March 2013

March 31, 2013

後日談

境川サイクリングロードの桜は早くに満開したが、その頃からからっと晴れ上がらないのは残念。三寒四温とはいえきょうの寒さよ。1月末には舗装を終えていた工事区間、開通したのが今月半ばだったのは釈然としなかった。狭い迂回通路をぶっ飛ばす馬鹿者もいてここを通るときは緊張した。

「佐川男子の憂鬱」を投稿したが、そこで「まさか…」と保留しておいたことについて書く。先日たまたま佐川男子のひとりと立ち話をすることがあって水を向けてみた。「駐禁の罰金はどちらが出すの?」と。予想通りというか「全額自腹」とのこと!!! 「ほかもそうなの?」と訊くと、ほかは「会社と按分し、一部自己負担」ということらしい。

あのさわやかなCMの陰にこうした実態がある。

世の中の二極化は、こうした社内の二極化が支えている。労働力の買い手市場がつづく昨今は、サービス残業もマネジメントという名のイジメも、日常化し陰湿化していることだろう。そのうえでかれらは急増する高齢者の年金を支えているわけだ。

オリンピック招致のこと。

IOCの調査委員たちが東京を訪問したとき、あれだけ頻繁に起きている、茨城南部や千葉北西部を震源とする地震が、まさにあの期間だけなりを潜めたのは返す返すも残念だった。震度3程度一発で委員たちの笑顔は凍ったろうに。

そうそう福島第一原発もツアー行程に入れてほしかった…
31Mar.2013


live_on1 at 10:19エッセイ 

March 29, 2013

倉本一宏『藤原道長の日常生活』

平安貴族の日常については堀田善衞の『定家明月記私抄』で、ある程度の予備知識はあったが、下級貴族のそれと為政者のそれとではおのずと違う。

世界最古の自筆日記といわれる『御堂関白記』の解読結果を小見出し(テーマ)に分類して紹介しているが、若干舌足らずの日記を、『小右記』や『権記』など対抗史料で補っているのが興味深い。

道長自身かなり複雑な人格だったことは分かるが、学者の著作の特徴か、分類の網羅性を求めるあまり、もうひとつ人物像が結ばなかった。網羅性は犠牲にしても、史実と内面生活の照応関係をもう少し掘り下げてほしかった。

最も印象に残ったのは、なんといっても権力者の最期。晩年は糖尿病(飲水病)を患っていた。眼病にも苦しみ、講説のあいだに簾中に入り水を飲んだという。のどの渇きは昼夜を問わず、という道長の言も伝わっていて生々しい。死の床では糞尿にまみれ、頭を揺動させていたという。

この世ば我が世とぞ思ふ…、と詠んだ稀代の権力者にしてこれである。
29Mar.2013

live_on1 at 10:06 

March 26, 2013

「一票の格差」選挙無効判決

きのうは広島、きょうは岡山で衆院選の無効判決が出た。

おりしも吉村昭『ニコライ遭難』で児島惟謙ら司法の剛直を読んだばかり。猛烈な政治的圧力をはねのけた児島を始めとする大審院判事たちの高い見識と精神力に感じ入っていたところだった。

それにしても長い立法と司法(とくに最高裁)の野合であった。

安倍くんは「判決を精査して適切に対処」と答えていたが、「精査」が単なる裁判官の身上調査でなければいいけれど…

区割りや定数是正とは別に残る問題はふたつ;

ひとつは、無効選挙で選ばれた議員たちが憲法改正を発議することの法理上の疑問。

ひとつは、これだけ長く憲法を軽んじてきた政治家たちに、そもそも憲法改正を論じる資格があるのか(どんな憲法をもってきても、正しい憲法観のない政治家にとって、要は画餅ではないのか)という、深刻な問題。
26Mar.2013

live_on1 at 11:45政治・歴史 

March 17, 2013

宮部みゆき『模倣犯』 その2

15日、『模倣犯 下』を読み終えた。大団円を堪能(!)と思いきや、実生活で激震があり、それどころではなかった。しかし、せっかくの大作なので一応の総括を試みる。

あっさりと言ってしまえば、この作品は3500枚ではなく2000枚で済んだと思う。ミステリーはやはり客観描写で押していって、最後に犯人の心理や犯行の動機が浮かび上がるようにするのがベストではなかろうか。心理描写を入れるにしても、それは話者に絞るのである。

