March 2016

March 31, 2016

中学生の受難

身におぼえのない万引きの罪を着せられて自殺した中学生がいた(A)。両親に虐待されて自殺した中学生がいた(B)。

(A):なぜ自己主張をしなかったのか、なぜ身の潔白をいいつのらなかったのかと遠くにいる第三者はもどかしい。

道徳教育が足りない、戦後憲法によって甘やかされ、権利意識のみ幅をきかせ、義務の観念が後退してしまったと説く改憲論者の主張がまったくのたわごとであることがこの例で分かる。(もちろん、モンスターペアレントみたいなのは論外である。)

欠けているのは人権教育の方ではないのかといいたい。人権とは何か、人権の思想は人類史上、どのように芽生え、いかにして獲得されてきたか、等々。

「…、日本死ね」ではないが、人権は優に国家と対峙できるし、国家が人権を圧殺するときはそうした国家を否定できるのである。その点、アメリカにおいて裁判(判例)を特定するのに、ぼんやりと事件名ではなく、「人名vs.国家(大統領だったか?)」とする形式は示唆的で、これを取り入れるだけでも大いなる教育効果があると思う。

先日東京都が「人間ピラミッド」を禁止、とのニュースが流れた。「当たり前」と自分は思う。ここ数年、こんな競技が全国に広まっていることを知って驚いていた。莫迦じゃないかと思っていた。団結心や和といった美辞麗句をかかげて、児童生徒の身を危険にさらすのは人権軽視もいいところである。そのうち「参加は自由」を掲げて続けるところも出てきそうだが、これも危ない! 自由参加はお題目であって、生徒に対して暗黙の圧力をかけるに等しい。

だいたい、教育委員会という圧力装置とその手先には、学校が密室であるという意識が希薄すぎる。だからイジメもなくならない。「人間ピラミッド」に酔いしれる日本の教育委員たちに北朝鮮のマスゲームを嗤う資格はない。

(B)についても書くつもりだったが、ガス欠なので一旦筆を擱く。ひとことだけ、学校が密室であるように家庭も密室であるなとつくづく思った。死人に口なしとばかり、TV局のマイクの前で喋々する父母。あれはほんとにヒトなのか!? 生きたている鬼、それとも、…???
31Mar.2016

live_on1 at 15:39エッセイ政治・歴史 

March 22, 2016

やぶにらみニュースウォッチ

清原の覚醒剤事案について。

いまだにニュースバラエティは、恰好のウメグサとばかり沸き立っているが、よく聞くと新しい事実はほぼゼロ。捕まったときの映像を何百回使ったことか。

逮捕されてからの新事実といえば、所持に加えて使用の罪で再逮捕と、公判が5月17日に決まったことぐらいだろう。

本人はすでに十分以上の社会的制裁を受け、元家族にまで余波が及んでいる。あとは公判が結審するまでそっとしておいてやればいいではないか。100%クロと分かりきったことにメディアがこれだけエキサイトするのは、みずからの恥部を露出しているようなもの。

***

「保育園落ちた、日本死ね!」について野党議員が質問すると、シュショーAは「匿名でもありますし、事の真偽を確認しようがないではないですか」ときた。

一事が万事、という。

アベら歴史修正主義者の究極のロジック、超ロジックの見本である。このように切り返せば、あったこともなかったことにできる。みずからの不勉強を免責し、相手に挙証責任を押しつけられる。

この時の質問者がどう応じたか知らないが、自分なら、「では、このブロガーの訴えは虚言であって、彼女が指弾する実態は存在しないとおっしゃるのですね」とぶつけただろう。

***

丸山和也議員はとうとう始末書を書いたようだが、なぜかしら? 

一点の飛躍を除けば、言いたいことはよく分かったのに。

(過去には)奴隷(だった黒人)がいまでは大統領に、というたとえ話も、極端ではあるが、すなおに聞けばうなずける。

取り上げたいのは「日本=米国51番目の州」説である。このブログでは、戦後日本の55年体制は米国51番目の州みたいな行動様式を採っており、日本の首相は州知事みたいなもの、と書いてきた。よって奇を衒ったかにみえる丸山説には驚かないが、丸山は、過去ではなく今後の日本の進路として、米国51番目の州になるという選択があってもいい、といっている。

理にさとい弁護士らしい丸山説には、しかし、飛躍がある。SF的未来の、100%仮定の話としても、日本がアメリカの州になるためには、清算しなくてはならない異物があるだろう。

そう、天皇制である。


丸山は、奴隷⇒大統領やアメリカ51番目の州などという奇を衒うまえに、みずからの良心と知性に照らして天皇制(の清算)について述べるべきだったのだ。

議員になるにあたって、天皇制を超制度とみなし知に背を向ける保守政党を選んだ男にそれを望むのは、木に登って魚を求めるようなものか…。
22Mar.2016




live_on1 at 20:06TV政治・歴史 

March 16, 2016

アベノミクスの一翼

先日ニュースで、50代の女性が特殊詐欺に引っかかって1億4千万円だましとられたと聞いて、不謹慎ながら、嗤ってしまった。50代といえばもう少し分別があってよさそうだが、分別はなくても蓄財はできるということか。

