ピンボケですけれど、わたしのせいでありません。
カメラが悪い。
液晶画面に、拡大表示をして見なければ、
今、撮(と)った写真の、ピントが合っているかを、
確認(かくにん)できません。
面倒臭(めんどうくさ)いだけでなく、
拡大(かくだい)しても、老眼(ろうがん)のせいで…
シャッターを半押(はんお)しにしている時に、
ピントが合っているって、カメラが言えば、信(しん)じます。
たいていは、ピンボケ。
嘘(うそ)つけ!
怒(おこ)っても、仕方ありません。
カメラ本人は、ピントが合っていると、確信しているのだから。
こういうのを、認知障害(にんちしょうがい)と言います。
統合失調症(とうごうしっちょうしょう)や
GID(性同一性障害)にも、
現(あらわ)れる症状(しょうじょう)です。
うちのカメラの場合は、生まれつきの素質(そしつ)が大きい。
これだから、オリンパスは、
投資(とうし)に失敗(しっぱい)するのかしら。
まじめに働(はたら)くよりも、
投資(とうし)で儲(もう)けようって、バブルそのもの。
胃(い)カメラや顕微鏡(けんびきょう)が、
左前(ひだりまえ)になってきたので、
投資(とうし)に走ったのかも知れません。
小紫(こむらさき)です。
クマツヅラ科の紫式部(むらさきしきぶ)の
近縁(きんえん)ですが、別種(べっしゅ)になっています。
料亭(りょうてい)のような名前(なまえ)ですけれど、
源氏物語ですから、仕方ありません。
わたしの前任者の御先祖様(ごせんぞさま)にも、
紫式部(むらさきしきぶ)というのが、いたそうです。
ろくでもない血(ち)を引(ひ)いていると、
性転換医療(せいてんかんいりょう)に手を出すのかも知れません。
このブログでは、
知性や美などの、優劣のある価値観が、間違いであると、
書きました。
統合失調症やGID(性同一性障害)などの、
精神の病気の原因であると。
知性には、知能検査や学力検査で測られるものがありますが、
いずれの計測も、間違った流行の尺度にすぎません。
間違いのない判断なんて、ないのに…
知性には、第三の知性もあり、それが足りなければ、
アスペルガーや、空気が読めないと、言われたりします。
いずれも、間違いです。
お釈迦さんや、イエスキリストさんや、三島由紀夫さんなどに、
その代表として、登場してもらいました。
三島さんを見ればわかるように、
知性と美の間違いは、連動しています。
医師の国家試験と、美人コンテストは、
ほとんど同じ考え方ですけれど、フランス革命の精神なの。
美の間違いは、物理学や化学の考え方を知るまでもなく、
人間の視覚が優れていることから、形によく現れています。
とりわけ、人間の個体の、顔や体の見てくれの、
エステティックな形として、病的に現れます。
知性や美などの、価値という流行の間違いは、
個体を差別虐待して、殺そうとするからです。
病的ね。
多くは、殺し合いになりますので、
みんなと違う者を間引くために、知性や美が口実にされます。
殺されないようにする者も、助け合いますので、
殺し合いと助け合いって、同じ意味です。
異化と同化ってやつ。
免疫機能の考え方ですけれど、自我の要領です。
知性が、知能検査や学力検査で測られるものでしたら、
多くの人には、それを計測する能力がありませんので、
自分の知性がないのに、他人の知性がない、と評価して、
他人を殺そうとします。
嫌(いや)なやつを、間引くための、合言葉に過ぎません。
あほと言うのも、みんなと一緒のことができない、と言うのも、
法律に違反している、と言うのも、似たような意味ですけれど、
個体の見てくれのエステティックな形が、みんなと違うやつを、
人間は、嫌なやつと感じます。
孤立すると、殺されるもんね。
エステティックな形の識別能力は、知性と違い、
視覚障害者でなければ、多くの人に共通です。
知性の識別能力は、ほとんどの人にありませんから、
アインシュタインが、いくら自分の知性は優れている、と言っても、
軍隊が守ってくれなければ、なんの役にも立ちません。
賢いって、嫌(いや)なやつを殺すための、上手い工夫なの。
具体的には、みんなを騙(だま)して、顎(あご)で使います。
理論物理学だけでなく、ほとんどの科学技術は、
多くの人の協力がなければ、成り立ちませんから、
いくら知能検査や学力検査によって測られる知性が優れていても、
自分一人では、証明することが、不可能です。
どれほどの天才も、自分一人では、鉄砲を作ることさえ、
できません。
たくさんの人の協力を得るには、
知性の足りない人の協力が必要ですので、
エステティックな形の見てくれに、恵まれていなければ、
アインシュタインも、
ただの、あほの怠け者の卑劣なやつにすぎません。
エステティックな形が、
みんなに醜いと言われる形でしたら、間引かれます。
公然とは、不細工と言われずに、
知性が無い、と言われるのが普通ですので、
知能検査や学力検査は、エステティックな見てくれでなければ
コミュニケーションの能力を、計測しています。
