March 2011

March 31, 2011

原発をめぐる奇想

「千夜千冊」の松岡正剛に促されて高村薫の『神の火』を読んだ。原発テロの話である。そこに主人公のこんな独白が出てくる。

「(…)純粋な理論と人間の良心を信じた原発の存在が現実世界の悪意と暴力の前でどれほど矛盾に満ちているかを、見つめるべきだ」

「現実世界の悪意と暴力」の前に、いまや「地震と津波」を付加すべきだろう。

末尾のふたつの章は、原発敷地内の図面と、原子炉建屋内の詳細な設計図面を目の前に置いて執筆したかのような迫真性があり、原理的原発反対論者高村の取材力と学習能力に目をみはらされる。

いまTVに出てくるどんな解説者よりも、原発政策(=利権)のどすぐろい裏面にまで通じている点で彼女の知は一層深い。(そう、飛ぶ鳥を落とす勢いの池上彰くんよりも)

そこへまたまた愕然とするニュースが流れてきた。いま福島第一原発で作業中の450名は一日2食(それも朝食は乾パンに野菜ジュースという)、床に毛布1枚で雑魚寝だという。

バカな。70年も前の太平洋戦争当時となにも変わっていない。先の大戦で日本の軍部は、全体としてはもちろん(重油の調達可能量をねつ造し)、個々の作戦においても兵站を極度に軽視(無視)するという過ちを繰り返したのだった。

先日来筆者は今回の作業にかかる人的コスト・犠牲について一見非情なことを書いているが、あくまでも結果としてのそれであって、上の問題とはまったく別である。

過酷な作業であるからこそ、作業員には十分な食料と睡眠とが与えられるべきだと考える。その上で出てきてしまうコストはやむをえないといっているのだ。

東電は何を考えているのか!?

きのうも、お行儀のいい通り一遍の会長会見を観ていてある奇想がわいた。

電力会社会長・社長はもちろん、取締役全員の家族を原発の周囲1キロ以内に住まわせることを義務づけるというもの。そのとき初めて彼らは真剣にリスク評価をするだろうし、その結果「想定外」をゼロにすることは不可能と知るだろう。
31Mar.2011

live_on1 at 13:04フクシマ&脱原発 

March 27, 2011

ホンマでっか 松沢くん

松沢成文くんの公式サイトで、都知事戦立候補辞退の弁を読んだ。「政治家としての信念を貫いた」と本人は強がっているが、はっきりいって政治家としての自殺ではなかろうか。

一度松沢に立候補を懇請した本人が「オレが立ちたくなったから降りろ」と強要する理不尽。ヤクザでもはばかるようなこんなわがままを通させていいのか、松沢くん。

タテマエは「理念のために個人の志を断つ」みたいなことを書いているが、個人は個人でもひとりの政治家である。同じ理念を実現するのに、任期を全うできるかどうかもわからない78歳の御仁と50代前半の自分とどちらが適任かという自己主張がなくてどうする。

一番愚弄されたのは神奈川県民だが、14日の茶番会見で石原の「天罰」発言を聞いて、愕然とほぞを噛んだのは松沢くん本人だろう。「こんな男に譲ったのか」と。

あとの祭りである。
27Mar.2011

live_on1 at 12:02政治・歴史 

March 25, 2011

ペシミストの憂鬱

消防や自衛隊の放水作業や電源工事が一息つかせてくれたせいかメディアはすっかり楽観ムード…? 冷静に見れば復旧作業はすっかり踊り場に滞留したまま進んでいない。

メディアは楽観を否定するかもしれないが、昨日の作業者被曝の扱いをみてもとてもそうとは思えない。報道することを否定もしないし、作業者本人には同情もするが、ニュースバリューからすれば、原子炉の冷温停止/封じ込めの現状とどちらが重いか? 筆者は自明と思うが、どのチャンネルを観ても前者の放映時間が長かった!?

