扉(とべら)と書きます。
枝や葉を折ると、多少の異臭(いしゅう)がありますので、
魔除(まよ)けとして、家の敷地の出入り口に植えるそうですが、
悪臭と言うほどでもなく、なんとなく怪(あや)しい由来です。
実(み)は、無臭です。
女性のわきがの類(るい)の臭(にお)いのうち、
女性器の臭いを、トベラと言いますが、
臭(にお)いよりも、
臭(にお)いを気にする精神障害と言うべきかも知れません。
性転換の、精神の病気の治療としての有効性って、
性転換をして、後悔するか、しないかとは、
ほとんど関係ありません。
御本人が、後悔しないからと言い、
自己責任でやりたいと言って、性転換をしたのですから、
どのような結果になっても、後悔をしていない、と言います。
本人が望んだのですから、後悔をしていないと言うのは、
当たり前です。
性転換をする前の気持ちと、性転換をした後の気持ちが、
同じである、というだけのことです。
性転換前も、後悔しないと言い、
性転換後も、後悔していないと言います。
GID(性同一性障害)って、精神の病気ですから、
気持ちが変わっていなければ、治療効果がない、
ということかも知れません。
性転換をしたい、と言うのが、精神の病気ですから、
性転換をしてみて、後悔をした、と言えば、
治療効果があったと言えます。
なんとなく、変(へん)てこかしら。
自分の心の性別が、体の性別と違う、と言います。
望みの性別に、いわゆる埋没をしたい、と言います。
性転換後に、体の性別と心の性別は同じであると、
思うようになるのかしら。
生殖機能が新しく作られたのでありませんから、
体の性別は、以前と同じです。
体を壊しただけですが…
性転換後に、いわゆる埋没をした生活を、営んでいるのかしら。
埋没って、望みの性別の暮らしに、適応しているって意味の、
GID(性同一性障害)の御本人たちの使う言葉です。
カミングアウトをしないで、
大人しく適応していなければいけません。
性転換したことを、周囲の人に気づかれていない条件でしたら、
埋没できるのかしら。
実際には、わざわざ、自分が性転換をした人間であることを、
カミングアウトする人もいます。
大人しく埋没していたのでは、馬鹿馬鹿しいそうです。
発症後のGIDの人と、新たに一緒に暮らすパートナーの人は、
精神科を受診していなくても、
受診している人たちと、似たような人です。
とりわけ、GID(性同一性障害)と、よく似た精神の病気の人です。
なかには、一緒に暮らすパートナーも、GIDであることや、
精神的な理由から、異性との性交渉のできない人や、
自分のことを、同性愛であると、自覚できない人もいます。
ノーマルな異性愛者であると、自称します。
パートナーのGIDのことを、ネイティブよりも本物らしいと、
思っているそうです。
ネイティブって、生まれつきの、その性別の人を言います。
普通の人ね。
自分のことを同性愛であると、自覚できずに、
ネイティブの異性愛者であると確信して、
GIDとしか性交渉のできない人って、
なんとなく、精神の病気の嫌疑がかかると、思いませんか。
GIDの形成された性器って、思春期以後の人が見れば、
だれにでも、手術の痕跡がわかりますから、
いわゆる性的マイノリティの人としか、一緒になれません。
履歴のこともありますから、当たり前ですけれど。
性転換治療を受ける前のことを、性的マイノリティと自称して、
SRS(性転換手術)を受けた後も、性的マイノリティでしたら、
性的立場は、あまり変わりません。
パートナーのいない一人暮らしの人も、
GID(性同一性障害)には、たくさんいます。
性転換治療を受ける前に、カミングアウトをすると、
周囲の人から、そんなことだろうと思っていたと、言われるぐらいに、
除(の)け者にされていたり、跳ね上がっていたり、
孤立していたり、はみ出していたりする人が、少なくありません。
性転換治療を受けた後も、その立場の変わらない人が、
ほとんどです。
戸籍の性別を変更して、転職した後に、
周囲の人には性転換を知られなかったとしても、
やはり、以前のように、仲間外れのはみ出し者になってしまいます。
中には、以前のように、やっぱり遊び人の人もいます。
これらの人も、性転換を後悔しているとは、言いません。
性転換前も、性転換後も、
だめ人間の落ちこぼれに、変わりがないのではないかと、
疑われる人もいます。
性転換をするまでは、しっかりと就労していながら、
性転換後に、退職して、定職に就(つ)かなくなる人もいます。
性転換が、どのような病気の治療に、
どのように有効だったのかしら。
遊びのネタを、提供してあげただけではありませんか。
そのために、健康保険を適用するのは、
変(へん)でないかと、言う人もいます。
かえって、体を壊しただけですので、将来の負担になります。
精神的に、どのような利益があったのかしら。
遊びのネタを得たのですから、
何かの一時凌(しの)ぎにはなったはずですが。
