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ブライス(Blythe)って、日本だけの流行みたい。

人種や民族によって、頭蓋骨や体型の趣味が違うし、

経済水準や歴史も違うから・・・

日本の女の子は、外国人に共感されないのかしら。

 

40年ぐらい前に、1000円ぐらいで売られていたブライス人形が、

今は10万円。

ブライスの雰囲気を採り入れて、

着せ替え人形のアバターを作ったのが、Yahooかも。

インターネットのオークションで、お値段がつくから、

Yahooの自作自演と、言えないこともないけど・・・

 

     ヤフーって、スウィフトのガリバー旅行記の中の、

     人間に似た野蛮人みたいな動物のこと。

     猿の惑星って映画の、退化した人間も、

     ヤフーをモデルにしていたと思うの。

 

     家畜人ヤプーなんて、いやらしい小説を思い出してはいけません。

     あれって、裁判官の人が、手慰みに書いたのでしょう?

     精神障害者は、人の手慰みを本気で信じて、症状を悪くします。

     家畜人ヤプーや三島由紀夫さんの小説を、熱心に読むようになるのと、

     精神障害を発症するのとが、同時だった人を、たくさん知っています。

     当時の流行の症状でした。

 

     今は、性同一性障害のような症状が流行だけど、

     たいした流行でなく、微小天体って感じかしら。

     ドゥウォーフ(dwarf)って言います。

     冥王星が、今は火星と木星の間の、

     無数の小惑星と同じ扱いになっているように、

     性同一性障害も、将来そうなるのかどうか、まだわかりません。

 

     当たるも八卦、当たらぬも八卦だけど、

     わたしの予想では、自我障害の中でも、

     自己同一性を、なかなか維持できない症状のうち、

     性的快感にしがみついて、なんとか自我を維持しようとする人を、

     十把一絡げに、性同一性障害と纏めるようになるのではと。

 

     自己同一性が不安定なのに、性的快感に依存すれば、

     自動的に、性別の社会生活や心理の文化様式に、適応できなくなります。

     本人の主張する性別の妄想様の、あるいは強迫神経症様の症状を、

     別段とりたてて具体的に規定する必要は、何もありません。

 

     ヤフーの反対は、フウイヌムっていう理性的な動物で、馬に似ているらしいの。

     三島由紀夫さんも、自分の顔を写真に撮る時は、

     馬に似ていなければいけないって、思い込んでいました。

     徳川慶喜や藤田まことのような顔かしら。

 

     あの人は幼児のころから、いつも頭がボワーッとして、

     あさっての世界に生きている人でした。

     シャキッとしないのよね。

 

     なよなよとして、女っぽかったので、

     ボクシングや剣道に凝るように、脳味噌に喝を入れて、強がりを言い、

     最期は、妄想や幻覚が出るほど、興奮して、

     割腹して、人に首を切り取ってもらいました。

     どう見ても、理性的な動物には、見えませんでした。


ブライス人形って、1971年にアメリカで発売されたけれど、

売れなかったので、すぐに撤収したそうなの。

2000年を過ぎてから、日本で紹介されると、すごい人気になりました。

ヤフーと同じだから、日本人は幼稚化しているのよね、きっと。

大陸の多民族社会には、受け入れられないと思います。

そう言えば、経営左前のアメリカのヤフーって、どこが買い取ったのかしら。

 

     1969年に東大の安田講堂が落ちました。

     1970年の晩秋に、三島由紀夫さんが市ヶ谷の自衛隊で割腹自殺しました。

 

     安田講堂陥落のあと、世間の雰囲気が一変して、

     新左翼の運動は、一夜にして凋落しました。

     三島さんの自決の頃になると、

     新左翼や新右翼などと言っているのは、

     いわゆる過激派しか、いなくなりました。

 

     左翼を中心とした戦後の学生運動は、

     安田講堂事件の直前頃に、

     猫も杓子も、学生はヘルメットを被り、ジグザグデモに参加して、

     ゲバ棒や火炎瓶を持ち、タオルで覆面をして、

     舗道の石を剥がして、機動隊に投石するようになっていました。

     新左翼と言います。

 

