2009年06月17日

jun Miyake×今村直樹(2)

今朝も、三宅純さんの最新作、
Stolen from strangersを聴いています。

まさに、国境とジャンルを超えた、ボーダーレスな音楽。
聴こえてくる言葉だけでも、ポルトガル語、
フランス語、英語、そして日本語。
時に、サスペンス映画のようであったり、
イスラエルの路地裏で聴こえてくる曲のようだったり、
パリのキャバレーで、シンガーがタバコを
くゆらしながらうたう歌みたいだったり、
フェリーニに依頼されて作った映画音楽のようだったり、
1940年代、上海で流行った歌のようだったり、
・・・・と、まぁ、そんな感じなのです。

ぼくがかつて、三宅さんにお願いした
CM音楽を思い出してみると、
クラリネットやサックスなど、
管楽器だけで作った音楽(ソニーの乾電池)や、
口笛のコーラスをフィーチャーしたBGM
(メルセデス・ベンツ)や、
スコットランド民謡の「ダニー・ボーイ」を、
三宅さんのトランペットで、郷愁を誘う雰囲気に
アレンジしたもの(ブレンディー)や、
シャンソン風コミックソング(デリカメゾン)
だったりする、という具合。

よく、わからないでしょう!?
そう、よくわからないんです。

混沌とした音楽世界に生きていて、
それでいて、彼の作り出す曲は、
ひとつひとつ、ルーツの異なる、
とてもクリアーなイメージを持っている、
とでも言えばいいか?

さて。
そんな三宅純さんからの、
昨日のぼくの「問いかけ」に対する「返信」を、
ぜひ、読んでみてください。




今村直樹さま、



お手紙、大変興味深く拝読しました。

ご挨拶もそこそこですが、

単刀直入にまいりたいと思います。



そもそも私はCM音楽を

代弁できるような人間ではありませんし、

CM音楽を目指して

音楽家になったわけでは無いので、

CM音楽との関わりについて書くには、

少し・・・というか随分遠くから

話を始めないといけない気がします。

いずれにしても個人史的な話に

なってしまうことをお許しください。



ホントにいきなり遠くからですが、

うちは家庭環境が特殊で、

父は始終論文を書いているような化学者でした。

静寂、いや、むしろ無音を好み、

家庭内では笑い声も、ドアの開け閉めの音も、

さらには喜びを表現する事も、禁忌でした。

およそ音楽家を志すような環境では

なかったと言えます。

そんな中、私は幼少期に

「旋律の麻薬性」というものに芽生えました。

今となっては何がそうさせたか、

はっきり思い出せません。

ウィーン少年合唱団の唄う一節だか、

テレビで見たニーノ・ロータの映画音楽だか、

禁じられていたグループサウンズの1曲だか、

とにかくそれらが延々脳内で

ループして逃れられず、

「こんな麻薬的なものを自分も作ってみたい」

と思ったのが最初に音楽を目指した

きっかけでした。



その後小学6年生の時に、

友人の母親が聞いていたジャズに

電気で打たれたような衝撃を受けます。

その日に聞いたのは、

マイルス・イン・トーキョーと、

チャーリー・パーカーの

ジャズ・アット・マッセイホールだったと

思うのですが、何よりも友人が言った

「これって全部アドリブなんだぜ」という一言に

目眩と恍惚を覚えました。

その瞬間でしかありえない音を、

心技体の力によって表出せしめ、

永遠のものとして刻印できるなんて・・・

その思いが私を他の音楽から遠ざけ、

自主的に純粋培養して

ジャズの世界に浸っていきます。

日進月歩で、あらゆる音楽言語を

吸収しながら進化していくジャズは、

最高にスリリングで、当時の私にとって

宗教以上のものでした。



この先は長いのではしょりますが、

思いが昂じて、高校卒業してすぐに

ニューヨーク、ボストンで学び、

ジャズ一色の生活を続けます。

目指したのはあくまでも即興演奏家であって、

作曲家ではありませんでした。

即興演奏は潔い瞬時の作曲の連続であって、

ゆっくり時間をかけた作曲というものは、

生温いものだと思い込んでいたのです。

あさはかにも。

この時期はとにかく演奏家として活動しました。

5年間の留学生活の後、たまたま応募した

マサチューセッツ州の作曲コンクールで

優勝して賞金を得た事で、

一旦帰国する決意をします。



その頃ちょうどマイルス・デイビスが

復帰コンサートをするという告知があり、

「聞き逃してなるものか」と、

それを聞いてから帰国する事にしました。

結果として、ピカソのように、

常にスタイルを変化させながら新しいものを

生み続けて来たマイルスのような天才が、

その日何ら新しいものを示せなかったことに

私は衝撃を受けます。

意気揚々なはずが、将来を見失った

失意のどん底での帰国になりました。

そこまでが私の音楽人格を形成する上で、

初期のできごとです。

これをお話しないと、私とCMとの関わりを

理解していただけないと思い、

失礼を承知の上で長々と書いてしまいました。



失意のうちに帰国したとはいえ、

他にできる事があるわけではないので

ジャズ界でそれなりに活動を始めたのですが、

時代はバブル経済の兆しが見え始めた頃、

石岡瑛子さんを始め錚々たるクリエイターが

サントリー、パルコ、資生堂などのCMで、

天衣無縫な表現をされていて、

勝手な言い方ながら

「これって、ジャズよりジャズじゃん!」

(必要な場合はロックと言い換えて下さい)

と思ったのが最初にCMを意識した瞬間です。



間もなくリリースされた、

私のジャズトランぺッターとしての

デビューアルバムがアンディー・ウォーホルが

出演するTDKの・・・

「アカ・アオ・グンジョウイロ」

というCMに使われて、それをきっかけに

思いもかけずCM作曲の仕事が

舞い込むようになります。

「ジャズよりジャズ」な事に

参加できるかもしれないという思いで、

胸が躍りました。

前述のように作曲の知識はあまり無かったのですが、

頂く発注の内容がさまざまだったので、

必要に迫られて、付け焼き刃的に学習するうちに、

それまでジャズしか聞かなかった耳が

一気に開くのを感じました。





あー何も答えないうちに、

こんなに長くなってしまいました。

これから本題というところですが、

嫌われないうちに、

ここで中座してもよろしいでしょうか? 

マイペースですみません!

何かあったら突っ込んで下さい。



続きはまたすぐに



三宅 純






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