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もう、鯉のぼり。

今年の作品は、奇麗。

竿に鯉をくくりつけて、人の記憶のよう。

風になびくと、奇麗な記憶が蘇ります。

GIDが治ると、子供の頃の記憶が、

次々に思い出されると、言われています。

 

 

GID(性同一性障害)の、根本的な原因はわかりませんが、

ほとんどに発達障害があり、

いつまでたっても、人と円滑に会話ができずに、

自閉する症状が、幼児期から出ています。

母親や家族とさえも、言いたい放題には言えず、

すべての会話の内容に、

人に言うには差し障りがあるかのような感覚を伴います。

 

GID(性同一性障害)の一部の人(25%程度)は、

子供の頃から、すでに、目に見えない何者かの意図を感じていて、

思春期以後に、宗教の信仰や、統合失調症圏の症状に至ります。

 

健常な人の、実務的な会話では、

最初に肝心な所を押さえて、ポンポンと話が進みますが、

個人的な心をやり取りする会話でも、

打てば響くように、快く人との話ができます。

多くのGIDは、人との心のやり取りをする会話が不能に近く、

半数ぐらいの人では、思春期にすでに、

実務的な会話のできない症状が顕著です。

 

根本的には、記憶を整理する方法として、

心の中だけの事を、客観的事実にくくりつけて、

客観的事実の起こった順番の通りに、

一本の時間の上に、並べる能力が不足しています。

 

具体的には、人とコミュニケーションをする能力が足りません。

根本的な機能を自己同一性と言い、

コミュニケーション機能と合わせて、自我機能と言います。

嘘と本当の識別は、自分と他人の識別に似て、

人とのコミュニケーションによって得られます。

 

人との情報交換は、将来の出来事を予測し、

あらかじめ、これこれの時には、こうすると、

将来の行動を見積もって置く時に、必要になります。

手持ちの情報以外に、たくさんの情報がなければ、

うまく将来を見積もれません。

下手に見積もると、実際に行動したときに、苦しい結果になります。

 

自分の未来の行動を、自分で決めることは、

自分はこれこれであると、自分を規定して束縛することと同じです。

人は、他人とのコミュニケーションによって、自分の行動を決めます。

判断能力そのもの差は、機械的な優劣の差にすぎませんから、

自分はこれこれであると、自分を知って、定義するのは、

他人が自分を作るのと、ほとんど同じです。

 

わたしは、体が苦しい、痛いなどの、耐えられない気持ちのほかに、

自分という気持ちを感じません。

昨日の日記の続きのようになってしまいましたが、

カマキリのように、心が動きます。

ここは泣くべきと思うと、涙がポロポロ流れます。

この国の女は肌を見せないと思うと、ベールを被ります。

泣くときは泣くように、躾けていますので、

人の気持ちを大切にしていると思います。

 

     GIDでは、子供の頃から、複数のことを同時にできずに、

     複数のことを協調してできない人が多く、

     一部の人(GIDの15%程度)は、

     手先や目の動きや発声などの、体の動作が、

     思考に協調しませんので、

     検査によって、簡単に発見できます。

     知能だけや、体の動作だけでは、

     異常の出ないことが少なくありません。

 

     複数のことが同時にできない能力や、

     思考と体の動作を協調させられない能力や、

     動作の不器用さなどは、

     検査をするまでもなく、10分間程度、親しく会話をすれば、

     おおよその見当がつきますが、

     能力の不足を、大切にしない精神科医が、少なくありません。

     知能に似て、知能検査に現れない認知能力の不足も、

     幼児期を過ぎれば、発達不能かも知れませんが・・・

 

     精神障害者の御家族に多い症状ですので、

     御家族と面談をすれば、GIDの中の頻度と、

     精神障害者の御家族の中の頻度とが、

     ほぼ同じとわかります。

 

     いずれも、思春期よりも前に、

     GID以外の発達障害と診断できるほどの重症ではありません。

     小学校入学に際して、特殊な教育の必要性が、

     具体的に検討されることはありません。

 

     いくらかの人は、幼児期に、躾を拒否して、

     自閉を維持するために、

     身近な異性の社会から、出て行こうとしません。

 

