June 2016
June 26, 2016
続 イチロー
4257安打の表彰でイチローにペトコ・パークの2塁ベースが贈られた。その安打がパドレス戦の2塁打だったからである。
「えっ!」と思ったのは自分だけではあるまい。
4257本ヒットを打ったということは、4257回1塁ベースを踏んだということである。よってイチローに贈るなら、1塁ベースこそがふさわしかった。
***
それにしても今季のイチローの好調は、イチローウォッチャーを自認する老人の目から見ても、特筆ものである。
ここ数年のもどかしいような低調ぶりの原因は、ここでくどいように書いたが、かれの悪球打ちにあった。あれだけ悪球に手を出せば、対戦するピッチャーはわざわざストライクを投げる必要はないわけである。投手有利(打者不利)は必然である。
イチローの唯一の弱点とされてきた、安打数の割に低い出塁率の遠因はこれであった。
今季好調の原因はほかにもあるかもしれないが、自分はこの悪球打ちが激減したことが一番大きいと思う。
これによって四球が増え、三振が減り、出塁率が上がるという好循環が回りだした。
悪球打ちが減った理由までは分からないが、全盛期と比べてもクリーンヒットが増えた印象がある。減った内野安打のなかでもボテボテが減った(4256本目は例外的なボテボテだったが…)。
26Jun.2016
「えっ!」と思ったのは自分だけではあるまい。
4257本ヒットを打ったということは、4257回1塁ベースを踏んだということである。よってイチローに贈るなら、1塁ベースこそがふさわしかった。
***
それにしても今季のイチローの好調は、イチローウォッチャーを自認する老人の目から見ても、特筆ものである。
ここ数年のもどかしいような低調ぶりの原因は、ここでくどいように書いたが、かれの悪球打ちにあった。あれだけ悪球に手を出せば、対戦するピッチャーはわざわざストライクを投げる必要はないわけである。投手有利(打者不利)は必然である。
イチローの唯一の弱点とされてきた、安打数の割に低い出塁率の遠因はこれであった。
今季好調の原因はほかにもあるかもしれないが、自分はこの悪球打ちが激減したことが一番大きいと思う。
これによって四球が増え、三振が減り、出塁率が上がるという好循環が回りだした。
悪球打ちが減った理由までは分からないが、全盛期と比べてもクリーンヒットが増えた印象がある。減った内野安打のなかでもボテボテが減った(4256本目は例外的なボテボテだったが…)。
26Jun.2016
June 18, 2016
イチローの通算安打記録考
ピート・ローズの記録をパスしたときのイチローの会見は本当に如才がなくて、つくづく頭のいい男と再認識する。そんななか、最後にこういった。
「日本だけでローズの記録を抜いたらそれこそ大したことだし偉業だと思う」と。
ほぼスルーされたが、毒というとキツすぎるが、唯一意地を見せた箇所である。NPBとMLB、ヒットを打つのにそんなに差があるわけではない、と。「日本のレベルを見下しやがって」と図に乗る向きもあるが、ここはイチローも含めてちょっと違うと思う。
NPBとMLBの差を一般論で比較するのは、文化的な側面でなら可能だが、こと技術論では意味がないと思う。あくまでも個人に即して語るべきで、すると、イチローの1278本と2979本を区別し、前者をディスカウントするのはおかしい、となる。たとえば、ローズ氏をはじめ区別派は1278をいくつディスカウントするのが妥当というのか? たとえ1000とされても、イチローは4256を早晩抜き去るのではないか。
MLBの「レベル」にはね返された選手は多々いるわけだが、イチローはそうではない。NPB時代と同じことをやって2001年、242本、.350を記録した。その後10年連続200本を上回るヒットを打ち、2004年にはMLBのシーズン安打記録も破ったことは繰り返すまでもない。
翻ってNPB時代を見れば、MLB移籍まで7年連続首位打者をとったが、NPBのシーズン試合数の少なさを考慮すれば、1278は割り引くどころか割り増しすべきである。
さらに最後の2シーズンの安打の少なさは、ここがNPBの陰湿さだが、死球攻めにさらされて負傷休場が多かったせいである。MLBでの負傷休場の少なさは周知の事実。これを考慮すれば、1278はさらなる割り増しが必要である。
こうしてみると、区別派の主張を容れてなんぼか割り引いたとして、それを上記の割増数と比べたら、控えめに見て相殺、ひょっとして後者が上回るのではないか、というのが私の主張である。
よってイチローの4257本はこれからも伸びていく立派な世界記録である。(もちろん、MLBの公式記録として「*」付きの参考記録となるのは手続き上仕方がない。)
くどいようだが、イチローの偉業はイチローの能力の証明であって、NPBのレベルの高さの証明ではない。
18Jun.2016
「日本だけでローズの記録を抜いたらそれこそ大したことだし偉業だと思う」と。
