2012年02月06日

慣れすぎては、いけない。

2日は、日帰りで熊本でプレゼン。
3日は、山形で今学期最後の授業。
そして、4日5日は、桐生で撮影とめまぐるしい日々。

桐生市での撮影は、
はじめて取り組むテレビ番組だった。
長年CMでお付き合いのあるクライアントが、
地域の町づくりをテーマに番組を作る
という企画を聞いて、思わず手を挙げた。
カメラマンのHさんも、企画の話をしたら、
「思わず手を挙げて」参加してくれた。

それにしても、
番組の撮影をすることなんて、ほぼ初めて。
わずか5分の番組のために、丸2日かけて
長さにすれば何時間にもなる素材を撮ったはずだ。
撮影を終えて帰りのロケバスで、
「番組なんてやったことがないから、
たくさん撮影しちゃったなぁ。ふだん番組を
作っている人なら、こんなに撮らない?」とぼく。
「そうですね、慣れているからムダがないですね」と、
番組の制作では経験を積んでいるI君。
「それはそうだよね」と笑った後、
じゃあ、ぼくらはCMで、
ムダのない撮影ができているのだろうか?と思った。

CMなら、5分どころか、
わずか15秒や30秒の短さだ。
それなのに、もう30年もCMを作ってきて、
ムダのない撮影ができているかと言えば、
まったくそうではない。
むしろ、慣れてはいけないとか、ムダこそ、
いいものを作るには欠かせないものだと
信じているところがある。
たった30秒や60秒のために、何十分、
何時間もの素材を撮影することもあれば、
逆に、30秒をワンカットで表現するから、
あっという間に撮影終了ということもある。
でも、大切なのは
撮影した素材の長さ・多さではなく、
短い時間の中にこめるいろんな思いや迷い、
あるいは実験精神だ。
つまり、そんなムダとも言える何かが、
CMにはなくてはならないのだと思っている。

番組の撮影は、今後、何回か続く。
今回は、とにかくはじめてのことで、
ムダを覚悟で意識的に多くの素材を撮影した。
次回の撮影は、もう少し要領よく、
ムダを省いて撮影できるだろう。
番組は、慣れた人が
ムダなく作るものだとすれば、それで正解。
でも、慣れすぎてはいけない。
そうでなければ、CMディレクターであるぼくが
番組を作る意味なんてないな。
  

2012年01月16日

久保君、ありがとう。

年明け、最初の撮影は、
11日と12日の2日間、長野は小布施の酒蔵で。
前作、前々作に比べれば、
なんとも淡々とはじまったオフ・コマーシャルの撮影だ。
その報告はまたの機会に。
次は、22日と23日に撮影する予定。

小布施から戻ったら、今年最初の大学の授業で山形へ。
授業が終わったら、その日のうちに東京を経由して岡山へ。
岡山空港からロケ地のある美作(みまさか)まで、
車で2時間ほどかけて移動して、13日夜11時ころ到着した。

ロケバスの中では、
こんなお決まりの会話が交わされた。
「明日の天気はどうなのかな?」
「それが、おもわしくないんですよ。曇りベース、
ときどき雪もちらつくかも?という予報です」と制作のD君。

翌朝、起きたら、予想通りの曇天だ。
もう一泊は覚悟しないとな。
そう思いながら、
ゆっくりホテルで朝飯を食べていたら、
となりに座った制作の女の子が言った。
「去年お見舞いに行ったとき、久保さん、
『俺、病院抜けてぜったいロケに行くから、
みんなに内緒にしてや』って言ってました。
今日、きっと来てますよ、久保さん。」
ぼくは、一瞬、ぎょっとした。
そのぼくの顔を見て、すかさず彼女は付け加えた。
「もちろん、幽霊ですけど。」

久保清一君は、今年2日に亡くなった。
まだ36歳の若さだった。
「無念だったでしょうね」という、
プロデューサーのKさんの言葉がすべてだ。
それ以外の言葉が見つからない、
あまりにも早すぎる、そして急な死だった。

