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三浦半島の先っちょの、東京湾側の観音崎(かんのんざき)から、

千葉県の富津岬(ふっつみさき)を写しました。

 

観音崎(かんのんざき)って、横須賀市ですけれど、

富津岬(ふっつみさき)とを結ぶ線よりも、

東側(右側)が、浦賀水道(うらがすいどう)。

西側(左側)は、東京湾。

 

富津岬の先っちょに、明治百年記念展望台というのがあります。

全体として三角形(さんかっけい)の、巨大なテラスですけれど、

遠(とお)くから、よく見えるので、富津岬の目印になっています。

 

わたしには、なんとなく、

製鉄所(せいてつしょ)に見えますけれど。

 

 

後片付けや、お掃除やお洗濯ができずに、自室がゴミだらけって、

精神の病気の人に、たくさんいます。

身の回りのことができないのは、

お酒飲みや、一人住まいの人にも、珍しくありませんし、

体の病気の人や、老人には、普通かも知れません。

 

どこまでが、病気のせいで、どこまでが、ずぼらなのか、

どこまでが、精神のせいで、どこまでが、体のせいなのか、

はっきりと区切りをつけられません。

家族の一人がそうですと、

家族全員が、そのように見られてしまいますけれど、

ほんとうに、家族全員がそうかもしれません。

 

後片付けができないだけでなく、計画的に物事を実行できません。

ジュースの入ったコップを、ひっくり返しても、

雑巾やティッシュペーパーを使い、素早く拭(ふ)き取れません。

濡れたお布団を干したり、シーツを替えたりって、

できない人が、たくさんいます。

 

咄嗟(とっさ)の予期せぬ出来事に対応できないだけでなく、

普段から、

杓子定規に教えられて、無理やりに習慣づけられた事しか、

順序立てて実行できない人が、たくさんいます。

 

アル中(ちゅう)では、お酒のせいで、そうなるように、

統合失調症では、お薬のせいでも、そうなります。

 

子供の時には、そうでもなかったのに、

だんだんと、症状の進行して行く人がいて、

アルコール依存症や統合失調症の発症が、

それに応じて起こっただけのこともあリますし、

子供の時から、すでにそうだった人もいます。

 

進行するのでしたら、認知障害と言いますけれど、

アルツハイマーや脳血管障害のように、

脳の器質的な病気であるって、はっきりとわかっている人もいれば、

統合失調症のように、

脳の器質に、原因となる病変の発見されない人もいます。

 

進行の始まる年齢が、

中年以降の、老化と言われる年齢の場合もあれば、

幼児期や思春期のように、これから精神的に発達すべき年齢に、

すでに、能力の低下が現れて来る人もいます。

 

発達障害って、

発達が遅れているとか、寄り道をしているとかって感じの、

大器晩成型の人もいれば、

発達の異常と言うよりは、認知障害に見える人もいます。

 

統合失調症の人では、

発達障害と思っていると、認知障害とわかってきますけれど、

GID(性同一性障害)でも、似たような症状の人がいます。

 

御本人の訴える性別の症状って、

ほとんどの場合は、あまり重要でありませんので、

性別に目を奪われていると、

お医者さんの目が、患者さんの精神症状と同じになってしまいます。

 

おトイレに行かずに、おしっこやうんこを、

自室に垂れ流すこともありますので、

お布団を上げると、畳がカビだらけで、虫が涌いていたりします。

 

家族が自室に入ろうとすると、激怒して、家族に掃除をさせません。

お風呂に入らない、顔も洗わない、歯も磨きませんけれど、

家族の訴えがあると、統合失調症と診断されて、

強制的に治療されることもあります。

 

一人住まいですと、家の中がゴミだらけでも、

何も悪いことをしていませんから、強制的な処分はできません。

ゴミを捨てられずに、家の外までゴミだらけで、

わざわざ、粗大ゴミを拾ってきて、

自宅の周りに積み上げる人もいます。

 

本人に尋ねると、ゴミでなく、必要なので置いている、と言います。

干乾びてカビだらけのミカンの皮や、

コンビニのレジ袋の中で腐ったままの弁当が、

大切である、と言うのです。

 

そのようなものを必要と思い、自分の周りに囲って置く理由や、

他人に触れさせずに、自分の思いを守ろうとする気持ちなどは、

たいていは、統合失調症の妄想や幻覚と同じですが、

強制的に治療されなければ、自力では、気持ちが変わりません。

 

入院をしてもらい、抗精神病薬が効いてくると、

気持ちが変わり、ゴミだらけの家に戻りたくなくなりますけれど、

それでも、以前の気持ちや、現在の気持ちを、

打ち明けてくれませんので、

何を考えているのか、誰にもわかりません。

たぶん、本人にもわかっていません。

 

