9月1日にステレオサウンド誌の第224号が発売されました。
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以下は、当店の広告ページの内容です。

フルトヴェングラーとチェリビダッケを聴く

金子 学

 

20世紀を代表する偉大な指揮者、セルジュ・チェリビダッケとヴィルヘルム・フルトヴェングラー(WF)の新しいLPSACDを聴いてみた。

 

まずは、チェリビダッケから

 

チェリビダッケの「リスボンのブルックナー・第8

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セルジュ・チェリビダッケ(1912-96)はルーマニア生まれの指揮者。主にドイツ(特にミュンヘン)で活躍した。彼の名は、カラヤンやフルトヴェングラーのなどと比べると、クラシック音楽になじみがない方々にはあまり知られていないと思うが、一部のクラシックファンには「教祖」のように崇められている。

その彼の行動やレコーディング(生前はほとんど「拒否」)に対する考えも、「異端」ともいえるが、紙面の都合で今回は割愛するが、興味を持たれた方はぜひ一度ネットや資料をあたってみてほしい。

この彼のレパートリーの中でも、もっとも多く聴かれ、また彼もコンサートで多く取り上げてきたのが、ブルックナーの交響曲であった。

彼の演奏の最大の特色である、「極端に」遅いテンポの中で、オーケストラの各パートが深い呼吸で深遠な世界を描き出す世界は、ブルックナーの交響曲解釈のあるひとつの頂点かもしれない、と私は考える。

生前は録音をほとんど拒否していた彼であったが、死後各レーベル(海賊盤まで)から争う様に多くのライヴ録音がでた。その中でも、特に海賊盤でのみ入手可能であった、彼の最高の名演とされてきた、リスボンでのブルックナーの交響曲第8番のライヴ録音が、日本のメーカーのスタッフの努力の甲斐あってCDLP化されたのはとてもうれしい。

早速試聴したが、当然のことではあるが、(こっそり今まで聴いてきた)海賊盤(そんなに劣悪な音質ではなかったが)よりはるかに優秀な音質で、彼の個性的(宗教的)なブルックナーの世界にますます浸れることができるのがうれしい。

 
レコードの詳細は、こちらから。


 

フルトヴェングラー帝国放送局(RRG)アーカイヴ1939-45

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WF1986-1954)は、戦後の数年間を除いて、亡くなる直前までベルリン・フィルの終身音楽監督として指揮を続けてきたが、今でも彼が気力・体力とも充分であった第二次大戦中から終戦までの時期の演奏こそが、彼の演奏の最高峰であると考えているファンは数多い。

実は、この頃の彼のコンサートライヴは旧ドイツ帝国放送局(RRG)の手によって録音されていたのであるが、その記録はほとんどドイツ敗戦時にロシアによって没収されて、「鉄のカーテン」の内側でひっそりと保管されてきていた。

1960年代にロシアの国営レコードレーベル(メロディア)では、これらをLPレコード化しロシア国内でのみ流通させてきたが、ある時ロシアを訪れたイギリスのレコードショップオーナーの目に留まり、これを西欧にもちかえり発売し、西側のファンを魅了することになった。

そしていまでは、これらのテープはドイツに返還され、LPCD化されこれらの歴史的名演に手軽に触れることができる様になった。(が、一部のWFの熱狂的なファンは、音質的には初期にロシアで「秘密裏」に出されたLPこそ最高、とされこれらは今でも天文学的な価格で取引されている。)

さて、今回私が聴いたものは、2018年末にリリースされ話題となったベルリン・フィル・レコーディングス(ベルリン・フィルの自主レーベル)「フルトヴェングラー帝国放送局(RRG)アーカイヴ 1939-45」(SACD Hybrid)は、戦時中(193945 年)にドイツ帝国放送が収録したベルリン・フィルとフルトヴェングラーによる放送録音から現存するテープをすべて網羅し、オリジナル・テープを基本に最高の条件でセット化したもので、これまでのあらゆる盤を凌駕する決定盤となったものである。

これらの音源は、1987年と91年にロシアから返還されたテープをもとに、最新のデジタル技術を駆使し、デジタル化・リマスリングして現在望みうる最高の音質で21世紀の音楽ファンのためにSACDLP)化されたものである。

実は、これらの内のほとんどはすでに私が学生時代から良く聴いてきて、何度も感銘を受けてきた名演ばかりであるが、ここにその(現在残されている)全部(22枚!)を聴いてみると感動もまたひとしおであった。

収録されているのは、ヘンデルから、もちろんベートーヴェン・ブラームスそしてこの時代の現代音楽(WFの自作自演やラヴェル)まで多岐にわたるが、まずは当然のようにベートーヴェンの交響曲をお薦めしたい。

「ドラマティック」という安易な言葉では表現できない劇的で熱い音楽である。

晩年(1950年代)のWFの演奏も非常に立派で感動的であるが、この頃の彼の演奏にはない「熱さ」は彼の年齢から来るものなのか、あるいは時代的背景、またはその両方か?と考えることができるだけでも、(少なくとも私にとっては)これらのCDの存在価値があるといってもいいだろう。

まもなく(この原稿がSS誌に掲載される頃には)、これらの演奏・録音からLPも出ると聞く。これも楽しみ。

 
レコードの詳細は、こちらから。