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蔓茘枝(つるれいし)とも、苦瓜(にがうり)とも、言います。

苦瓜は、中国語では、クーグアと発音しますけれど、

沖縄では、ゴーヤと発音します。

 

最近は、ゴーヤという名前で、八百屋さんに出ています。

昔は、こんなの、売られていなかったと思います。

ウリミバエのせいかしら。

 

東南アジアの原産で、日本では主に、沖縄で栽培されています。

ウリミバエが卵を産み付けるので、害虫の蔓延を防ぐために、

本土に出荷できませんでした。

ウリ科の植物の、キュウリや、マッカや、メロンや、スイカが危ない。

ウリミバエって、蜂(はち)みたいな、蝿(はえ)みたいなやつ。

 

そこで、ウリミバエの蛹(さなぎ)に、放射線を照射して、

雄の精子をダメにしました。

最盛期には、一週間に2億匹を生産して、全部で530億匹を放しました。

天然の♀は、ダメ男の人工♂と、エッチをするので、

産まれた卵は、孵化(ふか)しません。

これを繰(く)り返して、20年間で、沖縄県から、

ウリミバエを根絶したそうです。

 

でも、ほんとは、結構、生き残っているのを、見掛けます。

もしも、異常に繁殖したら、再び、不妊虫を放さないといけません。

費用は、203億円でした。

GID(性同一性障害)に、似ていません?

 

GID(性同一性障害)って、どんな病気って、尋ねられます。

診断基準があって、定義されていますから、

そっちのほうを見てください。

 

定義ですから、間違いとか、正しいとかでなく、

宇宙にある三角形を、宇宙人とする、と定義すれば、

机の上の三角定規も、コンビニのおにぎりも、

ぜんぶ、宇宙人です。

 

そんなもん、宇宙の果てまで行って、検証する必要はありません。

定義した限りは、一つの例外もありません。

過去の事も、未来の事も、検証しなくて、よろしい。

三角形は、全部、宇宙人です。

定義ですから。

 

自由なんですよ、何と定義しようが。

それが普及することもあれば、全然、普及しないこともあります。

どのような定義が、よく普及して、どのようなのは、全然か、

お暇でしたら、研究して下さい。

ノーベル賞を、受賞できるかも知れません。

 

定義されていないことを言いますと、

だいたいは、子供のいない人でしたら、

GIDは、生殖を拒否する精神の病気です。

 

拒否する理由として、

心の性別や、脳の性差などから、体の性別を許容できないと、

御本人たちは、変更不能なほど、強く信じています。

確信の、合理的な根拠はありません。

性別の文化や、脳の性差の科学的知見を、

頭の中で整理せずに、わざと誤解します。

 

共通して、社会に適応できない生活状況や、心理状況を棚上げして、

人に共感できずに、変な感じに悩むのは、性別が違っているからと、

問答無用のように、頑(かたく)なに確信しています。

 

すでに、乳幼児期に、排尿排便のトレーニングだけでなく、

哺乳や離乳や、発語や歩行や、

自分の名前を知ることや、人の表情に反応することなどの、

生まれつきの反射や、躾(しつけ)の学習に、

異常や遅れのあった子が、少なくありません。

 

たいていは、就学に、特別な配慮を必要としない程度のもので、

発達障害として、軽症ですけれど、

統合失調症の患者さんの、乳幼児期の事情と、よく似ています。

幼稚園や小学校に、すんなりと入園入学できたので、

お母さんは、胸を撫で下ろしましたが、

異常を指摘されるかも知れないと、心配するだけの、

十分な心当たりが、ありました。

 

子供のいる人のGID(性同一性障害)では、

もはや、生殖拒否は、必ずしも社会的な支障になりませんが、

やはり、GID発症の、数年ほど前から、異性との性交渉に、

精神的苦痛を感じる人が、少なくありません。

 

重大な社会的支障にならなくても、性交渉を拒否する理由は、

子供のいない人のGIDの場合と、同じです。

発症の遅れた分だけ、軽症と言えるかは、

解釈に、よりけりですので、微妙です。

 

子供のいる人のGIDでは、

顔や体の形が、異性に似ていないにもかかわらず、

性転換を、強く希望する人が多く、

性転換を希望する理由として、MtF(male to female)では、

屁理屈を並べて、述懐する心の経験が、

行動に現れた事実と、著しく異なる特徴や、

同性愛でないと、嘘をつく特徴などが、あります。

御本人は、嘘と自覚していませんので、解離性障害に近い症状です。

GIDの仲間と知り合ってから、急速に自覚を失います。

 

