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ちょこちょこ動(うご)き回るので、ピントが合(あ)いません。

カムチャッカから、日本にかけてと、

満州(まんしゅう)あたりに、住(す)んでいるそうです。

 

昔(むかし)は、北日本でしか、見かけなかったのに、

最近(さいきん)は、

関西(かんさい)にまで進出(しんしゅつ)しています。

 

暑(あつ)さに弱(よわ)いのに、

どうして、地球温暖化(ちきゅうおんだんか)のせいで、

暑(あつ)くなってから、

南(みなみ)に進出(しんしゅつ)したのかしら。

 

都会(とかい)に強(つよ)い、と言われています。

雑食性(ざっしょくせい)ですし、

ビルや民家(みんか)の隙間(すきま)でも、

眠(ねむ)れますから。

 

このごろの人は、鳥(とり)を捕(つか)まえません。

昔(むかし)は、食(た)べましたけれど、

今は、禁猟(きんりょう)です。

 

人間(にんげん)を食(た)べるほうが、

合理的(ごうりてき)ですので、

きっと、性転換(せいてんかん)や、iPSの次(つぎ)は、

人間(にんげん)の品種(ひんしゅ)改良(かいりょう)を

行(おこ)ない、

食用人間(しょくようにんげん)を作(つく)ります。

 

生殖(せいしょく)は、本能(ほんのう)ですから、

科学技術(かがくぎじゅつ)が進(すす)めば、

個体数(こたいすう)が増(ふ)えます。

 

殺(ころ)して、食(た)べるのが、合理的(ごうりてき)です。

性転換医療(せいてんかんいりょう)の共食(ともぐ)いは、

その走(はし)りなの。

 

性転換医療(せいてんかんいりょう)と、

生殖医療(せいしょくいりょう)を、組(く)み合(あ)わせれば、

お医者(いしゃ)さんが、儲(もう)かります。

 

目を通(とお)る黒(くろ)い線(せん)は、

過眼線(かがんせん)と言い、

カルガモやホオジロなどの、たくさんの鳥(とり)にあります。

 

嘴(くちばし)と、目(め)と、耳(みみ)を、結ぶ線(せん)に、

組織(そしき)や細胞(さいぼう)の

特徴(とくちょう)があるのかしら。

 

嗅覚(きゅうかく)や視覚(しかく)や聴覚(ちょうかく)などの、

神経(しんけい)の通(とお)り道(みち)です。

そのせいで、

模様(もよう)の境目(さかいめ)になっているのかも知れません。

 

目(め)の周(まわ)りの、

羽毛(うもう)に反射(はんしゃ)する光(ひかり)を、

少(すく)なくしています。

眩(まぶ)しいと、見(み)えにくいもんね。

 

鳥(とり)って、目玉(めだま)の形(かたち)に、

敏感(びんかん)に反応(はんのう)しますので、

天敵(てんてき)を避(さ)けるためかも。

 

白鶺鴒(はくせきれい)と、書(か)きます。

 

 

体が女なのに、心は男であると、確信するのは、

前生が、ロマノフ朝の王女アナスタシアであると、

あくまで主張するのと、よく似ています。

 

同じ病気の症状として、纏(まと)めれば、便利かも知れない、

という意味ね。

現在では、解離性障害、という項目に、放り込んで置く人もいます。

 

昔のヒステリーの一種ですけれど、

今のヒステリーは、たとえば、

喉の奥に、何かが詰まったような感じとか、

痛いとか、息苦しいとかと、訴えて、内科を受診しますけれど、

検査をしても、何の異常も見つかりません。

 

経過を観察しても、変化がなく、

どうしても苦しく、生活に支障をきたすようでしたら、

一度、心療内科を受診してみてはどうですかと、

患者さんに、アドバイスをすることになります。

 

心療内科に行け、と言われても、

男性でしたら、滅多(めった)に行きませんけれど…

 

日常語では、夫婦喧嘩をした時に、奥さんがキーッとなって、

御主人に命中しないように、

ぎりぎりのところに、うまくコップを投げつけるようなのを、

ヒステリーと、言います。

 

19世紀後半から20世紀前半の、心理学や精神医学のヒステリーは、

精神の病気の中でも、

脳の器質に、原因となる病変の発見されない種類を言います。

 

あくまで、脳の器質的な証拠を発見しよう、

とする医者の態度でなく、

脳の機能の病気なので、脳の器質にこだわっても仕方がない、

とする態度です。

 

脳の機能の病気って、いわゆる心の病気ですけれど、

何を言っているのか、よくわかりません。

脳の中よりも、社会との関係のほうに、問題があるって意味ね。

 

