよう努力し、二人ずつ組んで人々の家々を訪ねて伝道しました。


  ワルド派は熱心に聖書を研究して、初期キリスト教の信条や慣行に戻ることを唱道しました。彼らは偶像崇拝、マリア崇拝、聖人たちへの祈り、実際の武器の使用などを退けていました。さらに,イエスが神と人との間の唯一の仲介者であると信じていました。彼らはどこででも秘密の集会を開き、聖書を研究し、新しい伝道者たちを訓練しました。また彼らは悔い改めない罪人を排斥しました。


  ワルド派の多くは法王インノケンチウス3世が1209年に命じた南フランスにおけるカタリ派とアルビ派に対する恐ろしい“聖戦”の犠牲者となりました。そのほかの人たちは1229年に南フランスで始まった悪名高い異端審問で拷問に遭い、殺されました。ワルド派の中には首尾よく他の国へ逃れた人もおり、さらに大勢の人々はフランスおよびイタリアのアルプス地方の高い山々にある谷間に身を潜めました。


  カトリック教会による迫害が続く中,他の多くのワルド派信者も、より安全なフランス南部のプロバンス地方に住むようになりました。程なくしてそうした移住に関して注意を喚起して、ワルド派は秩序を脅かす存在だと当局に非難した人々がいました。布告が出され、その結果、1545年、プロバンス地方のルベロンという地域で、軍隊が集結し、1週間にわたり、殺りくが続きました。村々は完全に破壊され、住民は投獄されるか殺されるかしました。男性約2,700人が死亡し、600人が労働力としてガレー船に送られました。


  それで、歴史を通して、初期クリスチャンのやり方に帰ることを唱導した人々がいました。それらの人々は迫害され、多くの人々は命を失いました。ある人々は、イエスの助言を当てはめて、迫害された場所から逃げて、山や田舎に逃れる人々もいました。それらの人々の行動は、まだイエスが預言された時期ではありませんでしたが、首尾よく迫害を逃れた人々もいました。

  迫害によって流された罪のない神の民の血をご覧になって、エホバは、地に住む者たちに対する血の復しゅうがご自分に対して叫び求められているように感じられることでしょう。


  過去の神の民に対する迫害の歴史については、さらにこれからも取り上げる予定です。

 

エレミヤ36章・み言葉に対する迫害者エホヤキム

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「エホバはユダの王エホヤキムに対してこのように言われた。『彼のためにはダビデの王座に座す者がだれもいなくなり,彼の死体は投げ出されて,昼は暑さに,夜は霜にさらされるものとなる。』」(エレミヤ36:30)


  ユダの王エホヤキムはみ言葉の迫害者になりました。エレミヤはバビロンの王がやってきて、ユダの地を滅びに陥れ、人と獣を絶やすことになるというユダにとって陰鬱な預言を伝えていました。エレミヤの巻き物の言葉を聞いて恐れたユダの君たちの計らいで、エレミヤの巻き物がエホヤキム王とユダの君たちの前で朗読されることになりました。


  ところが、3ないし4ページの欄を読むと、王はすぐに小刀で巻き物を引き裂き、火鉢の火に投げ入れたので、巻き物全部が火鉢の中で焼けてなくなってしまいました。(エレミヤ36:23)エホヤキム王は、バビロンの王が攻めてきてユダの地を滅ぼすという言葉に異議を唱えました。(エレミヤ37:29)


  それで、エレミヤが神の霊感を受けて口述し、バルクが筆記した最初の巻き物は失われてしまいました。その当時は、印刷機もなく、手書きだったのですから、その価値はお金に変えられないほど貴重なものでしたが、エホヤキム王はそのエレミヤの巻き物を焼いてしまいました。


  それで、エホバはエホヤキムに伝えるように冒頭の言葉をエレミヤに伝えました。このエホバの言葉は成就したでしょうか。列王第二24章1節によれば、バビロンのネブカドネザルがユダに攻めてきてエホヤキムは三年間、ネブカドネザルの従属者になりました。ところがエホヤキムは翻ってネブカドネザルに背きました。


