September 2006

September 19, 2006

「たたき上げ」のパラドクス

「たたき上げのパラドクス」というのがある。呼び名がこの通りだったかどうかは忘れた。

「たたき上げ」すなわち立志伝中の人の自慢は、自分がいかに辛酸をなめ、他人に言えぬ苦労をしたかを語ることである。それらの苦労なかりせば今の自分はありえなかった、と。ところがそうした「秘訣や試練」をわが子に課す「たたき上げ」はめったにない、というパラドクス。

裏金を積んででもいい学校に入らせ、もしくは海外留学をさせ、至れりつくせりの援助をしたあげく、学校を出ると今度はいきなり役員待遇で自分の会社に迎え入れる、等々。

かくして、世襲による人材の質の維持は奇跡に近いこととなる。

こうした予備知識をもって眺めれば、わが国の政界はまるで瘴気のたちこめる沼のよう。何がしたたっているのか知らないが、ボッチャンボッチャンとうるさいこと。
19Sep.2006


live_on1 at 10:04政治・歴史 

September 18, 2006

吉野家の謎

きょうは2年7ヶ月のブランクを経た吉野家の牛丼復活祭だとか。

不思議なのは牛丼を出さない牛丼屋がこれだけ生き延びたこと。アメリカの牛肉でなければうちの味は出せないといって2年7ヶ月を棒に振ることがビジネスとして通用してしまうことが不思議でならない。たとえば;

‖捷颪竜軻を使ってでも従来の味が出せる技術の革新、レシピの改訂をしなかったのは怠慢ではないのか。
一国の材料に依存することはそもそもリスク管理の常道を外れてはいないのか。
上記のような吉野家の失態を衝いてその地位を脅かす同業者が出てこなかったのはなぜか。

等々、謎はつきない。
18Sep.2006



live_on1 at 14:58エッセイ 

阿部謹也を悼む

先日阿部謹也氏が亡くなった。朝日新聞の天声人語に追悼の記事があって、なかに阿部氏の言葉が引用されていた。曰く、

「日本に社会はなく世間があるのみ」とか、「小泉首相の発言が軽いのは背景に理想や理念がないからである」など。

ハッとした。このブログで8月始めに3本ほど書いた拙文の趣旨に似ていたからである。もちろん、

もちろん、拙文が阿部氏の説に似ていたのである。しかし少なくとも書いているときには氏のことは思い浮かべていなかった。このたびの訃報を聞いて、その昔、名著『中世の窓から』を読んで感動し、近くは『日本社会で生きるということ』を読んで、くすぶる鬱屈をなだめ、息子の就職活動にあたってはこれを読んでおけといって渡したことを思い出したことである。

ひげのブームと同じく、脳はみずからがパースペクティブの中心にいるとの錯覚を生んでやまないが、もちろんわれわれはどちらかというと潮に運ばれるしずくに過ぎない。とまれ阿部さんが潮の起点近くにいらしたことは間違いない。

ご冥福を祈る。合掌。
18Sep.2006


live_on1 at 12:35 

September 16, 2006

白ひげ

  馬鹿づらに白き髭見ゆけさの秋

過日「折々のうた」で紹介されていた高井几董の句。一読どきっとした。そう、自分もあごに白いひげをたくわえているからである。たくわえるといっても短かめで、しかも、鏡のなかのつらは確かに…

ひげを伸ばし始めた日はよく覚えている。2000年の12月だった。長いようでまだ6年もたっていない。

伸ばしてみると、人のひげも気になり始め、いろんなことが見えてきた。なかでこれだけは断言できる命題は「ひげは白にかぎる」である。黒ひげは差別化への思いというか、異相へのけれん味が強く出すぎているような気がする。周囲を引かせてしまうのである。最初あごひげを口ひげとつなげようとしたが、口ひげの方は黒毛が勝っていることが分かり断念した。

