Dairin-Park

酒や愛や友情が一番大切だということを忘れない為のblogです。 気をぬくと形容詞がサラリーマンになっちゃいそうな現実にたちむかうんだ俺! blogでたちむかうってところが今っぽい。だめっぽい。

2008/07/29

「太陽と海の教室」がおもしろい。
おだゆうじがピカーッっと光って、やる気になる感じが
JUMPで育った身としてはたまらない。
分かりやすいのが、良い。
ドラマは分かりやすくて良い。

しかし分かりやすがってばっかりもいられない。
じーっと見てるとなにやらちゃんとしたことも言ってる。
キムタクが総理のあれとかも、たまにちゃんとしたこと言ってた。
たまに良いこと言うし、しかも分かりやすい。

思うに、ドラマをつくってるのは今の時代を生きてる大人であり、
ドラマにメッセージ性があるとすれば、
今の時代を受けてのメッセージなわけだから、
ちゃんとしているのは当たり前で、しかもそれを分かりやすくしてる。
高校生やらにもきっと分かりやすいはず。

今の世の中、いろいろと問題いっぱいなわけだが、
最近の若いもんは、それを見て育ってきたわけで、
「その問題を同じように抱えながら僕も生きていきたいです。」
なんて絶対に思わない。
当然、前時代のおっさんどもの問題を克服するか、避けるかして
生きようとするのだと思う。

だから「最近の若いもん」は自分たち世代とは違う生き物だとしても、
時代的に、自分たちおっさん世代の
なんやかんやを知った上でそうなっているのである。
これは、本当におもしろい!と思う。

時は流れない。それは、積み重なる。

名コピーだと思うけど、ほんとにそうだ。
あのちゃらんぽらんに見える若者どもは、
何も考えていないように見えて、実に何も考えていないのだとしても、
しかし、俺らおっさんたちの時代を確実に受けているのだということ。
人間を世代で分けるなら、俺らと若いもんとの世代は純粋に分かれているのでなく、
俺ら世代は、何らかのかたちで若いもんの世代に足されているはずなのである。

神様の壮大な実験のようにも思える。
足したことのないものを、常に足し続けている感じ。
それが、歴史だ!
また歴史の話かよ。
いや、歴史と言うとむしろ薄っぺらい。

なんだろう。たとえば水面があったとして、
自分だけが泳ぐ道がある。
自分が泳いだ波紋の中を、後から泳ぐ人はどう泳ぐのか、あるいは泳がないのか。
それを見続けることのできるのは自分だけで、
それを見続けることのできるのは、たかだか寿命100年。

まったくうまくまとまらないけど、
やっぱり波紋をたてた方がおもしろい。

何億年続く歴史の中で、たった一つしかない
自分の波紋がつくる光景が見られる、
自分だけの100年だからだ、きっと。

2008/04/14

歴史は良い!

とても良い!

思ったことを書きたい放題のこのブログも、
ネタが無くなりすぎて、
とうとう歴史の話に行きついてしまいました。

どうしようもなく歴史が好きな僕は
歴史を知ることの意義を考え続けてきましたが、
終わってしまったことを知るだけの歴史というものが、
何の役に立つのかと、その昔は頭を働かせてその疑問をいだきつつ、
当時はなーんにも答えはなかった。

歴史は何のために学ぶのか。

老いながら酔いながらの今の答え。

それは、歴史を学ぶことは未来を学ぶこと、だと思う。

なぜなら、歴史は寓話や伝説などではなく、
まぎれもなく人間がつくってきた物語だということ。
現代に生きる私たちが、その時代に生きていたならば
同じようになぞらえていたかもしれない、
実に人間くさい人間の物語だと考えるからである。

歴史の中の人たちと、現代の私たちとは、同じ人間である、
昔の人はバカで、現代の私たちは賢い、ということでは決してない。
バカな時代は、現代の私たちから見ると、時代がバカなのであって、
それぞれの時代には、賢い人もいてバカな人もいた。
さらに言うと、時代がバカだというのも
現代の尺度ではかってこそバカだと思えるだけだから、だと思うので。

それぞれの時代で、その時代の賢明な人たちは、
必死にその時代の答えを出そうとした、
バカな時代にバカな答えを出してしまったかもしれない、
が、確かにその時代ゆえの答えを出した。

これまでの歴史の中に、絶対に正しいと言える概念はあったか。

たとえば私たちの歴史は、
社会主義という思想が失敗したという歴史を持っている。
社会主義は、人間のひとつの理想かもしれない。
格差、競争なく、誰もが平等な生活をおくれるという理想。
資本主義に対抗しうるこの思想は、
怠惰と独裁という人間が原始的に持っている悪質によって失敗した。

