June 2010

June 28, 2010

青森旅行 その5

弘前はモダンな街である。明治のころからそうだったことは洋館や教会が多いことでも知れるが、カフェやレストランもレベルが高いと聞いた。

カフェといっても、いわゆるスタバ、タリーズのたぐいは見なかった(そういえば、コンビニもめったに見ない)。かといってルノワール風でもない。それぞれ独自の審美眼で店作りをしているおしゃれな店構え。なかには洋館のなかに出している店もある。なかで、情報誌やパンフにも載っていなかった「チェンバロ」という店が昨日から気になっていて、三内丸山からの帰り、ここに寄った。

ドリップコーヒーは温度といい、香りといい、味といい、今までに飲んだコーヒーのなかで最高だったかもしれない。チーズタルトも甘さ控え目(運転疲れの筆者にはもう少し甘くてもよかったが)で美味だった。

テーブルに置かれたグリーンや壁の絵のひとつひとつに、マスターの美意識が貫かれていることが感じとれた。

弘前、あなどるべからず。

食事はフレンチをと思って狙っていた店が、休みと分かり、これは明日の楽しみとした。

昨日弘前に着いてからのことを書き忘れた。チェックインの時間には間があったので、直接弘前城に向かった。残念だったのは、城付設の駐車場がないこと。界隈をぐるぐる回って停めたのがステーキチェーンの店。あとでコーヒーを飲めば無料になると店長が言ってくれた。

5月の連休にピークを迎える桜はもちろん緑一色だったが、その連なり、広がりから、満開のころを想像した。中都市の城跡としては広いと感じた。天守は創建時5層だったが、再建で3層となった。司馬はこのほうが好もしい、とたしか書いていた。天守閣から見る岩木山。これを撮りたくて、はるばる来たのだが、ガイドの説明によると、春から夏にかけてはいつもかすんでいて、見える日が少ないとのこと(!)

天守でしばらく待ったがダメで、降りてから、本丸の高台から蓮池越しに、うっすらと影のようになだらかな裾野を引く岩木山を撮った。くっきりとした姿を目に焼きつけるのは明日以降の楽しみである。

チェクインしてから、洋館めぐりをした。パンフレットには12館紹介されていたが、ゆったり1時間半ほど歩いたろうか、7館を見ることができた。なんといっても圧巻は旧弘前市立図書館である。その可愛らしい姿は、この日の紺碧の空によく映えていた。
28Jun.2010


live_on1 at 11:14 

June 21, 2010

青森旅行 その4

後ろ髪を引かれながら尻屋崎をあとにし、三内丸山遺跡へ向かった。

途中、浅虫温泉にある道の駅で温泉につかり、食事をした。温泉を出てエレベータで一緒だった男性が津軽弁で「もっと熱くねえとな」と語りかけてきたが、同感だった。

ここまでの一般道で燃費の最高記録(25.2キロ)を出したことは前に触れたが、たしかに下北半島では前にも後ろにも他の車を見ない時間、信号を見ない時間が結構あった。

三内丸山遺跡の手前1キロではまいった。アクセス道路が新設されていて、カーナビの地図が古くなっていたのだ。隣にある運動公園の一郭に誘導されてしまった。

人に訊きながらなんとかたどり着いた遺跡は、はるばるやってきたその苦労に十分報いるものだった。まず驚いたのは駐車場にゲートがなく(つまり無料ということ)、遺跡の見学そのものも無料で運営されているということ。現代的な堂々とした正面施設、広大な遺跡の維持費を考えれば、いくらかとってもらった方が、と余計な心配をしてしまった。

ここも人はまばらで、ゆったりと見て回ることができた。再現された茅葺きの住居や高床の倉庫、それによく写真で紹介されている6本の巨木でできた塔状の構造物などが、広い野原に再現されている。縄文というから、円錐状の粗末な掘っ立て小屋程度のものを想像すると間違いである。そうした例もあるが、高床の倉庫や、集会所(?)様の大きな茅葺きの建屋は明らかに設計思想と構造と、それを支える技術を感じさせるもので、これらが約4500年前の遺跡というから驚いた。

上記の「集会所」は地面から1メートルほど掘り下げた床をもち、内部の高々とした空間は、詰めれば100人は優に収容できると思われる構造物なのだ。

発掘品を展示する展示室でも驚かされた。矢じりや石鏃などの原石の由来が分析で明らかになっていて、その産地は北は北海道の内陸部(白滝、赤井川など)から、南は糸魚川や長野県霧ヶ峰まで広がっていたのである。つまりは交易のネットワークが存在したことはもちろん、道具の製作に際して材料を選別する目があったということである!