ほぼスルーされたが、毒というとキツすぎるが、唯一意地を見せた箇所である。NPBとMLB、ヒットを打つのにそんなに差があるわけではない、と。「日本のレベルを見下しやがって」と図に乗る向きもあるが、ここはイチローも含めてちょっと違うと思う。
NPBとMLBの差を一般論で比較するのは、文化的な側面でなら可能だが、こと技術論では意味がないと思う。あくまでも個人に即して語るべきで、すると、イチローの1278本と2979本を区別し、前者をディスカウントするのはおかしい、となる。たとえば、ローズ氏をはじめ区別派は1278をいくつディスカウントするのが妥当というのか? たとえ1000とされても、イチローは4256を早晩抜き去るのではないか。
MLBの「レベル」にはね返された選手は多々いるわけだが、イチローはそうではない。NPB時代と同じことをやって2001年、242本、.350を記録した。その後10年連続200本を上回るヒットを打ち、2004年にはMLBのシーズン安打記録も破ったことは繰り返すまでもない。
翻ってNPB時代を見れば、MLB移籍まで7年連続首位打者をとったが、NPBのシーズン試合数の少なさを考慮すれば、1278は割り引くどころか割り増しすべきである。
さらに最後の2シーズンの安打の少なさは、ここがNPBの陰湿さだが、死球攻めにさらされて負傷休場が多かったせいである。MLBでの負傷休場の少なさは周知の事実。これを考慮すれば、1278はさらなる割り増しが必要である。
こうしてみると、区別派の主張を容れてなんぼか割り引いたとして、それを上記の割増数と比べたら、控えめに見て相殺、ひょっとして後者が上回るのではないか、というのが私の主張である。
よってイチローの4257本はこれからも伸びていく立派な世界記録である。(もちろん、MLBの公式記録として「*」付きの参考記録となるのは手続き上仕方がない。)
くどいようだが、イチローの偉業はイチローの能力の証明であって、NPBのレベルの高さの証明ではない。
18Jun.2016
dnf
ぶちあげた以上、結果は書かざるべからず。(筆が重い…)
好天無風のコンディションにもかかわらず、3合目を過ぎた地点(15km強)で上腕、肩、腰、尻の痛みが激しく、続登を断念、泣く泣く折り返した。(実はきょうもケツの痛みはひかず、バランスボールやソファに座るときもツライ!)
わけがわからないとはこのこと。
昨秋、買ったときについていた安物ホイールと25のタイヤとフラットペダルで挑んだときは完走出来たのに…!!? (加齢の毒は、思いの外まわりが速いのか?)
思いつく違いは、あのとき富士北麓公園からスタートしたのに対し、今回は富士北麓駐車場をスタートしたこと。事前の調査不足でルートをまちがえ、料金所スタート以前に10km強の登り坂を走ってしまったこと。
絶対脚力不足の老人にはきついハンディだった。
身体より、精神的ショックがきびしいが、気力を回復したらまたチャレンジするつもりだが、その前に、もっと負荷走をとりいれて絶対脚力をつけなくては。普段は坂を4本ふくむコースをただ漫然と走っているが、距離や時間は短くても、負荷をかけて何本もやるほうが効果的かもと思い始めている。
18Jun.2016
好天無風のコンディションにもかかわらず、3合目を過ぎた地点(15km強)で上腕、肩、腰、尻の痛みが激しく、続登を断念、泣く泣く折り返した。(実はきょうもケツの痛みはひかず、バランスボールやソファに座るときもツライ!)
わけがわからないとはこのこと。
昨秋、買ったときについていた安物ホイールと25のタイヤとフラットペダルで挑んだときは完走出来たのに…!!? (加齢の毒は、思いの外まわりが速いのか?)
思いつく違いは、あのとき富士北麓公園からスタートしたのに対し、今回は富士北麓駐車場をスタートしたこと。事前の調査不足でルートをまちがえ、料金所スタート以前に10km強の登り坂を走ってしまったこと。
絶対脚力不足の老人にはきついハンディだった。
身体より、精神的ショックがきびしいが、気力を回復したらまたチャレンジするつもりだが、その前に、もっと負荷走をとりいれて絶対脚力をつけなくては。普段は坂を4本ふくむコースをただ漫然と走っているが、距離や時間は短くても、負荷をかけて何本もやるほうが効果的かもと思い始めている。
18Jun.2016
June 09, 2016
砂漠に水を撒く 三題
砂漠に水を撒くような「おすすめ」を三題:
***
マスゾエ、マスゾエとかしましいこと! この国のメディアは、相手が100%クロと分かりきったことになるとなんでこんなに元気が出るのか不思議である。
そのエネルギーを、表向き真っ白だが、内に巨大な闇をかかえこむあの男に向けたらどうか…!
ほかにもパナマ文書という大鉱脈も発見された。孫、三木谷ら名前のあがった個人、法人はこぞって「なんら違法性はない」といって逃げ切ろうとしているが、そしてそのとおりかもしれないが、「疚しい点がないのならなぜ匿名の陰に隠れるのか、なぜ本名で会社をつくらないのか」ぐらいは追及したらどうか!?