資本主義に変わるべき考え方は?
という問いがあるとして。
仮に、社会主義が失敗したという歴史が無かったなら、
世界は、迷わず社会主義だと叫んだのだと思う。
資本主義の対極に位置するものは、社会主義しかないように思えるから。
ただ、不幸なことに社会主義は歴史において敗北している。

では、これからの世界に資本主義以外の道は無いか。

現代の私たちの進むべき道を、歴史に倣うだけならばそうなる。

しかし幸い、歴史は、次に歩むべき正しい道筋など示してはいない。

歴史に学ぶべきことは、ただ一つ。

「いまこの瞬間も歴史の途中、と知れ。」だと思う。

歴史という偉大な先生は、
「これまでの人間の道のりを鑑みて、その答えを出してみなさい。」
などとは決して言ってない。

そう考えるのは、現代こそが歴史のゴールだと錯覚する現代人のおごりである。

歴史が教えているのはこうだと思う。
「これまでの人間の道のりをつくってきたのは人間であり、
 お前らもそれらの人間と同じ人間にすぎない。」
さらに、だからこそ
「必死で未来を考え、つくれ。」
と言ってるんだと思う。

「人は、決して過去から学ぶことによって賢くはならない。
 ただただ、未来の責任によって賢くなるのである。」

あえて言うと、
「資本主義に変わる世界は、未来において絶対に存在する。」

この言葉を聞いた人は、どう考えるだろうか。


ない。

ある。

あると言うのなら、どんな世界なのか言ってみろ。


どうしようもないように思える問い、
その答えに、
どうしようもならない人間性があらわれる。

このどうしようもない問いに、
はっきりと答えは出せずとも、だがそれでももやもやと、

「ある」

と言い続けられる人だけが、次の時代をつくる、

と歴史は教えているんだと思う。

2008/03/14

KYという言葉がきらい。
ひいては、空気を読むという言葉がきらい。
空気を読むことは思考停止につながると
持論として考えてることがあるが、
さらに、空気を読む=他人との共通観念を信じすぎる、
という懸念があるが、どうだろう。
そう仮説したらばの話です。

仕事をはじめて、他人との意識の違いが顕著にあらわれるようになった。
小学校、中学校、高校、大学と、
自分の過ごす環境はたえず変わっていき、
まわりのみんなもそうなのだけど、
それで意識の違いがうまれるのは当然のこと。
同時に、互いの共通観念が薄くなっていく。

空気を読む、という概念が当然のようにまかりとおるのは中学、高校生、大学生、という若い世代。
これらの若い年代は言い換えれば、
自分と他人との共通観念を信じている年代ではないか。
空気を読まなくなるとすれば、その共通観念を重視しなくなったということかもしれない。

漫画、寄生獣の中で、
人間には、個体とさらにもう一つ、人間全体の巨大な脳がある。
と言ってた。
巨大な脳とは、ときに宗教であり義理人情であり、空気である。
空気を読めとは、それに従え、ということだと思えてならないのでとても嫌い。
人と人が分かり合うために、共通観念というめんどくさいものを通さないといけないのか。そうでもないはずである。

提案。
人と人はそうたやすく分かり合えない、という前提に立つとどうだろうか。
環境が違い、人間性が違い、目標が違うのに、簡単に分かり合えるなどと思うな、と思うとする。

そんなこと言ったら悲しいばかりなので、さらなる前提として、
真に分かり合える人はいる、というゴールを持つことだと思う。

人は、共有観念をこそ求める。とは養老孟子さんの言葉だけど、
それは決して自分を他人に合わせることではないと思う。

大事なことは、自分が共有したいことは何か、
何を共有できれば、自分は幸せを感じられるかを知ること。
自分を知るとは、そういうことだと思う。
現状把握のみにとどまらず、おのずと自分の指針を決めるにつながること。
これは空気読んでるうちは発見できない気がする。

