October 2008

October 30, 2008

ぐっちーさんのこと

最近投稿を控えていたのは、今般の未曾有の金融危機に加えて、身辺がざわざわとして落ち着かなかったせいもあるが、アルファブロガー「ぐっちーさん」のブログを読んで「ふむ、ふむ、するどい」などと納得しているうちに、自分がわざわざ胡乱な感想を書くまでもない、と思ってしまったから…

ブログタイトル「… ぐっちーさんの金持ちまっしぐら」に見られるように、ちょっぴり偽悪的なポーズで歯に衣着せぬコメントを速射砲のように放つその文体は、ときどき飛躍についていけない時もある(もちろんこちらの無知のせいである)が、読んでいて気持ちがいい。

ウォールストリートで20年生き残った、とあるように金融の知識は現役ばりばりだが、いわゆる専門馬鹿ではない。そのことは、彼のレトリックの自在さや比喩の的確さを見れば明らかである。そして、なにより彼には根本のところで大きな良識がある。

最近の投稿で感心したのは、円高に対するスタンスである。日経の記事にかみついている:

「日本株急落、円高で輸出企業にダメージ!!
韓国株急落、ウォン安で国情不安!!(ウォン安で輸出増じゃないの?) 前から申し上げているように、あたりまえですが通貨高で破産した国はないのです。日経もいい加減にしないとポイしちゃいますよ(ってしつこい!!)」。

内心思わず快哉を叫んでいた。円高で嘆くのはおかしい、と言ってきた持論と符合するからだ。

そういえば、「国交省の居酒屋タクシー」問題に対する着眼点や発想も自分と似ているとおもったことだった。
30Oct.2008



live_on1 at 20:49エッセイ 

October 18, 2008

ル・クレジオ 空海 パムク クンデラ

前稿でル・クレジオの『物質的恍惚』を3回読んだと書いた。うまく伝えられないが、不思議な文章である。久しぶりに取り出してぱらぱらめくっていて唐突に思い浮かんだのが空海のあの有名な箴言である:

生まれ生まれ生まれ生まれて、生の始めに暗く
死に死に死に死んで、死の終わりに冥し

このダイヤモンドのような箴言を、220ページをかけて、みずからの実感に忠実に解説しつくしたのがル・クレジオの散文詩エッセイといってよい。1000年を超える時間と地球大の空間を隔てた共鳴!!

ところでノーベル文学賞のことである。ル・クレジオは68歳で受賞したが、先に触れたトルコ人のオルハン・パムクは1952年生まれだから、2006年の受賞は54歳のときと、異様に若かったことが分かる。

フランスでは長らくミラン・クンデラが受賞を噂されてきたが、ここにきて致命的なニュースが飛び込んできた。1950年チェコで学生だった頃、共産党秘密警察に協力し、仲間を密告したことを示す記録が出てきた、というのである。

本人には言いたいことが沢山あるだろうし、暗いニュースではあるが、ヨーロッパにおける歴史的評価に対する厳格さと執念を感じさせるニュースでもある。
18Oct.2008

live_on1 at 14:55 

October 11, 2008

祝 ル・クレジオ

今年のノーベル文学賞がル・クレジオ氏に決定。

そういえば彼はまだ獲っていなかったのか、というくらい唐突に感じる。

超俗、孤高の作家。本人の血のこと(英仏混血)もあって、大家でありながら、国家や体制や文壇とは距離をとり、しかも、ことさらそれに抗うでもなく、アフリカや中南米にも身をおきながら、ひたすら自分の畑を耕すのみ、といった風情。

著書は約50冊とか。散漫な読者である自分の書棚には3冊あった;

①L'extase materielle 邦題:物質的恍惚
②Voyage a Rodrigues 邦題:ロドリゲス島への旅
③Printemps et autre saisons

③は短篇小説集だが、①や②は異色である。ガリマール社の本にはタイトルの下にカテゴリーが記される。①はessai(エッセイ)とあるが、これは宇宙時間をスケールにした散文詩によるエッセイである。②はjournal(日記)とある。たしかにそうともいえるが、じつは祖父が金鉱探索をした(そして果たせなかった)ロドリゲス島内紀行である。