聞けば、日本人が海外に保有する資産残高は世界一というではないか! これを掘り起こせば、それこそ世紀の大スクープである。
舛添のせこさには一都民として苦笑のかぎりだが、なぜか週休4日5日だった石原より腹が立たないのはなぜか? これも不思議。
***
つぎは清原くんへのおすすめである。
覚醒剤からの卒業は相当にむずかしいと聞くが、素人考えの無責任な処方を言わせてもらうなら、ひとつの依存症を脱するために、別の依存症に賭けてはどうかというもの。そう、いわゆるシャブ抜きにはロードバイクが最適、という話。
いまごろはもうジム通いを始めているかもしれないが、どんな設備の整ったジムでも、室内で汗をかきつづけるのはストレスが溜まるもの。同じ汗をかくにも、ロードバイクを駆って風をきる愉しさを覚えたら、それこそ「やみつき」になることうけあいである。
食事制限などもろもろの我慢をしなくても、2、3ヶ月乗っているだけで自然に脂肪や体重が落ちて、かれの場合現状が現状だけに見違えるようにスリムになるだろう。そう、甲子園で活躍した頃の体形にもどることだって不可能ではない。
平地で足りなければ、ヒルクライムにチャレンジしてもいい。
トライアスロンもいいのだが、三種目に割く時間のバランスをとるのにストレスを感じるかもしれず、なによりランが心配である。腰、膝、脚、足首に故障を生ずること必至である。
***
最後はストーカー諸君へのおすすめである。
ズバリ、池谷裕二『単純な脳、複雑な「私」』読書のすすめである。このブログで過去何度かそのタイトルのセンスの良さを書いてきた。
ひとは、自分の行動は100%「意識・心」がコントロールしていると思い込んでいる。そうではないと池谷はいう。脳や無意識がひとの行動を決定する場合が大部分であるという。たとえば、同じ長さのタテ線とヨコ線をTの字に組み合わせて見せると、ひとは必ず縦線が長いと答える。ものさしで測ったあとでも、この判断は変わらない。
ある意味これは脳のクセだが、ひとはこのクセの拘束性から意識的に脱することはできないのだ。錯視一般に言えることだが、したがってひとは事実(タテ線が長い)は見ているが真実(両線は同じ長さ)は見ていないのである。
次は無意識の話。池谷は高校生相手の講演なので、男女の機微について面白い話をする。
ふつう好きな人を振り向かせたいときには「プレゼントする」「つくす」という考えが浮かぶが、これは逆で、ほんとうは「プレゼントをもらい」「何かをしてもらう」のがいいという。なぜなら、
相手はやがて「なぜ自分は手伝っているのか」考え始める。さらに「そもそも嫌いな人に手を貸すはずがない」「やはり自分はこの人が好きなのか」と推論(もちろん無意識の推論)がすすむのだという。
そこで先般アイドルを刺したストーカーである。かれはアイドルが好きだから物を贈ったつもりだが、「物を贈ったから」自分はこの娘を好きに違いないと思い込んだ可能性が高いのである。しかもたびたび贈ったとなると、その固執はさらに深く潜行したことだろう。
ことほどさようにこの本は、「私」や「意識」を過信するわれわれをフッと冷静にさせる効果を持っている。よってストーカー諸君に熟読をすすめるわけだが、もしかしたら、未来の被害者から通報を受けるも手をこまねいているだけの警察官諸氏も「オマエのやってることは犯罪だぞ」と脅すだけでよしとするのではなく、みずからこれを味読し、ストーカーにもなんとか読ませる努力をしてはいかがか、と砂漠に水を撒くような儚い白昼夢をみたという、…、…
9Jun.2016
***
マスゾエ、マスゾエとかしましいこと! この国のメディアは、相手が100%クロと分かりきったことになるとなんでこんなに元気が出るのか不思議である。
そのエネルギーを、表向き真っ白だが、内に巨大な闇をかかえこむあの男に向けたらどうか…!
ほかにもパナマ文書という大鉱脈も発見された。孫、三木谷ら名前のあがった個人、法人はこぞって「なんら違法性はない」といって逃げ切ろうとしているが、そしてそのとおりかもしれないが、「疚しい点がないのならなぜ匿名の陰に隠れるのか、なぜ本名で会社をつくらないのか」ぐらいは追及したらどうか!?
聞けば、日本人が海外に保有する資産残高は世界一というではないか! これを掘り起こせば、それこそ世紀の大スクープである。
舛添のせこさには一都民として苦笑のかぎりだが、なぜか週休4日5日だった石原より腹が立たないのはなぜか? これも不思議。
***
つぎは清原くんへのおすすめである。
覚醒剤からの卒業は相当にむずかしいと聞くが、素人考えの無責任な処方を言わせてもらうなら、ひとつの依存症を脱するために、別の依存症に賭けてはどうかというもの。そう、いわゆるシャブ抜きにはロードバイクが最適、という話。
いまごろはもうジム通いを始めているかもしれないが、どんな設備の整ったジムでも、室内で汗をかきつづけるのはストレスが溜まるもの。同じ汗をかくにも、ロードバイクを駆って風をきる愉しさを覚えたら、それこそ「やみつき」になることうけあいである。
食事制限などもろもろの我慢をしなくても、2、3ヶ月乗っているだけで自然に脂肪や体重が落ちて、かれの場合現状が現状だけに見違えるようにスリムになるだろう。そう、甲子園で活躍した頃の体形にもどることだって不可能ではない。
平地で足りなければ、ヒルクライムにチャレンジしてもいい。
トライアスロンもいいのだが、三種目に割く時間のバランスをとるのにストレスを感じるかもしれず、なによりランが心配である。腰、膝、脚、足首に故障を生ずること必至である。
***
最後はストーカー諸君へのおすすめである。
ズバリ、池谷裕二『単純な脳、複雑な「私」』読書のすすめである。このブログで過去何度かそのタイトルのセンスの良さを書いてきた。
ひとは、自分の行動は100%「意識・心」がコントロールしていると思い込んでいる。そうではないと池谷はいう。脳や無意識がひとの行動を決定する場合が大部分であるという。たとえば、同じ長さのタテ線とヨコ線をTの字に組み合わせて見せると、ひとは必ず縦線が長いと答える。ものさしで測ったあとでも、この判断は変わらない。