人の個性が、考え方は、環境に依存する。
人との関係すらも?
環境とは?
環境とは、ルールだ。
じゃあ、関係とルール、どっちが大切かよ。

わがままを言って良いじゃないか。
ルールは関係ない。
ルールを越えろと。

わがままを言わないから、ルールの中にしかいれない。

ファーストクエスチョンは、「私のわがままって、何ですか?」です。
このくだらない問いを、無視しないことが大事だと思う。

2008/01/04

あけましておめでとー。

今年もよろしくー。

20071203

暇な人はぜひやってください。

http://free.milkypal.net/f-bbs/BB-2/usr/adamtoeve/

2007/11/18

去年の今頃をふりかえると、とても悩み多き日々だったように思える。
いつも仕事やめたいって思ってたし、その先の望みもなかった。
それに比べると、今はなにもかもうまくいってると思う。
ラクだ。
こんなときこそ気をつけないといけないんじゃないか。
今の状況は、去年に比べるとラク、ただそれだけだから。
1年後から見たら、10年後から見たら、30年後から見たら、今はどうだ?
それでも今がラク。そんな今が幸せ、で良いわけない。
ふりかえると、今はまだ苦難の時期。
その方が良いんじゃないか。
若いうちは苦労した方が良いと、人は言うが、
苦労している若いうちには、なんのこっちゃ意味が分からない。
けど、去年の今頃から一年経った今ですら、去年苦労してて良かったと思う。
あれに比べれば、今はラク。ある程度はどうとでもなると思える。
過去にどうにもならない問題があったことがあると、
あるていどの問題なら、解決できるような気がする、らしい。
理不尽とも思えるつらいことも、振りかえると、あって良かったことになる。
そうなので、若いうちには苦労した方が良いと、人は言う。
若いうちはなにも分かってないし、何もできないから、
とりあえず苦労しろとのことだ。
じゃあ、そんなことを言う若くない人は、明日に向かって何をするのか。
それが問題だ。
振り返って公式をつくるのはらくちんだけど、その公式で明日を解けるかどうか。
現実的に考えると、その公式で明日を解くことはできるが、なかなか使えない。
公式は、理不尽に飛び込め、と言っており、
わざわざ理不尽を見つけ出して飛び込むやつは一般的にはバカとされる。
理不尽に自分から飛び込んでいけ!とりあえずもまれろ!というのは極論だと思う。
ただ、そう考えると、
自分のしたいことをする人生、というのもやはり極論なんだろう。
現実的には、自分のしたいことをしたいから、理不尽にも耐える。理不尽にも学ぶ。
この辺だと思う。
ラクなのは、まわりに理不尽がないからと思うとする。
なにもかも把握できている気がするのはとんでもない間違いで、
把握なんかできてるわけがない。
自分の価値観をこわしてくれるのも理不尽で、
天井をこわしてくれるのも理不尽。
やっぱり理不尽ていうのは怖いけど、
なんだか、理不尽っていうのを、する方もされる方も、
恐れすぎるのも良くない気がする。

2007/09/17

人生唯一の海外旅行は高校の修学旅行、オーストラリア。
肉ばっかり食べて、帰国後はじめてしたうんこはみどり色、衝撃だった。衝撃だったのは海外そのものがそうだった。
海外ってすげえ、オレの心は二度と日本人にもどるまい、本気でそう考えて両親を見下したりもしたが、長くは続かず、今はもうこのとおり、ド日本人。両親には感謝しています。
けどあのときは本当に心地よかった。外国人の心を持つ日本人になれると思っていた。いや、なろうと思えたらなれたのかもしれないが、諦めた。まわりはみんな日本人だし。根がとてもじゃぱんだし。
こういう気持ちには、映画を見たり漫画に熱中したりするとたまになります。
自分でいながら自分以上の心持ちになれると言うか、なんか自由になる。
たぶん、心が自由になる。
人の気持ちがよく分かったりする。分かろうとしたりする。やさしくなったりする。良いことだ。
たぶん、心はいくらでも自由になれるのだ。
けど、体はなれない。
だって、今すぐ宇宙行くの無理だし、5歳くらい若返るのも無理だし、空飛べないし。つまるところ、体は自由になれない。だから、その気になればなんでもできるっていうのは、嘘だ。
しかし、自由を求めるときに人は、体の自由をこそ求める。
なぜかというと、心の自由なんかとっくに持ってるから、求める必要がない。
しかし、ほんとうにそうだろうか。
多くの人があまりに自覚していないのは、むしろ、自分の心は自由ではないということではないかと。
分かりきったことだが、心は自由になり得る。けど、分かりきっているだけに、今、自分の心は自由だと勘違いしてはいないかと。
心の自由を得ることは思った以上に難しいことだと、自覚する必要があるのではないかと思った。
体の自由と心の自由は、鶏と卵だ。どっちが先かということではないが、どっちかが先に在る。体の自由は心に影響するし、逆もある。心だけ、完全に自由というのは難しい。
僕にとって、真に心の自由な人は、芸術家だ。ときに体や状況がその自由についていってなくて、まわりから認められなかったりもするけど、少なくとも心が自由だから、そんな物的状況におさまらない。大変だ。
心が自由なのには才能がいる。普通は、心が体に合わす。体や環境にあわせて心ができあがっていく。残念だけど、普通はそう。
僕ら凡人は、工夫をしないといけない。外国に行くとか宇宙に行くとか、映画見るとか、読書するとか、飲みすぎてみるとか。脈絡のないことをしてみるのが、自由に近い。○○をしてれば間違いないということじゃない気がする。と言うのは、惰性がいちばん良くない。心を動かしてなんぼだもの。
とは言え、心が自由かどうかなんて、はかることすら自分ではできない。
ただ、たまに気づく。今、自由になった!って。
その音に耳をすますことだ。
こんな時代、いろんな生き方があっていい。
ただ、心が、それに単純に影響されるのはくやしいじゃないか。
生き方はなかなか自由にはできないが、心まで持ってかれるのは、ぜったいに損だ。
飛行機やらインターネットやらが簡単に使える今は、知りすぎるほど知れる時代だ。
だからこそ、心はもっと自由にできる、するべきだ。
影響されるだけだとしたら、カタチはどうあれ、本質的にはとても前時代的だ。