復旧を完遂するために、こうしたコストがかかることはある程度不可避ではなかろうか。もしかしてメディアは今回の復旧作業を犠牲なしで済ませられるとでも思っているのか。いまごろになって甘っちょろいヒューマニズムを振りかざすくらいなら、原発建設反対になぜもっと注力しなかった…?

どこの局も判で捺したような工程表を見せて「あと少し」とミスリードしているが、ゴールは逃げ水のように遠くなるばかり。ゴールが青い鳥でないとだれが言い切るのか、とペシミストの筆者は思う。さらに、

だれかがどこかで工程表を切断(反故に)する決断を必要とする事態が出来するかもしれないが、それはだれであり、いつなのか?

新聞によると「冷温停止」には早くても1ヶ月との報道もあるが、そもそも今のペースで放射能を垂れ流し続けて、そんな長期間受忍可能だろうか?

切断とはすなわち、教科書通りの冷温停止を諦めて、原子炉全体をコンクリートで埋め込んでしまうことだが、よもや東電がまだ抱いているやもしれぬ原発再建への未練に引っ張られてはならない。
25Mar.2011



live_on1 at 17:15フクシマ&脱原発 

March 21, 2011

言いも言ったり

石原慎太郎の「天罰」発言の場面をYouTubeで見た。氏の傲慢と(自分が必要とされていると信じる)誇大妄想は既知の事実だが、もはや老害の極みであって、福島原発より先にかれの頭のなかでメルトダウンが始まっているのだろう。これで再選はなくなったと信じたい。(形の上で撤回はしたが、政治的打算によるものであることは自明)

規模は若干落ちるがやはり驚きの発言があった。発言者は先日の囲碁棋聖戦第6局の中継で解説を担当した武宮正樹九段。

花粉症に悩む張棋聖の映像が流れたあと女性司会者が同情的言及をし、武宮に同調を促したときのこと。武宮は、

「花粉症ですか、あれは気のせいだと思うんですよね、ぼくは」と言ったのだ。

司会者は絶句。苦笑するしかなかった。

すべての棋士がそうだとは思わないが、一芸を狭く深く極めた人の非常識はここまでいくかと感じ入った。
21Mar.2011






live_on1 at 15:29エッセイ 

March 19, 2011

丁重語はやめろ

ネット上に「枝野、寝ろ」というスレッドが立ったとか。若者たちのウィットには恐れ入る。ところで、

枝野くんがよくがんばっていることに異論はないが、会見を聞いていて思うのは、日本語という言語、なかんずく敬語(謙譲語、丁重語、丁寧語)はつくづく非常事態になじまないということ。なじまないどころか有害でさえある。

「努力している」ですむところ、なぜ「努力を いたしている ところで ございます」でなければならないか。一問一答万事がこうである。これが繰り返されることによる時間のロスに気が遠くなる。

まして今回は伝言ゲーム。東電、原子力安全・保安院までが敬語に毒されているので、わかりにくさに加えて、無駄な発語を聞かされるこちらのイライラ感がつのる。

ここ2、3日の現場作業の悠長とも思える進行の遅さ、徹底度の欠如が、こうした言語運用の無自覚(意識すればいくらでも克服できる)と通底していると思えてならない。残念なことである。

こう書いているうち、一日の最後に東京消防庁の会見が聞けた。この1週間のもやもやが吹っ飛ぶような明快さ。現場の人間が伝言ゲームなしに発信すればこうなる、ということか。
19Mar.2011

live_on1 at 17:35フクシマ&脱原発 

March 18, 2011

ヒロシマ ナガサキ フクシマ

日本のメディアとくにTV報道のレベルの低さが際だっている。複数のチャネルを観ているだけにこちらの方が勉強不足のキャスターたちを追い抜いてしまっている。

海外の見方がさめていて冷徹ともいえるコメントが続いていることを日本人はもっと知っておいたほうがいい。

思えばフランスRFIの大震災報道は最初から原発事故一辺倒だった。

海外の報道の背景には最悪の事態について具体的かつ共通の認識があり、そこから逆算してひとつひとつの対応策を評価し批判しているのがわかる。

一方日本のメディアは破局のイメージを欠いているために、個々の対処策がどれだけ放射線を出すか、いわゆる「泥はね」ばかりを追っている。

いましも自衛隊の2回目の放水が終わったところだが、記者会見での記者の質問はここに至ってなお「隊員の安全は?」である。事態の深刻さを理解しているなら「なぜ放水をもっと続けないのか?」「なぜこんなに時間がかかるのか?」であるべきだろう。