  それで、ダニエル1章1,2節によると、ネブカドネザルはエルサレムに攻めてきて、包囲し、エホヤキムが神殿の幾つかの器具と共に、バビロンの王の手に渡されたことが述べられています。そして、歴史家ヨセフスの「ユダヤ古代誌」によると、ネブカドネザルがエホヤキムを殺し、その死体をエルサレムの城壁の外に投げ捨てるように命じたということです。それで、冒頭のエレミヤによるエホバの言葉は成就しました。


  そして、エホヤキムの子エホヤキンはわずか3ヶ月と10日間だけ治めただけで、ネブカドネザルは、エホヤキンのおじゼデキヤをユダの王座に就かせました。(歴代第二36:9,10)それで、エホヤキムの子孫には、ダビデの王座に座るものがいなくなるというエレミヤの預言も成就しました。


  もちろん、エホヤキムに対するエホバの言葉は、すべての聖書の反対者に言われている預言の言葉ではありません。しかし、エホヤキムに起きたことは、エホバの預言の言葉が成就することを示し、エホバのみ言葉聖書を不敬に扱い、エホバと戦う人は、エホバの不興を買って、災いを被る可能性があるという警告となっています。

 

啓示2章・スミルナ会衆のように忠実のゆえに投獄される

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       あなたが受けようとしている苦しみを恐れてはならない。見よ,悪魔はあなた方のうちのある者たちを次々に獄に入れるであろう。それは,あなた方が十分に試されるため,また十日のあいだ患難に遭うためである。忠実であることを死に至るまでも示しなさい。そうすれば,命の冠をあなたに与えよう。」(啓示210

         イエスは地上におられた時に人々がクリスチャンを迫害し,「会堂や獄に引き渡(す)」ことを予告されました。(ルカ2112)復活されたイエス・キリストは悪魔がスミルナ会衆のある者たちを獄に入れることを予告されました。

 このことは、主の日の間に神に忠実を保つクリスチャンが迫害され投獄されることを意味しました。

 そのことがが許されるのは何の目的でしょうか。ヤコブは、クリスチャンが試練をすべて喜びとすべき理由について、説明しています。試練は、それを経験する人の信仰の質を良くして、忍耐という特質を生み出すと述べられています。結果としてその人がすべての点で健全になり、完全になるとも述べられています。(ヤコブ
124)ですから、試練はクリスチャンとして培うべき特質を身につけるよう助けます。そのため、神は悪魔がクリスチャンのある者たちを獄に入れることを許されます。

 
      
十日のあいだ患難に遭うとは、何を意味していますか。それは明らかに文字通りの十日ではありません。忠実であることを死に至るまでも示しなさいと述べられていますから、十日とは
その人の全生涯を意味するでしょう。けれども、それが十日というのは、その試される期間に終わりがあり、永遠の命と比べると、たいへん短い期間であることを強調しています。

 コリント第二
417節には、「患難はつかの間で軽いものですが,いよいよ重みを増す永遠の栄光をわたしたちのために生み出す」と述べられています。確かに永遠の命に比べれば患難の期間は、つかの間で短いと言えます。


     
確かに主の日の間にイエスがスミルナ会衆に予告されたような経験をしてきた神の僕たちがいました。スペインではエホバの証人は兵役拒否や中立の立場のゆえにキリスト教教会の宗教指導者によって圧力を受け投獄やその他の試練を経験しました。スペイン内乱(1936〜1939)の間、およびその後,様々な試練に遭いました。

 スペイン各地で行なわれた警察の手入れの背後には教会の僧職者がいました。エホバの証人の場合は次のような順序で圧力がかかりました。まず僧職者が主教にエホバの証人の活動のことを知らせます。代わって主教は民政長官に知らせ,民政長官は警察を発動させました。僧職者たちは内務長官にも知らせ,内務長官は全国の警察本部に通知します。

 スペインの神の民に対する攻撃の背後にそうした圧力がかけられていたことには,実際に公式の証拠があります。


       
一つの刑期が終わると,クリスチャンの中立を保って軍隊に入ることを拒否するという罪が繰り返され,さらに長い刑期を言い渡されることがありました。兄弟たちの中には,18か月間の兵役を拒否しただけのために合計懲役26年の刑を言い渡された人もいました。