2007/08/07

ジョジョに出てくるディオというひと。
やたらと名言を残したがる人でしたが、ぶっちゃけあんまりよく分からない。
ながらも、微妙に分かる言葉も、ちらほら。
人は、安心を手に入れるためにうんぬん、とかいうエンヤ婆とのくだり。
それは、そうかもと思う。酔いながら。
安心は良い。安心なんて、したくてしたくて。
安心するために、いろんなものがほしいので。
おれが持ってないモノがほしくて、
自分よりもステキな自分がほしくて、
そういうのが手に入るとほっとする。安心する。
けど、それでずっと安心というわけには、なかなかいかず。
不安はまたすぐに見つけ、見つかり、そんで、しっかり不安になる。
俺なんかは、ほしいものがいっぱいあって、
とうぶん安心と不安のくりかえしなんだろうけども、
じゃあ、もしもその先の先へいきついちゃったら、どうなるんでしょう。
高校生のころは彼女ができればと思ってたし、大学生のころは仕事につければと思ってたし、今は仕事が認められればと思っている。
けどそんな風に、いつまでも先の先があるもんだろうか。
なんもかんもを手に入れてしまったと思ってしまった人は、これ以上ほしいものがないと思ってしまった人は、なにで安心すれば良いか。
つまり、永遠の安心なんてもんはついには手に入れることができない、そう感じてしまった人は?
普通の人は、きっとそんなとこに行きつかない気がする。
けど、もしも行きついちゃったら、それこそきっと、孤独。
思うに、不安と安心という二項を端とする尺度を、幸せの軸と考えるなら、
幸せは結果ではなく、過程ではないか。
何かを手に入れつづけることに、よろこびを感じるということ。
それなら、手に入れるという出来事が多いほうが良い。
俺ってサイコー!ではなくて、俺ってサイコー!にまた近づいた!だ。
それが多い方がいい。
最善ではなく、改善。
ときに省みることは、今の自分に安心しようと努めてる自分がいる。
今の自分で良いんだと、思いこもうとしてる自分。
意外と思いこめるけど、やっぱり限界があります。
でなく、改善をこそよろこびと考えてはどうか。
改善した後の、一瞬の安心を幸せと感じてはどうか。
安心してない自分に、可能性を見出してはどうか。

2007/07/27

仕事をはじめて、しょっぱくなった自分を自覚することは多々ありながら、
かつ、得るものもそこそこにあったと思います。
意外なことに、脳みそん中での冒険は昔と変わらず楽しい。
ただその方向が変わったのか、しかたが変わったのか。
社会ってやつは、考えるべきことではなく、考え方を教えてくれた。
くやしいけれど、有用なものは多い。
それはたとえば、尺度。
尺度という概念を、意識できているかできていないかは、大きい。
たとえば、オレはかわいい子が好きですが、それはそういう尺度。
かわいいかどうかが尺度なら、
そのものさしと交差するように、他の尺度が通ってる。
かしこさだったりおもしろさだったりエロさだったり、尺度の数は無限大。
ここで、次元という概念を使ってみる。
次元が違う、というのは言いえて妙で、レベルが違うという意味ではない。
意味にしてまさに次元が違う。
具体的に言うと、尺度が違う。切り口が違う、とも言える。
人と人とのコミュニケーションの難しさの多くが、この次元というか尺度の違いだ。
1年生のときにまったく理解できなかったこと、理解したくもなかったことが、
2年生、3年生にもなると、それが正義だと言えるほどに身に染みてる。
あまつさえ、それを1年生に強要したりすらする。
それを、年くって「分かってきた」と表現するのは安易で、
むしろ、自分がその尺度にはまってきたと考えるべきでは。
成長するとか、大人になるとかということが、
自分の尺度が、別の尺度に変わっちゃうことだとしたら、しょぼい。
そうでなく、尺度が一つ一つ増えることだとしたら、かっこいいじゃないか。
と、こういう風に視野の広さが重要だ、というのも一つの尺度だったりするんだね。
だからこの尺度ってやつは、むずかしくておもしろくて、一つの考え方足りうる。
じゃあ、それの上位概念は?
たとえば、プライオリティ。
尺度に優先順位をつけること。
大人だね。
大人かどうかも、一つの尺度か?
やっぱり冒険は終わらない。楽しい。
だから、考えるのはおもしろい。
窮して迷い、満ちて迷わず。
それは当然で、だからこそ、
迷うこと、考えることは人間の本能だ。
だから本当は気持ちいいことだ。
じゃあ、それに酒を加えると?
またなぞが一つ。

