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私が、当サイト「創価学会の集団ストーカー」を立ち上げようと思ったのは、自分の友人へのお詫びのメッセージと、全国にいる被害者のため、少しでも力になりたいとの思いからである。

10年ほど前、友人のAさんは、創価学会の「嫌がらせ」に遭っていたのだ。彼女とは朝方まで語り合う仲だった。当時、彼女には好きな彼氏がいたが、事情があり叶わぬ仲だった。

当時、彼女は、こんなことを口にしていた。彼は大金持ちだから、警察や弁護士を買収して、私の身辺調査、尾行、盗聴など行っている。部落中が私を監視している。隣の家の人も仕事に就かず、高級車を与えられている。想像できないくらいの人数が私を監視している・・・。と

また、Aさんが台所で、トントントンとキャベツを刻むと、その後、必ず、トントントンと隣から自分が出した音が聞こえてくるとか。視線を感じて、外を見ると、ドアの隙間から覗いている隣人と目が合ったとか。

Aさんが近所の雑貨店に行くと、集まっていた主婦たちが一斉に散らばっていなくなるとか。そのとき、彼女は一言こう言っていた。「この部落は私以外は全部、創価学会なのよ」と。その当時の私にとっては、創価学会はどうでもいい存在だった。関心もなかったので、そのことはすっかり忘れていた。

Aさんは言っていた。毎日、私の家の前の道路を、彼が暴走している。たまにバイクでの暴走もある。クラクションを鳴らして猛スピードで走り去る。夜遅い時間でも暴走している。彼は私に家から出てくるよう合図しているに違いない。でも私は出ないようにしている。だから彼は妬けになって毎日、毎日、同じ事を繰り返しているのだ・・・。と

(思えば彼女も内耳の周波数を悪用されていた 日々、騒音照射の被害を受けていたのだ 創価学会の被害者告発の多いノイズキャンペーン被害であったのだ)

私は彼女を尊敬していた。しかし、彼女のこういった話を聞く度に、疑問と反感を抱きながら、聞いていた。「彼が妬けになるほど愛されていたなんて、プライドが高すぎて鼻持ちならない」と。

あれから6年の歳月が流れた・・・

2004年Aさんの娘さんから電話があった。「母が会いたい・・」と。私は二つ返事で彼女を家に向かい入れた。上京してまもない彼女と積もる話がしたかった。一週間ほど経ったころ、近所に喫茶店がないか二人で捜し歩いた。その時、すれ違う人たちに彼女は「あの人も、この人も、全部、私を尾行しているのよ」と。「私たち二人が入る店に必ず、彼らも客を装って入って来るから」と。

「ここは東京よ どうして社会的キーマンでもないあなたを、そこまで金をかけて尾行しなければならないの? 芸能人じゃあるまいし・・」と私。「あの男(彼女の好きな彼)の家は並みの金持ちではない。私を尾行するのに億という金が動いている・・・など彼女は言った。

しょうがないから家でコーヒーを飲んだ。彼女は窓から外を見て「今、黒い服を着て通り過ぎた女性ふたりは、様子を見に来ている」などと言い出した。「またか」と思った私は、もう本気で怒ってしまった。「お願いだから、ここに着てまで、変な事言わないで!」と。

「あなた、おかしいよ 一度、心療内科に行って相談してきたほうが・・・」と説教した。離婚して、ゼロからの再スタートとなった当時の私。仕事もようやく見つかったばかりで心身とも余裕のなかった私。彼女をこれ以上、家に置くことは出来ないと思った。

Aさんの娘へ連絡して引き取って貰った。「お母さんを大事にしてあげてね 疲れているみたいだから・・」と。今思えば、何て酷い事をしたのだろうと悔やんでならない。今、私が、当時の彼女のような立場に置かれているのだ。彼女と違うところは加害者が創価学会員であることを確信している所だ。

当時、彼女自身、創価学会の「組織的嫌がらせ」に遭っていることを知らなかった。彼女の口から、創価学会からの嫌がらせという事を聞いたことがなかった。10年前にチラッと彼女が漏らした「部落全体が学会員だ」と言っていたのを思い出して、Aさんの「なぞの言動」が溶けたのである。

