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クマシデなんか、写真に撮っているのは、わたしだけみたい。

秋だもの、実ばっかり。

 

稲の香りが、すごいけれど、もう何度も、写真にUPしているから、

稲穂や田んぼは、自粛します。

でも、今のうちに撮らないと、刈り取られてしまう…

 

孫に、お化けだゾーって、脅かしてやったら、

恐いーって言って、逃げ回りました。

夕方です。

釣瓶落としって言うけれど…

 

こんどは、晩御飯を食べて、真っ暗になってから、

孫がロボットを背負って、遊びに行くって言うから、

お化けが出るよって、脅かしてあげたら、

恐くないもんって、平気な顔をしています。

 

5才ですけれど、お化けに追われて、遊ぶ時には、

ちゃんと、きゃーきゃー言って、恐そうに逃げ回ります。

けっして、無粋(ぶすい)な顔を、しません。

ロボットと遊びたい時は、お化けなんか、恐くないって、

そろそろ、使い分けのできる年頃かしら。

暗闇で、ストロボみたいに光るんです、彼のロボット。

 

わたしは、すごく暑い日に、お葬式に参列して、我慢している時でも、

ここは泣く場面と思うと、ちゃんと涙が流れて、

汗と区別がつかなくなります。

けっして、憮然(ぶぜん)として、ハンカチで顔を扇(あお)ぎながら、

泣いても生き返らない、などとは言いません。

 

ローマでは、教皇に歯向かいませんし、

アメリカに行けば、一人で車から降りないように、努めています。

ビルの駐車場では、必ず周囲を窺(うかが)ってから、車を停めるの。

強盗が多いから。

 

アメリカの町って、歩行者用でありませんから、一人歩きは危険です。

当たり前ですけれど、道は、車が走るためなの。

人が歩くと、不自然なので、

警察官に、職務質問された日本の女性もいます。

 

郷に入れば、郷に従えって、

When in Rome, do as the Romans do. って、

高校の時に、習ったでしょう?

 

ローマにいて、教皇に歯向かうのは、間違っている、とも言います。

It is ill sitting at Rome and striving against the Pope.

ローマ法王のことよ、Pope って。

strive は、抵抗する。

It is ill ~ って、習ったでしょう?

ill だから、間違っているの。

 

日本に帰れば、歩いて楽しめる旧世界の町を、堪能して、

できるだけ早く、人情で営まれる社会に、適応します。

杓子定規の筋道(すじみち)を言ったって、この国では通じません。

憲法なんか、お雛様のお飾りなんだから。 

 

戦場で、人殺しを躊躇(ためら)っていたのでは、

自分が撃ち殺されるかも。

13才の源頼朝を、1159年の平治の乱で、処刑しなかったから、

平家は滅亡しました。

 

石橋山で、敵の頼朝を救った梶原景時は、鎌倉幕府に重用されたので、

頼朝が死んだ後、みんなに恨まれて、殺されました。

 

     でも、ベトナム戦争のときに、

     ちゃんと敵兵を狙って撃っていた人は、

     ほんの数パーセントで、

     大部分の兵士は、とにかく敵のいそうな所に向けて、

     景気良く、鉄砲を撃っていたそうです。

     めくら撃ち。

 

     日本みたいに、平和な社会に慣れている人って、

     そう簡単には、人を殺せません。

     すごく、ストレスになるみたい。

     復員した日本の兵隊さんは、

     進駐軍に殺される心配がないとわかると、

     ほとんどが、すぐに適応したのに、

     一部の人は、かえって平和な世の中に、

     適応できませんでした。

 

     健常な人って、平和な社会に暮らしていれば、

     平和に適応して、

     兵隊になって、戦場に暮らせば、人殺しに適応するの。

 

     使い分けが、できなくても、

     最低限、平和な社会に適応していれば、

     戦場で、頭がおかしくなっても、

     ある意味、あたりまえかもね。

     ナチスの兵隊や、

     ボスニアヘルツェゴビナの、民間人を虐殺した兵隊みたいに、

     みんな、戦争で頭がおかしくなっているから、

     無抵抗の民間人を、笑いながら撃ち殺しても、

     それほど悪人とは、思えません。

 

     人類の歴史って、平和が基本だから、

     適応力の低い人は、

     平和な社会に適応して置くのが、無難です。

     人殺しが基調の歴史だったら、

     とっくの昔に、人類は滅びています。

 

     普通の人って、理由もなく、人を殺せないように、

     適応しています。

     正当な理由があっても、人殺しって、もの凄いストレスで、

     気が狂いそうに、苦しくなるみたい。

     戦争で敵を殺すのは、いちおう、正当とされていますけれど、

     実際には、兵隊だけでなく、

     民間人を殺すのも、あたりまえでした。

     敵だけでなく、味方を殺すのも、しょっちゅうなのに、

     敵兵を殺すにも、殺し方が悪いと、虐殺と言われて、

     負けると、軍事法廷で処刑されます。

 