みんなに賢いと言わせるために、人を騙して、顎で使う能力ね。
ほんとは、エステティックな価値と、コミュニケーションの能力は、
同じ意味ですけれど、
どこを調べても、知能検査や学力検査の考え方に、
エステティックな形の違いを測る意図が現れていると、
思えない人は、
このブログの意味を、読み違えているかも知れません。
わたしたちの認識は、意志の通りに物事が意識されます。
植物が外界から得る情報を、
植物は無意識に処理していますが、
人間も、目や耳や皮膚などの、
感覚器官から得られる情報を、無意識に処理しています。
自律神経の機能と言われますが、
人間では、無意識に処理されている情報の中から、
みんなと一緒のプログラムによって、
特定の情報を、無意識に抽出して、編集した後に、
初めて、認識の内容として、意識されます。
このような、比較的、人間に特徴的な脳の機能のことを、
コミュニケーション機能と言います。
人間の脳では、この機能のために、
多くの神経細胞が投入されていますので、
人間の脳は、体の中の部分と部分の、
コミュニケーションを行なうだけでなく、
他の個体との、コミュニケーションを行なう臓器と
言えます。
他の個体と、無意識に情報を交換します。
早い話が、乳幼児が無意識に言葉を習得するように、
無意識に、コミュニケーションのためのプログラムを、
ダウンロードします。
もちろん、乳幼児は、そのプログラムが、
多くの人に普及しているプログラムであるか、
それとも、
ごく少数の人だけが使っているプログラムであるかを、
識別できません。
無意識に習得して、実行します。
日本語の普及の程度を知らずに、
日本語を覚えたでしょう?
同様に、さまざまな流行の価値も、
普及の様子を知らずに、無意識に習得しています。
この機能は、ほとんど、植物の機能と同じです。
無意識に入手したさまざまなプログラムを、
個人が、意図的に作ることは、不可能と思います。
意志と言われている脳の機能は、
完全に植物の機能の上に、生まれつきのプログラムや、
無意識に入手したプログラムが、
意識的に実行されているだけです。
意識的にってのは、
ようするに、植物のような無意識の情報の中から、
プログラムによって、
無意識に、自動的に抽出されて、編集された情報を、
感覚器官から入手したオリジナルの情報であると、
錯覚していることを言います。
意志って、錯覚の組み合わせが、自動的に処理されて、
プログラムにより、機械的な反応の、随意筋の動作が、
無意識に起こるだけなのに、
人間の個体は、自分で考えて実行したと、思っています。
あたかも、自分でプログラムを作ったかのようにね。
無意識にプログラムを習得した記憶や、
自動機械のように実行されている自覚がないから、
そのように間違った自覚になります。
統合失調症の人の、いわゆる、されられ体験のほうが、
健常な人の、意志という錯覚よりも、
コミュニケーションの仕組みを、
合理的に理解しているかも知れません。
おもに乳幼児の頃に、無意識に習得されたプログラムが、
自動的に実行されるのを、個体は阻止できませんので、
わかっていながら、みんなと一緒のことが出来ません。
ほんとうは、無意識に入手したプログラムにより、
これこれの刺激があれば、
体の器官を、このように動かそう、
行為しよう、発言しようと、
自動機械のように反応したのに、
自分という個体が、反応の仕方を発明したかのように、
事実という認識が、錯覚させます。
事実として感じられる意識の内容を作るプログラムは、
入力された情報があれば、
どのように反応して、出力されるかというプログラムに、
従属していますから、
事実の認識って、
これこれならば、これこれをするという意志の内容に、
応じています。
やりたい通りに、事実が見えてしまうの。
刺激に反応するプログラムに従い、
事実と言われる情報が、認識されます。
注意って言われるやつね。
着目することです。
入手したプログラムを、
自動機械のように実行することによって、
コンピュータの電気情報から、
モニター画面の映像が作られるように、
実際に、目に見えたり、
他の感覚器官に捕捉されたりするように、感じられます。
ただの電気情報が処理されて、加工されるのと、
似たようなことが、
脳みその中で起こっているだけです。
人間は、事実だから、間違いが無い、と確信します。
みんなと一緒のプログラムを使っていますと、
みんなが同じ夢を見るように、
誰も彼もが、似たような内容を、
モニター画面に映し出しますので、
わざわざ、客観的という言葉を付けて、
厳(いかめ)しく表現されます。
みんなと一緒のことをせんやつを、殺すぞ、
という脅しです。
少数の人しか使っていないプログラムですと、
みんなの事実でないことが、間違いのない事実のように、
実際に、目に見えて、耳に聞こえるように、
知覚されます。
幻覚や妄想などと、言われますが、
認知障害の現れかたの一つです。
みんなのプログラムと、そうでないプログラムとを、