自分のことは棚に上げて、他人が似合わないひげを生やしているのを見ると、それこそ肩をたたいて「剃りなさい」と言いたくなるから勝手なものである。

自分が伸ばし始めてからひげのブームが来たような気がするのは、もちろん錯覚のひとつだろうが、主観的にはかなり強い錯覚ではある。実はサッカー選手の森岡君の、黒いけれども短く刈りそろえたセンスのよいあごひげに触発されたことをかすかに覚えている。
16Sep.2006



live_on1 at 23:14エッセイ 

September 15, 2006

保険会社の顧客志向

私の目の前にきょう(9月15日)の朝刊がある。そこに第一生命は、来年のきょう創立105周年を迎えることを予告する全面広告を出している。脇には昨日届いた「契約内容のお知らせ」がある。

後者を読んであらためて驚いたのは、保険の仕組みを表わす図解に和暦が用いられていたことある。さらに今回特に目を引いたのは、年を表記するのに元号記号(現在ならH)さえ付記しない2ケタの数字が使われていたことである!

厳密な数学的原理にもとづく製品を売り、しかも何十年にもわたって保全するという保険会社こそ、どんな業種にもまして西暦を使う必然性があると思うのだ。

理由の一端はこのブログでも触れたことがあるが、重複をいとわず繰り返すと;
]体颪牢間計算にまったく無力である。
∪萋付に和暦を使うことはまったく無意味である。1ヵ月後、いや1週間後に「平成」が存続していると誰が保証できるのか?
8宜罎変わるつど繰り返されるコンピュータソフトの修正費用を契約者に負担させることはまったく説明がつかない。おまけに契約者には無形の負担が強いられる。われわれ契約者はなぜ、日付の換算をさせられるのか。そして換算ミスのリスクを負わされるのか。

保険会社はこのことに説明責任があるだろう。

第一生命が、鈍感をこえて時代錯誤に陥っていると思うのは、冒頭の全面広告である。1年後の日付を表わすのに2007年ではなく、なんと平成19年と書いているのだ。西暦を使ってこそ105年という歴史、偉業が読者に伝わるのだ。さらに、広告の2行目では高らかに「お客さまを第一に」というモットーを掲げているが、さて、お客に日付の換算を強いる「お知らせ」はこのモットーを裏切ってはいないだろうか。
15Sep.2006



live_on1 at 21:41エッセイ 

September 11, 2006

ウッズと宮里藍

私のように70年代に社会人になった人間で、ゴルフクラブを握ったことがないサラリーマンはどのくらいいるのだろう? 多分かなり少数のはず。代わりにテニスを始めた私は当時から、ゴルフは観る競技、テニスはやる競技と決めていた(ほかにはラグビーが観る競技だが、これは分かりやすい)。テニスはグランドスラムの試合でさえ、やらない人にはつまらなくて観るに堪えないだろう、と思う。

後知恵の理由も含めてゴルフが好きになれない理由はいっぱいある;

1)プロゴルファーの姿や振る舞いにどうも敬意を抱けない。相撲取りかレスラーかと見まごうばかりの人たちがプロを張っている。フィットネスは必要ないのか、と言いたい。
2)競技中にコース上でタバコを吸うスポーツなんてほかにあるだろうか。日本の第一人者と目される尾崎や丸山がTVカメラの前で吸うのだから何をかいわんや、である。
3)70年代から80年代にかけて、これでもかというくらいゴルフ場が造られたが、どれだけ森林資源が喪われ、芝を守る農薬の害が広まったことか。コースに出ると気持ちいいよと勧められても、「地上でどんなにきれいなコースでも空から見れば地表のあばたです」という写真家の言に喝采を送ったものだった。
4)ラフといってゴルファーが避けたがる芝が全国の校庭にあったなら、日本のサッカーやラグビーの裾野はどれだけ広がり、どれだけレベルが上がっていたことだろう!!

