2026年04月30日

桜井市付近(2026.4.27)

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纏向遺跡













桜井市や橿原付近を巡る講師付きツアーに参加した。自転車で何度もまわったことのある地域だが、ちゃんと説明を受けると面白い。日本の文化の源流地域だ。

(4/27) 9000歩
★★★



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左:京都駅(京都名物)
右:近鉄特急

8時12分の新幹線に乗り、京都に着く。近鉄特急に乗り継いで大和八木まで来た。
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左:近鉄沿線の風景
右:大和八木駅

大和八木駅に降りたのは初めてかもしれない。小さなころに尺土駅近くの知り合いの家から、橿原神宮でやっていた夏のイベントに通っていた時に乗り換えで使ったかもしれないが、60年以上前のことなので覚えていない。
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左:駅前
右:纏向遺跡

駅前から観光バスに乗る。今回のツアーは25人の大所帯だ。金子先生のツアーは、日本全国の寺めぐりをなさっているが、今回は仏教伝来前夜を巡る旅なので、多くの人が参加したようだ。

まずはバスで纏向遺跡へ行く。大型バスでは走りにくい土地なので、駐車場にバスを置いて、奈良の田舎の道を歩くことになる。
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纏向遺跡

何も残っておらず、遺跡を掘り返して写真を撮り、調査をした後は埋め戻されているが、一部広場にして、建物の跡に杭を立てている。ちょうど南の方角に、箸墓古墳が見える。卑弥呼の地論争は続いているようだが、ほぼこの辺りが卑弥呼の住んだ土地のようだとのこと。この周囲からは土器(15%が九州から関東に及ぶ他地域のもの)や土木用の道具は出るが農機具は出土しないことから、ヤマト政権の中心地だったと推定されている。今でも埋め戻された田畑が周辺に広がり、のどかな風景ではある。

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左:三輪山
右:大神(おおみわ)神社

バスに乗って、三輪山に行く。この大神神社は、三輪山を神体として拝殿、神門(3つの鳥居)で成り立ち、多数の摂社・末社がある。原始信仰から出発したとされる。
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左:拝殿
右:若宮社(大直禰子神社(おおたたねこじんじゃ))

休日にも関わらず、25名も訪問するというので宝物殿を開けていただいた。出土した古い土器なども展示されていて、確かに古くから崇拝されていた神聖な山なのだろう。奈良では春日大社が有名だが、あれはせいぜい藤原氏の守り神として崇拝されたので創建は700年代だ。
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大直禰子神社(おおたたねこじんじゃ)

摂社である大直禰子神社は、神仏分離政策の時に廃された大御輪寺の本堂が本殿に転用されている。そのときに他の寺に移された仏像たちがいたが、有名なのは、聖林寺の十一面観音像であり、ほかにも法隆寺に移された地蔵菩薩や玄賓庵(げんびあん)の不動明王座像がある。

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左:献納された酒
右:聖林寺

今回のツアーは仏教前夜から飛鳥時代前期の仏像や遺跡を巡る旅だったが、せっかく聖林寺の十一面観音が出てきたので、実際に見に行く経路となっている。谷津のように狭く広がる川筋をバスで登っていくと、山腹に聖林寺があった。ここの十一面観音は見た覚えがあるのだが、それはこの寺に来たのではなく東博に展示されたときに見に行ったようだ。ブログで確認すると、自転車で桜井近傍を回ったときに、こんな坂道を上ったことはない。
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左:絹織りの十一面観音
右:階段

山腹の山門から入ると、見晴らしがよい。そこに由緒ある厨子があり、昔は(明治以降)ここに十一面観音が飾られていたという。今は十一面観音を織り込んだ絹織物がおかれているだけなので撮影可能だ。本物は、もう少し階段を上り、奥の新設収蔵庫に置かれていた。国宝になると厳重な扉を備えた場所に置く必要があるらしい。この新しい収蔵庫は半円形のドームのようになっており、中央にドイツ製の無反射ガラスで囲まれた十一面観音がたっている。周りから見ることができ、ソウル中央博物館の半跏思惟像のディスプレイ方式に似ており、神秘的である。本来この寺のものではないので、美術品として見せることも良しとしているのかもしれない。
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聖林寺、十一面観音(購入した絵葉書より)