     わざと頑固に異性であるかのような言動を示して、

     親や周囲の人の反応を窺います。

     周囲が性別のことを問題にするようですと、

     子供は、躾を拒否して、自閉を維持するために、

     わざと盛んに異性の性別社会に混じり、

     あたりに違和感を振りまき、

     周囲の大人を振り回して、心配させて、満足します。

 

子供のGIDは、ほとんどがヒステリーですが、

根本には、自閉症に近い発達障害があります。

自閉症の根本原因はわかりませんが、

最近の自閉症の子供の過半数が、

実際の社会への適応を拒否しながら、

テレビやビデオやゲームやアニメなどの、

おいしそうに調理された架空の話には、熱心に興味を示して、

その仕草や言葉遣いなどを習得します。

現実社会には通用しませんので、適応不能になります。

 

架空の話は、

点滴だけで賄う栄養や、胃瘻による栄養摂取のようなもので、

現実に比べて桁違いに単純幼稚で、模式化されていますので、

これに適応しているだけでは、

おそらく、アマラやカマラのようになってしまいます。

彼女らが、狼を見て、習得可能なことは、

ゲームやアニメなどから習得できることと、

ほぼ同じぐらいの、貧弱な量にすぎませんでした。

 

周囲の大人が、子供のGIDの心を、

異性であるかのように、困惑して話しているのを聞きつけると、

本人は、その誤解を当て込んで、

異性のような言葉や行動を、わざと出し続けます。

躾を拒否して、自閉する発達障害を、

他人や自分の目から覆い隠して、

能力の不足を自覚しないで済みます。

 

思春期までは、

自分のことを、体の性別の通りと知っています。

思春期に現れる性欲も、

体の性別の通りに、異性に欲情を催します。

異性を見たり、想像したりして、

異性の何に対して、性的に興奮するかも、

健常な人と同じです。

 

欲情を処理する方法も、

異性との性交渉を得られない健常な人の多くが、

オナニーや異性装や同性愛などによって、

性的快感を得るのと、同じです。

それらを実行している時の気持ちも、健常な人と同じです。

     

けっして、性自認は、異性でなく、

性欲の対象の性別も、同性でなく、

欲情を処理する方法が、健常者と異なることもありません。

 

健常な人も、思春期までのGIDの人も、

思春期以後に、異性装を実行する心理は、オナニーの補助です。

男性では、異性装によって射精しますが、

適応力の早い人や、同性愛を習得している人は、

一週間もすれば、射精をしないで、

持続的に異性装の性的快感に、

浸り続けるようになります。

 

適応力の遅い人や、同性愛を習得していない男性には、

異性装をしては射精して、元の服装に着替えて、

また性欲を催し、また異性装をして、射精することを、

何年間も、しょっちゅう、繰り返している人もいます。

 

性欲は、何度も同じことを、死ぬまで繰り返すのが、

健常かも知れません。

食べて寝て、同じことをいつまでも繰り返すのが、生きることのように。

 

男女を問わず、同性愛を習得していると、

異性の姿を想像しなくても、

他の物を想像したり、他の物を実際に見たり、触れたりすることで、

オナニーと同じ気持ちになることができます。

  

当初は、異性の姿でない物として、

同性の性器を想像したり見たりすることによって、

性的快感を得ることを習得しますが、

やがて、中性的な物体や、水や空気などを想像したり、

実際に感覚したりすることによって、

性的快感を得られるようになります。

 

多くの人は、

自分の性器を、接触や摩擦によって刺激する感覚だけで、

想像の内容や、目で見る内容などに惑わされずに、

性的快感を得られるようになります。

 

この快感は、

異性との性交渉に熟達した人の性的快感と、ほぼ同じです。

同性愛を習得していなくても、結婚後数年を経た人は、

性器の刺激と、中性的な気持ちから、

想像や異性を必要とせずに、

器械的摩擦によって、性的快感を得る方法を、習得しています。

合理的です。

 

同性愛を習得するのは、

現在の日本の文化では、思春期がほとんどですが、

同性愛を経ずに、異性との性交渉を習得した人と、

思春期に同性愛を習得した人とは、

健常ならば、いずれを先に習得するかの違いにすぎません。

 

     オルガムスを避けて、異性装を継続することによって、

     オナニーと同じ性的快感に、持続的に浸り続けるのは、

     原始的で、子供らしい稚拙な方法かも知れません。

 