使い分けられません。
認知障害って、コミュニケーション機能の障害なの。
そのことを、自我障害と言います。
入手されたプログラムだけでなく、
生まれつきのプログラムが、多くの個体に共通であるという保証は、
どこにもありません。
意識の内容の認識や、意志の仕組みと、
文化的なプログラムや、生まれつきのプログラムの関係がわかれば、
わたしたちの個体は、機械的な間違いでなければ、
いかなる間違いも、発明できないことが、わかります。
文化って、
誰かのしでかした機械的な間違いの記(しる)されたプログラムや、
誰かの脳みその中で組み合わされたプログラムなどが、
みんなに普及すれば、
それを実行するに適した素質の個体が、有利に生殖をしますので、
個体を取捨選択して、品種改良をするのと、同じ結果になります。
みんなと同じでしたら、流行するのに決まっていますから、
みんなと違う機械的な間違いが流行するのは、
たぶん、みんなと同じ価値の実行に、
優劣という量的な差を作ることになります。
みんなと同じなので、みんなに流行するのでしたら、
もっと上手くやってのけられるような、機械的な間違いがあれば、
みんなに褒められます。
機械的な間違いが貧弱ですと、優劣の差ができませんので、
品種改良をしたくても、できなくなるのは、当たり前です。
栽培や飼育のための、作物や家畜のように、
品種改良が行き詰まれば、たぶん、他の生物に侵食されます。
機械的な間違いを間引くと、弱くなるの。
できるだけ、間違いを保存して、
手持ちの遺伝情報を増やしたほうが、得ですけれど、
性転換医療や戦争って、間引いてしまいますので、
良い結果になるわけがありません。
間引いてはいけないのに、個性や多様性などと言い、
GID(性同一性障害)の人たちは、自分から生殖機能を壊して、
間引かれて、絶滅しようとします。
認知障害と言います。
精神の病気って、頭がイカレるの。
乳幼児の頃に習得したプログラムの実行を、止められません。
人類みんなが絶滅すれば、お目出度いのですけれど、
ごく身近な血縁の人だけが、絶滅するって、よくあります。
絶滅する人たちの特徴が、
統合失調症やGIDなどの、精神の病気に、よく現れています。
知性と美の、二つの間違った価値が、足枷になり、首を絞めます。
虐待したり、されたりっていうコンプレックスになるみたい。
知能検査や学力検査で測られる能力は、
間違った流行の価値にすぎないのに、
御丁寧にも、みんなの学校で実演されています。
第三の知能が足りないと、アスペルガーって言われますけれど、
三島由紀夫さんも、美がどうのこうのと言って、自殺しました。
東京大学ってところを卒業して、大蔵省に入りましたから、
最低限の知能や学力は、ありましたけれど、
乳幼児の頃の、アスペルガーのようなプログラムが、
コンプレックスになったみたいなの。
知性と、エステティックな形って、連動しています。
アスペルガーのように、特定の知的能力が足りないと、
差別虐待をされますから、精神的に苦しくなります。
それを紛らわそうとして、別の間違った価値を信奉します。
症状が転換されて、エステティックな美に縋り、自滅しました。
連合赤軍の、永田洋子も、そうでした。
エステティックな差別虐待の被害から、
知性という別の間違った価値に縋りました。
知性は、知能の高い人にしか、測定できませんので、
暴力のボディーガードがなければ、孤立します。
知能の高さを競っても、どうせ間違った価値観なのに、
美人コンテストと同じってことに、気づきませんでした。
GID(性同一性障害)では、
背の低い男性や、体のごつい女性だけでなく、
足の長さが自慢の男性や、知性が自慢の女性などが、
生殖機能の破壊を、自分から望みます。
知性って、一部の人にしか、測れませんから、
知性が自慢でも、体のエステティックな特徴が、醜ければ、
あほのように扱われます。
それを潔しとしないで、自分や他人の体を壊そうとするのは、
永田洋子と似たようなものです。
精神の病気って、
知性や美などの、差別虐待の被害者と加害者に、
同じ症状が出ます。
コンプレックスと言います。
GID(性同一性障害)では、認知障害がひどくなると、
知能や学力の高い人は、必ずと言って良いほど、
お医者さんになろうとします。
認知障害なのに、知能や学力が高いって、
アスペルガーと同じですけれど、
統合失調症の人にも、たくさんいます。
知能って、測っても、どうせ間違った価値です。
美も、美人コンテストのように、測れますけれど、
間違った価値です。
GIDの人は、見せびらかしてくれますので、
よく目立ちます。
挨拶回りに来るもんね。
今までは、患者の側でしたけれど、
これからは治療する側に回りますって。
ほんとは、治療する側でなく、
これからは性転換医療を行なう医者になりますので、
加害者の側に回ります、という意味なのに。
自分で加害者になっても、気づきません。
GID(性同一性障害)でないお医者さんも、
性転換医療を行なっているでしょう?