8世紀後半に用いられた木心乾漆造りという技法で作られている。漆と木くずを混ぜ合わせたもので形造られ、微妙な起伏や繊細な表情など写実的な表現がされている。この時代にしか使われない高度な技法で作られていて芸術性も高いことから、奈良の東大寺の仏像制作にかかわった工房が作ったと考えられている。
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左:下界
右:本堂

少し歩いて降りてバスに乗る。この日の最後の訪問地である、仏教伝来の碑がある大和川のほとりに行く。
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左:道標
右:大和川

川のそばまではバスで行けないので、高速道路の高架下で降りて歩いた。大和川はこのあたりから南西に行き初瀬川となり長谷寺のふもとに届くのだが、昔は水量が多く、大阪湾から二上山のふもとを通り、この地まで小舟で来ることができたのだという。すなわち百済の聖明王が、最初に仏教を伝えるための使節をよこし、その上陸地点がこのあたりだったというのだ。
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左:「仏教伝来の地」の碑
右:馬の玩具

それが538年なのか552年なのか2説あるのだが、聖徳太子関係の古い文書では前者、公式文書である日本書紀では後者となっている。学者の間では前者が正しいのだろうとなっているとのこと。しかし552年説は、当時の政府の公式見解なので、その200年後の752年には大仏開眼がセットされたし、500年後の1052年には平等院が創建されたようだ。2052年には、何かの仏教的式典があるのだろうか。(父の生涯から考えると、自分が生きている可能性はある)。
川の岸に、馬の玩具が並べてあったが、あれは百済からの使者を迎えたときに馬75頭を仕立てて迎えたとの言い伝えから考えられたようだ。
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左:磯城嶋金刺宮(しきしまのかなさしのみや)
右:夕食

バスに乗って帰る途中に、当時の天皇であった欽明天皇の宮である磯城嶋金刺宮(しきしまのかなさしのみや)の碑が見えた。すぐ近くまで大和川をさかのぼり、百済の使者はきたのだ。

宿舎は、橿原駅前にある昔からのホテルで、外国資本が入ったようで改装されて快適だ。1.5万円くらいなので、奈良を巡る同窓会でも使えそうだ。

次の日に続く


end




liveokubo at 14:24│Comments(4) 風景 | 歴史

この記事へのコメント

1. Posted by ともちん   2026年04月30日 18:11
説明してくれる先生が一緒だと楽しいですね。
遺跡は特に恩恵がたくさんありそうです。
ここの十一面観音の顔はどっしりと男らしい雰囲気に感じます。
国宝になって美術品的な見かたを許されるというのは、なるほどと思いました。
ガラス越しの対面は本尊ではないからと言うのもあるのでしょうか?
私はここを見に行かなかったのですが、こうして紹介されるとやっぱり気になっちゃいます。
2. Posted by 木村(モゼール)   2026年04月30日 21:30
今回は桜井でしたか。
私達の月例会は、2日に世界遺産コースで奈良公園を目指します。
3. Posted by kincyan   2026年05月01日 03:50
>ともちんさん
今回同行した先生は仏教美術がご専門ですので、大神神社となると、宮司の方の説明が長くなりがちでした。しかし明治維新の時の神仏分離は大変な革命だったんですね。国家神道の出現です。(中国の文化大革命の前衛です)。おもろいことに天皇家は法隆寺などに手を差し伸べている。
十一面観音の展示方式については、家人などは昔のほうがよかったと否定的ですが、私は信仰もないので純ビジネス的にもガラス張り展示に肯定的です。しかし、ともちんさんもご覧になった湖北の十一面観音など、寺はお飾りで関係なく地元の方々が守っている姿を見ると、頭が下がる思いですね。

4. Posted by kincyan   2026年05月01日 03:52
>モゼールさん
実は3日間いっておりまして、天気も崩れずとても良いツアーでした。モゼールさんのテリトリーでしたね。昨日今日とお天気が崩れ、明日の天気の回復が望まれますね。よきツーリングをなさいますように。

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