     日本でも、BC級の、戦争犯罪人が、

     一杯、処刑されましたけれど、

     ほとんどが、本人のせいにするのは、可哀想なお話でした。

     うちのお父さんは、

     1970年の、大阪万国博覧会の頃になっても、

     うっかり、本当の事を喋ると、処刑されると言い、

     口止めをしてから、戦争の実態を、教えてくれました。

 

     テレビで有名な、誰々という内科医は、

     撃ち合いが終わってから、のこのこと、出て来るので、

     戦場では、役に立たなかったとか。

 

     あっちの人は、

     たとえ、日本軍に銃を突きつけられて、徴用されても、

     日本軍に協力したクーリー(苦力)は、

     解放されると、敵に強力した罪で、全員、処刑されました。

     中国人を処刑したのは、中国の民間人でしたので、

     地元の中国人に、荷物を運ばせるのは、

     とても可哀想だったと、父は言いました。

     当時の軍隊は、銃を突きつけて、

     重い荷物を、中国人に運ばせたの。

     トラックは貴重品でしたし、

     道は、車のためでなく、人が歩くためでした。

 

ボスニアヘルツェゴビナで、民族浄化って言って、

民間人を虐殺した兵隊も、

命令されたら、やらないと、自分が味方に、射殺されます。

兵士って、みんな、家族を、人質に取られていますから、

日本でも、徴兵逃れなんかすると、家族まで、痛い目に遭いました。

昔の取り調べって、拷問なの。

 

戦争が終わっても、1960年頃まで、警察って、拷問する所でした。

殴られて、歯を折られて、痣(あざ)だらけになっても、

そんなことで、警察を訴える人なんか、いませんでした。

弁護士さんも、それが当たり前と、思っていたから。

今もそうですけれど、警察の言うことは、全部、正しいの。

 

戦争って、男しか行かないから、

心の性別や、性転換が認められると、命にかかわる不公平です。

ヨーロッパもアメリカも、それが一番の問題でした。

なんで、男はみんな、戦場で死ぬのに、

今で言うGID(性同一性障害)だったら、死ななくてもいいのかしら。

 

不公平でしょう?

憲法違反です、GIDって。 

命にかかわる不公平が許されて、国民が、黙っているわけがありません。

革命が起こって、社会が、泥沼の内戦になってしまいます。

 

日本でも、1970年頃は、まだ、

戦争になるかも知れないっていう危惧が、

性転換を、絶対に、人に言わない理由でした。

MtFの人は、ホルモン剤や、SRS(性転換手術)や、

去勢を思いとどまって、戦争を懼(おそ)れました。

 

そんなもん、戦争になったら、GIDなんか、みんな殺されます。

生きる目なんか、ありません。

心の性別なんか、あほなことを、歓楽街のオカマも、言いませんでした。

歓楽街の人は、みんな、女の子として育てられたって、言っていました。

こっちのほうが、説得力のある嘘です。

性転換って、顔つきや体つきも、

説得力のある嘘でなかったら、うまく行かないでしょう?

 

だって、ホモやオカマは、戦争になっても、殺されなかったけれど、

GIDは、戦争になったら、殺されました。

オカマも、ホモも、GIDも、

昔の人は、そんな言葉を、知りませんでしたけれど、

うちのお父さんは、ちゃんと、

GIDは、みんなに虐められて、殺されたって、知っていました。

ホモやオカマは、大丈夫って、

言葉は知らなくても、中身の事実を知っていました。

 

ホモやオカマは、昔から、軍隊では普通でしたから、

差し障りがないのに、決まっています。

平家や源氏の、源頼朝や、石橋山の梶原影時の時代から、

武士は、そうでした。

 

今で言うGIDなんか、昔は、みんなに虐め殺されたの。

その違いを、昔の人は、

兵隊も、一般の人も、しっかりと知っていました。

 

軍隊って、心神喪失は、兵役免除になったけれど、

GIDのようなのは、入隊させて、

教練の時に、イジメ殺して、間引きました。

世界中、大昔から同じです。

       

     戦争になると、すごく苦しいから、

     普通の人は、みんな、あほになって、人を殺します。

     めくら撃ちね。

     あほにならなければ、胃潰瘍になるかも。

     戦場でも、兵士って、心身症が多いの。

     どこやらの首相が、機能性胃腸障害で辞職したみたいに、

     頭がイカレると、胃腸に来る人って、少なくありません。

 

     そういう人を、できるだけ、教練の時に、

     ちゃんとイジメ殺して、丁寧に間引きました。

     それが、健常な国民を守ります。

     戦争って、みんなが共同して、

     一蓮托生の作戦を、実行しますから、

     共同作業のできない人を、あらかじめ間引いておかないと、

     危険です。

     戦場の土壇場で、支障が出ると、

     健常な人が、みんな、道連れにされてしまいます。

 

     でも、お薬のない時代の、統合失調症みたいに、

     心神喪失でしたら、徴兵検査で落とせますけれど、

     GIDのような人を、不合格にしていたら、

     死にたくない人は、みんな、精神障害を訴えて、

     徴兵逃れを画策します。

 

