2009年11月20日

味噌と女房は古いほどいいに決まってるじゃねえか!
そう。ボクも同感だ。
ただ、最近味噌を搗くのは限られた家庭であって、しかも時代に合わせ、薄味に仕上げるため、極力塩の量を少なく設定する傾向にある。
一般家庭で使用する市販の味噌は、これに調味料などの添加物があり、おまけに賞味期限まで明記してあるから、古いほどいいとは言えなくなってしまったようだ。
更にダ!
女房さまと味噌を同等に扱うことは人権蹂躙と訴えられ兼ねない。「離婚!」などと宣言されたら大抵の男は参ってしまうのではないか。
まず本論にはいる。
主題「畳とカメラ」について。
論より証拠という諺がある。=物事は論議よりも証拠によって明かになる。(広辞苑第5版)
前にも述べたが、これまでとり続けてきた小生のCanon Power Shot S50は
残念ながら時代に合わなくなってしまった。
そこで色々考えた末、小生の財力にあったカメラと買い換えた。
繰り返すが…。
メーン紅葉の写真は新カメラでの処女撮影である。
下図は畳替えした友人A兄豪邸の10畳間である。(2009,02,撮影)
主題の「畳とカメラ」に「論より証拠」を当てはめていただく。
2009年11月18日


↑
これは、これまで小生が使っていたPower Shot s50である。
とうとう寿命が来てしまったようだ。
修理しようとしても、どこへ相談していいのか分からぬ。
最寄りのパソコン店に行って訊ねてみた。
店の係員は、オレのカメラを見る前に、
「いつ頃買いましたか?」と言うので、
「5年位経つかなぁ」と応えると、その先はてんで相手にして貰えなかった。
このデジカメは、小生がパソコンをいじり始めた頃、在京の倅夫婦からプレゼントされたものである。
ボクのパソコン歴はサトウサンペイ『パソコンの「パ」の字から』がきっかけで始った。
この本の第2輯『「パ」の字塾』にこんなことが書いてある。
<「パ」の字塾 ある日の講義風景9>
坂田(講師)「デジタルカメラを買いに行きましょう!」
デジタルカメラの講座を始めるに当たって、最新式のものを購入したいと考えました。しかし、すでにサンペイさんはデジタルカメラをもっています。ただ、つい1年ほど前に発売されたキャノンのパワーショットA10だったのですが、ウィンドウズXPに完全には対応していませんでした。
(略)以下、東京有楽町の大型パソコン量販店5階デジタルカメラ・コーナーにて。
いくつかの機種を比べた結果、背面の操作パネルがパッと見てわかりやすいS社O社のデジタルカメラを選びました。
いずれも300万画素クラスで、実勢価格5万〜10万円。とりあえずカタログだけをもらってその場を離れました。
サトウ「2万〜3万円と思っていたが、7万〜8万円もすると、誰もが買えるわけがない」
坂田「ですが、このくらいの金額は出さないと…」
サトウ「お古といっても1年前だよ。そんなに買え換えられるか!物は大事にしなくちゃ。最新のに買え換えれば便利になるかもしれないが、いまもっているカメラで対応させたい読者のほうが多いはずだよ。そのやり方を教えなさい」
坂田「はい。勿論、どのデジタルカメラも工夫すればウィンドウズXPのパソコンで使います。すぐに買え換えればいいという考え方が安直でした」
(2002,07:「パ」の字塾 朝日新聞社)
※この講で使用したカメラはキャノンパワーショットS30で、仕様320万画素。
ボクのs50は約500万画素とあるから、当時倅達思い切ったプレゼントだったと思う。
メーン画のcanon cameraもボクのモノだが、これには型式の表示は刻まれていない。
<ライカ型キャノンカメラ>でネットを検索すると、同型のオークション出品などが見られる。安価で落札出来るようだ。
嘗て街のカメラ専門の老舗の主人に、
「手放す時は是非相談させて下さい」と云われたことがある。
しかし、その店はいまは転業したのか廃業したのか分からないけれど、往時の面影は全く姿を消してしまった。
2009年11月16日
Gogh et
Gauguin
テフラよ 一度きり
タフラよ 唯一度きり
朝は白い粒子の降るように降る
それを受けるのは
あなただ 僕だ
(朝の歌(部分):当演劇演出者詩集「朝の場所」)
新しい世界を描くためには新しい方法が必要である。ゴーギャンはフォルムと色彩の総合によって、美を暗示し喚起する方法をとった。彼の押し進めた方向が、文学におけるアルチュールランボーと並んで早くも新世紀の芸術に通じていたことは明かである。それは文明に対する反逆、未知への冒険、人間性の回復、何より新しい美を約束するものである。(呼び声:福永武彦・「ゴーギャンの世界」)
逃げよう!遠きかなたへ
未知の海と空の中へ
海鳥たちの酩酊をわれは知る
いざ船出しよう!