そんなところに、病気があるのかどうか、

個人主義の考え方では、よくわかりませんけれど、

解離性障害や人格障害などは、

精神障害として、精神の病気の一種になっていますから、

関係などというところにも、病気がある、ということになります。

 

個人主義って、現代では、あまり人気がないんです。

人間の、社会や心のことって、

個体の単位では、あまり起こりませんから。

 

それでも、

統合失調症や躁うつ病などの、狭い意味での精神病とは、違う、

ということに、なっていますから、よくわかりません。

 

統合失調症や躁うつ病も、ヒステリーでないのか、と言い出すと、

知的障害の大部分も、ヒステリーになってしまいます。

 

古代ギリシャ人は、現代の日常語のヒステリーの意味のように、

コップを投げるような、不合理な女性の心を、

ヒステリーと言っていたみたいですから、

コップも、捨てたものでありません。 

 

子宮のギリシャ語から、ヒステリーと言われましたので、

産婦人科に目星(めぼし)をつけていました。

美しい、という女性的な価値に、関係があるのかも知れません。

男の欲情を、誘わなければいけない女の立場は、容易でありません。

 

男性的な価値は、

鉄砲を発明して、ライオンを撃ち殺すようなものですから、

賢いって、言われます。

ライオンのお肉を、食べないのでしたら、

殺さないで、奴隷にして、こき使ったほうが、賢い、と思いますが、

ライオンって、サーカスや動物園でしか、働きませんし、

餌代(えさだい)が高いので、採算が取れません。

 

美しいにしても、賢いにしても、ギリシャ人の価値観を、

現代人は、受け継いでいますから、

ギリシャ人でない日本人は、不細工なあほに、決まっています。

 

     ふつうは、アリストテレスのことを、

     万学の祖と言います。

     物理化学や論理学などの、元になりましたから、

     現代の科学技術やコンピュータなどは、

     彼の考え方から派生した価値観を、共有しています。

 

     アリストテレスの著作の大部分は、

     当時のギリシャ人の考え方を、

     リュケイオンという学校の講義草稿として、

     纏(まと)めたものです。

 

     別に、彼の発明した考えでありませんけれど、

     教え子のアレクサンダーという若い王様が、

     エジプトやインドまで、征服したので、

     アリストテレスの著作が、たくさん書写されました。

 

     お医者さんの息子でしたので、

     生物学的な記述は、もしかしたら、

     彼の独自の考えかも知れません。

     いちおう、現代の賢(か)しこさ、という価値を、

     流行させた張本人なの。

 

     美しさのほうは、プラトニックと言われるぐらいに、

     プラトンが、よく支持されていますけれど、

     わたしは、美しさも、

     アリストテレスに一票を入れます。

    

     物理化学や論理学や、科学技術やコンピュータって、

     確信している事が、ヒステリー丸出しだもん。

     実際に目で見て、手で触って、耳で聞いて、

     直接に知ったことでなければ、信じないから、

     エステティックな価値を、

     確信してしまうのかも知れません。

      

     わたしは、直接に知らないことを、確信しませんけれど、

     直接に知っても、確信しません。

     絶対に確かに言えることは、定義しかありませんけれど、

     論理法則も、たぶん、生まれつきの神経の道筋が、

     変更不能になっているだけです。

 

     年を取れば、融通が効かなくなるし…

     信じていなくても、変更不能でしたら、くそったれです。

     顔や体の、エステティックな見てくれが、

     変更不能や変更困難であるのと、よく似ています。

     自分は信じていなくても、他人が信じていますから。

 

     プラトンの言うには、幻影(げんえい)ですけれど、

     事実は、

     みんなが同じ仕方によって、情報処理をしたから、

     同じように認識されます。

     似たような、神経の繋がり方を持ち合わせたり、

     似たような、文化的なプログラムを、

     共用したりしているってことね。

 

     そうでない人は、

     アリストテレスやアレクサンダーのような人に、

     殺されたので、絶えてしまいました。

 

     人為的に情報が処理されなければ、

     コンピュータのモニター画面に、映像が映らないように、

     事実は、ひとりでに認識されないだけでなく、

     コンピュータのモニター画面の映像を作り出すための、

     特定の情報処理の仕方と、同じ規格でなければ、

     画面の映像と同じ映像は、宇宙のどこにもありません。

 

     事実は、

     こっちとあっちの情報を結びつける神経の道筋と、

     文化的なプログラムによって、作られたものです。

     誰が見ても、同じ事実に見えるのは、

     神経の道筋と、文化的なプログラムの、いずれかが、

     同じであるか、さもなければ、似ているのでなければ、

     偶然の一致にすぎません。

 

