独解、吉本隆明さん ― 心的現象論で読む世界といろいろな理論の可能性
80年代にリアルタイムの分析をとおして現代そのものを取り上げたのが『マス・イメージ論』と『ハイ・イメージ論』。この2つの理論では吉本理論の初期三部作をベースにして、現在のテクノロジーとメディアによる特徴的な理論の拡張がはかられています。
吉本さん自身の説明(『イメージ論』あとがき・全撰集7・大和書房)によれば以下のようなポリシーのもとに思索されたようです。
マス・イメージ論は現在版の『共同幻想論』である。
ハイ・イメージ論は現在版の『言語にとって美とはなにか』である。
言語の概念をイメージの概念に変換することによって
三部作に分離していたものを総合的に扱いたい。そして、
イメージの概念によって総合することで、普遍領域についての
批評概念を目指したい。
また、そこで生じる問題を自らハッキリと把握し、その追究に力が注がれています。
ここでいちばん問題になったのは、言語と、
わたしがかんがえたイメージという概念が、
どこで結びつき、どこで分離して遠ざかるかを、
はっきりさせることだった。
その前提であり不可分でもあるラジカルな問題が『ハイ・イメージ論』の当初からの課題である「イメージという概念に固有な理論、その根拠をつくりあげる」こと。これはCGへの孝察から理論が展開されて「世界視線」の概念へと到達し、大きな成果を生んでいます。
そこでは視覚作用と想像作用によるイメージとが同致されて受容されることへの可否が問われ、哲学や心理学で問われてきた認識論への全面的で根本的な解答がなされます。
この部分は基本的に『心的現象論序説』において詳細に孝察され、認識の障害や異常、あるいは感情や夢への分析としても既に理論づけされています。そのため『イメージ論』は全般的に『心的現象論序説』の演繹として読むことのできる内容になっています。
逆にいえば、『心的現象論序説』の射程の長さや深さは予想以上のものであり、またジャンルや領域を超えたものであることがわかります。
それが、ここで『心的現象論序説』をメインに吉本理論を解読していくことの大きな理由です。
その結果をY理論として考えていきます。
ハイ・イメージ論1
ハイ・イメージ論2
ハイ・イメージ論3