マストを揺るがす大船よ
異国の天地に向かいて
錨を掲げよ
(海の微風(部分):ステファン・マラルメ
詩集「海の微風」)
ゴッホは 売れなかったから
ますますほんとうで 美しい絵を描いた
神は無名の人を愛する
今日もまたゴッホの風景散歩する
捩れた松と枯れ葦の原
ゴッホの道に月見草
(ゴッホ:川崎隆司・詩集「回帰線」)

この寄せ書き風の詩文と論評の一部は、今日の観劇の案内チラシに書かれてある6篇の詩と短章の中から抜粋したものである。
ボクがこの創作劇を観るのは今度が3度目で、舞台となる此所は、県南生涯学習センターという公共施設で、定員300名の多目的ホールという処だから、決して公演に適した純度の高い環境とは言えがたい。
しかしこのチラシから演出者のある種の気負いを感じた。
心配した観客数も80%の席は埋まったと思う。
勤労者を対象に開いたという上演目的のせいか、日曜日にもかかわらず、若者や学生の姿は殆ど見かけなかったのが心残りであった。
この創作劇の演出者であり劇団の主宰者I氏は、
「2人の画家の生き方から、『生きる心』を考えるきっかけにしてもらえれば」と話しているというが。(参照)
[昨日の地方新聞:
<生きる心考えて 「ゴッホとゴーガン」明日上演>から]
2009年11月15日
午前中は
雨なりき。
パソコンが不調なり。
ポインターが消えてしまう。
マウスが壊れているとは気がつかなかったから、
強制終了や、再起動を何度も繰り返した。
ポインターの矢印が流星のようにモニター画面の隅に斜めに消え去るのを見て、
原因がマウスであることを突き止めた。
パソ博士Hさんから来信があった。
>今日は午後から曇り、気分転換のため「Kデンキ店」が開店しましたので、行ってきました。
駐車場から見る筑波山は大きく、随分遠くに来たと実感しました。(TAの隣です。)
ところで、同店は開店記念で大安売りしており、兄が欲しがっていましたデジカメも、一万円弱で売っていましたよ。
更に、マウスも数百円でゲット可能で〜〜す。暇を見つけて一度訪れるのも良いと思います。
それでは、ご健勝をお祈り致します。でわまた

またタカヤマ兄からも、
>暖かくてよいのですがこう雨が降ると身の置き場所が無く困ってしまいます。パソコさんどうもご機嫌斜めで意地焼ける気持ち分りますね。
デジカメはもう修理する時代ではないのですね…。5年も持っていたのだからという気持ちは分りますが。
確かにカタログを見ても3ケ月ごとに性能が良くなったカメラがどんどん出ているのだから。いざ購入すると言って店に行ってみても、焦点を絞っていかなければどれを買って良いか迷ってしまいます。
これから暮れにかけて下取りセールが始まりますので、箱やケーブル説明書など一式揃っていると倍の値で引き取ってくれますよ。我輩も色気を出して先般イオンのカメラ売り場 (1階の一番東外れ C駐車場から入る) に行ってみたら、5千円くらいでと言っていました。結局今持っているので我慢しようと帰って来ましたが。
雨は午前中で上がった。燈刻、空が真っ赤である。壊れたカメラでパチパチ撮った。
どうしてもカメラが欲しい。
Hさんに云われたKデンキの折り込み広告と対峙。
結論は出なかった。ウム。
2009年11月11日
雨降りの朝。
本州の南岸沿いを低気圧が進み、各地とも雨が降り、太平洋側は激しい雷雨の所もあるという予報だった。それにしても11月としては記憶に浮かばない程の暖かな朝である。
予報のような豪雨とはならなかったが、一時大きい雷鳴が響いた。
晴れた日には外に出て耕し、雨の日は家に居て書を読む。つまり田園に閑居する自適の生活を表題のように『晴耕雨読』というのだそうだ。
ボクは己の環境を、このような生活を送っている閑人であると誇示するために、わざわざこの写真を貼り付けたわけではない。
この「里の幸」は、約10?離れた邑に婿入りして、いまも農業をやっている小学生同僚がわざわざ届けてくれたものだ。嬉しさのあまり並べて撮った。
また昨日は親戚から、軽トラいっぱいのハクサイを恵贈され、冬囲えを終えたばかりである。
野菜が豊富だと豊かな気持ちになれるし、これほど嬉しいことはない。
何故「八甲田山死の彷徨」か?