そもそもの話、専守防衛の自衛隊が、敵機が来襲してきた時に「いま隊員の安全を秤量している」などといったら背筋が寒くなりはしないか。

程度の低いメディアは程度の低い質問によって意思決定者にいらぬプレッシャをかけているのだ。

電源復旧にも時間がかかっているが、たとえ復旧がなったとしても、あれだけの爆発続きで電源以外の冷却系設備に損傷がないとはとても思えない。チェルノブイリでは砂を投下したというが、砂もしくは大量のコンクリートを空から落下し続けて固めてしまうしかないのではないか!?

提案だが、枝野君は核戦争の恐怖を啓発する「世界終末時計」にならって「福島原発破局時計」を設け、今何分前かを表示すべきである。そうすれば巡りの悪いTVキャスターたちも少しは目を覚ますのではなかろうか。

世界はチェルノブイリ、スリーマイル島の系列にフクシマを付加しようとしているが、筆者にはヒロシマ、ナガサキ、フクシマのつながりが頭を離れない。3つを貫くキーワードは「決断の遅れ」である。

アメリカの報道によると、事故直後、廃炉をためらったことが初動の遅れを生んだといわれている。海水を使うことの遅れもそのひとつである。
18Mar.2011


live_on1 at 16:33フクシマ&脱原発 

March 16, 2011

原発事故 その2

サンデル教授とやらがハリウッド映画のプロットなみのシチュエーション・クイズを持ち込んでうぶな日本人を「けむ」にまいたようだが、いま福島第一原発で起きていることはまさにその応用問題だということをかれらは自覚しているだろうか?

「放射線量の値があまりに高いので職員が現場に近づけません」という東電の説明にうなずいているようでは、残念ながらノーと言わざるをえない。

サンデルは「5人の命を救うために1人の命を見捨てられるか」と問うたらしいが、いまここでかかっているのが5人の命どころの話でないことは言うまでもない。

前稿の比喩でいえば、暴走するトラックのタイヤの前にだれかが身を投げ出してでもトラックを止めなくてはならない。

場合によってはしかるべき上位者がそのことを命じなくてはならないことを意味する。

その意味で、菅総理が職員を安全な場所に待避させようとした東電を叱ったのは方向として正しいし、東電側の抵抗を排して4号機への注水を命じた海江田の指揮も正しい。

ここから先はおとぎ話のようなものだが、だれが身を挺するべきかについて逃げ腰の東電側からは何も出てきそうにない。筆者思うに、現場の未来ある若者たちの命を召し上げる前に率先して身を挺すべき人間が3人いる。まず現社長清水、前社長・会長・現顧問の荒木、そしてこの1月に老後の安寧を求めて東電に顧問として天下りした石田である。最後のご奉公である。
16MAR.2011

live_on1 at 14:28フクシマ&脱原発 

March 15, 2011

原発事故報道のもどかしさ

この稿を書いているいましも事態は刻々変化し追い抜かれるおそれがあるが、どうしても書いておきたいことがある。福島第一原発事故のことである。

TVの報道をこれだけ観続けても、膨大な言語情報が費やされてもなお危機の切迫が伝わってこないのはなぜか? 望遠レンズでとらえた原子炉建屋の映像以外に何もない徹底的な不可視性によるものではなかろうか。

