February 2014

February 24, 2014

作品と著者 百田尚樹の場合

言うまでもなく、作品と著者はまったく別物である。公表された直後から作品は独自の生を生きる。著者が作品にそっぽを向く場合もあるだろう。

『午後の曳航』や『仮面の告白』に感心したからといって、三島の自決を予想できたかといえば、むずかしい。事情を知ってからでも共感できる人は少ないだろう。

例を世界にとれば、カラヴァッジョはイタリア絵画史に欠かせないし、ヴィヨンはフランス文学史に欠かせない作品を残したが、ふたりとも無頼の生を送り、殺人にまで手をそめたと言われている。


さはさりながら、…


われらが百田尚樹である。映画も評判を呼んでいるようだが、『永遠の0』はなんと発行部数300万部超えとか!! ここでも拙い感想文をアップしたことがある。

そんな百田が先の都知事選で田母神を熱烈応援しつつ他の候補を「人間のクズ」呼ばわりしたとか、安倍くんに靖国参拝を直言したと聞いて、開いた口がふさがらなかった。300万読者の大半も首を傾げているのではなかろうか。

理屈を書けばいろいろあるが、なにより主人公宮部の高潔な人物像と、百田が応援する田母神、その田母神を応援する石原慎太郎というヒュブリスの権化のような人物像がどうしても結びつかないのである。

さらにいえば、なんであれ、さしたる根拠もなく他人を「人間のクズ」呼ばわりする百田の口吻は、大新聞が言うようにNHKの経営委員という立場とそぐわないのではない、自身の作品とそぐわないのである。

田母神、石原は実力行使辞さずの「後は野となれ」老人。自称ナショナリスト愛国者の安倍くんは、集団的自衛権やTPPに棹さして日本をアメリカ51番目の州にしようとする分裂病者である。こんなやからに参拝されて、「英霊」たちがあの世で慟哭しているのが、百田は聞こえないか?


昔も今も、西でも東でも、「戦争は老人が始め、若者が死ぬ」。

『永遠の0』はこの真理の変奏ではなかったのか。
23Feb.2014
24Feb.2014

live_on1 at 21:06政治・歴史 

February 19, 2014

島倉千代子の天然

「ごきげんよう」での坂本冬美の話。

デビューしたての頃、憧れの大先輩島倉と一緒になることがあった。坂本は島倉と誕生日が同じであることを知っていて、ずっと打ち明ける機会を待っていたという。

で、本人にそれを告げると、返ってきたのが、

「あら、それにしてはお若くみえるわねぇ」
19Feb.2014


live_on1 at 09:02TV 

February 18, 2014

孫のののしり

何か気にくわないことがあったらしく、あの2歳の孫がつぶやいた。

「サイアク!」

え?

あまりに唐突でびっくり。

2度3度繰り返されたののしりは、9割は自嘲、1割は彼なりの神様に向けられたようなニュアンス。


はてさて、こんな言葉をどこから仕入れてきたのやら…?
18Feb.2014



live_on1 at 22:01エッセイ 

February 14, 2014

兼好はアルファブロガーになれたか

古典だけは図書館依存ではなく手元に置いて睡眠誘導に供している。

先日『徒然草』の2回めの通読を終えた。全体は243の段からなるが、はっきりいって玉石混交。なかで白眉はなんといっても第155段だろう。曰く;

《… 死は前よりしも来らず、かねて後ろに迫れり。… 沖の干潟遥かなれども、磯より潮の満つるがごとし。》

兼好はこの段と最後の243段を書くために筆を執ったのではと思ったり…


前稿でWebの恩恵に触れたが、ブログというツールも具体例のひとつである。さみしい老後生活のなか、ブログを書くことで悪性の自家中毒をいくらかでも緩和できているような気がする。日に10pvもあれば御の字の地味なブログだが、勝手気ままに書き続けられることが効用である。

こんな無礼なことを書くと専門家から叱られそうだが、読んでいて、『徒然草』は14世紀のブログだと思い始めたのだが、では兼好がアルファブロガーになれたかというと疑問を感じる。

Webの恩恵は同時に大衆化でもある。技術はニュートラルに普及し広がることをやめない。昔なら不特定多数に見せる文章を書くなんてことは一生なかったようなわれら凡人たちが、ブログというツールで文章を書き始めたのである。中身の質の保証などあるわけもなく、それこそ有象無象がネット上に撒き散らされている。