     戦争って、命にかかわることですから、

     表向きは、不公平のないように、

     心神喪失でないGIDのような人を、徴兵検査に合格させます。

     ちょっとやそっとでは、徴兵逃れをさせません。

     入隊させて、訓練で間引くの。

     GIDのような人は、集団行動ができませんから、

     訓練さえ、平等に厳しくしておけば、勝手に自殺します。

 

     徴兵逃れをしたい人は、裏で手づるをたぐって、

     内々に、うまい方法を、実行しました。

     内地の勤務でしたら、最後まで、死なないもんね。

     そのうちに、降伏だから、うまいもんです。

     うちの親戚にも、インチキをした人が、たくさんいました。

     わたしのお父さんなんか、あほもいいところ。

     信じていたそうです。

     表向きの徴兵逃れは、絶対にだめよ。

 

     どういう人が、徴兵検査に合格したのに、

     教練に耐えられずに、

     苛め殺されるように、死んで行ったかを、

     昔の人は、誰でも知っていました。

     日常生活を見ていれば、社会生活をしている人が、

     命にかかわることを、知らないはずがありません。

     GIDは間引かれて、苛め殺されるけれど、

     ホモやオカマは、お構いなしって、ちゃんと知っていました。

 

     うちのお父さんも、

     どこそこの誰が、教練の時に殺されたって、覚えていました。

     軍隊って、同郷の人が、同じ部隊になりますから、

     徴兵された同年齢の人は、隣近所の町の人でした。

     入隊して、同じ釜の飯(めし)を食べれば、

     隣町のあの家の子って、すぐにわかります。

     その家の子が、苛め殺されたって、知っています。

     どういう子が、間引かれるかって、今で言うと、GIDなの。

     ホモやオカマは、大手を振って、大丈夫でした。

 

平和になると、嬉しくて、すぐに平和に適応できます。

肩の荷が降りて、総理大臣をやめると、

機能性胃腸障害も、現金に治るの。

 

人間って、平和に適応して、人殺しが苦痛なのが、得かも。

でも、どちらにも、適応できるのが、いちばん健常です。

戦場では、すんなりと、人殺しに適応して、

平和になれば、人殺しが、ものすごく苦痛になるの。

時と場合や、相手や場所によって、簡単に変わります。

 

ポルポト時代の、カンボジアの子供なんか、

人殺しを教え込まれて育ちました。

150万とか、何百万とかって言われる虐殺の被害者は、

みんな、家庭を捨てて、集団教育された子供たちに殺されました。

子供が銃を構えて、都会の人間や、公務員や、お金持ちなどの、

昔の支配階級を、棍棒で殴って、皆殺しにしたの。

その子供達が、今のカンボジアの大人です。

ちゃんと、平和に適応しているみたい。

 

健常って、どちらにでも、適応できるの。

たとえ、人殺しをするように教育されても、平和にも適応できます。

でも、適応力の低い人は、

最低限、平和に適応して置くのが、無難です。

だって、人殺しにしか、適応できなくて、

平和になっても、理由もなく、人殺しをするって、

危険でしょう?

戦争が終わって、しばらくは、

そういう殺人が、たくさんあったそうです。

 

山下清って人は、思春期になると、暴力ばっかり振るったので、

知的障害者の施設に、預けられました。

監禁しないと、しょうがないもんね。

でも、施設の園長先生は、

暴力に対して、徹底的に、体罰で報復しました。

 

体罰がいいなんて、一般の養護学校の先生が言い出すと、

精神障害者は、みんな、殴られてばっかりになります。

養護学校の先生は、自分の気持ちがむしゃくしゃした時に、

障害のある子を、日常的に嬲(なぶ)って、

自分のストレスを、解消するようになります。

日本でも、体罰は禁じられていますけれど、

先生の気分次第で、子供をいたぶるなんて、日常的です。

 

山下清さんを教育した園長先生は、体罰で行きました。

結果として、うまく行ったと、園長先生は自信たっぷりでしたけれど、

体罰のせいで、うまく行ったとは、確定できません。

GIDも、半分の人が治りますけれど、

性転換医療のせいとは、言えないので、自然治癒と言います。

治癒と性転換医療との、因果関係を確定できません。

 

体罰はだめとして、どうしたら、暴力を振るう知的障害者を、

うまく教育できると、思いますか。

戸塚ヨットスクールみたいなのも、ありました。

暴力を振るわないように、躾(しつ)けるのは、わりと簡単なんです。

最初から、計画的に教育していると、体罰なんか、必要ありません。

人から暴力を振るわれた時に、どうするかってのを、

教えるのが、たいへんです。

 

統合失調症の人でも、人に危害を加えるよりも、

人に虐待されるほうが、圧倒的に多いの。

統合失調症の患者さんの、大部分の人には、被害妄想が出ますけれど、

乳幼児期からの、軽症の発達障害のせいで、

中学や高校の子供達の、虐め社会に適応できずに、被害妄想になり、

正当防衛のような気持ちから、人に危害を加えてしまいます。

 

