2019年11月29日

東大寺と新薬師寺

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東大寺大仏











11/24(日)は、東大寺と新薬師寺を回る。新薬師寺には初めて行ったのだが、円形に並べられた十二神将塑像が不思議にも神聖な空間を構成していた。


11/24、24000歩
★★★★


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左:興福寺横の紅葉
右:萬葉植物園

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左:春日神宮
右:東大寺南大門

集合時間まで時間があったので、春日大社まで歩いた。参拝した後、戻ってくると、外人観光客が掃除をしている巫女さんに、一緒に写真に入ろうと頼んでいたが、さすがに神聖な場所なので断られていた。気持ちはわかるけどね。
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左:南大門仁王像(阿形)右側
右:南大門仁王像(吽行)左側

南大門の仁王像の解説。右側の像は、枠からはみ出そうな大胆な構図なので運慶作、左側の像は大人しいので快慶作だろうと言われてきたが、解体改修時にそれらは間違いだと分かる。右側の阿行の像は、運慶と快慶作、左側の吽行の像は運慶の息子湛慶と一番弟子の上覚の作であると判明した。運慶は総合プロデューサであったのではないかとのこと。左と右の像の視線は門を少し入ったところで交わるようになっていると。
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左:大仏殿
右:八角灯籠

大仏殿そのものは、二度の火災に遭ったあと仮の建物が建てられたが、それも倒壊している。現在のものは1709年にできたものだ。大仏そのものも、奈良時代の物は台座の一部と脇の下くらいらしい。大仏殿の前にある八角灯籠は奈良時代のもので、そこのレリーフの仏像は、奈良時代のフォルムだ。
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左:奈良時代の大仏殿と塔の模型
右:大仏

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左:法華堂(三月堂)
右:法華堂(継ぎ足した屋根)

法華堂は、多分、東大寺の前身の寺である金鐘寺の一部であったと言われている。仏像も、その時代のものが残っているはずだ。
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左:二月堂
右:二月堂から眺めた奈良市街地

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左:四月堂
右:講堂後(大仏殿の北側)

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左:吉城川
右:昼飯(昼飯は雑踏をかき分け交差点の角の店に入る)

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左:新薬師寺への道
右:新薬師寺

昼飯の後、少し南に下り観光客の少ない地区に入る。新薬師寺は、747年(天平19年)聖武天皇の病気平癒を祈願して光明皇后により創建された。当初は大きな寺であったが、落雷による火事や大風での倒壊で現在のような小規模な寺となる。最近の発掘調査で、近くにある奈良教育大学の校庭に、金堂跡が見つかっている。
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 新薬師寺の仏たち
(三好和義氏の写真)











初めてこの寺に入ったのだがとても良い感じ。広い空間の中に、少しユーモラスな仏像を中心にして、塑像の12神将が円形に囲んでいる。普通の寺では、四角に囲まれているのだが狭苦しい感じがする。この円形に囲む像は、空間を広く感じさせるのだろう。

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左:新薬師寺境内
右:白毫寺

新薬師寺を出て、山のほうに上がっていると行くと、白毫寺がある。先生曰く、普通はこの辺りまで来ないのだが、新薬師寺まで来るとついでに登ってしまうのだそうだ。白豪寺の山門から入り振り返ると、奈良のまちを一望にできる。
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左:白毫寺
右:奈良市街地を望む

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左:奈良市写真美術館
右:新薬師寺金堂跡

白毫寺から下って奈良市写真美術館まで来ると、その前に奈良教育大学の校庭がある。そこが、新薬師寺の金堂跡だった。埋め戻して運動場になっている。国の敷地なので、そのうち掘り起こして、礎石をみせて碑を置くことになるかもしれない。
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左:頭塔
右:頭塔の説明

もう少し下ると、「頭塔」があった。土の山の所々に石仏が置いてある。(瓦の屋根は後付け)。奈良時代の後期に作られた、インド様式の当時最先端の仏塔であるとのことだ(日本ではこの場所だけ)。それぞれの石仏は、当時の様式だとのこと。先生が学生時代に訪問した数十年前には、ただの石と土の山だったが、整備された。
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左:位置関係
右:石仏三尊像(奈良時代の様式)

二日間で、興福寺、元興寺、東大寺、新薬師寺、白豪寺と歩き回った。この日は疲れ果てて、京都に出て新幹線で東京へ戻る。この日の驚きは、新薬師寺の空間構成の素晴らしさだろうか。




p.s.寺々の仏たち

◯東大寺の仏
・盧舎那仏 金銅 奈良〜江戸時代
・虚空像菩薩(左)寄木造 江戸時代  
・如意輪観音像(右)寄木造 江戸時代

◯戒壇院
・戒壇院四天王 塑像 奈良時代 国宝
 (持国天、増長天、広目天、多聞天)
 鑑真が来朝した時に、聖武天皇以下に戒を授けたがその翌年に戒壇院が建立された。
 塑像より前に金銅像が置かれていたようである。
・多宝塔内の釈迦如来、多宝如来 木造 江戸時代

◯法華堂(三月堂)
・不空羂索観音菩薩立像 乾漆 奈良 国宝
・梵天像
・帝釈天像
・金剛力士像(阿行、吽行)
・四天王像 乾漆 奈良 国宝
 (持国天、増長天、広目天、多聞天)
・執金剛神像(秘仏) 塑像 奈良時代 国宝

◯新薬師寺
・薬師如来坐像 木造(カヤ) 奈良〜平安初期 国宝
・十二神将立像 塑像 奈良 国宝



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liveokubo at 21:13│Comments(2)  | 風景

この記事へのコメント

1. Posted by 銭屋徳兵衛   2019年11月30日 08:03
東大寺から白毫寺まで歩くと大変だったでしょう。
奈良は興福寺から東は 山裾で だんだん高くなる
平城京の時は 辺鄙な街はずれですので
只 白毫寺からの奈良市街の眺めは綺麗だったと思います。
観光客も ここまで来ると少なくなるので
私のお気に入りの場所です。
2. Posted by kincyan   2019年11月30日 12:53
>徳兵衛さん
あそこの坂はしんどかった。しかし、婆さま達もしっかりついて来たので、私もへばる訳にはいかなかった。自転車で来ても、きっとあそこまでは行きませんね。しかし、奈良には良い寺がいっぱいあるね。目に慣れて来たので、来月また行きます。

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