そんな有象無象のなかで『徒然草』が光を放てたかといえば、かなり難しかった気がする。

勿論、こう書いたからといって兼好を貶めることにはなるまい。『徒然草』は何百年という時のフィルターを生き延びたのである。アルファブロガーは何百年後に生き残ろうと思って書いてはいないだろう。かれらはほんの数日というタイムフレームの評価にさらされている。

今読まれ(見られ)て、今効用がなかったらダメなのである。そんなブログを書き続けるのもしんどいことである。

そう、月に100万pvなんて、我が身を振り返ってそら恐ろしや!!!
14Feb.2014



live_on1 at 14:45エッセイ 

February 13, 2014

Runtime Error R6034

先月下旬、iTunesのアップデートを当てたら標記のエラーが出て、インストールは完了するものの、iTunesは動かなくなってしまった。

ショックはショックだが、何年か前にも現象は違うが使えなくなって放置し、何世代かあとのアップデートで蘇ったことがあり、今度もいずれ来るアップデートで直るだろうと慌てない。WindowsでiTunesを動かす宿命という達観もある。それに音楽が片時も離せないほどのアディクトでもない。

2月に入り、それでもこのエラーに見舞われたのは、まさか自分一人ではあるまいと思いなおし、エラーコードでググってみた。

するとビンゴ!!!

リストの筆頭は某氏のブログ。分かりやすく、簡潔明瞭な修復方法が紹介されていた。その通り適用すること10分ほど。なんとiTunesは生き返ったではないか。

Webのコンテンツの信頼性は6割ほど、とウンベルト・エーコは釘をさしていたような記憶がある。たしかに見ず知らずの人間の提供する情報を鵜呑みにするなんてどうかしているのかもしれないし、成功したのは単なる僥倖なのかもしれない。それにしても、である…

こういう時ほどWebの偉大さを実感する時はない。

生れて60数年、自分の人生がギリギリWeb時代に重なった幸運を思う。しかも、Web時代に生まれてきた若い人たちに比べ、それ以前の世界を知っているだけ、ありがた味が大きい気がする。

携帯電話の恩恵も似ている。携帯端末がなかった時代を知り、生まれ育つ過程を目撃した世代として、その恩恵と幸運を噛みしめる。それに比べたらケータイとスマホの差なんて、あって無きがごとし、とビンボー老人は負け惜しむ。

そうそう、携帯電話しか知らない世代、年齢を問わずソフトウェアやアルゴリズムに縁のない人たちのなかには、いまだに発信者から受信者へ電波がまっすぐに1回だけ飛んでいると思っている人たちが大勢いそうな気がしてしょうがない。

それが何割程度か知りたいのだが、だれかアンケートを実施してくれる奇特な御仁はいないものか???
13Feb.2014


live_on1 at 22:46エッセイ 

February 11, 2014

眠りの深浅

9日は、午前は職場、午後は自分と娘の駐車場の雪かきと終日奮闘し、おかげで腰がパンパンになり、節々が痛かった。

翌朝目が覚めて驚いたのは、夜中に一度もトイレに立たなかったこと。夢は見たようだが、久しぶりの熟睡だった。

こうしてみると、トイレに立つから眠りが浅くなるのではなく、眠りが浅いからトイレに立つのかもしれない。そして、眠りが浅いのは、ひとつには疲労の不足があるかなと。

熟睡のためには一定以上の疲労は必要なのかもしれない。

****

眠りといえば、変なことばかり言う孫のこと。

ふたつ上の兄とともにTVの「仮面ライダー鎧武」にご執心だが、ジジババはその空虚さと騒々しさに辟易。かわりにTV東京が日曜に放送している「日本昔ばなし」を録画しておいて見せてみた。すると、

お兄ちゃんのほうはなんとか見通したが、下のほうは、声がしないなと思ったら、首を直角に垂れて爆睡していた。始まってからわずか2、3分のことだった。仮面ライダーと昔ばなしの落差に耐え切れなかったと見える。