前稿で、宮部の人物描写が饒舌と書いたが、半端ない数の登場人物それぞれの人物描写は外見や行動にとどまらない。微に入り細を穿つその心理描写は精妙かもしれないが、「そうかもしれないが、そうでないかもしれない」という曖昧な印象を残す。

具体的に書くと、ピースこと網川が「真犯人X」説を掲げてTVに登場したあと、栗橋浩美や高井和明の同級生だったと判明した時点ですぐに声紋分析に入るべきだった。このような逸機はほかにもあって、ひとつは自動車事故現場の下方の水たまりで携帯が発見されたとき、もうひとつは角田真弓が飛行機の中で耳にした網川の声の正体が判明したとき。さらにいえば、ずっと前に始まっていたはずの山荘(別荘)のしらみつぶし(の記述)が不当におざなりだったこと、等々。ピースに対角線接近すれば済んだのである。最後半の網川の「躍動」は蛇足であった。

もっと短くて済んだという論拠である。

何度書いても足りないが宮部はすごい作家である。しかし彼女は書くことに淫する傾向がある。登場人物の描写はじつに詳細だが、多くの場合親を早くに亡くしていたり、片親だったり、なんでこんなに不幸な人間・家族・状況に通じているのかと感心してしまう。『アンナ・カレーニナ』の有名な冒頭文を具現化するように、宮部は不幸な家庭を書いて書いて、飽きない。
17Mar.2013



live_on1 at 14:29 

March 11, 2013

宮部みゆき『模倣犯』

2年前のこの日のことはかなり克明に憶えている。家内が渋谷のデニーズで夜を明かした以外、実害のなかった者でさえこうである(夜中まで停電が続いたのにはまいったが…)。近しい人を、財産を、生活を喪った人たちにとっての記憶の重さは想像を絶する。記憶や想起は地獄かもしれないと…

2日出て2日休むパートを始めてからはちょうど1年がたつ。体はそんなにきつくないのだが、なにせ時のたつのが速い。

図書館の予約本は軒並み待ちが長いので、ふと思い出して宮部みゆきの『理由』『模倣犯 上』を読み、いまは同じく『模倣犯 下』を読んでいる。

宮部みゆきについてはここで『火車』を絶賛したことがある。その時の印象が強いせいか、このふたつの作品にはあまり感心しなかった。犯罪小説はプロットもさることながら、動機の真実性が命だと思うのだ。その点、『火車』は切実さがよく描けていたが、『理由』は曖昧で、『模倣犯』のほうは思弁的にすぎる。

宮部はすごい作家だとは思うが、玉にキズは筆まめに過ぎること。四角形ABCDのAとCを結線するのに、この人は決して対角線を結ばない。必ずABCかADCのルートをとる。四角形くらいならいいが、十七角形でもこれをやられると、「まだるっこい」と感じる向きもあろうかと思う。結果、『模倣犯』は3500枚超、各巻二段組700ページである。

とくにこの作品の場合、動機が思弁的であるにもかかわらず(思弁的であるために(?))、一方でリアリティを求めるあまり人物描写が饒舌になる。饒舌になればなるほど、真実味よりも「もっともらしさ」というか作為が匂ってきて鼻につくのである。

しかしこれもささやかな瑕疵にすぎない。ヒマをもてあます老人にはおあつらえ向きのエンターテインメントであった。感謝しなくては。
11Mar.2013

live_on1 at 15:01 
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