August 15, 2019

気象予報の精度向上とは…?

台風10号はようやく(?)きょう上陸するらしい。不謹慎かもしれないが、とうに通り過ぎたかと思っていた。

釈明代わりに内実をさぐれば、ニュースバラエティはスカスカニュースと長すぎるスカスカ時間の埋め草に天気予報を使いまわす。台風10号など、1週間前からいまにも上陸到来かのような騒ぎぶり。ある種のオオカミ少年的な観を呈し、いざ到来というときには聞き疲れて情報不感症に陥っている。

こうした饒舌と情報過多が、スーパーコンピュータを駆使する昨今の気象予報の弊害のひとつである。

さらには、予報が事実追認に陥っていること。

例にもれず自分もスマホに気象情報アプリを入れて「活用(?)」しているが、30分はおろか15分前に見た予報がもう変わっている。となると、一週間前、もしくは二日前に見た明日の予報が変わっているのはザラで、こちらも馴れきって、というか諦めているふしがある。

朝みると終日雨マーク。傘を持って出かけると、刻々と雨マークは後退していき、結局は1ミリも降らなかったというのも珍しくない。???

気象予報会社が精度向上を誇るのは、追いついた現時点、今のいまだけを取り出せば、まったくその通りで間違いはない。しかしわれわれが天気予報に期待するのはそんなことだろうか?

イベント主催者にとって晴れ予報が当日雨に変わるのはまだ許せる。参加者も諦める。逆が大変である雨予報で中止を決めたところ当日は快晴だったは地獄である。しかし気象予報会社はどちらの場合も、空を見上げて「どうです5分前の弊社の予報と比べてください。ドンピシャでしょ」という。

究極的事実追認の思想である。

プロ野球のシーズン開幕前に評論家に順位予想をさせる企画がある。誰も信じていない罪のない企画だが、仮に予想者に予想の毎日更新を許可したとする。するとシーズン最終試合前には全評論家の予想は一致し、現実とも整合するだろう。

これをもってスーパーコンピュータとオヤジたちの直感は同等であるとしたら、はたして言いすぎか?

中学生のころ聞いたある考古学者の逸話を思い出す。ある少壮の学者が土器表面の曲率からパターンを見つけて作成年代を特定しようとし、詳細に微分的に曲率を測った。するとその測定方法が精緻すぎたのか、測定結果の数値があばれてパターンを抽出できなかったというのである。

われわれが気象予報に求めているのは、微分的精緻さではなく、大まかでもいいからブレのないパターンなのではないか。
15Aug.2019

live_on1 at 11:07エッセイ | TV 
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