     流行の規模は、現在の性同一性障害と、桁違いです。

     マスコミは、学生の運動を支援して、

     明けても暮れても、連日連夜、けたたましく報道しましたので、

     何も知らない子供たちは、とても民主的な大衆運動を見るように、

     新左翼のデモや学校封鎖に、目を輝かせて胸を踊らせました。

 

     当時は、フィクサーと言われる人たちが、

     赤坂の高級料亭から、国会議員や政治家を動かしていましたので、

     学生たちの言動には、幼児期のフランス革命のような、正当性がありました。

     

     社会が騒然としている間に、

     被差別部落や朝鮮半島の人たちは、全国組織の暴力団を乗っ取り、

     伝統的な夜の歓楽街は、ほぼ完全に、在日と言われる人たちの手に落ちました。

     京都の祇園も、東京の赤坂も、

     今は日本全国、在日の人たちが夜の町を仕切っています。

 

     安田講堂の後、世の中が急に静かになると、

     ごく一部の跳ね上がり分子の、奇矯な行動だけが目だつようになりました。

     赤軍派や三島由紀夫さんや、右翼の街宣活動などをする人たちは、

     過激派と指弾されましたが、今は落ちこぼれと言われています。

 

     この人たちは、猫も杓子もという時代の、流行の市民運動の人たちではありません。

     現在の性同一性障害の人たちのように、実態は精神障害者ですが、

     法的な責任能力は、完全とされますので

     悪いことをすれば、死刑になります。

 

新左翼運動は、フランスやアメリカの学生運動の流行が、日本に波及したものです。

第二次世界大戦が終わると、

フランスは、日本に占領されていたベトナムやカンボジアなどの、

インドシナの植民地を回復しました。

ベトナム人は、フランスの支配に抵抗して、独立を宣言しましたので、

ベトナム戦争が始まりました。

 

たくさんの青年の健康を失った末に、

フランスは1954年に、インドシナから撤退しました。

革命によって、近代的な徴兵制度を、世界に広めたフランスですが、

ベトナム戦争の間に、青年男子皆兵の兵役制度を改正して、

志願兵と外国人傭兵しか、外国の戦場に派遣されなくなりました。

 

青年は、無理矢理に徴兵されて、兵隊にされても、

自分たちの暮らしているフランス本国が戦場でなければ、

前線に送られることがなくなりましたので、

とりあえずは安心できるようになりました。

ベトナム戦争による青年の身体障害が、あまりにも悲惨だったからです。

その後、2001年までに、フランス軍は、すべて志願兵で賄われるようになりました。

 

フランスの撤退後、アメリカが戦争を継承しました。

ベトナム北部の共産主義政権に対抗して、

南部にアメリカ支配下の傀儡政権を作りましたが、

この戦争に投入されたアメリカ兵が、

男子皆兵の徴兵制度によって、強制的に兵士にさせられたアメリカの青年たちでした。

 

フランスでも、アメリカでも、ごく普通の青年が、

刑務所に放り込まれるように、戦場に送られて死んで行きましたから、

ベトナム戦争に反対する政治運動が、青年たちの間に起こるのは当然でした。

戦場では、生きるか死ぬか、あるいは、

生涯、身体障害者になるか、精神障害者になるかなど、

運を天に任せるようなものでした。

どうせ戦場で、むざむざと死ぬものなら、

反戦運動に命を賭けて、血まみれになって暴れてみようと思うのは、人情です。

 

その運動が日本に伝わり、

60年安保や70年安保に反対する新左翼の学生運動になりました。

日本は、第二次世界大戦後、近代国家の中では、

唯一、徴兵制のない国でした。

非常に特異な平和国家として、軍隊も戦争も、憲法で禁止されていました。

 

徴兵されて、戦場に送り込まれたフランスやアメリカの青年が、

学生時代に、政治運動に命を託していた気持ちと、

戦争も軍隊も徴兵制もない平和な日本の青年が、

安逸をむさぼるように、新左翼運動に熱心になる気持ちとは、

似ても似つかぬ風刺画のように、

対照的に比較される意味があったのかも知れません。

  

