かなり昔(10年前)に書いた文章であるが、私が大好きなアピニストの最後の演奏会について書いた文章をアップします。(2007年のステレオサウンド誌にかいた文章です。)

最後の演奏会      

バックハウスとリパッティ

           金子 学

 

自由業である音楽家は、基本的には、「定年」はない。死ぬまで演奏活動を行うことができる。

しかし、声楽家や管・弦楽器奏者などの、肉体を楽器とする人々はおのずから、ある程度の年齢となると「引退」のときがやってくる。けれど、引退はしても、その後の人生を長く送った演奏家は数多い。たとえば、昨年亡くなった、シュワルツコップは、引退後20年以上も、各地で講演会等を開いていた。

一方、指揮者やピアニストはその性格上、文字通り、「死ぬまで」演奏活動を続けた人が多い。

今日は、バックハウスとリパッティが残した、彼らの生涯「最後の演奏会」のLPを久しぶりに聴いてみた。

 

ケルンテンの夏・バックハウス

「鍵盤の獅子」ウィルヘルム・バックハウス(18841969)は、数少ないベートーヴェンの直系の弟子に当たる。彼のベートーヴェン解釈は、最もベートーヴェンに近いとされ、彼のレパートリーの中でも、中心的な位置を占める。彼がDECCAに残した、ベートーヴェンのピアノ協奏曲とピアノソナタの全曲録音は、現在でも、クラシックファン、ピアニストにとって模範的な演奏とされ、聞き継がれている。

そんな彼の、「最後の演奏会」は1969年の628日にやってきた。彼は、現在の「ケルンテンの夏音楽祭」(オーストリア)の前身となるオシアッハの修道院教会(シュティフト・キルヘ)の再建記念コンサートに迎えられた。ここで、彼は、626日と28日にリサイタルを開いたのであった。

626日の一回目のコンサートは、無事終了した。悲劇は、二日目の28日に訪れることになる。

彼は、得意のベートーヴェンのピアノソナタ第18番の第3楽章を演奏中に、心臓発作を起こしてしまうのである。彼は、「少し、休ませてください!」と言い残して、第四楽章を弾くことなく、ステージからそのまま、控え室に戻ることになる。医師団は、「これ以上、演奏を続けてはならない!」と忠告したが、それを退け、残りのプログラムを変更し、何とかコンサートを弾き終えたが、そのまま病院に担ぎ込まれた。その七日後に、彼は、この世を去ってしまった。

この二日間の演奏会は、DECCAの手により録音されている(アルバム・タイトルは“Sein Letztes Konzert”「最後の演奏会」)。

このLPには、彼自身の「少し、休ませてください!」の肉声も入っており、ドキュメントとしても貴重なものである。

演奏は、技術的な傷は少々見受けられるが、バックハウスの晩年の、青空を思い起こさせる澄み切った境地と生命感を味わうことができる、すばらしい録音である(なぜか、このLPは、日本とドイツのみで、DECCAの本拠地イギリスではリリースされていない)。

実際のLPは、

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http://www.lpshop-b-platte.com/SHOP/280846.html

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「ブザンソン告別演奏会」・リパッティ

前項のバックハウスは、コンサート最中に、「まもなく自分は死ぬのではないか?」とは考えていなかったに違いない。しかし、ディヌ・リパッティ(19171950)の場合は別だ。

20代にしてわずらった、「悪性リンパ腫」は次第に、そして確実に彼を蝕み、33歳の1950年頃には、すでに、末期症状に達していた。

この年の9月、彼は、フランス領、スイス国境近くのブザンソンでの国際フェスティバルのリサイタルに招かれた。

916日、コンサート当日、リパッティは、午前中にホールに到着し、リハーサルを行った。このときの、体調はまずまずだったという。しかしながら、午後になって、体調は悪化し、熱が出始めた。妻のマドレーヌや、医師団、この日のために駆けつけた、師であるナディア・プーランジェも、とても演奏できる状態ではない、と演奏会のキャンセルを勧めた。

しかし、彼は、演奏することが、ミューズの神へ献身の証であり、彼の演奏を聴くために集まった人々ために、ピアノを弾くことが自分の使命だと繰り返し、周囲の説得を拒んだ。多分、このときの彼の心の中には、このコンサートが自分の生涯最後のコンサートである、ということが、はっきりとわかっていたに違いない。

ついに、リパッティは、医師や妻らの説得を振り切り、注射を打ち、ゆっくりと着替え、待っていた車にそろそろと歩いていった。ホールに到着すると、楽屋までの階段を一段一段、息を切らしながら上ったという。のちに、妻のマドレーヌは、その光景を、キリストが十字架を背負って登った「ゴルゴタの坂道」にたとえた。

この日のプログラムは、バッハの「パルティータ第1番」・モーツァルトのソナタ第8番・シューベルトの即興曲・そして、ショパンのワルツ(全14曲)と彼のレパートリー中でも、中核をなすものばかりである。

舞台中央によろめくように歩み寄り、ピアノの椅子に座ったリパッティは、軽く、指慣らしのアルペジオをちょっと弾いてみる。ちょっとした間のあと、すぐにバッハを弾き始めた。非常に美しい音ではあるが、元気な頃の録音と比べると、弱々しさを感じさせたが、コンサートが進むにつれ、次第に、いつもの溌剌さを取り戻してきた。

コンサートの前半には、バッハ・モーツァルト・そして、シューベルトが演奏されたが、曲の間には、ディヌは楽屋に戻らなかった。いや、戻る体力が、なかったのだ。

後半は、ショパンのワルツ集が演奏されたが、残念ながら、このときの彼には、全14曲を弾き通す力が残されていなかった。1曲を残して、楽屋に戻った彼は、すっかり憔悴しきっていたが、いまいちど、彼はステージに立ち、アンコールとして、バッハの「主よ、人の望みの喜びを」を弾いた。これが、彼の最後の演奏となった。

この演奏会を、ラジオ局は、中継放送する予定であったが、コンサートの中止を予想して、とりやめにした。しかし、幸いにも、録音は行われた。これが、EMIによりレコード化された、有名な「リパッティ・ブザンソン告別演奏会」のLPである。残念ながら、最後のバッハは録音がされなかったらしく、LPには未収録である。

悲しいかな、このLPに収められた演奏は、彼の元気な頃の演奏と比較すると、技術的な見地からは若干聴き劣りがする。しかし、演奏全体からは、以前の演奏からはあまり聴けなかった、ある種のすがすがしさが感じられる。これこそ、彼が、最後の最後にミューズの神から得ることができた、「完成された境地」なのかもしれない。


リパッティは、このコンサートから3カ月足らずの122日に33歳の短い生涯を終えた。臨終の間際、彼は、ベートーヴェンの弦楽四重奏を聞きながら、こう語った。

「良い演奏家になるだけでは、決して充分ではない。神様から選ばれた“楽器”にならなくてはいけないのだ!」

実際のLPは、

http://www.lpshop-b-platte.com/SHOP/293068.html


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