さらに遡ると、70代の医師夫婦が旅行から帰宅すると、自宅においていた4500万円が盗まれていた、という話もあった。平均以上の教養があると目されている医師にして銀行よりタンスが安全と見たか。

被害者にはお気の毒だが、物は考えようで、詐欺グループやドロボーが稼いだ金をジャブジャブ使えば、退蔵されていたお金を一気に流動化させたという意味で、アベやクロダがしかける空前の量的緩和の一翼を担ったことになるのではないか。

こんな皮肉をいいたくなるのも、選挙カーから「造幣局の輪転機をフル回転させればいいんです」と絶叫したアベの経済理論が薄っぺらだから。

不本意ながら観てしまうTV東京の「なんでも鑑定団」。応募者の9割は地主の何代目かと思われ、つぎ込んだ金は「家一軒建つくらい…」が決まり文句だが、なかにはアベ一味がばらまいた補助金も含まれていることだろう。ガラクタ骨董にこれだけつぎ込む神経は、ホモ・エコノミクスしか知らない近代経済学の想定外だろう。日本以外にこんな例があるのかしらん? 実際、ガラクタを死蔵するためだけの建屋を建てる御仁もいるというから何をかいわんやである。

思うに近代経済学が前提する合理主義を貫徹するのは、為替や金利の小数点以下数ケタのギャップに反応して国境を難なく通過する金融資本だけ。理不尽なのは、地中海にあふれる難民たちの生存第一の合理主義は国境にはね返されること。(ノーベル賞に経済学賞はいらないと書いてきた所以。)

経済の突出と政治の手詰まり、両者の乖離がどんどん加速している。


話を日本に戻すが、タンス預金や企業の内部留保が流動化しないのはなぜか? 結局は、アベに限らないが、政治(家)への不信、恐怖、将来への不安、等々、経済的合理主義が制御できないものばかり。その上に、特殊日本的な要素、地震と原発への不気味な不安が重なる。

これらの前ではアベノミクスなど夏炉冬扇もいいところだろう。
16Mar.2016

live_on1 at 19:27政治・歴史 

March 11, 2016

あれから5年

あの日、外でチャリを走らせていると、電線が大きく揺れるのに遭遇。急いで帰り着いたマンション棟の鉛直線が余震で左右に振れたシーンが目にやきついている…


この間、「地震のベッドで原発を抱いて眠る国」という名コピーも知った。忘れてならないのは、原発が孕む危険は稼働非稼働にかかわらないということ。核のゴミの処理方法の成算もなく、「トイレもなしに」を付加してはどうか、と書いた。

「眠る」ということばにも、読みこめば含意がある。「フクシマの現実」は、原発政策の禍々しさを見て見ぬふりをした日本人への警鐘だった。眠っていれば「現実」はないも同然とばかり…!

ときあたかも大津地裁で高浜原発稼働停止命令が出た。例によってニュース番組をザッピングしていたら、たしかフジの平松だったか、「(一方)、裁判官に原発の安全性について云々する権利があるか、という問題もある」などと、両論を公平に述べたとばかりのしたり顔! 原発が厳に存在する以上、秤ははじめから傾いているのであって、議論・報道の公平性など台風の前のすかしっ屁ほどの功徳もない。

再稼働数分後に故障して止まった原発の、その当事者の「絶対安全」宣言にどんな信をおくのか、とメディアは問われている。さらに、

この5年間原発が休止していても、電力供給になんの支障もなかったことをどう評価するのか。それでも再稼働を強行しようとする電力会社や権力の禍々しい底意をおまえたちメディアはなぜえぐらないのか、といいたい。(芸人もどき宮根、暗愚羽鳥、アホの恵、似非インテリ平松に期待するほうが初心か…)

こんなときかならず出てくるのが電気料金の話。再稼働しなければ、電気料金が上がると。これは恫喝に近いが、真に受けるほうもどうかと思う。核のゴミ処理に加え、廃炉の費用も正確に積算されていないなかで、今現在の電気料金に一喜一憂してどうする、といいたい。あとで莫大な請求書が送りつけられてきて目をむくことになるのは、目に見えているではないか。

同じ理屈で先日太陽光発電の買取価格が下げられたが、これもアベ一味の一見もっともらしい陰湿な策謀である。

ドイツのように、脱原発のロードマップが確立していれば、再生エネルギーの買取価格は市況の変動に左右されないコントロールができるはずなのである。スマートメーターが普及しても、国民が覚醒していないかぎり、豚に真珠である。


もうひとつ。

先日元東電の幹部3人が強制起訴されたが、その理由が「津波の危険は予知できたはず」というもの。いわゆる津波元凶説である。

津波到来(による電源喪失…)前に、地震の揺れそのものによって構造の一部が破損していたとしたら、ことは東電だけで、あるいは防潮堤だけで済むだろうか?

