June 2015

June 29, 2015

ロードバイク

「いずれは」と自分に言い聞かせてだいぶ経つが、諸般の事情で突如決断してクロスバイクを手放し、ロードバイクを買った。

4年半で14,350km。よく愉しませてくれたが、チェーンはとうに限界らしく、ギアチェンジの際、ときどき歯を飛ばす現象も出てきていた。これだけ乗るとおのずと、細いタイヤのロードバイクの乗り心地が生々しく想像できるようになる。「自転車といったら最後はこれでしょ」との悪魔のささやきも聞こえた。

高きを望めば青天井。車1台買える値のモノまであるが、もちろん年金老人はエントリーモデルで十分。マイナーブランドの型落ちを5万円まけてもらった。これでも、一食抜くかと悲壮な決意。

まだ100kmちょっと走っただけだが、期待にたがわず、否、期待以上の乗り心地。まさに、SWEET!!!

自転車の愉悦ってなんだろうと考える。

景色を楽しむとか、ダイエットにとか、運動不足解消にとか、そんな講釈とはまったく関係がないと思う。

ペダルを踏む、前に進む、風を切る。ただ単純にこの行為だけが愉悦を生むのであって、ほかになにもいらない。どんよりと雲が垂れ込め、からだがだるいと感じるときでも、一旦走り始めると裏切られることはない。

もちろん、できれば、火野正平のように地方の車の往来のほとんどない舗装道路を走りたいものだが、それはまた別の一局。


話を現実に戻すと、ロードバイク所有者の悩みは盗難である。いままでは他人事として聞いていたが、いざ手にしてみると確かにむずかしい問題である。さいわいマンションには屋根付き鍵付きのバイク置き場があって助かったが、問題は外出先での駐輪である(いままではなんの懸念も抱かず駐めていたが…)。

ググってみると、なかなかに手強い問題のようで、これといった万能策はないらしい。エントリーモデルとはいっても、これが虎の子となると激しく心配である。

ロックはふたつ持ち歩けというものもあったが、自分はもっと安上がりな方法として、フレームに「GPSトラッカー装備」と書いておいたらどうかと考えている。

姑息かしらん…?
29Jun.2015


live_on1 at 16:18ロードバイク 

June 25, 2015

会議室から見えてくるもの

民間のことは分からない。ここでの会議は日本の公的なそれのこと。以前ここで、少子化問題についての会議風景に触れた。体育館のような広い議場に映るすべての参加者が男だったこと、よって「こりゃダメだ」と思ったことを書いた。

最近TVで観たふたつの光景:

ひとつは高知県の知事会議室。バラエティ番組に登場した異色のトポス。芸人が顔を出す、その場に居合わせた知事以下20人ほどの面々はすべて黒っぽい上着の男たちだった。この場で過去扱われた最もくだけたテーマだったが、このありさまである。

もうひとつは都だったか首都圏だったかの会議風景。東京五輪をにらんだ標識統一がテーマだった。政治的要素の希薄なこんなテーマの会議でさえ、参加者はすべて男だった。

その異様さは、よく目にする国際会議の議場風景を想起すればよく分かる。議長が女性なんてごく普通の光景である。

世界(ここではOECDレベルだが)を見渡せば、メルケル首相、IMFのラガルド、ヒラリー・クリントン、北欧諸国のリーダーたちの例を引くまでもなく、女性のポテンシャルは明白に実証済である。

そうしたポテンシャルや能力を生かせていないこの国にはどれほど不合理な力学が働いているかとため息が出る。席を温めるひまもなくすげ替えられるニ、三の女性大臣など、コスメティックな数合わせ以外のなにものでもなく論外である。

世が世なら、国が国なら、原発は倫理的根拠によって排除できるのである。倫理性はおろか、知性や資質においてもレベルに達していないアベを首相と仰ぐこの国はどこか病んでいる。女性蔑視のイスラム教諸国を嗤えない。

世界の、そして日本の半分は女性である。
25Jun.2015

live_on1 at 10:27政治・歴史 

June 19, 2015

天皇アキヒトの巡礼

両陛下が「私的に」宮城県は北原尾地区を訪問された。ありそうだが聞きなれない響きと思ったら、「北のパラオ」と聞いて納得。

アキヒトは人生の終焉に近いこの3年を戦地巡礼に費やしている。2013年はサイパン、2014年は沖縄、2015年はパラオ(そして北原尾)。

メディアの扱いは例によって通り一遍、「好好爺のおやさしい心根」程度。三つの旅を線として捉えてもいない。ほほえましさと罪のないニュースを求めるメディアの測深の針は絶望的に浅く、アキヒトの胸底に届いていない。

