October 2009

October 23, 2009

日本民芸館と根津美術館

回答を待つメールが3、4本。この1週間口をあけて待ったが音沙汰なし。

そこできのうきょう、早くに退けた。きのうは途上の駅、駒場東大前を降りてすぐの日本民芸館へ。いろいろあった(木喰上人の地蔵菩薩もよかった)が、河井寛次郎と濱田庄司の陶器に魅かれた。ふたりの違いをいう見識はないが、ふたりとも意匠の斬新さのなかに重厚な渋みがあって、まさに眼福。

きょうは新装なった表参道の根津美術館へ。秘蔵の国宝「那智瀧図」が開陳されているというので観に行った。数年前、改装前に訪れたときは展示されていなかった。

(ここで異なことに気づく。「那智」を変換しようとすると「ナチ」と出る! ヒトラーもこの絵を観ていたら、アーリア民族卓越性の神話を相対化できたのではないか…)

観終わって、展示室を出たところで、昔の会社の上司K氏とバッタリ。軽く挨拶を交わして別れたが、向こうもひとり。奇遇だった。
23Oct.2009


live_on1 at 20:51エッセイ 

October 19, 2009

加藤和彦 自死の解釈

なにはともあれ加藤和彦の冥福を祈りたい。

音楽もおしゃれ、服飾や嗜好もおしゃれな稀代の趣味人だった。普通に考えれば、死ぬ理由なんて皆無に見える。

しかしそこにこそ自死の理由があるのではなかろうか。

須原一秀⇒『髪結いの亭主』のヒロイン⇒平知盛の系譜を想起している。

「見るべきほどのことは見つ、今は自害せん」

知盛のこのことばこそ、簡にして要をえた加藤の自死の要約である。

作曲家・音楽プロデューサとして数々の傑作をものし、3人の夫人を迎えることもできた。親友きたやまおさむも言うとおり、好きなものがあれば、世界のどこへでも飛んでいける財産も築いたのだ。

思えば、ひとりの人間がなしうる最高の達成を成し遂げたのである。今後生き延びて、これ以上の何を望みうるか? 「以上」がないのは堪えられるとして、待っているのが「頽落」だけだとしたら、それこそ加藤が我慢ならなかったことなのだ。

合掌。
19Oct.2009


live_on1 at 18:46エッセイ 

October 18, 2009

火災警報器は必要か

先日マンションの防災訓練があり、そこで知った。来年度から個人の住宅でも火災警報器の設置が義務づけられることを。

不特定多数の人間が集まる施設でなら分かる。個人の住宅でどうして必要なのか?

おそれながら、60年近く火災警報器なしで生きてきてとくに不都合を感じたことがない。

火災が起きないようにしてくれる装置なら別である。百歩譲って、起きたとき、自動的に消防に通報が飛び、火災現場の正確な所在地を知らせてくれるなら別である。

個人住宅の火事の際、火災警報器があれば助かったであろう命がわずかにあることは分かる。しかし、そのために全世帯におしなべて負担を掛けさせる、義務化するというのには随分と論理の飛躍がありはしないか?

義務化となれば、当局による設置状況の確認手続きが発生するであろう。プライバシーの無視もはなはだしい。

一説によると、宅内の各部屋に設置しなくてはならないとか、一基3000円前後というから、半端な負担ではない。

あの歴史的悪法といわれた定額給付金の大半はこれでもっていかれるわけである。悪法による悪法の相殺である。

これこそ自己責任と思われるこんな領域にまで公権力が顔を出すのはなぜか? 実は元官僚が天下る関係業界が甘い汁を吸うための仕掛けではないのか。本当に必要な分野に金をかけるのではなく、広く薄く網を掛けるこのやり方は「メタボ検診」と同断である。

ここにきて高級官僚や為政者の理論武装も質が落ち、「ないよりはあった方がいいでしょ」程度の安易な趣旨の立法化が増えてはいないか。反面、こうした論理を国民が唯々諾々と受け入れるとしたら、日本人の民度も問われている。

これも旧政権のお荷物なら、補正予算同様、民主党も早く気がついてストップをかけてほしい。

はたして年が明けたらこのことがどれほど真剣な議論の場に浮上するか、楽しみである。
18Oct.2009


live_on1 at 21:50政治・歴史 

October 10, 2009

保阪正康の限界

やっぱりやめておけばよかった。

保阪正康の『「昭和」とは何だったのか』を途中で投げ出した。

自他ともに認める昭和史の権威、語り部、在野の研究者、評論家、…。しかし、『あの戦争は何だったのか』を読んで以来、何か食い足りなさと「?」を持っていたが、ちょうど本を切らしたところだったのと、ここでも書いた「昭和」への問題意識から思わず手にとってしまった。