     感情や事実や自我などの、意識の内容が、

     認識されない状態を、無意識と言い、

     自動機械のように、勝手に体が動いているだけです。

 

     プラトンの言う幻影と、アリストテレスの言う事実とは、

     同じ意識の内容を、指(さ)しています。

     プラトニックに言うと、科学技術を信じる現代は、

     迷妄を信じて、地獄を彷徨(さまよ)っているだけの

     暗黒時代かも知れません。

 

     アリストテレスは、

     人間の社会や心の事と、自然の事とは、

     いずれも、論理法則に一致しているので、

     論理法則が、心と自然の一致の、要(かなめ)である、

     と考えました。

 

     心と自然を、なんとか、一致させる方法はないかって、

     あれこれと、考えることを、形而上学と言いますけれど、

     アリストテレスは、

     論理法則が、両方を一致させる秘訣であると、

     考えました。

 

     だいたい、古代ギリシャ人の常識感覚と思います。

     これを見つけたから、

     エジプトやペルシャなどの、先進国に勝ちました。

 

     古代ギリシャでは、

     ギリシャ悲劇っていう演劇に登場する神々が、

     現代人の解釈と同じように、

     娯楽のネタになっていました。

 

     アリストテレスは、カタルシスと言いましたけれど、

     健常な古代ギリシャ人は、

     神さまを、ぜんぜん信じていませんでした。

     ストレス解消のために、

     神々の話を、楽しんでいただけです。

 

     カタルシスって、

     魂(たましい)の浄化(じょうか)と、翻訳されます。

     ストレス解消と、似たような意味かしら。

 

     昔の古代文明って、

     神秘的な信仰が、一杯、残っていましたから、

     インドやメソポタミアやエジプトって、

     物を加工したり、人を統治したりするための、

     優れた技術があったにもかかわらず、

     迷信に、足を引っ張られました。

 

     紀元前7世紀ぐらいの、古代エジプトの人たちは、

     ギリシャ人のことを、人殺しの好きな、

     罰(ばち)当たりの傭兵(ようへい)にすぎないと、

     侮(あなど)っていました。

     

     戦争に強い奴が、いちばん危険なのに…

     日本も、戦争に強かったので、

     中国や韓国朝鮮の人たちに、今も馬鹿にされています。

     あほに限って、戦争に強い。

 

     日本は、日清戦争や日露戦争に勝ちましたが、

     シベリア出兵やノモンハン事件でも、

     そのたびに、ものすごい数の犠牲者を出していますから、

     個人の命を、なんとも思っていません。

 

     毛沢東の中国も、そうでした。

     中原(ちゅうげん)を逃れて、

     延安に移動しましたけれど、

     10万人以上の兵力が、千数百人にまで、減りました。

 

     たくさんの人が、

     餓死や病死や、戦闘によって殺されました。

     そのことを、長征と言い、

     生き残った人たちは、まるで良いことのように、

     誇らしげに吹聴します。

 

     たくさんの仲間が死んだのに、

     死ななかった自分が、立派なのかしら。

     毛沢東は、自惚(うぬぼ)れて、自慢していました。

 

     個人の命を、虫けらのように思う気持ちって、

     いちばん危険ですけれど、

     そういうあほに限って、いちばん強いってことが、

     ヘレニズムにも、よく現れていました。

 

     なんとなく、敵を、たくさん殺すよりも、

     敵と味方にかかわらず、人を、たくさん死なせるやつが、

     危険で、強いみたいなの。

     味方を殺すって言うと、怒られますけれど、

     死なせる人数のことね。

 

     現代でも、いちばん危険なのは、お医者さんでしょう?

     性転換医療に、よく現れています。

     人の命を、助けるのでなく、

     自分の好きな奴の寿命を延ばして、

     嫌(きら)いな奴を放置して、死なせます。

     人を死なせる数は、お医者さんが一番です。

 

     今は、いちばん賢い子が、お医者さんになります。

     昔は、学校でいちばん賢い子は、軍隊に行きました。

     人の病気を治すのと、人を殺すのとは、同じ仕組みなの。

     敵や味方や戦争や病気の違いって、

     あまり関係ありません。

     死なせる仕組みが、同じなの。

 

     ギリシャ人が、戦争に強かったのは、

     迷信を排除したからです。

     戦争って、合理的に殺すほうが、だいたい勝ちます。

     迷信にこだわっていると、負けます。

 

     最大の迷信は、今で言えば、人権や正義でなく、

     賢(か)しこさや、美しさかしら。

     犬にくれてやっても、構いません。

 

