D

 

ベルリーニ Vincenzo Bellini 作曲

『清教徒』 I Puritani (The Puritans) 第一幕第5場

 

国王派のアルトゥーロ Arturo が

【愛しい乙女よ】 A te, o cara, amor talora … と、

結婚式を前にして、新婦エルヴィラのことを歌うアリア

 

テノール : アルフレード・クラウス Alfredo Kraus

 

     A te, o cara, amor talora

     Mi guido` furtivo e in pianto;

     Or mi guida a te d'accanto

     Tra la gioia e l'esultar.

 

     Al brillar di si bell'ora,

     Se rammento il mio tormento

     Si raddoppia il mio contento,

     M'e` piu` caro il palpitar d'amor.

 

                   日本語訳は、一杯あるみたい。

 

でも、アルトゥーロは、国王の妃を逃がすために、行方不明になります。

知らない女と姿を眩(くら)ました、と知ったエルヴィラは、

狂乱して、廃人になりました。

清教徒革命のさなかに、行動力のない女性が、翻弄される物語。

 

なんか、FtMのGID(性同一性障害)と、似ているみたい。

レスビアンになって、抵抗するだけが、GIDは現代的かしら。

狂乱して、廃人になるのは、ほとんどおんなじ。

だって、子宮も卵巣も乳房も、自分から切除しちゃうのだから。

 

子供のいる男性同性愛者の、戯言(たわごと)に乗せられて、

身を滅ぼさないでね。

 

このアリアには、上の上のC#(554Hz)と、

C(523Hz)が、一度ずつ、出てきます。

テノールの、限界の高さですけれど、

若いときは、地声と裏声の中間を、

境目がないように、自由に出せるみたい。

35才ぐらいになると、中間を出せなくなりますけれど、

できるだけ、大きな声を出さないでいると、長持ちするそうです。

 

オペラって、昔は、マイクを使わずに、大声を出して歌いましたので、

すぐに、声が潰(つぶ)れました。

最近は、マイクの使用を、恥と思わなくなりましたので、

昔よりは、長持ちするみたい。

 

これより半音上の、D(587Hz)の音あたりまで、

一流のテノール歌手でしたら、正面切って、出せるそうです。

 

清教徒に、男声のF(698Hz)も、ありますけれど、

作曲者のベルリーニは、

ジョヴァンニ・バッティスタ・ルビーニ Giovanni Battista Rubini

という近代テノールの始祖鳥みたいな人のために、書きました。

 

この人は、胸声と裏声(ファルセット)の、中間の声を使い、

カストラートの築いたベルカント唱法を、継承したそうですけれど、

この高さの音を、現代のテノール歌手は、カウンターテノールのように、

裏声(ファルセット)で出します。

清教徒には、C#とFの間の音が、使われていませんので、

たぶん、ルビーニ という人も、

清教徒を歌った年齢から、裏声で出したと思います。

 

          ***   ***

   

体のごつい女性は、差別虐待されるので、

性転換して男になりたいと、思いたくなります。

体のせいと言えずに、心の性別のせいと、先人が言います。

タブーがあるからなの。

 

あとを追うように、GIDになる人は、

心の性別のせい、とする先人の言い訳(わけ)を信じて、

自分の能力の不足から来る自閉の気持ちを、

心の性別のせいと、確信します。 

たいていは、発達障害の自閉から、社会生活に支障をきたすの。

 

体がちっとも、男性に似ていないのに、

心の性別を訴えて、内摘します。

卵巣や子宮を、捨てちゃうの。

 

この事情に、同性愛の誤解が、重なります。

異性愛も、同性愛も、みんなオナニーの要領なのに…

 

性器を、器械的に刺激すれば、気持ちよくなるのは、

生まれつきの反射です。

他の感覚刺激や、任意の具体的な想像などを、同時に行なうと、

やがて、性器を刺激しなくても、

他の感覚刺激や、特定の想像があるだけで、気持ちよくなります。

こういうのを、条件反射と言います。

 

生まれつきの、気持ちよくなる反射を、惹(ひきおこ)すための、

スイッチを、日常生活の、至る所に作っておくと、便利です。

反射の入り口を、漏斗(じょうご)のように、拡張して置きます。

 