山下清って人は、子供の頃からの知的障害者でしたから、

広汎性発達障害とは、別枠になっていますけれど、

基本的には、発達障害も統合失調症も、知的障害も広汎性発達障害も、

さしたる違いは、ありません。

知能検査に、低い成績の出る特徴があったので、

知的障害と言われていますけれど、

いい点数を取ろう、と思う気持ちがなければ、

どのような天才でも、白痴の成績しか、出ません。

 

本気で、いい成績を取ろうとする気持ちが、どれくらいなのか、

その程度を、どういうふうに計りますか。

本人の自己申告を、信用するしか、ないのかしら。

それとも、本人の受け応えや、動作などから、

誰かが、一方的な直感によって、裁量します?

 

GIDなんか、自分は異性の心と、本気で主張します。

嘘偽りでない、本気であると、本人が言っています。

知能検査は正常ですと、知的障害と言わずに、

広汎性発達障害が、疑われますけれど、

IQ200なのに、IQ100ぐらいの能力しか発揮せずに、

自分の心の性別が違う、と言っていたら、

その偏屈は、GIDと関係があるかも。

 

お医者さんでも、GIDになる人もいれば、死刑になる人もいます。

オウムのお医者さんみたいに、

マインドコントロールされたって、主張する人もいます。

 

健常な人って、戦争にも平和にも、ちゃんと適応できますけれど、

せめて精神障害でも、戦争の人殺しや暴力よりも、

平和のほうに、適応してもらいたいの。

そうでないと、暴力を振るう山下清さんを、

一生、監禁しないといけないでしょう?

園長先生は、体罰で矯正したから、

貼り絵の天才が生まれたって、言っていますけれど、

いったん暴力に適応した人を、

体罰を使わずに、どうすれば、矯正できるかしら。

 

     GIDには、性転換は戦争って言う人が、多いの。

     けっして、暴力的な人でなく、戦争のどさくさって意味ね。

     平和な日本なのに、

     世の中が戦争ってことは、あり得ませんから、

     御本人の脳味噌が、どさくさです。

 

     適応できずに、右往左往している状態のまま、

     SRS(性転換手術)まで、行ってしまいます。

     迷っているから、絶対に確信していると、強がりを言います。

     右往左往しても、色ボケでうっとりして、

     後悔しないように、気持ちを麻痺させています。

 

     GIDの人の中には、性別は自由がいいとか、

     多様性とか、個性とか、自由な生き方や、考え方とかを、

     主張する人がいますけれど、

     発達障害の人って、色々な事に適応できません。

 

     アメリカや、日本や、ローマや、

     スーダンの長身民族の遊牧社会やら、

     用水路や病院を作ってくれた日本のボランティアを捕まえて、

     侵入者や征服者として、

     殺してしまうアフガニスタンの社会やらに、適応できません。

 

     戦争と平和だけでなく、

     いったい何種類の社会があるのかしら。

     一つ二つって、

     どういうふうに数えるのか、知りませんけれど、

     健常な人って、何百何千の種類があっても、

     ちゃんと使い分けられます。

     発達障害の人は、使い分けられません。

 

     一つでなく、戦争と平和という二つを使い分けただけでも、

     ダブルスタンダードと非難して、ジョン・ナッシュみたいに、

     平面的に物事を決めようとします。

 

     アラブの国で、お尻やお乳を、

     きわどく見せびらかす服装をして、

     それが受け入れられないと、

     アラブの文化を非難したりします。

     人は、わざわざ旅行をして、それぞれの文化を楽しむのに、

     脳の器質に、原因となる病変が見当たらないにもかかわらず、

     慢性的に、長期的に、さまざまな精神症状をきたす人って、

     自分の適応できない文化を批判して、

     自分の自由や多様性を主張します。

 

     社会に、個人の自由や多様性を認めるように、要求します。

     自分には、多様性を、自由に選択する能力がありません。

     自分には、それしかできないので、

     社会に、多様性を認めろと、要求します。

     ほかの人は、何でも選択できる能力がありますから、

     何も苦になりません。

     性別の心や文化に、自由に適応できます。

 

     GIDの人は、御自分の病気を、理解できません。

     病識がないと言い、

     自分が病気であることを、認めることができませんけれど、

     精神の病気には、ごく普通の特徴です。

 

     GIDの人は、自分の心のことを、

     自由や多様性と言って、すり替えます。

     心の性別を変更できずに、体の自傷を希望するので、

     精神の病気として、

     特別に、戸籍の性別変更が、認められています。

     男なら、これこれの心、これこれの体、

     女なら、これこれ、という文化や趣味の産物を、

     GIDの人は、変更できずに、

     心を選択できませんので、体のほうを変更すると言います。

 

     明らかに、さまざまな考え方や生き方を、使い分けられずに、

     自分から、生殖機能を阻害してしまいますので、

     精神障害と言われています。

 