被災直後のデータから、構造破損の可能性が高いことを指摘する専門家がいたにもかかわらず、その後の原因糾明においては、不自然に葬り去られて今日に至っている。

「地震のベッドで原発を抱いて眠る」われわれ日本人は、起きてるときもじつは眠っていないか。よ〜く考えたほうがいい。
11Mar.2016




live_on1 at 11:29フクシマ&脱原発 

March 07, 2016

佐々木監督の無理心中

ここまで劣化するか? 

リオ五輪アジア最終予選のなでしこジャパン、対中国戦を観ての感想である。

2011ドイツW杯のころ、女子サッカー界のバルサとまで称されたパスサッカーはどこへいったか。失点につながった川村のバックパスが云々されているが、通してみれば、大儀見、川澄、鮫島、そして宮間まで、パスミスのオンパレードだった。

つまるところ、佐々木則夫監督は2011ドイツW杯の成功体験を蕩尽したのである。5年もたてば、メンバーの大半が入れ替わっていてもおかしくないのに、相も変わらずの顔ぶれ。単純にいって平均年齢は5つあがったわけだ。直前に4人の若手を切ったが、今回目立ったのは、皮肉にも、その足切りからわずかに免れた横山久美ひとりだった。

これだけメンバーを固定化したら、相手のなでしこ対策・研究がどんどん進むのは目に見えている。なでしこの劣化は加齢のせいだけではないのだ。

選手交代の遅さをふくめ、この人の選手選考・用兵は一貫して保守的だった。若手の発掘育成を怠ったこともそうだが、同じ年代でも、たとえば、上尾野辺など選んでおきながらあまり使おうとせずに飼い殺した。

思えば、去年のアルガルベ杯9位がチャンスだった。あの時点で佐々木監督、もしくは協会が決断すれば、もう少しはつらつとしたなでしこが見られたかもしれない。あるいは去年のカナダW杯決勝の対アメリカ戦完敗。(あのときも冷静に振り返れば、相手ミスや僥倖に助けられてやっとこさ勝ち上がったものの、アメリカ戦のなでしこが実像であり地力だったのだ)


タイトルを佐々木監督の心中としたが、ある意味、協会が佐々木監督と心中したといえるかもしれない。
7Mar.2016

live_on1 at 11:34スポーツ 

March 01, 2016

駅伝というガラパゴス

東京マラソン2016における日本勢の惨敗・凡戦は目に余る。五輪選考レースなどとは笑止のさたである。派遣設定記録6分30秒が虚しいというか空々しい。

駅伝の合間に、ついでのようにマラソンをつまみ食いして世界と戦おうというのがまちがいのもと。

素人が考えても、マラソン練習の駅伝への影響と駅伝練習のマラソンへの影響は非対称である。マラソンの練習は駅伝のスピードに持久力をプラスできるが、その逆は真ではない。なぜなら、前半は駆け引きに終始してスピードは持ちぐされ、勝負どころの30km以降はガス欠でそもそもスピード勝負に持ち込めないのだから。

駅伝はいわばガラパゴス競技である。日本ほど駅伝に酔いしれる国がどこにある!? 

逆転につぐ逆転、駅伝はドラマ性があってたしかに観ていておもしろいゲームである。開催者にとってはスポンサー目当てのビジネスであり、ランナーたちは自治体、企業、学校など小さい世界のなかでの選良意識をくすぐられて酔えるのかもしれない。しかし、それは麻薬である。小粒なヒーローはたくさん作れるが、世界で戦えるマラソンランナー育成にとっては劇薬以外の何物でもない。

それを承知で駅伝をやりたいなら思う存分続ければいい。ただし、それに加えてマラソンでも成功したいというのは欲のかき過ぎである。バチがあたる。「マラソン王国=日本」はもはや幻想である。


今回の惨敗を機に、マラソン枠は減らすべきとの声があるが、いっそゼロとしたらどうか。その上で、ガラパゴス駅伝をグローバル競技に格上げすべく尽力するほうが筋が通っている。これらが非現実的というなら、マラソンの火を消さないための妥協案は以下のとおり;

1)マラソンランナーは早くからマークし、もしくは強い志向を持つ選手のなかから「選抜して」育成し、かれらには駅伝出場を禁ずる。

2)世界陸上や五輪の代表枠は1とし、代表選抜レースは1レースだけの一発勝負とする。
1Mar.2016

live_on1 at 21:34スポーツ 
月別アーカイブ
記事検索
QRコード
QRコード
Recent Comments
  • ライブドアブログ