人は、この仕組みを使って、オナニーと同じ要領で、

異性と性交渉をしたり、同性と性交渉をしたり、

獣や電球と性交渉をしたり、

ゴムの焦(こ)げるニオイを嗅(か)いで、性的に気持ち良くなったり、

美男子や、自分自身や、何かの物体や、

空気や抽象語などを、想像して、性的に気持ちよくなったりします。

 

また、実際に性器を擦りながら、条件反射を実行すると、

性的な気持ちよさが、増強されます。

亭主の体を使って、性器を擦りながら、

清らかな音楽を想像しても、結構ですし、

同性の女性に、性器を舐(な)めて貰(もら)いながら、

自分自身の体を想像しても、構いません。

 

ぜんぶ、オナニーの要領で、

生まれつきの、性器を刺激すると、気持ちよくなる反射に、

たくさんの条件反射のスイッチを、自由自在に取り付けたものです。

 

同性愛や異性愛だからと言って、何も特別なことはありません。

もろもろの条件の、一つにすぎません。

具体的に何を、条件付けるかは、

同性愛も異性愛も、獣姦も近親相姦も、ナルシズムも、すべて平等です。

 

幾つ、条件反射を作っても、構わないし、

封印して、使用禁止にするのも、自由です。

 

でも、生殖を拒否するのは、違います。

生殖しなければ、生物は絶滅しますので、

性的な気持ち良さと、生殖とを、自由に使い分ける能力が必要です。

 

生殖は、ただの、子供の生産でありません。

社会の、存在根拠ですから、

子供がいないのに、自分から生殖を拒否する心は、

社会性の未発達と、密接に関係しています。

子供を救うために、自分の命を捨てる親の心が、社会を維持しています。

社会性です。

 

人間の生殖を制御する心を、自我と言います。

子供がいないのに、体の健康な人が、自分から生殖を拒否する心には、

必ず、自我障害が現れています。

脳の器質に、病変のない精神の病気のことを、自我障害と言います。

自我障害があれば、必ず生殖を拒否するとは、言えません。

 

性器を擦る気持ち良さや、性的な条件反射を実行する気持ち良さなどと、

生殖とを、一緒に行なうのが、省エネで合理的ですけれど、

別々に行なっても、差し支えありません。

 

体が健康なのに、子供のいない成人が、生涯、生殖を拒否するのは、

自殺と同じで、明らかに精神の病気ですけれど、

性的快感と生殖との、使い分けの能力の低い発達障害が、

根本原因かも知れません。

 

ついでに言ますと、近親相姦も、先天的な病気が増えますから、

精神の病気ですけれど、

先天的な病気の増えることを、知らない人は、やってしまいます。

近親相姦によって、先天的な病気が増えることは、

近代科学がなくても、

大昔から、論より証拠を、見ていた世間の人々が、伝えて来ました。

自閉して、他人から情報を得ない人は、近親相姦をやってしまいます。

 

オナニーをすれば、精神の病気でないかと、本気で心配する人も、

たぶん、自閉の嫌疑が、掛かります。

表向きは、オナニーを忌避する道徳があっても、

ざっくばらんには、誰でも、オナニーをしているのに、別状ないことを、

他人との、気さくなコミュニケーションによって知ります。

自閉する人は、自分一人で、本気に悩みます。

 

性的に気持ち良くなるために、

同性愛や異性愛などを、自由自在に使い分けられるのに、

GID(性同一性障害)という精神の病気の人は、

知らなかったり、知ることを拒否したり、使い分けを拒否したりします。

自由に使い分けられないことを、良いこととして、

使い分けられる人を、ニセ者と言い、軽蔑します。

 

異性と生殖できない同性愛者が、本物の同性愛者であり、

異性とも同性とも、性交渉が出来て、生殖の出来るバイセクシャルは、

ニセ物の同性愛者だそうです。

 

そんなことを言えば、健常者は、

異性とも同性とも、物体とも空気とも、抽象語とも水とも獣とも、

何とでも、性的に気持ち良くなれますし、

何を思いながらでも、異性と生殖することができます。

どうしてくれるのでしょうか。

 