この人の太平洋戦争と軍部に対する批判は正真正銘で、一応リベラルの論客といってよいだろう。政治家の靖国参拝に対する批判もまっとうである。聞けば、戦争体験者に対するインタビューは四千人に及ぶという。しかしである…

あとがきで「私は自説や持論を披歴するより、どちらかといえば客観的にノンフィクションを書く著述家と、自らを規定している」と書いている。ところが、蓄積した膨大な事実を前にしていながら、あるカテゴリーの事実にだけは目をつむり、論理の導く道筋の途中で突如として筆をおいてしまうのである。こうして目をつむり、書かないことによって、皮肉にも「自説・持論」の限界を露呈してしまっている。

それでも今までは、さすがの権威にも見えないタブーがあるのかと同情の念がなくもなかったのだが、今度の本ではなんと「平成皇室の命運を探る」や「2005年の女帝論、その歴史的意味」という論文を書いていたのを知った。

その中では、あろうことか、男系の血が途切れることを心配して天皇家の婿探しまでしている。いつから天皇家の執事になったのかと言いたい。

どうやらこの人は天皇(家)大好き人間らしいのだ。男子万世一系神話という壮大なフィクションにからめとられているようでは「ノンフィクションの著述家」という自己規定が泣くのではなかろうか。

無惨なことである。
10Oct.2009


live_on1 at 19:47 

October 08, 2009

JR東日本の病

朝5時半に起床。トーストもそこそこにネットで首都圏の運行状況を見る。するとどうだ。正常運行できてない路線のほとんどはJRではないか。

JR東日本の経営者たちはこういう事実を知っているのだろうか? 知っているとしてどう感じているのだろうか?

「順法運転怠りなく、事故もなく、満足満足」あたりか。

ちょっと違うんじゃないかなぁ。

安全は当たり前。運行を続けた私鉄が安全でなかったとは言わせまい。公共交通機関の本分は人を運んでなんぼだろう。自分で作ったルールを守っているという自己満足を優先するのは本末転倒もほどがある。

同じ条件下で平行する私鉄が走っているのに、JRの電車はホームに停車したままピクリともしない。

こんな状況で、わが社は順法運転しているぞとでも言いたいのか、悪びれた様子もなく「私鉄にお回りください」と大声で連呼。経営者が経営者なら、駅員も駅員。きみらにはポッポ屋としてのプライドがないのか、と言いたい。

場所はJR品川駅、京浜東北線下り線ホーム。蒲田に向かうところだった。

朝の情報では横浜線も京浜東北線も5割の運休(いわゆる間引き)というから、小田急線で都心に向かった。京王井の頭線、山手線を乗り継いで品川着。あと3駅…

風力計の数字が基準を超えて、多摩川を渡れないという。「京急電車が渡れる多摩川をどうしてJRが渡れない!?」。そうして待っている間にも、なぜか、上りの電車は次から次と入線し客を乗せては出て行く。はて、上り電車は川の底でも潜っていたか???

子供のころ「順法闘争・順法運転」といえば、春闘のときに見る年1回の不思議な光景だった。「順法運転」のときだけ国鉄のダイヤが乱れるというのは、こども心に違和感がぬぐえなかったものである。

してみると、JRはいま、年がら年中「順法運転」というわけか。なんとなくポジティブな響きがあるが、なんのことはない、親方日の丸の役人根性が隅々までゆきわたったというにすぎない。

基準を絶対視するのではなく、基準が実態にそぐわないなら基準を変えればいいのである。

メディアもメディアである。いつもながら台風報道をイベント報道かなにかのように絶叫口調で伝えるだけでなく、鉄道各線の稼働率の比較情報を淡々と開示してみてはどうか。
8Oct.2009


live_on1 at 22:13エッセイ 

October 02, 2009

植物のストレス…?

最近、ベンジャミンの葉がよく落ちる。

季節のせいかとも思って静観していたが、あまりの多さに心配になり、ネットで調べてみた。

するとどうだ。あまり置き場所を動かすのはよくないと書いてある。ベンジャミンがストレスを感じて葉を落とすことがある、と。

ドキッ!

本当は書斎の机上に置きたいのだが、日が当らないので、毎朝日の当たる台に降ろし、夕方机上に戻すことを繰り返していたのである。

もちろん今後は台に置くことにしたが、さて、回復してくれるか。
2Oct.2009

live_on1 at 16:25エッセイ 
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