June 2009

June 27, 2009

この人を見よ!

朝9時コートに出るともう真夏の直射がふりそそいでいた。

昨今のご婦人方のいでたちはすごい。こんな暑さのなかでも、肌の露出は手のひらだけ。明治時代もかくやといったおもむき。老後のシミを恐れてのことらしい。世はあげてUV対策の時代である。

そんなご婦人方に言いたい。日本郵政の西川社長を見よ、と。

シミだらけの顔を堂々とTVカメラの前にさらし、街ゆけば7割の人間が敵という逆風のなか、われ関せず、矍鑠としてポストにしがみついているではないか。

シミなんか何するものぞ。

UV対策なんぞは化粧品会社の騙しの手管。踊らされてるだけ。

要はツラの皮を厚くすることだけを考えていればいいのである。
27Jun.2009


live_on1 at 14:19エッセイ 

June 21, 2009

脳死について

このテーマについてもここで一度触れている。

脳死は人の死か? 死の定義を変えていいのか? … 等々。

こうした形而上学の前で深刻な顔をするのが、新聞の論説委員やTVキャスター、似非知識人風の政治家おきまりのポーズになっている。

問題の本質は形而上にではなく形而下にある。脳死という事象が生まれたのは、医療技術の進展、すなわち生命維持装置の進化によって心停止前のあいまいな時間が生じたからである。

こうした医療技術の「恩恵」を甘受しながら、従来からの死の定義が無傷でいられると思うのが無邪気なのである。死=心停止という定義の見直しを拒んできた日本人は、したがって幼稚と言われてもしょうがない。幼稚は厳しすぎるとしても、少なくとも宿題をほったらかしにしてきたのである。

形而上学の前で逡巡する人が、同時に家族を生命維持装置につなぐことに同意し、「アメリカで移植を」という美談に募金する人だとしたら、そういう人は信ずるに足りない。

生命維持装置という人為が脳死をつくりだしたのだ、死の定義が人為であってどうしていけないか。

提供者が外国人なら提供者は死んでいなくてもいい、というのはいかにもご都合主義である。

くどいようだが、要点は脳死判定の精度を高め客観性を担保するという、技術上もしくはシステムの問題であって、メディアがしたり顔に眉をしかめてみせる形而上の議論にしてはいけないのである。
21Jun.2009


live_on1 at 15:31政治・歴史 

June 19, 2009

北朝鮮とサッカーW杯

北朝鮮がサッカーW杯出場だと…!

このブログのどこかで書いたような気がするが、スポーツも政治の磁場の中にあり、いざとなれば手駒のひとつにすぎない。

政治がスポーツを100%コントロールしているとは言わないが、為政者は通常は掌中で遊ばせておき、都合のいいときだけスポーツを利用しようとする。善悪をいってもしょうがなくて、ただスポーツ界はこのことを自覚しておいたほうがいい。

ところで国連安保理の北朝鮮制裁決議のことである。

煩わしいだけで実効性に疑問のつく経済制裁より、サッカーW杯からの締め出しの方がよほど効果がありそうだし、北朝鮮国内に向けてのメッセージ性があるのではないか。
19Jun.2009

live_on1 at 17:15政治・歴史 

June 16, 2009

J・ジェインズ『神々の沈黙』

J・ジェインズ『神々の沈黙』を読んだ。

壮大な仮説、といえば聞こえがいいが、一歩間違うととんでもない眉唾ものに聞こえなくもない。

今まで意識の起源に関する本をいろいろ読んできたが、この本には腑に落ちる点が多々あってじつにおもしろかった。

認知科学の大家D・C・デネットはジェインズの説をソフトウェア考古学と呼んだそうだが、たしかにいままで読んだ説はどれも遺伝学的、生理学的アプローチがほとんどで、いわばハードウェアからの発想にもとづいていた。

ジェインズは人間が意識を持ち始めたのは紀元前2000年紀の終わり、つまり約3000年前だという。おそらくどの説よりも新しく、かつ画期的に新しい。

彼が述べるその機序は、それまで右脳が発していた神の言葉が、なぜか、そこを境に人間には聞き取れなくなったというもの。

この意味で、邦訳のタイトルは秀逸であって(原題は長い)、「神の沈黙」を前に、それでも神のお告げを切望する脳のアイドリングがもたらした、というのはなるほどと思えるのだ。

彼のあげる論拠はおもに状況証拠だが(だれが意識発生の直接証拠をあげられるだろう!?)、遠くドーキンスの「ミーム論」と響きあうような気もする。

進化にはジーンだけでなく、上部構造としてのミームがますます重要な役割をはたしているのだという「ミーム論」。

携帯電話の普及もミームの一種であり、後世振り返ったとき、ターニングポイントだったということになりそうな気がするが、これはまた別の一局…
16Jun.2009

live_on1 at 16:17 

June 15, 2009

アウェーの洗礼

14日の日曜、久しぶりに外部に遠征してのテニスの試合をした。調べたら、最後の遠征は2005年だから4年ぶりだった。

コートサーフェスはオムニ。ここ20年強、打ちっぱなしのコンクリートコートに順応しきった身には、予想以上のハンディだった。2−6、1−6という屈辱的な敗戦は、振り返るとまるでスローモーションの中にいるみたいだった。

最近決まりの相方は還暦、相手は30代だから、息子の世代といってもいい。それを割り引いても、あっけない負け方だった。一緒に行った若者ふたりも、ひとつも勝てず、4戦して全敗。

これは「多摩社会人」というチーム戦で、七部残留をかけての試合だった。前日土曜にはホームで4戦して3勝1敗だったので、日曜はひとつ取ればわがチームの勝ちだった。それが、このありさまである。

帰りの足取りの重かったこと!