2007/07/05

好きな図形はなんですか?
オレは三角形が好きです。最近、好きになりました。
あんなものやあんな人やあんなことまで三角形なので、
自分は三角形が好きなんだということに気がついた。
まぁ、こじつけなんだけど、ひとまず三角形が好きだということにします。
で、三角形が好きな俺ってどうよ?と考えてみると、
なんだかガキっぽい気がした。漠然と。
これはイメージだけど、
丸が好きな人は結構ふつうっぽくて、
四角形が好きな人は結構大人で、
ひし形が好きな人はアグレッシブな人で、
台形が好きな人はオレには理解できない人。
ところで、個人的には、四角形をまったく美しいと思わない。
けど、四角形を美しいという人は、いっぱいいる気がする。
正方形だとか黄金率だとか、BだとかAだとか、アナログ放送だとか地デジだとか、
四角形の中でも派閥が分かれるほどな気がする。
オレは三角形が好きだけど、四角形を好きな人のほうが、分かってる感がある。
こんなもん個人の自由なんだけど、言ってしまうと、
四角形を好きな人のほうが、レベルが高い気がする。
どーん。
そんなわけで、四角形が好きな人に劣等感を感じはじめた。今日。
くやしいので酒を飲む。
やってられるかてな感じで。
図形で酒が飲めるオレ。
ふふ。
というか図形を言い訳に飲めるオレ。
へへ。
明日も仕事だ。
ははは。

2006/06/14

仕事のない夜がない。
おうちに帰っても、考えないといけないことはいつでもあって、
しかも、考えれば考えるほど良いときている。
理屈で言うと、仕事から完全に開放される時間なんてない。
だって脳みそ使わなかった時間に、もしかしたら、
もっとおもしろいことを考えられたかもしれない。理屈だけど。

救いは、しめきりがあること。仕事が終わるときは、ちゃんと来る。
そう考えると、程度の差はあれサラリーマンは楽だ。
時間が来ると、その仕事は終わるんだから。

反して、自分だけのフリーな夢を持ってる人は大変だ。
叶えることを前提に夢っちゅーもんがあるなら、
夢ってのは、人生規模の仕事ではないか。
たとえば、漫画家になるのがその人の夢なら、
その仕事は、漫画家になれるか、あるいは死ぬまで終わらない。
帰っても仕事があるどころじゃない。
それこそ理屈で言うと、その人は一生寝れない。仕事が終わってないんだから。
これは、苦しい。夢を追う人は苦しい。
へたすりゃ死ぬまで終わらない仕事が、目の前にわんさとつまれてる。無理。
それに耐えられる人には、やっぱりがんばってほしい。
夢を追うってだけで、すごいことだ。

一方、夢を仕事と考えるとおもしろいのは、夢を持ちながら追わない人の話。
追わない夢は、ここちよい。
さも、他の仕事が本職のおまけのように思えて楽になるし、
本職にあるべきはずの山のような仕事がない。これは楽。
仕事って、意外と達成することより、
せかせかとこなしてることの方が楽しかったりする。
きわめて本末転倒だが、実際ある。
追わない夢って、そういうことかも。
そりゃ気持ちいいよ。
長期的な視点をお持ちの、マスターベーションだ。
気楽に人に見せられるものではない。

夢を持つこと自体が、むずかしいと言われる、今日この頃。
相対的に、夢を持っているってだけで、それが美化されるとしたら、
そんな安易な話はない。
持つなら追え。
夢とか恋とかが持つキラキラは、苦しい道のりをこえるためのファーストギアだ。
ずっと一速でいかれると、周りとしては、やかましいことこの上ない。
いつか美しく走ると思えるから、許せる。