御家族の訴えがなければ、強制的に治療されませんので、

一生、ゴミの中に住み続けます。

 

     GID(性同一性障害)でも、

     家の中が、ゴミだらけの人って、珍しくありません。

     MtF(male to female 男→女)では、

     衣装が山のように積み上がり、

     寝る場所もない人が、たくさんいます。

     

     衣服が多く、ハンガーに掛けられません。

     汗をかいた衣服を、洗濯屋さんに出すこともなく、

     自分で部分洗いをすることも、ありません。

     しんどいから、ソファーに、ふわっと広げて置きます。

     

     一枚の衣服の上に、また一枚と、積み重ね、

     やがて、ソファーでなく、

     床の上に、積み重ねるようになります。

 

     何枚も重ねると、下になっている衣服は、

     すぐに皺(しわ)になりますから、

     今度、着たい時には、

     アイロンを掛けなければ、着れません。

     

     すごい時間が掛かりますので、

     アイロンを掛けることもなく、

     事実上、一番上になっている衣服しか、

     二度と着ることがありません。

     洗わずに置きっ放しにしていますから、

     脇の下なんか、一度着ただけで、変色していたりね。

 

     衣服を、使い捨てにしているのに、

     山のように積み重ねて、放ったらかしにしています。

     寝る場所もなくなるくらいに、

     家の中が、衣装だらけです。

     MtF(male to female 男→女)って、これが多いの。

 

     それだけ、毎日、衣服を買うお金がありますから、

     本人は、立派な収入のお仕事です。

     奥さんと離婚して、家の中は、ゴミ屋敷同然。

 

     心の性別がどうのこうの、LGBTがどうのこうの、

     性別の選択の自由や権利やらと、言いますけれど、

     性別のことは、原因でなく、

     精神の病気の結果にすぎません。

     精神障害の症状の一つなの。

 

     LGBT(エルジービーティー)って、

     レズ・ゲイ・バイ・トランスのことね。

     ゲイって、男性同性愛。

     バイって、水陸両用みたいに、

     男女どちらとでも、性交渉ができます。

     トランスって、トランスジェンダーのことで、

     心の性別が、体の性別と違う、と主張します。

 

     健常な人は、男性とも、女性とも、

     自由に性交渉や恋愛のできる能力がありますけれど、

     文化的流行や、本人の趣味などによって、

     能力のままに、すべてを発揮するわけでありません。

 

     LGBTの人の多くは、

     能力そのものに偏(かたよ)りがあったり、低かったり、

     好き嫌いや流行に左右されずに、機能を制御する能力が、

     低かったりします。

 

GID(性同一性障害)の人って、同性愛の趣味のある人が多く、

なかには、同性愛しか出来ない人も、たくさんいます。

面倒臭いので、ここでは体の性別を基準に、

同性愛や異性愛と言います。

性転換をしても、人間の性別は元の性別のままである、とします。

そうでないと、言い方がややこしくなりますから。

 

同性愛って、進行することが、少なくありません。

思春期に、レズやゲイしか出来なかった人が、

結婚した頃には、バイになり、子供が生まれて育つと、

レズやゲイに戻るって、よくあります。

 

バイになるところまでは、健常な人と、よく似ています。

健常な人って、ふつうは、男女いずれかとの性交渉を先に覚えて、

もしも、同性との性交渉を先に覚えた人は、

後に異性との性交渉も習得します。

左利きの人は、たいてい両利きになるでしょう?

 

左利きの人が、右手の使い方を覚えるのは、簡単です。

同じように、右利きの人が、左手の器用な使い方を覚えるのも、

簡単ですが、

文化的に右利きが標準とされていますので、

右利きを先に覚えた人は、

たいていは、左手の器用な使い方を、習得しようとしません。

 

右手を骨折すると、いっぺんに両利きになります。

簡単に習得できるってことを、誰でも知リます。

 

それでも、なかには習得できない人がいます。

不器用な人かも知れません。

同様に、いったん両利きを覚えたのに、

使い続けようとしない人もいます。

最初に器用さを習得した手のほうが、楽ちんに使えますので、

それ一本に、退行してしまいます。

楽なところへ、引っ込んでしまうの。

 

同性愛もそうなの。

元の鞘(さや)に戻ってしまう人がいて、

認知障害の進行と、一致していることが、よくあります。

GID(性同一性障害)の発症ともね。

 

認知障害って、いったん発達していた能力が、低下しますので、

発達障害が、さまざまな能力の、得手不得手による発達の偏りや、

発達の速度の低さや、発達の到達点の低さなどを言うのとは、

また違います。

 