本人が後悔していないって、
お酒を飲んで、肝臓を壊して死んで行く人にも、
そのように言う人が、たくさんいます。
わたしは、体をいじくらなくても、GID(性同一性障害)でしたら、
何度でも、戸籍の性別を変更できるように、
特例法を改正するのが良いと思っています。
生殖機能の破壊や、生殖器の変形などの希望は、
GIDとは別の病気とするのが良いかも知れません。
それぞれの疾患名の治療法に従って、治療して下さい。
たとえば女性が、心は男性だから、男性になりたい、と言えば、
GID(性同一性障害)と診断して、
戸籍の性別を男性に変更してあげます。
その人が、自分は男性だから、卵巣や子宮や乳房を摘出したい、
ちんちんを作りたいと言えば、
戸籍を女性に変更してあげて下さい。
何か、人を馬鹿にしているようですけれど、
心の性別と、体の性別が違うと言うのが、
そもそも、人を馬鹿にしているような屁理屈です。
ヒステリーですけれど…
心が、体の性別を受け入れられないって、
早い話が、生まれついた健常な体が嫌(きら)いだ、
と言うのと、同じです。
無意識の機械的な脳の機能が、
体と反対の性別用になっているとは、今のところ、わかりません。
そのような証拠が、出て来ないの。
意識的な脳の機能のすべては、たぶん変更可能になっていますが、
何度も繰り返された習慣や、脳の老化などから、
変更が困難になります。
少数回しか繰り返されていなくても、
酵素(こうそ)やホルモンなどの化学物質のせいで、
変更困難になることも、あるかも知れません。
意識的なことが、変更可能な理由は、
意識の原理を憶測したものにすぎません。
文学的です。
心が、体の性別を受け入れられないと言うのは、
心が、人間という境遇を拒否しているとか、
心が、この自分に生まれついたことを拒否しているとかと言うのと、
似たようなものです。
悟(さと)ってもらうのが、一番です。
諦(あきら)めて頂戴、ということです。
すみません。
そのことを、心は発達すると、言います。
変更不能であっても、なぜ、そのように変更不能であるのか、
なぜ、そのように生まれついたのかを、
研究して、納得してもらうほか、ありません。
だいたいは、社会経験や人生経験を積めば、わかって来ると、
言われています。
顕微鏡を覗いたり、本を読んだりして、わかろうとするのは、
愚(ぐ)の骨頂(こっちょう)と言われています。
四十になれば、自分の顔に責任を持て、と言われるのと、同じです。
無茶苦茶な話ですけれど、人間の心は発達するはずです。
老化かも知れません。
GID(性同一性障害)の人は、
性別のことだけでなく、何につけても、
変更不能なものに、自分の心を合わせる能力が、
低いかも知れません。
若いと言う意味ですけれど、
老化かも知れませんし、あほかも知れません。
SRS(性転換手術)を受けても、生物学的な性別は変わりません。
生殖機能を壊して、
性器や、着衣の体の見てくれを、変形するだけですので、
体が嫌(いや)なのか、性別が嫌(いや)なのか、
今の文化が嫌(いや)なのか、何が嫌(いや)なのか、
意味不明です。
これと、これと、これは、嫌(いや)だと、はっきりさせて下さい。
たぶん、性別という概念とは、全然、輪郭が違います。
性別という概念によって、纏(まと)めようとするのが、
そもそも文学にすぎません。
健康保険を適用してあげたいのですけれど、
性転換が、精神の病気の治療に無効であるだけでなく、
体を壊した分だけ、将来の負担になりますので、
今、気持ちよくなり、一時凌ぎをするだけしたら、
遊ばせてあげるのと、同じ意味にしかなりません。
遊んで気持ちを楽にするのも、苦しい時には大切ですけれど…
遊ぶのって、癖(くせ)になり易いの。
治療効果のあることに、
健康保険を適応してあげなければいけません。
性転換をしようとするのが、病気である、
ということになっていますから、
性転換をしなければ良かったと、思うようにしてあげれば、
治療になるって、変(へん)ですよね。
性転換って、ダミーの症状なので、このように変なことになります。
ヒステリーの転換症状ですけれど、
GIDの治癒した人たちの言うには、
性別や性転換のことなどに、躍起になっていたのは、
たんに、気持ちがあさってになり、解離していただけでなく、
精神的な苦しさから逃れるために、そうしていたそうです。
自分が何であるかが、わからなかったと言います。
性転換というダミーの症状の下に、基礎疾患があります。
それに対して、性転換が有効な治療であるか否(いな)かを、
評価しなければいけません。
そうすれば、すっきりと理解できるようになります。
基礎疾患は、一人一人が、それぞれに違っていますので、
GID(性同一性障害)として纏(まと)めるのは、
もはや、意味がないかも知れません。
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