2019年11月30日

東京ジャーミー(ヒッタイト文明講座-1)

IMG_5778
トルコのお菓子













久しぶりに、代々木上原の東京ジャーミーに行った。おりしも二階で食品バザーをやっていたので、昼飯がわりにトルコ風餃子とドネルケバブをいただく。

76.9kg、24.1%、5000歩
★★


IMG_5777IMG_5779
左:東京ジャーミー
右:ノンアルコール飲料(イスラム教徒はノンアル)

IMG_5782IMG_5790
ドネルケバブ(500円)

IMG_5783IMG_5786
トルコ風餃子(マントゥ)

せっかくのトルコ風餃子であったが、外気温が低く餃子そのものが冷えていたのが残念。ドネルケバブは、街中の屋台のものの方がうまいと感じた。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
アナトリア半島のヒッタイト文明について吉田大輔氏から聴く。

ヒッタイト文明と「鉄」

ヒッタイトとはアナトリア半島でBC17世紀からBC12世紀にかけて存在した、インド・ヨーロッパ系言語を話す、古い種族の王朝だ。文字はシュメールの楔形文字を使い、多くの文書が粘土板や金属板に残っている。BC12C頃から海の民に侵略されて、崩壊し小さな国に分かれたとされている。

王朝は三期に分けられる。
1)古王朝(BC17C後半〜BC15C前半)
2)中王朝(BC15C後半〜BC14C前半)
3)新王朝(BC14C後半〜BC12C初頭)


<古王朝>
「鉄」に限って述べると、古王朝の時代には良質の鉄を作る技術を持っていたようで、南のアッシリア帝国との書簡(ベルリン近東博物館所蔵、ハットウシリ三世からアッシリア王に宛てた書簡)には、良質の鉄を送るように依頼されたのに対し、準備中でまだ送れないので、鉄の剣を一振り送ると記されている。
この頃の「鉄」は非常に高価なもので、金の価値の8〜10倍であったようだ。そういう意味で「鉄」の使われ方は、王の権力に関係ある、王座や笏、王の儀礼用の祭具に限られた。

また、「鉄」のヒッタイト語はインド・ヨーロッパ語系統のものではなく、中央アナトリアに昔から住み、ヒッタイトに追い立てられたか吸収された原住民の使ったハッティ語から来ている。ヒッタイト語の文書は多く残っているが、多くは宗教文書であり鉄の製法についての記述は見つかっていない。しかし、残っている文書の一部を解釈すると、精錬するには季節がよくないと解釈できる部分があり、想像をたくましくすると季節風を使って精錬していたのかもしれない。また、天から降ってきた「黒い鉄」という表現もあり、一部で隕石を使っていた可能性もある。



<中王朝>
中王朝の時代になると、王権に関係のない、もう少し広い範囲で「鉄」は使われ始めたが、それでも高価であったことは確かである。「鉄」の計測単位が「金」「銀」と同じように「shekel(約8グラム)」から、その60倍に当たる「mina」(ヒッタイトの場合40倍)が使われ始めたのがこの時代だ。

「鉄」は、この国では永久不滅であるもの、頑丈で壊れないものを意味していたようで、Hantili2世の土地贈与文書の中では、大王の言葉(約束)は「鉄」であり、蔑ろにしてはならず、(言葉を)違える物は首を跳ねられると記されている。

「鉄」は、頑丈なものという性質は尊重されており、テリピヌ神話の神(豊穣の神)の怒りを鎮めるために、鉄の容器に閉じ込め、地中深く埋めるという記述も見られる



<新王朝>
新王朝の時代になると、鉄は量産され、希少価値はなくなる。様々な儀礼容器、武器(剣や短剣)、文書(条約文書など)に使われ、装飾品には使われなくなる。計測単位も「銅」「錫」「鉛」と同様に「mina」となった。

img196



ヒッタイト文明やその周囲の文明に関する参考文献を聞いたが、日本語の物は少なく英語のものを勧められた。日本の研究者は少ないようだ。少ない日本語の本も、一冊4000円以上もするのでとても買えない。中国古代や仏教に関する本は、岩波新書などで簡単に手に入るので、図書館で借りて、中身が良いようであれば買うようにしている。


end

liveokubo at 19:37│Comments(0) 勉強会 | 中近東

この記事にコメントする

名前:
URL:
  情報を記憶: 評価: 顔