認知の能力って、認知の仕方が異なると、あほと言われますので、

みんなの文化的なプログラムと、個人的なプログラムとを、

使い分けられずに、

個人的なプログラムによって、自我や事実や論理などの、

意識の内容を認識すると、たいていは認知障害と言われます。

 

他人とのコミュニケーションが出来なければ、そうなるの。

認知障害が進行するってことね。

 

苛(いじ)められれば、

コミュニケーションが出来るわけがありませんけれど、

苛められる原因の多くが、

みんなと一緒のことが出来ない、という能力の不足ですから、

発達障害と認知障害って、

いつの間にか、掏(す)り替っているのが、普通です。

 

     日本って、第二次世界大戦に負けるまでは、

     同性愛の国であったと、言っても構いませんけれど、

     ちゃんと生殖をしていましたから、バイです。

     レズはあまり推奨されていませんでしたから、

     男の天国でした。

 

     戦争によって、同性愛が流行するのは、

     一時的なものであり、本物の同性愛でないと、

     同性愛の人は、言います。

 

     別に、認知障害の症状の一つとしての同性愛が、

     本物である、というわけでありませんから、

     GID(性同一性障害)の人が、

     自分の精神障害を自慢するように、

     同性愛の人が、本物を大切にする必要はありません。

 

     戦争によって、男性同性愛が流行(はや)るのは、

     もちろん、殺し合いの現場では、

     女が足手纏(あしでまと)いになるばかりで、

     男の命を守る手立てに、ちっともならない、

     という意味です。

 

     戦闘の現場に、女性は少ないと思いますけれど、

     信頼の出来る戦友を大切にするのは、当たり前です。

     自分の家の中や、庭先が、戦場になる戦争では、

     普段の日常生活が、戦場の真っ只中ですから、

     寝首を掻かれる、ということも、日常茶飯です。

 

     眠っている間に、殺されるって、嫌(いや)だなあ。

     統合失調症の御家族は、そういう気持ちになるそうです。

  

     ヨーロッパの戦争も、日本の戦国時代も、そうでした。

     男にとって、女なんか、頼りにならないでしょう?

     ベトナム戦争もそうでしたけれど、

     アメリカの兵隊は、夜中に砲撃や夜襲を受けましたから、

     おちおち、眠っていられませんでした。

 

     寝首を掻かれるって、すごい精神的ストレスでしょう?

     織田信長って人も、そうでしたから、森蘭丸なのですよ。

     一緒に離れずに、最後まで戦ってくれる男がいると、

     心強いでしょう?

 

     なんとなく、少しは安心して眠れる気持ちになりません?

     一緒に眠り、一緒に殺し合いをする男だから、

     同性愛になるの。

     

     レズも同じですよ。

     男が強権を発動して、女を守ろうとしても、

     更衣室の中まで、立ち入れません。

     昔なら、お台所もそう。

     ありとあらゆる場面で、男女別々でしたから、

     男が女を守るなんて、できっこありません。

 

     女は、女の世界で暮らしていますから、

     ここで虐(いじ)められずに、やって行くには、

     信頼できる女友達や、年長や目上の者が必要でしょう?

 

     一人では、虐められるから、

     頼りになる人と、一緒に行動します。

     虐められやすい人ほど、その必要がありますから、

     同性愛って、集団安全保障の基本の単位になります。

     みんなと一緒のことができずに、虐められやすい人ほど、

     同性愛に頼る傾向が強くなるの。

 

     ほんとうに、同性愛の人の言うように、

     戦場の同性愛って、

     一時的な偽物(にせもの)の同性愛かしら。

     わたしには、

     戦争が、同性愛のオリジナルに見えますけれど。

 

     殺し合いと言うか、虐(いじ)め合いと言うか、

     集団安全保障の確保が、同性愛の一番の目的です。

 

徳川家康って人は、戦争や同性愛が、大嫌いでした。

平和と異性愛が好きなの。

一般の武士は、平和になっても、

武士の気概を忘れぬように、同性愛を奨励しましたが、

徳川家康は、同性愛の奨励を、戦争の奨励と同じ意味に

理解しました。

 

多くの武士は、武士の高貴な魂のような同性愛が、

町人の色遊びの類に、堕(だ)することを、嫌いましたが、

徳川政権は、戦国の世の再来を厭(いと)い、

平和の維持を、一貫した施策としました。

 

再び、戦国の世になるって、徳川一族が血塗(まみ)れになるのと、

同じ意味だもんね。

同性愛が、ただの、町人の色事になるのを、歓迎しました。

 

身の安全と、同性愛と、戦争の関係って、

古代ギリシャやローマも、同じです。

異民族をやっつけて、奴隷にして、覇権を握ることが、

文化的に優位に立つことでした。

 

当然、同性愛の意味も、戦国時代の日本の武家と同じですけれど、

中世になっても、修道会という軍隊に受け継がれましたので、

キリスト教が、同性愛の大本山でした。

十字軍っていう戦争をやっていたでしょう?