     異性や同性との性交渉を習得していない人や、

     いったん習得していたものの、

     その後、不能になったり、

     拒否するようになった人のほとんどは、

     精神疾患が原因でないかと、疑われます。

 

     GIDや同性愛の有無にかかわらず、

     生殖不能や生殖拒否の症状のほかに、

     一部の人には、育児放棄の症状が現れます。

 

     男性が、オナニーをしながら、射精を避けて、

     オルガムスを得ないで、終日、

     オナニーのほろ酔い加減の快感に、浸り続けようとすると、

     「インポテンツになる」と、

     男性の間では、昔から、警告されていたそうです。

 

     女性の感じでは、

     たぶん、すでに女性との性交渉や、挿入後の射精が不能で、

     勃起はするものの、

     事実上のインポテンツになっている男性が、

     射精を避けて、終日、

     甘美なオナニーの快感に、浸り続けようとします。

 

     原因は精神疾患ですが、

     女性の性欲に、似ているようにも見えます。

     一般社会への適応が不能であったり、

     適応を拒否する心理と、ほぼ合致していますので、

     女性の性欲に似ている疑いを、排除します。

     性周期がありませんので、似ていません。

 

     女性では、射精がないことから、

     オナニーでは、オルガムスを得にくい事情がありますが、

     射精のないオナニーの微弱な性的快感を、

     異性装によって継続的に得やすくなります。

 

     GIDでも、FtMが多く、

     GIDでなくても、女性の異性装は、

     いつの時代にも、ファッションの中に、

     すでに取り入れられています。

 

     明治時代に、ズボンを履いていた女性が、

     そのことを理由に、淫乱症と診断されて、

     強制的に、精神科に入院させられた例があります。

 

     日露戦争(1904~1905年)の前と聞いていますが、

     クレペリンが統合失調症と同じ範囲の精神疾患を、

     早発性痴呆として発表したのが、

     日露戦争の少し前の、1899年で、

     夏目漱石がロンドンから帰国して、

     神経衰弱と診断されたのが、1903年です。

 

     朝青龍という元横綱は、解離性障害と診断される前に、

     神経衰弱と診断されていました。

     診断名の話でありませんが、

     ズボンを履いていたから、精神科に強制入院というのは、

     女性のファッションの流行からすると、変な話です。

 

     女性のズボンは、昭和になると、

     戦争遂行のために、国策として開発されて、

     モンペという名で普及しました。

 

     昔は、身分の高い人しか、衣服を身につけませんでしたから、

     一般人は、類人猿のように、

     雨に濡れようが、寒さに震えようが、

     毛むくじゃらの裸で過ごしていました。

     寒い所に行かずに、熱帯に住んでいただけですが。

 

     文字が普及して、都市に住み、文明時代になると、

     男尊女卑の文化が普及しました。

     布製の衣服が一般に普及したのも、同じ頃ですので、

     女性の衣服のデザインは、

     ほとんど男性の衣服を流用したものでした。

 

     文明化されて、男の服装を、

     女も着れるようになったのですから、

     ズボンを履いたから、淫乱と言われたのでは、

     身も蓋もありません。

 

     日本の映画界に、ポルノを自主規制する映倫というのがあり、

     当初は、たしか着衣の女性の性交渉は、猥褻とされました。

     スッポンポンで、ぼかしたり、

     性器が見えなかったりすれば、合格ですが、

     スカートをまくり上げて、性交渉をするのは、

     たとえ性器が見えなくても、猥褻とされて、

     不合格になりました。

 

     女性が衣服を着ていると、男性は性欲を催すけれど、

     全裸ですと、性欲を催さないそうで、

     GIDや、江戸時代の男女混浴を思い出して、

     なるほどと、納得しました。

 

     映倫は、石原慎太郎という聞いたことのない小説家の作品から、

     太陽族という風俗が流行して、

     それを描いた幾つもの映画を規制するために作られたそうです。

 

思春期よりも前に発症した子供のGIDは、

ほとんどが、思春期から青年期に、GIDが治りますが、

その原因は、第二次性徴です。

あたりまえに色気づくと、子供のGIDの症状は、治ります。

発達障害が治るとは限りません。

 