ある意味これは脳のクセだが、ひとはこのクセの拘束性から意識的に脱することはできないのだ。錯視一般に言えることだが、したがってひとは事実(タテ線が長い)は見ているが真実(両線は同じ長さ)は見ていないのである。
次は無意識の話。池谷は高校生相手の講演なので、男女の機微について面白い話をする。
ふつう好きな人を振り向かせたいときには「プレゼントする」「つくす」という考えが浮かぶが、これは逆で、ほんとうは「プレゼントをもらい」「何かをしてもらう」のがいいという。なぜなら、
相手はやがて「なぜ自分は手伝っているのか」考え始める。さらに「そもそも嫌いな人に手を貸すはずがない」「やはり自分はこの人が好きなのか」と推論(もちろん無意識の推論)がすすむのだという。
そこで先般アイドルを刺したストーカーである。かれはアイドルが好きだから物を贈ったつもりだが、「物を贈ったから」自分はこの娘を好きに違いないと思い込んだ可能性が高いのである。しかもたびたび贈ったとなると、その固執はさらに深く潜行したことだろう。
ことほどさようにこの本は、「私」や「意識」を過信するわれわれをフッと冷静にさせる効果を持っている。よってストーカー諸君に熟読をすすめるわけだが、もしかしたら、未来の被害者から通報を受けるも手をこまねいているだけの警察官諸氏も「オマエのやってることは犯罪だぞ」と脅すだけでよしとするのではなく、みずからこれを味読し、ストーカーにもなんとか読ませる努力をしてはいかがか、と砂漠に水を撒くような儚い白昼夢をみたという、…、…
9Jun.2016
砂漠に水を撒く 三題
砂漠に水を撒くような「おすすめ」を三題:
***
マスゾエ、マスゾエとかしましいこと! この国のメディアは、相手が100%クロと分かりきったことになるとなんでこんなに元気が出るのか不思議である。
そのエネルギーを、表向き真っ白だが、内に巨大な闇をかかえこむあの男に向けたらどうか…!
ほかにもパナマ文書という大鉱脈も発見された。孫、三木谷ら名前のあがった個人、法人はこぞって「なんら違法性はない」といって逃げ切ろうとしているが、そしてそのとおりかもしれないが、「疚しい点がないのならなぜ匿名の陰に隠れるのか、なぜ本名で会社をつくらないのか」ぐらいは追及したらどうか!?
聞けば、日本人が海外に保有する資産残高は世界一というではないか! これを掘り起こせば、それこそ世紀の大スクープである。
舛添のせこさには一都民として苦笑のかぎりだが、なぜか週休4日5日だった石原より腹が立たないのはなぜか? これも不思議。
***
つぎは清原くんへのおすすめである。
覚醒剤からの卒業は相当にむずかしいと聞くが、素人考えの無責任な処方を言わせてもらうなら、ひとつの依存症を脱するために、別の依存症に賭けてはどうかというもの。そう、いわゆるシャブ抜きにはロードバイクが最適、という話。
いまごろはもうジム通いを始めているかもしれないが、どんな設備の整ったジムでも、室内で汗をかきつづけるのはストレスが溜まるもの。同じ汗をかくにも、ロードバイクを駆って風をきる愉しさを覚えたら、それこそ「やみつき」になることうけあいである。
食事制限などもろもろの我慢をしなくても、2、3ヶ月乗っているだけで自然に脂肪や体重が落ちて、かれの場合現状が現状だけに見違えるようにスリムになるだろう。そう、甲子園で活躍した頃の体形にもどることだって不可能ではない。
平地で足りなければ、ヒルクライムにチャレンジしてもいい。
トライアスロンもいいのだが、三種目に割く時間のバランスをとるのにストレスを感じるかもしれず、なによりランが心配である。腰、膝、脚、足首に故障を生ずること必至である。
***
最後はストーカー諸君へのおすすめである。
ズバリ、池谷裕二『単純な脳、複雑な「私」』読書のすすめである。このブログで過去何度かそのタイトルのセンスの良さを書いてきた。
ひとは、自分の行動は100%「意識・心」がコントロールしていると思い込んでいる。そうではないと池谷はいう。脳や無意識がひとの行動を決定する場合が大部分であるという。たとえば、同じ長さのタテ線とヨコ線をTの字に組み合わせて見せると、ひとは必ず縦線が長いと答える。ものさしで測ったあとでも、この判断は変わらない。
ある意味これは脳のクセだが、ひとはこのクセの拘束性から意識的に脱することはできないのだ。錯視一般に言えることだが、したがってひとは事実(タテ線が長い)は見ているが真実(両線は同じ長さ)は見ていないのである。
次は無意識の話。池谷は高校生相手の講演なので、男女の機微について面白い話をする。
ふつう好きな人を振り向かせたいときには「プレゼントする」「つくす」という考えが浮かぶが、これは逆で、ほんとうは「プレゼントをもらい」「何かをしてもらう」のがいいという。なぜなら、
相手はやがて「なぜ自分は手伝っているのか」考え始める。さらに「そもそも嫌いな人に手を貸すはずがない」「やはり自分はこの人が好きなのか」と推論(もちろん無意識の推論)がすすむのだという。
そこで先般アイドルを刺したストーカーである。かれはアイドルが好きだから物を贈ったつもりだが、「物を贈ったから」自分はこの娘を好きに違いないと思い込んだ可能性が高いのである。しかもたびたび贈ったとなると、その固執はさらに深く潜行したことだろう。
ことほどさようにこの本は、「私」や「意識」を過信するわれわれをフッと冷静にさせる効果を持っている。よってストーカー諸君に熟読をすすめるわけだが、もしかしたら、未来の被害者から通報を受けるも手をこまねいているだけの警察官諸氏も「オマエのやってることは犯罪だぞ」と脅すだけでよしとするのではなく、みずからこれを味読し、ストーカーにもなんとか読ませる努力をしてはいかがか、と砂漠に水を撒くような儚い白昼夢をみたという、…、…
9Jun.2016
***
マスゾエ、マスゾエとかしましいこと! この国のメディアは、相手が100%クロと分かりきったことになるとなんでこんなに元気が出るのか不思議である。
そのエネルギーを、表向き真っ白だが、内に巨大な闇をかかえこむあの男に向けたらどうか…!