  1979
年の年鑑の報告によると1958年以来,825人の兄弟たちが合計3218年の刑を宣告され,そのうち1904年間スペインの軍および民間の刑務所で服役しました。

  スペインで中立を守るクリスチャンにとって,比較的最近の事情はどうですか。良心的参戦拒否者の場合は
1度だけ投獄し,刑期は最低3年と1日から最高8年に限るという法律が1973年に制定されました。その法律によって刑期が延長されるということはなくなりました。


      
確かに、主の日には神に対する忠実のゆえに、投獄を経験したスミルナ会衆のような状態がエホバの証人の会衆にありました。

 

サムエル第一23章・流血の人や組織からいつ離れるか

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「サウルの子ヨナタンは立ち上がり,ホレシャのダビデのもとに行った。それはに関して彼の手を強めるためであった。次いで彼は言った,『恐れてはなりません。わたしの父サウルの手はあなたを見いだすことがないからです。あなたはイスラエルの王となり,わたしはあなたに次ぐ者となるのです。わたしの父サウルもまた,そうなることを知っているのです』。それから彼ら二人はエホバの前で契約を結んだ。ダビデはずっとホレシャに住み,ヨナタンのほうは自分の家に帰った。」(サムエル第一23:16〜18)


  この時はヨナタンとダビデが会った最後の時となりました。ヨナタンはダビデがエホバに油そそがれた者であることを知っていました。それで、いつかダビデがイスラエルの王となるという確信を持っていました。

  ところが、この後ヨナタンは父のサウル王と共に戦いに出かけて命を失ってしまいました。(サムエル第一31:2)


  もうこの時点でヨナタンはサウル王と共に行動するのをやめてダビデと行動を共にするべき時でした。そうしていれば、ヨナタンはサウル王と共に命を失うことはなかったでしょう。

  サウル王は既にノブの祭司たち85人とその家族を殺していました。サウル王には、エホバ神の御前で重大な流血の罪がありました。

 ヨナタンはサウル王のそうした行動を見て、サウル王が自分の父親とはいえ、エホバ神の是認を失っていたことを悟るべきだったでしょう。そして、共に行動するのをやめているべきだったでしょう。

流血の人や組織が自分の親族と関わりがある場合、いつ離れる機会を捉えるか難しいでしょう。

 しかし、その人自身に流血の罪がなく、その人自身は神の前に廉直であっても、流血の人や組織といつまでも行動を共にするならば、その人自身が、流血の人や組織とともに災いを被ってしまいかねないことをヨナタンの例は示しています。

 このことは、大いなるバビロンからいつ離れるかということを考えるにあたっても警告になるでしょう。(啓示18:4)

サムエル第一22章・正当な釈明が通らない時

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「アヒメレクは王に答えて言った,『ですが,あなたのすべての僕の中でだれがダビデのように忠実でしょうか。しかも彼は王の婿で,あなたの護衛の長ですし,あなたの家で敬われているのです。 わたしが彼のためにに伺うのは,今日に始まったことでしょうか。わたしにはそれは考えられないことです!王がこの僕[と]わたしの父の全家に何をも負わせませんように。このすべてのことで,この僕は大小を問わず何事も知らなかったのですから。』」(サムエル第一22:14,15)

サウル王はヨナタンがサウル王に対して反逆しようとする気持ちを持っていない、それどころか忠節を表わしているダビデを擁護した時、最初はそれを聞き入れました。ところが、後になってやはりヨナタンがダビデを擁護した時、サウル王はヨナタンでさえ、殺そうとしました。

  そして、今度は、祭司アヒメレクが事情を知らないでダビデを援助しました。アヒメレクはサウル王に不忠節になろうとは考えていませんでした。アヒメレクは上記のように釈明しまた。アヒメレクの釈明は正当なものでした。ところが、サウル王はアヒメレクのもっともな釈明に耳を傾けませんでした。アヒメレクと従属の祭司たち85人とその家族は結果としてサウル王に殺されてしまいました。


