May 2009

May 28, 2009

そば屋での大岡昇平

今年は太宰治の生誕100年であり、松本清張の生誕100年である。

近頃うろんな自分の耳目にも、ふたりについての記事やイベントのあれこれが届く。

待てよ、と思う。大事な人を忘れていないか。大岡昇平である。初孫の記事でもふれたが、1909年3月6日生まれである。他は知らず、自分にとっては上のふたりより、ずっとずっと大事な作家である。

それにしても、この黙殺に近い沈黙、忘却はどうだ。

そんな大岡が『成城だより』で書いていたちっちゃなエピソードを昼に入ったラーメン屋で思い出した。

うろ覚えだが、たしかそば屋に入ったときのこと。大岡が自分で選んだ席に着こうとすると、若い店員が「こちらへ」といって無理やり別の席へ誘導しようとしたのだ。虫の居所が悪かったのか、大岡は我慢がならず、怒気をふくんで店を出るのだ。

晩年の大岡は心臓を患っていたから、これはまさに命がけの蛮行だったわけだが、それを正直に公表するところが憎めない。

同様の状況におかれて、釈然としないまま泣き寝入りをしているおじさんも多かろう。いな、おじさんだけではない、と信じたい。

お客は神様といいながら、じつは上から目線で物扱いする接客には本当に腹がたつ。新来の客を先客の隣につめて座らせるのは、あたかも倉庫に物をつめて収めるの似ている。

よりニュートラルに考えても、人間は他人との距離感を測りながら、自然に空きを埋めていくものなのだ。よくよく空きがなくなったら、最後の空きに身を置いたり、どちらかにずれるくらいの鷹揚さはだれにでもある、とどうして思えないのか。

店員にまったく誠意の感じられない決まり文句を機械的に連呼させるのがサービスと思っている軽薄浅慮な接客業者たちには、新幹線予約システムのアルゴリズムを是非とも学んでほしいものである。

生誕100年に際してこの程度のことしか書けないのは大岡に申し訳ないが、今までにいく度か書かせてもらっているので赦してもらおう。亡くなったのは1988年だから、没後を数えても、すでに21年になろうとしている。嗚呼。
28May2009







live_on1 at 23:15エッセイ 

May 18, 2009

『グラン・トリノ』を観た

昨日は雨天の日曜とあってひとりすることがなく、久しぶりに映画を観にでかけた。

新聞で前評判のよかったクリント・イーストウッドの『グラン・トリノ』。ほかに派手な話題作が多いせいか、運よく観客は20人ぐらいだった。

ストーリーそのものよりもイーストウッドの老いの露わさに胸を衝かれた。

ひとことで言うと、状況自殺(という言葉があるかどうかは知らない)。そのラストシーンが「売り」らしいが、自分には既視感というか免疫があって、さほどのショックは受けなかった。2年前に読んだ須原一秀の『自死という生き方』である。

違いは、須原の決意が外部の状況とは独立して見える一方、映画の主人公は状況にはめ込むように自分の死をデザインする点である。

こうした大テーマよりも、「映画はディテール」の持論どおり、ひとつの細部が心に残った。カトリックの神父からさんざん懺悔を勧められて応じなかった主人公が、自死を決意したあと、教会へ出向く。三つあるといって打ち明けた懺悔の二番目。

「ふたりの息子との間に溝を作ってしまったこと」。

背景に小津の『東京物語』に通ずる普遍的なテーマがある。世の東西を問わないのだ。

キズではないかもしれないが、ひとつ気になったこと。イーストウッドを有名にした西部劇よろしく、善悪を、敵味方を、定規で測ったようにハッキリ分けてしまうこと。

これはイーストウッドの最高傑作である、との惹句が広告に躍っていたが、忠実なファンでもなく彼の全作品を観ているわけではないので分からない。ただただ、男はひとり残されてはいけない、とあたかも当為のように思ったことだった。
18May2009







live_on1 at 18:07エッセイ 

May 16, 2009

「希望は、戦争」の赤木智弘

半分あきらめかけていた『朝日ジャーナル 緊急増刊』を連休明けに手に入れた。

なかで目を惹いたのが標題の論文でデビューした赤木智弘への取材記事。論文が出たのは2007年1月号の『論座』というから迂闊といえば迂闊だった。

赤木は元フリーター。「『丸山眞男』をひっぱたきたい−−31歳フリーター。希望は戦争」がタイトルだったとか。(以下原文にはあたっていない。)

鶴見俊輔や吉本隆明までがこれに反応して論文を寄せたというからすごい。これら大物ふたりの文章も見ていないから特にコメントはないが、安易に褒めていなければと思う。

もし読まれていたら(読んでないだろうな…)、常にあさっての方向を向いている日本の政治家やメディアの惰眠を覚まさせるに十分な迫力はあったろうに… どこまで広まり、どこまで議論されたのだろうか? 