トラウマは深く、しばらくは癒えそうにない。
15Jun.2009

live_on1 at 14:29スポーツ 

June 13, 2009

ポメラを買った

ポメラをネット通販で買った。随分安くて助かった。

テキストを打ち込むことに特化した単機能デバイス。こうした割り切り方が気に入った。TVのCMの、画像ではなく、音声が耳に届いた瞬間に「これだ」と思ってしまった。

その後、いろんな雑誌媒体やネットの評価を確かめて決断した。

この投稿のように、まずはブログで使えるし、日中少しずつ文章を付け足していく自分の仕事にフィットすると直観した。

上記ふたつとも、パソコンを起動するのにパスワードをふたつも入れなくてはならず、これが心理的なハードルになって、あきらめるケースが多かったのだ。

早速単語登録をし、この稿を書いてみた。
13Jun.2009

live_on1 at 18:40エッセイ 

June 11, 2009

ガジュマル、ベンジャミン

このところヒマを持て余している。在宅勤務がふえたせいもある。

先日近くのホームセンターでベンジャミンの鉢植えを買ってきて、好みの鉢に植え替え、机上に置いた。

空気をきれいにするとあったが、はっきりしない効用はともあれ、不思議なもので、買ったその日から愛着がわき、見ているだけで気持ちがいい。

居間のPC卓の上には、先にハイドロカルチャーで入手したガジュマルを、これも鉢を替えて置いている。

ガジュマルは那覇に出張した折、ホテルの机に置いてあったのが印象に残り、帰ってから入手した。いまでも残念なのは、ハイドロカルチャーが細いガラス瓶だったので、気根がすとんと単純で、ガジュマル特有の奔放さがないこと。

ひとつトリビアを。

アンコールワットの映像で見る、石の壁や土台を圧するがごとくに根を張り巡らせているあの木こそガジュマルだということ。卓上の鉢に収まった姿からは信じがたい。
11Jun.2009



live_on1 at 15:53エッセイ 

June 09, 2009

ウォッカという女傑

安田記念のことである。

別に熱心な競馬ファンでもなければ、馬券を買ったこともない。ときどき気まぐれに世間の話題につられてTV観戦する程度。

7日はその気まぐれのひとつだった。

そんな素人も、ウォッカという牝馬の強さには目を瞠らされた。1600mという短距離の最後の直線。馬群に囲まれ、前方はフタをされたようだった。だれもが「ダメだ」と思ったその瞬間、わずかな隙間をこじ開けて、馬群から鼻先を出したと見るや、あっという間にダービー馬のディープスカイを抜き去っていた。

馬群を抜けてからゴールまでは100mあったかなかったか。一閃の光芒とはかくや、と思わせた。

これでまた記憶のなかの隙間だらけの競馬史に、有馬記念のオグリキャップやディープインパクトと並んで、ウォッカの名とその雄姿(でいいのか?)が刻まれたことである。
9Jun.2009






live_on1 at 14:12スポーツ 

June 04, 2009

新横浜駅の模様替え

先月4日ほど新横浜で仕事をする機会があった。

改札を出てびっくり。じつにきれいなペデストリアン・デッキができていた。長く工事をしていたのはこのためだったのかと納得。

駅構内の動線もすっきりして見違えるよう(それくらい、以前の動線はひどかった!)。

司馬遼太郎『街道をゆく』に仙台駅前のペデストリアン・デッキを褒める記述があったが、司馬が新横浜のこのデッキを見たら何と言ったろう、とふと思ったことだった。自分は仙台のそれも知っているが、いまや高いビルに囲まれ、人の多さもあってやや窮屈な感じもする。それに比べて新横浜はさすが新開地ということもあり、ずっとスペーシーだ。

新横浜といえば思い出すことがある。出張で、しかも降車&乗換駅としてよく使うが、珍しく出かける時に遭遇したこと。

下りのホームに入ってきたのぞみに乗り込み、席に向かっていると、中からこちらに向かってあわてた様子でかけてくる中年の女性が。ぶつかりそうになったときに女性が訊いてきた。

「ここ名古屋ですか?」

もうひとつ。これは出張帰りの際、構内の「つばめグリル」で食事をしたときのこと。たしか2月ごろのこと。隣の席に受験生らしき二人連れが入ってきた。賢そうな好青年たちで、好感がもてた。第一印象はあてにならない好例だが…、やがてメニューを見ていたふたりがボーイを呼んでやおら質問したのだ。曰く、

「このジャーマン・ハンバーグのジャーマンてどんな意味ですか?」

苦笑いのボーイの顔をいまでも覚えている。
4Jun.2009

live_on1 at 18:04エッセイ 
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