その日撮影する仕事は、
数年前からレギュラーで続いているもので、
広島、尾道、能登と、地方でロケのある時、
いつもそこには久保君の姿があった。
生きていれば、もちろん、
ぼくがのんきに朝食を食べている頃、
彼はニット帽をかぶり巨体をゆらして
現場を撮影準備に走り回っていたはずだ。
もとラグビーをやっていたという、
しかし運動をやめた反動からか、いくぶん太り気味の彼は、
思い起こしてみれば、もう尾道でロケしていた頃から
(ということは1年半かそれ以上前から)腰が痛い、
足が痛い、と言っていた気がする。
最後に会ったのは、去年の11月はじめ頃。
腰痛が、いよいよ我慢できなくなったから、
病院で検査しなければ。
そう言いながらも、ロケ地の打ち合わせを終えて、
部屋を出て行く彼の後ろ姿は、
ぼくには次のロケハンの場所に向かって
歩き出しているようにしか見えなかった。

それから、あまり時を経ず、
彼が末期癌であることをぼくたちは知らされた。
それでも、抗がん剤の治療がうまく行っていること、
会えば、病人には見えないくらい元気な時もあり、
美作での撮影には車椅子に乗ってでも行きたい、
そう言っていたと聞かされていた。

「今日、久保君、来ているね」と、ぼくは言った。
いい音が録れたのだろう、満足げな表情をうかべて、
録音の北原さんもそれに応じてくれた。
「来ていますよ、ぜったい。」
スッキリとは行かないけれど、必要十分に晴れた天気で、
シューティングチャンスが1時間に1回あるかないかの、
電車の発着に合わせた撮影は、順調に終わった。
小さな奇蹟が起ったのだと思う。

大勢のスタッフがいる撮影現場にあって、
ロケーション・コーディネーターという存在は、
裏方中の裏方かもしれない。
でも、ロケ地を探す間、
CMディレクターとコーディネーターは、
案外濃密なコミュニケーションを取るものだ。
撮影場所という目的地にたどり着くまでの道のりは、
けっこう不安で孤独なものなのだ。
暗い夜道をいっしょに歩いているような、
そういうシンパシーがぼくらにはある。
だから、みんなが知らない彼の繊細さやサービス精神を、
ぼくは知っているつもり。

久保君、ありがとうね。
あんなステキな撮影場所に
ぼくらはたどり着くことができて、
君が晴らしてくれて。
できれば、次の撮影現場にもまた来て欲しい。
それは無理かな?(笑)
  

2012年01月15日

ホッとPHOTO:ふたつのわたぼうし。

お正月4日。前日の雪もやんで、朝から快晴!
はりきって早起きして、いつもの池へ。

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木の枝にとまった雪が、花餅みたい。
まさにお正月っぽいね

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ボールさえあれば、どんどん先行くハンナ。
心なしか、背中が丸まってるルーシー。

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う〜っ、さぶいっ!
ぜんぜんへっちゃらだよ。

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じゃ、おさきー!
(走ったらすぐに暖かくなってきたので、
セーター脱いじゃったよ)

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ナニしてるの?
だって、もうちょっと
セーター着ていたかったのなー。

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がんばって歩くからオヤツちょーだいね。

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はやくおいで〜。
はやくボール投げて〜。

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冬の朝は、影もいっしょにお散歩だね。

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雲とおひさまが追いかけっこして、

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大地に影絵を描くんだね。

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雪のわたぼうしをかぶった冬枯れしたあざみ。
ふたつ並んでると、寒そうに見えないから不思議。
まるで、ルーシーとハンナだね。

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お散歩から帰ったら、
ゆっくり、まったりストーブのそばでもうひと眠り。
おいしーもののゆめが、みられますように。

  

2012年01月08日

ホッとPHOTO:すのー・すのー・すのー。

4日の朝、
やっぱり雪が降りはじめました。
しんしんと降る粉雪。
いつもの池もきれいだろうなぁ。

ということで、レッツゴー!
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いつもの道も、スタスタ、ピョンピョン、
弾むように歩いてく。

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まさにパウダースノー。
大地にお砂糖をふりかけたみたいだね。

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鼻とか、口とか、ちょっと冷たいですけど。

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ちょっと止んだと思ったら、また雪がちらちら。

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枯れ草もふるえてる。

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こっちにボール投げて!!!
氷の上に雪が積もった池で走り回るハンナ。

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はい、ポーズ。
おやつのためなら、
雪の中でもがんばっちゃうルーシー。

犬って、
寒がりのくせに、やっぱり、雪が大好き。
たのしい雪の一日でした。
  

2012年01月07日

ホッとPHOTO:あしたは、ゆきかな?