ほかにもパナマ文書という大鉱脈も発見された。孫、三木谷ら名前のあがった個人、法人はこぞって「なんら違法性はない」といって逃げ切ろうとしているが、そしてそのとおりかもしれないが、「疚しい点がないのならなぜ匿名の陰に隠れるのか、なぜ本名で会社をつくらないのか」ぐらいは追及したらどうか!?
聞けば、日本人が海外に保有する資産残高は世界一というではないか! これを掘り起こせば、それこそ世紀の大スクープである。
舛添のせこさには一都民として苦笑のかぎりだが、なぜか週休4日5日だった石原より腹が立たないのはなぜか? これも不思議。
***
つぎは清原くんへのおすすめである。
覚醒剤からの卒業は相当にむずかしいと聞くが、素人考えの無責任な処方を言わせてもらうなら、ひとつの依存症を脱するために、別の依存症に賭けてはどうかというもの。そう、いわゆるシャブ抜きにはロードバイクが最適、という話。
いまごろはもうジム通いを始めているかもしれないが、どんな設備の整ったジムでも、室内で汗をかきつづけるのはストレスが溜まるもの。同じ汗をかくにも、ロードバイクを駆って風をきる愉しさを覚えたら、それこそ「やみつき」になることうけあいである。
食事制限などもろもろの我慢をしなくても、2、3ヶ月乗っているだけで自然に脂肪や体重が落ちて、かれの場合現状が現状だけに見違えるようにスリムになるだろう。そう、甲子園で活躍した頃の体形にもどることだって不可能ではない。
平地で足りなければ、ヒルクライムにチャレンジしてもいい。
トライアスロンもいいのだが、三種目に割く時間のバランスをとるのにストレスを感じるかもしれず、なによりランが心配である。腰、膝、脚、足首に故障を生ずること必至である。
***
最後はストーカー諸君へのおすすめである。
ズバリ、池谷裕二『単純な脳、複雑な「私」』読書のすすめである。このブログで過去何度かそのタイトルのセンスの良さを書いてきた。
ひとは、自分の行動は100%「意識・心」がコントロールしていると思い込んでいる。そうではないと池谷はいう。脳や無意識がひとの行動を決定する場合が大部分であるという。たとえば、同じ長さのタテ線とヨコ線をTの字に組み合わせて見せると、ひとは必ず縦線が長いと答える。ものさしで測ったあとでも、この判断は変わらない。
ある意味これは脳のクセだが、ひとはこのクセの拘束性から意識的に脱することはできないのだ。錯視一般に言えることだが、したがってひとは事実(タテ線が長い)は見ているが真実(両線は同じ長さ)は見ていないのである。
次は無意識の話。池谷は高校生相手の講演なので、男女の機微について面白い話をする。
ふつう好きな人を振り向かせたいときには「プレゼントする」「つくす」という考えが浮かぶが、これは逆で、ほんとうは「プレゼントをもらい」「何かをしてもらう」のがいいという。なぜなら、
相手はやがて「なぜ自分は手伝っているのか」考え始める。さらに「そもそも嫌いな人に手を貸すはずがない」「やはり自分はこの人が好きなのか」と推論(もちろん無意識の推論)がすすむのだという。
そこで先般アイドルを刺したストーカーである。かれはアイドルが好きだから物を贈ったつもりだが、「物を贈ったから」自分はこの娘を好きに違いないと思い込んだ可能性が高いのである。しかもたびたび贈ったとなると、その固執はさらに深く潜行したことだろう。
ことほどさようにこの本は、「私」や「意識」を過信するわれわれをフッと冷静にさせる効果を持っている。よってストーカー諸君に熟読をすすめるわけだが、もしかしたら、未来の被害者から通報を受けるも手をこまねいているだけの警察官諸氏も「オマエのやってることは犯罪だぞ」と脅すだけでよしとするのではなく、みずからこれを味読し、ストーカーにもなんとか読ませる努力をしてはいかがか、と砂漠に水を撒くような儚い白昼夢をみたという、…、…
9Jun.2016
June 06, 2016
アベという男
「興奮しやすく、攻撃的でナルシスト、富裕層と好戦的(bushiste)なアメリカにあこがれ、経済にも外交にも無能」。エマニュエル・トッドが著書の冒頭で当時のフランス大統領サルコジをこう評した。これに、「虚栄心と偏執性」を加えれば、われらがアベにもあてはまるのではないか。
トッドは少し先で「この大統領(を生んだこと)はフランスが病んでいる証拠である」と書いたが、大統領をアベ首相、フランスを日本に置き換えても違和感はない。
病気どころか、政治意識・歴史認識でゲスの極みの日本人は、この男の本当の怖ろしさを分かっていないのではないか。アベに対して肺腑をえぐるような罵詈雑言を浴びせる辺見は、しかし、この男を見くびるなと釘をさしている。
この男が首相になったとき、自分は大落胆しその理由をここで書いた。「やつはこの国が必要としていることをではなく、自分がしたいことをやろうとしている」と。もともと腰抜けのメディアに脅しをかけ、戦争法案を押し通し、脱原発はコミットしない。G7サミットからオバマ広島訪問、消費税増税再延期まで、いよいよその魂胆は腰がすわってきている。
「これは新しい判断です」(!!!)