 サウル王は王権を失うことを恐れ、ダビデが自分に敵対することを信じ、何とかしてエホバ神によって次の王として選ばれていたダビデを殺そうとしていました。そして、ダビデに味方する者は誰であれ、殺してしまうという非情なやり方をしました。


 それで、上なる権威の人がエホバ神に真っ向から敵対している時に、道理をわきまえなくなって殺人的な傾向を表わし、正当な釈明が全く通らない時があるということが分かります。


 一方、ダビデのもとに逃げた祭司アヒメレクの息子アビヤタルは、ダビデとともに苦労をしましたが、ダビデと共に命を永らえる結果になりました。一方アヒメレクは正直に釈明して命を失ってしまいました。

 それで、今の事物の体制下で、政治の権威が道理をわきまえなくなって殺人的になる時があること、そういう場合は逃げたり、ある場合はうそを言っても身を守る方が賢明であることをこの事例は示しているかもしれません。

 

プロフィール

ヨハネ

 わたしは幼い時に父から聖書物語の本をプレゼントされ、どこかの教会に行くことなく、ひとりでまことの神を信じてきました。
 わたしは世界に真理が存在していて、聖書ははっきりクリアに理解できるものという信念をもっています。その信念のもとに聖書そのものを二十歳頃から、毎日読むよう努力を払ってきました。その努力を四十年以上行って、徹底的に聖書を読みこんできました。
それで今では、聖書をかなりよく理解できるようになったと思います。その理解をみなさんにお分かちしています。
しかしながら、まだ聖書理解の途上にあり、いまだ、聖書を完全に理解するには至っておらず、理解の調整をすることが今でもたびたびあります。
 でも、分かったことをできるだけ早くみなさんにお分かちしています。
 聖書預言の理解は人類の命を救うものとなります。聖書の預言はこれから世界がどのように動いていくのか、そして、そのさまざまな災いのもとで、人々がどのように行動すれば命が救われるかを教えています。

 ご一緒に聖書朗読するクリスチャンを募集しているので、yohane-19144026fujiyama@tutanota.com
あるいはdaughter-of-zion1029ing@protonmail.chの方にご連絡ください。

ご質問やご感想も承ります。

〇メールは littleyohane〇aol.com 〇⇒@  か 
daughter-of-zion1029ing@protonmail.ch の方へお願い致します。

メールが届かなかったりするようなのですが、しばらくこのメールを試してみたいと思います。何かご質問やお申し出がある場合は、こちらのメールにお知らせください。

〇ルームメイト希望や聖書朗読を共に行う希望のある方は引き続き募集していますので、上記 にお知らせいただければ嬉しく思います。

G-mailは、政府機関にだだもれだと言われています。悪いことをするわけではありませんが、いろんな考え方をする人がいますから、慎重にした方がいいと思います。tutanotamailは全然届かないみたいなので、Aol.mailをしばらく使います。これも、妨害されるので、また、探してみますのでお待ちください。

○「しあわせを約束する聖書のことば」というサイトにわたしヨハネのアイコンが見られます。そのブログの作成者は、わたしの「ヨハネのブログ」の作成者ではありません。また「しあわせを約束する聖書のことば」というブログの記事はわたしヨハネが執筆したものではないことをお知らせ致します。

 他にも、littleyohaneのアイコンを使っている方が時々見受けられます。偶然にアイコンが一致したかもしれませんが、なりすましかもしれません。わたしは絶対平和主義のクリスチャンです。殺人、淫行、同性愛、輸血、暴力行為、破壊行為、偶像崇拝、心霊術などを認めていません。また、人種は平等だとみなしています。

 また、わたしは三位一体説を正しいとは思いません。でも、わたしはエホバの証人ではありません。わたしになりすましている方々の主張とわたしの主張は異なる場合があるかもしれないので、ご注意ください。

○私はアメブロ・ヨハネのブログ 、はてなダイアリー聖書の描く地球の今と将来 、わたしのブログ・楽天ブログ もしています。そちらにも別の記事を投稿したりしますので、ご覧ください。
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