2016年03月01日

<H2O>という表現 クールに語り直さねばならない時に、吉本隆明は来ている

<H2O>という表現

 水をH2Oと表現したい…吉本隆明の願望。
 吉本隆明はどこかで‘水をH2Oと表現したい’と述べている。心的現象論序説を読むと、それが真に願望だったことがわかる気がする。水をH2Oと表現したい…このことはあまり知られていないかもしれないが、詩人の表現の両極の一方を占める大変なものではないだろうか。
 たとえば心についてそのように現したものが心的現象論だといえそうだ。
 三島由紀夫が性的興奮を覚えると賛美の言葉を贈った吉本隆明の多くの言辞とともに、他方の極をクールな論述が占めている。その代表が難解で有名な「心的現象論序説」だ。

 時代の感性に照らした時に、鹿島茂の「吉本は、その時代を共有した者にしか分からない」という言葉を待つまでもなく、時代の感性を読解コードとするならば、クールに語り直さねばならない時に、吉本隆明は来ているはずだ。何よりも、まだ、そうは語られていないのだから。

 文学的?にいえば、心的現象論序説は、そういう本だろう。これ以上は微分できないところまで、心という現象が探究されている。そこでは鮮やかに古今東西の哲学や思想が拠りどころにしてきた基礎的な概念が、時−空間概念に解体されていくのだ。それだけで、まず多くのドグマのそれ自体であるかのような思弁や恣意性がクリアされていくところは、何よりもクールだった。「クール」…このアメリカ由来の一風俗的な言葉こそ、心的現象論序説の第一評価にはふさわしいのかもしれない。文庫化が話題になったときに、坂本龍一が‘こういう本が大衆に簡単に届くのは危険だ’というようなことを、やはり、どこかで述べていた。それほどのインパクトがあったのだ。それは古典の名前で免罪されているような少なくない知見を一掃しうる可能性を示しているものだと私は思った。難解の一言で葬られようとしていた心的現象論序説のポテンシャルまで隠し通すことは不可能だ。
 感情の生成を‘世界・内・存在から立ち上る…’とアバウトにあるいは詩的にしか表現できないハイデガーをまず取り上げながら、感情の揺るぎない定義を明らかにし、それが<ゼロ>であることをも示すパートで、私はこの本のクールさを確信した。そして何より新しい可能性をそこに見出すことができた。

 共同幻想論にはそれほど興味がなく、思春期・青春期のありがちな興味の延長で、仕事の途中、移動や一休みするときにポケットに忍ばせた心的現象論序説を読んでいた。最大の興味は時空間の概念を駆使したアプローチだ。時空間概念を単位にして経済が微分される資本論の講義の鮮やかさに感激し、あるいはもっと明晰に世界を時空間および縦横高さと形態や量や質といったものに解体するヘーゲルの論理学に準拠したかのような心的現象論序説の展開に、何か大きな期待をつのらせながら読んでいた。
 そこには時間と空間でクリアされていく心の世界があった。


   古典哲学が<衝動>とか<情緒>とか<感情>とか<心情>とか<理性>とか<悟性>とか
   よんでいるものを、身体から疎外された心的な領域とみなすばあい、
   それらは心的時間の度合いとみなされる…

                            (『心的現象論序説』供タ甘世界をどうとらえるかP50)


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