アリストテレスって人は、

論理法則が、形而上学の要(かなめ)である、と考えました。

人間の心や社会と、自然とは、

いずれも、論理法則に一致していますから、

合理的に生きるべきである、として、

論理法則を纏(まと)めました。

 

アリストテレスの論理学っていうやつですけれど、

こいつが、ヨーロッパでは18世紀頃まで、

無修正のまま、受け継がれました。

日本は19世紀になってから、黒船に負けましたから、

アリストテレスの論理学を、あほみたいに覚えました。

 

その後、記号論理に置き換えられましたので、

アリストテレスの見逃していた幾つかを、修正しましたが、

基本的には、同じ考え方です。

数学も、似たようなものですけれど、

コンピュータを作った考え方です。

 

物理化学も、定義という任意の色を付けますけれど、

筋道(すじみち)や輪郭は、アリストテレスの考え方と同じです。

 

論理的と言われるもののうちで、論理法則でないものは、

任意の定義にすぎません。

学問って、みんな、論理的でしょう?

 

認知行動療法のお題目に、

レッテル貼りは、精神の病気のもとですってのが、ありますけれど、

定義って、レッテル貼りです。

論理法則でなければ、レッテル貼りしか、

人間やコンピュータは、考えられません。

 

認知行動療法は、考えるな、と言っています。

あほになれば、楽ちんです。

統合失調症の認知障害は、それですし、

体の病気の治らない人が、苦しまずに死んで行くのも、それです。

死ね、と言っているのでありませんから、

統合失調症になれ、と言っているようなものです。

 

乳児の頃にイカレていなかった人は、

統合失調症にならない、と思いますけれど、

乳児の頃にイカレていても、知能検査や学力検査の成績が良く、

お医者さんになってから、統合失調症になる人も、たくさんいます。

どうしよう…

 

論理法則って、生まれた時に、ほとんど出来上がっていて、

せいぜい、満1才頃までには、完成する中枢神経の道筋のことなの。

それも、大脳の神経細胞の軸索が、

大脳のあっちとこっちを結んでいる道筋(みちすじ)のことね。

 

あっちとこっちって、

ようするに、目や耳や皮膚や内臓や血管などの、

体の部分と繋がっている末梢神経の出入口のことです。

 

入口と、出口とを、繋いでいますけれど、

中枢神経でも、脳幹や小脳や脊髄などがありますから、

大脳以外の、そっちのほうを経由して、

あっちとこっちが、繋がっているかも知れませんし、

大脳には、あっちとこっちの途中に、

大脳皮質や神経核のような、中継地点がありますので、

中継地点と、別の中継地点とが、あっちとこっちかも知れません。

 

コンピュータも、あっちこっちに、電気を転がして、

足し合わせるでしょう?

大脳では、あっちからこっちへ、

中継地点を経由して、電線を結ぶように、

神経細胞の軸索が繋がっています。

 

同じ中継地点の中の、神経細胞から神経細胞へ、

短い軸索によって繋ぐ神経細胞でなければ、

異なる中継地点を、長い軸索によって結ぶ神経細胞は、

たぶん、乳児の頃に、すでに出来上がっていて、

後には、損傷しても、再生されることはありません。

 

論理法則って、そのような長い軸索の繋がり方を、

言葉や数字や、他の記号などによって、表現したものです。

たくさんの人に共通ですけれど、一部の人は違っていますので、

お医者さんや警察官に、動物のように扱われるかも知れません。

 

賢いや美しいなどの、しょうもない価値は、

動物に似ている人たち同士の、動物の扱い方のことを言います。

人間以外の哺乳類や動物の脳に、由来している仕組みなの。

人間に特有の価値でなく、

動物の判断の仕方が、人間の尻尾(しっぽ)のように、

神経の繋がり方として、残っている人が多い、という意味です。

 

あほと言う者が、あほである、と言うでしょう?

そしたら、だれとだれが、似た者同士であるかって、わかります。

GID(性同一性障害)の患者さんとお医者さんは、

共食いをしているって、わかります。

 

変更不能な脳の中の、神経の道筋(みちすじ)って、

人それぞれに違うものを、

人と人との殺し合いや、自然環境への適応などを経て、

生き残った人に、共通のものがある、という意味です。

自然淘汰や人為淘汰や品種改良っていうやつですけれど、

生き残っていても、全員が共通とは、限りません。

 

論理法則を表すものは、1才未満に完成していると思うの。

病気や事故などによらなければ、通常は変更不能ですから、

ノーベル賞やフィールズ賞を受賞するのも、1才未満の能力です。

 