そのわけ。
明日11月第2木曜日は、読書会例会である。今月の読書宿題は「新田次郎」の作品だ。
正直云ってこれまでボクは新田次郎の作品はまだ一篇も読んでいなかった。宿題に追われて町の本屋で見つけたのがこの新潮文庫である。解説を入れても320頁。
もし読み了えない時は、後記山本健吉の「解説」で読了のふりで誤魔化そうと踏んでいた。
今日の雨は読書にはまたとない慈雨っだった筈だが…。
パソコンのインターネットが突然つながなくなって焦った。デジカメもまたモニターがこれまた作動がしなくなってしまった。パソコン店に問い合わせたら、Power Shot S50と言っただけで一笑に付されてしまった。修理するとすれば、メーカー送りになるが修理代は万円単位になるだろうし、果たして部品があるかどうか。と言うことである。
文庫本を開いたのは午後からである。
ところが「八甲田山死の彷徨」はオレに時間を忘れさせた。これほど感動を受けた小説は最近読んだことがない。いま第3章あるうち第2章まで読み進んだ。
明日までには、何とか感想を纏めたいと思っている。
これでも晴耕雨読には違いなかろうなぁ。
2009年11月08日
鉛筆画講座を了えた金曜日の昼下がり、同じ講座で受講生だった仲間のK代さんと、昼食をとるため、とあるラーメン店に入った。場末の酒場のような店構えである。
彼女が「読書会」の仲間達と1回来たことのある処だそうで、たいへん美味しかったからという理由でこの店に誘ってくれた。
客は1人しか入っておらず、われらと入れ替わりに出て行ったから、店内は静かだった。
ご主人は客席傍のレジにも立って、何くれとなくわれらに話しかけてきた。
ここで出すラーメンは、「麺」も自分のところで打つという自慢話や出汁とる苦労話など。
従業員は使っていないので、人件費や、他の業務管理にあまり気を回さずに済むとのこと。この時はご主人1人で厨房とレジを兼務していたが、普段は奥さんと二人だけの職場なのだろうと思う。
今は個人経営のラーメン店は殆ど姿を消してしまい、大手のチェーン店若しくはFCチェーン店(ボクはその区別も制度も不勉強で理解できないが)の看板ばかりが目立つ世の中になってしまった。
複雑な思いと、ラーメン店の懐かしい思い出が交錯していた。
何十年も昔の話になる。
隣町に「吞気」というラーメンがあった。「ラーメン」と言ったか、「中華そば」と言ったか忘れたが、(広辞苑ではその区別は無いようだ。しかし、「ラーメン」いうのと、「支那そば」若しくは「中華そば」では、だいぶ違ったイメージが浮かんでしまう。)「吞気」はいわゆる普通の「ラーメン」と「ワンタン」、「ワンタンめん」の3種類しか拵えなかった。暖簾名を想わせるお人好しの爺さん、婆さんが「のんき」を売り物にして、町では美味いラーメンで名の通った店だったが、「ぼや」に巻き込まれたり、倅さんがやるようになってから、ラーメンの味は微妙に変わった。客足も次第に少なくなって、間もなく廃業した。
いま、その店舗跡は更地になって、駐車場になってしまっている。
このラーメン店のご主人は、「今日はお客さん少ないけど…」
と言い訳するようなこと言って、大入りの時の忙しさを誇張して話した。
われら2人は、去る10月の読書会の後、食事会に繰り出した最近郊外に出来た超大型ショッピング・モールで、食した時のラーメンの不味かったことなどを話題にした。
ご主人は満足そうな顔でこの話を聞いていたが、われらは、
「ごちそうさま。また来まーす。」と挨拶を交わし店を辞した。
確かに美味い味であった。勘定は「オレが払う」「ワタシが払う」で埒があかずとうとう割り勘にした。
2009年11月06日

←町の作品展に出展したものである。
二人で見に行った。このコーナーには、同好グループの作品が、狭いテーブルいっぱいごちゃごちゃ同居していた。