周囲の人に笑われても、スローガンのように、屁理屈を高々と掲げて、

カムアウトすることによって、実質的に一般社会と訣別します。

社会から浮き上がった状態を、わざと作り出して、

スローガンに対する建前しか、受付けなくなります。

公然と開き直った屁理屈の中に、自閉します。

 

心の性別と言えば、神様がいると言うのと同じで、

そんなものは、ないと、誰も証明できません。

神様のことを、御本人も証明できないように、

心のことを、御本人が証明できなくても、

心のない人など、誰もいません。

 

心の性別や、神様のような、心の属性の存在や、正当性や主張するのは、

心がこうだからと言って、子供が駄々をこねるのと、同じです。

どのような心であろうが、

御本人の、行動や発言の、妥当性が問われなければいけません。

神様の思し召しという理由が、関係ないように、

心の性別という理由も、関係ありません。

 

健常な人は、

社会の公平な運営に、神様の思し召しが、理由にならないように、

社会の規則や、人の行動の是非に、心の性別は、理由にならないと、

GIDの御本人に、言ってあげなければ、いけません。

それを理解できないのは、子供でなければ、精神の病気です。

GIDの人は、心の性別を理由に、何でも、したい事をしようとします。

 

健常な人は、ちゃんと、言ってあげて下さい。

心の性別や、神様の思し召しのような、心の様態は、理由になりません。

心の様態が、変更不能になり、生活に支障をきたすのは、

精神の病気ですと。

 

きっと、GIDの人は、性自認や脳の性別などと、言い出しますから、

ちゃんと、教えてあげて下さい。

健常な人の、性自認が一定なのは、体の性別が変更不能だからです。

体の性別が、簡単に変更できるのなら、

健常な人の性自認も、自由に変更できます。

体の性別に合わせて、心は、なんとでも適応できます。

 

男女で、脳の形や機能の、性差はありますが、

健常な人の脳には、

体の性別にかかわらず、無条件に性自認を固定する機能は、ありません。

そのような機能は、精神の病気の人の、病気の脳の機能ですから、

精神科で治療して下さい。

 

社会は、健常な人を標準にして、運営されています。

子供や老人や病人や妊婦などは、特別に保護されます。

精神の病気の人も、特別に保護されていますので、

標準の運営とは異なる特別扱いになります。

 

病人や老人などが、標準になることは、それほど多くありません。

社会は、みんなが同じことをして、効率良く運営されなければ、

70億人が食べて行くだけの、生産性を確保できません。

どのように、みんなが同じ事をするかは、

みんなで考えて、法律や公序良俗などとして、決められています。

 

みんなで同じ事をするという規則を破れば、殺し合いになります。

規則を破る人は、死刑になります。

精神の病気の人は、規則を守る能力がありませんので、

特別に保護されています。

たぶん、死刑になりません。

  

カムアウトは、周囲の人に、GIDであることを宣言して、

精神の病気を、隠そうとしなくなることです。

子供のいる人のGIDでは、

ゴリラや、髭の生えた胡瓜(きゅうり)のような、

男まる出しの、体型体格のおっさんが、

お化粧にミニスカートで、通勤するようになったりします。

 

隠すことに耐えられなくなり、自分から、わざとそうするの。

統合失調症の急性症状では、毎度お馴染みの症状ですけれど、

助けを求めている徴(しるし)なのに、

同調してくれない人に、盛んに牙を剥(む)くようになります。

 

子供のいないGIDと、子供のいるGIDは、

生殖拒否の理由について、心の性別や脳の性差などの、

似たようなことを言います。

思春期になると、いちはやく発症する統合失調症の患者さんと、

結婚後に発症する人との、違いに似ているかも知れません。

 

     日本のMtFのGIDは、戦後、女の子として育てられたと、

     男娼が口を揃えて言った時代があり、

     やがて、女性に酷似の顔や体のMtFが、

     性欲がないと言うようになり、

     さらに、全然、女性に似ていない男性が、心は女と言い、

     TV(トランスベスティズム)は紳士の社交などと、

     言い出した時代がありました。

 

     いずれも、同じ人が、時代が変わると、

     違うことを、言うようになります。

     それでも、御本人は、嘘をついてると自覚できずに、

     本当のことを言っていると、強く確信しています。

 

     TVというのは、心は女性と言い、

     男性が女装を楽しむ運動や病気や人のことです。

     日本では、1975年頃から1995年頃まで、

     素人でも玄人のニューハーフのように、女装できる、

     という謳い文句にして、

     女装の便宜を提供する風俗店が、商業的に流行させました。

 