創価学会の集団ストーカーに遭ってから3ヶ月後、彼女に電話を入れたが通話不能になっていた。彼女の友達にも電話したが知らないと言われた。Aさんの娘の携帯電話も控えてなかった。もう彼女の消息を知る手がかりがなくなってしまった。

今は、彼女に謝りたい気持ちで一杯だ。友人として最低な自分。彼女の無念さを思うと胸が痛い。彼女はパソコンと無縁の生活だ。ネット検索で創価学会の集団ストーカーの実態を把握することは出来ない。よって、今でも、好きな彼が、自分を尾行、監視しているのだと思い込んでいるかもしれない。

10年前、「家の電話は全部筒抜けだ」とか。 銀行行っても、郵便局行っても、スーパー行っても必ず尾行されているとか。「私を尾行するため、何万人という人間を動員し、何億円もの資金を使っている 警察も弁護士もグルになって」云々と言っていた彼女。

そのとき、私は「あなた何様のつもり」と内心腹が立っていた。なぜインテリの彼女が、時々、おかしな事を口にするのだろうと思っていた。精神分裂症の初期症状なのだろうか・・・と。

あれから私の生活環境も一変した。彼女との交流も遠のいていった。今、私の方が、かってのAさんと同じ状況に遭遇している。365日、24時間、加害者たちの盗聴や監視の中ハイテク機器を使った音声送信や、電磁波攻撃などの被害に遭っている。

彼らの被害に遭ってから、過去(25年前)に経験した不思議な出来事がオーバーラップしてくるのだ。当時、ある日を境に、突然、原因不明の失声症状を起こしました。国公立の耳鼻咽喉科に診断に行くと、「声帯には異常がありません。どうして声が出せないのですか」と逆に問われる始末。

また、ある医者は、「咳や笑い声が出るのに声が出ないなんて考えられない」と言われました。どの病院に行っても、どの医者にも「おかしい」と首をかしげられた。声を出そうとすると筋肉が膠着し声が出せない。独り言も言えなかった。横隔膜にロックがかかったようで呼吸圧迫、呼吸困難な状態に陥っていた。下記にある動画は、私が経験した失声症状と 似ているように思う。




しかし、不思議なことに、たまにスラスラと声が普通に出ることもあった。そのときは、嬉しくて嬉しくて、朝から晩まで、家族や友人に電話をかけまくった。両親も「ほら、声は普通に出ているじゃないか」と言われ、私自身もどう答えてよいやら解らなかった。

このような状態が十数年も続いていく中で、自分の感だけに頼り、いろんな薬や漢方薬を飲み続けてきた。それでも自分の意思には絶対的な自信があっただけに、悔しさと無念さは筆舌に出来ないものだった。

声を出すために、ありとあらゆることをしてきた。催眠法。自律訓練法。気功。空手。話し方教室。コーラス。声楽院。詩吟。海水浴。カラオケなどに挑戦してきたが、声が出ない、出せないので、全ては徒労に終わった。

仕事も辞めた。子育て真っ最中に声が出せない悔しさ。電話が取れないもどかしさ。近所付き合いが出来ない。親兄弟や友人と会話ができない。電話で1分で済む用事も、わざわざ車で現場まで出かけるなど不合理この上ない生活を強いられていた。

それは、ストレスという生半可なものではない。生殺し状態であり、生きて生き地獄そのものであった。

では、なぜ、私が、25年前に突然、声が出なくなったのは、創価学会のハイテク機器によるもんだと思ったのか・・・

実は、当時、私は、ある人物X氏(当時86才位)が創案した人類未曾有の「心の羅針盤」なるものの、普及街宣スタッフの一人として勤務していた。彼は3歳の頃から人間の「心」の働きに関心を抱き、人間の心の解明に生涯をかけて来たと言うことだった。

X氏が創案した「心の羅針盤」は、戦前から哲学者や識者などによって地下で研究されていたというが、戦争などにより、スタッフが戦死、病死、行方不明などにより、とうとう彼一人になったと言うことであった。