う〜ぅん!と唸ってしまうような手の混んだ手芸作品が沢山ある。デジカメの故障でボクは撮って来なかったのが残念に思う。
ボクも自分のハイクが、仲間の作品一覧パネルに収まって出展してある。糟糠の人の作品の回りにばかりうろうろしていられないので、そちらの方に立ち去ったが、未知の数人の見物客が立ち止まり、本人のいる前で、
この人形と花(?)の置き場所を別の処に移動してカメラに収め、
「これが… …… …しいわ」と囁くのが聞こえたそうである。
たったそれだけの話だがね。
2009年11月03日

文化の日明治は過去となりにけり 谷人
快晴の朝なり。午後妻と町のショッピングセンターに行く途中で撮った。
このお宅は毎年祝祭日には必ず国旗を掲げたものだが、何故か今年は元旦を初め、その後の国民の祝日に掲揚が絶えて無かった。(見落としたかもしれないが…。)ご主人に何か心境の変化があったのか、あるいはご一族の方の喪中なのかもしれないと勘ぐったりもした。
それが今日は嘗ての国旗掲揚が復活したのである。
住にしこの日は「明治節」であった。小生のこどもの頃の小学校は、田舎の小さな木造平屋建てだったもので、講堂も体育館もなかった。だから4大節(元旦、紀元節、天長節、明治節)には総児童数400人を収容するのに、高等科3教室をぶち抜た式場を拵え、この日を奉祝したのである。
明治天皇・昭憲皇太后のご真影が式場正面に飾られ、式次第の上段に「式歌」が掲げられてあった…。
>亜細亜の東日出づる処 聖の君の現れまして
古き天地とざせる霧を~
思い出深い明治節の式歌がましま様の「反戦塾」から流れてきた。名曲だそうである。
>明治節11月3日は「必ず晴れる」という伝説?があった。事実、太平洋岸は西高東低の快晴、その代わり校庭の土は冷たく(休みではない式典があった)、終わると足踏みをして体を温めたものだ。その明治節は新憲法公布を祝す「文化の日」になった。
小生は初めて知った知識だった。これまで「明治節」の延長だとばかり思っていたのである。
憲法を改めようという空気がある。自民党ばかりでなく政権交代して華々しいデビューを飾った現与党内にも…。
そうなった場合、この祝日はどうなることであろう乎。
(
閑話及第。
「文化の日」には各地で文化に関するイベントが催されているようである。
わが町に限って言えば、これまでの惰性で、予算を消化している行事のように見えて仕方ない。恒例の絵画・書・彫り物・陶芸・和歌・俳句等々、町民の作品展が町の体育館で開催されるのだが、駐車場はがらがらに空いていた。
毎年、この日前後に行われる「廃棄本の無料提供」の図書館前には人影はなかった。段ボール箱5〜6個に週刊誌類の雑誌がいっぱい詰まって並んでいただけである。
折角だから1人当たり10冊の規定に従って次の10冊を頂いてきた。
モリエール全集2・3・4巻中央公論社、 3冊
島崎藤村全集6・13・14巻 新潮社、3冊
筑摩現代文学全集 筑摩書房
森鴎外集 巻7
島崎藤村集 巻9
梶井基次郎・三好達治・堀辰雄集 巻43
椎名麟三集 巻56
青春時代「永遠なる序章」を読んだ。過去が美しかった。
「腹が減って、声も出ねえよ。」
だが、後の方から、メーデー歌が押し寄せて来ている。
聞け、万国の労働者
とどろきわたるメーデーの
………………
安太も、それと合せながら大きく歌っている。だが、その彼は、ぼんやりあの意味のない幻想を思いうかべている。光る闊葉樹。楽しくはしゃぎながら縄とびをしている裸足の少女たち、くるくるいつまでもゆるやかに廻っている縄。(「永遠なる序章」終章より)
昔読んだ思い出がオレの心に一気に突き刺さって来た。
2009年10月31日
町の「えんぴつ画初級講座」を申し込んだ。講座内容は次の通りである。