不細工な見てくれのせいで、
差別虐待を受けていた人の前歴は、GIDだけでなく、
脳の器質に病変のない種類の精神の病気でしたら、
何でもあり得ます。
被害者と加害者って、いとも簡単に入れ替わり、
GIDの患者さんと、その性的パートナーになる人も、
簡単に交替します。
賢いとか、美しいとかっていう価値が、間違っていても、
みんなが、差別虐待をするから、仕方ありません。
賢いと思っていても、不細工でしたら、あほと言われて、
賢さを認めてもらえませんから、弾き飛ばされて、
医者の中でも、性転換医療を行なう医者になるって、
よくある話です。
向精神薬の依存症だったりね。
統合失調症やGIDの患者さんと同じ事情が、
お医者さんのほうにもあるの。
性転換や性転換医療を行なうのは、
賢さや美しさのような間違った価値を信奉するのと、
同じことです。
実際には、賢さや美しさを振りかざして、
人は、差別虐待を実行しようとします。
嫌(いや)なやつを殺して、間引こうとします。
法律や裁判が、そうでしょう?
みんなに、一緒のことをさせるために、法律があります。
自分と一緒のことをしないやつのために、
裁判や刑務所や死刑ってのを、考え出しました。
戦争や奴隷制と、同じことです。
アリストテレス風の科学や科学技術や、
お釈迦さんや、イエスキリストさんや、
予言者モハメッドや、孔子さんのような、
大陸の殺し合いや助け合いの考え方が正しいとは、
とうてい思えません。
性転換や性転換医療の実行よりも、
賢さや美しさを、葬り去るほうが、
良いと思うのですけれど、
意識や事実や意志の成り立ちかたって、
ごく一部の人にしか、理解できません。
これがわからなければ、賢さや美しさなどの価値が、
正しいかのように見える仕組みがわかりませんので、
どうしようもありません。
生きたいと思うなら、
殺し合いをしないと、仕方ないのかしら。
イラクやアフガンに、アメリカが無人機を飛ばして、
アメリカに反抗的な人を、選択的に殺すように、
性転換を飛ばして、
不細工なやつを殺す戦争をしています。
殺し合いの加害者と被害者が、
同じGID(性同一性障害)の患者さんであったり、
患者さんからお医者さんになったり、
GID(性同一性障害)の性的パートナーになったり、
お医者さんと患者さんの関係であったりします。
ベトナム戦争の頃は、代理戦争と言いました。
お医者さん同士の叩き合いの関係が、
性転換医療の虐待に繁栄されています。
優生医療に転換されたってこと。
美術学校の受験に失敗したヒトラーや、
戦争の賠償金に喘いでいたドイツなどと、
ヨーロッパ白人に嫌われていたユダヤ人との関係も、
共食いでした。
個人主義って、
個体の命を、牛や豚や、蝿や蚊のように扱うのと、
さほど違いませんから、
アリストテレスやフランス革命のやりかたと、
ヒトラーやスターリンのやりかたは、ほとんど同じです。
日本やアメリカの憲法は、
フランス革命を継承していますけれど、
日本に、フランス革命なんか、なかったのに…
コメント
コメント一覧 (1)