 

戦争の時代って、男と女は、ちやほやしてられません。

いちゃいちゃしていたら、殺されるもん。

戦争の世の男女関係って、生殖本位で合理的ですけれど、

殺し合いをしていると、生産力が伸びません。

人口と食料生産って、ほとんど同じ意味です。

 

殺し合いをやめると、人口が増えて、生産力が高くなりますから、

同性愛やキリスト教が落ち目になるのは、当たり前です。

 

ヨーロッパの歴史って、その通りでしょう?

イスラム社会との戦争が片付いて、生産力が高くなると、

キリスト教の権威が失墜して、

同性愛が差別されるようになりました。

 

キリスト教や仏教やイスラム教などの宗教って、

男と女の平和な家庭生活を否定していますから、当たり前でしょう?

人間不信なの、宗教って。

 

現代のように、同性愛が見直されるのは、

生産力が停滞して、戦争のほうへ、時代が変わりつつある、

という意味です。

異性と恋愛をしても、

生存や集団安全保障や世代交代の、役に立たなければ、

同性愛の評価が高くなります。

 

世代交代をするには、育児や家庭を守らなければいけませんから、

どうしても、集団安全保障が必要になります。

異性といちゃいちゃするのは、頼りにならんから、

信頼できる同性を確保したほうが、効率が良いの。

そういう時代になれば、同性愛が流行(はや)ります。

 

     集団安全保障のための、信頼できる盟友が、同性なら、

     平和な社会でも、虐められる傾向にある人が、

     同性愛に縋(すが)るのは、当然ですけれど、

     虐められ易(やす)い人って、

     みんなと一緒のことのできない人と、だいたい同じです。

     

     発達障害や認知障害と、同性愛とが、

     密接な関係にあるのは、誰でも知っていますが、

     厄介なのは、

     顔や体のエステティックな見てくれと、同性愛とが、

     GID(性同一性障害)のような関係にあるだけでなく、

     発達障害や認知障害とも、切り離せないことが、

     わかっています。

 

     どうして、顔や体の形と、発達障害や認知障害とが、

     関係あると思いますか。

     エステティックとは、そういう意味ですけれど、

     GIDの人には、わからないようです。

 

     顔や体の形によって、人を差別すれば、

     虐(しいた)げられた形が、

     発達障害や認知障害の証拠に見えてきます。

 

     ある病院の精神科医は、

     もっと目を大きく開(あ)けて歩くようにと、

     患者さんを叱っていました。

     放送局のドキュメンタリー番組の中ですけれど、

     たぶん、番組のスタッフも、特異な光景でしたので、

     この場面を切り抜いて、編集したのでしょう。

     放送局の人って、

     人の顔や表情を、切り貼りするのが、本職ですもんね。

 

     どう見たって、その患者さんは、生れつきに目が小さく、

     精一杯、目を開いていますので、

     それ以上に、大きく開くのは、無理です。

     精神科医は気づいていません。

     ああ、こんな医者に罹ると、

     患者さんは不幸だなあ、と思い、

     その医者の出身大学や経歴を調べました。

 

     別に、出身大学によって、

     あほか、賢しこかが、わかるわけでありませんけれど、

     大学によって、教義が違いますし、

     就職する病院に、縄張りがありますので。

     

     顔や体のエステティックな形によって、

     人を差別するのと、

     顔や形のエステティックな形が、発達障害や認知障害の、

     動かしがたい証拠に見えてくるのとは、同じなの。

     発達障害や認知障害が、形のある事実に見えてきます。

     エステティックと言う意味ね。

 

     生れつきに変更不能であればあるほど、

     客観的証拠のような事実に見えてきます。

     その仕組みがわからない人は、

     たぶん、精神科医に向いていません。

     だって、この仕組みがわからなければ、

     脳の器質に、原因となる病変の発見されない種類の、

     精神の病気の患者さんと、同じだもんね。

 

     実際、精神の病気の患者さんが、

     精神科のお医者さんになると、

     GID(性同一性障害)のための性転換医療を、

     行なったりします。

 

     わかる、わからないの、違いって、

     広汎性発達障害の知能指数の上限と同じである、

     と言う人もいます。

     だいたい、IQ135ぐらいかしら。

 

     でも、うちの患者さんでは、IQ145や155や185でも、

     ちゃんと、GID(性同一性障害)になっていますので、

     広汎性発達障害は、IQに関係ない、と思います。

     学力も、お医者さんになる人が、一杯いるもんね。

     

 

 

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