〇期日 10月30(金)11月6(金)11月13日(金)11月20(金)の4回講座。
〇内容 4B・6Bなど家にあるえんぴつで何かを描いてみようという気持ちのある人に、不安なくえんぴつ画を始められる初級編
〇持参品 新聞紙・筆記用具

↑
一体全体、どんなことから講座がはじめられるのか、不安と期待が交錯していた。全く何も知らない人ほど宜しいとの講師先生の冒頭のアイサツであった。もちろん小生はその条件を完全に満たした理想的講座生であった。
これが第一回小生の練習作品である。
えんぴつ画といえば、静物画からやがて風景画へと、デッサンの練習とばかり思っていたのだが、それとは全く違った教え方だった。
はじめに先生は、3H,9H,3B,9B,Fの5本の鉛筆とコピー紙、ケント紙、普通の再生紙、カーボン紙を講座生全員に配った。
そして、お手本の人物画を分け与えたのである。
お手本をカーボン紙を使って、コピー用紙へ輪郭をなぞり、複写してできたものを、任意の鉛筆を使って、塗りつぶすのである。
説明がうまくできないけれど、こうして出来上がったのが上図である。(まんざらでもないね。と独り言)
まあ、次の講座はどんなことになるか、講座生は小生以外は全部美人女性の8人。
先生が仰るには、「最後まで何人残れるか。」と早口の関西弁でのたまわったのであった。
2009年10月29日

信州I高原リンゴ狩りのご案内
さてかねてより計画しておりましたリンゴ狩りのスケジュールが決定しましたのでご案内いたします。場所は長野市郊外I高原です。H.Wさんがオーナーとして契約している樹齢30有余年の古木のリンゴ(ふじ)を皆で収穫しながら晩秋の余韻に浸ろうという趣向です。今年は作柄も順調で、当日は蜜をたっぷり含んだ完熟リンゴが枝いっぱいに出迎えてくれるはずです。
くわえてリンゴの栽培管理者ご夫妻やイバラキケン出身の地元住民ら10数人も参加、民宿での夜の懇親会や翌日のイベント(コンサート他)で歓迎してくれます。
ぜひご参加ください。
記
日時:11月21日(土)、22日(日)の1泊2日
交通:貸切バス(25人乗り)
参加人数:18人(予定)
参加費:一人○万円=宿泊費(1泊2食)、昼食費(21日)、持ち帰りリンゴ約10キロ
行程:(略)
(世話人 S.T)
昨日、このような案内状が郵送された。過日(今年7月半ばの頃)歌集を出版なされた方からのお誘えである。
たぶん出席する方は、あの時出版記念会に集まった方たちが多いのではないかと思う。
世話人のS.T氏は元朝日新聞記者。やはり、宿泊先の民宿での茨城県出身の地元住民10数名との交流会や、翌日長野市朝暘館での絵画展&コンサート等、趣向をこらした企画は氏ならではの感である。
久方ぶりの仲間たちの再会となりそうだが、特筆したいのは、S.T氏は日本酒にかけては殊更の通人であり、さらに酒蔵「菊盛」と親戚以上の交友関係にあるM氏も出席なさると思うので、リンゴ狩りよりもソチラの方が大いに気になる小生であった。
2009年10月24日

ボクは現在の小・中学生の考え方を、これまで全く理解していなかったと言える。
絵や読書や文章の書き方について云えばなおさら、初めからダメという先入観があって、
「いまのコドモたちは…」といういやな考え方が先行してしまうのである。
町教育委員会からの委嘱を受けて、昨年から町の小中学校の郷土文学記念賞受賞作品コンクールの審査委員になったが、今年もその作品を見たり読んだりして、「審査委員失格」のこころを新たにした。
オレの考えなぞ遠く遠く及ばないことを自覚した。
全文をコピーしてみよう。
人間失格を読んで
中学校 二年
私は、この人間失格を読んで、人間の心の奥に触れた、苦しくいたたまれない気持ちになりました。
葉蔵は、中学時代の手記の中で、「自分には人間の生活が見当つかないのです。」また、