蓼科でのお正月。
3日の夕方からくもりはじめて、
山ぎわに夕暮れ色がにじんでた。

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いまにも雪が降りそうな天気って、
こんな感じでしょ?
うううう、さむっ。
あしたは、ゆきかな?
ちょっと、たのしみかも。  

2012年01月05日

ホッとPHOTO:はれやかな、しんねん。

しんねん、あけましておめでとうございます!
ことしも、ルーシーとハンナ、
そして、ホッとPHOTOをよろしくおねがいします。

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今年最初のホッとPHOTOは、やっぱり山からお届けします!

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晴れ渡った3日の朝、
いつもの池のまわりは、氷のツブのようなサラサラの雪が
うっすら積もっていました。

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今年も、凍った池の上を走り回ったよ。
ちめたいから、前足があがっちゃうの。

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いつもはカモが泳いでいるところを、
ルンルン、ランラン♪

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気温はマイナス5度くらい。
でも、おひさまが出るとポカポカ。
澄んだ空気がキモチいいんだよ。

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今年は、まだ雪が少ないのか、
うっすら雪化粧の八ヶ岳をバックに、
はい、ポーズ。
ことしも、いっぱいオヤツちょーだいね。
ことしも、いっぱいボールなげてね。
よろしくぅ!
  

2012年01月04日

一杯のコーヒーからはじまるお正月。

あけましてあめでとうございます。
今年も、ライブラリーと
このブログをよろしくお願いいたします。

年末はいつものように母と過ごし、
新年は蓼科でのんびり、いや、
たまりにたまった宿題を少しでも片付けなければ。
そう思っていたけれど、母と会えたのは1日だけ、
それも数時間いっしょにいただけで、
岐阜から四国の松山へ、そこから岡山へと、
大晦日までロケハンになり、すっかり調子が狂ってしまった。

元旦早々から家のなかの片付けをし、
2日の夜になってバタバタと蓼科に移動。
「ああ、やっとお正月を迎えた感じだな」
と、深夜にコーヒーをいれて、
新しい1年がはじまった気分になった。

飲んだのは、先日、
高知の土曜市(オーガニックマーケット)で買った
ハワイコナだ。これがとてもおいしい。
ハワイコナにしてはコクがあり、
黒光りする豆が濃厚な香りを放っている。
独特の焙煎なのだろう。
豆の入ったビニール袋には、
「オーガニック&フェアトレード 
自家焙煎 なればなれ珈琲」と、
手づくりのシールが貼ってある。
そして、住所や電話番号の横には、
(鈴木野歩)と、小さく作り手の名前が。
土曜市で会った、
まるで70年代のロック青年のような風貌の若者
(と言っても30過ぎだろうか?)を思い出す。

急に、このコーヒーとあの時の若者に興味が出てきて
さっそく、ネットで調べてみた。
ネット通販でもしているなら、ときどき買ってもいいと
虫のいいこともチラッと考えた。
検索の結果、高知市内でひとりでやっている珈琲屋で、
古い焙煎機を買って我流で焙煎を覚えたこととか、
いくつものポットにコーヒーをいれて、
自転車で売りに行く様子などがわかった。
まるで豆腐屋のような珈琲職人らしい。
店のHPや、本人のブログがあるわけでもなさそうだ。
もちろんネット通販などやっている様子はない。

たまたま行った土曜市で出会い、
それを東京に持ち帰って蓼科で深夜に飲み、
そのコーヒーの味から、ふと興味がわいて、
いろんな情報を得る。
それだけを見れば、いかにも今どきの話だけれど、
当の本人は、どうやら何も
情報発信らしきことはしていないようだ。
別に、究極のコーヒーとは?とか、
オーガニックやフェアトレードの意味を語るでもなく、
ただ、日々生きていくために、
おいしい珈琲豆を焙煎して、買ってもらう。
自分で手渡しできる程度の人に、コーヒーを飲んでもらう。
彼が、実際にどう思っているかは知る由もないけれど、
そんなメッセージを感じた。
言葉を変えれば、そういうメッセージを感じる、
素朴で力強いおいしさだった。

一方、ぼくはと言えば、
お正月早々、あれもやらねば、これもやらねばと、
妙に浮き足立っている。
FBでは、相変わらず次々と友人たちから
「いま何をしている」などと情報が送られてくる。
そして、大したことをするでもなく、もう3日が経ち、
ぼくはすでに焦りはじめている。
今年、ぼくがやらなければ、と思っていることは、
そのひとつでもちゃんとやれば大したことなのかもしれない。
それを、いくつもやろうと欲張っている。