いずれにせよ、赤木のテーゼはどう見ても逆説としか思えない。

赤木がイメージするのは外国に攻め入るような「勇ましい」戦争ではない、らしい。「僕が望んでいるのは、『負ける戦争』です。太平洋戦争のあとの日本のように、今の体制が崩壊して、もう一度再スタートを切れるようにしてほしい。…」と続く。

事態が流動化、水平化してほしいという切実な思いは分かるが、戦争に注文がつけられる(侵略でなく、かつ負ける戦争を、など)と思っているところがいかにも無邪気である。

赤木は軍隊に格差が持ち込まれないとでも思っているのだろうか。交戦中の非合理なしごきはもとより、1945年8月15日以降において、戦場のあちこちで上官が腹いせに部下を自決に追い込んだ事実があったことを知っているのか。

非戦闘員を含めて300万以上の国民を犠牲にして負けたあと、いっとき絶対平等の状況が生まれたかのように見えるそのときにも、軍の資産凍結を怠ったために、本来国民のものだったはずの莫大な富が、闇から闇へ流されたことを、赤木は知っているのか。

赤木が参照基準とする太平洋戦争のあとも、天皇制は形を変えて生き延び、天皇の神格化(不可侵性)はさらに強化されたことを赤木はどう考えるのか。さらに、

さらに、このブログでも既述だが、敗戦という未曾有の亡国の危機をはさんでその前後を「昭和」という年号で括ってしまった日本人の無節操、無原則、精神の惰性を、赤木は甘く見すぎてはいないか。
16May2009



live_on1 at 21:32政治・歴史 

May 09, 2009

北信濃行

メディアによると連休最終日の6日に出て、北信濃は野尻湖へ行ってきた。一泊の小旅行だったが、どこへ行っても空いてるのがなによりだった。天候が良ければ言うことなしだったが…

寄る先々で「昨日までは大忙しでした」との声を聞いた。

長野で借りたレンタカーを走らせ始めたころから雨で、森林浴もままならず、期待もせずにナウマン象博物館へ。ナウマン象や大鹿の復元像の大きさにたまげた。野尻湖人という呼称があることも知った。発掘は今も続いていて、年に一回全国から野尻湖友の会の会員たちが集まるというからすごい。

泊まりは斑尾高原のホテル。

翌日は曇りの予報だったが雨は残っていた。しかし小粒の雨なので、思い切って黒姫高原にあるウォーキングコースの基点まで行ってみた。町営の駐車場に車を停めたのは自分たちだけだった。

降ったりやんだりのはっきりしない空の下、家内は傘を持ち、自分はレインコートを着て一番短い御鹿池コースを歩き始める。結果、1時間ほどで帰ってこれたが、池は森のまんなかに静かにたたずんでおり、無理をした甲斐があった。水鳥も泳いでいた。それこそ「河童が出てきそうな池!?」だった。

帰途、例によって野沢菜を買って帰ったが、小学生のころ松本盆地に2年半住んで本物の味を知っている自分の舌には、犯罪的なまずさだった。まさか産地偽装ではあるまいが、いかに産地直売でも、これだけひどければ、産地がどこか以前の問題だ。

雨のため予定を早めて長野へ戻り、時間があったので善光寺へ。ちょうど七年に一度の「ご開帳」でやや人出があったが、連休中ほどではないという。回向柱に触れるだけで帰ってきた。参道で新鉄木(これは何の木か?)の箸をひと組買ってきた。

ここでも残念だったのは、大きな伽藍の屋根に掲げられた「「祝…御開帳」の文字がコンピュータのフォントよろしく明朝体でレタリングされていたこと。手ずから揮毫する御仁にも事欠くご時世なのか!!??
9May2009



live_on1 at 21:28エッセイ 

May 05, 2009

M・グレイグ『中村俊輔』

マーティン・グレイグ著『中村俊輔 スコットランドからの喝采』を読んだ。

J−SPORTSでセルティックの試合をときどき観戦し、それができないときでも、セルティックのHPでマッチレポートをチェックしている自分がうかつにも知らなかったことが一杯あった。そのふたつみっつを…;

セルティックというクラブは、創設が1888年に遡る由緒ある歴史的なクラブであること。サポーターは親子代々つづき、しかも世界各国に移住したスコットランド人によってサポーターズクラブが組織され、熱烈に支持されているということ。

そうしたサポーターたちから、加入して4シーズンを過ごそうとしている中村俊輔が、その天才と人格によって絶大な信頼をかちえ、愛されているヒーローであるということ。

サポーターのみではない。中村を見出したゴードン・ストラカン監督をはじめ、コーチやスタッフ、同僚たちからもプロとしての高い評価を得ていること。

サッカーという競技の普遍性や、セルティックファンの広がりからすれば、ある意味、イチローを凌ぐ著名な日本人アスリートかもしれないのだ。

たしかにセルティックの試合を観ていると、サッカーにそんなに詳しくない自分から見ても、中村が出ている試合とそうでない試合とでは、ゲームの顔が全然違うのだ。この本でGKのポーランド人ボルツが同じことを言っていたので、いささか自尊心がくすぐられた。

いずれにしても、この本によって中村俊輔の真価が再認識、いや新発見されることを期待する。
5May2009

live_on1 at 20:04スポーツ 
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