「自分は、空腹ということを知りませんでした。」と言っています。つまり、感情がわからない、また、感情がない、と言うことです。これは、私がこの本を読んで一番衝撃的なことでした。
感情がわからないということは、何も感じないで、ただ毎日を過ごすという、本当につまらないことだと思いました。私には、ちゃんと感情があるし、毎日の一つ一つの事に、楽しいとか、嬉しい、嫌とか、悲しい等、様々な感情を持って生活しています。葉藏は、良い事も悪い事もわからず、私からしたら、つまらないし、もったいない生活を過ごしていると思いました。
私が、苦しくいたたまれない気持ちになったもう一つの理由は、親や兄弟、誰に対しても、本当の自分を見せず、自分を演じて、生きてきたことです。
葉蔵は、幼いながらに、他人の目をものすごく気にして、考えすぎて、わからなくなり、道化をするようになったのです。そのため、いつのまにか、一言も本当のことを言わない子になってしまったのです。そして口応えをした事もないのです。
なぜ、道化をずっと続けて、口応えもせず生きてこれたのか。
私は、とても疑問に思います。これを自分に当てはめてみたら、絶対できません。まず自分が他人からどう思われているか、そんな事を幼いうちから考えたことはありません。ましてや、家族にまで、お道化をする必要もないですし、口応えしないのも無理です。少しぐらいは、がまんできるかもしれませんが、長い間続くとなると、そんな事は絶対できません。また、それとは別に、なぜ家族は葉蔵のそんな思いや行動に気づかなかったのでしょうか。葉蔵には、多く兄弟がいたので、親は、子供がどういうものなのが、わかっていたと思います。普通の子と違うのは、あきらかだったのではないでしょうか。もっと早くに気づいていたら、葉蔵の今後の人生が、もっと良いものになったのではないかと思いました。
葉蔵は、いつ、誰に対しても、お道化をして生きてきました。そのため、彼の人生は、とても悲惨でした。
上京してきて葉蔵は、堀木という男に出会います。堀木と出会ってからは、いわゆる遊び人になってしまいました。とあるカフェで、ツネ子という女に出会い、ひかれ。でも、彼女は、人間の営みに疲れたと告げ、二人で自殺します。ですが、葉蔵には、本当に死のうという気持ちはなく、遊び半分だったのです。そして、ツネ子は死に、葉蔵は助かりました。
私は、自殺なんてしてほしくありません。でも、葉蔵もツネ子も、自ら死にたいと思うほどに、人生に疲れきっていたのです。世の中への恐怖、わずらわしさ、金等。色々苦しい思いをした上での自殺だったのです。本当に死にたかったのに、葉蔵は死ねず、またあの苦しい日々を生きていかなければならなくなったのです。
これは、自分が葉蔵の親族だったら、とても迷惑な話だけど、読んでいて、いたたまらない気持ちになりました。それは、毎日、お道化をして過ごしているなんて、よほど、悩むことがあるんだろうし、二人で死のうとしたのに、自分だけ助かるなんて、この先生きていくのもつらいし、ツネ子に申し訳なく思いながら、生きていかねばならない、と思ったからです。
後に葉蔵は、周りのすすめで医者にかかり、狂人とされ、人間失格となりました。
葉蔵はこの時、「一瞬間といえども、狂った事はないんです。」また、「神に問う。無抵抗は罪なりや?」。と、言っています。
一つ目の言葉について、狂った事がない。と言っているのは、葉蔵がお道化をしている事が当たり前だったのです。お道化自体が狂っていた事に気づかなかったのだと、私は思います。
二つ目の言葉については、彼は意思表示をせず、言われた通りにすればいいと思っていました。それは、良くない事なのに、そう思っていなかったから、神に真実を聞きたかったのだと思います。