X氏は、戦後間もない頃、谷口雅春氏(生長の家創始者)とも、交流があったらしく、
「お前は金儲けの世界に入っていくのか」と谷口氏を揶揄したことも話していた。

X氏が創案した「心の羅針盤」は、単純明快で超自然な摂理ゆえ、知識人たちにはむしろ一蹴されるものだった。当時、彼に「どうして本を出されないのですか」と聞いたとき、彼は言った。「これは本として出してしまうと、世に出回っている寄せ集め論の形而上学と同等に扱われ、一過性の「心の学問」として片付けられてしまう危険性があると述べた。

心が純粋でないと受け入れられないX氏の「心の羅針盤」は、大人社会での普及は困難を極めるとのことだった。彼は純粋無垢な幼児期に「心の教育の必要性」を説いて、保育園建設準備と共に、たった一人で、普及街宣活動をしていた。

当時、彼の収入源の一つは、観光土産品店経営であった。商取引も、すべて現金取引といった独自のスタイルだった。私は、彼の秘書として採用されたが、一日6時間以上、彼の話を聞くだけで給料を貰っていた。

明治生まれの彼は、文体も漢文で候文だし、若かった当時の私には、ついていくのが大変だった。彼の「心の羅針盤」は単純明快である故、難解な哲学や心理学を専攻している知識人たちには 余りにも「当たり前の論理」に苦笑してしまうものであった。

彼と数人のスタッフで、保育園建設準備と「心の教育の必要性」を訴えて、街宣活動をしていたとき、私たちに近づいてきたのが、当時、創価学会の幹部だったAさんであった。Aさんは、心の羅針盤なる心の教育にすごい関心を抱き、一日だけ普及活動を手伝ってくれた。

翌日、Aさんから、「一度、創価学会の礼拝堂に来てくれないか」と誘われた。彼女に普及活動を一日だけ手伝ってもらった恩義もあり、断ることが出来ずに行くことにした。

創価学会の大集会場は満員の学会信者で埋まっていた。そこで、普及活動ビデオを見せられ、そのあと一斉読経が始まった。私はじっと終わるのを待っていた。異様な感じであった。

集会が一通り終わったとき、私はいつのまにか大勢の学会員に囲まれ身動きできない状態に置かれた。そこで学会員たちによる猛烈な勧誘が始まった。

彼らは、口々に、「あなたがここへ来たのは偶然ではない。宿命だ。私たちを裏切ると地獄に落ちる。あなただけではない。あなたの子供、孫の時代まで、苦しむ・・・云々と脅された。私は、「自分の心は自分で守るから」と言い切りようやくその場を逃れた。

それから数ヶ月して、突然、声が出せなくなった。創価学会とのトラブルのあとに、このような症状が出たことなど・・・創価学会からの電磁波攻撃を受けたとしか考えられない。

また、声が出せないという症状のほかにも、いろいろと不思議なことが同時進行的に起きていた。今、ネット上で告発のある被害状況と似ている

 )萋、金縛りに遭っていた。目は開いているのに身動きが一切できない状態。

◆.肇ぅ譴貌ったり、人前に出たりすると心臓の脈拍が異常に早くなり緊張状態が  自分の意思とは無関係に作られた

 トントントンと家の中を子供が走り回っているような足音が日常的にあった。

ぁ仝慣れた風景が別世界のように感じ、催眠術にかけられているような感覚があった 体がふわふわして宙に浮いた感じで足が地につかない感覚があった。

ァ/べ物の味が全くなくなった。何を食べても、砂を噛むような感じだった。体  重が15kgほど減って外見が別人になった。


心身共に健康体だった私が、突然、声が出せなくなるという災難に遭遇。全くの原因不明。考えられることは、外部からの何らかの操作しかない。また、上記に挙げた数々の怪奇現象。今の被害状況と似ているし、他の被害者の告発にも同様なことがあることから電磁波機器によるマインドコントロールだった可能性が大きいのだ。


25年前に経験していた数々の怪奇現象、上京して3度の転居先でも起きていた怪奇現象、今ようやく、点と点が結びついてきた。悪に鈍感な私もようやく、彼らの犯罪に気がついた。創価学会の犯罪だと解るまで25年かかったことになる。

つづく
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