散漫な読者と書いたが、不思議なのは巻末のメモを見ると、①は3回、②は2回読んでいる。これを機に、もう一度読んでみようか、…
11Oct.2008

live_on1 at 21:45 

October 09, 2008

矢場とんにノー

今週名古屋に出張し「矢場とん」という味噌カツで「有名」な店に入った。前日サラリーマンが入れ替わり立ち代わり入っていくのを見てそそられたのである。

一番安い(それでも\1150-もする)ロースかつ定食を頼んだが、出てきたカツを見て愕然。その薄さたるや、学校給食と張り合う程度。肉はジューシーさもなく、味も薄く、ただただソースの味が口に残るだけ。もともと味噌カツの味噌は味が強すぎて肉のうまみを消す料理だと思っていて敬遠してきた。このときも、選べるというので普通のソースにしたのだが、千円札を出す味ではなかった。

ところが、こちらの失望と後悔の念をよそに、次から次から客が入ってきて絶えることがない! 多分地場の人が多いのだろう。

こういう店は東京では絶対成功しないと思った。

ちなみに町田に帰ってバスに乗る前、前日トンカツを食べたことを忘れて、駅前のトンカツ屋に入った。カツ丼がなんと\580-である。ジューシーで肉のうまみの豊かなこと! 

ネットで見ると、矢場とんは銀座に支店を出している!! 想像するに、客は主に名古屋からの単身赴任族か出張者じゃなかろうか。一見で入った東京の客がリピートするとはとても思えない。
9Oct.2008

live_on1 at 13:00エッセイ 

October 04, 2008

『雪 Neige』読了、ほか

『雪 Neige』を読み終えた。雪深いトルコ東部国境の町のミニクーデタ。イスラム原理主義と欧化の葛藤。前者からくる自負と貧困から来る劣等感。そこに男女の愛の葛藤がからんで… 後半はかなり重かったが、いい小説が持つ普遍性、極東の自分ごときにも訴えかけてくる文学の普遍性を感じた。

仏訳625ページを1ヶ月で、というのは、読む場所がおもに電車の中、とあってはまあまあか。訳文の質が高かったのもあるだろうが、構文解釈で迷う箇所はほとんどなかった。あとはボキャビュレールである。3~5頁にひとつは初見の単語や成句(これの多さがフランス語の特徴といってもいい!)が出てくる。この頻度が自分のようなディレッタントにとって多いか少ないかはよく分からない。

その昔、辻邦生のエッセイにこんな箇所があった。パリで森有正に再会したときのこと。森が「いやあ辻君、この間、『罪と罰』(だったか『カラマーゾフの兄弟』だったか…)の仏訳を読み終わったんだけど、初見の単語が9つあったよ」と言ったとか。これを聞いた辻が瞠目を隠さなかったところをみると、これがプロ中のプロのレベルである。

『チボー家の人々』を訳した山内義雄には、軽井沢から東京に帰る汽車の中で辞書もなしに翻訳を続け、その原稿はのちにほとんど手を入れる必要がなかったという伝説もある。

初見の単語が出てくるとどうするか?

大賀正喜監修のポケット仏和の決定版でつど辞書を引く手もあったが、今回はポストイットを貼付していった。会社や家に着いてから、PCに入っているロワイヤル仏和中辞典で調べるのである。初見とはいっても、文脈から意味の推測ができる場合か、飛ばして読み進めて差し支えのないものばかりだったことも、今回気持ちよく読めた理由である。

そこでトリビアをひとつ。

ポストイットはブックカバーの折り返しにあらかじめ貼り付けておく。初見の単語に遭遇するとそこから外して該当箇所に貼り、辞書で調べ終わるとまた元の折り返しに戻す。こうして10日間ほど繰り返し使っても、まったく接着力が衰えないことが分かったこと!!
4Oct.2008

live_on1 at 22:28 

October 01, 2008

地球大のため息

もう一度トライするようだが…

9/29の米下院での「金融安定化法案」否決に唖然。地球がため息の雲に包まれるのを宇宙から観測できたのではなかろうか。2004年ブッシュ再選決定のときもすごかったが、株の下げ幅からすると今回の方が巨大だった。

「この期に及んで道徳論をぶつなら、もっと前にやっとけよ」と米下院議員や選挙民に言いたい。たまたま基軸通貨国であるという偶然にかまけて借金を積み重ね、国は戦費を垂れ流し、国民は消費三昧。こんなことが際限なく続くと思いこんでいた愚かさを。

こうした政治や生活スタイルを客観的に見つめ、政局や党派的議論としてでなく、単純な良識として反省を促す論客はアメリカにはもういないのか?

先に投じた、テロリストと放蕩息子の比喩は、われながら秀逸と思うのだが、「安定化」とからめて、「戦費」の削減を論じる議論をいまだ聞かないのはなぜか? 所詮財布はひとつだろうに。
1Oct.2008

live_on1 at 21:38政治・歴史 
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