短い軸索を使う神経細胞って、再生されるそうですから、

変更可能かも知れません。

たぶん、任意の定義のような、あほの一つ覚えをやっています。

物理化学や数学などの教科書に書いてあることは、

あほの一つ覚えでなければ、1才未満の論理です。

 

あほの一つ覚えって、

これとあれを、自由に結びつけることですけれど、

正しい結び方や、間違った結び方というのは、ありません。

どのようにくっつけるのも、人の勝手ですけれど、

みんなと違うことをすれば、たぶん、殺されます。

 

法律だけでなく、道徳や常識や仕来(しきた)りや価値って、

みんなに、一緒のことをさせるためにあります。

人間は、みんなと一緒でなければ、生きて行けないだけでなく、

みんなが一緒でないと、生きて行けないもんね。

 

あほの一つ覚えのような、任意の定義を表す神経は、

神経細胞の樹状突起や、その枝分かれのことですけれど、

殺し合いや、叩き合いや、助け合いをするために、

変更可能になっています。

 

こっちとあっちを、くっつけることですけれど、

短い距離の軸索の神経細胞は、樹状突起の変更だけでなく、

神経細胞が壊れても、再生されるかも知れません。

 

短い距離ですから、こっちとあっちを繋いでいながら、

情報のやり取りや、伝達をしている、と言うよりも、

脳の、特定の狭い部分の中で、

化学物質とくっついたり、化学物質を出したりして、

もしかしたら、情報を組み合わせたり、増幅したりをしています。

 

他人って、自然環境の一部ですから、

他人との、コミュニケーションによって、

みんなと一緒のことをするって、自然環境と一致することなの。

 

具体的な定義のように、変更可能な神経細胞の、

あほの一つ覚えのような機能だけでなく、

変更不能な、長い軸索を持つ神経細胞の、

みんなに共通の論理法則としての機能にしても、

論理って、個体の外側の自然環境を、個体の情報処理の、

雛形(ひながた)にしよう、とする脳の魂胆(こんたん)です。

 

個体の脳味噌に入力される一々の具体的な情報が、

自然の中に記録されていたり、

自然が、個体の脳味噌の情報処理のプログラムとして、

機能したりするって、便利でしょう?

 

人間の脳味噌は、それをしようとしています。

脳味噌は、コミュニケーションのための臓器である、ってことね。

  

人間の心や社会のことと、自然のこととが、

論理によって一致するってのは、

脳の中に記憶されている情報やプログラムと、

脳の外の自然環境に記録されている情報やプログラムとは、

同じであると、論理によって定義されることなの。

 

地球や他人のような、でかい物体は、脳味噌に入りませんけれど、

脳味噌の中の特定の情報と、

脳味噌の外の地球や他人という自然とは、

同じであると、定義されれば、簡単に脳味噌の中に入ります。

 

心の性別と、体の性別とは、同じであると、定義すれば、

どれほどに違っていても、同じに決まっています。

最初から、心と体が、同じであるはずなんか、ありませんから、

定義しなければ、仕方ありません。

 

この世界に、同じものが二つとあるわけがないのに、

神経って、二つをせっせと繋いで、100でも1万でも、

あほみたいに、組み合わせて行きます。

  

他人や、みんなの文化って、自然の一部ですから、

脳の中の情報は、

他人や、みんなの文化や、自然環境などと、

一致するように、定義されています。

 

脳の内側の情報と、脳の外側の情報を繋いで、

二つは、同じものであると、定義するのは、

コミュニケーションでしょう?

 

感覚器官から入って来た情報に応じて、

脳味噌の神経の道筋を整備するだけでなく、

体を動かして、脳の外側の自然環境を整備します。

 

岩石や植物みたいな奴ばかりでなく、

他人も自然環境の一部ですので、自然を整備するって、

情報や、情報処理の手順を、

脳の外側に、文化として記憶するのと、同じです。

 

たいていは、脳の外側を変更するのと、脳の内側を変更するのと、

楽ちんなほうを、選びますけれど、

赤ちゃんは、脳の内側の変更のほうが、楽ちんみたい。

年を取ると、脳の内側は、融通が効かなくなりますので、

外側を変更しようとしますけれど、

もっと年を取ると、どちらも変更できなくなり、

脳の内側と外側とが、一致しないままになります。

 

両方を一致させようとすることを、意志と言いますので、

一致しないままに、放置されると、だんだんと意志が萎(な)えて、

認知障害と言われるかも知れません。

 

だって、意志するところが、事実として認識されるもん。

みんなと同じ事実って、みんなと共通の神経の道筋でなければ、

みんなと一緒の文化的なプログラムによって、認識されますので、

事実って、みんなが、共通の夢を見るようなものです。

そのことを、わたしたちは、

事実と言われる客観的な認識の対象がある、と思い込んでは

いけません。

 