こんなふざけた理屈が通るなら、結婚詐欺をはじめ、あらゆる詐欺は犯罪ではなくなる。
日本の将来のためにではなく、すべては次の選挙で勝つために! なんとならば改憲を実現したいから! この一念のためにはG7さえも利用する、アベのしたたかさをつゆ見くびってはならない。
再延期のためなら、閣議にも諮らず、財務省経産省も寝耳に水の、なかまと一夜漬けで捏造したペーパーをサミットに提出して世界経済のリーマン並み危機論をぶち上げる。ここからが大胆なところだが、各国首脳が「世界経済が危機にあるとは思わない」と公言しても、あの男は慌てない。国内の有権者をあっさり見下しているからである。
くだんのペーパーでは8箇所も、リーマン・ショックというタームを使っていながら、海外メディアが「リーマン並みの危機はおかしい」と非難しだすと、「自分はリーマン・ショックと『同じ』とは言っていない」と強弁する。
そのうちアメリカの新聞が「あれ(リーマン並み危機)はサミット向けというより、国内の有権者向けなんだろう」と筆を収める。あとは日本の有権者よ、あなたたちがアベのインチキを見破れるかどうか、とボールを預けられたのである。ゲスが試されている!
ここからはほぼ余談だが…
つんぼ桟敷に置かれた盟友麻生をはじめ財務省の高官たちのこと。これだけアベにバカにされて、おまえらは尻をまくらないのか、と言いたい。省益より国益をとの自負があるという財務省幹部たちは、役所を出てもシンクタンクに入るなり、いくらでも生きる道はあるではないか。
辺見がアベにつけてきたキラ星のようなニックネーム(最新はハナクソ)には遠く及ばないが、自分はアベと書くとき内心、アとベの間にカンを見てきた。ア・カン・ベ。劣等感を裏返しにしたあの男の傲慢さは、盟友、官僚、公明党、野党議員、有権者はおろか、今般、サミットの各国首脳に対しても密かにア・カン・ベをしていたことがわかる。
ナチのゲーリングの反主知主義をよく伝えることばがある。「おれは『文化』と聞くとすぐに銃に手がのびる」。ここまで過激ではないにしろ、アベの無教養・反知性の情念がにじみ出るのが、質問者を見下す蛇のような笑み。
かれの唯一の「教養」といえば、学生時代にあけくれたという麻雀から学んだ駆け引き、タクティクス、how-to、のみ。中身は「あの一点」を除けば空っぽでいいのだ。曰く「イチオクソウカツヤクシャカイ」、曰く「新しい判断であります」、etc.…。
若いころのアメリカ留学時、弁論術のクラスで覚えたのだろう、文章をやたらと区切って発語し、そのつど上半身を右に左に振ってみせるあの仕草。あの一見重厚そうに見える仕草で話されるその中身の空虚なこと。支持者たちは気づかないのか!? たんなる決まり文句の組み合わせ以上のなんであるか。優秀なプログラマーならアベ・ロボットをすぐにでも作れるだろう。
「アベノミクスを前進させるために」。内包が空っぽなうえに、外延までぼやけてしまったアベノミクスを有権者はいつまで真に受けつづけるつもりなのか…?
6Jun.2016
トッドは少し先で「この大統領(を生んだこと)はフランスが病んでいる証拠である」と書いたが、大統領をアベ首相、フランスを日本に置き換えても違和感はない。
病気どころか、政治意識・歴史認識でゲスの極みの日本人は、この男の本当の怖ろしさを分かっていないのではないか。アベに対して肺腑をえぐるような罵詈雑言を浴びせる辺見は、しかし、この男を見くびるなと釘をさしている。
この男が首相になったとき、自分は大落胆しその理由をここで書いた。「やつはこの国が必要としていることをではなく、自分がしたいことをやろうとしている」と。もともと腰抜けのメディアに脅しをかけ、戦争法案を押し通し、脱原発はコミットしない。G7サミットからオバマ広島訪問、消費税増税再延期まで、いよいよその魂胆は腰がすわってきている。
「これは新しい判断です」(!!!)