思わず、進歩ってなんだろう、と考えてしまった。普通名詞としての人間はたしかに進歩したのかもしれないが、個々人の生活力生命力という点では、完全に退化の一途をたどっているのでは、といったことどもを…
21Jun.2010


live_on1 at 21:06 

June 19, 2010

青森旅行 その3

6月7日月曜日。昨夜カーナビで検索した時間を読み違え、ホテルの朝食をパスして弘前を出発。一路尻屋崎へ。

快晴の尻屋崎は白い灯台が青空に映え、広い草の原では、あちこちで数頭(いくつかは親子)の寒立馬が草を食んでいる。

懐かしい風景。40年前はここでテントを張り、一夜を明かした。朝方、馬がテントの口をがさがさいわせる音で目が覚めた。懐かしい、と書いたが、それは本当に過去を想起してそう感じたのかは、実は分からない。尻屋崎の風景が属性としてもっている懐かしさかもしれない、と帰ってきたいまは思っている。

というのも、翌日竜飛崎の風景を見たからである。竜飛崎の風景には懐かしさの一片も感じなかった。到達すると同時に立ち去りたくなった。

40年前、雑誌の写真を見て「尻屋崎に行きたい」と思ったのは正解だった。

鳴海要吉の歌碑も確認した。1978年建立というから、40年前に来たときにはなかったことが判明した。刻された歌は下記のとおり。

 諦めの旅ではあった
 磯の先の
 白い燈台に
 日が映して居た

ここでどうしても書き留めておきたいことは、距離にかんする不思議な感覚。むつ市の市街を離れ、いよいよ潮風を感じる道路の起伏を走行中のことである。あと10キロ、あと5キロ、… 東北道700キロを走っているときには感じなかった「遠さ」を、このときいやというほど感じたのである。こんなところまでよく自転車で、と。

しばし感傷にひたった数十分のドライブだった。
19Jun.2010



live_on1 at 16:42 

June 14, 2010

『第三の性』

遅ればせながらパネルのTVを買ってきた。店はヨドバシカメラ。そこで対応してくれた店員について書く。

はきはきした説明と丁寧な語り口が有能さを感じさせる「彼」は、いわゆるニューハーフのようだった。あくまで想像でしかないが、その前提で書いている。

ニューハーフという言葉は芸能界で使われているが堅い言葉では性同一性障害か。TVのバラエティ番組では貴重なキャラクターとして重宝がられている。結果としてこのカテゴリーの人々に対する社会的な理解が進んだといえるのではないか。ところで、なぜ重宝か?

思うに、彼(彼女)らにはある共通性があって、それは攻撃性のなさである。

たしかに芸能界だけを見ている筆者の管見だが、不思議とトゲトゲした攻撃性を感じさせる人物を見ないと思ってきた。

そこで今日の店員、仮にK君である。声をかけてくれたその瞬間から、いきなり出し抜かれまいという警戒心=武装を解除されていた。

これが彼もしくは彼女だったら、どんな丁寧な説明でも、語尾のひとつひとつに攻撃的なニュアンス、出し抜こうというニュアンスを感じ取っていたような気がする。

ニューハーフを自分なりに「第三の性」と呼んできたが、上記のことを解明する『第三の性』を書いてくれる、第二のボーボワールは現れないものだろうか。
14Jun.2010


live_on1 at 21:28エッセイ 

June 12, 2010

青森旅行 その2

初日弘前で観光に半日の時間はほしかったので夜中の2時すぎに出た。加えて都内を車で通り抜けるのが初めてということもあり、道路の空いている時間に東北道に乗ってしまいたかったのだ。

不幸にもこの懸念があたってしまった。まずはカーナビの設定ミスで中央高速稲城ICにすんなり入れず、これがけちのつき始め。高井戸で降りて環八を北上、大泉JCTで外環道に乗るはずが、直進して関越道に入ってしまった! 一瞬頭が真っ白に。しかしこういうことはあるらしく、所沢の料金所で係員に話すとロスした料金はロハにする手続きがあり、Uターンレーンも用意されていた。大泉JCTでは左折してすぐわき道に入るべきだったのだ。これが帰りのミスの伏線になる。

往きにこんなことがあったので、帰りは相当気を引き締めて臨んだ。はずだった。それでも間違えたのだ。ボケもここまで進んだかと自嘲するやら、悲しいやら… 

しかし、しかしである。ここからは愚痴だが、関越道、東北道など大きなハイウェイへのアクセスがなぜこんなに分かりにくいのだろう。改めて地図を確かめてみてもその形状が複雑だし、走ってみては、標識の分かりにくさに文句をいいたい。

帰り、川口JCTでは大泉JCTに向かうレーンに入るところまではスムーズだったのだが、ループを終えてすぐのところに出口と本道の大きな標識が並んでいて、「大泉」という名前を期待していたところ、それがないので、往きのトラウマもあり、とっさに出口の方へハンドルをきってしまったのだ。

ジャンクション入口で必要な情報は、出口へ誘導する情報のほかは、方面(上り下りor終点)名だけでいい。どうして途中のIC名がいるのだろう? 