意志が阻喪(そそう)すると、

みんなと一緒の事実が見えなくなりますので、

妄想や幻覚を見ている、と言われます。

脳の内側と、脳の外側の情報を、一致させられなくなると、

神経の道筋が、無用の長物になりますので、

使われなくなり、廃(すた)れて、あほと言われるかも知れません。

 

年を取り、痛くも苦しくもなく、あほになって死んで行くと、

めでたしめでたしです。

 

GID(性同一性障害)って、精神の年齢の進み方が、人よりも早い。

早くあほになり、早く死のうとしています。

たぶん、長生きをしたくありませんし、苦しみたくもありません。

麻薬の快楽に、死ぬまで、浸りきりになりたい人と、

GIDを発症する人とは、よく似ています。

 

     現代の欧米人って、

     だいたい、アリストテレスの記述したような、

     古代ギリシャの考え方から、

     物理化学の事実のような、エステティックな物の見方や、

     進化論やロマン主義などを経て、

     原爆やコンピュータなどに、論理的に繋がって行くのが、

     普通です。

 

     現代人の賢(か)しこさや美しさなどの、

     快適な価値を正当化するための、一本道なの。

 

     この考え方で行くと、原爆やコンピュータや

     エステティックや物理化学や、

     ノーベル賞などはわかりますけれど、

     個人の人権や、風車に突っ込んだドンキホーテなどの、

     狂気は、わかりません。

 

     みんなと共通のことや、変更不能なことでなく、

     自分一人だけの、一回きりの、一時的なことは、

     理解不能です。

     アリストテレスの考え方の、致命的な欠点なの。

 

     年寄りや病人の介護は、効率が悪いので、

     切り捨てたほうがよろしい。

     そのほうが合理的です。

     人情なんて、

     フーテンの寅さんのような、流行文化にすぎません。

 

     美しい人や、賢い人ばかりを、たくさんい繁殖させて、

     共食いによって、生きて行く社会が、合理的です。

     人間って、栄養がありますから、

     人間を食べていれば、餓死しません。

 

     アリストテレスの論理法則って、

     変更不能な中枢神経の繋がり方が、

     たくさんの人に共通である、というだけの、

     つまらない根拠です。

     美しさや、賢(か)しこさなどように、

     流行の期間の長い価値にすぎません。

 

     物理化学って、フーテンの寅さんと同じです。

     みんなの流行の価値という定義の通りに、

     事実は認識されます。

     定義は、意志や実行の、お題目や目的になるもんね。

 

     物体の運動の原理です。

     エネルギーってやつなの。

     あほの一つ覚えのように、これとあれを結びつけます。

     情報処理っていう神経の機能だから、仕方ありません。

 

     コンピュータが出来て、

     痛くなくなった、苦しくなくなった、

     科学技術は、確かに役に立っているって、

     人間たちは喜んでいます。

     痛くない、苦しくないのは、認知障害でないのかしら。

     死ぬ時には、みんな、そうなるけれど…

 

     古代ギリシャは、

     戦争をして、たくさんの異民族を征服して、

     奴隷にして、こき使う社会を作りました。

     それを、したかったの。

     アリストテレスの論理学や、後の物理化学などの、

     賢(か)しこさや美しさに、よく現れています。

 

     弱い奴をやっつけて、自分が強いんだぞと、

     自惚れたかっただけです。

     それだけで、どん詰まりになりました。

     現代のお医者さんと同じです。

 

     賢(か)しこさのような、個体維持の本能と、

     美しさのような、生殖本能を発揮して、

     個体は死ぬしかありません。

 

     くそったれなので、

     後に個人主義を言い出した人もいます。

     個人の人権が大切である、と言い、

     個体の賢(か)しこさや美しさを見せびらかして、

     人を殺します。

 

     空間や時間や概念や足し算などのように、

     こっちとあっちの情報を結びつけるのは、

     たくさんの人に共通の、神経の軸索の繋がり方が、

     その人たちには、変更不能であるからです。

 

     その上に乗せる定義って、

     心理学では、連合と言う人もいますけれど、

     大脳皮質や神経核などの、

     神経細胞の樹状突起の枝分かれのことです。

 

     変更可能ですけれど、

     これを変更したり、作ったりするのは、

     本人でなく、他人や社会や自然環境です。

 

     他人や社会の入れ知恵や、自然環境のせいでなければ、

     生まれつきの変更不能な

     自動機械の仕事でしかありませんから、

     変更可能の意味は、他人にとって、変更が可能です。

 