私は、人間失格を読み、悲しくもつらくも切なくもなりました。
審査対象作品のうち小学生の部は低学年(1〜3年生)16篇、高学年(4〜6年生)16篇で、
中学生は6編であった。小学生の部での絵本類が多く、当然ボクは見てもいないし読んでもいないので、
ネットで本の内容を調べ、感想文と比較するというやり方をした。
全国青少年読書感想文コンクールというのがあって、その応募と重複したものもあったようだ。
「おこだてしませんように」が3篇あって大いにベンキョウになった。
中学生では夏休みも受験勉強が重なり、感想文は疎外視されているようで、わずか6点だけにとどまったが、
審査員もこの本を全部読んでいるかどうかは疑問である。
1.「夢十夜」を読んで 中学3年生
2.「犬と私の10の約束」を読んで 中学2年生
3.ありがとう亜也ちゃん 中学2年生
4.人間失格を読んで 中学2年生
5.こころ 中学2年生
8.分音符のプレリュードを読んで 中学3年生
2009年10月20日
所用があってWさんを訪問した。
Wさん宅はこのような豪邸である。
所用とは、来月行われる町の恒例行事文化芸術祭に出品する、俳句部門で使う、作品の短冊を貼り付けるパネルをお借りする為であった。Wさんは、「絵手紙同好会」の主幹で、絵手紙などを時に応じギャラリー等に出品する時使用する余分のパネルを所持しておられ、これまで自宅に保管されていた。
昨年知人を通じてお借りした。そのパネル貼り付け展示が好評だった為、今年も…という俳句部門準備委員会の要望で、厚かましくも、今年もお借りすることになったのである。
その全権大使が小生という次第だったわけ…。
わが町は、終戦後小さな4つの「村」が合併して、「町」となった。だから、町の中心部は住宅や公立大学や、大学病院、その他の政府機関、商業設備も密集しているが、いったん車を走らせて郊外に出ると、このような建物が存在しているのである。
去年訪れた時、随分でかいお家だなぁ〜とは思ったけれど、普通の農家造りの建築と思っただけで、それほどの感慨深いものではなかった。
そのときWさんは、外出前の時間だったので、物置に保管してあったパネルの包みを、庭先で受け取って直ぐさま帰宅したのだった。
今日は豪邸のなかにはいって、応接セットの整っている土間で、長時間お茶を頂きながら雑談に耽ったのであった。
そこから見た開け放されたままの、内部座敷広さには魂消た。15畳・10畳二間が続いていたのである。欅の大黒柱は土間から手に触れることもでき、1尺5寸以上あるとみた。奥の間の鴨居の縦幅は見当がつかないほどの大きさだったのである。
★言い訳 livedoor blog の編集管理画面が大幅に変わった。
OSが、XpからVistaに変わった時のような変化である。もちろん、多くの機能が強化され高度な編集に耐え得る改良であることわわかる。
だが、まだ慣れない所為もあって、戸惑うことばかりである。
秋の夜長とはいうものの、時間の経過が早すぎる。
今宵はこの1編のブログの更新がまとまらず、明日、または明後日に先送りせざるを得ない羽目となった。
2009年10月19日
2009年10月17日
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今日の読書の勉強会は、自由題であった。すなわち、1週、2週は、それぞれ男性作家、女性作家と読書の範疇の宿題があるのだが、3週目にあたる今週は、自由題である。男女作家の作品自由、古典、現代作品の別も問わない勉強会である。
小生にとって、「自由題」は宿題があるより、心身ともに解放された感じであることは間違えない。
――とはいっても、最近は本を読むこと自体が非常に苦痛になってきた。何とかを重ねるにつれ、斯くも読書から己を遠ざかってしまうことか…。慨嘆!