と考えると、夢と株式会社と有限会社とをたとえてみたらおもしろそう。
筆頭株主は、お母さん。

2007/05/07

京都行ってきました。
男ばかりのむさい旅。
グダグダと刺激の入り混じった、グダグダな旅だったけど、
結果オーライ?思ったより楽しかったよね?ね。
しょっぱなから、突発性難聴という恐ろしげな病気に出鼻をくじかれ、
それでも開き直って串かつ片手にしこたま飲み、
朝までポーカー、ラーメン。
にんにくの香りに囲まれ眠る。初日で既に大分しんどい。
二日目。関西人、福岡人、東京人、台湾人、りょーへーと集まっての飲み。
関西弁と博多弁と英語とリョーヘー弁が入り乱れるカオスな飲み会。
最初はどうなることかと思ったけど、
妙にテンションはあがり、ちょっと学生キブン。
結果オーライ。またやりましょう。
三日目は一人、下鴨神社、銀閣寺(入り口)。
鴨川の川辺では、若者が歌を歌っていたり、学生がバーベキューをしていたり、
おっさんが犬の散歩していたり。
京都という町が、生活ににじみ出ていた。
京都人が京都を体現してくれていた。人を見るのも、楽しい。
夜は京料理、湯葉に麩、酒。京都っぽい。
酒の器をその都度変えてくれるなど、京都人らしい心遣いがあり、
それでいていやみもなく、柄にも無い上品な時間を過ごせた。
が、上品さは後半あきらめた。ちなみに「おいでやす」にはやはり違和感アリ。
それよりなにより、夜の祇園!
暗くて低い!良い!
残念ながら舞妓さんとかは一人も見られなかった。
今度はカランコロン鳴らして歩きたい。
で、鴨川飲み。
数メートルおきに並ぶカップルたちに遠慮などせず、
むしろ敵意すら漂わせつつ、男八人で飲む。
↓こんな感じ。
○● ○● ○● ●●●●●●●● ○● ○● ○● ○●  
わざわざ外で飲むのは気持ち良い。学生時代を思い出す。
酒屋のおっちゃんのすすめてくれた日本酒二本。川に合うぜ。
この日の夜は長かった。
旅館では4時まで佐々木とごちゃごちゃわけの分からない話。
またやっちまいました。あいつも俺も、大分うっとうしいな。相変わらず。
最終日は、禅。
観光者向けにゆるくなってるんだろうけど、大分しんどかった。
五分かそこらで、頭おかしくなるかと思う。和尚さんも怖い。
なにも考えないということがこんなに大変なことだとは。痛いほうが楽だった。
ちなみに和尚さんは、例に漏れず阪神ファンらしい。

最悪な体調の中で、しかし妙にテンションが上がりっぱなしだったのは
京都の力か。男八人のむささのせいか。
旅のあいだに見かけた広告のコピー
「日本に、京都があってよかった。」
ほんまや。
仕事とかしんどいこといっぱい。
うんざりしたら、また京都行こう。
今度は花札で。

2007/04/26

GWひまな人、京都行こうぜ〜。

2007/04/17

昨今、胡散臭い言葉ってたくさんある。
宗教、権力、お金、女。
どれもこれも何かの意味をあらわすただの言葉。
ややこしいイメージがくっついてしまった、ただの言葉だ。
言葉ってのはそんなもんだと思うけど、イメージより意味が大事。
とか言いながら、とても胡散臭い言葉の話。
ザ・「運命」。
でた。実に胡散臭い。
信じてますけどね、運命。
今までの人生は、少なくとも運命だと思っています。
漫画か何かで「今の自分が幸せだと思えるならば、
これまでの選択はすべて正解だと言える。」と言っていた。
はーなるほど。
やたらと意味づけをしたがる、血液型大好きなO型の俺は
しっくり府におちるわけです。ゴール=幸せだから。
というか、これまでの選択以外の選択をした場合の自分の人生なんか
想像できないっつーの、が本音のところ。
そんな想像力あるんなら未来に使え、これが今夜の本題。やっと本題。
たとえば、過去のちっちゃな出来事たちが、たくさんある。
その点と点とを結んで、線をつくる。
その線でもって、これが私の運命です、人生ですと思う。思え得る。
ヘの字だったりVの字だったりMの字だったり、
本当はきっともっと複雑だけど、わざわざ複雑につなげて一つの線にしたりする。
そして、今までの人生が線だからこれからの人生も線だと思ってしまう。
これが問題。
素直に考えると今までの人生、つまり線のかたちをした何かの上に、これからの未来は無い。
点は事実で、線は意味づけでしかないから、未来の事実は線上には必ずしも無い。
なのに、考えるとき未来はいつも線上。
これがまさしく想像力の是非だと思う。
線外の点を想像しよう。
漫画で腐るほど聞いた言葉だけど、やはり、運命は過去の言葉だ。だ!
未来を線で考えることは、当然未来への制約を生みますが、
それ以上に、ラク。制約はラクだ。
新しい点を見つけるのは大変。自由には自由の大変がある。
だけど、点を見つけて点をつくれたら、それをつなぐのは簡単。
想像力っていうのは、この「点」をつくるためにあるのだと思うのです。
例の「沈黙の艦隊」っていう漫画で、最もすばらしい一言は、「独立せよ」。
国家からの独立だけでは当然なくて、過去から現在から、思い込みから、気性から、時代から、環境から、独立せよ!だ。だ!
かっこいいなぁ。
わざわざ変なことしなくても良く、流されるのでなく、合わせれば良い、折り合が大事なら。
夢を語るときに、今の状況を理由にしては絶対にいけない。
他人がつくる制約と、自分がつくる制約は、まったく違うものです。
それは、運命という言葉をあてがうにははるかに安すぎる。
そんなに安い判断をするには、この先数十年は重すぎるし長すぎる。
と言う俺は酒を一人で飲んでいます。
安くて旨いパック酒。