そんなこんなでゴルフ界にアスリートはタイガー・ウッズひとりと思ってきた。そんな折、日本女子プロ選手権3R、最終Rの宮里藍のプレー(なんならこれに今年の全英女子オープン最終日のプレーを加えてもいい)を観て思った。もうひとりアスリートがいて、それは宮里藍であると。ふたりに共通しているのは心技体の調和と、ここぞというときの集中力、そして目の強さ。本物の証である。おまけにウェアのセンスの良さも挙げておこうか。

え、ミシェル・ウィーはどうかって? 最年少記録を作ったら燃え尽きてしまうのではと心配している。ひとこと「何を生き急いでる」と言ってやりたい。

それにしても目下賞金王の片山晋呉に「お前さんのような下ぶくれの顔にテンガロンハットは似合わないよ」と言ってやる先輩はいないのか。
11Sep.2006



live_on1 at 17:24スポーツ 

September 08, 2006

前頭葉の飼い方

先日出張先のホテルで観たフジTVの番組「クイズヘキサゴン」でのこと。出演者のなかに、今をときめく(のだそうだ)若林史江氏がいた。HPによるとファイナンシャル・アドバイザーとか。株取引で名をはせた御仁である。

彼女が大恥をかいたのである。3チームによる早押し早抜けクイズで彼女が大ブレーキとなり、10代のガキタレにどんどん抜かれていってしまった。チームは当然最下位。見たかぎり彼女は一問も答えられなかった。

公平を期せば、事前のペーパーテストの結果は上位だったようなので、本番の早押しクイズでは過度の緊張があったかもしれない。

なにも彼女の個人攻撃をしようとか、揚げ足を取ろうというのではない。要は株取引(昨今デイトレードというらしいが)は人の魂を抜く、といいたかった。株価の動きを追い始めたら、ほかの一切は手にもつかず目にも耳にも入るまい。そういえば、株取引で職はおろか命を棒に振った国会議員もいた。

と、ここまで書いてきて、パスカルの言葉を想起する。正確になんと書いてあったか忘れたが、「人は退屈(無為)に堪えられない」「退屈こそが信仰の最大の敵である」と。退屈を避けようとして何をしでかすか分からない人間を放っておいたらどうなるか… だから人間には信仰が必要なのだ、と。

神なきあとの現代世界のありさまはまさにパスカルの心配したとおり。

人間生きていくためにどれほどの余興が必要なのだろう? 笑いのためのお笑い、既存の競技だけでは飽き足らず、Xスポーツと称して日々増殖するわけの分からない競技やゲーム、極限化する登山や冒険、人生は延びているのにどんどん加速する差別化競争。渦中の人間はそれが何のためかと問われてもおそらく答えられないだろう。それらはみな自己目的化してしまっているからである。一種の自家中毒である。

ひとことでいえば大脳皮質、なかんずく前頭葉の発達である。ヒトを造るにあたって神様が冒したふたつの誤算は、前頭葉の暴走と目の酷使ではなかったか。

よって、オーバードライブする前頭葉を飼いならすためには、デイトレードは、その麻薬性に目をつぶれば、いいあてがい扶持なのかもしれない。先にも書いたが人生は長くもあり…

退屈ということばでもうひとつ想起するのはキルケゴールのそれである。これもうろ覚えだが「女とは退屈を知らない生き物である」というのだ。いまどきの女性からは「そんなことはない」とか「女性差別」だとか反駁されそうだが、お笑い番組をハシゴしながら他愛もないネタに大口を開けて笑いこける私のとなりで、同じように家内が笑ってでもいようものなら、確かにゾッとする。ましてプラモデルに夢中になったり、虫集めや骨董に懲りだした日には…