思春期以後に発症したGIDは、

あたりまえの性欲がきっかけになりますが、

性欲に異常はありません。

 

軽い発達障害の症状から、

大人の他人とのコミュニケーションが困難になり、

思春期以後に、一人で性的快感を得る方法や、

大人のコミュニケーションが少なくても済む方法によって、

性的快感を得ようとします。

 

結果として、異性装や同性愛に傾きます。

健常な人では、同性愛によって、

大人の他人とのコミュニケーションを、

習得する人も少なくありませんので、

同性愛がGIDの原因とは、言えず、

きっかけになったとしか、言えません。

     

異性装も、流行次第で、

健常な精神の発達に寄与するかも知れませんが、

異性装のほうが、同性愛よりも、

オナニーの性的快感に近く、

盛んに異性装を見せびらかして外出するわりには、

一人で満足して、

社交性や、社会に適応する意欲を、失わせるのではないかと、

危惧されます。

 

思春期の前から、軽い発達障害があり、

異性と仲良くなることの下手な子には、

女の子なのに、前のあいた男物の下着を穿き、

男の子なのに、女物の下着を穿くのは、

大人になるための、健常な発達を、著しく阻害するかも知れません。

 

そのまま治らなければ、脱皮ができずに、

一生、幼虫や蛹(さなぎ)のまま、生きて行くことになります。

思春期以後に、未婚のままGIDを発症した人は、ほとんどがこれです。

 

結婚後にGIDを発症した人でも、

ほとんどは、思春期に同性愛を習得していますが、

いったん、異性との性交渉に発達していたにもかかわらず、

再び、同性愛に退行します。

 

思春期以後にGIDを発症する人は、結婚の有無にかかわらず、

約半数が、10年以上を経過してから、自然に治ります。

おおよそ25年を経ても、治癒傾向の現れない人は、

一生、治りません。

 

GIDの症状だけでなく、

軽い発達障害も、治ります。

そういう人だけを、治ったとしなければ、

いったんGIDの症状を離れても、再発することが多く、

発達障害や、他の精神障害の症状もなくなれば、

再発することも少なくなりますので、

GIDが治ったと、言いやすくなります。

 

すでに、性転換手術を受けてしまっている人は、

治癒した後も、新しい性別のまま、暮らす人が多く、

性転換手術を受けていない人は、

ホルモン療法をやめて、元の性別社会に適応します。

 

治癒すると、一般社会に適応して、

GIDの仲間社会から離れます。

やくざが足を洗うには、

絶対に、やくざに住所や勤め先などを教えずに、

やくざと、縁を切らなければいけないのに、似ています。

やくざと、つき合いを続けていたのでは、絶対に足を洗えません。

 

治癒したGIDでは、

治癒した人だけの、同窓会のようなものもあります。

病気が治ると、病気と健常の違いが、簡単にわかるそうで、

GIDでは、中間みたいな人を、

仲間社会の一員であるか否かによって、識別します。

 

やくざの組員でなくても、

元やくざとして、やくざに住所や勤め先を知られている人は、

やくざ関係者と言えるように、

GIDの仲間社会と付き合いのある間は、病気花盛りです。

 

GIDの仲間社会から離れても、

半数の人は、GIDの症状が軽くなったものの、

他の精神症状が目立つようになりますので、

GIDが治ったとは言えません。

この状態から、GIDの症状を再発する人が多いので、

GIDの症状以外の、他の精神症状も治ったのを見て、

GIDが治ったと言うのが、妥当です。

 

GIDが治らずに、GID社会から離れる人には、

アル中や、リストカットや、醜形恐怖や、パニック障害など、

一般に精神障害者の御家族に多い精神障害と、

同じメニューが出てきます。

失業している人や、一人住まいの人が、少なくありません。

 

統合失調症と、それと紛らわしい症状の出る人は、

GIDの25%程度です。

GID社会を離れて、ホルモン療法を中止する人が多く、

認知障害が進行します。

妄想や幻覚は、さほどでありません。

 

統合失調症や、それに近い人だけでなく、

GIDは、御両親や配偶者や子供などと、

一緒に暮らしたほうが良いかも知れませんが、

御両親や配偶者や子供などにとっては、

GIDと一緒に暮らさないほうが、幸せです。

特に子供に、精神障害や非行が現れます。

 

