May 2019

May 29, 2019

上田秋成 末期のことば

前稿で紹介したように、秋成は孤高の批評眼をもち、歯に衣着せぬ物言いの男だった。そんな男の末期のことばは、山田風太郎によれば、

 ああ天は何すれど我を生みしか

であったと。『雨月物語』をものした男にしてこれである。「お国のために生きた」などと勘違いして勲章「命」のスノッブ連中の対極にある自己卑下。

そんな秋成は、前年末に亡くなった蕪村の訃報に接して句を詠む。

 かな書の詩人西せり東風吹て

厳しい批評家の故人にたいする無言のリスペクトが感じられて、蕪村ファンとしてこの上なくうれしい。

***

現代のアンチスノッブ辺見庸の『月』を読んでいたら、蝶を一頭二頭と数える場面が出てきてびっくり。調べると、なるほどこれが正しい数え方らしい。

だが、これを豆知識として子供たちに教えようとして、ふと安西冬衛の短詩を思い出していた。

 てふてふが一匹韃靼海峡を渡って行った

一匹二匹も誤用とまでは言いきれないらしい。
29May2019

live_on1 at 10:31政治・歴史 

May 27, 2019

アンチスノッブ 上田秋成

戦後保守政治を延々とささえているこの国の空気をスノビズムといってきた。スノビズムとはなにか? その特性リストもあげてきたが、ここではアンチの典型をあげてみる。

『雨月物語』の上田秋成である。晩年には江戸時代のブログ『胆大小心録』をものしている。なかでもっとも痛烈かつ痛快な断案をひとつ。

どこの國でも其國のたましひが國の臭氣なり」と喝破し、「やまと心のなんのかのうろんな事」をと一蹴している。国学も宣長もなんのその、けちょんけちょんである。

後醍醐天皇の鎌倉幕府転覆の企てが露見し、北条方が京から内情を知るとおぼしき公家を下させ糾問する。「あからさまに申されよ」と問われて、くだんの公家は、

 おもひきやわが敷島の道ならで浮世のことをとはるべしとは

と答えると、感極まって北条は赦免して返してしまう。

公家も公家なら、北条も北条。これをとがめられない北条など「家亡ぶべきものよ」とやる。

同じとき、千早責めの大将らことごとく召し取られて六条河原で首を刎ねられたなかにある下っ端武士がいて、かれが詠んだ辞世。

 皆人の世にある時は数ならでうきにはもれぬわが身なりけり

「実に涙落つることわり也」と書く。絶妙な対比と批評眼ではないか。これがいまのメディアに欠落しているものである。上田の洞察は『私は貝になりたい』の遠い先駆である。

森友学園問題で財務省の出先の役人が自殺したが、上の下級武士の再現である。しかも事が悪化しているのは、辞世にあたる遺書さえも公開されないこと。一方で、現代のお公家さんは浮世のことに我関せずとばかり、下卑た笑いを顔に浮かべて、人格破綻のご主人様にベッタリ付き添い、相撲観戦だゴルフだと得意顔。犬以下である。
27May2019



live_on1 at 11:44政治・歴史 

May 06, 2019

コトは元号にとどまらず

320万人の死者、焦土と化した国土。それでもなお、しれっと続いてしまった昭和。でも続いたのはテンノーヒロヒト、テンノー制、元号だけではなかった。

大虐殺の後、南京征圧を祝う式典で翻った日の丸も、そこで厳かに斉唱された君が代も、まるでなにごともなかったかのように国旗国歌として存続し、やがて法制化されてしまった。

こうしたなしくずし(ツギツギトナリユクイキホイ)を追認してきた国民がいくら「過ちは二度と繰り返しません」と唱えても、それでほんとうに反省したことになるか!?

同じ枢軸国、敗戦国であるドイツが、戦後もナチの鉤十字旗を国旗とし、第三帝国何年と年代を数え続けたとしたら、かれらの反省は国際社会で信じてもらえただろうか? 問われれば、スノッブ日本人も「それはおかしい」と言上げしたのではなかろうか。みずからを棚に上げ…

では戦後の国際社会はなぜそんな日本を認めてきたのか? それは、一方で当時の地政学的状況、他方でアメリカの赤化恐怖症=共産主義フォビアからくるプラグマティズムの産物だった。大戦直後ほぼ唯一の大国だったアメリカに盾つける国はどこにもなかった。アメリカは日本を赤化の波の防波堤にしたかった。

ゼネスト中止命令、ヒロヒト免責などのGHQ方針転換に狂喜した石化脳こそが、日本の戦後を牛耳った自民党スノビズム政権である。かれらは新憲法や日本の再出発を国民とともに喜んだのではない。国体護持をこそ喜んだのである。(国体といって、春秋の運動会のことではないぞ、といまの若者には解説がいるか……?)