2007/04/05

言葉の力ってすごい。
こんな仕事をしているせいか言葉について考えることはあるんだけど、仕事に限らずそれはそうだと思う。
ちかごろ思った。

福岡を出て、マジちゃきいという言葉を使わなくなったが、マジちゃきい人が周りにいないかというと、そんなことはない。
あんなに福岡にはいっぱいいたのに、大阪にいないということはない。
マジちゃきいという言葉をつかわないからこそ、マジちゃきい人がいないのかもしれない。

思うに、きもちってやつは言葉に吸着する。
ぼんやりと自分の中にあるきもちが、言葉にすることでかたちになって定着する。
親や友達、本、ドラマ、映画から覚えた言葉たち。
その数ははかりしれないが、やはり限りがある。
自分が感じているきもちをあらわす言葉は、必ずしも自分の中にはない。
だとしても、吸い付く。
その言葉が、きもちを完全には表現できていないとしても、言葉の引力にきもちがもってかれる。

言葉は人と人とで共有できることに意味があるから、その数に限りがあることは当たり前です。
けど、自分のきもちをそれにあわせちゃって良いのかと。
思春期のころは自分のきもちをどうにも表現できなくて、それはそれは、もがいた。
なんかよくわからない、もやもやした矛盾の中にいる感じ。
きっつい、けど、すばらしいことだと思います。
つまり、人とはちがうきもちを自分は感じているという前提がある。
そこらへんに落ちてる借りてきた言葉では、このきもちは表せないなどと思っている。
すばらしい。
けどそこで、このきもちがてめえらに分かってたまるか、では違う。
伝えたいからもがく。残したいからもがく。もがけ。
言葉にしないと、今感じてるこのきもちはいつかもやーっと消えるでしょう。
別に良いけどもったいない。
せっかくだから、もがいてもがいて言葉にしようじゃないかと。
思い出すのはやっぱり言葉。
そして目指すものも、自分の言葉であるべきだと思います。
言葉に使われず、言葉を使う。
当たり前のことだけど、なかなかどうして難しい。
一生つづくことだから、難しいくらいが良いよね。

こういうこと考えるのが好き。
ためになるかどうかは謎ですが、それをこそ考える。
ためになるかどうかは、短期的か長期的かの問題。
そして短期的には、酒がうまい、で良い。

2007/03/18

ちょっと良いことがありました。
ちょっと前向きになれる良いこと。
やっぱりいつまでも同じとこにいちゃいけないもんね。
ちょこちょこと変わることあり、変わらないことあり。
とてもかっこよく変わっていきつつ、けどなんか変わらないよね〜な人がいい。
変わるべきか、どう変わるべきか、それを自分で選ぶということ。
その判断が、変わらないその人であるということです。
とか言いながら、変わることがまず大変なので、状況はそれ以前ですが。
男25、まだまだだー。
のんびり立派になっていきましょう。
少しずつ少しずつ、方向を確認することだけ、忘れずにですね。

2007/03/15

久しぶりに電車で帰宅、きもちいー、けどさみしー。
帰ってもなーんもすることなし。仕事とくらべて、プライベートのきれいなこときれいなこと。大変すっきりしている。多少ややこしいくらいが、仕事も私生活も楽しいのかな、などと無責任なセリフ。それはそれで大変か。
今週、久しぶりにトーキョー行ってきました。
配属以来の全体研修で、同期が全員あつまりなんだかみんなかっこよくなっていた。入社当時とはちがって、だまってても出るオーラなのやらなになのやら?やっぱりみんな頑張ってるみたい。なんか良いね。
同期ってやっぱり大事。時間といっしょにつみかさなる共有観念みたいなものがある。それを共有できていると自覚できるような、いい感じ。入社して一年、大変なことはいっぱいあったけども、会社のことを好きになるのはこれからなのかもしれん。一緒に歩く人がいるのは良いことだ。
半年前ではとても出なかった考え。昔の俺が分かってないってことは、今の俺も分かってない。ではなにを基準に次の自分をえらびましょう。気分でも理屈でもない?じゃぁなるようになる?だとあまりにおもしろくない。この基準がおもしろい人は、きっとおもしろい人だ、と思う。