GIDには、統合失調症の患者さんを、

身近に見たことのない人が少なくありません。

一般の人では、100人に1人程度が、統合失調症になりますので、

社会生活をしていると、発病前から、退院後に至るまで、

身近に見続けている人が、何人かいるものですが・・・

 

統合失調症は、発病が思春期以後の何才であろうと、

ほとんどが思春期に、すでに徴候が現れています。

学校の先生ですと、これまでに、何十人も、

身近に観察しているのが、普通です。

 

統合失調症の患者さんは、

精神科に通院しているだけでなく、

入院していた時には、

毎日、統合失調症の患者さんを見て暮らしていました。

それでも、統合失調症の症状を、少しも識別できません。

精神障害者の多くは、自分の病気を自覚できませんので、

自分と同じ精神症状を見ても、気づきません。

 

学校の先生の中でも、御本人が精神障害の先生には、

統合失調症の子供を見たことがないと言い、

首を傾げる特徴があります。

 

GIDにも、小学校の先生や、大学の先生などがいらっしゃいますが、

精神障害者を、身近に見たことがないかのように、何も知りません。

目の前で、統合失調症の患者さんが、

統合失調症の症状を出していながら、

それに気づかないのは、たいへん不思議です。

 

他人の統合失調症の症状は、

健常な人なら、精神医学の知識がなくても、ごく普通に気づきます。

何という診断名であるかは、わからなくても、

精神の病気であることは、すぐにわかります。

GIDでは、他人の精神障害を知る能力が、完全に破壊されています。

非常に象徴的な症状です。

 

     子供のGIDは、思春期に体の形が変わり、性欲を催すと、

     治ることが多く、

     発達障害でなく、

     たんなるヒステリーでないかとも、言われています。

 

     子供のGIDのほうが、

     思春期以後に発症するGIDよりも、軽症かも知れません。

     たくさんの例を知りませんので、

     まだ、はっきりとは言えません。

 

     思春期以後のGIDには、軽い発達障害があり、

     発達障害と診断されずに、

     子供の頃に治療されることもなく、

     思春期以後に、人格障害や統合失調症を含めて、

     様々な精神障害をきたします。

 

     思春期よりも前に、幼児期から、

     はっきりと発達障害と診断されていた重症の子のほうが、

     思春期以後の症状は、相対的に軽くなります。

     

     早期発見早期治療が大切であるとも言えますが、

     知能の障害よりも、知能以外の認知障害のほうが、

     重大な結果を惹すとも言えます。

 

     一般に、知能検査によって測られる症状は、過大視されて、

     子供の頃に、よく発見されて、問題視されるのに比べて、

     知能以外の、信頼できる検査法のない認知障害は、

     軽く見逃される傾向があります。

 

     知能以外の認知障害の中でも、

     動作や、動作との協調に表れる症状は、

     客観的な検査が簡単ですので、

     思春期以後に現れるGID(性同一性障害)の相当部分を、

     早期に発見できるかも知れません。

 

     ほとんどは、思春期より前の子供の頃に、

     性別うんぬんなどとは、言いません。

     ほとんどは、思春期以後に発症していながら、

     御本人は、

     幼児の頃から、自分の心の性別に違和感を持っていたと、

     ステレオタイプに述懐します。

 

     性別の病気でなく、自我障害ですので、

     生殖や社会性などの、性に、症状の現れるのは、当然です。

     GIDは性的マイノリティでなく、

     性別の心理は、異性装や同性愛と同じく、健常な多数派です。

 

     具体的な趣味や文化形式を、変更する融通が効かず、

     女なら、これこれの顔かたちや心、

     男なら、これこれと、頑固に思い込んでいます。

     幼児の頃から慣れ親しんだ多数派の趣味や文化形式を、

     変更できません。

 

     結果として現れる発言や行動の内容が、

     多数派か少数派かは、価値の問題にすぎません。

     発言や行動の内容を、変更する能力のないことが、病気です。

 

     変更できないので、結果として、

     そういう趣味や文化形式を主張する嵌めになっています。

     自由な生き方や趣味や考え方などでなく、

     能力の不足から、そうせざるを得ないのが、病気です。

     性的マイノリティと、主張せざるを得なくなります。


 

 

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