そんなアメリカに歴代スノッブ政権が頭が上がらないのは当然。日米安保締結、朝鮮戦争・ヴェトナム戦争支援、沖縄の提供、からアベのトランプ「ノーベル平和賞推薦」まで、日本の首相は米大統領の犬であり、よって日本=アメリカの植民地状態もが続いているのである。

それにしても、日本の教育現場で行われている国歌起立斉唱強制のこと。文科省・教育委員会の行政指導・実力行使は、自国の歴史を知らない痴呆どもが、歴史を踏まえて忌避する良心を蹂躙しているのである。ブリューゲルやボッシュが描いた痴愚乱舞の図そのままである。嗚呼!
6May2019

live_on1 at 14:55政治・歴史 

May 04, 2019

成れの果て

日本の文化の特徴は様式(化)である。型、形といってもよい。英語なら、style、mode、form、あたりか。和歌、俳句、歌舞伎、能、… あげく、茶の飲み方(茶道)、花の生け方(華道)にまで「道」をつける。どころか、「道」のなかに、わけの分からない差異をもうけて「〇〇流」「〇〇家」をたてて家元制度をつくる。世界に類がないのではなかろうか。

様式そのものはニュートラルな概念だが、スノッブたる日本人の弱点は、内容内実内包を忘れて形に入れあげること。ほとんど病の域である。だから儀式という儀式が大好きである。大喪の礼から入学式、開会式、さまざまの行事まで、式を式として成立させることが内容に優先する。神社に参るのでも、ここは二礼二拍、あちらは二礼四拍とかしましい。自分など形式に囚われているうちに祈りの内実を忘れてしまい、自嘲するばかり。

反動として、型にはまらない(はまれない)者を異化し排除する。いじめやひきこもりの、唯一ではないが有力な原因ではなかろうか。

元号もそうした型偏重のひとつである。時代を、出来事の識別を、生身の人間の寿命にリンクして呼称し記録するという異形の形式。

(ここからは、ここで何度か触れたが、何度でも繰り返し書く価値があると思うので…)

世界が記憶し記録するHiroshima、Nagasakiはあくまでも1945年であって、昭和20年ではない。Fukushimaは2011年である。平成23年ではない。元号を使う者らはこれらの世界史的意義を取りこぼし続けるだろう。

1945年8月、日本は破滅の淵に、いな破滅そのものだった。そんな国家にとって極限の凶事がまるでなかったかのように、たまたまテンノーヒロヒトが生き延びたために、昭和という元号を続けてしまった! 昭和どころか、元号制度そのものを廃止して当然だったのにである。こんなシンプルなことを、この国の報道メディアはなぜこの機会にとりあげないのか? ごく少数であれ、こうした反対論があることをなぜ取り上げないのか? (ネットでは芸人タモリやカズレーザーの「よいしょ発言」を気の利いたコメントとしてもてはやしているが、噴飯物である。日本人の歴史(とくに現代史)認識はかくまで幼稚化痴呆化してしまった)

いくら形式偏愛とはいえ、戦前戦後を昭和という単一の呼称で括って平然としている日本人は、本当に反省したと言えるのか!?

金銭問題を別にすれば、韓国に指摘されるまでもなく(テンノーが謝ってすむ話でもない)、日本人は本当には反省していない。

スノッブ日本人が支える自民党的スノビズム政治の成れの果てである。
4May2019

live_on1 at 11:25政治・歴史 

May 02, 2019

避難所 BSプレミアム

TVアディクトを自認する爺もNHKの地上波はほとんど視ない。かみさんが大河朝ドラブラタモリでお世話になってるから泣く泣く受信料は払っているが、そしてNHKに対してどんなに不満があろうが、BSプレミアムとBS1があるから許せる気がする。

とくにここ数日の元号改定バカ騒ぎから避難しようと思ったら、BS1のスポーツ中継かBSプレミアムしかなく、なかでも後者の「ネコ歩き」には随分お世話になった。ネコがいつになく賢く見えたこと!

まさにBSプレミアムさまさまである。

ほかには、「こころ旅」「新日本風土記」「コズミックフロント」等々。
2May2019

live_on1 at 10:14TV 
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