ほんとうの情報は、
その人の生き方のようなものかもしれないと、
ふと、思った。
ことさら発信しなくても、
自分の生き方が情報になるようなことを、
きちんとやっていかなくちゃな。
そして、できることは、たぶん、とても少ない。

一杯のコーヒーから、ふと、そう感じて、
早くも自分を戒めている。
そんなお正月を過ごしている。
  
Posted by liverary at 10:43Comments(3)TrackBack(0)

2012年01月01日

話の音(75)年賀状


年末のあわただしいなか、いただいた年賀状を整理していた。
その束にまざって、書き損じたまま出さずにおいたものがでてきた。
宛名は田邊信夫。
裏返すと「あけましておめでとうございました」とある。
万年筆の文字が、しまったと笑っている。
なんで過去形にしてしまったのだろう。こんな間違いはいままで
一度もなかった。
あとになってから、これを書いていた一年前の十二月下旬、田邊は
死の淵をさまよっていたと知ることになる。

それはもうずいぶん前のことのようにも思う。
私たちは朝早く、参宮橋近くのロケ現場にいた。
田邊はあくびをしている私に、話があるといって近づいてきた。
深刻そうな顔つきでなく、軽やかに自分がガンであることを告げた。
動転している私は、逆になぐさめられるように、心配はないという、
彼のことばを信じるしかできることはなかった。

手術後に見舞った慶応病院の、見晴らしのいい喫茶室で、私はなにを
どうしたものかわからなかった。ただ手術がうまくいき、これで完治
するのだという田邊の少し痩せた顔を見ていた。

そのあと、現場に復帰して何度か仕事も一緒にした。事務所の忘年会
にも来てくれた。元気そうだったし、こちらからは病気のことを深く
たずねることもなかった。
ただ声に力がないことだけが、気がかりではあった。
田邊は毎月、私が住んでいる町にある不動尊にお参りにいくのだと
いっていた。治ったのにどうしてと聞くと、そのお礼なのだと答えた。

私がこの世界にはいってからもう二十年以上、欠かすことなくでている
年末のパーティーがある。お世話になっているかたがたの事務所がひらく、
気の置けない集まりで、毎年それこそたくさんのひとたちで賑わう。
西麻布のお店はごったがえしていて、あたかも愉快な満員電車のようで
あった。そのさまを片隅で見ながら、いままで感じたことのないような
気持ちが、急に襲ってきた。
それはどこか懐かしい感傷。かつてどこかで一緒だったひとたちを
懐かしんでいる自分に気がついたのである。
もし死んだあとの世界があるとするなら、きっとこんな集まりが
あるのだろうと、いくらか酔った頭は納得していたのだと思う。
目の前の楽しげなひとたちのすぐうしろに田邊がいるような気がした。

知り合いで、一年程前に伴侶を亡くしたひとにたずねたことがある。
「メールアドレスはどうしたらいい?」
そのひとはこう答えた。
「かわしたメールは保護することなく、下にいって自然と消去されるままに
するけれど、アドレスは残しておく。」
アドレス帳を前にどうしたものか悩んでいたので、私もそうすることにした。
そうしてあらためて田邊のアドレスをみて、アットマークの前がshakaと
あることに最近気がついた。
釈迦?
それはわからない。

毎日というわけにはいかないが、朝は犬を連れて、田邊が通った不動尊
まで散歩をする。ペットは境内にはいれないので、門の前で手を合わせる。
いずれ私のような罰当たりは、そのあたりでお参りするのがちょうどいい。
こちらの身勝手なお願いごとの最後に、田邊をよろしくお願いしますと
しめくくる。

「明けましておめでとうございました」と、私の手元をいたずらした田邊の
無邪気な笑い顔が透かしのように見える。この投函されなかった年賀状が、
私に残された、たったひとつの形見となっている。

(北原慶昭)
  

2011年12月31日

ホッとPHOTO:ありがとう。そして、らいねんも。

2011年も、残りあとわずか。
みなさんは、どんな大晦日をお迎えですか?