孫を寝つかせるにはこれに限るとジジババはほくそ笑んだことである。
11Feb.2014






live_on1 at 15:40エッセイ 

February 10, 2014

都知事選 つづき

結果は告示日あたりに分かっていたから、昨夜TVに流れる情報は、「あれ、まだやってたのか」と雪かきでパンパンに張った腰をさすりながら眺めた。

投票日までに費消された莫大な税金はまったくの無駄遣いだった。

なんでもスウェーデンの国家予算に匹敵するという予算を任せる権力を選ぶのに一発勝負は物足りない。前に書いたニ選制を採っていれば、結果は同じでも、舛添の「圧勝」はなかったろう。

事前にはかなわなかった宇都宮・細川の一本化は、自然に決着して、決選投票は拮抗した大勝負だった。今回のように何十年に一度の荒天の影響も緩和できた。
10Feb.2014

live_on1 at 09:43政治・歴史 

February 07, 2014

「ジイジ、コロバナイデネ」

映画館で「ママ、タベスギ」と言い放った孫が、こんどは朝仕事に出かけるじいじに背後からかけたことば。

一瞬、ドキッ! ズッコケそうになる。 

まさか、この子が生後2ヶ月のとき、じいじがチャリで転倒し鎖骨を折ったことなど知るはずもなく…


ジジババはコケやすいと知ってのことか?

チャリに乗るとコケる危険があると知ってのことか?

それとも、なんのことはない、普段親から言われている言葉が口をついて出ただけなのか?


とまれ、ふたつ上の孫からは聞いた覚えがないことを連発する、変な子である。
7Feb.2014

live_on1 at 22:57エッセイ 

February 05, 2014

東京オリンピックとへそ曲がり

「日本の国土を自然の災害に対してもっと強固にし、失業者を救済するようにしてから後に、オリンピックを開いて差しあげるのが、本筋だと考えている…」

我が意を得たり、とほくそ笑んだが、実はきのうきょうの文章ではない。

出典はふと手にしたフランス文学の泰斗渡辺一夫の『曲説フランス文学』。初版は1961年、当初のタイトルは『へそ曲がりフランス文学』という。つまりここでのオリンピックは1964年の東京オリンピックを指す。

東京オリンピック開催に疑問を表明しようものなら石が飛んできそうなのは、当時も今も変わりがないらしい。おのずとへそ曲がりを自認し、自嘲せねばならぬ。

首都直下型地震の発生確率が示され、被災予想マップや各地の震度予想まで出されていても、「東京は世界一安全な都市」と胸を張る人たちの楽天主義が不思議でしょうがない。

はて、発生確率の表現に、「2020年まではゼロ」との含意はあったかしらん?
6Feb.2014



live_on1 at 16:35政治・歴史スポーツ 

死刑囚証人喚問の不埒

オウム裁判で史上初めて死刑囚の証人喚問が行われた。例によってメディアは発言の細部、レトリックの差を重箱の隅をつつくように報じるが、今回の喚問そのものの本質には触れない。

死刑存置の是非について、自分は「原理的」結論を出せないでいるが、この国の運用実態を見るかぎり反対と言わざるをえない。人の命を奪うことの重さと厳粛さに司法・行政(の人間的卑小)が追いついていないと思うからである。

ひとつは死刑確定から執行までの時間である。刑訴法475条2項には6ヶ月以内と規定されているが、ほとんど反故となっている。判例によると同項は「法的拘束力のない訓示規定」なのだそうである。こうした詭弁と恣意、怠慢と自己不信と無定見によって確定死刑囚は生殺しになっている。ここでも触れた大道寺将司などはそろそろ40年にもなろうとしている!

これほどのバラつきと恣意的な運用を正当化できる理屈はどこにもなく、説明責任を果たそうとする主体もいない。

そんななかでの今回の喚問である。かれらは、法が厳正に運用されていれば存在しないはずの人間である。いわば幽霊である。幽霊に口をきかせて、別の人間を裁こうとしているのである。

確定死刑囚には外部との接触を厳しく制限しておきながら、公判の都合のためには最大限利用するという、このいい加減さはどうだろう。ご都合主義の自乗といわれても仕方があるまい。


万にひとつ、「訓示規定」論を呑み込んだとして、かれらに互恵的対価は与えられるのか? そう、確定死刑囚との司法取引は存立するのかいなか、等々…?
5Feb.2014

live_on1 at 14:20政治・歴史 
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