     1985年頃から、

     TG(トランスジェンダー)と、看板を掛け替えましたが、

     言っている人は、TVと同じ人に、

     女性化した同性愛の人たちと、

     FtMの人たちが加わったものです。

     TGを主張する人が、埼玉のGID医療を促しました。

 

     戦後、遊郭の名残(なごり)のお店で、

     ひがな一日、女装していた男性や、

     遊郭のお店から、一般の勤め先に通勤して、

     夜は女装で暮らしていた男性たちが、

     1958年の売春防止法の施行の頃から、

     いわゆる赤線が廃止されたので、

     現代風の、洋風の歓楽の町に、移動したことが、

     後の日本の、GIDの始まりと、言われています。

 

     敗戦直後に、焼け跡に男娼が目立ったことは、

     一般に知られていますが、

     事実上、遊郭で暮らしていた女装の男性客の話では、

     明治時代に、すでに女装の男性たちが、

     遊郭の中で、一定のグループを作っていたそうです。

     男装のまま、オナニーに耽って、射精をしない男性客と、

     女装のまま、遊郭に居着いている男性客とは、

     同じグループでしたが、

     男性同性愛のグループとは、別でした。

     東京方面でも、大阪方面でも、同じような証言があります。

 

     昔は、抗精神病薬や、抗うつ剤や、抗てんかん剤などの、

     精神科のお薬が、ありませんでしたので、

     精神の病気の人が、性的快感に、

     持続的に、浸り続けられるように、工夫して、

     常時、積極的に気持ち良くなり、

     脳内麻薬を分泌し続けることは、実用的に有意義でした。

 

     1985年頃から、MtFのGIDの人が、

     いわゆるパソコン通信を使い、

     男性の女装の話を、披露したところ、

     1950年代に、女性の和服を着たまま、

     青年時代を、和風の歓楽街で過ごした経験談が、

     年配の男性から、たくさん寄せられました。

     昔の花街や、遊郭の末流のようなお店に、

     今で言うMtFのGIDの人たちが、居着いていたことは、

     ほぼ、間違いありません。

 

     FtMのほうは、MtFの女装が、

     TV(トランスベスティズム)の性自認や、心の性別などを、

     宣伝し始めた頃から、

     TVの運動の、屁理屈の真似をするように、

     歓楽街の一角の、小さなお店に、

     たむろするようになりました。

     ほとんどは、同性愛の延長で、

     MtFのTVのようなものは、ありませんでした。

     日本のFtMが、爆発的に増えたのは、

     テレビ番組の、金八先生の影響です。

 

     30才を超えても、異性との性交渉や、就労経験のない人や、

     思春期以後、引きこもっている人や、

     オナニーはできるけれども、

     月経のない人や、インポテンツの人なども、

     よくGIDを発症します。

 

     GIDでは、MtFとFtMを問わず、体の形や大きさのタブーが、

     文化的に、生殖の支障になります。

     体の見掛けが、異性に酷似していれば、

     それを理由に、文化的に差別されることは、

     言うまでもありませんが、

     まったく女性的でない顔や体の男性が、

     女性の顔や形に、性的に強く憧れ、

     まったく男性的でない顔や体の女性が、

     体の小さいせいで、女子供として、軽く扱われることに、

     強く反発して、性転換を希望することも、少なくありません。

 

     その時にも、変更不能な体や顔の、形のせいと言わずに、

     変更不能な心の性別のせい、と言うのが、GIDの特徴です。

     健常でしたら、厳然たる体の事実は、変更不能でも、

     心は、自由に変更可能であるように、心掛けますが、

     GIDでは、心のほうが変更不能であるからと言い、

     ちっちゃな体の女性や、ごつい体の男性が、

     性ホルモン剤や、手術などによって、

     異性に似せようとして、体の生殖機能を、破壊します。

 

     体のように、客観的に把握しやすい事には、

     目を背(そむ)け、

     心のように、水や空気に似たものを、

     変更不能として、大切に祭り上げる特徴が、GIDにあります。

     精神の病気の特徴です。

 

     健常な人は、

     できるだけ、心の融通が効くように、心掛けますが、

     精神の病気の人は、

     心を、頑固に変更しないことを、目指します。

     まるで、拷問を受けても、自白しないスパイのような心を、

     理想としているかのようです。

 