20111231-1
今年も多摩川で、いっぱい遊びました。
暑い日も、寒い日も、雨の日も。
ここに来れば、いつも気持ちのいい風が吹いていました。

20111231-2
ぴょんぴょんぴょん、うさぎのように、走りまわったね。

20111231-3
暮れ往く太陽に、今年一年のできごとを思い浮かべながら。
元気で大晦日を迎えられたことに、これほど感謝した年はないかもしれません。

20111231-4
ずっとなかよく、ずっと元気に。
来年も、この河原を、この時間を、一緒に歩いていこうね。

みなさんも、よいお年をお迎えください。
来年も、よろしくお願いします。

ルーシー&ハンナ
  

2011年12月29日

ぼく自身の流行語大賞。

去年のいまごろは、
寝る間も惜しんで大学院の論文を書いていたなぁ。
その論文も、大詰めの「結論」のようなところに
さしかかったとき、何度となく書いた単語に、
「絆」や「つながり」があった。
テーマが「地域活性化」だったから、当然と言えば当然。
地域を再生することや、そのための広告やデザインに、
絆やつながりは、欠かすことのできないキーワードだった。

そして、その頃(だったと思う)、
「つながり」をもう少し理論的に肉付けしたくて、
ソーシャル・キャピタル(社会関係資本)関連の本を探しに、
八重洲ブックセンターに立ち寄った時のこと。
ちょうど、その日からはじまるらしいブックフェアーの
何冊もの本を、エプロン姿の男性店員が平積みしていた。
ブックフェアーのタイトルは、ズバリ、「つながり」。
「そうそう、そんな本が欲しかったんだ」とか、
「時代のキーワードになっているんだな」などと思いながら、
ぼくは『孤独なボウリング』(パットナム)と
『贈与論』(モース)の2冊を買ったのだった。

そして。
大震災のあった今年、もっとも
メディアをにぎわせた言葉は、「絆」だった。
流行語大賞のトップテンにも入賞したのだとか。
絆とかつながりは、
まぎれもなく今年を象徴する言葉になった。
でも、思い起こせば、それは、
社会から失われた何かや、再生に必要な何かを表す、
時代のキーワードになっていたのだ。
そして、今年、ぼくは何度となく思った。
おもしろいように、縁がつながり、絆が生まれ、
ぼくの人生が変わって行くなぁ、と。

たとえば、こんな具合に。

21日から24日にかけて、ぼくは3泊4日で高知に行った。
佐川町、四万十、高知市を回って、数えきれない人に会ってきた。
佐川町には、地乳という名の牛乳を取材したくて、
まず、佐川町役場の和田剛さんにお会いし、和田さんのご案内で、
メーカーである吉本牛乳の社長、牛乳の生産者、
牛乳を使ったパンを作っているパン屋さんなどに出会った。
四万十では、四万十ドラマ代表の畦地履正さんのにお会いし、
従業員のみなさん、魚問屋のご主人、カヌー体験教室の経営者、
栗やお茶の生産者でもあるおばあちゃん・・・
いろんな人に会わせていただいた。
もちろん、四万十では、デザイナーの迫田司さんに、
高知に戻ってからは、梅原真さんともお会いした。

1年とちょっとまえには、
まだ会ったこともない人たちばかりだ。
今年春頃からは、縁あって、イワサキも四万十ドラマの
商品開発のお手伝いをさせていただいている。
たぶん、来年は四万十ドラマのためのCM(のようなもの)
を作ることにもなるだろう。いや、作りたいと思っている。
陽気で人付き合いのいい高知の県民性もあるとは思うけれど、
短い期間に、こんなつながりが生まれるなんて、
想像もしなかった。

東京に住むぼくらと違って、
地域に住む人たちは、ものごとは、何よりも
つながりで動いて行くことをよく知っている。
何かを生み出すのは、お金や契約ではなく、
気持ちとか心意気とか、
そこから生まれる信頼なのだということを
よく心得ている。
そして、何より、動きが速い。
東京にいるぼくらより、何倍もの早さで、
いざという時、おもしろいように人と人がつながって行く。

絆やつながりが失われているのは、被災地でも地域でもなく、
むしろ、ぼくらの方、都会であり、東京なのだ。
つくづくそのことを思い知らされる。
もっと言えば、これからの社会を変えていくのだって、
「おもしろいように人と人がつながって行く」力を持った場所、
つまり、地域社会かもしれないとさえ思う。

今年ぼくのまわりに生まれた新しいつながりから、
来年は、もっともっと何かが生まれていくだろう。
いや、生み出して行かなくちゃ。
1年を振り返ってみれば、ぼく自身の流行語大賞もまた、
高知で生まれたそれを筆頭に、
間違いなく「絆」そして「つながり」だと思う。