     わたしたちの社会は、

     性別の心や文化を、自由に使い分けられる、としています。

     だから、法律や道徳などによって、

     具体的な文化の内容を選択して、

     社会を、特定の状態に、拘束することができます。

 

     自由に使い分けられないものを、

     規制したり、拘束したりはしません。

     自由に選択できるから、どのような具体的な文化の内容を、

     みんなの意志によって、

     国家や社会の、法律や道徳として、規定するかを、

     みんなで選択して、みんなで決めることができます。

 

     ところが、GIDの人には、具体的な性別の文化を、

     選択して、使い分ける能力がありません。

     この人達に、特定の文化の内容を、強制するのは、酷です。

     GIDの人を、病気として、法律の例外としています。

     性別の文化の、法律や道徳を守れなくても、

     大目に見てあげます。

     GIDの人は、性別の文化の多様性の、具体的な中身を、

     自由に選択する能力が低いので、

     社会のほうが、多様性を発揮して、歩み寄ってあげます。

 

     性別の文化の多様性を、発揮するように、

     社会に要求しているGIDの人達は、

     自分達に、多様な文化を、自由に選択する能力が、

     欠如しているから、

     社会に、それを要求しています。

     御自分には、選択する能力がなく、心は変更できないと言い、

     体の自傷を、医師に手伝ってくれるように、要求しています。

     体の見掛けが、具体的な性別の文化の、

     中身の一つのように変われば、

     性別が変わったと、主張します。

   

男なら、これこれの心、これこれの体、

女なら、これこれって、特定の文化です。

これこれが、どのような心や体かは、文化の具体的な中身ですから、

時と場所と人と流行によって、簡単に変わります。

 

変わらないのは、有性生殖をする人間には、

二種類の生殖機能がある、ということだけです。

二種類の生殖機能を、何を目安に識別するかは、

具体的な文化の内容です。

 

人間以外の他の動物は、フェロモンのような化学物質を感知して、

自動的に、性交渉に及びますから、

二種類の生殖機能を、知的に識別する必要はありません。

人間は、性交渉の自動行動が、退化していますので、

二種類の生殖機能を、知的に識別しなければ、性交渉できません。

生殖できなければ、絶滅してしまいます。

 

人間では、二種類の生殖機能を識別する指標を、

積極的に表示して、お互いに生殖を誘い合います。

具体的に何を、生殖機能の指標とするかは、

文化の内容にすぎませんから、簡単に変わります。

法律や道徳によって、規定されて、

憲法のように、成文化されることもあれば、

巷(ちまた)の、暗黙の合意によることもあります。

性器や髪の毛などの、

体の一部の質や形を、指標にすることもあれば、

衣服や持ち物や言葉つきなどを、指標とすることもあります。

 

いずれにしても、文化にすぎませんから、流行して、変化します。

この変化に適応する能力がなければ、

流行の具体的な内容を、法律や道徳などによって規定するのは、

無意味です。

 

わたしたちは、健常でしたら、

性別の文化の、具体的な中身を、選択して適応できるとして、

その範囲内で、どのような具体的な内容を選択すべきかを、

国家や社会の単位で、規定することができます。

個人に、自由に選択する能力があるから、

国家や社会が、選択の中身を、規定できます。

 

ありとあらゆる法律は、文化の具体的な内容を規定したものです。

性別の文化も、同じです。

自由に選択して、自由に規定できるから、文化と言います。

選択する能力のないものを、

憲法で規定して、人を拘束したりはしません。

血圧が高すぎると言って、死刑にしたりはしません。

血糖値は、自由に変更できませんので、道徳になりません。

 

でも、GID(性同一性障害)の人たちには、

性別の文化を、自由に選択する能力がありません。

選択する能力がないのに、法律で拘束するわけには行きませんけれど、

健常でしたら、性別の文化の、具体的な中身を、自由に選択できます。

性別の文化を選択する心を、自由に変更できるのが、健常です。

 

国家や社会は、みんなの意志として、性別の文化の中身を、

具体的に、どのような内容とするかを規定して、

違反すれば、逮捕しますけれど、

GIDの人達には、選択能力がありませんので、

精神の病気として、特別に保護してあげます。

GIDの人達は、性別の文化の中身に、

法的に、あるいは道徳的に、拘束されません。

自由に選択する能力がないからです。

精神の病気だから、特別に保護されています。

 

     どうして、社会や国家が、

     人それぞれの勝手を認めないのかって、

     どうして、法律があるのかと、同じです。

     みんなが勝手なことをしていたのでは、

     たぶん、地球上で、100万人も生きて行けません。

     みんなで統一して、効率よく、合理的に生産しなければ、

     食べて行けません。

     衣服も暖房も建物も医薬品も、生産できません。

     分業した生産物を交換して、流通させられません。

 

     みんなが勝手なことをすれば、

     殺し合いになるから、という人もいます。

     みんなで、文化の内容を、

     具体的に統一しなければ、生きて行けません。

     規格外の寸法の家を建てると、値段が、すごく高くなります。

     畳の大きさや、柱の太さや長さや、釘やネジのサイズって、

     みんな、規格されているでしょう?

