December 2016

December 30, 2016

子供だまし

とりまきの役人たちの作文を思わせぶりに読み上げるあの男のドヤ顔、しなれないハグ、… あれをさぞ快挙でもあるかのように垂れ流すメディア。

あの程度の作文なら、ちょっと気の利いたお行儀のいい中学生でも書ける。まして、検定という名の墨塗り教科書で洗脳された中学生ならなおさら…

しかし、そんな中学生でも、ここ二三日耳タコで聞かされた「和解の力」には「アレッ?」と首をかしげたのではないか。

世界広しといえど、日米関係ほどベタベタの二国間関係はあるまい。それがたとえご主人と飼い犬の関係であるにしろ、こんなに仲の良い二国が今さら何の和解かと!!!??? 随分と安直な「力」ではある。

相手が中国・韓国との「和解」なら、それこそ和解の力を誇って異論はない。あの男の口から「和解の力」が発せられるといかにも空々しいのは、対中韓どころか、沖縄県民とさえ和解できていないという事実。


日本の首相がわざわざ真珠湾を訪れて語るべきメッセージはただひとつ。「われわれ日本人は、真珠湾攻撃を裁可した者の責任をみずからの手で追及し処罰しました」である。さらに勇気があるなら付け加えてもよい。「あなた達が主導した東京裁判は不当でしたが…」と。

戦後71年、前者を確信犯的にサボタージュした日本人および日本の為政者が、どのツラ下げて真珠湾に赴くのか、と問われている。

そこへ手ぶらで出かけていくあの男の無神経と蛮勇はみあげたものだが、空疎な官製作文を芝居っ気たっぷりに読み上げるシーンはまさに噴飯物であった。まっとうな人間としての羞恥心もないのか。


おりしも、稲田防衛相が靖国を参拝。「国のために命を捧げた人びとを弔う気持ちはだれからも理解されると信じている」と。とんでもない!!!

いろいろあるが、ひとつだけ実にシンプルな反論がある。「国のために命を捧げた人びと」は一枚岩ではなかった。あの戦争を仕組み動員をかけた者と、いやいやながらに動員された者。兵をしごき倒し、イビリ殺した者とされた兵がいた。聖戦とほざいたやつらとやってはいけない侵略戦だと見抜いていた者、…

それを「人びと」ということばで一括できると思っている単細胞能天気女。こんな空虚な右翼女に、対外的エクスキューズのための駆けつけ警護をやらされる自衛隊員がかわいそうでならない。

あくまでも仮定の話だが、万一隊員に犠牲者が出たとき、あの女がどんな態度を見せるのか見ものである。そして世界を前に「不戦」を誓ったあの男の態度も。
30Dec.2016



live_on1 at 15:30政治・歴史 

December 23, 2016

政治家の人相

不穏を承知で言うが、「アレッポを忘れるな」と叫んでロシア大使を撃ったトルコの若い警官にシンパシーを感じる。狂人アサドと組んでシリアを焦土と化し、市民を大量虐殺するプーチン。政敵やジャーナリストの暗殺を厭わないプーチン。そんな男が「テロは許さない」と発言する倒錯。

オバマ、メルケルのそばでは借りてきた猫然としたアベは、プーチン王、そしてトランプ社長とは気が合うらしい。それが証拠に、アベのドヤ顔はトランプ、プーチンと並ぶといっそう無邪気にほころぶ。その肩にはアサドや金正恩とおぼしき背後霊がチラ見えする。

われながら不思議だが、自分はなぜこんなにもアベに嫌悪感をもつのか? 説明できることは今までにもしてきたし、まだまだいくらでも列挙できるが、理屈より何より、あの顔に蛇蝎のような嫌悪を感じるのである。

四十になったら人は顔に責任があると言ったのはリンカーンだったが、しかり、顔には否応なく、覆いがたくその人の本質が出る。

ロシアの大使を狙撃したトルコ人警官。珍しく狙撃の瞬間を撮影されたかれの美しい顔、純粋な目。あれを見ると、かれを極悪人のように非難するプーチン、エルドアンの顔と比べて、どちらが人間として上等か、明らかである。


そんなプーチンに、北方領土返還という幻想にとりつかれたアベは下品なニヤけ顔で擦り寄る。幻想を追っかけるあまり、つまりは金玉を握られているために、お人好しにも3000億円くれてやり、アサド支援・シリア爆撃にもクリミヤ併合にも原則的NOの立場を貫けず、腰砕け…

アメリカ人三億のなかに、ヒラリー、トランプ以上の人材がいないとはにわかに信じがたいが、ふりかえって、日本人一億のなかにアベを超える、せめて対抗する、人材が出てこないのも不思議なことである。
23Dec.2016




live_on1 at 15:04エッセイ 

December 12, 2016

受賞者ではなく授賞者が問題

ボブ・ディランはちっとも悪くない。むしろ被害者である。スウェーデン・アカデミーの特異なクセ(既述)、気まぐれの犠牲者である。

この授賞について、BS1はイギリスでの公開討論会の様子を報じていた。pro & con 双方とも大学教授をたてての本格的なもの。

聞いていると、議論が「ディランの業績はノーベル文学賞にふさわしいかどうか」から、「歌詞は文学か」というマージナルな方向へとずれていくのが分かる。あげくは、「歌手が受賞して何が悪い」と贔屓の引き倒しのようなファン心理が、自分もファンのひとりだが、透けて見える。

pro の議論にとって致命的なのは、百歩譲って「歌詞も文学である」を受け入れたとして、ではだれもが異論のない文学の本流に歌手ディランよりふさわしい文学者がいなかったかという設問に返す言葉がないことだろう。