同性愛だから、心の性別が、体の性別と違う、と思っている人も、

GIDには、少なくありません。

電波に命令された、と聞いても、

必ずしも、精神の病気でありませんけれど、一応、気にかけて置きます。

心の性別や、心と体の性別の不一致などと、聞けば、

一応、電波と同じように、精神の病気の、懸念(けねん)を持ちます。

 

     同じ間違いが、金八先生では、丸出しでした。

     番組の制作自体が、精神の病気の症状と、わかりますので、

     ディレクターや制作者の名前を、覚えておきます。

     たいては、ゲイパレードで見掛けた顔や、

     GIDの大峰登山などで、署名をした同性愛者の中に、

     見つかるからです。

 

     でも、どこまでを、精神の病気として、保護してあげるかは、

     時代や場所によって、異なります。

 

     日本では、17世紀後半の江戸時代から、

     今で言う統合失調症の急性症状や、

     重症の知的障害や、子供などは、処罰されませんでした。

     イギリスやアメリカでは、19世紀の後半になっても、

     それらの精神障害や、非行に走る子供などが、

     公開で、首吊り刑にされていました。

 

     現在でも、麻薬やアル中の、心身喪失は死刑になりませんが、

     人格障害は、死刑になります。

     間違いなく、精神の病気ですが、

     ほとんどは、心神喪失や心神耗弱でなく、

     責任能力は完全とされます。

 

     御本人自身が、自分は健常と言います。

     知的障害でも、軽症の人は、そう言います。

     広汎性発達障害の、軽症の人などは、御本人だけでなく、

     親御さんも、病気扱いにして欲しくない、と言います。

 

     人格障害も、大部分の人は、病気でないと、

     御自身が思っていますけれど、精神の病気です。

     ほとんどは、責任能力が完全とされていますので、

     御本人の希望によって、死刑にしてもらうことができます。

 

     思春期以後の、脳や体の器質に、異常がないにもかかわらず、

     慢性的に、様々な精神障害に苦しみ、

     やがて、痴呆に至る人のほとんどは、

     乳幼児期の、軽症の発達障害が、放置されたことによります。

 

     どこまでを、精神の病気として、保護してあげるかは、

     社会の側の、余裕だけでなく、御本人の病識にもよります。

     器質に異常のない精神の病気では、

     治らない人と、最後まで病識を拒否する人とは、

     ほとんど同じです。

     御本人の意志を大切にすることと、

     病気として保護してあげることは、いつも衝突します。

 

     人格障害でも、現実には、御本人に、

     回避する方法がありません。

     治療してあげろ、と言われても、

     強制的に治療する方法が、ありません。

     教育するしかありませんが、御本人が拒否すれば、無理です。

 

     強制的に入院させても、監禁する以外になく、

     刑務所と同じになってしまいます。

     薬物によって、強制的に、意識を朦朧(もうろう)とさせて、

     意志を薄弱にすることができても、

     薬物による刑罰と、同じになってしまいます。

 

     粗暴な常習の刑法犯や、いわゆる間抜けな刑法犯は、

     大部分が知的障害ですけれど、ほとんどは服役します。

     法的に、責任能力は完全とされますが、

     実際には、本人にどうしようもありません。

     重症の知的障害者は、犯罪を冒す能力がありませんから、

     常習犯のほとんどは、

     健常との中間のような、軽い知的障害です。

 

     発達障害には、知能検査や学力検査に、症状の現れる障害と、

     そうでない広汎性発達障害とがあります。

     GIDの大部分の人は、乳幼児期に、

     軽症の、広汎性発達障害があります。

     一流大学の医学部にも、合格できますので、

     お医者さんも、少なくありません。

 

     人格障害は、乳幼児期の広汎性発達障害が原因になり、

     思春期以後に現れる精神障害の、最も多い症状です。

     統合失調症でも、発達障害が基礎にある人は、

     人と違う独自性や、考えを変更しない固い意志を、

     良いことと確信することが多く、治らずに痴呆になります。

     GIDも、治らない人は、同じ道をたどります。

 

↑このページのトップヘ