こんなふざけた理屈が通るなら、結婚詐欺をはじめ、あらゆる詐欺は犯罪ではなくなる。
日本の将来のためにではなく、すべては次の選挙で勝つために! なんとならば改憲を実現したいから! この一念のためにはG7さえも利用する、アベのしたたかさをつゆ見くびってはならない。
再延期のためなら、閣議にも諮らず、財務省経産省も寝耳に水の、なかまと一夜漬けで捏造したペーパーをサミットに提出して世界経済のリーマン並み危機論をぶち上げる。ここからが大胆なところだが、各国首脳が「世界経済が危機にあるとは思わない」と公言しても、あの男は慌てない。国内の有権者をあっさり見下しているからである。
くだんのペーパーでは8箇所も、リーマン・ショックというタームを使っていながら、海外メディアが「リーマン並みの危機はおかしい」と非難しだすと、「自分はリーマン・ショックと『同じ』とは言っていない」と強弁する。
そのうちアメリカの新聞が「あれ(リーマン並み危機)はサミット向けというより、国内の有権者向けなんだろう」と筆を収める。あとは日本の有権者よ、あなたたちがアベのインチキを見破れるかどうか、とボールを預けられたのである。ゲスが試されている!
ここからはほぼ余談だが…
つんぼ桟敷に置かれた盟友麻生をはじめ財務省の高官たちのこと。これだけアベにバカにされて、おまえらは尻をまくらないのか、と言いたい。省益より国益をとの自負があるという財務省幹部たちは、役所を出てもシンクタンクに入るなり、いくらでも生きる道はあるではないか。
辺見がアベにつけてきたキラ星のようなニックネーム(最新はハナクソ)には遠く及ばないが、自分はアベと書くとき内心、アとベの間にカンを見てきた。ア・カン・ベ。劣等感を裏返しにしたあの男の傲慢さは、盟友、官僚、公明党、野党議員、有権者はおろか、今般、サミットの各国首脳に対しても密かにア・カン・ベをしていたことがわかる。
ナチのゲーリングの反主知主義をよく伝えることばがある。「おれは『文化』と聞くとすぐに銃に手がのびる」。ここまで過激ではないにしろ、アベの無教養・反知性の情念がにじみ出るのが、質問者を見下す蛇のような笑み。
かれの唯一の「教養」といえば、学生時代にあけくれたという麻雀から学んだ駆け引き、タクティクス、how-to、のみ。中身は「あの一点」を除けば空っぽでいいのだ。曰く「イチオクソウカツヤクシャカイ」、曰く「新しい判断であります」、etc.…。
若いころのアメリカ留学時、弁論術のクラスで覚えたのだろう、文章をやたらと区切って発語し、そのつど上半身を右に左に振ってみせるあの仕草。あの一見重厚そうに見える仕草で話されるその中身の空虚なこと。支持者たちは気づかないのか!? たんなる決まり文句の組み合わせ以上のなんであるか。優秀なプログラマーならアベ・ロボットをすぐにでも作れるだろう。
「アベノミクスを前進させるために」。内包が空っぽなうえに、外延までぼやけてしまったアベノミクスを有権者はいつまで真に受けつづけるつもりなのか…?
6Jun.2016
June 05, 2016
塵のごとき…
もとより「風の前の塵」のごときブログ。同じことを何度書いても難じるひとはいまい。どころか、なにかのまちがいでこのブログをかすめて通る若者の目にいっときとまるかもしれない。
***
問:また陛下は、いわゆる戦争責任について、どのようにお考えになっておられますか
ヒロヒト:そういう言葉のアヤについては、私はそういう文学方面はあまり研究もしていないので、よくわかりませんからそういう問題についてはお答えできかねます
問:原子爆弾投下の事実を、陛下はどうかお受け止めになりましたのでしょうか
ヒロヒト:原子爆弾が投下されたことに対しては遺憾に思っていますが、こういう戦争中であることですから、どうも、広島市民に対しては気の毒であるが、やむをえないことと私は思っています
(1975.10.31のヒロヒト会見。ヒロヒトとは昭和天皇のことといった解説も必要か。補足がふたつ。ひとつ、やむをえないどころか、あなたが早い決断をしていれば、新型爆弾は投下されずに済んだ。ひとつ、原子爆弾を投下されたのは広島だけではなかった。)
***
こんな男に向かって国民は「一億総懺悔しよう」、「謝罪しよう」といったのが、敗戦処理内閣首班東久邇宮稔彦王!!!