ディランの授賞式欠席は至当の選択であり、その賢明さにあらためて感じ入った。


前にここで、ノーベル文学賞は賞金を分割してでも受賞者を三人にしてはどうかと「提言(?)」した。今回のディランへの授賞という逸脱は、それが三人中のひとりだったら、おとなの分別で看過できたのではないか。
12Dec.2016




live_on1 at 10:43エッセイ句・歌・詩 

December 08, 2016

「吉岡聖恵 ポートレイト」

気になりつつも、当然なんの接点もなく来てしまったが、先日BSプレミアムの特番を見つけ、録画して観た。アーティストというより、つい同い年の娘を持つ親として観てしまうが、よくもまああれだけまっすぐに育ったものだと感心する。

いきものがかり=吉岡の声、といっても言い過ぎではないが、忘れてならないのは天才水野良樹の歌詞と楽曲である。かれの詞かれのメロディーを得て、吉岡の声が生きていると改めて感じた。

ライブに来ていた年配のファンが、かれらの音楽を「新しいけれど懐かしい」と評していたが、けだし至言である。

名曲「SAKURA」を、サビ以外の歌詞も見ながら聴いたが、サビに至るまでの歌詞とメロディがまた絶妙と感じた。むかし有名な作詞家が、歌をひとの心に印象づける力は、メロディー9、歌詞1だよと言っていたのを思い出すが、水野の場合は6:4ぐらいの比率まで来ているのではないか。

いまどきの歌には、聞いているこっちがしらけたり気恥ずかしくなるような奇矯な言葉遣いが多いが、水野のそれにはない。さらにメロディラインが日本語の抑揚によくなじんでいて、歌詞にアクロバットをさせていないのがいい。もうひとりの天才ミスチルの桜井でさえ、メロディー優先のあまり、その悪習から自由ではない。

番組の後半、水野が吉岡に「ひとりでステージに立つ意思はないか」と問い、かつ誘導していたが、こちらの勝手な希望は、松任谷由実の初期、つまりは荒井由実時代の楽曲をカバーしてくれること。

松任谷由実は優れたソングライターだが、シンガーというには声が悪すぎると書いたことがある。彼女の名曲が吉岡の美声を得たなら、それはそれは素敵な化学反応が起きるのではないか。


最後に、なくもがなの蛇足;

かれらに対する唯一の不満はグループ名である。「いきものがかり」よりセンスのいいネーミングはいくらでもあったはず。同感する人は多いと思うが、「いきものがかり」を「いきものがたり」と言いまちがえそうになる。いっそ「◯◯ものがたり」ではどうか…? 

とばっちりは「ケツメイシ」。かれらの楽曲も年寄りの琴線に触れるが、このグループ名もチトいただけない。

さらに飛躍するが、都内の、とりわけ新興ラーメン屋の屋号の奇抜さよ!!! 競争が激しくて、屋号だけでも目立ちたいのだろうが、インパクトが強すぎて、味がどうこう以前に、入る気を萎えさせるものが多い。津波被害から立ち直り復活した気仙沼の「かもめ食堂」など、じつに素朴ないい名前で、隔てる距離もなんのその、一度は訪れてみたい気にさせる。
8Dec.2016

live_on1 at 16:27TV 

December 05, 2016

須原一秀のテーゼ

二、三日前、ある音楽プロデューサの訃報に接した。全く知らなかった人だが、なんでも自転車から落車して頭を打ち、以来2年2ヶ月寝たきりで直近は植物状態だったらしい。痛ましかったのは、生前本人が「呼吸しているだけの状態になったら喉の管を外してほしい」と意思表示していたにもかかわらず、それが守られなかったこと。

まるでそれを美談でもあるかのように得々とフェイスブックにあげる不実の妻。死者の前では(元)妻も第三者も対等、との前提で書かせてもらうが、最悪の裏切り行為である。


それにつけても、須原一秀のテーゼは頂門の一針であり、厳しい現実である。曰く、

「いざというとき、医療関係者はもちろん、親族・配偶者も信ずるに足らない。いな、自分自身でさえ信ずることができない」。

須原がすごいのは、「ゆえに、…」といって従容と自死したこと。
5Dec.2016

live_on1 at 22:27エッセイ 

December 02, 2016

見たくないもの

アベの顔
森喜朗の老醜
売った株の上げ上げ
内容空疎な報道番組、コメンテータのアホヅラ

…、そして最近は

医者の顔、健診結果


66歳の誕生日前日、成人健診を受けた。心電図に異変があるという。波形を見せられ、喋々と説明されるが、よく分からない微妙な凹み。まじめそうな若先生は「これを見逃してなるものか」といったドヤ顔。

しかし、こっちは週に2回から4回ロードバイクに乗り、30kmから50km走る阿呆である。距離は驚くほどでもないが、坂中心のコースである。インナーの坂(斜度8-12%)三つを5本、アウターの坂(斜度4-6%)を8本こなしている。心拍センサーを装着しウォッチしていると、自分の天井が170前後ということも分かっている。

上には上がいることは承知だが、66歳で心拍数を170近くまで上げる運動をする御仁がそう多いとは思えない。それで別に息苦しさやその他の異変を感じたこともない。富士山五合目にはこの一年チャリで3回登った。その心臓が「ふつう」だったら、逆におかしいだろ、と言いたい。

若先生は、体中に端子をぶら下げてランニングマシンに乗る検査を勧めたが、妥協して(今後の付き合いもあることだし…)エコー検査を受けることに。

成人健診は自己負担500円でも、そのあとにこんなのがくっつくと、またまた出費が嵩む。それでなくても降圧剤や、その他私的に求める薬代が積み重なる。貧窮老人にとって医薬費が一番のリスクと思い知る。

つぎの健診受診はなしにしようと今は考えている。
2Dec.2016

live_on1 at 10:38エッセイ 
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