GID(性同一性障害)は、貧乏なのに、新興宗教に凝って、

お金を貢ぐ信者さんたちに、似ています。

伝統的な、お葬式と文化財の管理に、徹する宗派に、

寄生するようにして、発展した新興宗教もあり、

政治に進出して、国民の3~5%の支持を得ています。

 

教祖は、毎週一つずつ、何かの賞を受賞しているそうで、

3~5%もの、支持率があれば、配下の組織や活動家に、

幾つもの賞を、お裾分けしてあげても、事欠きません。

 

賞って、同じグループの中で、授与したり、受賞したりしますから、

マスコミに、宣伝するための費用を、

仲間内のメンバーの間で、流通させているようなものです。

お歳暮や、お中元や、パーティーの招待のように、

貰(もら)えば、お返しをしますが、

小切手や手形や通貨に似て、入手すれば、使うしかありません。

 

オウムの麻原なんとかという人も、

幾つもの賞を、受賞していましたけれど、

芸能人やスポーツマンでしたら、

受賞記念の、楯やメダルやカップなどが、

応接間に、所狭しと並んでいるのが、普通です。

 

それでも、新興宗教の信者さんや、精神の病気の患者さんは、

誰々が、何かの賞を受賞した、と聞いては、

一層強く信奉して、お布施や手術費などの名目の、お金を貢ぎます。

これでは、テレビコマーシャルを見るたびに、

商品を買う羽目になります。

あほな事と知りながら、お歳暮をやり取りする健常な人もいれば、

知らない信者さんや、患者さんもいます。

 

精神科を受診しなくても、

人口の数十%の人は、オウムの信者さんのように、

合理的で客観的な思考と、主観的な感情とを、使い分けられません。

わたしたちが知っている因果関係は、

宇宙の出来事の中の、ほんの微々たる割合ですから、

過半数の人が、合理的な思考と、主観的な感情とを、

使い分けているのが、むしろ驚異的です。

 

医師などという呪術師の専門職も、新興宗教のように発展して、

ここ100年ほどの現代文化特有の、特殊な風俗を流行させています。

呪術師がエリートと言われるのは、文明以前の未開社会と同じです。

 

少し、手を抜くと、戦争を歓迎する人が、過半数を超えるように、

少し、気を抜くと、麻原さんのような人が、GIDのリーダーになります。

現在は、その状況に、近づきつつあるのかも知れません。

 

毒入り餃子事件の時に、

中国人は、日本人が生存不能なほどに、ひ弱になっていると感じました。

大量生産の食べ物に、毒が入っているのは、当たり前です。

無農薬野菜も、農薬を使わなければ、無菌室でしか、作れません。

屋上ビヤガーデンの、アルバイトの高校生は、

おトイレから戻れば、お好み焼きのキャベツを切ることで、

手を洗います。

ビニールの手袋をはめて、おにぎりを作るなどは、お笑い草です。

 

阪神タイガースが優勝したので、

道頓堀川という、どぶ川に、飛び込んだ人もいました。

わたしの青年時代は、東京の中央線の横の神田川に、

バキュームカーが、ウンコが放出していました。

厚さ15センチぐらいの泡の層が、

スポンジのように、神田川の水面を、覆い尽くしていました。

だれも、文句を言いませんでした。

 

原因不明の食あたりなどは、当たり前ですから、

変だと思ったら、食べません。

気づかなかった人は、死にますけれど、1人や2人が、死んでも、

一々、原因を追求しません。

老人が癌になれば、麻薬で気持ち良く死んでもらいます。

だれも、安楽死がいけないなどと、文句を言いません。

家族と医師が、見はからいます。

田舎では、姥(うば)捨て山の話が、生きていましたので、

子供に看取られて死ねれば、御(おん)の字です。

 

今のGIDの人は、無菌室で育った病人のようなものですから、

中国人が、毒入り餃子事件の日本人を笑うのは、当たり前です。

GID医療は、精神の病気の人に、

いかに楽しく暮らしてもらうか、というQOL(生活の質)の問題です。

統合失調症の患者さんにも、うつ病の患者さんにも、

色々な方法で、工夫しています。

いかに楽しく死んでもらうかと、同じ意味ですので、

昔は、QOLと言わずに、安楽死と言いました。

 

性転換という新しい工夫が、戦後になって、一つ増えましたが、

自然に治る人も、たくさんいますから、

生殖機能を断つのは、早計でないかと疑われます。

 

ただ、その時の急場を凌ぐ方法として、

御本人の望む方法が、一番でないかとも、言われています。

強制的に治療のできる症状でありませんから、

御本人の意志が、尊重されるのは、言うまでもありません。

 

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