このように、道路形状が分かりにくいのに加えて、標識が不親切なのだ。情報は多ければいいというものではない。TPOに応じて情報を隠蔽することも大事なのだ。結果として、現状の標識は、ジャンクションの形状を理解している利用者のためのものとなっていて、そこを初めて通る人のためにはなっていない。

数少ない海外経験を持ち出すのも恥ずかしいが、かつて初めてのパリで、分かりにくいと定評のあったメトロで迷ったことはなかった。乗り継ぎ駅での案内表記は終点に統一されていたからだ。サンフランシスコではレンタカー移動だったが、標識に惑わされたことはなかった。

とここまで書いてきて、昔上司の部長が神奈川の田舎から東京本社に転勤した1年先輩に向かってかけた言葉を思い出す。

「どうだ東京には慣れたか?」のあとがふるっていた。「おまえが東京に合わせないとな。東京がおまえに合わせるわけにはいかないんだから…」

ことほどさように、上の愚痴もこうしたリアリズムの前では風前の灯なんだろう。が、それにしても、…
12Jun.2010


live_on1 at 14:46 

June 10, 2010

青森旅行

6日未明2:30に出て、9日23:50に帰宅。丸4日間の単独行だった。

まずは全行程を俯瞰的に書いておく。

車の走行距離は2,170キロ。わが中古車フィットの燃費は平均20キロであった。普段は近所を買い物や外食に使うだけ。燃費は平均12キロほどだろうか。そんな車にしてはよく走った。なお、瞬間の最高燃費はむつ市から浅虫温泉に向かう一般道で記録した25.2キロだった。この数字には、ホンダのディーラーも驚いていた。「車より運転の腕」と言われたのは、お世辞だろうが、ちょっと嬉しかった。

宿はベースキャンプ方式とし、弘前のホテルに3泊した。

6日、稲城IC、環八、東京外環道を経て、川口JCTで東北道に乗る。いろんなミスが重なり、東北道に乗るまでが大変だったのだが、これについては次稿以降に書く。昼過ぎ弘前に着くと、何はともあれ弘前城を観た。ホテルにチェックインしたあと、洋館めぐり。この街には瀟洒な洋館がいくつもある。

7日、下北半島は尻屋崎へ。以前ここに書いたが、尻屋崎には鳴海要吉の歌碑があると知っていた。40年前自転車で訪問したときにあったのかなかったのかがひとつのテーマだったが、このたび建立は1978年と分かり、結論が出た。

8日、太宰の斜陽館、金木小学校を訪ねてから、こんどは龍飛崎へ。振り返るとここが余計だった。ここへ行ったために、十二湖へ行けなかった。折り返して鯵ヶ沢、深浦を経て、黄金崎の不老不死温泉へ。途中、来金ケ沢の大イチョウを拝んだ。

9日、まっすぐ十和田湖に向かう。湖畔の水際を歩いて、観光客があまり足を向けない十和田ホテル近辺のカツラの巨木を探し当ててから、発荷峠へ。この峠から秋田県は鹿角へ。ここで大湯環状列石の遺跡を観る。昼食を済ませたあと、鹿角八幡平ICから東北自動車道に乗り帰路につく。往路失敗した外環道でまたも失策を犯し、ルート変更を強いられ、泣きそうだった。

次稿からもう少し詳細に書いていく。
10JUN.2010

live_on1 at 19:46 

June 02, 2010

カナダ 青森

来週家内がともだちとふたりでカナダ旅行に発つ。もう2年以上前になるだろうか、予告されていたことなのでノープロブレムではある。昨年は3度も一緒に国内旅行をしたことでもあり…

わずかに問題は、最近在宅勤務(?)が増えていること。ちょうど上の期間もそうなりそうだが、とたんに食事のことがわずらわしい。

そこで、こちらも出立することにした。青森県は下北と津軽へ。

下北へは学生時代、名古屋から自転車でツーリングしたことがある。首都圏を抜けてからは国道4号線をひたすら北上する旅だった。途中ドライブインでトラックの運ちゃんに行き先を訊かれて(下北半島の)尻屋崎と答えると、「トラックでも疲れる」と笑われたことを思い出す。

ほぼ40年後の今は東北自動車道がある。迷った末に今回は車で出かけることにした。それにつけても悔しいのは高速料金の改訂法案の延期である。結果として現行どおりETC積載車のみ土休日1000円のままで、ETCを持っていないこちらは通常料金を払うことになる。新法案には今後も紆余曲折がありそうだが、いずれにしてもETCのみという条件は外されるだろうから、今あわててつける意味はなし…

参考までに司馬の『北のまほろば』を再読しようと手にとると、冒頭に太宰の『津軽』が引いてある。早速買って読んでみた。太宰は1944年5月半ばから6月頭にかけて取材旅行していた。なかで、「津軽の旅行は五、六月に限る」とある。いろんな偶然が重なったが、太宰のことばに背中を押された気がする。

尻屋崎の寒立馬はもちろん、三内丸山遺跡、弘前城、岩木山、洋館めぐり、五能線、五所川原、斜陽館、鯵ヶ沢、白神山地、十三湖、十和田湖、等々、近年いくつものキーワードが頭の中に蓄積されはじめ、いまにもあふれそうだった。こんな場所は青森県をおいてほかにない。
2Jun.2010


live_on1 at 14:14エッセイ 
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