公的に失語症を強いられているアキヒトから真情がもれることは、いままでもこれからもないだろうが、従ってこれから書くことは単なる想像にすぎないが、かれは父ヒロヒトの戦争責任を認め、ヒロヒトに代わって贖罪の巡礼に出ているのである。しかも、

巡礼の時期が第二次安倍内閣と重なっていることが暗示的である。20世紀前半の日本史についての知識量は、テンノーAと本を読んだこともないシュショーAとでは天地の差があると思われるが、歴史をねじ曲げ、現実の政治を牛耳るのは後者という皮肉。

猿ぐつわをかまされ、一挙手一投足をがんじがらめにされた身として、アキヒトは巡礼の旅に仮託して精一杯の意思表示をしているのである。

テンノーAの寡黙vs.シュショーAのうわすべりで夜郎自大な能弁!


だからといってアキヒトを持ちあげているのではない。その沈黙を良しとも思わない。

ここから想像は妄想へと移行する。

代理とはいえ贖罪の思いが本当なら、アキヒトははっきりと謝罪のことばを口にすべきだった思う。そして今こそ、安保法制への反対を言語化してほしいと思う。叫ばなくていい、ポロリでいいのである。かつて園遊会で故米長に異をとなえたときのように…

もちろんそれは憲法違反である。でもいいではないか、向こうだって憲法違反で押そうとしている。いっそシュショーAに「アキヒト、あなたの発言は憲法違反だ」と言わせたらいいのだ。国会審議はグチャグチャになり、有権者も惰眠からいささかなりと覚めるかもしれない。

これがアキヒトの国民への最後のご奉公である。あとは、最後の天皇として、苗字を戴き、一族を引き連れて京都にお戻りになり、日本でもっとも長く続いた(らしい)お家をお守りになればよろしい。


なんぴとも象徴になることはできないし、してはならない。それはいわれなき劫罰である。
19Jun.2015



live_on1 at 14:45政治・歴史 

June 15, 2015

こんにゃく問答

犬のことを話している、と思ったら、いつのまにか猫の話になっていて、それをつっつくと、どっちも四足だからいいじゃないか、と逆ギレする。

報道特集の金平キャスターが紹介していたある賢人の安保法案質疑(こんにゃく問答)評。

シュショーAの「私は違憲ではないと確信しております」には嗤った。違憲を承知で法案を出すバカはいないから、これはまったく無意味な同語反復である。

だいたいが、大学時代コンパと麻雀に明け暮れた「ぼんぼん」の軽い確信は、そのために犠牲となる若者たちの命と釣り合うだろうか?

野党も野党である。もっとまともな追及ができないか。

法案が必要かどうかのそもそも論をどこかにおいて、リスクがあるのないの、高まる高まらないの水掛け論に終始する議論の低さにがっかりさせられる。政治屋たちの空論をあざ嗤うように、自衛隊元高官が言う。「燃料補給支援や道路整備などの後方支援にだってリスクはあった。「リスクはない」や「リスクは増えない」などもってのほか」と。

三人の学者の違憲発言は大きな橋頭堡だが、あいつらが「違憲ではないと信じる」と言い張る先には進展がない。それよりここでも引いた中谷防衛相発言になぜ食いつかないのか。信じるも信じないも、かれの発言そのものが閣議決定が違憲であることを自白しているではないか。

「現在の憲法をいかにしてこの法案に適応させるかの議論を踏まえて閣議決定した」。

これが違憲であることは小学生にだって分かる。

アメリカの犬A、そのAの犬高村が「違憲かどうかを判断するのは学者ではなく最高裁判所である」と建前論を吐いたが、野党は即座に、「それなら、最高裁が下した(票の格差に関する)違憲判決をなぜ無視し続けるのか」と皮肉の一発もかませられないか。


バイストーリーだが…

TBS「ひるおび!」。三人の学者の違憲発言について、「あれは別の案件をやる憲法審査会だったのが、たまたま野党の予定外の質問から出てきたもの」だの、「与党の参考人選びのポカ」だの、さも貴重な情報であるかのように垂れ流す、恵や自称政治評論家らのレベルの低さには毎度のことながらあきれる。

「報道特集」を持つTBSがなんでこんなやつらに我慢できるのかが分からない。言えるのは、こういう似非報道が、意識すると否とにかかわらず、みずからファシズムを引き寄せるのである。

それにつけても、こんな時にこそ辺見庸の肺腑をえぐるような刃の言葉を聞きたいが、「私事片々」は沈黙したままである。よほど体調が悪いのだろう。心底心配である。
15Jun.2015

live_on1 at 10:10政治・歴史 

June 11, 2015

NV200の控えめ過ぎる生産目標

日産のイエロータクシーのことである。わが街町田では昨年辺りからよく見かけるので、もっと売れているのかと思った。

聞けば、年産目標1000台という。あまりに控えめな目標ではないか。

ニューヨーク市の次世代タクシーとして一括採用されたこのデザインはまさにユニバーサルである。ワゴンRに乗り始めて、座面と天井の高い車の乗りやすさを実感している身としては、タクシーこそこれでなくちゃと思う。

尻が沈んで、膝を胸の高さで抱くように座らされるセダン型タクシーの乗りにくさは、思い出すだによく我慢したものと思う。ふたり三人で乗るときの窮屈さ、とくに真ん中に座らされる人の不運!