     みんなが、他人の樹状突起を左右して、支配しようと、

     争っていますので、

     個体の脳の中の、

     他人にとって、変更が可能な樹状突起の責任を、

     本人がとらねばならないのは、間違っています。

 

     それにもかかわらずに、

     人間の個体には、自己同一性があり、

     責任をとろうとしますので、個人主義と言われます。

     

     この矛盾を、コミュニケーションと言いますが、

     ブロイラーという人は、両価性と言いました。

     統合失調症の概念を作った一人で、

     

     あっちとこっちや、脳の内側と外側などが、

     コミュニケーションをするってのは、

     両端の情報が異なっているから、

     電気のように、情報が流れるって意味なの。

 

     異なった相手がなければ、こちらの情報は変化しません。

     当たり前ですけれど、自分自身では、変更不能です。

     自分を変更する能力が、相手にあるので、

     コミュニケーションと言われます。

 

     そんなもん、

     自分のほうに、変更する能力がありましたら、

     人間は、一生、生まれつきの素質に支配されます。

     相手のほうに、変更する能力があるから、

     コミュニケーションが、

     意のままにならない自分を作ってくれます。

     自分を変化させてくれるの。

 

     これって、生殖の原理と同じですから、

     生命の基本的な仕組みね。

     免疫機能ですけれど…

 

     自己同一性って、

     そのように、相手に左右された変化があっても、

     同一性が保たれる、って意味ですので、

     自分と異なる相手が必要です。

 

     人間の個体は、

     神経の道筋の、変更不能なハードウェアによって、

     必ずしも、認識や行動が、決っているのでありません。

 

     みんなと一緒の、流行のプログラムを使わなければ、

     殺されるように、淘汰されますけれど、

     流行の文化的なプログラムを実行するために、

     有利な脳であれば、個体は繁殖しやすくなります。

 

     特定の文化的なプログラムを流行させて、

     自分の脳が有利になるように、

     他人の脳を、左右することが出来ます。

     自分の得意な文化を流行させるって、

     不得意な人を殺すのと、同じですけれど…

  

     性転換医療を行なうお医者さんって、

     そういう考え方みたいなの。

     GID(性同一性障害)の治癒した人たちは、

     性転換医療を行なうお医者さんたちを、

     死刑にしろ、と言います。

 

     GID(性同一性障害)の患者さんたちは、

     治癒しようが、しよまいが、

     性転換医療の犠牲者ですけれど、

     GIDって、患者さんの病気でなく、

     お医者さんの、精神の病気です。

 

     お医者さんが、

     椅子(いす)取りゲームという特定の文化を流行らせて、

     患者さんの椅子(いす)を取りました。

 

     他の精神障害者や、健常な人などを、

     GIDの患者さんに仕立てましたが、

     お医者さんの責任能力は、微妙です。

     患者さんよりも、桁違いに重症なの。

 

性転換医療を行なうお医者さんに共通の症状は、

アリストテレスと同じです。

人を殺したり、

自分の楽しみのために、人をこき使ったりは、出来ますが、

人の世話をするために、自分を犠牲にすることが、できません。

 

古代ギリシャでは、プラトンやソクラテスって人も、

教科書の太字になっていますけれど、

昔のキリスト教は、プラトニックな考え方のほうを選びました。

 

イエスキリストの生まれた時代のイスラエルって、

ギリシャ文化の真っ只中でしたから、

キリストさんの考え方は、ギリシャ思想の優等生って感じです。

 

頭が良かったみたいですけれど、

どう見たって、アリストテレスを見習っていません。

プラトンやクセノフォンの伝えるソクラテスに近いかも。

 

ソクラテスは、ダイモンの声が聞こえる、と言って、

立ち止まる人でしたけれど、

弟子や友人たちの政治が批判されて、死刑になりました。

 

ソクラテスの人脈の人たちが、政権を握りましたが、

その後、転覆されたので、弟子や友人たちは、逃亡しました。

ソクラテスは、政治にかかわらなかったので、逃げませんでした。

そしたら、逮捕されて、教師としての責任を問われたの。

 

アリストテレスのほうは、弟子のアレクサンダーの死後、

故郷のマケドニアの王朝が倒れましたので、

母の故郷の、エウボイアのハルキダに逃げました。

 

アレクサンダーの教育係でしたから、革命が起これば、殺されます。

亡命するのは、当然ですけれど、

死刑のソクラテスや、イエスキリストなどと、比べると、

死に方が貧弱です。

自分の生き方に、命を懸けていない、という印象かしら。

お医者さんに共通の、線の細い人生でした。

 