     特注品のネジって、一本を作るだけで、

     アメリカの宇宙船の部品みたいに、

     何百万円も、請求されたりね。

     

     古代ギリシャ・ローマの建築の規格って、

     オーダーって言います。

     効率良く、大量生産しようとすれば、

     どうしても、何やかやの規格が必要です。

     規格と規格の間に、特定の比率が生まれます。

     よく見掛けて、目に馴染んでいる比率を、黄金比率と言い、

     数学は、紀元前6世紀の、古代ギリシャのピタゴラスの頃から、

     すでに、美学の迷妄に、傾いていました。

     ピタゴラスの定理や、音律みたいなものね。

     ジョン・ナッシュさんのせいで、ありません。

 

     音楽や数学って、

     合理的な文化の、生産性の比率みたいなものですけれど、

     人体や、生物の体のサイズも、

     遺伝子によって、細胞の積み上げかたが、

     規格されていますから、

     フィボナッチ数列のような、規則性が、自然に現れて来ます。

     天体の運行や、音楽や建築の、合理的な生産性に、

     数学的な比率があるのと同じように、当たり前です。

 

     規格しなければ、効率の良い生産性は得られません。

     40億年の生物の体も、100億年の宇宙の構造も、

     人間の社会や、有性生殖の文化も、同じです。

     自由や文化って、規格して、規制して、拘束するの。

     精神で言えば、自我の機能ね。

     その能力が低いせいで、

     自由を拒否するGIDのような人たちを、

     心の病気として、特別に保護します。

     すごく芸術的で、人道的なことなの。

 

     意見や考え方は、自由ですから、

     身を挺して、それを主張するのも、悪くはありません。

     でも、人のことを、発達障害や精神障害やGIDなどと言うのは、

     どのような具体的な生き方や、考え方なのかを、

     言っているのでなく、

     戦争や平和の考えの、どちらが正しいかにかかわらず、

     どのような状況にも、適応できる能力が、

     ある程度よりも低ければ、病気として、

     保護してあげなければいけないってことを、言っています。

 

人格障害の人には、人を殺すのが、なぜ悪いのか、

わからない人が、たくさんいます。

嘘をつくのが、なぜ悪いかとかね。

紀元前5世紀頃までに、ユダヤ教でも、古代ギリシャの思想でも、

中国でも、インドやメソポタミアやエジプトでも、

人類社会に共通の、道徳的な価値観が、整理されて、記録されました。

 

道徳の価値が、人格障害の人には、わかりません。

幼児期に、みんなと同じ習慣を、身につけることが、

できなかったみたい。

 

健常な人は、平和な社会に暮らしていれば、

人殺しに、すごいストレスを感じます。

特別な条件がなければ、人を殺したり、殴ったり、

傷つけたりはしませんから、

複雑に条件をくっつけて、人を殺すのは、

とても面倒で、判断が難しく、もの凄いストレスになります。

 

戦場で、人を殺すのに、一々、複雑な条件を吟味して、

裁判の死刑判決のように、正当化していたのでは、心が持ちません。

     

戦争モードに変えてしまうと、笑いながら人を殺せるので、楽賃です。

虐殺なんて、ドイツ人はへっちゃらでした。

ユダヤ人なんか、虫けらですから。

平和になると、一発で、平和モードになって、

自分が殺したユダヤ人なのに、

昔の収容所の、死体の山を見ると、吐き気を催します。

 

健常な人って、戦争モードと平和モードだけでなく、

何百種類も何万種類もの、モードを使い分けています。

それなのに、精神障害の人の多くは、

キューバのサトウキビ畑みたいなもんで、モノカルチャーです。

一種類のモードだけって人も、少なくありません。

 

机上の空論ってのは、それ。

その人の頭の中では、一種類なの。

論理的に定義して、辻褄の合うものだけを、

頭の中で、製造してしまいます。

 

人格障害の人には、人殺しの大好きな人もいて、

何の条件もなければ、

人は誰でも、自分の好き勝手で、人を殺してもいいの。

空想の中で、嫌なやつを、鉄砲で撃ち殺すみたいにね。

でも、平和な日本に暮らしていますから、

いろいろな条件を、何千何万とつけて、

この場は、人を殺してはいけないって、導き出します。

 

道で、人に見つめられただけでも、

面を切ったと言って、殺してしまうのが、

一番、スカッとするそうです。

それなのに、何千何万と条件をつけて、一々計算して、

こいつを殺してはいけないって、導き出します。

すごく、しんどい演算なので、

道で、人に見られるたびに、ものすごいストレスになります。

 

そんなもん、早い話が、

殺すと仕返しをされるから、殺してはいけないとしか、

御本人には、理解できません。

逮捕されて、死刑になるから、殺さないだけなの。

逮捕される懼(おそ)れがなければ、

自分の好き嫌いによって、ひと思いに殺しても、いいはずなの。

 