ようやく分かってきたことは、現場で命がけで対処する職員たちでさえ、みずからが押さえ込もうとしている原子炉が直接には見えていないのだということ。

あとは大きなタイムラグ込みの伝言ゲームにすぎないということ。

それを受け止めるTVのキャスターたちの勉強不足(常識クイズ番組にでてくるかれらの常識の程度は分かっているつもりだが)が真相の見えにくさを増幅する。相手をする「専門家」たちも、鋭い質問がないのをいいことに、真相に触れずに遠巻きな、根拠のない楽観論を説くばかり。

この不毛なやりとりから出てくるのは、やれ放射能がどれだけ漏れた、やれ住民の避難域が拡大された、やれ被曝者が何人出ただの、付随的な情報ばかり。

これらは冷却システムが作動しなかったと判明したときから既定の、分かりきった負担ではないか。メルトダウンというカタストロフに向かって突き進む過程のいくつかのありきたりな風景にすぎない。

キャスターたちは知らず、専門家たちは知らんぷりを決め込み、首相・官房長官は堅く口を閉ざすこのカタストロフを防ぐことに比べれば、多少の「放射能漏れ」など、不可避の成り行きにすぎない、という判断基準が共有されていないのがもどかしい。

たとえば、核弾頭を積みブレーキのきかなくなったトラックの暴走を考える。キャスターたちは真顔で「トラックが信号無視を繰り返しているがどう思うか?」とか、「いまはねた泥が通行人に当たりましたがこの影響は?」などと訊いているに等しい。笑止である。

被曝者の数は何人とカウントできているあいだは幸いである。(現状レベルの)被曝についてメディアは例によって過敏な反応をしているが、日本人が毎年予防検診でいかに積極的能動的に被曝しているか(このブログでは何回かふれた)をあわせて報道し、教訓にしてほしいものである。

それにつけても子供が小学生のころのある授業参観を思い出す。女性の担任が原子力について「危険もある」ということを説いたのに対して、原発の設計に携わっているというひとりの親が、「子供たちをミスリードするのはやめてくれ、原発は絶対安全ですから」と笑いながら発言したのである。筆者がどう反応したかはここでは割愛するが、今度のような事故の際には是非設計者たちを現場に召集すべきではなかろうか。非常用冷却系の電力が、よりにもよって発電所内で確保できないのは笑えないファルス。納得のいく説明をして欲しいものである。

さらに「原子力安全・保安院」なる組織のいかがわしさが露わになった事故でもあった。いくら伝言ゲームとはいえ、説明の歯切れの悪さ、しどろもどろには唖然とした。官邸もメディアもようやく気がついたか、遅蒔きながらここをバイパスし(干し)始めたようだが、どうせ天下り先にと作ったダミー組織だろう。事故が片づいたあとには必ずやその存廃が議論にのぼるだろう。その意味では事業仕分けよりも効果的だった。

これをアップする直前、日テレの記者が初めて「最悪の事態」に言及した。
15MAR.2011

live_on1 at 16:34フクシマ&脱原発 

March 14, 2011

大震災

言葉を失うとはこのこと。ではなぜ書くのかということにもなりかねないが、内にため込むのも堪えがたく…

地震も堪えがたいが、そして被害も大きいが、津波はもっと怖いということをいやというほど知らされる。

11日金曜日、「あのとき」自分はいつものごとくチャリンコに乗っていた。目の前の信号機が消えているのに気づいた直後、前後の電線が大縄跳びの縄のように揺れていた。自分が揺れていると分かったのはそのあとだった。

所定のランを途中で切り上げて帰宅。一見なんの異変もなかった(のちに玄関脇の部屋で本棚が倒れているのに気がついた)が停電していて情報がなく、外に出て管理センター前に赴く。口コミで宮城で震度7(東京は震度5強)を記録と聞いて仰天。我が家は2階だが、8階から上では家財が落下・転倒し室内は「グチャグチャ」だと数人が話していた。