アメリカでは、黒人はレストランでも、おトイレでも、

白人と同席することさえ、できませんでした。

日本人は、白人のほうに入るしきたりでしたので、そうしていましたが、

わたしの気持ちも、心の芯は、醜いものを見るように落ち着きませんでした。

不用意に入るのは、とても危険でしたので、

黒人の中にも入れてもらえないのが、日本人の現実でした。

 

オバマ大統領の父親は4度結婚した黒人ですので、

大統領の一族が、どのような人生を送ったかを知れば、

ベトナム戦争当時の人種差別の実態が、すぐにわかります。

     

日本の新左翼運動は、ベトナム戦争反対のスローガンを掲げていましたが、

フランスやアメリカのような、

戦場に送り込まれる青年の、極限状況の必死の抵抗とは無縁でした。

日本の青年たちは、欧米の青年との連帯を訴えていましたが、

真摯な気持ちよりも、子供の駄々こねのような幼稚さが目立ちました。

 

     安田講堂が陥落して、三島由紀夫さんが自決をして、

     ブライス人形が発売された頃までには、

     新左翼の運動に夢中になっていた一般学生たちも、

     すっかり姿を消していました。

     新左翼運動に残っていたのは、過激派と言われる子供たちばかりで、

     一見して、精神障害者とわかりました。

     精神状態の不安定な子や、躾のできていない子や、

     興奮しなければ、何もできなくなる子などでした。

 

     赤軍派の男の子の、家庭での生活は、

     女の子のような服装しか、着せてもらえないかのようでした。

     現実には、だれも男の子の服装を、特に強要していないのに、

     女の子のように見える華奢な服装ばかりを、自分で選んでいました。

     少しだけ知能の高い子は、三島由紀夫さんのように、

     極端な男っぽさに、無理にしがみつきました。

     中間の無難なところに、調節することができませんから、

     趣味や生き方と言うよりは、調節能力の不足から、中庸の徳を維持できません。

 

     女の子たちも、一見して生理不順ではと、疑われました。

     気持ちが不安定で、女の子らしい愛嬌のある言葉や身振りを表せません。

     女らしさを押しつけらても、女性蔑視を糾弾して、拒否しているかのように見えますが、

     好き嫌いや思想などでなく、人に共感して模倣する能力が低下しています。

     粗雑で不器用で、無愛想なことしかできませんので、

     女の子なのに男の子みたいな気持ちなのかと、錯覚してしまいます。

 

     男の子も女の子も、いずれも男らしさや女らしさを実行する能力が低下して、

     一見、中性のようにも見えますが、

     粗雑で不器用な、動物的な気持ちになっていました。

     人間らしさを喪失しています。

     

     赤軍派の人たちは、その後、大菩薩峠の事件や、よど号乗っ取り事件や、

     浅間山荘事件や、山岳ベース事件や、テルアビブ空港乱射事件などを起こしました。

     大菩薩峠の時には、まだ気づきませんでしたが、

     三島さんの事件と、右翼の人たちの反応を見た後に、

     具体的な症状は異なるけれど、

     赤軍派の人たちを、精神障害者と鑑定できるようになりました。

 

     現在の性同一性障害の人たちも、同じ症状です。

     たとえ平和な日本であっても、自分の心の中は、戦争状態の極限状況です。

     欧米の宗教が、同性愛を差別したのも、

     古代中国の思想家が、中庸の徳を勧めたのも、

     早い話が、精神障害の症状を排斥して、

     社会から精神障害者を間引くための口実にすぎません。

 

     精神障害者自身の、感情や思想を制御できなくなるのが、

     健常者には不思議です。

     頑なに信じて、命や身体を傷つけます。

     現に、自分や他人の、命や身体を、

     自分から失ったり、奪ったりするは、病気しかありませんが、

     精神障害者には、それがわからなくなり、

     感情や思想の内容のほうを信じます。

 

     昔から、精神障害者を自滅に追いやるように、

     社会には、たくさんの罠が仕掛けられています。

     自滅するのか、間引かれるのかは、よくわかりませんが、

     生殖や育児を放棄するのは、

     動物が罠に掛かるように見えます。

 

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