ボクは、玄侑宗久の『べらぼーな生活―禅道場の「非常識」な日々』と、瀬戸内寂聴『寂聴あおぞら説法』について、全部読んだふりをして、いいあんばいの感想を述べた。前者は朝日新聞PR誌『暮らしの風』に連載されていたものなので、そのエッセーの何分の一かはこれまでに通読している。また瀬戸内寂聴説法の方も、最近師の法話(?)を聴いてきたばかりであり、その復習みたいなものであった。
文学作品といえるかどうか、甚だ疑問であるが、まあ有名作家であるから良しといていただこう。 皆さんはどうだったか。
今日の出席者は、普段より熟年の人たちが目立った。だから読書内容は自ずから年嵩に合った作家の作品が多くなる。 曰く、山本周五郎。それは頷けるが、小生と年嵩がいくらも違わないK代女史の「澀江抽齋」では全く恐れ入ってしまった。
若い人たちの読む本は、作者も、題名もボクには未知のものが多い。逆にわれわれの読む本は彼らからは敬遠されがちである。
K代女史の読書力には頭がさがる思いがした。
ボクは鴎外全集を所持しているが、「澀江抽齋」はまだ一行も読んでいなかった。鴎外全集のそれは、総ルビなので、辛うじて理解できるが、いまの文庫本などはどうなっているのであろう。難しい漢字や語彙がふんだん誌面を飾る。
その一
三十七年如一瞬。學医傳業薄才伸。栄枯窮達任天命。安楽換銭不患貧。これは 澀江抽齋の述志の詩である。
想ふに天保十二年の暮に作ったものであろう。弘前の城主津軽順承も定府の医官で、当時近習詰になってゐた。
しかし隠居附にせられて、主に柳島にあった信順の館へ出仕することになってゐた。父允成が致仕して、家督相続をしてから十九年、母岩田氏縫を喪ってから十二年、父を失ってから四年になってゐる。…
今日のブログのテーマは、「ランチ」の話だっけ。
…というような読書会だったわけで、(読書会は、a.m.10時〜12時まで)非常に疲れた。K代女史は、「澀江抽齋」について、大学ノートへぎっしり書き込んできて、その解説を延々となされたのである。皆さん理解できたかな??欠伸をする人は流石にいなかったけど。
その後、都合の悪くない人たちだけが残って、郊外に最近できた超大型洋風ショッピングモールの「ランチ」試食に繰り出したのであった…。

さてさて、鴎外漁史、山本周五郎、玄侑宗久禅師等の読書人たちが、ここで何を食べ何を感じとったかは、読者諸氏のご賢察にお任せしたい。
出されたものは全て平らげる、というのもそうだが(辛くしてしまう側面)、その上我々には全ての器、また鍋・釜で出された場合はそれもみな洗い、あまつさえその洗い汁も飲み干すという堅固な習慣がある。大抵の料理は洗い汁もそれほどまずくはないのだが、物がカレーとなれば話は別である。―玄侑宗久「ベラボーな生活」より。
この本を読んで以来、小生は家庭でも、レストランでの食事も、食べ残しはしないよう少なめのものを選び、きれいに食べることを心がけてきた。
…誤解を受けると思うので一言弁解。われわれが、ここで注文した「ランチ」はカレーではない。ナイショであるが、あまり美味いと評価できるメニューではなかった。
※livedoorブログの管理画面が大幅に変わって、まだ不慣れのため編集画面では、煩雑な思いをしてしまった。読書勉強会のスナップは、過去(9月)のもので、重複掲載である。
2009年10月13日
敬愛するブログ「のーず のーず」さまにあった?「ずつ」か「づつ」か?という記事を興味深く読んだ。
実はボクも町の秋芸術祭に出展する俳句に、
秋風や楢山節考諳んづる 谷人
という句を出句し、展示句に選ばれた。非常に気になっていた。これはこの句を短冊に認めてパネルに入れ展示するのであるが、慌てて大急ぎ修正した。ボクは俳句を作るとき句会での即吟は兎も角、大概の作句はパソコンで作るので、「諳んずる」は「SORANNZURU」で確実に変換出来るのだが、SORANNDURUと打てば
「ソラン鶴」、または「剃らん鶴」などとなってしまう。すなわちこのような日本語はパソコンでは打てない筈だ。なぜこうなってしまったのかの考察は、イバラッケン人だからかもしれないという結論に達した。
26人で選句し誰も誤りに気がつかなかったのである。
ずつは「宛」という意らしいが旧かなではづつとなり、俳句人には未だに旧かなを使用する人が多数いる。ボクも入門の頃は旧かな使いを好んで使用した。
大概のずは旧かなではづとなっている。
恥ずかし→恥づかし
まずしい→まづしい
話は急転する。イバラッケン人は「い」と「え」の区別が全く解らない。書くときはおおよその理解はできる。しかし発音は別である。ボクは土曜日の朝お寺さ行ってお経を諳んづるが、解らないのは次の十如是の最初の一節である。
如是因 如是縁 如是果 如是報 如是本末究竟等
導師様の読経も「にょぜいん にょぜいん」 にょぜか にょぜほう にょぜほんまつくきょうとう
と聞こいるのである。