唯一の気がかりはその日家内が池袋に出かけていたこと。友人と同行していること、周りは同じ境遇の人々があふれていると思われたこと、管理センターのラジオからは都内停電の報がなかったことから、さほどの心配はしなかった。しかし電車は止まっていたので「都内で夜を明かすこと」を覚悟するようメールした。(しかし返信はすぐにはこなかった)

皮肉だったのは、23:10に電気が通ずるまで停電下ロウソクを灯して悶々としていた自分より、家内の方がいろんな意味でラッキーだったことがのちに判明したこと。

サンシャイン60にいたらしいが、7階だったので比較的速やかに外に出られたこと。auショップが10数台の充電器を開放してくれていて携帯に充電できたこと。当初滞在時間制限をしていたデニーズにやっと入ったところ、その後徐々に制限が解かれ、結局朝方まで居座らせてくれたこと。暖房のきいた店内でボックス席のシートに横になることもできたという!

翌朝10時前に帰宅した家内はいつも座る座椅子の上に横たわる本棚を見て「出かけていてかえって助かったのかも」という。まさしく! 

ロウソクの炎を見つめながら想ったのは、高槻市に独居していた71歳の亡父が阪神淡路大震災に遭遇して(相当揺れたらしいが実損はなかった)感じていたであろう心細さのこと。当時何の被害もうけなかった自分はそれを思いやる想像力が決定的に欠けていた。父はその年の夏に他界した。

もうひとつはニュージーランド地震のこと。命の重さに多寡はないはずだが、クライストチャーチの犠牲者はひとりひとり固有名詞で呼ばれ、家族や生い立ちや志までもがこれでもかというほどメディア上に流されたが、今回の犠牲者たちは何百何千(やがて何万は必至だろう)というボディカウントのなかに埋もれてしまった。

そのかれらにしても、筆者をふくむほとんどの国民とともにNZ地震の犠牲者のことを、同情はしつつも、ある意味「他人事」として眺めていたと思うのだ。それが今回の地震・津波を境に、あっというまに、こちら側からあちら側へと去ってしまったわけである。まことに月並みながら、命のはかなさについて沈思せざるをえない。
14MAR.2011

live_on1 at 22:08フクシマ&脱原発 

March 10, 2011

ベーシックインカム その9

ベーシックインカム(以下BI)に関するサイトを見つけた。サイト名は「ベーシックインカム 実現を探る会」。

そこで『ベーシックインカムは希望の原理か』というブックレットを入手し早速読んでみた。

いくつか再確認したこと、初めて知ったことがある。

一番分かりやすく訴求性のある表現は、BIは労働と所得の分離であるということ。生きているという事実だけで(=労働を前提としないで)所得への権利があるということ。

現在の累進課税制度は、最高税率の層に対しては所得控除を介してのバラマキであるということを知って軽いショック。

一方で、BIをめぐるシンポジウムでは、ここでBIを扱い始めた当初から懸念していた議論のすれ違いが、案の定起きていた。

BIは、いわば社会保障システムの「基盤」の再構築を説いているのに、紹介された「もやい」の代表や女性記者からの懐疑的見解は「上物」の、しかも現状の問題点をあげつらい、それへの解をBIは示していない、という。なぜBIがすべての問題に対処する万能のジョーカーでなくてはならないのか?

不幸なすれ違いである。極論すれば、「上物」の諸問題がそのまま続いたとして、現状とBIと、「基盤」としてはどちらがベターか、と問うべきではないか。

こうして論点を交通整理していかないと、変数が多くなりすぎて議論は不毛に紛糾するだけである。

目下、主婦の年金救済問題で騒いでいるが、ここでも言及済みだが、現行の保険方式はとうに破綻している(原理的にも運用能力的にも)のだ。現行の福祉システムが世帯を単位としているのに対し、BIがあくまでも個人を単位とすること、そして税方式を主張するところにその優位性があることがよくわかる。
10MAR.2011

live_on1 at 12:11ベーシックインカム 
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