売れに売れているプリウス。最近はタクシーにまで登場しているが、あの狭い後部座席に座りたい客がどれだけいるだろう。目の前にプリウスタクシーとNV200があって選択の自由があるのなら、100人に100人がNV200を選ぶと信ずるがどうか。

外国人の増加を見込んで、と報じられるが、それにとどまらない。足腰の弱った高齢者にも、長時間労働の運転手にとっても福音のはずである。

一見拮抗したバランスがちょっとしたきっかけで、燎原の火のように一方に傾くことがるというカオス現象のように、NV200は将来のタクシー市場を席巻すること必至である。
11Jun.2015





live_on1 at 12:21エッセイ 

June 07, 2015

豚に真珠 日本人に憲法

アベ一味は憲法の理念が分かっていないと断じてきた自分が驚くのはおかしいが、中谷防衛相の発言には開いた口がふさがらなかった。曰く、


「現在の憲法を、いかにしてこの法案に適応させていくかという議論を踏まえて閣議決定した」


順序が逆だろ! と突っ込むのも疲れてしまう。憲政史そして未来永劫に燦然と輝く「迷言」である。

猫に小判というか豚に真珠というか、直接にはアベ一味が猫であり豚であるわけだが、こいつらのやりたい放題を日本人が許すなら、いずれ「日本人に憲法」ということわざが成立するだろう。

一部を除き、相変わらずメディアの反応は鈍かったようだが、世界の嗤い者である。既述だがもう一度書く。こんなやつらの憲法改正論にどんな意味がある? 憲法の理念・存在意義が分かっていないなら、どんな憲法も画餅にすぎない。

シュショーAの「早く質問しろよ」も、クールジャパンが吹っ飛ぶような下衆の極みだが、こんな下品な男が率いる政権を支持するこの国の人たちに不気味な違和感がつのる。(フランス人なら depaysement というかもしれない。居ながらにして異国人になったような…)

この安保法制が通ったら、…

やがて海外に出た自衛隊員が死ぬだろう。ひとり死んだだけで、バラエティと化したニュース番組はわきたち、宮根、恵、安藤あたりは口角泡を飛ばすだろうが、そのあとが恐ろしい。

自衛隊のリクルートはままならなくなる。その先にあるのは徴兵制である。さて、支持者たちはどこまで覚悟ができているのか。

もっとも、これも既述だが、残された最後の良心と知性に鑑みて、そうはさせない仕掛けがある。自衛隊員の服務宣誓文である。そこには、「日本国憲法及び法令を遵守して (中略) 責務を完遂する」とある。

海外派兵を命ぜられた隊員は、この宣誓を根拠に命令を拒絶し、あるいは憲法違反を訴えることができるのだ。

(空転する安保(じつは戦争)法制審議のかげで、もうひとつの違憲マター「一票の格差是正」がうやむやにされようとしている。嗚呼)
7Jun.2015

live_on1 at 12:42政治・歴史 

June 01, 2015

ボールの手触り

MLBでNPBが使うボールを採用したら、という声があがっているという記事を読んだ。

MLBのボールが滑りやすいというのは定評で、日本人投手が海を渡るたびに「順応」できるかどうかが最初のハードルと言われてきた。MLB内でも、違反の滑り止め物質の使用が物議をかもしてきた。

しかし、なんといっても投手の肘の故障の多さが最大の問題と自分は思ってきた。「滑らないように」と手指にかける余分な負担は、ひいては肘に直結する。むかし握力強化のために器具を使用したことがある。卵の形をしていて、強く握りしめるというもの。これを続けると、てきめん肘にきたものである。

よって、日本製の表面がしっとりとしたボールを使えばいいのに、とかねてより思ってはいたが、誇り高いMLBが採用するとも思えず、空想と自認していたところへ冒頭の記事である。

それにしても、革製品に一日の長があると思われるアメリカでなぜミズノのようにしっとり感のあるボールが作れないのか、不思議なことである。(ミズノ製のグローブはよく見るが…)

もうひとつ。「しっとり」に当たる英単語はなんだろう? 和英では dampish とか wet が出てくるが、もうひとつしっくりこない。
1Jun.2015

live_on1 at 10:38スポーツ 
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