やがてマッカーサーの「政治判断」によってヒロヒト免責の決断がなされ、あとはダンマリを決め込んだのが戦後日本だった。かくして、あたかも320万の死者はおろか、何事もなかったかのように「昭和」は続いてしまった。みずからの手によるもうひとつの「東京」裁判もありえただろうが、それは起こらず、後世に回復不能な禍根を残した。
もちろん戦争責任を負うべきはヒロヒトのみではないが、ほかを追及しだしたら、いずれ上御一人に及ぶという慮りがあったのだろうが、日本人が、なにがあろうと、たとえ国民が死に絶えようと、国土が焦土と化そうと、天皇制を維持すべきと思いなすこの強迫観念はどこからくるのか。
ちなみに、アキヒト・ミチコの善人ぶり(実際善人なのだろうが…)に対して、自分など痛々しさしか感じないが、多くの日本人は親しみを感じるらしい。かくして天皇個人への親しみと天皇制是非論をごっちゃにしてしまうのも日本人の病気である。
直接の従軍経験者が老いるとともに、戦後世代がふえるとともに、ヒロヒトはますます好々爺とされ、不可触の存在とされた。それでも前世紀まではTVでヒロヒトの戦争責任を公言する人がいたのである。今世紀、そんな御仁がいるか? 辺見庸をのぞき、寡聞にして自分はそんな声を聞いたおぼえがない。この国の言論空間の劣化矮小化はとめどがない。
TVで引っ張りだこの池上彰は大変な物知りだそうだが、厳しい言い方をすれば、かれの講話は要は上記不可触の一点を遠巻きにして駄弁を弄しているだけ。だれでも、その気さえあれば、ググり倒せばえられる情報ばかり。池上がこうなら、愚鈍な宮根、羽鳥、恵、平松あたりは論ずるにも足らない。かれらと真のジャーナリストとの差は、ちゃんとした歴史哲学をもっているかどうかなのだ。
自分は世界に類のない日本の文化を愛し、リスペクトしているが、こと戦後の政治意識・歴史認識に限っては、ゲスの極みと断じている。こんなことを書けば、ネトウヨは「反日」だ「即刻国を出て行け」だのとわめくだろうが、自分が出て行ったところで、この国がゲスである事実は毫も変わるまい。
320万の死者は、こんなふやけた戦後、ゲスな戦後のために死んでいったのだろうか!!?
と、つぶやいているうちに、モンスター・アベが現れ、この国を戦前に転轍しようとしてる。それが成った日には、万事休す、戦後日本人は死者たちを二重の意味で裏切ったことになるのだが、わかっているのだろうか?
アベの怖ろしさについては、稿を改めて。
5Jun.2016
***
問:また陛下は、いわゆる戦争責任について、どのようにお考えになっておられますか
ヒロヒト:そういう言葉のアヤについては、私はそういう文学方面はあまり研究もしていないので、よくわかりませんからそういう問題についてはお答えできかねます
問:原子爆弾投下の事実を、陛下はどうかお受け止めになりましたのでしょうか
ヒロヒト:原子爆弾が投下されたことに対しては遺憾に思っていますが、こういう戦争中であることですから、どうも、広島市民に対しては気の毒であるが、やむをえないことと私は思っています
(1975.10.31のヒロヒト会見。ヒロヒトとは昭和天皇のことといった解説も必要か。補足がふたつ。ひとつ、やむをえないどころか、あなたが早い決断をしていれば、新型爆弾は投下されずに済んだ。ひとつ、原子爆弾を投下されたのは広島だけではなかった。)
***
こんな男に向かって国民は「一億総懺悔しよう」、「謝罪しよう」といったのが、敗戦処理内閣首班東久邇宮稔彦王!!!
やがてマッカーサーの「政治判断」によってヒロヒト免責の決断がなされ、あとはダンマリを決め込んだのが戦後日本だった。かくして、あたかも320万の死者はおろか、何事もなかったかのように「昭和」は続いてしまった。みずからの手によるもうひとつの「東京」裁判もありえただろうが、それは起こらず、後世に回復不能な禍根を残した。
もちろん戦争責任を負うべきはヒロヒトのみではないが、ほかを追及しだしたら、いずれ上御一人に及ぶという慮りがあったのだろうが、日本人が、なにがあろうと、たとえ国民が死に絶えようと、国土が焦土と化そうと、天皇制を維持すべきと思いなすこの強迫観念はどこからくるのか。
ちなみに、アキヒト・ミチコの善人ぶり(実際善人なのだろうが…)に対して、自分など痛々しさしか感じないが、多くの日本人は親しみを感じるらしい。かくして天皇個人への親しみと天皇制是非論をごっちゃにしてしまうのも日本人の病気である。
直接の従軍経験者が老いるとともに、戦後世代がふえるとともに、ヒロヒトはますます好々爺とされ、不可触の存在とされた。それでも前世紀まではTVでヒロヒトの戦争責任を公言する人がいたのである。今世紀、そんな御仁がいるか? 辺見庸をのぞき、寡聞にして自分はそんな声を聞いたおぼえがない。この国の言論空間の劣化矮小化はとめどがない。
TVで引っ張りだこの池上彰は大変な物知りだそうだが、厳しい言い方をすれば、かれの講話は要は上記不可触の一点を遠巻きにして駄弁を弄しているだけ。だれでも、その気さえあれば、ググり倒せばえられる情報ばかり。池上がこうなら、愚鈍な宮根、羽鳥、恵、平松あたりは論ずるにも足らない。かれらと真のジャーナリストとの差は、ちゃんとした歴史哲学をもっているかどうかなのだ。
自分は世界に類のない日本の文化を愛し、リスペクトしているが、こと戦後の政治意識・歴史認識に限っては、ゲスの極みと断じている。こんなことを書けば、ネトウヨは「反日」だ「即刻国を出て行け」だのとわめくだろうが、自分が出て行ったところで、この国がゲスである事実は毫も変わるまい。
320万の死者は、こんなふやけた戦後、ゲスな戦後のために死んでいったのだろうか!!?
と、つぶやいているうちに、モンスター・アベが現れ、この国を戦前に転轍しようとしてる。それが成った日には、万事休す、戦後日本人は死者たちを二重の意味で裏切ったことになるのだが、わかっているのだろうか?
アベの怖ろしさについては、稿を改めて。
5Jun.2016