ビーバーの毛皮を追って、

アメリカの開拓時代の、西部を旅した白人なんか、

山の中で出会った人を殺しても、捕まるわけがないもの。

ロシアなら、シベリアのロシアデスマンとか、

カムチャッカや千島の、ラッコとか。

何カ月も、人に出会わない山の中や、離れ小島で、

人を撃ち殺しても、勝手です。

電車もパトカーも携帯電話もありませんから、殺し放題。

ロシアテズマンって、もぐらの一種ね。

 

だからこそ、健常な人は、自分の好き嫌いで人を殺すと、

一生、罪悪感に苛(さいな)まれます。

キリスト教でも、仏教でも、宗教の力って、すごいみたい。

でも、もともとは、紀元前5世紀ぐらいまでに、

すでに確立されて、記録されている民衆の文化です。

たぶん、1000万年くらい前の、

類人猿と人類が分かれた頃に、確立していた文化と思います。

     

そうでなければ、人類って、生き残れないもの。

人殺しを禁じる文化に、共感できない人格障害の人って、

脳味噌に、尻尾や副乳のある人かも。

副乳って、お乳が、6つも8つもあるの。

人格障害のうちの、サイコパスって、道徳や法律を認めません。

 

気分次第で、好き勝手に、人を殺してもいいのに、

条件をつけて、一々、制約して、人殺しを辛抱しながら生きるって、

しんどいと思います。

人が見ていなければ、身勝手に殺してしまうのに、

捕まるから、やめておこうって、自制するのは、脳味噌が疲れます。

 

人殺しのほうに適応するよりも、平和のほうに適応して、

正当な理由があっても、人殺しに吐き気を催す人のほうが、

生きやすいかも。

 

人って、毎日走っていると、

走らない状態に適応できずに、イライラしてきます。

毎日、寝ていると、歩くことにも、適応できずに、

リハビリが必要になりますけれど、

訓練って、しんどいから、訓練に適応できない人って、

幼児期に適応した状態を、変更できなくなります。

 

刷り込みって言います。

筋肉の細胞は、老人になっても、

トレーニングをすれば、増殖しますけれど、

脳の神経細胞は、3才を超えると、まず増殖しません。

体は、一つの状態にしか、適応できませんので、

体の融通の効く範囲を考慮して、

あんまり、極端な状態に適応させずに、

日常的に、最もよく使う状態に、適応して置くのが、合理的かも。

 

神経細胞は、使わなくなると、アポトーシスみたいに、

自分から死んでしまうから、

偏食やモノカルチャーはやめて、色々な事を手掛けて、

たくさんの物事に、適応できるように、

蛸(たこ)足配線や、千手観音みたいなのが、いいかも。

 

     一番いいのは、人殺しモードにも、平和モードにも、

     どちらにも、適応できる人。

     一瞬にして、モードを変換して、使い分けができます。

     イナゴの孤独相と、群生相や、

     個体と群体を、使い分けるサンゴやヒドロ虫類も、

     立派ですけれど、

     健常な人間の心って、何にでもなれるから、すごい。

 

     どうして、平和モードだけでなく、

     人殺しモードにも、適応できるのが、いいかって、

     理由は簡単です。

     人殺しに嫌悪(けんお)を感じるモードにしか、

     適応できなければ、

     人に虐められた時に、簡単に自殺や痴呆になってしまうから。

 

     暴力を使わないように、発達障害の子を躾(しつ)けると、

     逃げることを教えるのが、すごく難しいの。

     反撃しないで、逃げるように躾けないと、

     知的障害の子には、正当防衛や緊急避難を識別できません。

     広汎性発達障害の子でも、

     虐(いじ)められないようにする方法を、習得できずに、 

     虐められた時の惨(みじ)めさから、被害妄想になり、

     統合失調症になったりします。

 

     戦争モードと、平和モードだけでなく、

     人殺しが好きと、嫌いの、二者択一でなく、

     無数の条件をつけて、使い分ける能力が必要です。

     人殺しの好きな人格障害の子が、

     健常者なら、どのように考えるかを、一々想像して、

     健常者のような振りをするのが、とても、しんどいのは、

     条件をたくさん付けると、演算に疲れるからに過ぎません。

 

     知能検査や学力検査は、机上の空論を計りますので、

     条件の数が、非常に少なく、たいへん楽賃な判断を、

     短時間に、どれだけ間違いなく、こなせるかが、

     要求されます。

     実生活の、事実と言われる現実や、

     人とのコミュニケーションには、

     つねに、何万という条件がくっついています。

     これを、一瞬のうちに判断します。

 

     富士山と言われると、

     一瞬のうちに、富士山の映像が、心に浮かぶでしょう?