2007/02/24

こんばんは。
今日も一人で楽しく飲んでいます。
楽しいです。
嘘じゃないです。
それは良いとしてこの時期、仕事や卒論、受験勉強など、
一つのことにかまけて他のことに手がつかない。
なーんてことありますよね。
酒についても例外ではありません。
忙しいからと言って、飲むことをついおろそかにしていませんか?
もちろんそれでは良くありません。
たとえば仕事を早めにきりあげて飲むという選択肢もあるけども、
そうするとなんだかモヤモヤした気持ちで飲むはめになる。
じっさい飲んだら仕事のことなんか忘れるわけだけど、
やっぱり翌朝、ゲンジツが待っている。
彼のオハヨウは、お母さんのそれよりもはるかに不快で痛い。
オハヨウは今日一日を期待させる希望の言葉ではなかったか。
とーんでもない。絶望絶望。
絶望は苦しいので、仕事を完全に終わらせて、飲む。
たとえば残業が朝七時になっても、飲む。
友達が3時間くらい待っていようと、待たせて、飲む。
酒と仕事の両立、これしかないです。
ここ一週間で飲んだみんなにごめんなさい。
だけど、これしかないんです。
ちょうど一年前に、このblogをつけた夜、
酒と仕事の両立と称して飲みながら卒論をしましたが、
実際、それ無茶ですわ。酒も仕事もちゃんとこなしましょう。
酒と睡眠と仕事と趣味。
このうち二つ選べと言われたら、どれを選びますか?
どれを選ぼうと勝手ですが、選ぶこと、これが大事。
酒と、あと何を選ぶかという話ですね。
全部やれたら良いですね。それが理想だ。
そいうことで、少なくとも仕事と酒を両立すると決めました。
睡眠を捨てりゃいいので。
けど捨てすぎには注意。人生を捨てることになります。
というわけで、仕事を終わらしてお酒を飲むことが大事です。
実は、当たり前のことを言っています。
しかし、正直言うと一番の酒の肴は「不安」。
そんでそれからの「逃避」。
これは実際ある。
仕事をせずに飲む酒は、うまいにはうまいです。
そこで、酒と仕事どっちを選ぶかという問いがあるとすれば、
それにはまだ答えられません。
その問いはまた一年後に。

2007/02/17

うぃ〜。酔ってるぜ〜。
今日は19時まで寝てたぜ。
なにもしない一日だったぜ。
仕事もしないし遊びもしない。
終わってるぜ〜。
そういえば、今日はいろんな人と電話をしました。
話す人話す人、楽しそうに飲んでやがって、
しまいにゃ、母の飲み会話まで聞かされる始末。
やりきれないので、俺も飲みました。
一人はさみしいので、
デスクトップのラフくんと飲んだぜ。
フジテレビのラフくんです。
ラフくんはなにも言ってくれません
俺もあいつも無口なので
さみしさがまぎらわないよと思っていたところ、
時計のめざましくんが今日の占いをしてくれました。
「bad。
場の空気が読めずアタフタ。
冗談を言っても余計に空回り。
控えめな態度で過ごして正解。」
だれとも会わないのに、場の空気もくそもあるかー。けっ。
しかし、ある意味控えめな態度で正解?
なんだかムナしくなってきたぜ。
最近、生命保険に入りまして、その勢いで
いろんな人を保険に誘っちゃった今日でもありましたが、
誘われた人、お忙しいところスマヌかった。
とは言いながら、興味あったら言ってください。
結構良いと思うよー。良いニイチャンですし。
以上。
健康第一。

2007/01/23

ひさしぶりの夜帰り。
会社の喫煙所に3連泊して身も心もすさみきり、
癒しを求めて帰った家が、また汚ない。
さる教授がおっしゃっていた意外と泥臭い仕事って
こういうことでしょうか。そうですか。
三日も住むとなんだか職場が好きになります。
夜になると俺の時間、みたいな気持ち。
さみし気持ちいい。
なんだか学祭っぽい。
大してなにするわけじゃないんだけど、
なんだか頑張ってる気になってたような、
ある意味ほんとに頑張っていたような。
懐かしくって涙が出てきたぜ。
今日の白波はすっぱいぜ。
そうそう、最近日本酒が甘すぎる気がして、
また焼酎に戻ってきました。
芋回帰線。
なるほど〜こういう意味でしたか。
じゃぁ、これはどうかな。
本妻、芋。
言ってること一緒じゃん、なぞってるだけじゃん、
という彼の言葉が聞こえてきそうですねそうですね。
最近、仕事が苦し気持ちいいです。
相変わらずだめだめですが、
頑張ってると自覚することが大事なのかもね。
運良く結果出ても、自信なんか持てないんです。
一生懸命やることやって、なにかを手にしたあなた。
おめでとう。
あんたはえらい!
そして頑張ってない自分に苦しんでるあなた。
おめでとう。
とても人間くさい良いにおい。
それをこえて先に行ければ、
もっとおめでとう。
いよいよ人間くさくて魅力的だと思います。
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