これぐらいの要領の良さがなければ、

うまく生きて行けませんけれど、

ハルキダでは、すぐに死んでいますので、

殺された、とする説もあります。

 

ソクラテスやイエスキリストは、

みんなのために、自分の命を犠牲にしたと、

褒(ほ)め讃(たた)えられています。

 

アリストテレスは、

弟子のアレクサンダーが、ペルシャやエジプトやインドを、

やっつけたので、

後のイスラム教徒に、尊敬されたのかも知れません。

 

15世紀に、オスマントルコが鉄砲を使い始めると、

戦争の仕方が変わり、

ヨーロッパも日本も、同性愛者の軍隊がなくなりました。

 

槍や刀ですと、戦争や軍隊と、同性愛は、

切っても切れない関係なのに、

鉄砲になると、同性愛は、お呼びでなくなります。

 

殺し合いの距離が離れていると、あまり残酷に感じないのかしら。

人って、残酷さを感じれば感じるほど、

同性愛に顔を埋めて、心を癒そうとするみたいなの。

自分で自分の体に、顔を埋めるのは、困難です。

同性愛って、自分の体が二つになったみたいで、安心して眠れます。

 

生殖って、嫌(いや)な奴を殺して、自分の身内を増やすのが、

根本的な動機ですから、人殺しと一対(いっつい)です。

人殺しを拒否したくなると、生殖を拒否します。

仕返しの拒否と、同じようなものですから、

差別虐待を受け続けると、色気もなくなります。 

 

自分から、積極的に人殺しをしているくせに、

同性愛に逃れようとするのは、何が間違っているのかしら。

人殺しって、仕返しの応酬になりますから、きりがありません。

 

殺さなくても、奴隷にするとか、差別虐待をするとかも、あります。

これも、仕返しの応酬になりますけれど、

殺し合いよりも、陰湿かも知れません。

現代日本も、それかしら。

性転換医療って、

殺さずに、奴隷にしたり、差別虐待をしたりするのと、

同じでしょう?

 

仕返しをされるのに、決っているのに…

せっかく、性転換をしたいと言って、受診しているのに、

精神の病気を治そうとしないで、性転換をさせてあげるって、

お医者さんのほうが、精神の病気に決まっています。

  

性転換医療を行なったお医者さんよりも、

倫理委員会のメンバーのほうが、

刑務所に相応(ふさわ)しいかも知れません。

 

鉄砲が流行すると、プラトニックな考え方が葬り去られて、

アリストテレスの現金な考え方が、持て囃(はや)されました。

イスラムの錬金術や鉄砲が、

アリストテレスの正しさの、動かし難い証拠になりました。

 

みんなと一緒のことのできない同性愛者が

仏教やキリスト教を作っようなものですけれど、

鉄砲が流行すると、同性愛の軍隊が廃れましたので、

宗教が、政治権力を経営するのも、困難になりました。

 

進化論や精神分析って、アリストテレスの考えみたいに、

要領良く立ちまわる人たちが、

要領の良くない人たちを、現金に解釈して、

餌(えさ)にするように、牙を剥(む)いているだけですから、

全然、面白くありません。

 

三島由紀夫さんみたいに、

切腹をしてくれるほうが、舞台に上げて、商売のネタになります。

 

性転換医療は、患者さんに、性転換をやらせようとします。

面白いだけでなく、儲(もう)けたいのかも知れません。

GID(性同一性障害)の治癒した人たちは、

性転換医療を行なう医師を、死刑にすべき、と言います。

自分を犠牲にしてでも、みんなの世話のできる医師が良いそうです。

そんな医師って、いるかしら…

 

面白がって儲ける人は、好きでないそうですけれど、

性転換医療を行なうお医者さんや、それを支援する学者さんって、

人間を、賢いやつと、あほなやつに、分けているようでして、

できる人間に、一目を置くのと、対照的に、

GIDの患者さんたちを、保護してあげようと、しているのかしら。

 

治癒したGIDの人たちは、そのへんのところを、

ちゃんと見ているかも知れません。

性転換医療を行なうお医者さんや、

それを支援する学者さんたちの気持ちは、

弱い者に対する憎しみである、と言います。

 

賢いとか、美しいとかと言い、自惚れたり、攻撃したりするのは、

性転換医療を行なう側と、患者の側に、

共通の精神の病気の症状なのですが…

 

品性の貧しさが、精神の病気の原因かも知れませんが、結果かもね。

賢(か)しこさや、美しさによって、人を測ろうとするのは、

他人を差別虐待する原因です。

精神の病気って、差別虐待を受けるのが、原因になりますから、

GID(性同一性障害)が共食いになるのは、当たり前です。

 

 

 

  

 

 

 

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