     でも、富士山を知らない人に、それを伝えようとすると、

     言葉に表現するだけでも、何十分もかかります。

     わたしたちは、何万もの、すごい数の条件のついた判断を、

     富士山のイメージのように、一瞬のうちに処理しています。

 

     共通の事実を使ったコミュニケーションは、それなの。

     事実を知らない人に、事実を伝えるのは、

     容易でありませんけれど、

     一緒に暮らしていれば、

     何万もの条件のついた論理や数学を、

     一々、解かねばならない愚かさも、ありません。

 

     ピタゴラスの音律なんか知らなくても、音楽は奇麗だもの。

     聴いたことのない異民族の音楽は、音はずれに聞こえます。

     イランなんか、

     オクターブの中に、24個も音が入っていたり。

     日本の雅楽も、相当なものです。

     あんなもん、平均律でないから、

     オクターブの中に、何個の音があるかって、

     切りがありません。

     戻って来ないもの。

     楽器の能力の限り、無限大の個数ってことね。

 

知能検査や学力検査は、

定義と、その変形や、記憶などを扱いますけれど、

情報処理量が極端に少ないので、事実を扱えません。

知能検査や学力検査などが、優秀でも、

客観的事実を共有できずに、他人との情報交換の、できない人が多く、

GIDでありながら、お医者さんって人も、たくさんいます。

ちょっと話をすれば、すぐに精神障害とわかるのに…

 

考え方の具体的な内容の是非でなく、

さまざまな考え方を、使い分ける能力が乏しく、

モノカルチャーの融通の無さが、

GIDの人の、性別の主張に現れています。

具体的な考えの、是非を言っているのでないのに…

 

GIDのような、発達障害に由来する精神の病気を治すのは、

治療なのか、教育なのか、わからないところがあります。

山下清さんは、知的障害でしたけれど、

知的障害も、GIDと同じように、ちゃんと、精神の病気の一つです。

いますぐにと言われても、治りません。

どうしても、時間が必要ですけれど、治す方法がないとは、限りません。

 

精神科のお医者さんの中には、

発達障害と、統合失調症とは、

脳の障害のある領域が違うと、言う人もいます。

 

器質的な原因や仕組みの、発見されていない種類の、精神の病気では、

診断基準に、心理症状が書かれているだけで、

脳の器質の異変は、何も規定されていません。

心理を見て、診断名に振り当てています。

 

健常な人の、脳の器質が、

外傷や虚血性疾患などによって、損傷されると、

壊死した脳の領域に応じて、特徴的な心理症状が現れます。

特定の脳の領域と、特定の心理との関係が、わかりますけど、

脳梗塞によって、言葉を喋れなくなった人が、

言葉を喋るトレーニングをすると、再び話せるようになります。

 

壊死した脳の領域の神経細胞は、二度と生き返りませんけれど、

他の領域の神経細胞が、失われた機能を肩代わりします。

脳の神経細胞には、別の領域の機能を、受け持つ機能がありますので、

この領域なら、この機能という関係は、必ずしも固定されていません。

 

日本人と、アメリカ人では、

言葉を喋る時に使用される領域が、違います。

日本人が、英語を喋る時も、日本語を喋るように、英語を喋ります。

使用される脳の領域は、日本語の時と、変わりません。

日本人もアメリカ人も、

外国語を、自国語の延長のように、取り扱っています。

 

文化の違いによって、同じ英語や日本語を使っても、

使われる脳の領域が、異なりますので、

健常者と精神障害者とでも、

脳の領域の使い方が、違うかも知れません。

 

健常者なら、セロトニン神経の機能を抑制すれば、

ドーパミン神経の機能が、亢進したとしても、

統合失調症の人では、健常者と違う機能の仕方かも知れません。

前頭葉のドーパミン神経が、不活発になっていたとしても、

前頭葉のセロトニン神経を抑制すると、

ドーパミン神経が活発になるとは、限りません。

 

健常者の脳の機能を前提として、これこれならば、こうなると、

お薬の作用する理屈を推測して、

統合失調症の患者さんに、当て嵌めても、無駄かも知れません。

 

発達障害の人の、能力の低い機能が、

PET(ポジトロン断層撮影法)の画像から、

どこそこの脳の領域が、健常な人に比べて、不活発なので起こるとして、

健常な人なら、その領域が受け持っているはずの心理機能から、

発達障害は、脳の何処そこの領域の、何々の心理機能の不足とするのは、

ほとんど、文学と同じです。

 

オウムの人が、サリンや向精神薬に夢中になったのも、

疑似科学に、ころっと誑(たら)し込まれる心と、

融通が効かなくなる心とが、似ていたからかも知れません。

 

客観的事実を知り、他人とコミュニケーションをする能力に比べて、

疑似科学を信じる心や、知能検査や学力検査に現れる能力って、

たいへん早熟の、幼稚な能力ってことかもね。

早熟の天才は、たくさんいますけれど、

個体が生きる早熟の才能よりも、

大人の文化を、使い分ける能力が、不足すれば、

生殖を維持できなくなるみたい。

 

40才でGIDを発症した人でも、

子供が大人になるように、十数年後に、

すっかり治る例を、何例も知っています。

人って、疲れると、能力が低下するのは、当たり前ですけれど、

大人の能力って、大人になってから、発達するのも、当たり前です。

  

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