若林氏のような女性がふえているのだとしたら、キルケゴールが知らなかった新しい性が生まれつつあるのかもしれない。
8Sep.2006
4Dec.2006改訂



live_on1 at 11:20エッセイ 

September 07, 2006

本当におめでたいこと

6日に紀子さまが男児を出産された。おめでたいことである。3人の子をもうけた父親として母子ともに健やかであることこそ真におめでたいと素直に思う。

しかし、それだけのことである。1時間に及ぶニュース番組のほとんどを費やすほどの大事件だろうか。新聞もTVもこの騒ぎはどうしたことか。これではまるでマインドコントロールである。祝福と満場一致の反応を強要するマインドコントロール。冒頭のごとく自然に祝おうと思っていた人間にとってはかえって逆効果ではなかろうか。

このブログのどこかでも書いたように、Y染色体を祭り上げる男子万世一系という似非神話を踏み絵として、天皇家は統合の象徴ではなく分離の象徴となりつつある。

”It's a boy.”に代表される海外の報道ぶりも紹介されていたが、あれらを純粋に好意的報道ととるのは無邪気にすぎる。私など性格がひねくれているせいか、ほとんどが揶揄か理解不能の声に聞こえる。先進国と目されるこの国で、皇室の世継ぎは男子に限る、とこだわる日本人がおかしくてしょうがないのだ。こんな国民が、サッカー場に女性を入れさせないイスラムの国々や、進化論のかわりに旧約聖書の創世記を教科書に載せろと叫ぶアメリカのキリスト教原理主義者を笑えるだろうか。

さらに、一旦皇室典範改正に向けて動き出しておきながら、ひとりの赤ん坊の誕生で立ち消えになる。そんな状況政治の無節操無定見が笑われているのだ。不吉なことをいって申し訳ないが、今度お生まれになった方が不慮の死を遂げられたら、またぞろ始めるのだろうか…?

むしろ、6日の記事で真におめでたかったことは、後藤田政務官が貸金業法改悪案に怒ってみずから辞任したことだろう。これは灰色だったものを真っ白にしようというとんでもない法案である。
7Sep.2006


live_on1 at 12:28政治・歴史 

September 03, 2006

安倍君の作文

「美しい国」、憲法改正、教育基本法改正。

三題噺という課題で作られた安倍君の夏休みの作文である。

この国の総理大臣が、ということはつまり自民党総裁になる人物が根本のところで間違っていると思うのは、政治とは自分のやりたいことをやる場、とはきちがえていることである。古くは田中角栄の日本列島改造論、新しいところでは小泉の郵政民営化、その中間に「ふるさと創生基金」などという姑息な変種までがあった。

政治とは目の前の課題にどう対処するかの方法論を競うものであるはずである。もちろん課題はひとつではなく、資源に限りもあるから、優先順位のつけかたに違いが出て、そこにようやく価値観が浮かび上がってくるのではなかろうか。やりたいこと=価値観からではなく、課題(の同定)から出発すべきなのである。

そこのところが安倍君の作文からはまったく伝わってこない。田中角栄が首相になったとき、確か学生時代で、友人への手紙に「この国の民主主義はこんな人物を首相の座に置けるんだ」と慨嘆したのを覚えているが、あれから30年余り、この期に及んでなんといって嘆けばいいのか言葉が浮かばない。

課題のリストには、年金問題、格差社会、高齢化社会、少子化問題、環境問題等々が必ず並ぶだろうが、それらはすべて経済問題とかかわりがある。ところで冒頭の三題に経済のテーマはまったく出てこない。そんな能天気な作文が政権構想として通ってしまう日本とは、日本の政治とは一体なんなのか? 

それもこれも、政権交代のない政治システムをつくってしまったことが元凶なのである。ひとつの党が、何をしても、何をしなくても政権を維持できるシステム。堕落と驕りが生ずることは目に見えている。だからあんな能天気な作文を提出する総裁や、「行きたいから行くぅ」といって駄々をこねる首相が出てきてしまうのだ。

不思議な国である。
3Sep.2006


live_on1 at 12:49政治・歴史 
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